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こんばんは、たまこです。
今日は娘が主人と食事をして帰ってくると言って、
たぶん帰るのは10時とかそこらになるんですね。
なんかもうそれだけで結構憂鬱です。
やっぱり一緒に食べる人がいないと、料理をする気が失せるんですね。
今晩は、昨日作った肉じゃがの残りで、
なんか簡単に済ませようかな〜なんて考えているところです。
さて、以前ちょっとぐらい問題があってもですね、
夫婦間でそういった問題を乗り越えていくことにこそ、
ヒストリーができる、そういうところに意味があるんじゃないか、
なんて私は考えちゃうんです、っていう話をしました。
なんだけど、そこについてよく考えてみたところ、
そうできるのは、乗り越えてヒストリーを作ることができるのは、
相手に対する愛情が残っていて、初めてできること、というふうに気がついたんですね。
私は相手に対する愛情が残っているのか、
ちょっとそれはかなりNOというところに近い気がしています。
そもそも、一生を共にするパートナー、
そういう重要な、自分の人生に重要な影響を及ぼすパートナーに対して、
自分がどんなことを求めているのか、
どんな人がいいと思っているのか、条件は何なのか、
そこを全然考えたことがなかったなって思ったんです。
今日実はちょっとあるコミュニティで、
離婚問題に関するラフな、ゆるく話し合う会というのをやりました。
そこでいろんな方のお話を聞いていて、このことに気がつけたんですね。
私何にも考えていなかった。
多分、ドコーヤ問題がありましたので、
うちを出たかったっていうのがやはり根底にあったと思います。
自分のうちより酷いうちなんてあるはずがないと思っていたので、
例えば初めてギリの姉に会った時に、
初めましてとこちらが丁寧に挨拶をしたいにもかかわらず、
あちらはあまりうんともすんともこんにちはともよろしくとも言わず、
私の頭のてっぺんから足の爪先まで、
こう舐めるように目で見られたのはもう本当に震え上がるほど怖かったんです。
そんなようなことがあった時に、
なんかおかしいぞと気づくべきだったのかななんて今は思います。
当時は旦那と恋愛中だったわけですから、
そういう意味でも自分が本当に求めるパートナーはどういう条件なんだっていうところを
度外視して流されてしまうということがありますよね。
もっと丁寧に生きないとな、
もっと自分を大切にしていかないとだめだな、
なんていうことに気づかされました。
どうやって今後丁寧に生きていくか、もういい歳です。
もう失敗したくないな、
まあでも失敗しながら学ぶ、失敗を恐れてはまた進めませんからね。
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そんなことを考えた今日日曜の午後です。
ということでまたお耳にかかりましょう。
たまこでした。