1. TanaRadio Limited
  2. 反論の仕方(信念編・類似編)..
2024-10-14 13:42

反論の仕方(信念編・類似編) | パターンで学ぶ議論の仕方 7

1 Mention

レクチャーシリーズ「議論の仕方を学ぶ」(全8回)は,議論の仕方を少しずつ学び,充実した議論を行うためのスキルを高めることを目的としています。その第7回となるこのエピソード「反論の仕方(信念編・類似編)」では,論証切り崩し型の反論の続きとして,信念による論証類似による論証への反論の仕方について解説しています。

なお,このエピソードは,私(たな)が大学の授業で使っている講義ビデオ「反論の仕方」を元に作成しました。したがって,「このビデオ」といった言い方が出てきます。ビデオでは,スライドを示しながら説明していますので,そのスライドを下に掲載します。文字起こし欄に,そこで参照してほしいスライドの番号を【スライド1】などと記載していますので,必要に応じて参照してください。

また,講義ビデオ自体も下に掲載していますので,必要に応じて参照してください。

スライド1

スライド2

スライド3

スライド4

講義ビデオ

参考文献

反論の仕方については,次の文献を参考にしました。

香西秀信『議論入門』ちくま学芸文庫,2015年

香西秀信『反論の技術』明治図書出版,1995年

サマリー

このエピソードでは、反論の方法として、信念による論証と類似による論証への反論の方法を解説しています。

信念による論証への反論
【スライド1】「反論の仕方」の続きです。【スライド2】前のビデオでは、「反論の二つの型」と「因果関係による論証への反論」について説明しました。
このビデオでは、「信念による論証への反論」と「類似による論証への反論」の仕方について説明します。
【スライド3】次は、信念とか、あるいは理念と言ってもいいんですけども、「信念による論証」というものがよく行われるんですが、それに対する反論の仕方について説明したいと思います。
「信念による論証」というのは何かというと、自分が正しいと思っている何らかの信念、あるいは理念と言ってもいいかもしれません。
信念というと、どちらかというと個人的なもので、理念というと、わりと共通に一般的に認められているものという感じがしますが、基本的には同じものです。
ともかく自分が正しいと思っているものですね。そして他の人もそれを受け入れてくれるだろうと思われるようなものです。
そういうことを根拠とする論証というものがありまして、これに対する反論の仕方を見ていきたいと思うんですが。
これも2つのやり方があるかと思います。1つは、相手がある信念を提示して何か言ってきたらば、今度はこっちは別の信念、もっともっともらしい信念を提示することによって、相手の主張を切り崩していこうという、そういうやり方です。
例えばこんな例を考えてみました。
「オンライン授業では、教員の熱意が伝わりにくいため、本当の教育とは言えない。そのオンライン授業は本当の教育とは言えないんだ」という、こういうような主張があったとします。
この人は「本当の教育」というものをここで議論しようとしているんですね。
「本当の教育」というのは何かというと、この人の考えでは信念ですけど、教員の熱意、これが伝わるようなものが本当の教育なんだと。
だけどもオンライン授業では教員の熱意が伝わりにくい、だからオンライン授業では本当の教育は行えないんだという、こういう主張になっているかと思います。
この意見を聞いてですね、納得する人もいるだろうと思うんですね。
しかし、この「本当の教育」というのをよくよく考えてみると、それは何なのか。教員の熱意が伝わればそれは「本当の教育」なのか。
というと、教員の熱意はあった方がいいかもしれませんが、本質的にそんなに重要なことではないかもしれませんね。
それよりはむしろ、授業のわかりやすさ、こちらの方が大事なんじゃないでしょうか。
いくら教員が熱心に教えてくれても、全然中身がわからないというんじゃ困りますよね。
ですから、熱意はそんなに感じられないんだけれども、でも非常にわかりやすく教えてくれる授業であればですね、それは別にそれでいいんじゃないでしょうか。
そしてオンライン授業は、わかりやすい授業というのは可能なわけですよね。
これは先生の教え方もありますし、例えばビデオになってますと何度も繰り返し見ることによって理解できるようになるというのもあるわけですよね。
そういうオンライン授業ならではの良さというのもあるわけでして、そういうことを根拠にこういった意見を、反論を言うことができるかもしれません。
大事なのは教員の熱意ではない、これは相手の信念を否定するわけです。大事なのは授業のわかりやすさであると。
オンライン授業はわかりやすい授業というのも可能なので、わかりやすいオンライン授業は「本当の教育」と言える。
つまり相手が「本当の教育」ということを言い出して、それに対して相手は教員の熱意が伝わるようなものが「本当の教育」だとこう言ってるんですけれども、それに対抗してこっちは授業のわかりやすさが「本当の教育」の大事なところなんだと。
こういうふうに言うことで相手に対する反論としているというものですね。このように相手よりもより納得できるような信念を提示することができれば、それによって相手に反論することができます。
他方、相手の信念を一応認めるという形でも反論はできます。
それを認めて、それを前提としてもですね、相手の論証を切り崩すことによって反論ができます。
例えば、先ほどと同じ主張をここで取り上げます。「オンライン授業では教員の熱意が伝わりにくいため本当の教育とは言えないんだ」と。
こういう意見があったとして、これをこの「本当の教育」という相手の考え方を受け入れた上で批判するにはどうすればいいでしょうか。
こういうふうに言えばいいんですね。「オンライン授業でも教員の熱意を伝えることは可能だ」と。こういうふうに言うんですね。
相手はですね、オンライン授業では教員の熱意が伝わりにくいってこう言ってるんですけども、それは本当なんだろうかと。
そういう場合もあるかもしれないけども、でも十分オンライン授業でも教員の熱意が伝わるようなそういう授業をすることは可能なんじゃないでしょうか。
もしそうだとすればですね、オンライン授業でも「本当の教育」は可能だということになるわけですよね。
このようにして、教員の熱意が伝わるような授業というのをオンライン授業でできるのかどうかをめぐって議論を続けることができるわけですよね。
このように、信念によって相手が何か主張したときにはですね、どちらかの方法で相手に対して反論することが可能だろうと思います。
類似による論証への反論
【スライド4】では最後の論証パターンなんですが、これはあんまりですね、皆さんの方から出てくることはないんですけども、時々あるようなものですかね。
でもこの論証の方法は非常に説得力を持ち得るもので、うまく使えばとても良いものなんですが、でもそういったものもですね、あまりうまく使えてないと反論されてしまうということで、その反論の仕方をここで皆さんに説明したいと思いますが。
この「類似による論証への反論」というものです。この類似による論証というのは何かと言いますと、何かと何かのですね、類似性を根拠とする論証なんですが、その類似性というのは何かというと、あるもので成り立つようなことは、それと同じようなことは同じように扱うべきだと。
あるものとあるものが同じようなもの、類似しているものである場合はですね、どちらも同じような扱いをしないといけないだろうという、そういう話です。それを根拠とするということですね。これを同じようなものは同じように扱うべきというのは、多分多くの人が納得する理屈だと思うんですけれども。
ではそれを相手が言ってきたときに、相手の意見に反論するにはどうすればいいでしょうか。これはやはり類似性を使っているわけですから、その類似性を否定するというのが一つの方法ですね。あるものとあるものが類似していると相手は言っているけれども、いやそれは類似していないんだというふうに言うか、確かに類似はしているけれども、でもそれよりももっと重要な大きな差異がある。
2つのものというのは、似ているところと違っているところが必ずあるわけですよね。ですので、似ているところはあるかもしれないけれども、でも違っているところがあって、しかもその違っている差異はですね、決して無視できるものではないんだというふうに言って反論することも可能なわけです。
ということで、ここではですね、オンライン授業、コロナ関係でずっと例を挙げてきましたので、こんな例を考えてみました。
「利用料を取っている施設、例えば駐車場などですね、そういったものが使えなくなった場合、利用料を払っている人に対してサービスを提供している側がその利用料を返還するのは当然である」と。
「それと同じようにですね、コロナで大学に通えなくなった、そういうことがあったわけですが、数年前に。そういった場合にはですね、授業料を返還するというのが当然ではないのか」と。
それが実際にはほとんど返還されなかったわけですが、「それは不当なのだ」と。「不当なのではないか」という、こういう意見があったとします。実際にありましたよね。
ニュースなんかでも出てきたと思うんですけれども。
ただ、こういった意見に対して大学側が分かりましたと。授業料を返しますというふうにして返したところはあまりなかったと思います。一部ですね。授業料のうちの一部分を返還したというのはあるかもしれません。
これは××大もちょっとやりましたけど。でもですね、丸々あるいはそのほとんどを返すようなことはしなかったと思うんですよね。
ということはこの実際に返還しなかった側の理屈でもって、ここでは反論の例を示したいんですけれども。
例えばこんな反論の仕方があります。「大学の授業料は単なる施設利用料ではない」。
相手はですね、この例えば駐車場のように、駐車場っていう施設をですね利用するには駐車場の利用料金を払うわけですよね。
その駐車場が使えなくなったら、何らかの理由で使えなくなったらば、その利用料はもし既に払ったものだったらば返還するというのは普通かもしれません。
それと大学っていうのは同じようなものだというふうに相手は言ってるんですけど、そうじゃないんだと。
「大学の授業料と駐車場の利用料は同じようなものではない。
大学の授業料は単なる施設利用料ではないんだ」と。
というのも、オンラインで授業を継続するためには教員が授業するわけですよね。
当然教員には人件費、給料を払わなければいけません。
それから設備投資、新たな設備を購入したり、あるいはネットワークのサービスを契約したりして、大学側もそれなりにお金を使っているわけですが、
そういうお金というのはほとんどが学生の払う授業料で賄っているわけですよね。
ですので、学生にその授業料を返還するといって収入がなくなってしまったら、大学はもう教育の事業を継続できなくなってしまうわけですよね。
ですので、駐車場と違ってですね、学生が大学に来ないというのは施設全然使ってないということで、お金払わなくていいんじゃないかと思うかもしれませんが、
大学側は業務を継続するために非常に莫大な費用を負担しているわけですよね。
その維持のための経費というのはそんなに大きく減るわけではありません。もちろん一部は減るかもしれませんけどね。
例えば教室の照明の電気代とかですね、そういうのは少し減るかもしれません。使ってなければ照明使わないですから。
あるいは空調なんかもですね、ちょっと節約できるかもしれませんけども、でも全体から見ればそういうのは大きくはないと。
ですので、授業料をもらって、それでもって経費を賄うというのは決して不当とは言えないんだと。
こういう反論が可能かなというふうに思います。実際そういうふうにして説明をし、
学生の理解を得た、本当に理解してもらっているかどうかわかりませんけども、そのような説明をした大学は多いのではないかなというふうに思います。
ここでは、相手が言っているこの類似性を、ある種否定する形で相手に反論しているということになるわけですね。
これが説得力を持っているかどうかというのはまた別の話なので、これはあくまでも反論の例ですから、そういうふうに受け取ってほしいんですが、こういうふうにして相手が似たようなものだということで言ってきた時に、いやそれは似てないんだと、違うところがあるんだと、いうふうにして反論するということが可能だということ、このことを知っておいてもらいたいと思います。
おわりに
以上ですね、ここでは反論の2つの型について説明した後ですね、相手の論証を切り崩す形で反論する、そのやり方をいくつかの論証パターンに沿って説明してきました。
ぜひ皆さんも、このような形で相手の論証を切り崩すということを、ぜひ試みてもらいたいというふうに思います。
ではこれで説明を終わります。
13:42

このエピソードに言及しているエピソード

コメント

スクロール