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こんばんは、たまこです。今日は40年ぶりに高校時代の友達に会ってきました。
クラス会ですね。高1・高2の時一緒だったみんなの集まり、9人集まったんですけれど、私はこれまで何度となくこういう集まりの機会があったにもかかわらず、一度も行っていなかったんです。
だから誰ともコンタクトしてなくて本当にほぼほぼ40年ぶりぐらいの状況だったんです。でもみんなこう話していくうちにだんだん、ああそういえばこんな人だったなっていうのがこう見えてくるような
あの最初はね本当に男の人は特に誰だかわかんないんですよ。でもねずっとその顔を見ていると、ああ何とか君だっていうのが思い出されるってすごく不思議でしたけどね。
私は前日までここに行くかどうかっていうのを結構悩んでいたんですね。やっと行こうかなーって言えたんだけど、私、旧姓が嫌いなんですよね。それは多分毒親だったからっていうこともあるんだと思うんですけど、だから旧姓を名乗りたくなくて
いやー今行ってもね40年ご無沙汰してるから、私のことはもうみんなお前誰っていう感じですよねみたいな書き方をしたんだけど、でもみんなは普通に受け入れてくれて本当にあのいろんな話に花が咲いてね、とても楽しかったなぁという一日でした。
でその後また雀の閉じまりを、今度はね極音っていうちょっと遠いところまで足を伸ばしてですね、環境にこだわった映画館で見て帰ってきました。あれねやっぱり2回見てもちょっと感動のする場所が変わるんですけど、あのやっぱり良かったなって思いました。
それはね、毒親育ちなんだけど、でも既に私はもうやっぱりね雀の最後のセリフと一緒で、もらうものはもらってたんだなっていうことですよね。あの映画ではちょっとネタバレするかもしれませんけど、311でお母さんを亡くしてお母さんどこって探し回っている小さい頃の雀っていうのが出てくるわけですよね。
でもお母さんが一生懸命作って手作りしてプレゼントしてくれた椅子をその子供の雀に渡すことで、あ、私はちゃんとお母さんに愛されてたんだっていうことがわかって、常世だっけ、に帰っていくっていうのが描かれていたんですね。
で私は別に何かそういうものを母からもらったっていうことは愛じゃないでしょうね。今は持ってない。でもそうじゃなくて、彼女は彼女なりに自分の問題を抱えつつも頑張って私を産み、そして育ててくれた。それだけで十分なんじゃないのっていうことをちょっと気づかされましたね。
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そうするともう素敵な人たちに恵まれて幸せになれるよみたいな、そんなセリフが最後お勧めからありましたけれど、ああやっぱりそうなんだなっていうふうに思いました。その証拠に今日も40年ぶりに会った高校時代の友人たちは温かく迎えてくれたしなっていう、本当だなっていうエビデンスになったような感覚がありました。
私はいけなかったんですよね、これまで。それはどこや問題を解決してない自分がいたからだと思います。でももうそれが吹っ切れたから今日やっといけたのかなっていうふうに思いました。なんだかうまく言えませんけれども、今日も何か新しい気づき、そして新しい一歩を踏み出せたなというような一日になったかなと感じています。ということでいつもありがとうございます。玉子でした。