ゲインズバラの芸術の魅力
さて、今回は1枚の絵を、言葉の力だけでじっくりと解剖していきましょう。
あなたが共有してくださった資料は、18世紀イギリスのある肖像画に関する実に詳細な分析でして、
なんていうか、目の前で言葉によって絵が描かれていくような、そんな感覚になるんですよね。
世界で最も有名な青の絵と聞いて、何を思い浮かべますか?
おそらく多くの人が頭に描くであろう1枚、トマス・ゲインズバラ「青衣の少年」。
今日はこの絵の奥深く絵と、あなたと一緒にはいていきたいと思います。
よろしくお願いします。
この作品は本当に、ただ美しいというだけでは語り尽くせない魅力がありますよね。
ええ。
1枚のキャンバスの上に、当時の社会の空気とか、画家の野心、そして今なお解けない謎までが塗り込められている。
資料を道しるべに、その多層的な物語を1枚ずつ剥がしていくような時間にできればなぁと。
いいですね。
ぜひこの絵が、なぜ250年以上経った今も私たちの心を捉えて離さないのか、その確信に迫っていきましょう。
では早速、絵の前に立っていると仮定して、その全体像から見ていきます。
はい。
まず目に飛び込んでくるのは、ほぼ等身大で描かれた1人の少年。
画面の中心に堂々と立っています。
少し体を左に向いているのに、顔と視線はまっすぐこちらを向いている。
この構図、何か強い意志を感じますね。
まさに、これは干渉者との間に直接的な関係性を築こうとする意図の現れです。
ああ、なるほど。
そしてその効果を最大化しているのが、あの背景の処理なんですね。
背景ですか?
ええ。資料にも、暗い色調の風景がぼんやりと描かれているとありますが、これは意図的な演出なんです。
意図的。
少年にだけスポットライトが当たっているかのように、他のすべてをまあ、闇に沈ませている。
なるほど。でも、専門家の方にこういうのもアレなんですけど、現代の感覚で見ると、ここまで背景を暗くしてしまうと少し不自然というか、
はいはい。
いかにも、描きましたという感じがしませんか?なぜ当時の人々はこれを素晴らしいと感じたんでしょう?
ああ、面白い視点ですね。それは当時の肖像画が兼ね合った役割と深く関係しているんですよ。
役割ですか?
ええ。これは単なる記録写真とは違って、被写体のあるべき姿、つまり理想化された姿を描くものだったんです。
なるほど。記録じゃなくて理想。
そうです。だから、現実の風景を忠実に再現するよりも、被写体の内面とか社会的地位をいかに拡張高く表現するかが重視された。
うんうん。
この暗い背景は、少年を日常の喧騒から切り離して、永遠の時間の中に立つ、普遍的な存在として見せるための、いわば舞台装置なんです。
舞台装置。ああ、その言葉、すごく腑に落ちました。
肖像画の社会的地位
ええ。
その舞台の主役である少年の表情がまた何とも言えないんですよね。落ち着いて少し物憂げ、と資料にはありますが、まさにその通り。
うーん。
自信に満ちているようにも、何か深い悲しみをたまていているようにも見える。そして、ふわりとカールした髪。このあんにゅういな雰囲気と、こちらをしゃにくような強い視線の組み合わせが、彼から目を離せなくさせるのかもしれません。
そのアンビバレントな魅力こそ、ゲインズ・バラネネの真骨頂なんですよ。
真骨頂。
彼は、ただ美しいだけの肖像画を描く画家ではなかった。この物憂げな表情は、鑑賞者に、「この少年は何者で何を考えているんだろう?」って問いを長かけて、想像力を掻き立てるフックになっているんですね。
なるほどな。そして、いよいよこの絵の心臓部。何と言ってもこの青。
来ましたね。
光沢のある鮮やかなサテンの衣装。首元や袖口から覗く白いレースが、深い青をさらに際立たせています。
ええ。
光の当たり方で表情を変える生地の質感が、まるで本物の布のように感じられます。
ええ。そしてその青は、実はゲインズ・バラの野心の象徴でもあるんです。
野心ですか?この美しい青が。
そうなんです。当時ロイヤルアカデミーの初代会長であり、ゲインズ・バラの祭壇のライバルだったジョシュア・レイノルズという人物がいまして、
彼は、絵画の中心に置くべきは暖色であって、青のような寒色は背景とか補助的に使うべきだと公言していたんです。
へえ、そんなルールみたいなものがあったんですか?
あったんです。それはもう当時の画壇の常識のようなものでした。
はあ。
しかしゲインズ・バラはその常識にあえて挑戦した。
最も高価で技術的にも扱いが難しい青を画面のど真ん中に主役として据えることで、あなたの言うルールなど私の才能のないでは無意味だとライバルに、そして画壇全体に無言の挑戦状を叩きつけた。
うわあ、面白い。
この絵は単なる肖像画ではなく、芸術家のプライドを懸けた戦いの記録でもあるんです。
いや、ただ美しい青だと思っていましたが、そんな背景があったとは。
一枚の絵に込められた画家の闘争心、見え方が全く変わってきますね。
ええ。
それにしても、こんなに高価な服をあつらえて、第一位の画家に肖像画を依頼するなんて、一体どんな家族だったんでしょう?
その疑問を解くには、この絵が描かれた1770年頃のイギリスに目を向ける必要がありますね。
1770年頃。
当時は産業革命の真っ只中で、古くからの貴族階級に加えて、貿易や工業で財を成した新しい富裕層、いわゆるブルジョア爺が台頭してきた時代でした。
ああ、なるほど。
彼らにとって、一流の画家に家族の肖像画を描かせることは、自らの成功と社会的地位を世に示す最も効果的な手段だったんです。
なるほど。今でいう高級車やブランド品と同じようなステータスの象徴だったわけですね。
まさにゲインズバラに描いてもらうこと自体が一つのブランドだったと。
はあ。
彼の描く肖像画は、モデルをただ美しく見せるだけじゃなく、非常に洗練され品格ある人物として描き出すことで、絶大な人気を発行していましたから。
うーん。
ゲインズバラのサインが入った肖像画を客間に飾ることそれ自体が最高のステータスだったのです。
でも、だとしたら少し不思議じゃないですか。もし依頼主の富とか権威を示すのが目的なら、もっとわかりやすいシンボル、例えば書斎で本に囲まれていたりとか、地球儀の横に立っていたり、そういう演出がありそうですけど、この絵には何もない。ただ荒野のような場所に少年がポツンと立っているだけです。これはどういう意図だったんでしょう。
そこがゲインズバラの芸術家たるゆえんですね。彼は依頼主の富をあからさまに描くことをすごく嫌ったんです。
嫌った。
ええ。むしろそうしたわかりやすい権威の象徴を廃して、人物そのものが持つ雰囲気とか品格だけで勝負しようとした。
なるほど。
この絵で言えば、高価な衣装の質感は見事に描ききっていますが、それ以外は徹底的にシンプルです。これは、この少年は何か小道具に頼らなくとも、その立ち姿だけで十分に気高い存在なのだ、というゲインズバラの自信の現れとも言えます。
うーん、不快ですね。
結果として、絵は単なる富の証明ではなく、時代を超えた普遍的な人物画としての品格を獲得したのです。
なるほど。だからこそこの絵は、当時のファッションを知る福祉騎士の資料としての価値と、純粋な芸術作品としての価値を両立なきているわけですね。
おっしゃる通りです。
しかし調べていて本当に驚いたのが、これだけ有名な絵なのに、描かれている少年が誰なのか実は確証がないそうじゃないですか?
そうなんですよ。
これほどの傑作のモデルが不明なんて、そんなことあり得るんですか?
ええ、美術史における大きな謎の一つです。
通常、このクラスの肖像画なら依頼主やモデルの記録はしっかり残っているものですが、この絵に関してはそれが曖昧なんです。
そうなんですね。
資料にある通り、最も有力とされているのは、裕福な金物章の息子、ジョナサンバトールという少年です。
ジョナサンバトール?
はい。彼の父親がゲインズバラの近しい友人だったという、まあ状況証拠もありますし。
でも、あくまで説の一つなんですよね。なぜ断定できないんでしょうか?
決定的な文書、例えば依頼書とか支払い記録といったものが見つかっていないからなんです。
ああ。
なので、ゲインズバラが友人の息子をモデルに特定の依頼なしに、自身の技術の息を集めたデモンストレーション作品として描いたんじゃないかという説もあるんです。
へえ。
そう考えると、先ほどのライバルへの挑戦状という話ともつながりますよね。
神秘的なモデルの謎
確かに。モデルが誰かということよりも、彼が自身の和良を示すことが目的だったのかもしれない。
ええ。
モデルが誰かわからないという事実が、かえってこの絵に神秘的なオーラを与えているのかもしれない。
見る人が自由にこの少年はと物語を想像できる余地を残している。
まさに。そしてこの絵の物語は、描かれた後もさらに続いていきます。
と言いますと?
1921年、この絵は、持ち主だったウェストミンスター公爵によって、アメリカの鉄道王、ヘンリー・ハンティントンに売却されることになります。
アメリカに渡るんですね?
ええ。当時の売却額は、美術品としては史上最高額。
イギリスの国宝がアメリカに渡ってしまうということで、国内では大きな騒動になりました。
国宝が流出するという感覚だったんですね?
ええ。ロンドンのナショナルギャラリーで最後のお別れ展示が開かれた際には、3週間で9万人もの人々が押し寄せたそうです。
9万人?すごいですね。
当時の新聞は、我々の最も偉大な芸術作品の一つが、永遠にこの国を去ると嘆いた。
この一大受験によって、葵の少年の名は芸術愛好家だけでなく、一般大衆にも広く知れ渡ることになった。
なるほど。アメリカに渡ったことで、かえってその名声を世界的なものにしたとも言えるでしょう。
そのドラマチックの旅立ちも伝説の一部になっているわけですね?
ええ。
そして、安住の地となったアメリカのハンティングトンライブラリーで、この絵は新たな運命の出会いを果たします。
はい。
資料にあるトマス・ローレンス作のピンク色の少年、通称ピンキーとの出会いです。
そうです。この二つの絵は今では夫婦のように、あるいは兄妹のように語られることが多い。
しかし、もともとは全く無関係の作品なんです。
葵の少年が1770年頃のゲインズバラ作であるのに対し、ピンキーはそれから約25年後、1794年に別の画家、トマス・ローレンスによって描かれています。
青とピンク、少年と少女。並べて展示するのはあまりにも意図的ですよね。
これは美術館側の言わば演出ですよね。
ええ。
どんな交換を狙ったんでしょう?
まさにキュレーターの妙技です。
この2枚を向かい合わせに展示することで、いくつかの対話が生まれます。
対話?
まず、色彩の対話。鮮やかな青と柔らかなピンクが互いを引き立て合います。
次に時代の対話。同じ18世紀後半のイギリス肖像画の黄金期を代表する2大傑作を並べることで、ゲインズバラとローレンス、2人の巨匠なスタイルの違いを比較できる。
なるほど、比較できると。
そして最も重要なのが物語の対話です。
物語の対話ですか?
はい。本来無関係だった2人が同じ空間で見つめ合うことで、干渉者の心の中に新しい物語が生まれるんです。
ああ。
この2人は恋人同士だろうか、アニマイかもしれない、もしかしたらお互いの存在に気づいていないのかも、とか。
ふんふん、相情が膨らみますね。
そう。干渉者は単なる映画の受け手ではなくて、物語の相情主になる。
この展示方法は、葵の少年を単独で見るのとは全く違う、豊かな感動的な干渉体験を提供しているんです。
面白いですね、ええ。
作品が持つ力に展示という文脈が加わることで、新たな意味が生まれる。
美術館というのは、ただ古いものを保存する場所ではなく、新しい物語を紡ぎ出す場所でもあるんですね。
その通りです。
葵の少年はピンキーと出会うことで、ここの美少年から、ある物語の一方の登場人物へと、その役割を少し変えたのかもしれません。
さて、ここまで葵の少年をめぐる様々な側面を見てきました。
ゲインズ・バラの卓越した技術とライバルへの対抗心、18世紀イギリスの社会背景、そしてモデルをめぐる謎とアメリカへの旅立ち、さらにはピンキーとの出会い。
絵の持つ物語の力
本当に一枚の絵とは思えないほどの情報が詰まっていますね。
ええ。ここで最初の問いに立ち返ってみたいと思います。
なぜこの絵はこれほどまでに時代も国境も越えて愛され続けるのか。
はい。
技術的な完成度や歴史的な価値はもちろんですが、それだけでは説明がつかない何かがある。
その何かとは何でしょうか。
やはりこの少年の視線に尽きるのではないでしょうか。
視線。
彼のあの物憂げでありながら、どこか挑戦的でもある堂々とした見話。
それは250年という時間を越えて、今この絵の前に立つ私たちの心に直接語りかけてくるようです。
うーん。
見る人によっては彼に若きの自分を重ねるかもしれない。
ある人は彼の孤独に共感するかもしれない。
またある人は彼の秘めたる情熱を感じ取るかもしれない。
なるほど。答えが一つではないからこそ人々は何度も彼の前に立ち、対話を試みる。
まさに。この絵は完璧な答えを与えてくれるのではなくて、無限の問いを投げかけてくる。
はい。
だからこそ私たちは飽きることがない。
技術や歴史的背景を知ることは、その対話をより豊かにしてくれます。
しかし、最終的に私たちの心を掴んで話さないのは、理屈を超えたこの少年が放つ気配そのものなのかもしれませんね。
なんだか今、目の前に彼がいるような気がしてきました。
250年前に描かれたはずなのに、全く古びていない不思議な感覚ですね。
ええ。
この絵はピンキーと向かい合わせで語られますが、もし何世紀にも渡って美術館で向かい合ってきたこの二人の少年少女が、言葉を交わすことができたとしたら、
閉館後の静かなギャラリーで、彼らは一体、自分たちを見てきた無数の人々についてどんな会話を交わしているんでしょうか。
そんな想像をしてみるのも、この絵の楽しみ方の一つかもしれません。