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#25-フィン・ユールについて
2026-06-29 38:57

#25-フィン・ユールについて

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新シリーズ「巨匠について学ぼう」

記念すべき第1回目はフィン・ユールについて

フィン・ユールはどのようにして唯一無二の家具デザイナーになったのか。

生い立ち、逸話など分かりやすくまとめThinkしてます。

〜番組への感想・お問い合わせ・Thinkしてほしいトークテーマなど〜

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サマリー

このエピソードでは、デンマークの著名な家具デザイナー、フィン・ユールに焦点を当てています。1912年にデンマークで生まれたユールは、幼少期から芸術に強い関心を持っていましたが、父親の意向で建築の道に進みました。王立美術アカデミーで建築を学びながらも、絵画や彫刻への情熱を失わず、それが後の家具デザインに大きな影響を与えました。彼は建築事務所でのインターンを経て、より自由な表現が可能な家具デザインへと移行しました。 ユールは、ウェグナーやモーエンセンといった職人出身のデザイナーとは異なり、自身で家具を作る技術を持たず、芸術的な視点から「椅子は座る彫刻である」という考えを追求しました。この革新的なアプローチは、当初デンマーク国内では保守的な評価を受けましたが、家具職人ニールス・ボッターとの協働により、有機的で芸術的なフォルムを持つ家具が実現しました。アメリカでの評価を経て、逆輸入の形でデンマーク国内でも名声を得ていきました。 彼のキャリアは、家具デザインからインテリアデザインへと広がり、空間全体をデザインする仕事が増えました。晩年は製造の機械化やコスト重視の流れの中で、彼のデザインは一時的に主流から外れましたが、後に人間的で有機的なデザインへの再評価とともに再び注目されるようになりました。現在も彼の作品は「ハウス・オブ・フィン・ユール」ブランドで復刻生産されており、その芸術性とデザイン哲学は現代にも受け継がれています。

フィン・ユールとは?番組紹介とテーマ設定
いやー、フィン・ユールってどう?
いきなりですね。
どう?
今日はね、フィン・ユールについて、ちょっと話していこうと思いますけれども。
えー、詳しいんですか?
そうなんですよ、詳しいんですよ。
あんまり深掘りしたことないけど。
作品とか、椅子とかはさ、結構知ってるけど、実際どんな置いた地だったかとか、あんま知らないもん。
全然知らない。
全然知らん。
展覧会とか行くけど、そんなに頭に入ってないっていうか、椅子とかに目が行って。
物を見ちゃうからね。
そうそう。
なんでね、国王好きとかフィン・ユール好きで売ってる家具屋としては。
笑い
売ってんの?
売ってんの?
わからんけど。
結構さ、フィン・ユールのデザインオマージュしましたみたいなことをさ、言いつつもさ、ちょっと取り入れたりもしてるやん。
そういう家具屋として、ここはちょっと勉強しとかないといけないやろってことで、今日はフィン・ユールについてちょっと折り下げていこうと思います。
ちょっとね、いろいろ調べて、逸話的なものも入ってるからね。
真意はちょっと定かでないところももしかしたらあるかもしれないんで。
その辺はね、なんとなくこんな感じの人でね、こういうことをやった人みたいなのが分かればいいかなと思ってます。
今日の内容は、ある程度こう北欧の家具デザインに興味がある人とか、また結構面白いかなと思うんやけど、全然北欧知らないとか興味ないっていう人もね、これ聞いてちょっとフィン・ユールとか北欧デザインに興味持ってもらえると嬉しいです。
じゃあとりあえず言ってみます。
THINK FUNNYCHARのTHINK ABOUT!
こんにちは。始まりましたTHINK FUNNYCHARのTHINK ABOUT!
この番組は、福岡でオーダーキッチン、オーダー家具の製作をしています。
THINK FUNNYCHARのスタッフが、キッチンや家具に関すること、全く関係のないことを一緒に考え、掘り下げていく番組です。
どうもTHINK FUNNYCHARの宮城です。
平塚です。
角田渚です。
宮城真一です。
今日はね、フィン・ユールについて考えていくってことで、ちょっとね、調べてきたことをみんなに教えるみたいな感じで。
ただ、質問はちょっとNGってことです。
NGなんですか?
なんか怪しいぞ。
ちょっとほら、流れ崩されると。
なんすかその髪。
もしかして一夜漬けかもしれないです。
ちゃんとね、あいづちだけってことで。
厳しい?
教官のあいづちだけね。
あ、それそうそうっていうやつだけ。
バンバン聞いてください。
邪魔させてもらいます。
早速言ってみましょうか。
フィン・ユールの生い立ちと建築への道
いきますよ。
フィン・ユールは1912年にデンマークで生まれました。
あいづち、あいづち。
生後3日でお母さん亡くなってしまいます。
かわいそうよね。
お父さんは織物廠の経営者で結構経済的には恵まれてた家庭だったみたいです。
幼い頃から芸術や美術に強い関心を持ってて、
当初は美術史、美術の歴史を学ぶ。
学びたいっていうことをね。
学ぶことを志していたみたいなんやけど、
このお父さんがそんなんじゃ将来食っていけんやろうみたいになって、
より実務的な分野である建築の道へ進むことになります。
美術を学んでたし興味もあったけど、建築の道に進みますってことね。
デンマーク王立美術アカデミーで建築を学びながらも、
フィン・ユールは絵画とか彫刻への関心を持ち続け、
それが後の家具デザインに色濃く反映されていきます。
先生、眠くなりましたよ。
早い。
フィン・ユール知ってる人は分かると思うけど、
結構芸術的な観点というか、
芸術家志望というか、
芸術的なセンスが他のデザイナーとは全然違うみたいな。
そういうあれがあったわけね、曲線ラインには。
図面を水彩とかで仕上げていくみたいな。
ああいうのもこういう背景っていうか、
あったんだなっていう。
王立アカデミーの在学中に、
ビルヘルム・ラウリッツェンとの出会いとラジオハウス
ビルヘルム・ラウリッゼンという人の事務所にインターンに行って、
そこでフィン・ユールが独立するまで、
11年間このラウリッゼンの下で働きます。
このラウリッゼンの代表作は、
カストラップ空港、俺たち行った空港。
俺たちが行ったターミナルではないらしいんやけど、
昔使われてたターミナルの設計とか、
デンマーク国営放送局、通称ラジオハウスの設計のチームに加わっているということです。
ここでラジオハウス。
ラジオハウス。
ピンとこない?
出てきましたね。
ピンとこない?
ラジオハウス、あれですか?
マンシャのLIVのやつですか?
そう、そうなんよ。
そのラジオハウスで使われてたLIVを、
模したLIVを、
模したLIVを、
シンクハウスで使ってるって。
繋がってくるんですね。
エッセイですね。
エッセイ、エッセイやけどね。
でもね、ほら、
なんかほら、ちょっと急にこう、
うちとの関係性みたいなのが急に出てきましたね。
あとあれ、照明。
ラジオハウスって照明あるでしょ。
パッと思いつかないですけど。
僕は知らないです。
え、あのほら、
え、渚ちゃんラジオハウスの好きなんじゃなかった?
え?
あのー、
こうなってて、こうなってる。
あー、ルイスポールセンですね。
そうそう、ルイスポールセンで出てるラジオハウス。
これラジオハウスって言うわけ?
そうそう。
私の名前がちょっと。
そうでしょ。
これラジオハウスっていう照明。
まあちょっとね、今みんな画像がないからわかんないかもしれないけど。
ほら、これあのー、品番っていうかさ、商品名の前にLVってついてるでしょ。
あ、VL。
VLですね。
それがベルヘルムラウリッツ園って意味ですね。
へー。
はい。
なんかね、このベルヘルムラウリッツ園ってね、
結構その、なんだろう、建築、電幕建築を語る上ではあんま外せない人らしくて、
この人もちょっと覚えておいたらテストに出ますんで。
シンクテストに。
覚えておいてください。
はい。
ちょっとね、打線したけど、フェニルに戻ります。
ラウリッツ園の下で建築やインテリアデザインに携わりつつ、
もっと自由に形を表現できる家具デザインの方に惹かれていきます。
要はやっぱちょっとね、建築ってなると規模が大きすぎて自由度が少ないんで。
わかるねー、それ。
気持ちわかる。
ちょっとほら、共感が生まれるでしょ。
はいはい。
それで家具デザインの方にね、進むということになります。
ギルド展への参加と職人との違い
北欧のこういうさ、家具の話をしてると出てくるギルド展ってあるんだけど、
コペンハーゲンキャビネットメーカーズギルドっていう正式名称の展示会があって、
ここはね、デザイナーと職人がペアを組んで、
北欧のデザインとか、北欧の家具職人の技術を世界発信するっていう名目の、
家具産業の価値を高める目的でね、開催されてる展示会があって、
それにほら、ウェグナーとか、望遠線とかさ、知ってる巨匠たちもね、
そこで名を売るみたいな感じで。
で、そこが売れるかどうかっていうよりか、
新しい挑戦の場みたいな場所だったらしいよね。
ここら辺でいうと、オーカーの木工祭りみたいな。
違う?
近い。
近いんじゃないですか。
ちょっと違うね、でもね。
アサヒカーのデザインウィークみたいな。
違うかな。
国際コンペとかもあるしね。
そういうイメージのギルド展というものがあって、
そこでね、いろんな革新的なデザインの椅子を発表していきます。
フィニュアルってウェグナーと違って、家具職人ではなかったってことなんですか?
あ、いい質問ですね。
まさきのが出たね。
同時期に、ギルド展に参加してたウェグナーとかモンエンセン。
この人たちと決定的な違いっていうのが、
ウェグナーとかモンエンセンは自分で手を動かして作れる職人だったけど、
フィニュアルは自分じゃ作れる技術を持ってないっていう人だったよね。
これが多分他の巨匠たちと圧倒的な違いというかあって、職人じゃなかったよ。
知ってた?
知らなかった。
手は動かせないんだ。
建築畑だから手は引けるけどみたいな。
だいたいこの時代の人たちみんな手を動かせると思ってたわ。
なるほどね。
だから自分で作ることはできなかったよね。
ニールス・ボッターとの協働と革新的なデザイン
何が美しいかとかかっこいいかとかっていうのは自分の中であったかもしれないけど。
当時デンマーク家具っていうのが構造重視とか伝統重視の側面が強くて、
結構保守的やったらしくて。
ウェグナーは構造美を追求して、モンエンセンは実用性を追求したデザイナーみたいな感じで例えられることが多いんだけど。
それとはちょっと反してフィニュールは椅子は座る彫刻であるとか、家具は機能だけでなく感情に訴えるものであるみたいな言葉が残されているみたいに、
家具に芸術性も必要だという考えを持ってて、ちょっと革新的な存在だったみたいです。
ちょっとアーツ&クラフト寄りな。
自由で有機的なフォルムを追求していくんやけど、今言ったみたいに手を動かして自分で作れないから、
これを家具として実現させる上で欠かせない家具職人がいるっていうことで、
よく出てくるというか、オニールス・ボッターっていう人ね。
この人が出会うことがもう一つの転機というか、運命的な出会いをすると。
有機的なフォルムやけんさ、図面とかに正確に図面化ができない。
なんとなく絵は描けるんだけど、正確な寸法とかっていうのが出ないんやけど、
それを試作を重ねながら、オニールス・ボッターが形にするという。
どこも何か作れんかったけど、俺が作っちゃるわいみたいな感じで、オニールス・ボッターがちゃんと形にする。
この二人がコンビでなければ、今のフィニュールの功績はないみたいなね。
結構今、ヴィンテージ家具市場でも、オニールス・ボッター製作の家具じゃないとフィニュールじゃないとかね。
とまで言われるくらい、この二人の出会いというか、繋がり。
セットだよね。フィニュールとオニールス・ボッター。これセットらしい。
1937年、大体25歳くらいにギルド展に初出展して、ここから革新的なデザインの椅子を毎年発表していきます。
デンマーク国内での評価とコーア・クリントの影響
1937年でしょ?ペリカンチアーとか、あんなの1940年やけんね。
1940年代にあんな変わった椅子を発表すると。
でもね、さっきちょっと触れたけど、保守的なデザインが多かったデンマークの本国の時代で、
そういう革新的な家具を発表するフィニュールの評価というのは、やっぱりそんなに高くなくて、
ウェグナーとかモーエンセンとかからは、結構国評を受けるというか、ちょっと異端児扱い的な。
方向性が違うもんね。
なんで国評されているかというか、ウェグナーとかモーエンセン、さっきの周りが保守的な考えだったかというのを補足すると、
要は、コーアクリントという人がいて、この人が王立アカデミーの家具科の先生をしてるんだけど、
この人は何したかというと、人間工学とかに基づいて、昔からある伝統的な家具の寸法とかをさ、
シャツの枚数をめちゃくちゃ数えてとか、人間家庭を、一つの家庭にどれだけお皿の枚数があるとか、
そういうのを全部データ化して、収納はこうあるべきだみたいな。
え、ありました?
渚ちゃんの詩ですね。
コーアクリントを数配してる。
全部数値化しとったわけ。
全部数値化してる。
コーアクリントをやって、家具を再設計、リデザインしたっていう人で、
それが結構、デンマーク家具のデザインの位置づえというか、基礎になった人で、
そういうコーアクリントのもとで勉強したウェグナーとか、望遠線、
この人たちはやっぱりそれが当たり前みたいな。
だけどちょっと芸術的なことはいらないんじゃないかっていうさ、
感じの考え方だったところに、フィニュールはあんた方が言ってることは正しいけど、
でもそれだけでは不十分だって言って、なんか芸術性を求めたと。
そういう立場だったみたいな。
結構ここなんか、なんとなく並んで考えてるんだけど、並んで見ることが多いやん。
望遠線、ウェグナー、フィニュール、北欧巨匠みたいな。
交互でも結構バチバチで対立してたっぽいね。
そうやって革新的な、芸術的で革新的な位置をギルド展で毎年発表していくうちに、
アメリカの学芸員であり評論家の江戸川カウフマンジュニアさんっていう人に目に留まって、
アメリカでの評価とインテリアデザイナーへの転身
なんかすげえやつがおるぞって言って、アメリカの雑誌とかで記事に乗る。
他のデザイナーの先人気ってアメリカ進出をします、フィニュールさん。
アメリカで結構人気が出て、人気が出てっていうかすごいねって、デンマークのこんな家具があるんだってなって、
アメリカの家具メーカーがわざわざデンマークに赴いて、フィニュールにデザインしてくださいみたいな感じで、
アメリカのベイカーファニチャーと契約して、アメリカで結構家具を生産もしてるらしいです。
家具輸入みたいなもんですね。
そう、まさしく。今から言おうかしら。
取っちゃった。
アメリカでインテリアデザインとかの仕事も受けて、国連本部のインテリアデザインとか、
その北欧デザインを北欧デザインテーみたいな感じで、アメリカでやる展示会の会場デザインとかも手がけるようになって、
それがすごい評判で、その評判が客輸入みたいな形で本国に伝わって、本国で評価されるようになるという流れです。
この頃から家具デザイナーというよりかは、結構インテリアデザイナーという形での仕事が主になってきていて、
もともと建築畑出身のフィニュールとしては原点回帰というか、そういう流れであったのかもしれない。
家具を単体で捉えるのではなく、空間の中でその家具がどう機能して、家具が人間に与える感情的な影響を考えて、そこに重きを置いて空間設計を進めていくと。
この頃の代表作が、建築設計というよりかはインテリアデザイナーの仕事の方が多くて、建築を設計しているのは結構少ないみたいだけど、
代表作と色彩へのこだわり
集大成と呼ばれているのがオードロップ号に建てられた地底。
あれは空間を自分で設計して、そこに自分がデザインした家具を置いて、昔からアート作品とかを収集していて、
アート作品も合わせて全部が一体となったという空間を作り上げたと。
あの時、デンマークに行って実際に見たじゃん。
知らなかったから、もうちょっと勉強して、よくその辺を見ておけばよかったなと思ったけど、
結構その場所とか、ここでどう過ごすとかっていうのをかなり緻密に計算していたみたいだよね。
あとその色味とか、ここでこういうことをするから、こういう気持ちになるからこういう色味を使うとかさ。
確かに色も結構使っているよね。
だから針路の色の計画とカラースキームみたいなのを、結構いろんな現場も残っているっていうか、そういうのをしていて、
色、色彩とかにはかなりシビアにこだわっていたっぽい。
家具とかでも結構ね、土吉色っていうかさ、色を結構引き出しの前板とかさ。
ファブリックにしてもね。
そのあたりは、やっぱり他のデザイナーとかと違って、芸術的な観点というか、感性がすごい強いのかなみたいな。
そう。
量産化への移行とデザインの葛藤
で、アメリカで評判になって、逆輸入でデンマーク国内に話題というか評判が広まってね。
デンマーク国内でも有名になって。
50年代半ば、43くらいかな。
デンマークの量産家具、さっきのニールスボッターみたいな個人工房とかではなくて、ちょっと量産系の家具とかにもデザインを提供していくと。
ただ、この頃から製造自体が機械化が進んでいって、やっぱり繊細で彫刻的なデザインみたいなのが減っていく。
結構直線的なフレームの形状になったりとか。
その中でもどこか有機的な部分とか、フィニルユールっぽいデザインというか、自分らしさみたいなのを取り込もうとした葛藤が見られる時代らしいね。
この50年代に出た家具っていうのが。
そうは言われても、見ると他のウェグナーとかと比べると、まだ有機的なラインというか、結構曲線が多かったりとか。
昔に比べれば単純にはなっているけど、量産と手工芸というか、間のいいとこ取りを狙っているというか、葛藤がすごい見られる時代。
葛藤きびね。
1961年、49歳くらいは最後にギルドデンへの出品を停止していて、この頃から家具デザインの仕事も減っていくと。
時代の流れと再評価
ギルドデン自体も時代にそぐわないということで、1966年に終了していっています。
この頃は家具産業の流れがさっきの工業化とか量産化に向かって、コスト重視とかの流れにどうしてもなってくる。
多分IKEAとかの辺が対等してくる。
彫刻的な衣装とか、職人の技量に依存していたデザインが、どうしても製造コストがかかる。
ということでフィニエールの家具が主流というか、この時代の流れからはだんだん外れていくということで、下火になっていく感じですね。
ちょっと寂しい感じ。
それがまた今度1970年代に入ってくると、周りがモダニズムの合理性を追求した家具ばかりになって、
その反動みたいなのが出てきて、より人間的で有機的なデザインへの関心が逆に高まって、また今度再評価されるみたいな。
流れてサイクルというかね。
回りますね、時代は。
フィニエールさんは1989年に亡くなるんだけど、それからフィニエールの家具自体は工場では生産されず、ビンテージ家具として扱われる時代が続いていきます。
でもまたさっきの時代の流れじゃないけど、再評価が進んで、ビンテージは根強い人気が、さっきの古い時代のニールスモッターが作っていたビンテージ家具みたいなのがずっと評価されていて、高い金額で取引されていたんだけど、
世界的に再評価がまた進んでいって、加工技術の進展とかから復刻生産のプロジェクトが始まって、現在ではワンコレクションという会社のハウスオブフィニエールというブランドで復刻生産されています。そういう流れでございます。
復刻生産とヴィンテージ家具の価値
今もフィニエールの家具はハウスオブフィニエールで、デンマークで作られているんですか?
一部というか、ハウスオブフィニエールから復刻生産されているので、前はキタニとか日本の技術力が高い会社も一部、何の家具かというのをあまり出していなかった。
カタログに載っていた気もするんだけど、一部部品を作っているという話もあったし、今はハウスオブフィニエールはデンマーク本国でやるという前提でやっているみたいな。
デンマーク本国で生産して出していると。
フィニエールの作ってますって言ってもさ、部品を作っているって嫌だね。
雪的なラインの彫刻的なやつを作っていると思いきや、それがラインでしよったら嫌だね。部品だけ。
任される人が決まっているんじゃないの?それこそ。
ひじかけばっか作ってますね。相当嫌じゃない?
どうなんだろうね。今はキタネギのライセンスもおそらく切れていたから、日本国内とかでやっているところはないんじゃないかなと思うけどね。
この辺は定かではないですけど。
デンマークで復刻されていて、聞くと同じ型番の椅子でもニールスボッターが作ったやつと微妙に太さが違うから並べると違うらしいよ。
昔のはシャープだけど発表するコンセプトモデルみたいな感じだけど、実際の強度が不足してたとか。
今回は売るやん。芸術品でもあり日用品の椅子として強度も担保されないといけないので、今出ているやつの方が若干太かったりするらしい。
それも並べないとわからない程度なのか。
マニアの中ではニールスボッターのビンテージが本物ですっていう感じの人もいるんだろうけどね。
そんな感じですね、フィニューさん。
勉強になりましたね。
ニールスボッターは自分が作ると靴面引かないのかな?
その辺もあるよね。
そういう感性がない職人やったのかもしれない。
再現性はどう持っていったんだろう?
もうワンオフじゃないわけじゃん。
そこのニールスボッターが売れたらってことね。
量産性にしろね、ショーロットでも。
そうですね、これとこれで形が違ったら困りますね。
ある程度ジグっていうかね。
ジグだけでやってたんやろな。
当時NCとかそういうアレじゃないな。
それがでもすごいよ。
すごいね。
ニールス・ボッターの息子アルネ・ボッターとの関係
でもなんかこのさ、ほら。
ここ今、相関図みたいなのを一応描いてるけど、
このアルネ・ボッターっていう家具デザイナーっていうのがいて、
ここもさ、ボッターってよくよく考えたら一緒だなと思ってさ、
やっぱ親子だったよね、これ。
ニールスボッターの子供がアルネ・ボッターで、
実際ちょっとお父さんに家具の作り方とかも教えてもらってるけど、
一応今の時代には家具デザイナーの名前というか、
職人っていうか家具デザイナーとしての方が有名なんやけど、
アルネ・ボッターはフィン・ユールに支持してたっていう。
わかる?
ここなんかさ、厚ない?
共同でさ、ペアでコンビで頑張ってた子供がさ、
相方にデザインを教えてくださいっていう。
ここ結構胸厚やな。
信頼関係ができてますね。
そういうね、相関もあって。
親子二代にわたる建築とデザイン
なんかこう、今回初めてこうやってまとめたけど、面白いな。
さっきのこう、コーア・クリントもさ、
お父さんのもっと前の時代のエンセン・クリントっていう人とさ、
設計したこのほら、
俺たちグルントビークス協会ってさ、すげえでっかい。
あれもさ、そのコーア・クリントのお父さんが設計任されてたけど、
生きてるうちに完成せんでさ、
それでコーア・クリントがそれを引き継いで、
親子2台で完成させてるみたいな。
ここもやけさ、行ったじゃん。
うん、すごい。
この協会良かったね。
これ多分説明してくれたんだよね。
あそこで?
あそこでさ、連れてってくれてさ、
ここはね、エンセン・クリントが設計したんだよとかさ。
うん、そうそうそう。
きっと説明してくださったんでしょうけど、
へえ〜って。
はあ〜って。
あの佇まいはね、美しかったのは覚えてるけど。
あのさ、こういううんちくじゃなくて、
もう本当に感じるさ、
あ、そうやね。
でもなんかあこは結構、
すごい、デンマークに行く人は絶対行ったほうがいいなってさ。
やっぱ言われてるらしい。
あの時も言われたやん。
ここは行ったほうがいいよって言われたやん。
連れてってもらったんだけど。
そうそう、そうらしいですよ。
へえ〜。
はい。
長野研修旅行とフィン・ユールへの期待
以上で〜す。
勉強になりました。
ありがとうございました。
まあ今回こうやってフィン・ユール取り扱ったのも、
ほら7月にこう長野に、
一応研修旅行に今行くことになってて、
このハウス・オブ・フィン・ユールが手掛けたホテルがあるらしくて、
へえ〜。
そこに泊まろうかと。
泊まれるんですか?
思ってますよ。
で、フィン・ユールの椅子とか、
展示会とかショップとかで座ったこととかはあるけど、
実際空間にさ、生活する場に置いてあって、
そこで一晩一応生活できるわけや。
で、フィン・ユール自体も、
自分がデザインした家具とかとさ、
空間の調和みたいなやつを多分すごい意識して、
あの辞典も立ててて、
辞典に泊まるわけにはいかんけどさ、
今回フィン・ユールが設計したホテルではないし、
リノベーションで建ててる、
古いペンションをリノベーションしたホテルやけど、
一応フィン・ユールの意思をついでるワンコレクションという家具屋さんが、
家具を体感できるっていうコンセプトのもとをやってるホテルやからさ、
その辺とかも結構興味あるなみたいな。
あと、フィン・ユールの家具以外の造作家具、
そういったのがあるのかどうかわからんけど、
どう調和させてんのかなとかさ、
なんか変なさ、冷蔵庫入れみたいなのあったら嫌やん。
ホテルによくあるね。
バー冷蔵庫、例えばあったとしても、
それをどう見せてるのかとか、
すげえその辺興味あるなとか思ってて、
そういうのを今度7月に行った時に注意して見てみたいなと思ってますけど、
こういう話もね、もし感想とかが言う甲斐があれば、
あったで面白いのかもしれないし。
何を感じたかと。
何も感じなかったらもうこの収録はしないと。
よかったね、で終わってね。
家具屋がやってるホテルって珍しいと思うしさ、
俺たちも家具と建築のどう絡めるかみたいなのを考えながらやってる家具屋としては、
すごい興味深いなと思って、すごい楽しみです。
しかも部屋が5部屋あるらしいんですけど、
全てにフィニュールがデザインした椅子の名前がついてて、
椅子の名前の部屋。
それぞれにコンセプトで別の家具が置いてあるらしくて。
別の家具が置いてるの?
その名前の椅子はないの?
それはあるんでしょう?
チーフティンって書いててさ、なんかペリカンある。
ペリカンある場合みたいになる。
分かりにくいね。
ペリカンっていうルームだったらペリカンを主に置いてて、
それに調和した部屋になってるんだろうなとかさ、
いうのが結構楽しみですね。
しかも5部屋中3部屋予約してるので、3部屋分見れるっていう楽しみもありますね。
贅沢。
すごいね。
デンマークに行けないから、デンマークっぽいとこに。
そうですね。
でもね、デンマークっていうか実際ちょっと勉強して、もう一回ちょっと見に行きたいですよね。
今年はちょっとみんなのデンマーク3 Days of Designのストーリーズを見ながら行った気になろうかなみたいな。
私たちは日本でデンマークとかを感じれるというか。
日本はね、日本内のいいとこいっぱいあるしね。
そうね。
なので7月行ったらそういうところを気にして見ていただけると嬉しいかな。
はい。
他の巨匠との比較と時代背景
じゃあ今日はこんな感じです。また別の巨匠の回。
いいですね。
もうちょっとちゃんと調べたほうがいいかな。
よ?
でもさ、ほら、今回フィニュールの時系列で言ったけど、不足そうなのはウェグナーとかさ、猛演戦とかさ。
だってやっぱりこの黄惑林党派の人たち、ウェグナー、猛演戦あたりもしっかり頭に入っておくとフィニュールがどれくらい得意な人だったかっていうか。
これは主流だからね、世の。
デンマーク国内でどういう、別物なんかな。どっちが上とか下とかじゃなくてさ。
フィニュールとか猛演戦とかの、どっちが上とかないんだろうね。
やっぱり時代の流れにこの人ちょっと反してるよねっていう感じなんでしょう。
時代、先行しすぎたっていうか感じもあるかなみたいな。
ほんとあれよね、他の時代がどうだったかとかさ、いうのも合わせるとね、なかなか難しいけどね。
この辺、猛演戦とフィニュールってさ、2歳差ぐらい。
フィニュールのほうが2歳お兄さんでさ、先輩なのにさ。
ウェグナーとか猛演戦たちからさ、あいつちょっと違うぜって。
古いんじゃないの、考えが。
考えがね、どっちが。
フィニュールがさ。
装飾を省きましょうって言ってた流れで猛演戦たちが機能主義を追ってたわけだけど、
フィニュールはその曲線、装飾ではないけれども、そこまでいかずともアート性っていうのはいるんじゃないのっていう感じだから。
何番寄ったやつってさ、あの先輩何番寄ったやつっていう感じじゃないと。
もしかしたら。
知らんけど。
知らんけどやろ。
知らんけど。
いやいや、この辺ね。年齢がさ、ほら。
ちょっとさ、時代感がなかなかこう、デザイナーの名前は入ってくるけど、さっきのアルネボッターがめちゃくちゃニュースボッターの子供だったとかさ。
時代感が結構さ、分かりにくかったっていうかあんまり知らんくてさ。
この相関図はね、相関関係があんまり。
モーエン・セン・ウェグナーぐらいの。
友達やったけど、親友でしたみたいな。
そんぐらいのね。
あとは11年ぐらい建築事務所におったけん、家具デザインの方が入ってくるのが遅かったっていうのもあるかもしれないですよね。
分からんですけど。
分からんですけど。
まとめと今後の展望
結構掘り下げるとおもろいなみたいな。
そうね。
なんでこんなデザインになったのかっていう。
なんかでもすごくそのバックボーンとかね、ストーリーが知れて面白かったですね。
はい。
じゃあまたなんかリクエストがあればね、ウェグナーの回とかモーエン・センの回とかできたらいいですね。
はい。
じゃあ今日はこの辺で終わります。
バイ!
バイ!
最後までお聞きいただきありがとうございました。
番組へのご質問、ご感想、Syncしてほしいトークテーマなどなど、どしどしお待ちしております。
SyncManagerのホームページにあるお便りページ、各ポッドキャストのコメント欄、インスタグラムのDMよりお願いいたします。
それではまた次回の放送を楽しみにお待ちください。
38:57

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