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21時になりましたので、ぼちぼち始めていこうと思います。
たまここと今陽子がお送りする毎日がちょっと楽しくなる3分フリートーク、今日は3分で終わらないインタビューシリーズということで、本日のゲストは、教育コンサルタントの河村みやこさんです。ありがとうございます。
みなさんよくいらしてくださってありがとうございます。
ありがとうございます。みやこさんのまず私、懺悔。先日は大変失礼いたしました。何を謝ってるかって言うと、5日前に私ここで財布入れたんですけどね、もう初めて会うみやこさんにですよ、私財布忘れてたんです。
ずーずーしく会いましょうとか言って、それで初対面なのにですよ、私お会計の時になったら、あれ、財布が入ってないってなって焦りましたよ、あれは本当にね。でもね、お詫びをしたらちゃんとね、みやこさんは言葉美人でいらっしゃるので、また次に会う予定ができてよかったわって、さすがですよね、忘れてよかったと思うぐらい勉強になりました。
そういうことお互い様ですから。
本当にお優しいありがとうございます。
私ね、前から1個聞きたかったことがあるんですよ。
それね、今日まで撮っておいたんですけど、みやこさんのスタイフって、いつもなんかエコーかかってません?
あれはね、何なんですか?特殊なマイク?
そうじゃなくて、本当にそういうとこも本当にアナログなんですけれども、たまたまつけたマイクにエコーがついてて、エコーをちょっと使ったんですね、最初使ったら、どういうふうに戻しても無理ですわ、エコーが聞きっぱなしになっちゃった。
本人は撮りたいのに撮れないエコーってことですか?
そう、だからマイクをちゃんと買い直せばいいんですけど。
でもね、私あれすごくいいと思ったんですよね。
多分特殊なマイクなのかなと思って。ありますよね、なんかね、エコーかかるやつ。
なんかヨドバシカなんかで安く買ったんですよね。
本当ですか。
なんか戻らない。
本人は撮りたかったのにかかったままっていうことだったんですね。
いい感じですか?
私もそう思うんですよ。なんかね、あのエコーがかかっているので、私にはいつも毎回ね、神の声って感じがするんですよ。
いや、多分なんかどなたかの配信で私が出てきたら、ああ、あのエコーの方ねって言われたりするよね。
そうそう、あのエコーっていうかね、天の声っていう感じがするんですよね。
もうそれはね、宮子さんだから許される技ですよね、本当に。
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でもそのうちちゃんといいマイクを買おうと思ってました。
あのままでいいと思いますよ。
本当にいいと思いますよね。皆さんそう思いませんか。
多分皆さんあれがいいってね、言ってくださってますし。
ありがとうございます。
そうでしょ、天の声でしょ。私も本当そう思ったんですよ。
とっても素敵な宮子さんの声ですってね。
ありがとうございます。
このままいきましょう、宮子さん。ありがとうございます。
はい、了解です。
はい、ということでですね、前半はなんとなく宮子さんのヒストリーをお伺いして、後半、事前にいただいた皆さんからのご質問にお答えいただくというような、なんとなくそんな流れでいこうかなと思っております。
はい。
はい、なんですが、まず私の方からですね、軽くプロフィールのご紹介をさせていただきます。
これ宮子さんのホームページから拝借しておりますけれども。
ありがとうございます。
川村宮子さん、幼稚園教育を経て、NHK番組お母さんと一緒、お姉さんとしてレギュラー出演。
その後、専属学園短期大学にて、表現教育非常勤講師、地域上層教育、子どもの部屋主任講師をお務めになりました。
そして、一般企業においても人材教育、お客様相談室室長など、25年間にわたってお仕事をされていらっしゃいました。
確かな知識と経験を社会に還元すべく、2007年オフィス川村を設立、今もそのオフィス川村の代表としてご活躍でいらっしゃいます。
お仕事の中身としては、やっぱり講演活動、それからご自身で作られた教材のセミナーなんかをやっていらっしゃるっておっしゃってましたよね。
そうですね。はいはいはい。ちょっとこの間にグレッサンがいらっしゃるということで、グレッサンありがとうございます。
ありがとうございます。初めましてかな、私。
NHKから来てくださって。
そうなんですね。ありがたいですね。ありがとうございます。もうすでに32名の方にお聞きいただいております。
ありがとうございます。平日のど真ん中の夜に早くお休みになりたい時間帯かなと思いますけれど。
私も宮子さんもちょっと酔いっぱり系ですよね。
はい。酔うのが好きです。
ありがとうございます。ということで、元々宮子さんは幼稚園の先生から始まったっていうことなんですよね。
そうですね。
お聞きしたところ、これはもうなりたかった職業っていうふうにおっしゃっていたようなもんですけど、幼稚園教諭の魅力って何ですか。
私は単純に子どもが好きだから幼稚園の先生になりたかったんではなくて、小学校の時からずっと働く人でいたいと思ってたんですね。
06:01
小学校の時から。
そうです。4年生ぐらいからと思ってたのね。
はいはい。
いろいろその時代に私が考えついたことは、幼稚園の先生だったらいくつになってもできるから続けられるっていうふうに思って幼稚園の先生になったんです。
純粋にお子どもが大好きだからって気持ちではなかったですね。
幼稚園の先生はどうしてずっと続けられるんですか。
いやわからない。それは小学校の時に何か結婚しても赤ちゃん産んでも何かお仕事ができるってイメージだったんですよね。
小学生の宮子ちゃんが何となくそんなふうに思ったっていうことなんですかね。
だから6年生の時の卒業の途中みたいなのあるじゃないですか。
ありますね。
そこに将来にもしっかり書いてありました。幼稚園の先生に絶対になるって。
すごいですね。小学校の時からずっと働きたかった。何か働きたかったっていうのは何でなんでしょうね。
わからないですね。私はお家にいなくて働く人になりたいって単純に思ってますね。
それはあれですか。お育ちになった環境的に何か影響を受けた人がいましたとか。
それはない。
それはない。
ただなんか自立したいっていうのが割合と早くからあったような気がします。
なんかかっこいい小学生ですね。
いやいやいや。ただ小学生だったんだけれども、そういうとこは強かったですね。
小学校の時、私そんなこと考えたことなかったですね。何になりたいかもわかんなかった。
そうですか。
わかんなかった。
でも割と実現しやすい職業でもあるんですけれどもね。
身近な職業ではあったかもしれませんよね。
そうですそうです。
ご自分もやっぱり幼稚園は通園されてたんですよね。
私は幼稚園行かなかったんです。
あ、そうなんですか。
それでも幼稚園の先生ってなんか不思議ですね。
不思議ですね。
めっちゃ不思議。
だからその、幼稚園の先生を見て憧れたってことは一切ないんですよ。
面白いですね。
小さいときからきっと現実的な子だったんだと思います。
そうだったんですね。
そしてその後はいろいろある屋にお聞きした気もしますけれど、やっぱり皆さんが興味があるのはお母さんと一緒ですよね。
はいはいはい。
これはどうしてこんなお姉さんになれちゃったのかちょっとだけお話いただいてもいいですか。
私が持ってたクラスにそのお母さんがたまたまNHKのお母さんが古代のプロデューサーだったんですね。
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幼稚園のときのお話ですよね。幼稚園の先生をしていらっしゃったときに保健の中にプロデューサーの方がいらした。
それでそのお母様からNHKで試作番組を作るからちょっとその試作番組で一日空けてくださるってちゃんとお金が出るのよって言われたんですね。
それで私ちょっとそれならいいかと思って行ったら、それが結果的にはオーディションだったんですね。
それで現役の幼稚園の先生をお姉さんにしたかったみたいなことがあったみたいです。
それで通っちゃったっていうことですよね。
そうですね。もうちょっと行ったら何十人も人がいたからびっくりした。
なんだろうと思って行ったら結構女優さんっぽい人とかもいっぱいいらしてて。
ちょっと初めてのことって意外と平気ですよね。怖くないし。
その時代から肝が座ってらしたということですかね。
でも私最後までオーディションって思ってましたから、オーディションって思わなくて、なんか試作番組作るんだと思っていたので。
なるほど。これね、相当な数の方がいた中でなぜか私が通っちゃったっていう状態ですよね。
そうです。本当にそうです。
試作番組のなんとかなんて言われたら単なるちょっとアルバイトかなみたいなノリだったはずじゃないですか。
でもそれを受けちゃったっていうのはどういうお気持ちだったんですかね。
それはちょっと一瞬悩みましたよね。幼稚園の先生辞めるのかな、続けるのかなって。
それでNHK側は幼稚園の先生やりながらやってくださいっておっしゃったんだけれども。
二足のガラジはちょっと厳しいかなと思って。
いろいろ考えて、じゃあちょっと新しいこともやってみようかなって思って、本当に単純にそう思っただけなんですね。
なるほど。これ新しいこともですけど、これ20代ってことですよね、多分。
そうです。20代です。
一般的にお姉さん、お母さんと一緒のお姉さんっていうと歌って踊ってみたいなイメージですけど、そういうのではなかったんですよね。
そうですね。あの時はもう少し今よりNHKがお金をかけてた番組で、本当に毎日毎日違うことをやっていて、
そして歌のお姉さん、お兄さんっていうのはついでで出てくるっていうか、10分ぐらい出てくるっていう感じでしたね。
ついでなんてことないと思いますけれども。
そうなって言ったらいけないんだけれども、私の時はちょうどお兄さんやってたのが田中誠司くんっていう人で、ビューティフルサンディー。
田中誠司さんって私わかりますよ。
星残りタイプ。
はいはいはいはい。
12:00
なんか懐かしいですね。と一緒にやってらっしゃった。
なるほど。宮子さん音声大丈夫ですか?
大丈夫。変ですか?ちょっと聞こえない?
いや、大丈夫なんですけれど、宮子さん今マイクでお話しされてますか?
いや、それやるといつか失敗しちゃったんで、もう直接話して。
スタイフがご丁寧にマイクを使った方が音声がいいと私に忠告してきたので、あれ宮子さん使ってないかなと思って今お話ししてみました。
でもよく聞こえてますよって、まりさんありがとうございます。
まりさんありがとうございます。
このまま行きましょう。
さくらさんこんばんは。
さくらさんありがとうございます。
そういうお姉さんを、要はこれって子供の描いた絵をなんか紹介しながらお話を話すみたいなっておっしゃってましたよね。
そうですね、いろいろ全国から送られてくる絵を毎回30枚から40枚私が全部紹介して、そこからお話が始まるっていうことで、ちょっと楽しい番組でした。
結局NHKは幼稚園の先生をしながらっていうふうに言っていたけれども、結局辞められたっていうふうに確かおっしゃってたと思うんですけど、そこは何があったんでしょう。
ちょっといろいろありましたね。
お察しがいなければね、そこは。
女性の世界でしたから、まず園長に相談したら、その二足のバラ地は辞めたほうがいいって言われたんですね。
そして、ちょうど結婚しようかなっていうこともあったんで、結婚しよって言って辞めるようにって園長に言われまして。
それで、ところがですね、2月に新聞に出ちゃったんですよ。
はい、今度のお姉さんは河村みや子さんです、みたいな新聞が。
幼稚園の先生です。
えーってもうびっくりしちゃって。
それで、たまたま幼稚園の中に新聞販売をしているお客さんがいらして、販売所の奥にいらして、朝一番でその新聞持って幼稚園に行って、うわーって。
バレちゃったってことですね。結婚でって言ったのに、何これはって。
そうですね、もう本当にね、最悪の状況でしたね。
そこでなんとなく、女性の世界の怖さっていうことなんですかね。
はい、はい、もう私、初めてストレスで失語症ってなったんですよね、その年。
えー、みや子さんが失語症。
で、声が出なくなったんですよね。
わお、それで親になった。
いやいや、もう私絶対ね、それはもう3月でやめようと思っていたんですけれども、
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ストレス症になって、しゃべれないわけだから一緒に休もうかなと思ったんですけれども、絶対に休まないって決心して。
うーん、その休まないって思っちゃうその気の強さ、それってどっからくるんですか、みや子さん。
なんかね、結局いじめみたいにあってしまったんですけど、そのいじめって結局嫉妬からなんですよね。
だから自分自身が、誰かの第三者の嫉妬から、自分が後ろに引くのは絶対嫌だ。
はい。
だからそれには負けないって思いましたね。
誰かの嫉妬が原因で自分が後ろに下がるのは嫌だってことですね。
そうです。そのために自分が後退するのが嫌だって。
そこがみや子さんの素敵なところですよねって、まりさんがおっしゃってますけど、私もそう思いますね。
その強さ。
で、失語症になっちゃったけど通い続けたわけですよね、お仕事。
はい。もう1日も休まなかったです。声が出ないのに。
で、お姉さんも並行してやってらっしゃったってことなんですね。
それで3月で辞めて、辞めた翌日からNHKに来た。
声ってそんなにすぐ復活するもんですか。
はい。それはお医者さんに病院に行ったら、あなたの嫌な場所を去ればすぐ声が出ますって言われたんですよ。
やっぱりメンタルですね、それはね。
そうです。本当にそうでしたね。
なるほど。じゃあもうそれで本当にその先生のおっしゃった通り、嫌なところから去った途端に声は元通りになったっていうことなんですね。
そうですね。びっくりしました。
なるほど。このお母さんと一緒お姉さんは何年間なさったんですか。
私は2年間しかしなかったんです。
2年間。この映像を見てみたかったな。
ちょっと若々しくて綺麗でしたよ、今より。
今はこれだけ綺麗なんだから、20代の宮子さんがどうなったか皆さん興味ありますよね。
大空さんが、失語症私も経験あります。声が出なくなりました。
宮子さんと一緒で乗り切りましたって書いていらっしゃいます。
宮子さん結構ね。
学校の先生をずっと長くされてた方なんですね。
そうですか。学校の先生、失語症つらいですよね。毎日授業しなきゃいけないわけだし、声が命みたいなものですもんね。
はい。
ありがとうございます。その2年間のお母さんと一緒を経て、その後が表現教育の講師っていう流れでいいんでしたっけ。
そうですね。私、いろいろ被ってやってることもいっぱいあったんですけれども、大学もこれから幼稚園の先生になる卵の人たちを教えてました。
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そういうお仕事が間を空けずに来るっていうのは、やっぱりそのお母さんと一緒のお姉さんやってた方だとか、幼稚園の先生だとかっていう、そういうことからなんですかね。
なんででしょうね。私は自分で一旦探したことがないんですね。
それかっこいいですね。私なんか自分で探さないと絶対やってこないんですけど、何が違うんですか、宮子さん。
わからない。お母さんと一緒はたまたまお母さんにそういう方がいらっしゃったってことだし、大学はですね、表現教育を持っている方がどうしてもできないから私を推薦したんですね。
私、大学で教えるなんてそんなことできないですよって言ったんですけど、すごく押されて、一旦ちょっとやってみるかみたいな。
そういう、さっきもね、新しいことをチャレンジしようっていうお姉さんになった時と同じですよね、心境としてはね。
そうです、そうです。何でもちょっとチャンスがあるんだったら、やらないよりやったほうがいいかなって思ったんですね。
確かに、それがすごいですっておっしゃってますし、見つけられちゃう宮子さん、すごいっていう皆さんからコメントいただいております。
何なんだろう、私もそうなりたいけど、宮子さんとの違いは何だろうっていうのを今日もね、お話ししながら自分で見つけていけたらいいなぁなんて今感じます。
ありがとうございます。
はい、端大で教える、これでも最初授業ってどうやって組み立てたんですか、自分で全部やるんですよね。
そうです、全部自分でやりました。
そしたら週に何回とか、1年に何時間あるよとかって。
週に2回行ってましたね。
週に2回って結構な頻度ですよね。
それって中身を要は1年分組み立てなきゃいけないじゃないですか。
はい。
それ大変じゃありませんでした?
大変だったけれども、それは学校側から全然開始されないっていうか任されちゃうんですね、逆に。
それでやっぱり私忘れられないんですけどね、1回目の授業が4月10日だったんですよ。
もう嫌じゃないですか、大学の教室に入っていく。
しかも仕事のね、若い子たちの間に。
でもね、やっぱり目立とうと思った。
メラルドグリーンのジャッキーって言ったんですよ、それすっごい覚えてる。
目立とうと思った?
そう。
それはなぜ?
わからないんだけど、なんかくすぶった先生になるのは嫌だったから、
私が初めて教室に入ってたら、みんな先生たちがワオって。
ちょっと待って、メラルドグリーンのワンピース、スーツ?
21:03
ジャケット。
ジャケット。
似合いそうですね、宮子さん。
なんか目に浮かんじゃいます。
なんか達等と入っていこうって、もう本当に表側だけなんですけれども、
ちょっと頑張ったですね。
いいわーってコメントいただいてますよ。
目立とうとしなくても目立ってたかというコメントもありますけど、
さすがですね、くすぶった先生になりたくなかった。
最高って入れてくださってますけど、そこ大事かもですね。
くすぶった人でいたくないっていうこと。
そうですね。
やっぱりどっかでそういうとこ勝負しないと、
やっぱり中身でいったらもっとすごい先生たちいっぱいいらっしゃるわけだから、
やっぱり生徒たちが、あの先生の授業聞きたいよね、
なんだか楽しいよねって思ってもらおうって、
これが一番私のやることだなと思っていたんで、
なんかちょっとでも、何あの先生って興味持ったことからスタートするんだなと思って。
そこが良かったんでしょうね。
下手に知識がある先生が自分の知識をお話しされるっていうよりも、
なんかもっと生徒目線でいらしたっていう感じですよね。
そうですね。
宮子さんは、私の目指した人ですと大空さんがおっしゃってます。
ありがとうございます。
愛があふれてるからスカウトされまくったのですね。
でも本当そういうことですよね。
あのくすぶった先生になりたくない。
今だってくすぶってなんかちっともいらっしゃいませんもんね、宮子さんって。
ありがとうございます。
なんかそこがやっぱり女性である私たちにはめちゃくちゃ魅力だと思うんですよね。
男性もそうかもしれないけど。
いやちょっといい言葉聞きましたね。
くすぶった人ではいたくないってね。
そうですね。
そしてこの専属学園も何年間いらしたんですか?
それはね、本当に長く続けようと思えば続けられたんですけれども、
私はちょっとね、生徒っていうよりも先生感のあの空気がすごく嫌だったんですよ。
何の空気?
一応ね、こんなこと話しちゃっていいのかわからないけれども、
職員というか先生方の集まるとこってあるんですね。
全部お部屋が分かれてて、教育とか職業児とか講師とか非常勤講師とか。
それでどっかでそれはお部屋がつながっているんですけれども、
その空気が私はとてもダメだった。
言いにくいかもしれないけど端的に言うと、その空気ってどんな空気なんですか?
24:00
非常勤講師の人は次に講師になりたいわけですよ。
講師の人は女教授になりたいわけね。
女教授の人は女教授になりたいっていう空気があって。
それでね、女の先生が多かったんですけれども、
皆がすごい張り合ってて、敬語で使って、
すごい丁寧な言葉で喧嘩するんですよ。
一番嫌味な感じですね、それね。
それで私はこういう世界にはね、いくらタイトルとしては空気やってるっていうのもいいかもしれないけれども、
私の人生にとっては決してプラスじゃないなって思ったんですよ。
宮子さんの人生にとってプラスじゃないっていうことですよね。
生徒が云々とかじゃなくて、自分にとってっていう発想でやめようと。
それで私その後、講師になりたいとか女教授になりたいなんてあるっきり思ってなかったもんで。
いらないなという判断をすっぱりされたと。
その感覚が大好きです。潔いです。空気大事ですよね。
指標が分かりやすくて素敵。本当ですね。分かりやすいっていうか明快ですよね、本当にね。
自分中心に生きてますのでね、全て。
OKです。で、やめましたと。で、その後が今度は地域上層教育でしたっけ。
それやっぱりすごく脳の開発センターみたいなところで活躍してる方がいらして、その方もちょっと声かかって、
お教室で教える先生になってくれませんかって。
それは知っていらした方じゃなくて、全く知らない人だったんですか。
知ってる人と知ってる人かな、こういう感じ。
知り合いの知り合いみたいな感じ。
それもアルバイトぐらいのつもりで入ったんですけど、結局一緒に教材開発することになっちゃって。
それが今もって役立っているんですけどね。
教材開発って、これはだから子ども向けですよね。もちろん。
年齢的には小学校前ぐらいが対象ですか。そうです、小学校前です。
それを、だって幼稚園の先生ですからね。そういったところはノウハウをお持ちですもんね。
そうですね。
教材、これもどんなものなのかちょっと興味はありますけれど、ここで相当な数の教材を作られたっておっしゃってましたよね。
そうですね。何百種類か今オフィスにはあるんですけれども。
何百種類。
それが結局今のお仕事には役立っている。
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人生って不思議だと思います。
不思議ですよ。どうしてそんな次から次へと、自分で探してないのに向こうからやってくるのかっていう私はそのノウハウが知りたいですね。
という教材を作るというお仕事が始まって、これは何年ぐらい。
これはもうずっと並行してやってたんですけれども、私この間にお母さんと一緒の間で結婚してるんですね。
はいはいはい。
これで子供も生まれ、4年後に子供が生まれて、その子が幼稚園に入ったときにですね、一緒のママからね、同じ学年のママから、
ママさん、ちょっとうちの主人こういう会社やってるんだけど、今度こういうことがあるから、アルバイトで手伝いに行ってくれる?って言われたんですよ。
そこに結局アルバイトでやったんですけど、結局そこの会社に25年間いたことになった。
これが一般企業というふうにご紹介したところですよね。
25年、これはなかなかの長さですよね。
そうですね。振り返れば短いけれども、長かったですね。
またもや声をかけられる。本当ですよ。よく本当に間が空かずに、ちゃんと誰かに声をかける。
だからこれは仕事があるとしたら、きっと注目されてたってことですよね。
どうかわからないんですけど、仕事欲しそうな顔してたんでしょうかね、私が。
すごいなぁ。そこは人材教育とか、お客様相談室の室長ということでしたよね。
そうです。
この25年間が、やっぱり25年でピリオド打って、今のオフィス河村になっていくんですけれども、
この25年間はどんな時代だったんですかね。
私の人生の中で一番影響を受けたっていうか、主に人育てをしたんですけれども、
みんな全部大学出てるのに、学歴じゃないんだ、人間はってことを経験しました。
出ました。大学出てる、これ部下のことですよね。
そうです。
大学出てる部下なのに、この程度って思っちゃった、みたいな。
そうです。
で、その人たちを育てるという目線で仕事されてこられたってことですよね。
そうです。それがちょっと中心的にやっていたんですけれども。
どうぞどうぞ。
でもね、仕事をね、仕事を教えるのはそんな難しいことじゃないんですよ。
みんな頭いいからそういうことはわかるんだけども。
それ以前の人間としてのコミュニケーションだとか、そういうものが本当にできていますね。
30:04
例えばどんなことですかね。
例えば、私が一番その会社に入って、一番最初に驚いたことは、
私の部下だった男の子がね、言っても28歳ぐらいなんですけれども、
彼が休むときに、お母さんから電話がかかってきて、私に、
え、息子が熱を出ましたね。お休みさせて。
え、本当ですか。
本当本当。
それに私、びっくりして。
私もびっくりしました。
それで、私、翌日に彼が出てきたときに、
あなた、もしかすれば大病院に入院してたの?って言ったら、
出てましたって言って、
私は、え、でもそれって、自分で今度かけてきてね、
お母さんがかけてくるって、おかしいんじゃないって言ったら、そうかって。
へー、28歳ですよね。
だから、彼に限らず、それに似たようなことがいっぱいあって、
なんで私がこんなことを教えなくちゃいけないの?っていうのはありましたね。
なるほど。コミュニケーション以前の問題ですよね。
人間として、大人として、それでいいのかいなという話。
そういう人、例えば、さっきの28歳のお母さんが電話をしてきちゃったような彼って、変わりましたか?
基本的なことは、そういうのを変えるのって本当に難しいです。
100人いたら1人ぐらいかな、変わる人は多分。
そんなに変われないものですかね、まあそうか。
仕事はね、結構ちゃんとできていくと思うんですけど、
やっぱり人間としての資質っていうのは、やっぱり小さな時に大切な。
それが最初に辞めた一番の理由なんですけど。
ちょっとなかなか、ただものではない人材教育をしなきゃいけないっていう会社ですね、それ。
そうですね。やっぱり仕事は、私誰でもできると思っているんですね。
でもやっぱり最後は仕事じゃないですか。
そういうとこが、やっぱり小さな時からお母さん、お父さんに私が経験したことを伝えたいなって思ったんですね。
それが今のお仕事につながっているんですね。
そうです、そうです。
やっぱり小さい時にどのようにしつけられたかとか、どんな家庭にいたかということが、
やっぱり大人になってどんな人間なのかっていうところにつながっているっていうふうに考えてらっしゃるってことですよね。
33:04
全部の方がそうだとは思わない。全部がそれが原因だとは思わないけれども、やっぱりその要素は大きいなって。
お金持ちとか貧乏とか、どこの大学でだって関係ないんだなっていうふうに私はすごく学びましたね。
大学ではなくて、そういう小さい時の体験とか教育が大事なんだっていうことですよね。
なんか勉強はいっぱいしてきたのかもしれないけど、豊かな心が育ってないっていうのかな。
なるほど、豊かな心が育っていない。
なんか悲しいですね。
そうですね。
でもね、現実は現実だから、私はそこで辞めてよかったなって思って、自分の意思で本当に辞めたんですけれども。
この25年勤めた会社が会社にも収支費を打った、それはどういうことだったか、簡単にもしよかったら教えていただいていいですか。
最後の時は、トップのテカンドやってたんですよ。
副社長みたいなもんですね。
そうですそうです。だけどね、ちょっと上手くやってきたんですよ、10年間で。
だけども、私は男性としては最も嫌いなタイプの人だったんで。
宮子さん、合わないわ、嫌だわって思ったら、すぐパッと切っちゃいそうな方なのに、どうしてその社長には25年仕えたんですか。
仕えたというより、彼は別な面では、よくこういう仕事を最初に初代で築いたなっていう、そういう部分はたくさん持っていて、
アイデアや発想力があったので、私はそこに威力を感じて、それをさらにもっと広くしたいっていう思いがあったんですね。
そして何より、年収をすごく出してくださっていたっていうことは大きかったですね。
なるほど、年収は大きいですよね。
だけども最後は年収じゃないんだなって思ったんですね。
この決断は結構でもスパッとなさったんですか、それとも相当悩んだんですか。
もちろんそういうのがずっと重なってきてたと思うけれども、社長と打ち合わせて、社長今日で私辞めますって言って、本当にそう思ってたんですね。
ありひとつぜんですよね。
そうです。
かっこいい。そりゃびっくりされましたよね、社長に。
どうしたの、どうしたの河村さん、どうしたの、え、なんでって。
もうだから社長と一緒の空気吸うの嫌になったんです。
はっきり言っちゃった。
言いました。
かっこよすぎですね。そしてハンドバッグひとつでお辞めになったっていうことでしょうね。
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そうです。結局辞めるときって後処理があるじゃないですか。
後処理とか、いろんな整理しなくちゃならないこといっぱいあるんだけど、私はそれ足つぶくんの嫌だったんで、
一番信頼する部下3人を呼んで、あなたは私のロッカーのもの全部捨ててね、あなたは私の机のもの全部捨ててねって、
そういうことを3人の人に頼んで、よろしくねって言って、ハンドバッグひとつで退職しました。
かっこいいですね。でもそういう信頼できる3人の部下が、お育てになった人たちってことですよね。
そうです、そうです。
もうひとつ言っていい、今私のオフィスにいます。
なんですってね、そういう育てた人たちが、今オフィス河村を支えていらっしゃるということで、
決してこの一般企業での25年間、無駄ではなかったってことでしょうね。
7人の人が私についてきてくれたんです。
引き抜いちゃった格好になったわけですよね。
そんなつもり全然なかったんで、3人が辞めますって言って。
ハンドバッグひとつで会社辞めて、明日から行きませんでしたっていう人、私は初めて聞きました。
本当にね、反対の立場になればちょっとひどいかなと思うんですけども、
でも会社って、結局どんな大事な仕事をしてても、その人が辞めても絶対潰れないんですよ。
いや、そうじゃなきゃダメなんですよね。
そうそうそうそう。だから辞めたことない人、絶対辞めたことないなって思ってました。
まあでも、普通はね、後片付けをしてから綺麗にしてさようならなんだけど、
そこの部分も決して無責任にしてたわけではなく、
ちゃんと3人の人が宮子さんの代わりに机を片付け、物を捨てというのをやって、
そういう指示をして出ていかれたということですね。
それが7時に会社をバックひとつで出ていきました。
かっこよすぎますね。
用事教育の大切さを日々の仕事の中で実感しています。
宮子さんのスタンドエフェクトも多くのお母さん、お父さん、おじいさん、おばあさん、おばあさんたちにも聞いていただいています。
という大空さんのコメント。
私もでしたって書いていただいてるけど、そんなことあるんですか。
皆さんなんかかっこいいな。
ありがとうございます。
ということで、やっと今のオフィス川村にたどり着いたんですけれども。
ちょっと事前にいただいているご質問を絡めて、またここからはお話をしていただこうかななんて思っておりますけれども。
まずですね、マゴブルーっていう言葉どっかに出てきたように思うんですけれども、
このマゴブルーって、これは宮子さんが作られた言葉ですよね。
ちょっとマゴブルーって何ですかっていうのをお話いただいてもいいですか。
なんか幸せな時に、なんか大丈夫って心配になることってあるじゃないですか。
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例えば、アタニティブルーとか、ブルーとか、それと同じで、
私ね、孫ができたって言われた時に、双子だって聞いたんですね。
ちょっと一緒に住まないとまずいかなって、一人娘だったんで、
家を改装することにしたんですね、一緒に住むために。
その間ね、ちょっと家には住めなかったので、
最寄りの駅のビジネスホテルみたいなところで私2ヶ月過ごした時に、
私の人生ってこれで変わっちゃうの?ってすごく思ったんですね。
なんか、おばあちゃんっていうネッテル張られて、
ひとくくりにされちゃう人って、なんかね、とってもね、
赤ちゃんができるのは嬉しかったのに、とっても不安に思ったのが、
マゴブルーって思わず感じたんですね。
マゴブルーになりたくないですよね。
ということは、その後どうなさったんですか。
でも私はマゴブルーで終わりたくないと思ったので、
一緒に住む、改装ができるのは1ヶ月逆ぐらいの前に、
夫婦と持ち合って、私はここに住んでも、
孫のためには行きませんっていうことを言いました。
お嬢様ご夫婦にきちんと伝えたってことですね。
伝えました。
そして一緒に住むにはルールを作りたいって言って、
縄々で暮らしたくなかったので、
私はもちろん手伝うことはするけれども、
私は自分を中心で生きていきますっていうことを言ったんですね。
でもそれ大事ですよね。
やっぱり自分の孫だから見なければいけないってなっちゃうと、
ものすごい負担が大きいですよね。
そうですね。
それで娘はたまたま私の生き方をずっと見ていたので、
たぶんそう言うだろうなっていう感じだったみたいですね。
予測されてたんですね。
そうですね。
なるほど。
そのあたりは、ちょっと題名忘れちゃったんですけど、
小屋さんの伝えられない生き方というのが出て、
ご著書の中にバッチリ書いてありますので、
皆さん読みいただきたいと思います。
たぶん私これを読んだのかな。
すごく面白いです。
という孫ブルーにもならないぞという宮子さんでいらっしゃいますが、
実際に今子育てをなさっているお母様からの質問にいきたいと思います。
小学校1年生のお嬢さんがいらっしゃる方なんですが、
この方は3人のお母さんなんですね。
小学3年生の息子、それから小学1年生、
42:03
そして生後8ヶ月のお嬢さんを育てているお母様。
最近小学1年生の娘が、
お母さんのせいだからねと言って怒ることが増えました。
例えば娘が片付けをしていないことに注意すると、
お母さんのせいでできなかったなど、
何かとお母さんのせいになれちゃうという言動が見られます。
このような状況では、
お母さんはこのような意図で伝えたよと説明するようにしていますが、
効果的な対応に苦慮しています。
どのように対応すればよいでしょうか。
また娘がこのようにお母さんのせいという背景には、
どのような要因が考えられるでしょうか。
加えて娘の自立心を育てながら、
適切な責任感を持たせるには、
どのようなアプローチが効果的でしょうか。
ちょっと長いんですけどね。
まずどうでしょうか。
これどういうふうに対応すればいいですかというご質問ですか。
私ちょっとお聞きする限りでは、
小学校1年生っていうとまだまだ小さくて、
お母さん独り占めしたい年でもあると思うんですね。
ちょうどお聞きすると、
お兄様と下の子との間に挟まれているお嬢さんですよね。
たぶんお母さんは、
8ヶ月の下の女の子にすごく手がかかっている状態なんだと思うんですよね。
たぶん1年生の女の子は、
お母さんが取られちゃったっていうんじゃないけれども、
そういう気持ちもとてもストレスがあるんだと思うんですよ。
それで結局、自分ができないことをお母さんのせいで、
お母さんに押し付けちゃうっていうストレスを感じているんだと思いますよね。
私は、たぶんお母さんが抱っこしているのは、
8ヶ月の子だと思うんだけれども、
抱っこしてあげてほしいのはこの1年生の子だなって私は思っちゃいましたね、今聞いてて。
だから1日に3回ぐらいでいいから、
1年生の女の子、お母さんに本当に1分か2分でいいから、
ずっと抱きしめてあげて、
ママが一番大切なのはあなたなのよって言ってほしいですね。
さすがですね。
いや、これ泣けるわ。
だからたぶん1年生の女の子は、
それでちょっとお母さんに愛されてるんだって、
ホッとするんだと思うんですよね。
そうですね。
確かにそうですよね。
寂しいんですよね、きっとね。
たぶんね。
1年生だとまだそういうことが表現できないんですよね。
だから、そうやってお母さんのせいなんだからって言って、
当たり散らしてるんだと思うんですよね。
でも、そんなことお母さん気にしないで、
45:01
本当に抱きしめてあげてほしい。
女の子とっても嬉しいと思う。
本当ですね。
ですから、娘の自立心を育てながら、
適切な責任感を持たせるには、
なんて今は考えちゃダメよってことですよね。
よくお母さんたちって、
自立心を育てるにはって言われるんだけども、
そうやってるお母さん、
自立心あなたあるの?って私の質問持っちゃうんですよ。
そうでしょ。
私だって自立心持ってますかって言われたら、
ちょっとええって思いますもん。
ちょっとドキッとする質問ですよね、それってね。
小さい時、まだ5歳の子に自立心って、
あなたもう何日しか生まれてない子にね、
5歳だったら、
2千日生きてるか生きてないかですよね、この世に生まれて。
本当ですよね。
自立心ですかって思い合ってた。
本当ですよね。
いやでもね、宮子さんは小学校の時から、
保育園じゃなくて幼稚園の先生になって、
私は自立したいっておっしゃってるのが、
宮子さんは別格なんですよ。
でも、一般的にはね、
そんな小さいお子さんが自立なんて、
あなたはどうなのって言われたら、
ちょっとドキッとしますね。
よくそれね、
よく講演会出す質問が出ると、
お母さんは自立してらっしゃるの?って私、
逆に質問しちゃうんですけど、
自分がしたことを子供に求めないでよって言っちゃうんですけれども、
自立心っていうのは積み重ねていって、
そのうちできていくものだと思うんですよね。
確かに。このご質問をくださったのが、
ゆうこさんで聞いていてくださってますね。
ありがとうございます。
ちょこちょこ抱きしめますって。
本当にそうしていただいて、
多分変わってくるんじゃないかと思いますよね、
小学校1年生。
ゆうこママにギュッと抱きしめられたら、
小学校1年生の女の子がホッとすると思う。
私の居場所はここねって思うと思う。
ハグハグしてあげてください、ゆうこさん。
確かに抱きしめてるとき、とっても嬉しそうなんです。
そうでしょ。
多分それでうまくいくようになりますね。
ハグしますって言ってくださってます。
ありがとうございます。
またその後のこと聞かせてください。
その後どうなったかね、本当に。
また教えていただけたら、私、みやこさんに伝えます。
ありがとうございます。
そしてもう一つがですね、
小学校2年生のお嬢さんの不登校に関するご質問ですね。
今は平均週1回は休み、行けた日はまず保健室、
その後タイミングを見て教室に行っています。
小学校1年生のときも1学期1回息しぶりがありました。
幼稚園からのお友達が誰もいない、
座っていないといけないなどの環境の変化による抵抗だったと思います。
2学期からはお友達もできたからか、
息しぶりはほとんどありませんでした。
小学校2年生になり、また息しぶりからの不登校が始まりました。
48:02
クラス外によって仲良しグループ4人から1人だけ違うクラスになったこと、
ずっとふざけている生徒さんがいて集中できない、授業がつまらないなどの理由が考えられます。
仲間を無理やり連れて行ったこともあり、
そんなときは腕を引っ掻いたり逃げようとしたりすることもありました。
ちなみに習い事もクモンとピアノ、ソルフエイジをしていましたが、
拒否するようになったので全てやめました。
私としては小学校という多様性のある集団の中でも生まれることもある程度必要と考えていますが、
かといって娘が本当にしんどい、つらいことを強要したくはありません。
でもね、学校の下校のときはいつも笑顔で楽しかったって言ってるんで、
学校では楽しく過ごしているんだろうなとは思ってますけど、
どんなふうに寄り添ってあげられるか、
宮子先生のお考えを伺えたらということですが、いかがでしょうか。
でもね、その下校のときに笑顔で楽しかったっていうのでちょっと救われますよね。
たぶんね、このお嬢さんですかね。女の子さんですね。
たぶんね、とってもデリケートでね、感性が豊かなお嬢さんなんだと思う。
だから、全部クラスの中にはいろんな子がいて、
暗暴なことを言ったり、そういう子もいる中で、
いろんなことを感じちゃってるお子さんなんだと思うんですよね、たぶん。
だから、ちょっとそういうときに入っていきたくないっていうふうになってしまって、
学校行きたくなくなるんだけれども、
たぶんすごく時間がかかるんだと思うけれども、
一日経って、だんだん入っていけると、
下校するときには楽しかったっていうふうになるんだと思うので、
ただ、実際の教室の中の出来事っていうのは、実際わからないので、
やはりお母さんと言うのは、他人の先生とね、やっぱりちゃんと連携とって、
様子を聞いて、お母さんがどうしたの、どうしたの、
今日楽しかったのって、政治的に聞いたりしないで、
他人の先生とちゃんと連携とられた方がいいんじゃないかなって思います。
他人の先生にお母様の心配していらっしゃる気持ちを伝え、
様子どうでした、みたいな、学校での様子も教えていただくみたいな、
そんな感じでいいですか。
そうですね。たぶんお母さんが見えてないところもきっとあるんだと思うんですよ、
デリケートな部分で。
だから、そういうところはやっぱり、他人の先生にしっかり伝えて、
他人の先生からの様子も聞いて、それで安心できることだったらそれでいいと思うし、
ただ、やっぱりそこでフォローすることがあれば、
ちょっとしてあげないとかわいそうかなとは思うのも、
一番嫌なのは、たぶんお母さんにとっては、
お母さんが今日はどうだったの、明日はいくのっていうことじゃないかなって、
私は思うんですけど、
でもこの最後に楽しく帰ってくるってところで、
51:03
うまく持っていけば、投稿されるようになる。
そんな予感がしますよね。
そうそう。
ただ本当に、きっと感性豊かなお子さんなんだと思いますよね。
そうですよね。
なるほど。学校の先生を巻き込んで、親とちゃんと連携して、
子どもを見守るっていう、そういう体制を作ったらどうでしょうかっていう、
そんな感じでしょうかね。
そうですね。ちょっとそんな答えぐらいしかできないですけど。
ありがとうございます。
あとですね、私にとっては意外な質問だったんですけど、
ママ友ができない問題っていうのがあるらしいですよ。
一人は、小学校1年生のお嬢様がいる方ですね。
ごめんなさい。3歳児の育児中のお母様です。間違えました。
私は当事者として、ママ友の作り方を知りたいです。
コロナ禍での妊娠、出産、子育て、他のママさんとの距離感がつかめません。
感染防止、ソーシャルディスタンスでママ友を作りそびれましたっていう方。
それともう一人はベビシッターをしていらっしゃる方が、
お母様方からママ友ができない、仲良くなれる機会がないってよく言われるんで、
どういうふうに宮子先生なら声をかけてあげますかっていう、
そんなご質問が来てますけれど、いかがでしょうか。
私みたいにね、子育てが終わってしまって振り返ってみるとね、
別にママ友いなくていいんじゃないって思ってしまうんですけれども、
でも現実に、今子育てしてすぐそばに子供がいて、ちょっと閉鎖されたその中にいると、
やっぱり来年の子育てのお母さんと話がしたいっていうのも、よくわかります。
ただ、今時代の変化で、お母さんたち働く人もすごく増えたし、
その方の置かれている環境にもよると思うんだけれども、
働くお母さんが住まっている保育園の中でママ友を作るっていうのは、
また難しい部分もあるのかなとは思うんですけれども、
いろいろな地域でね、子育て支援ってやってるじゃないですか。
だからそういうところを利用すると、結構同い年の方たちと出会えたりするんですよね。
例えば、私のうちの双子だったじゃないですか。
双子っていうのは、双子連れて外に出ることが本当にできなくて、
それこそそのママ友ってできることがなかったんですけれども、
やっぱり双子の会っていうのがあって、
そこで入ったらママ友がいっぱいできたんですね。
だからそういうのって今地域でいろいろあるから、
なかなか保育園、幼稚園の中でできない状況であれば、
そういうことを利用して、同い年のお母さん同士で、
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ちょっと心を許し合える人っていうのは、もしかすれば必要なのかもしれないですね。
なるほど。だから、なるべく境遇の似ている人が集まるようなコミュニティを、
自分の地域で探してみるっていうことですね、一つはね。
たくさんあると思います。
なるほど。ありがとうございます。
なんかね、ママ友だからできないのか、そうじゃない友達はできるのかって、
私考えちゃったんですけど、
でもそうか、まだソーシャルディスタンスとか気にされる方はいらっしゃるんですね。
やっぱりコロナ禍から、子供同士がお友達の家には、
なんとかちゃん遊ぼうって言って遊びに行くとか、そういうの一切ないですからね。
今そう、そうか、コロナの時は確かそうですよね。今もそうですか。
今もそうです。もうそれがずっと続いてて、そして保護社会、
例えば保護社会なんかも、コロナの間って全然なかったじゃないですか、集まると。
だからほとんど幼稚園から始まってから、
幼稚園の中のお母さん同士の顔、全然知らないっていう方いっぱいいましたね。
なるほど。そっか。確かにそうですね、時代は変わりましたよね。
そうです。だからそれで楽だって言ってる方もいらっしゃるし、
やっぱり寂しいっていう方もいらっしゃって、
もしかしたら幼稚園のそばで会っても、クラスのお母さんかわからないっていう状況ですよね。
なるほど。いや、わかりました。私も勉強になりました。
ママとはできないっていうのは、そういう背景があるからなんですね。
それは大きいと思います。
なるほど。ありがとうございます。
はい、ということで、一通りご質問までなんとかこぎつけたんですけれども、
私、すごい聞きたいのは、みやこさんが一番、要はママたち、パパたちに対して、
一番伝えたいことって何ですか。
さっきね、豊かな心が育ってないっていうふうにおっしゃって、
それはやはり小学校に上がる前の教育というか、家庭の環境というか、
そういうところが大事だよってお話があったと思うんですけど、
じゃあ、パパたち、ママたちに一番伝えたいことって1個、
もしおっしゃっていただくとしたら何ですか。
よくね、子どものしつけ。
しつけはどうしたらいいですかってご質問いただくことがあるんですけれども、
そういう本はいっぱい出ていますけれども、
私はね、やっぱりしつけイコール、親の生き方だっていうふうに言うんですね。
子どもって言って聞かせるんではなくて、見て感じて育てるものだから、
身体の生き方って、どういうのがいいかっていうのはわからないけれども、
そしてイライラすることもいっぱいあるかもしれないけれども、
どんなことがあっても子どもを見捨てないでねっていうことは本当に言ってます。
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いただきました。子どもというのは見て感じて育てるもの、育つものですかね、子どもはね。
そうです、そうです。
そこですよね。
しつけというのは、親の生き様を見せることってことですかね。
そうですね、だからそれをかっこよく見せるんじゃなくて失敗も、怒るママでも全然構わないと思うんですよね。
ただ、どんな状況で、大変な状況でも見捨てないで命守ってね、これが原点ですね。
どんな状況であっても子どもを見捨てないで、まあそうですよね。
そういう怒ってしまったとか喧嘩しちゃったとか、うまくいかないなんていう時も、
それも自分の生き様の一部分だっていうことでいいわけですよね。
私は思っています。
なんかそう言われるとちょっと肩の荷が下りるなっていう気もしますよね。
だって、そんな怒らないママでいるなんて不可能じゃないですか。
はい、完璧な人いませんよね。
よくママたちはね、私ね、急に怒るとヤクザになっちゃうんですっていうお母さんもいらっしゃるけれども、
でもしょうがないと思う。
そうですよね。
ちょっと許してあげたいなと。
そうですよね。
なんかこうじゃなきゃいけないっていうふうに、
必要以上に大きなプレッシャーを抱えて皆さん子育てしてるのかなっていうことをちょっと感じますね。
今日のご質問なんか見ていても。
やっぱり今のお母さんたち、本読んだり情報がすごく取ってくるから、
なんかこうしなくちゃいけないっていうのが頭に入りすぎていくんだけど。
そういうの本当にいらないと思ってるんでね。
人まで価値になっちゃう。
絶対にこうしなければならないっていうのが出てますから、
3歳だったらこれができて当然みたいな。
そんなの関係ないと思う。
そうですよね。
いやーありがとうございます。
いやいやいや、めちゃめちゃ大事なことだと思いますよ。
本当にありがとうございます。
はい、なんて言ってるとあっという間に1時間がそろそろ経とうとしております。
素晴らしい1時間がぴったり。
いやいやいや、でも全然話し足りないですね。
もっと聞きたいこといっぱいあるんで、また2回目やりましょうかみたいな。
今日はね、宮子さんのヒストリーから、
ちょっと現代に至るまでいろいろとご質問を絡めてお話を伺いました。
いろいろありましたけれども、
自分が後ろに引くのは嫌だ。
嫉妬のせいでね、自分が後ろに引くのは嫌だ。
そういう宮子さんの強さ。
それからくすぶった先生にはなりたくないの。
だからエメラルドグリーンの服を着て、最初の授業、大学で出かけてった。
超かっこいいですよね。
そして仕事をしている時にですよ、大学出ている部下がね、
それであなた本当に大学出たの?
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人間としてのそのベースになる部分というのが、なかなか全然なってないよと。
それは豊かな心が育ってないということで、
そこの豊かな心を育てるためにはやはり小学校に上がる前の教育なり家庭環境なりが大事だよ
ということを教えていただきました。
まとめてくださってありがとうございました。
そして宮子さんが一番伝えたいことを一言でおっしゃっていただくと、
しつけというのは親の生きざまですよと。
子どもは見たり感じて育つものなんだ。
だからどんな時も見捨てないでね。
というめっちゃ温かいメッセージをいただきました。
皆さんそんな感じでいいでしょうかね。
ありがとうございます。
ハグにキュンっていう太鼓さんありがとうございます。
豊かな心が育ってない。よかったですね。
もう素晴らしいって皆さんから拍手もいただいております。
自分勝手なこと喋ってばっかりいました。ありがとうございます。
ちょっとこれでは足りない気もするのでまた機会があればお話伺いたいと思います。
現在ですね56名の方にお聞きいただいております。本当にありがとうございます。
素敵なお話を今日もありがとうございました。
つむぎのみほさん。
つむぎのみほさんってつむぎのみほさんですね。
私お名前だけは存じ上げてます。
つむぎ食堂の方ですよね。
ありがとうございます。
皆さん本当にお忙しい中聞いてくださってありがとうございます。
本日のゲストは教育コンサルタントの河村みやこさんでした。
みやこさん本当にありがとうございました。
河村さん本当に素敵に聞き出してくださってありがとうございます。
こちらこそです。この前の食事代今度払います。
いつでも。またお会いしましょう。
ぜひぜひ。そんなわけで皆様お忙しい中お聞きいただきましてありがとうございました。
本当にいいお話聞けたなというふうに思います。
また続きはいつかまた企画したいと思っております。
皆さん本当にありがとうございました。
ありがとうございました。
みやこさんもありがとうございました。
ありがとうございました。
それでは皆さんおやすみなさい。
おやすみなさい。