松田たてきのTEK TALKS
What's up TEK NATION?
どうも、たてきです。
先日、6月1日で、なんと、とべ22年経ちました。
毎年この時期になると、ちょっとエモーショナルというか、
普段、なんとか記念とか、タイムラインを気にしないたてきなんですけど、
まあ、いい機会として、note.comの方にエッセイを書きました。
本日は、恥ずかしながらそれを朗読するというTEK TALK、
まあ、なんでもありの声ブログということで、よろしくお願いします。
タイトル、父親にはタップがない。強い人間でいたかった。
いや、違う。自分が弱いと思っていたから、格闘技を始めたのかもしれない。
倒れないこと、折れないこと、タップしないこと、
それが強さだと長い間信じていた。
でも、本当のことを言えば、今も練習では若手に1本を取られる。
UFCにはたどり着いたが、そこに居続けることはできなかった。
なぜ戦うのかという問いにも、まだうまく答えられない。
そして、父親になって一番答えたのは、痛みでも敗北でもなかった。
子供の心を代わりに守ってやれないことだった。
金網の中なら、タップができる。苦しくなれば、参ったの合図を出せる。
負けを認めれば、そこで試合は終わる。
でも、人生にはタップがない。それでも人は次の一手を出せる。
筋肉は裏切らないが、関節は裏切る。
試合を意識した練習から少しずつ自分がフェードアウトしていく。
それを受け入れるのは辛い。
だが現実は厳しい。柔術では苦労人の差をはっきりと感じるようになった。
身体の大きい若手や勢いのある選手にタップする。
打撃でもスピードと反応速度が落ちていく。
今、次の世代を育てる立場だ。
それでも若手は次合う度に成長している。
こっちは維持できれば常的。コンディションを保つだけで精一杯だ。
貯金を切り崩しながらその日をやり過ごしている感覚がある。
もう40か。気づけばアメリカに来て今日で22年がたった。
古傷が痛む。
そしてふと思う。ここまで歩いてきた道は果たして正解だったのか。
なぜ戦うのか。
格闘技人生を振り返ると、いまだに答えられない質問が2つあることに気づく。
なぜ戦うのかと、モチベーションはどこから来るのか。だ。
気づけば自分は所属していたジムのタイ本家に出稽古へ行き、
夏休みの間住込みで練習していた。
ムエタイのプロデビュー戦はパタヤだった。
アメリカの大学を出た後はオンボロの中古トヨタを売った金で
リオデジャネイロに飛び、グレイシーの総本山でブラジリアン柔術に明け暮れた。
MMAの2戦目はブラジル。
相手は柔術の世界王者で明らかにカマセイヌの試合だった。
それでもファベーラと呼ばれるスラム街のボクシングジムで
ハングリーな精神を持った選手たちと練習した甲斐があったのか。
なんとか勝つことができた。
今、自分は親になった。
もし息子が同じ旅をすると言ったら死んでも止める。
冗談ではない。モチベーションなど存在しなかった。
ただ言えるのは取り憑かれていたということだけ。
オブセストだった。
それがやがて規律になった。
これはこの先に来るもっと大きな機会のための下準備なんだ。
そう信じていた。
何度も打ちのめされてきた。
その瞬間をどう切り抜けるのか。
自分への疑いを押しのけて進めるのか。
恐怖と向き合えるのか。
結果がほぼ見えてる試合でも最後の最後まで。
がむしろにやりきれるのか。
だがなぜ戦うのか。
その問いだけは答えられなかった。
困難に挑む意味は折れない力と逆境を越える技術を身につけることにある。
自分の道を自分で見つける方法を教えてくれる。
UFCに到達することはできた。
だが生き残ることはできなかった。
タップして一本負けしたことは一度もない。
それでも玉網で散るエキサイティングな選手にもなりきれなかった。
UFC選手になることよりそこに居続けることの方がずっと難しかった。
格闘技という人生の死はいつも自分が暗闇にいるときに気づきを与えてくれる。
なぜ他敵なのか。
UFCの最初の契約だけでは格闘家として食べていくのは厳しい。
ファイトオブザナイトに選ばれれば当時のボーナスでファイトマネーに追加で5万ドルが入る。
でも安定とはほど遠い。
だから全部自分でやった。
スポンサー探しにウェブサイトの制作も、デザインも、オンラインショップも、
セルフプロモーションも。
もちろん競技生活が最優先。
何もかも一人でやってきた。
そのセルフメイドのサイトに一通の問い合わせが来た。
最初はいたずらかと思った。
指定された住所と何十ものセキュリティチェックを終えてようやくわかった。
これはガチだ。
なぜ世界一稼ぐスーパーモデルが自分を選んだのか不思議にならなかった。
この立場に登りつめたい人間は何百何千といるだろう。
見えない行列を背中に感じた。
ジゼルとの最初のトレーニングを終えて生活は一気に変わった。
パーソナルトレーナー用の保険を桁二つあげた。
とにかくジゼルを最優先にした。
女性の生理学を一から徹底的に学び直した。
ピラティスの先生と連携を取り、
パーソナルシェフにはジゼルの活動量を伝え、
栄養バランスの調整を徹底した。
ある日ジゼルが撮影から帰ってきた。
首が曲がらない。
撮影の間ずっと無理な姿勢とポーズを保っていたから。
体が硬直していた。
彼女は撮影中に本当の意味でモデルになる。
カメラマンとのやりとりはもちろん、
それ以外の感情は全てシャットアウトし、
肉体をアートとして、一つのフィギュアとして撮影に捧げる。
無我の状態だ。
ただでさえ、負荷のかかった体に格闘技のトレーニングは疲労を重ねるだけになる。
世界一の体に自分が何をできるのか、
模索しながらベストを尽くした。
ある日ジゼルが言った。
リオゴリンで最後のキャットウォークをすると、
体作りにも気合が入りその日が近づいてくる。
彼女は今までにないプレッシャーを感じていた。
もし開会式の舞台で転んだら、
ブラジル人からは祖国を裏切りアメリカに魂を売ったモデルとして、
アメリカ人からは祖国ブラジルの大舞台で大恥をかいたモデルとして、
きっと笑われるだろうと。
一方、当時の夫、トム・ブレイディーは、
NFL史上最高の勝者と呼ばれるクォーターバックだった。
日曜日の試合の翌日、月曜日は、
一日中、試合の映像を見た。
対戦相手の動きと自分のプレーを分析する。
彼用にカスタマイズされたマウスで一時停止とスローモーションを繰り返し、
画面に釘付けになって次の勝利の準備をしていた。
全てを手にした二人に、安心も安定もなかった。
彼らのプロフェッショナリズムは、
松田たてきの総合格闘家キャリアの最初からあっただろうか。
その姿を横目に、自分は静かなるプロフェッショナルを目指すようになった。
ある朝、ジゼルが自分とのトレーニングをインスタグラムに載せた。
それが公になり、多くの人から連絡が来た。
ファッション雑誌なんて無縁の格闘家にだ。
世の中は面白い。
もしあの頃UFC復旧を諦めて、毎週末マンハッタンへ出張し、
モデルたちにワークショップをやって商売していたら、
今頃は相当に裕福になっていたと思う。
なぜ選ばなかったのか。
格闘技で食べていくチャンスだった。
けれどこの時もわからなかった。
なぜ戦うのかの答えが、
フォーカスとポジティビティ。
ジゼルは著書レッスンズにこう書いてある。
人生のすべては夢から始まる。
しかしまず夢を明確に定義しなければならない。
そしてもっと大切なのはなぜそれが必要なのかを理解することだ。
その言葉を読んで、自分の本当の夢をもう一度深く考えた。
UFCファイターになるという夢は叶った。
だが世界チャンピオンになるを、
なぜ本気の夢だと思えなかったのだろう。
あの頃UFCで生き残れなかったのは、
格闘技に100%集中できていなかったかもしれない。
留学生上がりで、ビザのステータス、
競技を続けるための資金、ボストンで生き抜くこと。
それらと並行しながらでは純粋に格闘技だけ身を捧げることはできなかった。
でも後悔はしていない。
逃避してからずっと一瞬一瞬を全力で一つ一つの決断をして生きてきたからだ。
だからジゼルに聞いてみた。
どうして格闘技のトレーニングを取り入れようと思ったのかと。
すると彼女は、格闘技に求めているのは、
強い意志があれば強くなれる。
揺るぎない意志こそが成功の秘訣だということで、
それをたてきから学びたいと言ってくれた。
恐れ多いと思った。でも嬉しかった。
普段は彼女の時間を最優先するから、
無駄な仕事も彼女を詮索するようなこともしなかった。
それでもこの時だけはアドバイスを求めた。
ジゼルのように世界のトップに居続ける、
つまり成功するには何が必要なのかと、
ジゼルは彼女の口から直接こう教えてくれた。
ゴールを達成するために必要なのはフォークスとポジティビティだと。
集中すること、ポジティブでいること、
そのどちらにも揺るぎない意志がいる。
そしてその時間はきっと大雨の中で踊るようなものだ。
ダンシング・イン・ザ・レイン
顔のない相手、書籍、レッスンズを読み終えた時、