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こんばんは、たまこです。先日、ぶっちゃけ話をしようっていうタイトルで収録をしました。この続きというか、ちょっと気がついたことがあります。それは、人はね、ぶっちゃけられなくなってしまうことがありますよね。
ぶっちゃけられないっていうのは、なんとなく自分と他人の間に見えないベールを作ってしまう、見えない壁を作ってしまう、そういう感じなんだと思うんです。
どうしてそんなふうに思ったか。それは、少し前に40年ぶりに高校のクラス会に行ったっていう話をしましたよね。私がなぜ40年もの間、みんなと温身普通にしてしまったかっていうこと、それはやっぱりこのことだと思ったんです。
ぶっちゃけられなかった。毒親育ちでしょ。だからみんなが楽しそうにクリスマス会したり、なんか買い物行ったり、いろいろやってるのが、私はすごく羨ましかったんですね、その当時。
同じようにしたかったし、同じじゃなくても、何かこう自分が本当にしたいと思っていることをしたいっていう意欲はめっちゃありましたよ。だけど厳しすぎて、何をしたいって言っても親がダメって、すべて禁止するのでできなかったんですよね。
反抗してすることはもちろんできたけど、そうすると後からめんどくさいことになるわけですよ。この話しましたっけ、どっかで。例えば、それちゃんの家でクリスマス会するから泊まりに行くって言うじゃない。そうすると、そんなのは認めないと。お前たちが寄り集まって、ろくなことするはずがないって言われたわけですよ。
何言ってんの、私は行きたいんだから行くよって反発して出ることはきっとできたんですよ。だけどそれを私はしなかった。何でかっていうと、行った後にそのうちに親が電話して怒鳴り込んだりっていうことを絶対やるからです。
そうすると友達にも迷惑がかかるし、そういうことがあるとより一層自分のその心象も悪くなるんじゃないかっていう、そういう嫌いがあったんだと思うんですよ。だから結局いい子で行っちゃったっていう私の過去があります。
そうなってくるとだんだん自分の本音って友達に話せなかったんですよね。だからそこをもうちょっと一枚乗り越えて、もっと話せていたら何かが変わったのかもしれないと思うんです。だけど当時は苦しくて私はそうはできなかったんですよね。
そんな風にぶっちゃけられなくなっている人にいいんだよぶっちゃけてって、ここは何を言っても何が起きても安心安全な場だからって、何が起こっても私は守秘義務を守るよっていう、そんな場所を提供することが多分私がすべきことなんだろうなって。
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これ前も言ったかもしれないけど、私同じこと何回もやってますかね。もしそうだったらごめんなさいですけど、ちょっとそんな風に思ったので収録をしてみました。ぶっちゃけられなくなることってあるよねっていう気づきについて今日はお話をしました。それでは。