夏の移ろいと子供時代の思い出
こんにちは、石井ケンイチです。 今週も、たまゆらタイムの時間がやってまいりました。
8月17日、お盆休みも終わり、今日からいつもの生活に戻ったという方も多いのではないでしょうか。
暦の上では、すでに立秋を過ぎていますが、まだまだ暑い日が続きます。 ただ、少し前に比べると、夕方の空に変化を感じることがあります。
日が暮れる時間が、少しずつ早くなってきました。 昼間は真夏でも、夕方になると虫の声が聞こえてきたり、風の中にほんの少しだけ、次の季節を感じたりすることがあります。
夏が終わるわけではないんですが、季節は確実に動いてるんですね。
8月も中旬に入りました。 子供の頃の夏休みを思い出すと、このあたりから少しずつ気になってきたのが夏休みの宿題でした。
お盆過ぎたあたりから、急に残りの日数が気になり始めるんですよね。
夏休みの宿題帳やドリル、読書感想文、自由研究、まだ白いページがたくさん残っていて、カレンダーを見ながらちょっと焦り始める。
今の子供たちの夏休みは、学校や地域によって宿題の形も、休みの長さも様々だと思いますが、
僕たちの頃は夏休みの終わりが近づくと、宿題のことが頭から離れなくなった。
そんな記憶をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
そんなところにも、夏も後半に入ったなと感じたものです。
8月の記念日と歴史的出来事
では今日8月17日から1週間の過去の出来事、そして記念日を見ていきましょう。
まず今日8月17日はプロ野球ナイター記念日です。
これに関しては後半でゆっくり話していきたいと思います。
続いて8月18日、この日は高校野球記念日とされています。
1915年8月18日、現在の全国高等学校野球選手権大会につながる第一回全国中等学校優勝野球大会が始まりました。
会場は現在の甲子園ではありません。大阪の豊中球場でした。
甲子園球場が完成するのはそれから9年後の1924年です。
今では夏といえば甲子園というぐらい定着していますが、高校野球の全国大会は甲子園よりも先に始まっていたんですね。
そして8月19日はバイクの日、819バイクという語呂合わせです。
8月20日は蚊の日、蚊というのはブーンって飛んできてチクって刺すやつですね。
モスキート、蚊の日と呼ばれることがあります。
1897年のこの日、イギリスの医学者ロナルド・ロスが蚊がマラリアを媒介することにつながる発見をしたことに由来しています。
人類の歴史を見ると蚊が媒介する感染症との戦いは非常に大きな問題でもありました。
そして8月21日は献血の日、1964年のこの日、日本で輸血溶血液を献血によって確保していく方針が閣議決定されました。
そして8月23日は諸暑、ところ暑いと書いて諸暑ですね。
二十四節気の一つです。
このところという字には落ち着くという意味があります。
つまり諸暑とは暑さが少しずつ収まっていく頃なのですが、実際にはまだまだ暑いですよね。
昔の暦と現在の気候には違いがありますから、諸暑になったからといって急に涼しくなるわけではありません。
それでも朝晩の空気や日暮れの速さなど小さなところから秋への変化を探してみるのも面白いかもしれません。
日本初のプロ野球ナイター
さてここからは今日8月17日のプロ野球ナイター記念日にちなんで、日本のプロ野球とナイターのお話をしてみたいと思います。
今ではプロ野球の日程を見ると午後6時試合開始というのが珍しくありません。
むしろ平日のプロ野球といえば夜に行われるものという印象の方が強いかもしれません。
仕事を終えて球場へ向かう、家に帰ってテレビをつける、ラジオから野球中継が聞こえてくる、そんな夜の風景が長く日本の暮らしの一部になってきました。
ただ最近は地上波のテレビ放送でほとんど野球やってないですからね。
見る方は有料放送とかインターネットでっていう話になっちゃうかもしれません。
いずれにしても野球のナイターというのは当たり前なんですが、日本のプロ野球にナイターが登場したのは戦後になってからなんです。
1948年8月17日、場所は横浜。
当時の横浜ゲーリック球場です。
元々は1876年ですから明治9年にできた横浜公園平和球場。
現在の横浜スタジアムがある場所につながる歴史を持った球場です。
戦後、この球場は新中軍に接種され、アメリカ大リーグの名選手ルーゲーリックにちなんでゲーリック球場と呼ばれていました。
接種中の1946年に6基の照明塔が設置されたんです。
新中軍が接種したおかげでナイター設備ができたっていうわけですね。
そこで行われたのが1948年8月17日の巨人対中日。
これが日本のプロ野球史上初めてのナイトゲームとなりました。
ところが面白いのは試合開始時刻です。
今ならナイターといえばさっきも言った午後6時ごろっていうのは普通ですよね。
ところがこの試合始まったのは午後8時8分。
随分遅いですよね。
これには理由がありました。
当時選手たちのほとんどが照明の下で野球をすることに慣れていません。
特に夕暮れ時は自然光と照明が混じってボールが見えにくくなります。
そこで中途半端に明るい時間を避けて空がしっかり暗くなってから試合を始めたっていうことなんですね。
そしてもう一つ驚くのが照明の明るさなんですよ。
現在の野球場なら照明をつければ昼間とほとんど変わらないほど明るく感じます。
しかし1948年です。昭和23年です。
まだ戦争が終わってわずか3年。
設備も現在とは全く違います。
しかも当時の照明は米軍の駐留部隊が野球を楽しむために設置していたもので
現在のプロ野球の照明と比べればかなり暗いものでした。
選手たちもさぞかし大変だったでしょう。
ピッチャーが投げたボール、バッターが打ち上げたフライ、内野を転がるボロ。
全てがこれまでとは違って見えたはずです。
しかもこの試合に出場した選手や審判のうち
それまでナイトゲームを経験したことがあったのはわずか4人だったとされています。
つまりほとんどの選手にとって夜に野球をするということ自体が初めての経験だったわけです。
そして観客にとってももちろん初めてです。
球場にはおよそ2万人の観客が集まりました。
グラウンド内にも特設の観客席が設けられたほどだったそうです。
想像してみてください。
昭和23年から戦争の傷跡が日本のあちこちに残っていた時代です。
そんな横浜の夜に大きな照明が灯る。
その光の下でプロ野球の試合が行われる。
夜空へ白いボールが飛んでいく。
観客から歓声が上がる。
これは単に夜に野球をしましたというだけの出来事ではなかったのかもしれません。
戦争中プロ野球は一時中断しています。
戦争が終わり1946年にはペナントレースが復活しました。
そしてそのわずか2年後に夜の照明の下で多くの観客が野球を楽しむようになった。
日本が日常を取り戻していく中でナイターの明かりは一つの象徴的な光だったとも考えられます。
ちなみにこの試合結果は3対2で中日が勝利しました。
そしてこの日を境にナイターは少しずつ日本のプロ野球へ広がっていきます。
テレビ普及とプロ野球の発展
さらに大きな変化が訪れます。
テレビです。
1953年には日本でテレビの本放送が始まり
同じ年には野球のテレビ実況も始まります。
仕事を終えて家に帰り夕食を食べながらテレビでプロ野球を見る。
そんな生活が日本中に広がっていきました。
テレビのチャンネルを合わせると野球をやっている。
家族で食卓を囲みながら見る。
お父さんが応援する球団と子どもたちが応援する球団が違って
ちょっとした言い争いになるとか
子どもは漫画を見たいのにお父さんにテレビを取られてしまうとか
そんな過程もたくさんあったのではないでしょうか。
そして球場そのものも大きく変わっていきます。
照明はどんどん明るくなり大型ビジョンが設置され音響設備も進化しました。
やがてドーム球場も登場します。
雨が降っても試合ができる。
真夏でも空調の効いた球場で野球を見ることができる。
ただ不思議なことがあります。
ナイターの始まりと現代へのつながり
設備は全く違っても夏の夕方、球場へ向かう時のワクワク感は案外昔と変わっていないのかもしれません。
そして今日、2026年8月17日は月曜日
今年のプロ野球はちょうど試合のない日程になっています。
でも78年前のこの夜、横浜では日本のプロ野球にとって全く新しい景色が生まれていました。
午後8時8分、照明に照らされたグラウンドでプレーボール。
現在には当たり前になった夏の夜のプロ野球。
その始まりをたどってみると、そこには戦後の日本が日常を取り戻していった時代の姿も重なって見えてきます。
今度ナイターを見るとき、ほんの少しだけ球場の照明を眺めてみてください。
当たり前に映っているその光にも、78年にわたる日本のプロ野球の歴史がつながっていきます。
さてお別れの時間が近づいてまいりました。
今週も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
YTYCケンイチでした。
それではまた来週この時間にお会いしましょう。
玉揺らのような優しい時間をどうぞお過ごしください。