1. FM八ヶ岳 木曜Waniスタ・ランチタイム
  2. 2026/03/12 岩崎けんいち #260
2026/03/12 岩崎けんいち #260
2026-03-14 29:10

2026/03/12 岩崎けんいち #260

 ゲスト:平野伸次さん、清水純さん(農業生産法人 合同会社 青空生産農場)

感想

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サマリー

東日本大震災で被災し、故郷を離れることになった平野伸次さんと清水純さんが、福島県飯舘村から引き取った牛の世話を通して、15年間の経験や出会いを語る。当初は牛の飼育経験がない中での苦労や、避難所での生活、そして山梨県南アルプス市での新たな生活と農業法人「青空生産農場」設立までの道のりを振り返る。困難な状況下でも人々が助け合い、優しさや温かさに触れた経験が、彼らを支え、前向きに進む力となったことを伝えている。

番組開始とゲスト紹介
FM八ヶ岳 ラジオ ワニスタ・ランチタイム
この番組は、大賀原金星県の提供でお送りします。
はい、3月12日木曜日、Waniスタ・ランチタイムが始まりました。
今日も生放送でお送りしたいと思います。
ニラサケニコリ1階のWaniWaniスタジオから、WaniWaniをお送りしたいと思います。
花粉が嬉しそうに飛んでおりますが、大変なことになりますね。
でも、ツーッて本当に流れてくるね。
人と話している間に。びっくりしますけど。
3月12日、3月11日の次の日ということですけどね。
昨日は、それぞれいろんなところで祈ったり、手を合わせたり、黙祷したりしたんじゃないでしょうかね。
僕もそのような3月11日のイベントに出て歌ったりしましたけども。
今日は本当に嬉しいって言ったらあれですけど、その出会いから、地震の出会いから、
福島県飯舘村というところから、牛を2頭引き取ったっていうことがあって、
いろんなところで福ちゃんと島ちゃんって言うんですけど、
その牛のことについてラジオでもお話ししてきましたけど、
引き取った方、まず最初に、僕よりも最近に引き取って出会っている方にお越しいただいております。
もう紹介したい気持ちで、嬉しいというか、この場に、牧場でなくてここで会えているのがとても嬉しいんですけども、
青空生産農場の平野慎二さんと清水純さんを呼びました、今日は。
よろしくお願いします。
15年経ちましたということで、長いのか早いのか本当によくわからないいろんなことがありましたけども、
今日はその出会いの中で嬉しかったことというか、出会ったことというか、
僕たちから何か伝えられることがあるなら、生の声で牧場で話すんじゃなくて、
ここで改めてお話しできたらなと思って呼びました。
最初は平野さんにお願いしておいたんですけど、清水さんも急遽来れるということで、
嬉しい限りですけども、どのような思いで過ごしてきたかどうしたいかみたいなことを、
今日は明るい声をお届けしたいなと思っております。
どうぞ30分間よろしくお願いします。
はい、お願いします。
金星県のくるみしんげん餅。
うまいね。こだわってるからね。
くるみの香りがいいよね。
昔ながらの職人技だね。
やっぱコピットしてるね。金星県。
FM八津ヶ岳ラジオ
この番組は大河原金星県の提供でお送りしています。
はい、ワニスタラランチタイム3月12日のワニスタラランチタイムが始まりました。
木曜日のお相手はシンガーソングライターの岩崎健一がお送りしております。
冒頭でも紹介しましたが、
今日のゲストは牛に関するお二人を呼びました。
青空生産農場から平野真嗣さんと清水純さんです。
フルネームで呼んだのは初めてかもしれません。
平野さんの名前が真嗣って言葉ちょっとドキッとしましたけども。
今日はよろしくお願いします。
震災からの道のりと牛の引き取り
はい、お願いします。
話しましたけど、震災からの牛を引き取ったということ、
南アルプス市の冬休農地を借りて、それからの出会いですから、
僕らも15年ということになりますよ。
15歳も年を取ったですね。
考え深い感じもしますけど。
今日は平野真嗣さん、青空生産農場を立ち上げて、
南アルプス市で畑を耕して、虹を耕して、
ドキドキダンスをしています。
プロフィールを簡単にもらっているので、読み上げてみますね。
茨城県日立市で派遣で働きながら、さつまいも農家をしていたところ、
2011年の東日本大震災で被災し、津波で家が住めなくなり、
高台の中学校の体育館で母と二人でお世話になっていた時に、
そんなことがあったんですね。
山梨県南アルプス市のNPO法人、南アルプスファームフィールドトリップ理事長、
尾野隆さんに呼んでいただいたのが、その年の3月29日。
その翌日、3月30日に、飯舘村から牛が2頭やってきた。
僕はそのまま1年半NPOでお世話になった後、
尾野さんから独立して牛の世話をしてほしいということで、
飼育員の清水淳さん、今日来ています。
清水淳さんと一緒に農業生産法人青空生産農場を設立し、今に至ります。
平野さんは主にお米や小麦、野菜を無農薬、無肥料で作っています。
青空生産農場、平野慎二さんです。
はい、よろしくお願いします。
茨城で被災したんですね。
はい。
大変だったですかね。
もう悪いことも良いことって思い込んでやっていくしかないですね。
それがずっと続いている感じですね。
僕は山梨もすごい揺れたから、茨城はだいぶ近いところなんで、結構グラングランしていたんだよね。
そうですね。予信とかもすごかったですね。
それで集団発狂じゃないですけど、体育館でずっといてた時に震度5クラスの予信が何度もあったので、その度にみんなの精神状態がおかしくなっていきましたね。
あの時は帰宅難民というかいろんな人が困って、テレビを見るたびに本当に偉いことになったという感じですけれども、
そこから牛を、なぜか牛を引き取って飼うことになった。牛なんか飼ったことないもんね。
でも小野さんが声をかけたんだね。板手村の神奈牧園さん。
二頭の子、二頭の子牛、親牛は黒い肺みたいなものが何かかかっていたらということで、想像するだけでもちょっと胸が痛くなる。
ラクノオカのことを考えるともっと胸が苦しくなりますけど、清水さんがラクノオカも、農業は少しやったことあるのかな?
農業をやり始めた頃ですね、ちょうど。
どうですかね、急に牛をやれっていうのは。
初めだから牛が何を食べるかも分からない状態で、どうやって迫していいのかも分からない状態だったんで。
小牛だったんで、たぶん自身の記憶があったと思うんですけど、ちょっとした音でもビクビクしてるんで、触るのもこっちも怖い感じで、初めに接してた感じ。
最初なんか名前ついてませんでした?
そうですね、僕が来たときにちょうど岩崎さんと初めて会ったときに名付けはですって言われて、福ちゃん島ちゃんっていうのを初めて聞いて。
福島島ちゃんの前に名前はなかったんだね。
たぶん登録状なんかあると思うんですけど。
勝手に作って歌ってたんだよね。
平野さんは山梨に来るってことは夢中でこっちに来たってこと?
避難所生活と山梨への移住
そうですね、とにかく体育館も最初は楽しかったんですよ。老若男女入り乱れ。
大きな家族みたいで、子供たちがいるとすごい元気になりますね。
だんだん日が経つにつれ、1人抜け2人抜けで、帰る場所がある人とか、津波でやられてても2階に住める人とか、あと親戚とか。
最後残ってる人がリアルな被災者だけになって、おじいちゃんおばあちゃん。
うちも平野だったので、小民家で。
ガラガラになってきて。
とにかくうちの母が出たいということで、僕はそのままひたちで頑張るつもりだったんですけども、猛反対されまして。
それで縁のある小野さんのお電話で、何度もお断りしてたんですが、とにかく移りたいということだったんで。
それでもう作業着だけ持って、車で一気に行きましたね、山梨に。
いろんなところでそういったことが、人がいたってことは想像するけど、それ以上だなとは思いますし。
でも、そんな中でもこういうことが大切だなとか、学びみたいなものもありますでしょうか。
それが大きかったですね。
大変なことが起きたおかげでって言うとあれなんですけど、みんな助け合いましたね。
全然知らない人同士。
うちの母なんかも、高台に逃げるときに車で、全然知らない人の車でみんなでぎゅうぎゅう詰めで乗せてもらって。
で、ガーッと上まで行ってというようなこととか、体育館の中でもみんなでお互いに配慮しながら助け合ったり。
全然知らない人たちとの結びつきとか、それが逆に今まで以上に元気にさせてくれましたね。
こっちに来てからもそうですね。
本当に尾野さんがこれまで、NPOの理事長の尾野さんが築き上げてこられたいろんな関係先とかの人たちとも関わることができて、
清水君もそうですけども、岩崎さんもそうですし、いろんな障害者の作業所の人たちもそうですし、
その人間関係がすごくありがたくて、嬉しかったですね。
いつも信じているものと出会えるというのはちょっと嬉しいですよね。
なかなか現実はそうはいかないというか、うまくいかないことが多いけど、
でもここに行った時にそういった助け合いとか、人の優しさとか、温かさとか、声をかけることとか、挨拶することとか、
震災から学んだことと人との繋がり
当たり前のことが、そういうことに出会えて、やっぱりこういうことは大事だなと。
大事だと思いますね。
出会えるというのは、お別れもそうだけど、人がいなくなるとかなくなるとか、
そういう時に初めて聞くこともあるように日々忙しくしちゃっているから、そういったことも考えられる。
時間を持つっていうのも日常の中で大切なのかなって思うよね。思うけどまた忘れちゃうよね。
いや、もう岩崎さんなんてそれが日常でしょ。
やっぱりそういうの、そこに歌とか、現実文化があるとそこでまた思い出すというか。
忘れちゃうとまた繰り返すこともあるから、戦争のこともそうだけど、
何かで持って生きていくっていうのは大事なことかな。
そうだと思います。
そして清水さんは15年も牛を。
気づいたら15年って感じ。
これはもんだ。清水さんじゃないとできなかったと思う。
そうですね。
最初はもうみんな本当に牛の飼い方もわからないし、餌食方もわからなくて、
皆さんそれぞれがイライラしてた。これでいいのか、これがどうなるんだとか。
思っていても、みんなが牧場にいないときも牧場に行ってたから。
繋いできたのが15年っていうのは、これはすごいことだと思う。
偉業だと思うよ。牛なんか飼ったことないんだから。
どんどんでかくなるんだから。
だって本当にゴールデン・レトリバーがちょっとでかくなったくらいの。
今は400とか500キロくらい。
もう動かせないっていうかさ、ぬかるみだと足がぐるぐるはまっちゃって。
その間、牧場でもなかったしさ、苦労はたくさんあるけど、良かったなってことはあります?
そうですね。やっぱり牛を通していろんな人とつながりを持ってたっていうか、
出会いがすごいたくさんあって、今でも応援してくれる方もいますし、
僕が始めた頃は牛のお兄さんって言われたんですけど、
最近牛のおじさんとか、牛のおじいちゃんとか言われるようになってる。
おじいちゃんか。
おじいちゃんまで言われるようになってる。孫もいるもん。
年を取ったってことだな。
そうですね。
それだけ時間が経っているということですけど、
15年間の牛の飼育と感謝
僕らは遠くではあるけど、福島の人たちのことを忘れない。
一日も忘れてないよね。
本当に。
それはね、思う。
この牛たちはつかがってなかったり、そうなってなかったかもしれない。
僕はなぜか歌を歌って、勝手に歌を作ってたので、
歌でね、歌えるのは難しいけど、歌ならどうかなということで、
今日生歌を清水さんに作った牛のおじさんじゃなくて、
おじいさんじゃなくてお父さんっていう。
ありがとうございます。
歌ってみるね。
清水さんの前で歌うのちょっと恥ずかしいです。
僕も恥ずかしいです。
牛のお父さんです。よろしく。
まさか牛を買うことになるなんて思っても見なかったよ。
日本に大きな地震があった年のこと。
福島にいたって牛を避難させたんだ。
とてもつらい出会いだったけれど、
牛たちを見ているとなんかほっとするんだ。
牛の角はあたたかったよ。
切ったら血が出てきたんだよ。
この頃飼育の清水さんのことが牛に見えてきた。
牧場の近くの子供たちに清水さん、
牛のお父さんって呼ばれています。
日本に大きな地震があった年から、
一日も休まず牛の世話をしているよ。
そんな牛たちに教えてもらったことは、
みんな一緒に生きること。
牛の角はあたたかったよ。
岩崎けんいちによる楽曲披露
切ったら血が出てきたんだよ。
この頃飼育の清水さんのことが牛に見えてきた。
牛のお父さん。
この頃飼育の清水さんのことは、
この頃飼育の清水さんのことは、
この番組は大河原近世研の提供でお送りしています。
今日のワニサラリータイムは、青空生産農場から、
平野真理さんと清水淳さんをお迎えしております。
福島県伊立村から牛を引き取り、
南アルプス市の有給農地で飼育をしている。
農業のほかに牛を飼育することになった。
今聞いていただいたのは牛のお父さん。
清水さんに感謝を込めて歌いました。
歌はどんな場面にもあってほしいなと思うし、
悲しいことでも嬉しいことに結びつけたいなと思う。
悲しいだけでは終わりたくない。
悲しい気持ちで夕日を見送るというのもすごく悲しい。
そこに歌とか食べ物とか仲間とかおしゃべりがあるというのが、
また明日を呼べることになる。
僕らはそんな気持ちで15年間夕日を見送ってきたわけで、
なんとかつながりたいなという思いでいました。
牛のお父さんの清水さんと平野慎二さんをお迎えしております。
平野さんは農業をやっておりますけれども、
農業は茨城にいるときもしていたということですね。
こっちに来ても今どんなものを作っているんですか。
今はお米がメインですね。
あと小麦とタヒンモク野菜ですね。
毎年作りにつくお餅がおいしくて素晴らしいですね。
毎年お餅を結構あげているんですよ。
50人くらいにあげているかな。
やっぱり食べてもらいたい人に持っていくというね。
この人が喜んでくれたら嬉しいというのが、
すごい頑張る力になりますね。
そうか。
誰かの、僕も年を貸さないとそうだけど、
自分のことより誰かのことをしていたほうがすごく楽。
自分のことより。
元気でいますね。
だから牛とか一生懸命やっていると楽。
楽って言ったらだけど、すごくすんなりできた。
大変は大変だけど嬉しくなったかな。
不思議だよね。
さっき言ったヒロノさんが言った震災で喜べることもたくさんでしたね。
清水くんよく知っているけど、
キオちゃんというね、
おっちゃんがいつも家に遊びに来て。
聞かせてくださいよ。
あの方が亡くなった時はもうちょっと元気なくなりましたね。
いないってことか。
朝飯食いに来るんですよ。
こっちはもう眠くて今日は寝てたいという時でも、
ドアをドンドンドンドンって言って、
ヒロノさんおはようございますって来るんですよね。
強制的に起こされて、
飯食っていって、
一日一緒に遊んでいる子供みたいな生活をずっと何年もしてて、
あのおっちゃんのおかげで、
あと藤川町の神田自然農園の神田さんとかね、
お世話になっている学校法人の子供の村とか、
あと清水くんだけじゃなくて、
清水家の奥さんとか娘さんたちとか。
家族はすごいな。
清水家の団結力があってこその今だと思いますね。
どうなっているの、清水さん家の家族の結束力というか。
そうですね。
初めた頃の娘が結婚して、
孫が生まれて三世代で牧場をやっている感じなんで。
そこに牛がいるんだよ。
家族みたいなもんなんで、
生活の一部なんですかね。
牧場に行くっていうのが当たり前になって、
もうそれがなきゃ多分、
止まっちゃったら多分あれだと思うんで。
すごい。
昔の家族みたいにも三世代が一緒にいて、
しかもそこに牛がいるって。
今じゃないじゃん、時代が。
昔は家のどばに牛がいて、
みんなね、みんないたって。
だから何かヒントがあるかもしれない、こんな近くに。
そうですね。
だからこそ続いたと思いますね。
そうか。
それが一人一人とか各家族とか、
連絡もいちいちしなきゃならないし、
全員そこにいるっていうのがいいことだね。
避難所の状況としてはよくないけど、
全員そこにいるっていうのは何かいいことにもある。
もうワクワクしましたね、最初は。
だからこそスカスカになってきたときの寂しさと言ったらなかったですね。
なるほど。
そうか。
いろんなことを味わうって、そういうことがあるなと思う。
さっき言ったキノさん、何?
キヨちゃん。
キヨちゃん。
そういう周りとか社会に同調しなくている人ってすごく大事だと思う。
動物みたいに。
だって皆さんが落ち込んでたら誰も救われないんですよね。
だから僕らの牛の仲間もそうだけど、
誰かの清水さんが毎日来てくることとか、
みんな落ち込んでたらできなかったなと思うし、
俺も牛がなくなった時はえらい泣いたけども、
えらい迷惑かけたなと思う。
すげえ泣いたよ、あの時。
経験ないですもんね。牛を飼って牛がなくなるっていう経験ないよね。
ほんと、目の前でだってどんどん冷たくなってくるんだもん。
いやー、何か預かってるというか不思議な感覚だったね、福島の。
とても大切なことで。
いやー、もう短く、時間も短くなっちゃいましたけど、
いいことの方が、辛かったことの方が強烈に覚えてるけど、
やっぱりいいこととかもたくさんあったと思う。
今、島ちゃんがなくなってしまったんですけど、
毎日元気に福ちゃんが昨日も牧場走り回って、
新鮮な草食べてっていうのを見てるんで、
まだいけると思って、まだ16、17年いけるかなっていう。
後ろの寿命知らんかったもんね、俺。
落農家のみんなに聞いて歩いたら誰も知らんかったけどね、寿命は。
しかも肉牛なんで、出荷されちゃうんで、
そこまで生きてる人いないよっていう。
ちょっとそれ恥ずかしかった、知らなかった。
それ結局だからちょっと、あ、そうですねって感じで。
あんなに大きな動物の最後っていうのは、なかなか全うしたことがないっていうね。
そういうことも知りましたよ。
牛が生まれるときのこととかね、いろんなことを教えてもらいました。
福ちゃんと島ちゃんっていうね、もう名前をつけて、
俺、名前を呼ぶことっていうのがすごく温かいことだなってことを教えてくれた、あれは。
もうだって言葉じゃほんと何も言えなかったもんね。
じゃあその牛でつながったことで、僕らの間に歌が生まれたので、その歌を聴いてもらいましょうかね。
福島県飯舘村から二頭の牛が南アルプス市の有給農地にやってきて、
15年たっても南アルプス市の下で生きております。
そんな福ちゃんと島ちゃんと言いますけれども、その福ちゃん島ちゃんの歌を聴きください。
福ちゃんと島ちゃんはいつも一緒さ
それが一番自然なことだってわかってるんだな
福ちゃんと島ちゃんは牛の名前です
分け合って僕らの街に避難をしてきたんだ
でもまだたくさんの仲間がいて
助けてあげることも引き取ってあげることも
どうすることもできないんだって
悲しい歌をニュースは歌っているよ
それってどういうことなんだろう
でもみんなわかっているから
僕らの目は涙でいっぱいなんだ
言葉で何が言えるだろう
言葉で何が言えただろう
言葉が見つからないから
名前を呼ぶしかないんだよ
福島 福島 福島
Wow Wow Wow Wow 福島 福島
早く会いたいよ
福ちゃんと島ちゃん 福島県飯舘村から南アルプス市にやってきた
二頭の牛の歌で今日も元気に生きております
そんなことをお伝えしました
今日は青空生産農場から平野慎二さんと清水純さんを迎えまして
牛を引き取ることになったお二人のお話を
ラジオでお話できてちょっと嬉しかったです
ありがとうございます
何かメッセージありますか 平野慎二さんから
そうですね
無駄なことを大事にしてほしいですね
あとやっぱり核はなくしてほしいですね
核兵器も原発も
戦争もね 清水さんは
信じ続けるってことですよね
何があっても信じていれば
いい方向に進むかなって思ってるんで
ありがたいですね 清水さん毎日お疲れさまですけど
今日もですけどね
毎日本当にありがとうございます
福島の人に僕たちは繋がるというか元気を届けてあげて
僕らもそれで元気になりたいと思います
ありがとうございます 今日は平野慎二さんと清水純さんをお迎えしました
ありがとうございました
いつもありがとうございます
29:10

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