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スピーカー 1
あの、今回のこの深掘りに向けて、本当に多種多様な資料をテーブルに広げていますよね?
スピーカー 2
はい、どっさりあります。
スピーカー 1
川崎市や横浜市の自治体資料から始まって、世田谷のプレイパークの歴史、千葉や仙台の現場の活動レポート、さらにはイギリス発祥のプレイワークの定義からドキュメンタリー映画の記録まで。
スピーカー 2
本当に幅広いソースですよね。
スピーカー 1
これらを読み解いていくとですね、これが単なるドロンコ遊びを推奨しよう、みたいなぼっかじきな話じゃないことがはっきりと見えてくるんです。
スピーカー 2
いや、そうなんですよ。私が一番驚いたのは、今のこの過剰なまでに安全志向な社会のど真ん中で、大人が意図的に危険や自由をデザインして、必死に守り抜こうとしているっていう事実でした。
スピーカー 1
そこが今回のミッションの核になりますね。
スピーカー 2
さっき紹介したケガと弁当を自分持ちというルール、あれは川崎市の遊びの力や保育情報サイトの資料にあったものなんですが、最初は正直カルチャーショックでしたよ。
スピーカー 1
まあ、無理もないです。
スピーカー 2
だって今も公園って、少しでも危ない遊具はすぐに撤去されるのが当たり前じゃないですか。
スピーカー 1
ええ。現代の都市計画においてはですね、もう安全第一が絶対的な正義になりつつありますからね。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
しかし国土交通省の指針にも明記されているほど、遊びの環境づくりにおいて決定的に重要な概念があるんです。
スピーカー 2
決定的に重要な概念。
スピーカー 1
それがリスクとハザードの明確な線引きです。ここを混同している大人が非常に多いんですよ。
スピーカー 2
リスクとハザード。普段のニュースなんかだとどちらも単なる危険とか避けるべきものとして同じように使われがちですよね。どう違うんでしょうか。
スピーカー 1
これらは根本的に性質が異なるんです。まずリスクというのは子供自身が予測し、判断し、挑戦することの危険のことです。
スピーカー 2
予測して挑戦できる危険ですか。
スピーカー 1
はい。例えば高い木に登るとか、マッチで火を起こす、ノコギリを使うといった行為ですね。
あーなるほど。
これらは遊びのスパイスであり、スリルや達成感を生み出す成長に不可欠な要素なんです。
スピーカー 2
じゃあハザードは?
スピーカー 1
一方でハザードとは遊びの価値とは全く無関係で、子供には予測不可能な隠れた危険を示します。
スピーカー 2
えー。
スピーカー 1
例えば一見普通に見えるけど、中が腐っていて折れそうな木の枝とか、錆びて根元が折れかかっているジャングルジムなどですね。
スピーカー 2
なるほど。ちょっと料理のアナロジーで考えてみたいんですか。
はい。何でしょう。
スピーカー 2
よく切れる包丁は、正しい使い方を学んで美味しい料理を作るためのリスクだから残しておくべきだけど、ぐらぐらする不安定なまな板は、料理の腕前とは無関係に怪我をするだけのハザードだから。
スピーカー 1
大人がすぐさま直すべきだということですね。
そうです。そういう解釈であってますか。
スピーカー 1
その包丁の例えで言うなら、今の社会は包丁そのものを子供から取り上げている状態なんですよ。
スピーカー 2
うわー。包丁ごと募集ですか。
スピーカー 1
そして全て大人が安全なフードプロセッサーでペースト状にしたものを与えているんです。
スピーカー 2
あー。それは確かに。
もちろんハザード、つまり不安定なまな板を取り除くのは大人の責任ですが、リスクである包丁まで一緒に排除してしまうとどうなるか。
スピーカー 2
うわー。包丁の使い方も、自分の指を切らない力加減も一生学べないまま大人になってしまうってことですね。
その通りです。ソース資料にある川崎市子ども夢パーク、通称夢パで長年所長を務めた西野氏の言葉がまさにその本質をついています。
スピーカー 2
何でしょうか。
スピーカー 1
彼は現代の完璧を求める子育てが、逆に子供を苦しめていると指摘しているんです。
過剰なまでに怪我をさせない失敗させない環境で育つと、危険を自分で察知するセンサーが育ちません。
スピーカー 2
センサーが育たない。
スピーカー 1
ええ。小さなリスクへの対処法を知らないまま、いきなり社会という荒波に放り出されて、そこで初めて大きな失敗をした時、心の骨折から立ち直る免疫がないんですよ。
スピーカー 2
うわー、それは痛いほどわかりますね。失敗の免疫がないまま社会に出る怖さというか。
スピーカー 1
ええ。
スピーカー 2
泣いているのを見るのは、やっぱり耐えられないんじゃないですか。ほら危ないって、つい先回りして止めてしまいたくなる心理も理解できるんですけど。
スピーカー 1
だからこそ場所が必要なんです。
スピーカー 2
場所ですか。
スピーカー 1
大人の日常空間ではどうしても先回りしてしまうからこそ、ここでは失敗してもいい、ここでは小さな怪我をしてもいいという合意が形成された特別なフィールド、つまりプレーパークという環境を意図的にデザインしなければならないんです。
スピーカー 2
なるほど。そこで場所の確保という話につながってくるわけですね。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
でも私たちが子供の頃、もっと言えば親の世代の頃ってそこら辺の空き地とか裏山で勝手にそういう遊びをしてましたよね。なぜわざわざ制度や施設として大人が必死に作らなければならなくなったんでしょうか。
それをひも解くには社会の急激な変化という因果関係を見る必要がありますね。
スピーカー 2
変化ですか。
スピーカー 1
ええ。日本で最初の常設型プレーパークである世田谷の羽木プレーパークが誕生したのは1979年ですが、本当の意味でこうした居場所の確保が急務となったのは2000年代に入ってからです。
スピーカー 2
2000年代。
はい。2003年に川崎市で作られた夢パの設立背景には、当時の社会のパニック状態が色濃く反映されているんです。
スピーカー 2
2000年代前半というと、社会全体が若者に対してどこかピリピリと警戒していたような記憶があります。
スピーカー 1
ええ。資料にも客観的な背景として挙げられていますが、2000年には17歳の少年たちによる痛ましい事件が立て続けに起きました。
スピーカー 2
はい。ありましたね。
スピーカー 1
佐賀県のバスジャック事件や豊川市の事件などです。これを受けて世間の大人たちは、今の中高生は何を考えているかわからない、もっと徹底的に管理監視しなければ、という方向へ急速に傾いたんです。
スピーカー 2
なるほど。結果として、学校も地域もゼロトレランス、つまり少しの逸脱も許さない不寛容な空間になっていきました。
リスクどころか、ちょっとでもはみ出すものは全てハザードとして排除しようとする、あの社会の空気ですね。
スピーカー 1
ええ。そのプレッシャーのしわ寄せは、ダイレクトにこどまたきに向かいました。
当時、川崎市内だけで、不登校の小中学生が約1300人もいたという事実が資料に記録されています。
スピーカー 2
1300人ですか。それはすごい数ですね。
スピーカー 1
そうなんですよ。これは単に、学校に行きたくない子どもがいたというレベルではなくて、社会が用意した標準的なカリキュラムが、それだけ多くの子どもたちを構造的にはじき出してしまっていたということなんです。
スピーカー 2
ああ、構造的な問題だと。
だから川崎市は、彼らが息を吸って吐ける、学校でも家庭でもない、第三の居場所が必要だと動いたわけです。
スピーカー 2
学校が息苦しい、でも平日の昼間に家にいると親の目が気になって家にも居づらい、まさに避難所ですね。
ええ、その通りです。
スピーカー 2
資料にあった埼玉県の取り組みも同じ文脈ですよね。埼玉県が推進している子ども食堂とか無料塾って、一般的には貧困家庭へのケアだと思われがちですけど。
スピーカー 1
ええ。
スピーカー 2
実は8割以上が誰でも利用できるコミュニティ型として運営されている。これも地域の中に無条件でいられる場所が必要だという裏付けですよね。
スピーカー 1
そうなんです。川崎市の夢パの中にあるフリースペース園という場所がその最たるでですね。
スピーカー 2
はい、ありましたね。
スピーカー 1
ここは不登校の子どもたちが通う場所なんですが、驚くべきことにここにはカリキュラムが一切ないんです。
スピーカー 2
そう、そのフリースペース園について資料を読んでいて、どうしても引っかかったところがあるんですよ。
何でしょうか。
スピーカー 2
何もしない自由が保障されていると。つまり一日中ゴロゴロしていてもいいと書かれていました。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
でもちょっと待ってください。カリキュラムがないなら子どもはずっとスマートフォンやゲーム機をいじって一日が終わってしまうんじゃないですか。
まあそうなりますよね。
スピーカー 2
一人でゲームをするだけならわざわざこの場所に来る意味はないし、家でやっているのと何も変わらないのではって感じてしまったんですが。
スピーカー 1
非常に鋭い疑問です。大人はすぐにせっかく外に出たんだから何か意味のある生産的な活動をしてほしいと期待してしまいますからね。
スピーカー 2
はい。やっぱりそう思っちゃいます。
スピーカー 1
しかし西野氏の分析によれば、家で一人でゲームをしている状態とこのフリースペースで一日中ゲームをしている状態は根本的に異なるんです。
スピーカー 2
どう違うんですか。
スピーカー 1
他者の気配の中で自分の存在が許容されているという点です。
スピーカー 2
他者の気配の中で。
スピーカー 1
はい。学校という同調圧力の強い環境で深く傷ついた子どもたちは、大人からのこれをしなさいとかもっと良くなりなさいという評価の目に対して極度に過敏になっています。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
大人のあなたを良くしてあげたいという善意の介入が、かえって彼らの気力を奪う肺になっているんですよ。
大人の良くしようという善意が逆にやる気を奪う、これは耳が痛いですね。
スピーカー 1
ええ。だからまずは何も強制されない、ただそこにいてもいい空間が必要なんです。
周囲で他の子どもたちが遊んでいる声やスタッフの足音が聞こえる中で、あえてゲームの世界に没入する。
それは彼らなりの、かろうじて社会とつながるための自己防衛であり、コミュニケーションの第一歩なんです。
スピーカー 2
なるほど。何かを成し遂げたから褒めるのではなく、今日ここに来て、ただ息をして生きているだけで素晴らしいという自己肯定感の土台を築くこと。
それがカリキュラムを持たないという極めて高度な意図なんですよ。
なるほど。孤立ではなく共有された孤独というか、存在の無条件肯定なんですね。
スピーカー 2
はい。でも大人の過剰な介入はダメだとして、じゃあ子どもを完全に放置すればいいのかというと、プレイパークは単なる無法地帯とも違いますよね。
スピーカー 1
もちろんです。
スピーカー 2
ここで鍵になってくるのが、プレイワーカーという新しい大人の関わり方ですね。
スピーカー 1
はい。放置と見守りは全く別物なんです。資料には1980年代にイギリスで生まれたプレイワークという哲学が紹介されています。
はい、ありました。
スピーカー 1
都市化によって遊び場を奪われた子どもたちのために生まれた専門分野で、ここでは遊ぶという行為を単なる暇つぶしの娯楽ではなく、人間が環境と相互作用しながら成長していくための本能的な命の仕組みとして捉えているんです。
スピーカー 2
命の仕組み、すごく壮大なスケールですね。
スピーカー 1
日本プレイワーク協会や千葉県冒険遊びはネットワークの資料を見ると、このプレイワーカーの育成が非常に体系化されていることがわかります。
ベーシックコースなどの研修を通じて、大人が遊びの現場でどう空間をデザインし、どう立ち振る舞うべきか徹底的に実践研究されているんですよ。
スピーカー 2
これアナロジーとして合っているかわかりませんが、プレイワーカーって落語通りに一所乱れぬ完璧な演奏を強要するクラシックの厳格な指揮者ではないですよね。
ええ、違いますね。
スピーカー 2
どちらかというと、ジャズバンドのセッションファシリテーターみたいな存在に思います。
スピーカー 1
ああ、なるほど。
スピーカー 2
ベースとなるリズムや安全な空間の土台はしっかり作るけれど、そこで誰がどんな即興演奏、つまり遊びを始めるかは子どもたちに完全に委ねているみたいな。
スピーカー 1
まさにそのジャズのセッションの感覚です。
そしてそのセッションを成立させるために一文重要なのは、誰かが少し外れた音を出した時に演奏そのものを止めるのではなく、うまく別の音を重ねて曲として成立させる技術ですよね。
スピーカー 2
はい、今日の醍醐味ですね。
スピーカー 1
プレイワーカーも同じなんです。
子どもが危険な領域、つまりハザードに足を踏み入れそうになった時、ダメ危ないからやめなさいと演奏を強制終了させるのではないんです。
ほう、じゃあどうするんですか。
スピーカー 1
遊びのトーンを保ったまま自然と軌道修正させるんです。
スピーカー 2
おお、その軌道修正の具体例ってありますか。
スピーカー 1
千葉県の柏の葉プレイパークの事例がわかりやすいですよ。この団体はもともと地域のお母さんたちが運営スタッフとして立ち上げたものでした。
スピーカー 2
はい。
しかし、自分たちの子どもを見ながら他の子どもも見るという状況で、どうしても危ないよという禁止の言葉が多くなってしまっていたんです。
スピーカー 1
そこに専門のプレイワーカーが入りました。
スピーカー 2
プロのファシリテーターが加わったわけですね。どう変わりましたか。
スピーカー 1
プレイワーカーは子どもがハザードに近づいた時、頭ごなしに叱るのではなく、
お、そこから飛ぶの?じゃあこっちの木からの方がもっと面白い着地ができるかもよ、といった具合に声をかけたんです。
へえ。
スピーカー 1
遊びのモチベーションをそかざずに、よりリスクは保ちつつハザードからは遠ざかるような声かけですね。
その見事な対応を見た公園の管理者や地域住民が感心して、結果的に団体としての社会的な信頼度が劇的に上がったと報告されています。
面白い。リスクを奪うのではなく、リスクの質を変えるんですね。
スピーカー 1
そうなんです。
スピーカー 2
いや、聞けば聞くほどこのプレイパークやプレイワーカーの存在意義がクリアになってきます。
でも、ここでどうしても冷や水を浴びせるような現実的な疑問が湧いてくるんです。
スピーカー 1
何でしょう。
スピーカー 2
そんなに子供にとって不可欠で素晴らしい場所なら、なぜ近所の公園は全部プレイパークになっていないんですか。
うちの近所の公園は相変わらず禁止看板だらけですよ。
スピーカー 1
そこが、理念と現実が激突する一番の壁ですね。
横浜市の資料、プレイパークを作るには大紐解くと、そのハードルの異常な高さが見えてきます。
スピーカー 2
ハードルが高いんですか。
スピーカー 1
ええ。横浜市では立ち上げのために、体験する、相談する、1日限定で開催する、定期開催する、という4つのステップを設けています。
スピーカー 2
段階を踏んでいくわけですね。一見、行政のサポートがあってスムーズそうですが。
スピーカー 1
ところは、これを実現するには、誰が責任を負うのか、という賠償責任保険への加入、費を使った後の現状回復、クレーム対応、そして何より無償で手伝ってくれる地域ボランティアの確保など、果てしない実務と労力が伴うんです。
スピーカー 2
うわー、それは大変だ。
スピーカー 1
その結果が千葉県の第8回冒険遊び場づくり活動団体活動実態調査のデータに如実に現れています。
スピーカー 2
えっと、ちょっと資料を見ますね。うわー、これ、全国のプレーパークのうち、全体の84.4%が非常設、つまり月に数回とか年数回のイベント的な開催にとどまっているってことですか。
スピーカー 1
そういうことになりますね。
スピーカー 2
羽木公園や夢パのように、いつでも行ける常設の場所はわずか15.6%しかない。たったの15%ですか。
スピーカー 1
ええ、残念ながら。
スピーカー 2
どうしてここまで維持するのが難しいんですか。
スピーカー 1
大きな理由は2つですね。1つは場所の確保と行政との折衝です。84%の団体が都市公園などの公共の場所を使用していますが、
誰もが使う公共な場を泥だらけになったり火を使ったりする特定の目的で継続的に占有するには、行政との膨大な合意形成が必要なんです。
スピーカー 2
確かに反対する住民もいそうですよね。
スピーカー 1
そしてもう1つ、こちらの方が深刻なんですが、運営する大人のリソース不足と燃え尽き症候群、つまりバーアウトです。
つまり、熱意ある一部の大人の自己犠牲に頼り切っていて、息切れしてしまうと。
スピーカー 1
ええ、思いだけでは持続できないんです。ここで、この絶望的な状況を打破した非常に興味深い事例があります。
スピーカー 2
おお、何でしょうか。
スピーカー 1
仙台市の西公園プレーパークの会の話です。
ここは1987年から活動する歴史ある団体なんですが、コロナ禍に経てボランティアが激減し、日々の現場を回すだけで手一杯になり、組織として完全に機能不全に陥りかけていました。
スピーカー 2
理念はあっても現場の体力が限界を迎えていたんですね。どうやって乗り越えたんですか?
スピーカー 1
彼らは、仙台みやぎソーシャルハブというプラットフォームを通じて、プロボノを受け入れたんです。
持っている知識やスキルを無償提供して社会貢献する仕組みのことですね。この時応募してきたのは、非営利活動の経験は愚か、ドロンコ遊びとも無縁そうなバリバリのIT企業に勤務する男性ビジネスマンでした。
スピーカー 2
KPIとかスケジュール管理とかロジカルシンキングの喧嘩みたいなIT企業のビジネスマンと、カリキュラムを否定する泥だらけのプレーパーク、一見水と油というか一番相性が悪そうですが。
スピーカー 1
ところが、そのギャップこそがカギだったんです。彼は現場に口を出すのではなく、わずか2ヶ月間で関わる多くのボランティアやスタッフに徹底的なヒアリングを行いました。
そして、内部の人間にとっては当たり前になりすぎて言語化できていなかった団体の社会的価値や、スタッフたちが抱えている潜在的な不満、業務のボトルネックを客観的なレポートとして見事に見える化したんです。
スピーカー 2
なるほど。遊びの現場はカオスでいいけれど、それを社会の中で存続させるための運営組織にはビジネスの構造という強固なシェル、殻が必要だったんですね。
スピーカー 1
まさにその通りです。
スピーカー 2
外部の視点が入ったことで、自分たちがやっていることの価値を再認識できたと。
スピーカー 1
プレイワーカーという遊びの専門家だけでなく、組織を仕組み化するビジネスの専門家、そして地域住民、多様な大人がそれぞれの得意分野を持ち寄ることで初めて、この自由な遊び場という極めて繊細なエコシステムは現実社会の中で持続可能になるんです。