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  2. #29(s4-7)そんなことある!?..
2021-10-26 23:22

#29(s4-7)そんなことある!?日本の給食でお米提供禁止だった!!(たべものラジオ)

ここにきて急展開。 お米を数千年愛してきた日本で、まさかのお米提供禁止! いったい何が起こった!?

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00:02
前回からの続きです。今回は 楊 一気に時代は飛びます。飛びます。現在の日本の状況、米の消費量を見てみると、実際に日本人の米離れというのが言われてますよね。それがどのぐらいのもんじゃいと。
どのぐらい 楊 そういうことです。例えば江戸時代ってめちゃくちゃ米食べてたわけですよ。1年間に1人あたりが消費する量が150キロから200キロぐらいあったらしい。
あるね。 楊 現在は2016年の統計で54.4キロ。半分以下かな。150キロだとしても3分の1近いですよね。アイダーマンクッションを入れると1962年戦後ですね。ここで118キロ。これはお茶碗に直すと1日5杯食べてた計算。これが現代人だと2杯から2杯半程度。
だいぶ減ってるんですよ。あなたは絶対に生きていけません。大盛り3杯4杯平気で食べますからね。
めちゃくちゃ今お米の消費量が減ってきてますよと。この原因なんだろうっていうのを調べていって今回の回で終わる予定だったんですけど意外に掘っていったら面白いところがあったのでちょっと紹介しようかなと。
まだ増えますか。 増えちゃいました。2話から3話くらい増えました。なるべく端緒っておもろいところだけ話しますね。減少の理由に関してははっきり言って今日僕がお話しする内容が全ての原因だとは思わないですしかなり時代が近代から現代にかけての話なので確定することは相当難しいんだと思うんですよね。
今わかってこうだろうなと思ったまず一つが労働環境の変化。肉体労働しなくなりましたよね。 江戸に比べればね。
そうなんですよそうなんですよ。農業も機械化されてるので人力じゃないですからあの頃のように言ったって僕ら生まれてないの知りませんけど繁忙期の農民は1日に一生のエネルギーが必要だったっていう記録があるんですよ。
一生。 江戸時代とかね。 すごいカロリーだね。
そのぐらい食べてないと稲刈りとか田植えとかやってらんねっていう。 まああれをね人力でやるって考えたら相当するもんね。
全部人力だからね。 一回やったよ。 ああそうか。 高知で。
やった。 見るときに無農薬無価格肥料で米作った。
最近ほら田植え体験子どもたちの指導やったじゃない。 ああやったやった。相当えぐいでしょあれ。
あれね一部だけにしてるけど子供たちは歩くだけでもねかなり疲れるよね田んぼって。 足相当来そうだね。
多分いきなりやったら次の日絶対筋肉痛よ。 僕の場合はもうぎっくり腰やらかすと思う。
03:06
運動不足なんで。 本当にね多分やると思う。
労働環境がねだいぶ変化したしそのブルーカラーと呼ばれる仕事よりもホワイトカラージム系の仕事とかね。
パソコンに向かってる仕事がどんどん増えていっているのでまた当然お米だけじゃなくて食料の消費量自体も変わってますよね。
まずこれが一つかなあとはもう皆さんわかってると思いますけど食の欧米化ですね。
パン食文化が定着してきたりとか朝食なんかもうとにかく時間がないので。 時間がね。
現代人は時間がないので前回お話しした通りにパンだったら保存が効くんであっという間に朝食作れるわけですよ。
なのでここで時短調理に行ったりとかあとはね戦後の学校給食これ知らない人結構多いんですけど給食はご飯出しちゃダメだったんですよ。
ご飯出しちゃダメ? そう。 煮込んで? そう。
煮込んでたよ。 びっくりするでしょ。 そんなことある?
昭和第二次世界大平戦大平戦争ありますね終戦しますねここから1976年昭和51年に解禁されるまでのおよそ30年間は米の給食出しちゃダメ。
ダメなんだ。 びっくりでしょ。 ええどういうこと?
今日そこを掘ってたら面白かったからその話しようと思う。そうなんですよ。
結論から言っちゃうと給食の食がパンでずっと過ごしますよねしかも30年間この時代に子供だった人たちが僕らの親からおじいちゃんおばあちゃんぐらいの世代かと思うんですけど
この人たちが親になった頃パン食慣れちゃってますからスッとパンを買って出すようになったりとか
そのパン食で育った子供たち我々ですよねパン食べるの当たり前になっちゃってますから今日は米じゃなくてパン食べようかなとか
そっから来てんだ。 っていう部分も一面としてあるのではないかというふうに言われてます。
あるだろうね。 多分ねあるんだと思います。
でねあと最初その戦後すぐねなんでこんなにパン食進めてたのかこれね実は終戦直後のアメリカで小麦がめちゃくちゃ余ってたらしいんですよ
そうなんだ。 そうするとアメリカの市場世界市場の中で小麦の価格が下落するんですよね
新しい市場を見つけてそこに売り込むということをしたいわけじゃないですか
戦後すぐはアメリカ軍の統治下にありますから日本独立してませんから好き放題ですよね
そこで目をつけたのが日本の給食マーケットというふうに言われてます
そこから来るんだ。 ちょっとここ掘り下げて話しましょうか
06:00
1945年昭和20年8月15日終戦記念日ですねここで終戦となります
ここが実は近代最悪の食糧難なんですよ
食糧難もう食べるものない日本人全員飢餓状態に陥るんじゃないかっていう状態
そんなになんだ。 これはまず労働力が圧倒的に減少してますよね
なぜかというと戦争を行って若い労働力が激減してるからです
戦争してる最中は高畑の手入れをする人口も減ってますので高畑も荒れてます
よりによって1945年霊化です
大型の台風直撃食らってます
ヤバいよねでここへ来て大量の機関車が帰ってきます
機関車機関兵海外に戦争で出かけていった兵隊さんたちがドカッと日本に帰ってきます
食べる人増える生産状況悪いめちゃくちゃ食糧難なんですよ
さらに背景としてですね戦争中は輸出乳止まってますから
輸出乳も止まってそりゃそうかもちろん戦争してますからね輸出乳できないんで
海外から大豆とか入れてたわけですけどこれも止まってるわけですよ
もう戦時中から戦後にかけたとんでもない食糧難になってるんですね
で戦争終わりましたと
だからアメリカ軍からしてもいやいやこれはいささか統治する場所としてヤバいぞという考えになって
かつ子供たちですよね特に完全飢餓状態なんで
大人はなんとか頑張って働いてなんとかせいやだけど子供らかわいそすぎんじゃん
そうだね育ち盛りにご飯ないのはしんどいね
学校行かにゃあかんし
学校に弁当持たせるにももともと家庭が貧しいですから今
なので少し給食っぽいものを出してあげる
補食的給食っていうのでお米とかパンとかなしでスープとかそういうのちょっと出しましょうみたいなのがあるんですね
それを見てGHQからお金を出してくれてこれガリオワ資金って言って
占領地を救済するための資金を軍でもともと持ってるんですよ
占領地を統治するためのお金をねこれを使ったりとかあとユニセフ
あとララ物資って言ってこれアメリカの有志の人たちが団体を起こして
で日本を救済しようアジア救援公認団体っていうのを略してララっていうらしいんですけどね
ちなみにこのララ物資の団体を作ったのが浅野志之介っていうね
浅野志之介 全然覚えてないんですけど
森岡出身のアメリカで活動するジャーナリスト
戦時中もアメリカでジャーナリストとして活動してた方なんですね
09:00
この人が立ち上げて日本に物資を送ってくれると
すごい人いたんだね そうなんですよ
で戦後3年経って完全給食が始まります
なんとか子供たちだけでも食べさせられるようにってなるんだけど
まだこの時点では首都圏都会だけなんですね
都会だけなんだ そうなんですよ
ここでね背景少しだけお話をしておくと先ほどもちらりとお話をしましたけども
アメリカによる食糧支援の事情アメリカ側ですよ
戦時中最も余力があった国と言われてます
そうなんだ というのは第二次世界大戦の舞台となった場所は
日本は日本近辺ですよね
もう一方はヨーロッパが舞台なわけですよ
ヨーロッパ イギリスフランスドイツあのあたりがぐちゃぐちゃぐちゃっとなって
いるのであの辺でドンパチやってるんですね
ということはアメリカの土地の上ではドンパチやってないんですね
確かに フランスとかイギリスとかドイツとかイタリアとか
あの辺で作物作れる状況じゃなくなってるところに
アメリカは連合軍として食糧物資を送ってた
けど終戦ぐらいになってくると少し落ち着いてくるんですって
人口もそんなにないですしまあいいだろうと
そしたらめちゃくちゃいっぱい小麦作ったけどヨーロッパでいらんって言われてるんで
余るんですよ それで余った 余ってくるんですね
アメリカは一方で世界覇権を狙う国家戦略というものを考えてます
すごいこと考えたね 一次大戦の時にアメリカが
イギリスにとって代わって世界の覇権を担う国という位置づけを取ってますから
これをさらに拡大していきたいというのも
旧ソ連が同時対抗してきています
この後冷戦に向かってくるんですよねアメリカvsソ連という構造が出てきてくるんですけど
この布石として今のうちにアメリカは覇権を担っておきたい
だからこの小麦などなどの食料を使って西側諸国にグッと味方をいっぱい入れときたいと
味方を増やしたかった そうなんですよ
これで西側諸国の名手としての立ち位置を築きたいと
こういうのも裏で動いてますね
じゃあ日本その後どうなっていくか
1951年昭和26年ですね
サンフランシスコ講和条約が結ばれます
教科書で記憶にないかい あるようすら
これが日本の再独立を取り決めた講和条約ですね
独立するじゃないですか日本が
独立したということは占領地ではなくなりますよね
占領地でなくなるということはガリオア資金使えなくなるんですよ
12:01
確かにそうなるね ガリオア資金にほとんど頼っていた給食は
資金なくなっちゃうんですね ばっさり切られるんだ
これはまずかろうということも起こるし
全国のお父さんお母さんなど教育関係の人たちから
給食絶対続けてほしいというのが全国運動が起こるんですよ
そんなにね でここで国が給食法という法律を
作りにかかります 給食法
学校給食法という法律を作ることによって
国のお金を給食に充てますよということが取り決められるわけですよ
ここで決まるんですね そうで日本が国として
学校給食をやっていきますよということになるんですね
この学校給食法に先ほど申し上げた
アメリカの思惑がぐっと入り込んでくるんですよ
日本は日本でめちゃくちゃ食糧なんですから
まず国民の食糧を何とかすれば
日本経済の復興なんかありえないと
食べるものを食べないと余剰生産とか経済復興なんかどうしもないですから
なので国会でこういう話が出てます
給食に関しては日本全体の食糧政策の一環として捉える
でこの後の文章ですよ続くんですけど
国民の食糧は小麦とすること
小麦とするんだ これも国会の委員会の中で明言されます
ええ国会で小麦優先なんだ
これはもうアメリカの圧力が加わっているとしか思えないですよね
で別の日の委員会では米の過剰な供給を抑え小麦に置き換える
置き換えさせちゃう
これは国会の委員会の中で発言があります
へえ絶対行きかかってんじゃん
もう行きかかってますよ確実に
確実だよね
それを踏まえた上で1954年昭和29年に学校給食法が施行されますね
そんな背景の中で決まったんだ
そうなんですだから学校給食法の中ですごいこと書いてありますよ
給食とはつまり粉食の訓練と指導の舞台である
粉食の訓練
粉食の訓練小麦粉の粉ですよね
そういうことだよね
日本人粉食慣れてませんから米ばっかり食べてるんで
これに慣れさせるための訓練とこういう食べ方するといいんだよということを
給食でやりましょうというのがもうはっきりと言われてますね
そんなやる理由あるんだね
びっくりするでしょちなみに疑わしいと思ってる人もいると思うんで
明確に言っておきましょうか1951年昭和26年5月31日に開催された
第10回国会衆議院文部委員会でのやり取りの一幕です
15:05
ご飯文化どこ行った
だって今までずっと米をしてきたのにさ
急に粉文化勉強しましょうって
そうなんですよ
だいぶ振ったね急に
そうなんですよ
学校給食法の第2条にもいろんな細かいこと書いてあるんですけど
1日常生活における食事については正しい理解と望ましい食習慣を養うこと
これはいいですね
第2学校生活を豊かにし明るい社交性を養うこと素敵
3食生活の合理化栄養の改善及び健康の増進を図ること
いいこと言ってますよね
4食料の生産配分及び消費について正しい理解に導くこと
いいですよね
ただこの3つ目の栄養の改善及び健康の増進を図ることの前の
食生活の合理化ですよ
この合理化が何を指しているかが問題で
米への返調が過ぎるから
粉食を主体とした合理的な栄養を摂取するために
子供のうちから慣れさせる
もう今までの米のシリーズの流れから言ったら
完全にダメな方にいっちゃったよね
逆ぶり言ってますよ完全に
あんま良くないって言ってるのに
そうなんですよ
それを合理化として認めちゃったんだ
はい
ちなみにこれ学校給食だけじゃなくて
一般社会でも粉食文化の浸透運動っていうのが行われます
1951年にキッチンカーというのが登場するんですけど
車で全国あちこち回って
日本語名だと栄養指導者って言ってね
行く先々のご飯作る家庭のお母さんたちに
こういう料理作るといいですよっていう指導をしていくんですよ
へえそんなのあったんだ
そうなんですよキッチンカーで料理指導
結構評判良かったらしいですよ
もう延べ数百万人も料理の受講をしてね
これはいいわということになっていくし
実際に現場に立ってる人たちは本当に純粋に
全員で働いてるっぽいんですよコメントを読むと
ただ裏側には先ほどの日本における
小麦粉の消費拡大っていうのがあるんですよ
これはアメリカ側の公文書の中にしっかりと
日本における小麦粉の消費拡大と明記されてますし
それをさらに後押しするための法律
アメリカ国内法ですね
農産物貿易促進援助法
通称PL480という法律もできてますから
がっつり小麦粉うるき満々
すごいね
この時のキッチンカーが
全国回ってる時のスローガンびっくりしますよ
米の欠落を是正するために
1日1回は粉食を
へえ
粉食進めてんの
粉食進めてます
そしてこれは僕もびっくりしたんですけど
18:02
当時慶応大学の教授である
林先生という方がいらっしゃったそうなんです
今回初めて知ったんですけど
この方が図の才能を引き出す処方箋という本を
出版されてます
この本の中の一節に
米を食べるとバカになるって明記されてるらしい
根拠何なんだろうね
米を食べるとバカになるそんなことある
でしょ
栄養学どないなっとんねんと
まだね
成長が抑制されるとかならわかる
まだ
バカになるってどういうこと
これが一般に流行しちゃうんですよ
その部分だけを切り取って
ただこの本もめちゃくちゃなことを
言ってるわけじゃなくて本筋はね
どうやら明治から昭和初期にかけて
前々回ぐらいでお話ししたと思うんですけど
兵隊さんになると1日6合白米食べられますよ
みたいなキャッチコピーで
兵隊さん募集してたわけですよね
1日6合も白米食べてて
そんな食べたら他のおかず食べらんないじゃない
まあそれはね
そりゃ栄養バランス悪いよね
カッケにもなるよね
っていうのが元々背景にあった上での
この本なので
別に林先生が悪意を持って
言ってるわけではないと思いますよ
そういうことね
食べ過ぎはあったと思う
確実に食べ過ぎだと思う
カッケになってるし
これが一個だけ切り取られると
今でもメディアでありますよね
変なとこ切り取られると変な風に話が進んでくる
そうなんですよ
ここでね
新たな反米運動が始まるんですよ
戦前戦中は
対アメリカの意味での反米ですけど
戦後は
米に対する反米ですよ
本当に
漢字で書くと一緒ですからね
反米が反米になっただけですから
そういうことね
引っ掛けてきれいに言ったつもりだけど
伝わらんかった
字で見てないから今
今か
会話だからね
そういう面もあったという
話です
ちなみに1954年
その後ですね
MSA協定っていう日本とアメリカの間の
相互防衛の協定が組まれるんですけど
これもなかなか面白くてですね
アメリカが指定する農作物を
日本円で購入することができます
小麦とか
ジャガイモとかそういうのですね
アメリカが日本にこれを買ってくださいって
言うとドルだけじゃなくて
日本円で買えるんですよ
すごいでしょ
買った日本円どうするかというと
日本の防衛費として積み立て
していいですよ
これはアメリカ側から
見ると
アメリカの余剰農作物の
市場ができるっていうことですから
これがね
えげつない方向に
向かっていくんですよね
21:00
ここから
こんな状態ある今までの日本の
米文化の歴史の中で
もう完全に米推しだったからね
今まで
米さえ食っとけばいいと思ってましたから
これ全否定なので
下手すると
米文化の危機なんですね
ここまで聞いていただいてる
皆さんはお分かりと思いますけど
米文化つまり日本文化
そのものですからね
言語統治超えてますから
食料統治始まってますんで
下手すると
日本文化そのものが崩壊の危機なんですよ
完全に基礎の
ベースの部分だからね
日本イコール米みたいなところがあるからね
これをアメリカ側が
意図したとはちょっと思わないですけど
結果としてやろうとしてますからね
ていうのも彼らは
日本の圧倒的な
米が主役であるという
圧倒的主役感理解できないので
肉のおまけで
パンがあるような感覚ですから彼らは
うちのと言ったら
おかずの中の一つくらいの感覚だもんね
パン自体が だから良かろうと思って
ルフ氏もあるんですね
置き換えるって言っても
パンに置き換えるくらいだったら感覚ね
確かに日本全体の
文化が変わるとは思ってないからね
だと思いますよ
これは
日本人からすると有識自体なんですよ
かといって
統括しているGHQに
真っ向反抗するわけにもいかないわけですよ
約束しちゃってますんで
でこれに対して
いろんなところが
ちょっとずつ力を積み重ねて
米文化を守ろう
という動きをしだすんですね
ああするんだ
ここが熱い
その物語が面白かったから
米のシリーズには延長
それで増えたんだね
そうなんです
なんか面白いのあったって言ったもんね
面白かったちょっと熱くなった
だからちょっとだけ紹介したいと思ったので
ここの粉食運動に
反抗して米文化を
もう一回前に出そうと
する人たちの話を
次回です
次回かぁ
そうだよね次回じゃないと収まんない
もうだいぶ30分くらい20分くらい経ってますが
いい時間なんで
次回に期待をしたいと思います
ありがとうございました
23:22

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