聖母子と二天使の美しさ
こんにちは。さあ今日はですね、一枚の絵画の世界にあなたとぐっと深く入っていきたいと思います。
はい。テーマはルネサンス期の巨匠フィリッポ・リッピが描いた
聖母子と二天使。 きっとね、どこかで一度は目にしたことがあるすごく有名な作品ですよね。
ええ、そうですね。 ただ、この静かで美しい絵にはですね、実は当時の大スケンダルともいえる
画家のまあ情熱的な人生が隠されているんです。 今日は資料を頼りにその穏やかな絵の表面をこう一枚一枚めくって、奥にある物語を解き明かしていきましょう。
ええ、まさに時代を越えた名画の秘密に迫ると、そういう時間ですね。 この絵はただ美しいとか宗教的に重要だとか、もうそういう言葉だけでは片付けられない非常に人間的な
ドラマを秘めているんですよ。 そのドラマを知ると絵の見え方がもうガラッと変わるはずです。
いやー楽しみですね。 では早速ですが、まずは絵をパッと見た第一印象からいきましょうか。
聖母マリアが椅子に腰掛けて幼いイエスを優しく見つめている。 構図としてはすごく落ち着いていて神聖な雰囲気に満ちてますよね。
ええ。 でも、なんていうか他の同じようなテーマの宗教画と比べて、なんか妙に親しみやすさを感じるんですよ。
ああ、いい視点ですね。 その親しみやすさって実はいくつか巧みなしかれがあるんです。
まず聖母師の背後にある窓枠。 これ、額縁の中にもう一度額縁があるみたいな効果を生んでいて、
私たちはまるで窓を通してこの神聖な場面をこう覗き込んでいるような感覚になるわけです。 なるほど、確かに。
僕たちは絵の外の鑑賞者のはずなのに、なんだか同じ部屋の中にいるような。 あれでも手前の天使、右側の子ですよね。
はい。 この子、聖母師を見てない。こっち僕たちの方をまっすぐ見て、ちょっとニヤッとしてませんか。
そう、そうなんですよ。もうそこが立派のすごいところで。 ははは。
奥の天使はね、ケーケンに手を合わせてイエスを支えているのに、手前の子はまるで、
ねえ、すごい場面に祝わせちゃったねって、あなたにウインクでもしてくるかのような、いたずらっとい表情をしている。
ああ。 この天使が、絵の中の神聖な世界と、私たちがいる現実世界との橋渡しをしてくれてるんです。
面白いなあ。この天使一人のおかげで、遠い昔の宗教画だったはずのものが、急に、なんていうか、インタラクティブな体験になる。
これって、リッピーの独創的なアイディアだったんですかね。 当時としては、これは非常に斬新でした。
そうなんですね。 ええ。それまでの聖母師像って、もっと厳格で、鑑賞者と絵の間に、はっきりとした境界線があったんですね。
リッピーは、この天使の視線によって、その壁を取り払ってしまった。 さらに背景を見てください。
金白でキラキラした天国みたいな、抽象的な背景じゃないですよね。 ああ、本当ですね。丘とか川とか、街が広がっていて、すごくリアルな風景が。
遠くの山は、霞んで見えて、すごく奥行きを感じます。 これ、いわゆる遠近法ってやつですか。
その通りです。ルネサンス絵画の大きな発明の一つですね。 このリアルな風景があることで、聖母師が天上の存在であると同時に、私たちが住むと同じ地上の世界にいるかのように感じられる。
この神聖なものを人間的なレベルに引き寄せる感覚こそが、この絵の魅力の革新につながっていきます。
モデルの秘密
その人間的なレベルという点で言うと、聖母マリアの表情も、なんだかとても生々しいというか、
神の母としての威厳はもちろんあるんですけど、それ以上に一人の女性としての優しさとか穏やかさを強く感じます。
資料によると、このマリア像のディテールがまたすごいんですよね。
ええ、ちょっと拡大してみてみましょうか。 彼女の髪型、これ、当時のフィレンツェの裕福な女性たちの間で流行っていた、非常に手の込んだ編み込みなんです。
へえ。
描写なんてもう本当に見事ですよ。
衣装も豪華ですよね。深い青色のマントは、聖母マリアの純潔を象徴する色として定番ですけど、その下のドレスの繊細な刺繍とか、質感がすごくリッチに見える。
まさに。
まるで当時のファッションプレートを見ているようです。
立碑は、聖母マリアを単なる信仰の対象としてだけじゃなくて、東大一の美しい女性として描こうとしたんです。
実際資料にもある通り、このマリア像は当時のフィレンツェで最も美しい聖母像だと絶賛されました。
はあ。
神聖さと世俗的な美しさが見事に融合している。でもあなたがさっき言った生々しさの理由は、実はもっと別のところにあるんです。
と言いますと?
このマリアの顔はですね、単なる画家の理想の顔を想像で描いたものじゃないんです。彼女にははっきりとしたモデルがいました。
はい。
そしてそのモデルの正体こそが、この絵画に隠されたドラマの始まりなんです。
なんだかミステリーの入り口みたいですね。そのモデルというのは一体誰なんですか?
あなたの資料にも名前が載っています。ルクレツヤ・ブーティーという女性です。
ルクレツヤ・ブーティー?当時の有名な貴婦人とかですか?
いえ、そこが問題なんです。彼女の身分は修道女でした。
え?修道女ですか?聖母マリアのモデルが?
そうなんです。
それはちょっとかなり大胆な話ですよね。
大胆どころの話ではありません。そして物語はここで終わらない。この絵を描いた画家、フィリッポ・リッピ、彼自身も元々はカルメネ派の修道士だったんです。
え?ちょっと待ってください。え、じゃ、ってことは修道士だった画家が修道女をモデルに聖母マリアを描いたってことですか?
ええ。
それ許されるんですか?当時の教会で。
許されるはずがありません。
ですよね。
資料を紐解くと、二人の出会いはプラートという町の女修道院でした。
リッピがそこの礼拝堂の装飾を受け負った際に、修道女だったルクレツヤを見始めたと言われています。
そして彼は、聖母のモデルにしたいという口実で彼女を修道院から連ね出した。
口実って、それはもうほとんど駆け落ちじゃないですか?
事実上の駆け落ち、あるいは資料によっては誘拐とさえ書かれています。
二人は恋に落ちて、世間の目から隠れるように暮らし始めた。
これは15世紀のイタリアにおいて、もう教会を敵に回す大スキャンダルでした。
聖職者の身でありながら、戒律を破って女性と結ばれるなんて、破門されてもおかしくない大罪です。
その事実を知った上で、もう一度このマリアの顔を見ると全然違って見えてきますね。
禁じられた家族の物語
でしょ?
さっきまで感じていた穏やかな慈愛の表情の奥に、禁じられた恋に生きた一人の女性の覚悟というか、秘めた情熱みたいなものが感じられる気がします。
そうなんですよ。これは単なる聖母像じゃないんです。
画家が社会的地位も、もしかしたら命さえもかけて愛した女性のポートレートなんですよ。
そして物語の核心はまだこの先にあります。
彼女の見つめる幼子イエス。この子にもモデルがいたんです。
まさか。
ええ、この愛らしい赤ん坊のモデルこそ、フィリッポ・リッピと元修道女ルクレツアーの間に生まれた彼らの息子だったんです。
うわー。
名前はフィリッピー・ノ・リッピ。
すごい、ちょっと言葉が出ないですね。
つまり、この聖母子と二天子という神聖な宗教画は、実質的には戒律を破って結ばれた男女とその子供というスキャンダラスな家族のファミリーポートレートであった、とそういうわけですか。
そういうことになります。
家族と宗教の融合
画家は教会から祝福されない自分たちの家族の姿を、最も神聖な聖家族の姿に重ね合わせて、一枚の映画として永遠に残した。
うーん。
これは彼の芸術家としての最大の反逆であり、同時に家族への究極の愛の表現だったのかもしれませんね。
いやー、これは衝撃的ですね。
自分の妻を聖母として描き、息子をキリストとして描く、立彦という画家の常識にとらわれない強烈な個性を感じますね。
彼らはその後どうなったんですか?
教会から罰せられたりしなかったんでしょうか?
そこがまた面白いところで、立彦は当時フィレンツェを支配していたメディチ家から、まあ絶大な講演を受けていたんです。
あー、メディチ家。
特にコジモデ・メディチは立彦の才能を高く評価していて、このスケンダルが起きた時も、教皇に働きかけて特別に観俗、つまり聖職者から一般人に戻る許可を取り付けて、二人が正式に結婚できるよう取り計らったと言われています。
なるほど。権力者の庇護があったからこそこの画が生まれ、彼らの家族も守られたわけですね。
芸術と政治の切っても切れない関係がここにも見えてきます。
まさに。そして、この絵の中で幼子イエスとして描かれた息子、フィリピーノ・立彦は、後に父の後を継いでルネサンス皇帝を代表する偉大な画家になるんです。
へー。
そう考えると、この絵は父から子へと受け継がれる芸術の才能を祝福する、予言の絵のようにも見えてきませんか?
なんだか鳥肌が立ちますね。父が描いた傑作の中で、自分はキリストとして天使に支えられている。
そんな幼少期を送ったフィリピーノが、画家として大聖する。もう物語として出来すぎなくらいドラマチックです。
ええ。
資料によるとこの絵は、リッピーナという愛称で呼ばれることもあるそうですが、それも納得ですね。画家の名前と、この個人的な物語が分かちがたく結びついている。
そうですね。作品の基本情報を改めて確認しますと、製作は1460年頃。技法はテンペラ。
テンペラ。
絵画に込められた物語
卵の黄身と顔料を混ぜて描く、油絵が普及する前の主流の技法で、独特のマット下、鮮やかな発色が特徴です。
そして現在は、ご存知の通りフィレンツェのウヒチシュ美術館に、ルネサンス芸術の司法として収蔵されています。
こうして全体を振り返ると、この一枚の絵が、なぜこれほどまでに人々を惹きつけてやまないのか、その理由がよく分かりますね。
うんうん。
構図の巧みさ、人物の人間的な美しさ、そして何よりも、その背景にある画家の人生を懸けた愛の物語、これら全てが重なり合って、作品に他にない深みを与えているんですね。
おっしゃる通りです。美術史的な価値も去ることながら、500年以上経った今でも私たちの心を打つのは、そこに描かれたのが、
聖母としての普遍的な愛だけでなく、母としてのパーソナルな愛、そして一人の女性としての情熱的な愛でもあるからでしょうね。
うん。
いろんな愛の形が、このマリア像の中に凝縮されているんです。
今日はフィリッポ・リッピの聖母史と二重史を潜る旅に付き合っていただきました。
ただ美しい宗教画だと思っていた作品が、実は画家の人生そのものを映し出した、情熱的なラブレターであり、家族の肖像画でもあった。
名画が時代を越えて語りかけてくる物語の豊かさを改めて感じました。
ええ。それで最後にですね、あなたに一つちょっと考えてみてほしい問いがあるんです。
はい。
この絵は、画家・リッピの視点から、彼の愛する家族を神聖化した物語として見ることができますよね。
ええ。
では、描かれた側のルクレーツ屋の視点に立ってみるとどうでしょう。
修道院での静かな人生を捨て、スキャンダルの宇宙の人となり、そして今やフィレンツェ中の誰もが見る聖母マリアの顔として、永遠にその姿を留めることになった彼女は、この絵が完成した時、一体何を思ったでしょうか。
それは彼女にとって愛の証として誇らしいものだったのか、それとも死なった過去を思い起こさせる複雑なものだったのか。
映画屋は、画家の物語は語ってくれますが、モデルとなった彼女の本当の心の内は、私たち鑑賞者の訴状によだねられているのかもしれないのですね。