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拗ねている自分を、助手席に乗せていくv
2026-06-11 19:04

拗ねている自分を、助手席に乗せていくv

心の中で、ずっと子どもが拗ねていた。
「もう待ちたくない」「早く安心したい」「なんでこんなに結果が出ないの」「ちゃんとやってるじゃん」「もう少し報われてもいいじゃん」
昨日は、そんな声がかなり大きい一日でした。

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00:06
おはようございます、こんにちは、こんばんはかな、Local AI Worksの萩原たかしです。
今日は、子供のように拗ねる自分を抱えるっていう話をしていきたいなと思っています。
昨日になりますけれども、とある海外案件に応募したんですね。
端から見ると、やったことっていうか、見える成果っていうのがそれぐらいしかないんです。
大きな成果があったわけじゃないし、何かどっかの会社からアプローバルというか、
契約が取れたわけでもないし、待っていた返事が来たわけでもない。
ただ一つ案件を見つけて応募して、今日やったことを一言で言えばそれだけのことなんですけども、
でもちょっと内側では少し違っていましてね。
心の中でずっと子供のように拗ねている自分と向き合っていたんですよ。
大人の自分はちゃんと分かってますよ。
今できることをするしかない。応募できる仕事を探して情報を整えて、プロフィール確認して応募する。
結果はすぐに分からないし、相手の判断もあるし、タイミングもある。
自分ではコントロールできないことも多い。だから焦っても仕方ない。待つしかない時間なんだって。
頭は分かってるんですよ。本当に分かってるんですよ。
でも心の中にはそう簡単に納得しない自分がいて、その自分は子供のように拗ねているんですよ。
もう待ちたくない。早く安心しちゃい。なんでこんなに結果が出ないの。
そんな声が心の中で小さくわちゃわちゃ騒いでいて、
昨日はその声が結構大きい日だったんですね。
最初の頃っていうか、最初はその声を少し恥ずかしいものだと思っていたんです。
まあいい大人なのにね、何拗ねてるんだろう。
03:05
結果がすぐに出ないなんて当たり前じゃないって。
海外の仕事ならなおさら時間がかかる。相手には相手の都合がある。
世界は自分のペースじゃ動かない。そうやって自分に言い聞かせようとする。
でもそういえばそういうほど心の中の拗ねている自分は余計に小さく丸まっていくような気がするんですよ。
黙るわけじゃなくて納得するわけでもない。ただもっと奥の方で拗ねる。
分かってる。正論は分かってるよって。でも嫌なんだよって。そう言ってる感じがしましたね。
まあよく考えてみると拗ねている自分っていうのはただわがままを言っているわけではないのかもしれないなって。
その奥には多分疲れとかがあるんですよね。ずっと待ってきた疲れ。
何度も期待して何度もメールを確認して何度もまだかと思ってそんな風に思う疲れとか。
その度に大人の顔をしてまあそういうもんだよね次に行こうかって自分に言い聞かせてきた疲れ。
拗ねている自分ってその積み重なった疲れの声なのかもしれないなって。
もう少し休ませてよ。もう少し安心させてよ。もう少し早くなんとか形になってよって。
それをなんかただ幼稚だと片付けるのが少し乱暴なのかもしれないと思ったんです。
拗ねるってまあ子供が拗ねるのと一緒で。表面だけ見るとあんまり立派な感情じゃないですよね。
不機嫌や甘え未熟さ。そんな風に見えることもある。
でももう少し奥まで見ていくと拗ねるっていう感情の中にはいろんなものが混ざっている。
わかってほしいっていう気持ち。報われたい気持ち。安心したい気持ち。置いていかれたくない気持ち。
ちゃんと頑張っている自分を誰か見てほしいっていう気持ち。
だから拗ねている自分を叱るだけじゃなくて、そんなこと言うなよ。もっと大変だよ。他の人ももっと大変だなんて言ったってうまくいかないんですよ。
06:01
そう言っても拗ねている自分は消えない。むしろもっと奥へ隠れてしまう。
そして見えないところでずっと不機嫌なまま残るんですよね。
だから昨日その自分をたざそうとする正論っていうかな、そういう言い方をやめてみました。
ちょっとね、叱るんじゃなくてまず聞いてみる。心の声を聞いてみる。
そうだよねーって。待つのは嫌だよねーって。早く安心したいよねー。
ちゃんと頑張っているのになかなか結果が見えないのは辛いよねって。
そうやって心の中で声をかけてみました。
少し変な話に聞こえるかもしれないですけど、自分の中にいる拗ねた子供に話しかけるような感覚なんですね。
その子は私の邪魔をしているだけじゃなくて、多分ずっと我慢してきた部分なんですよ。
大人の自分が予定を立てたり応募したり文章を書いたりしている間、ずっと奥の方で不安を抱えていた自分。
その部分っていうのが、まあ今日、昨日か。
昨日は顔を出して、もう嫌だーって言っている。
ならば、まあその声を聞くしかないですよねー。
ただ、まあ抱えるっていうことは、その子に、堕落っ子に人生のハンドルを全部渡すことじゃないんですよ。
ここが難しいところかなーと思うんです。
拗ねている自分に全部任せてしまったら、多分何もしなくなっちゃうんですよね。
もう嫌だ。どうせ無理。
何もしたくないって言って、その場に座り込んじゃうかもしれない。
一方で拗ねている自分を置き去りにしていくのもまた違う気がする。
拗ねを吐けな。早く動けと言って置いていくと後で必ず苦しくなってくる。
だから今日はその子を助手席に座らせるような感じな気持ちでいました。
分かったって。嫌なんだよねーって。待ちたくないんだよね。
でも今日は一つだけやろう。一緒に行こうって。そんな感じです。
大人になるっていうのは、子供の自分を消すことじゃない。
09:05
昔はもっと単純に考えていたんですよ。
大人になるって、感情をうまく処理できるようになること。
泣かないこと。拗ねないこと。
ちゃんと判断して、ちゃんと動けること。
でも実際に年齢を重ねてみると、そんなに簡単じゃないんですよね。
大人になっても不安はある。それこそ拗ねる日もある。
もう嫌だって言いたい日もあるし。
でも生活は続くし、仕事もある、家のこともある、未来のことも考えなきゃいけない。
だから大人になるっていうのは、子供のような感情を消すことじゃなくて、
その感情を抱えたまま、現実に手を伸ばすことなのかもしれません。
昨日の私はまさにそんな感じでしたね。
今心の中の子供は拗ねている。もう待ちたくないって言ってそう言ってる。
でも大人の自分は画面を開いて案件を読んで内容を確認して、そして応募ボタンを押す。
すごく前向きな気持ちで応募ボタンを押したわけじゃないんです。
自信満々だったわけでもないし、心がきれいに整っていたわけでもない。
むしろ拗ねている自分を抱えたままボタンを押しました。
それでも押したっていうこと?
昨日はそれが大事だったのかなっていうふうに思っています。
人は整った状態だけで進むわけじゃないですよね。
むしろ整ってないまま進む日の方が多いのかもしれません。
不安があるからそれでも応募する。
疲れているまま文章を書く。
自信がないまま英語で話す。
心の中でダダをこねながらそれでも一つだけ現実に触れる。
そういう日は決して立派には見えないです。
SNSに書きたくなるような成果でもないし、
誰かに自慢できるような一日でもない。
でも自分の中ではちゃんと意味がある。
なぜならその日は完全に止まらなかった日っていうところ。
元気じゃなかった。前向きじゃなかった。
でも拗ねている自分を抱えたまま小さく動いた。
12:02
それはちゃんと前進だと思ってるんです。
正論って時々人を一人にしますよね。
待つしかないと言われればそれはそう。
待つのがつらい気持ちは残るし、
焦っても仕方がないと言われればそれもそう。
でも焦ってしまう心は残る。
だから拗ねている自分に必要なのはまず、
正論じゃないのかもしれませんね。
まず必要なのは嫌だよねっていう言葉なんだと思います。
待つの嫌だよねって不安だよね。
早く安心したいよね。
その後でようやく次の一歩の話ができる。
これは自分との関係の話でもあるんですよね。
私たちって自分に対して意外と厳しいんです。
誰かが不安そうにしていたらそれは不安だよねって言ってあげられるんですけども。
でも自分に対してはまだそんなことで悩んでるの?
もっとしっかりしろって言ってしまう?
自分の中の拗ねた子供はその厳しさにつかれているのかもしれません。
今日は少しだけその厳しさを緩めたいというふうに思いました。
拗ねている自分を抱えるっていうのは甘やかすことじゃない。
何もしなくていいということでもない。
ただその感情が存在することを認めること。
そして認めた上で今日できる小さな行動を選ぶこと。
昨日はある海外案件に応募した。
ものすごく大きな一歩じゃない。
でもゼロじゃない。
心の中の子供が拗ねていても応募はできるんですよね。
不安が聞いてなくても送信はできる。
待つことに疲れていてももう一つ未来へ手を伸ばすことはできる。
そう考えると昨日の一日の一件の応募、たった一件の応募は
ただの仕事探しじゃなかったのかもしれません。
それは拗ねている自分を拗れたまま、
それでも未来を完全に諦めないという小さな行為。
そんな感じだったのかなって。
15:02
昨日こういうふうに私は子供のように拗ねる自分について考えていました。
その自分は面倒です。正直ね。
すぐに不安になるし、すぐに待つのが嫌になるし。
大人っていう面から見るととても扱いづらい。
ダダッコ。
子供のように拗ねている自分。
でもその自分を消してしまえばいいものでもない。
その中には疲れた自分がいる。
長い間頑張ってきた自分がいる。
誰かに見つけてほしい自分がいる。
ちゃんと生きたいと願っている自分がいる。
だから今日はその自分を叱りませんでした。
ただ抱えることにしました。
強くなることだけが前に進む方法じゃないです。
暗い部分を連れていくことも前に進む方法です。
大人の自分だけで歩こうとするとどこかで無理が出る。
子供の自分だけに任せると前に進めなくなる。
だから一緒に歩く。
拗ねている自分の手を引いて、
今日できることもそこを頑張ってクリアしていく。
昨日はその先に応募ボタンというのがあったというだけの話。
私は拗ねている自分を抱いたままそのボタンを押した。
それだけの一日です。
でもそれだけでも昨日は十分だったのかなと思います。
子供のように拗ねる自分がいてもいい。
待つのが嫌だと思ってもいいし、早く安心したいと思ってもいいと。
恥ずかしいことじゃないということですよね。
ただその声に全部を任せなくてもいいだろうと。
恋を聞く。抱える。
そして今日できることを一つだけする。
明日は何になるかわかりません。
記事を書くことかもしれないし、英語を少し聞くこと。
散歩することかもしれない。
何もしないで休むことかもしれない。
18:01
でもどんな日でも自分の中の拗ねた子供を置き去りにしないということが大切。
大人になるというのはその子供を拗ねている子を、
ダダッコを消すことじゃなくて、
そのダダッコを連れて現実に向かうことになるのかなと思って、
そんなふうに思いました。
今日は自分の中にいるダダッコと格闘ではないけれども、
一緒に歩いてや。という話をしました。
ちょっと取り留めのない話になりましたけれども、
聞いてくれてありがとうございます。
それではまた次回。ローカルAIワークスの萩原隆でした。
それじゃあね。バイバイ。
19:04

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