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  2. #57 「ケア」について考えてみた
2024-09-23 35:19

#57 「ケア」について考えてみた

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番組では皆様からの「⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠お悩み相談⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠」をお待ちしております!また、番組では皆様からの「⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ソリューション⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠」をお待ちしております!


【参考番組】のらじお「友だちの難しさについて


【本日のご相談①】 こんにちは。いつも楽しく拝聴させていただいております。 皆さんは絶対に譲れない自分だけのこだわりはありますか? 私は大嫌いな人でも全力の笑顔で対応する事です。特にいいことはありません。 それぞれ個性の強いお三人のこだわりを聞いてみたいです! よろしくお願いします! (かなこさん)

【本日のご相談②】 マサさん、のざのざさん、上水さん、こんにちは! 先日のらじおの「友だちの難しさについて」という回を聞いて気になることがあったので相談させてください。 詳細は説明がめんどうなので省きます。(面白いのでぜひきいて下さい) この回ではケアの概念について話されてる部分があり、男である自分自身がコミュニケーションにおけるケアを感覚的にも具体的にもわかってないと実感しました。 そこでMCがバチクソホモソーシャルで構成されているシャチコパスのお三人にコミュニケーションにおけるケアの概念みたいなものがあるかお聞きしたいです。 またクソホモソーシャルのMC陣はお互いをケアしている意識はありますか? (月面ひろしさん) ・⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠シャチコパス X公式アカウント⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠


<出演>

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠のざのざ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠上水優輝⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠マサ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

<構成>

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠sowa⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

サマリー

このエピソードでは、「ホモソーシャル」の概念や「ケア」の定義が詳しく考察されています。男性同士のケアの難しさや、競争、序列におけるコミュニケーションの課題が語られ、特にアウトカーストの視点からの分析が行われています。また、男性同士の友情やケアの実践が関係性に与える影響について、具体的な要素を挙げて説明しています。このエピソードは、「ホモソーシャル」や「ケアの定義」について深く掘り下げ、特に男性同士のケアの関係性について考察し、友情や思いやりが多様性の中でどのように形成されるのかを探ります。

自己のこだわりの共有
こんにちは、プロ社畜とサイコパスの部屋にようこそ。
ここは、プロ社畜とサイコパスの2人が、皆様からお寄せいただいた
仕事や人間関係など、様々なお悩みについて語る部屋です。
こんにちは、のざのざです。
こんにちは、上水悠希です。
こんにちは、アシスタントのマサです。
本日もよろしくお願いしまーす。
お願いしまーす。
お願いしまーす。
では早速、本日もお悩みに行きたいと思いまーす。
はい。
ラジオネーム、かなこさん。群馬県在住の20代女性の方からです。
こんにちは。
いつも楽しく拝聴させていただいております。
皆さんには絶対に譲れない自分だけのこだわりはありますが、
私は大嫌いな人でも全力の笑顔で対応することです。
特に良いことはありません。
それぞれ個性の強いお三人のこだわりを聞いてみたいです。
よろしくお願いします。
ということです。ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
かなこさんには幸福を呼ぶマサの壁紙、顔面バージョンを差し上げます。
おめでとうございます。
おめでとうございまーす。
おめでとうございます。
どうしたんですか?
タメが効いてた。
効いてました?よかったです。
どうですか?
譲れない自分だけのこだわりはありますか?
ないです。
ないよね。
ない。
僕もないです。
絶対に譲れないってなってくると、結構な強いこだわりじゃない?
しかも自分だけの。
ものすごいハードル上がってるんで、ないですね。
そこまで強く捉えずにやりましょうか。
めちゃくちゃ些細なやつ言っていいですか?
お願いします。
なんか、テーブルの上に置くものか、テーブルに対して直角じゃないと嫌だとか。
ん?
例えばテーブルがありますよね、今ここに。
テーブルに対して、例えばスマホを置くときに、このテーブルの角の辺に対して直角に置くみたいな。
斜めとかに置きたくないみたいな。
へー。
でもそうじゃないとダメってまだ思ってないよ。
なんかつい直角に置いちゃうみたいなレベル。
へー。
ないですか?
なんか理由あるんですか?ただ気持ち悪いみたいな。
うん、そうそう。気持ち悪いよりは気持ちいいの方かもしれない。
うーん、なるほど。
そう、こう美しい直角の方が。
はいはいはい。僕も絶対に譲れないわけじゃないですけど、あって。
はい。
あの、例えば飲み会とかに行ったときに、自分の好きな飲み物を頼ませて欲しいっていうのがあります。
あー。
とりあえず生みたいのが嫌だ。
嫌ですね。
もしそのときに気分じゃないときは。
はい。最近だとちょっとやっぱ体が重くなってきてるので、ちょっと健康に気遣ってハイボールがいいなとかあるんですよ。
はいはいはい。
とりあえず生でいいやろみたいに言われると、いや良くないって思います。
イラッとするレベル?
イラッとはしないですけど、ハイボールにさせてって思います。
ハイボールにさせてって思うんだ。
させてって思います。
それこそハイボールとかだったらなんていうんですかね、角ハイボールと最近だったんですか、ビームハイボールとかあるじゃないですか。
はいはいはい。
ジムビーンハイボール。
うんうん。
僕はどっちかというと角ハイボールが好きなんで。
うんうん。
なんかジムビーンとかに選べるのであれば、角にさせてとか思います。
角にさせてって思うんだ。
みたいな感じですかね。
なるほど。
どうですか?あります?そういう些細なやつ。
全然思いつかないんだよな。
僕あれもあります。よくあるやつだと思うんですけど、財布の中のお札の向きとかカードの向きとかは揃えないと嫌なの。
はいはい。
気持ち悪い?そっちは。
それ僕もありますね。
ある?
はいはい。
向き揃えちゃう。
お札の向きはめっちゃありますね。
お札の向きと、例えば1000円5000円10000円入ってたら、ちゃんと並ばないと嫌だ。
うん。
1000円5000円1000円10000円とかになったら嫌だ。
ああ。
1000円1000円5000円10000円とかになったら嫌だ。
ああ、それはありますあります。
ある?わかる?そういうのはあるかも。
わかりますわかります。めっちゃわかりますそれ。
なるほどな。
なさそうですね野田さん。
そういうのもないんですかね。
これあの、お二人の話を聞いてる時、ずっと何かないかな何かないかなってずっとこう考えてたんですけど、ない。
えー。
あーでもあの、こだわりってほどでもないしって言えば、ただ今思いついたっていうだけなんですけど、紙の本に書き込むのをやめました。
どうしてですかね。
別になんかそう考えてやってたっていうわけではないんですけど、消せないじゃないですか。
うん。
あの、昔の自分の書き込みを見た時に、違うんだよなって気持ちになるのがすごく辛いというか。
そうね。ここに線引いてるとかね。
それを容易に消せないみたいな。
あー。
うわーみたいな。
なるほどですね。
過去の自分おいおいみたいな感じになるのが、あんまり気持ちよくないので書き込まなくなりました。付箋を貼るだけとかになり。
で、電子化、OCR化して、メモできるアプリにとりあえず入れておくみたいなので、処理するようになっちゃいましたね。
うんうん。なるほど。それはわかるかも。
全然譲れるし、自分だけじゃない気がする。
それ言ったら僕もお札絶対じゃないし、直角も絶対じゃないし。
もう無理矢理ひねり出してますから。
むちゃくちゃ直角じゃないと嫌な人みたいになってるから。そんなことないですよ。
確かに。むしろ僕それは全然、絶対譲れないわけじゃないですけど、メモは紙に書かないってことにします。
おーおーおー。
わからなくなるんで。
何ですか。
ここ、ここって一箇所にまとめるみたいな。
どこなの?
iPhoneのメモページにします。
はいはいはいはい。必ずメモはそこに書いてる。
僕がよくやってるのは、iPhoneのメモあるんですけど、LINEで自分だけのグループとかを作って。
あるある。
例えばこの仕事だったらこの仕事のページにメモとかいっぱい書くみたいな。
仕事に関するここを見ればどこかにあるみたいな状態にしてます。
うんうんうんうんうん。
メモもいっぱい何かどこかにやるじゃなくて、どこかに書いてあるっていうのが一箇所にまとまっているような形にしてますね。
いやいいですね。
はい。
私もそれやってましたね。
iPhoneとパソコンもMac使ってるんで同期されるんですけど、パソコンの方が開かなくなりました。
へーそんなメモしてんの?
わかんないけど、iPhoneは動くんです。だから困ってます。
困ってるんですか?
困ってます。こだわった結果困ってます。
ひだかなことね。
パソコンでメモが見れないから。
LINEおすすめですよLINE。
いいね。
仕事で使えるかどうかわかんないですけど。
LINEか。
ということで、まとめると絶対に譲れない自分だけのこだわりはないということでした。
ホモソーシャルの理解
はい。
ということで次のテーリンに行きたいと思います。
はい。
ラジオネームけつめんひろしさん。神奈川県在住の30代男性の方からです。
マザーさん、野沢さん、うめさん、こんにちは。
こんにちは。
こんにちは。
昨日、野ラジオの友達の難しさについてという回を聞いて気になることがあったので相談させてください。
この回ではケアの概念について話されている部分があり、男である自分自身がコミュニケーションにおけるケアを感覚的にも具体的にもわかっていないと実感しました。
ということでMCがバチクソホモソーシャルで構成されているシャチコパスのおっさん方にコミュニケーションにおけるケアの概念みたいなものがあるかお聞きしたいです。
またクソホモソーシャルのMC人はお互いをケアしている意識はありますかということです。ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
オッサンには幸運を呼ぶマサの壁紙、顔面バージョンを差し上げます。おめでとうございます。
おめでとうございまーす。
おめでとうございまーす。
ということで、友達の難しさについてっていう野ラジオ、これあれですよね、前回ゲストに来ていただいたムロさんがやられてたゲストの番組ですよね。
そうですね。どこから行きますかこれ。
これあれですよね、カエさんが女性同士の友達というか友情関係を描いた映画が、映画、小説が好きで、そればっかり見てると偏っちゃうから男性同士の友情とかを描いた作品も知りたいみたいな感じで相談したら、
あんまりない、相談したらっていうか自分で考えたんだけどあんまり思い足らなくて相談したんだけど結局どうかなみたいな感じで、
実はなんか男性同士の友情で、ムロさんが言うには特に男性同士でケアをしているという、男性同士のケアを描いた映画とか小説とかってあんまりないよねみたいな話だったかなと思ってます。
なんかざっと聞いただけなので間違ってたっていう。
そういうことだと思います。
そんな話でした。
その中で言われてたのは、男性はどうしても、いわゆるそれこそホモソーシャルと書かれてますけど、ホモソ的であると競争とか階層みたいなものがすごくあるから、どうしてもケア的なコミュニケーションが取りづらくなるよね。
弱いとこ見せれないし、いろいろその辺のケアし合うみたいな環境が難しくて、アウトカーストだからこそできることなんじゃないかみたいな話とかもちょっと出てきたっていうのはあるかもしれないですね。
だからその中に取り込まれ、ホモソーシャルの感じに取り込まれていると、どうしてもその中の人同士でケアするっていうのは難しいんだみたいな話が結構あったかなっていうふうに理解してますけども。
そうですね。ホモソーシャルの概念、あんまり私もよく理解してないかなと思うんですけど、女性同士もあり得るのかもしれないですけど、男性同士、一般には男性同士の絆を大事にする序列も含めてだと思いますけど、そういう集団というか秩序があって、
ケアの難しさ
その中で男性同士で認め合ったりするとか、その中で認められると価値があるというか嬉しいみたいな、そういう社会関係がある一方で、そこから除外されている人たちがいるんだと。
それをアウトカーストって言われてると思うんですけど、特に女性とかあるいは男性同士の競争に敗れていたり、そもそも入れないような、例えばいわゆる障害者の方みたいなのが想定されるのかなと思うんですけど、
そういう人たちってのはそのホモソーシャルでお互いを認め合う、男たちがお互いを認め合うみたいな序列というか関係性の中に入れない、まあ排除されているみたいな感じなのがそのホモソーシャルとアウトカーストの関係かなとなんとなく理解しています。
で、結構多分このホモソーシャルだっていう時には結構批判的な意味合いを込めて言うと、そこから女性を排除してしまっているみたいな感じで、ある意味ホモソーシャルな空間が排除してしまって、弱者排除してしまっているみたいなことを批判するときに使う言葉なのかなと思うんですけどね。違うかもしれません。
でも運用上はそのように、学術的にどうとか知らんけど、最近の世間での運用で言うとそうですよね。
たぶんそういう感じだと思うんです。なので、この月面ひろしさんがバチクソホモソーシャルで構成されているシャチコパスっていうのが、そういう批判を込めておっしゃってるんだとすると、なんか我々に至らないところがあったらすいませんって感じなんですけど、
そうじゃなく、なんとなく男同士、単に男同士でやってるみたいな意味で使ってるだとすると、そういうなんか一般には批判的な意味合いで使われるので、使い方をちょっと留意した方が他に言うときに、男同士っていう意味だけでモソーシャルって使ってると、なんか悪口言われたみたいな感じで怒られると思うので、
気をつけた方がいいかもしれない。
我々サイコパスですからね、別に気になりませんけど、一般的には失礼と言われてもおかしくないレベルのやつだからですね。
僕らホモソーシャルではないですからね、そう考える。
うーん、ではないとは言い切れないと思うんですけど、ただそこにどっぷりではないとも思うから、絶妙なラインだと思いますね。
バチクソとは言えないんじゃないかな。なんかその、この3人の中で、例えば序列があって、上水さんに認められたくて頑張ってますみたいな感じで、
今日うまい話したやないかいみたいな感じで。
なるほど。
よしよしみたいな感じにお主できるなみたいな感じで、言われることを目指して我々がやってるみたいな感じだった、なんかこうモソーシャルな感じで。
まあその、例えばですけど仮の話で、この後世担当してくださってる僧和さん、女性なので、そこは僧和さんを下に見ていいように雑用させてるみたいな感じだと、なんかモソーシャルって感じだと思うんですけど、
なんかそういう感じでもなく。
はいはいはい。
バチクソホモソーシャルって感じで、なんかそんな激すんで下に見ていいみたいな感じでやってるわけで、仲良くやってるかなと思って。
そうですね。
まあ比較的フラットな感じでやれてるかなっていう気がしますよね。
確かに。でもあれですね、僕たちいつも収録終わった後、僧和さん大丈夫でした?ってちょっと確認しちゃいますもんね。
ケアの定義
僧和さんに毎回大丈夫だったかっていうチェックはしてもらってますからね。
そうですね。僧和さんの感想が一番あれですね、気になります。
僧和さんにむしろ上司ぐらいの感じになりますね。
まあまあ、そんな前提ですけど。
僕たちがケア。
一方でケアの感覚わかんないよねっていうのはそうですね。
ケアはね、どうでしょうね。結構それこそ野良状の回を聞いて、僕は男性同士の友情がね、
除列のせいで回想や競争が起こってしまうようなところで、どうしても友情作りづらいよねと。
まあ友情というかケア的な環境作りづらいよねみたいな話を聞いて、
ああなるほどなーと思ってね、結構考えたんですよね。ケアって何なんだろうなーみたいなこと。
で、一応僕の定義というか定義というかその条件みたいなやつですかね。
ケアってこんな要素があるよねみたいなのを僕の中で整理してるんですけど。
はいはい。お、聞きたい。
ぜひ聞きたいです。
ちょっと5つ、5つの要素を満たすものがケアであるというふうに僕の中で定義つけてますと。
まず一つ目、これは前提ですね。ケアに入る前の前提。
お互いの関係性とか文脈っていうところ、まあ文脈は関係性含まれてるんだけど、
関係性っていうところを前提としてますよってことですね。
だから関係性がないところにいきなりケアだよっていくこととかはまず無理だと思うっていうやつで、
関係性があるのか、どういう関係性にあるのかみたいなことがかなり重要であるっていうのが一つ目の前提条件としてあるかなと思ってます。
で、まあそれ一つ目と含めるなら、二つ目、相手の機能ではなくて存在を承認する。
ここはさっき言った序列みたいなものとは切り離されてますね。
まさくんみたいな存在を承認する。まさくんが年収がいくらとか社会的地位がどうかみたいなことは関係ないよってのがこの二つ目。
存在を承認する。
三つ目、自他をしっかりと分離して、自分とまさくんを例にすると、
僕とまさくんってものをしっかりと分離しつつも、まさくんの価値観や気持ちってものに寄り添う。
要は相手の価値観や気持ちに寄り添うってことですね。
四つ目、その上で相手が良い状態、より良い状態になるためのサポート、支援をすること。
ちょっとまた後で繰り返しますね。
五つ目、この四つ、六つというか主に三つですよね。
存在を承認して相手の気持ちに寄り添って相手が良くなるための支援をすることが一方的にではなくて双方向的に行われていて、かつ継続的に行われている状態。
この五つを満たすとケアなんじゃないかと思っているという感じですね。
わかります?
一つ目はちょっと、これ五つね、なぜ男性ができていないのかっていう観点で見るとすごいわかりやすくて、
まず互いの関係性や文脈とかを無視して、例えばホモ層的であると序列ってものがなんとなく社会的にあるから、
その序列を前提として、例えばマサ君と関係性がないのにお前さーとか言っちゃうみたいなことがあったりする。
俺より若いとかいうので舌と見るとか、例えば。
なるほど。
関係性ないのになんで舌って見られたんだろうとかいうのは、これお互いの関係性とか文脈を前提としてないよねっていうやつ。
これがまず。
その、舌の関係ではなくて、社会にある程度、既にあるいわゆるホモソーシャルな関係みたいなものの中に、
当てはめちゃうみたいな。
私と今いるあなたが置かれるならこのような関係だよねっていう前提で話が進む。
そうそうそうそう。だから僕は年収1億だからあなたは年収500万だから僕の方が上だよねみたいな前提で来るみたいな。
いやいや何の話ですかみたいなやつですよね。
関係性として別にそこにはよくわかんないんですけどみたいなのがあるから、
この1個目ってわざわざ書くと、それがやれてる人からするとは?って感じだけど、やれてない人が意外といるよって話ですね。
なるほど。
のであえて書いてます。
2個目はわかりやすくさっき言った先輩だからとか、自分社長だからとか何とかだからみたいなその社会的な地位とか、
機能とかで上か下かを判断してるんじゃなくて、そもそもマサクンとか野沢さんという存在として承認する、認めるということ。
ここもだからできてないんだと思うんですよ、本望層的な人たちってのは。
何者であるかみたいなのがとても重要。
その誰かっていうよりかはその秩序の中のポジション、この位置にある人っていうことでその人をどう取り扱うかっていうのを判断してコミュニケーション取るみたいな。
そう、ってなっちゃうともうケアとかいう状態じゃなくて情熱関係になっちゃうねみたいな話ですね。
3つ目は相手の価値観とか気持ちに寄り添うっていうのは、この番組でもそうですけどソリューションを考えるときに相談者さんがどういう状況であるかとかどういう気持ちであるかということを一生懸命考えると思うんですけど、
結構これもさっき言った基本的なホモソーシャル的な秩序をベースにした最適解を押し付けるみたいなのって結構やりがちだと思うんで、
そうではなくて相手がどう考えてるのかどういう気持ちなのかどういう状況なのかみたいなことをしっかりと考えるってことは大事ですよねっていうやつですね。
で、そのときに自他を分離するみたいなのを加えてるのは、なんか勝手に相手の気持ちを想像しているけども、なんか自分と切り離せてないとそれって厄介だよねっていう意味で、
しっかりと相手は相手であるということを切り離すまでを含めてるって感じですかね。
はい。で、4は結構普通、相手がより良い状態になるためにサポートする。これは別にホモソーシャルだろうとやってると思うんですよ。
相手がより良い状態になるために支援しようとするってことはやってると思うけど、多分今言った手前のところがぐちゃぐちゃになってるから、押し付けになってたりとか、
返って困るとかいうことが起こっているのかなっていう気がするっていうやつ。
で、最後5つ目が、これが一方的に行われてるとそれケアじゃないよねみたいな感じがする。ケア的な関係性ではないよねみたいな。ケアさせられているみたいな。
結局それは野ラジオの回で言われてたのかな。なんか女性が男性のケアをさせられているみたいな話とかってあったと思うんですけど、
この構図になるとあんまりケア関係というかケア要因としてケアさせられているみたいになっちゃうんで、あんまりちょっと違うよねと。
だからこれがやっぱり双方向的にお互いにケアできているよね。さっき言った4つの条件をお互いに満たし合っているよね。それも継続的に。
みたいな時に初めてケアし合える関係性っていうのは成立してるなと思うみたいなやつですかね。
ケアの双方向性
5番はケア概念。ケアそのものというよりかはケアが作主的にならないというか、問題がない。
お互いにケアし合うというよりかは、例えば一方的に病人の方がいてその人をケアするみたいなことって多分方向的だとは思うんですけど、
お互いにケアをするっていうよりかは、そのケアをすることについてお互いが承認し合っているみたいな。
どうだろうな。ケアをしてあげている状態にならないってことじゃないかな。ケアしてる側もまたケアされているみたいな感覚が得られるというか、
そこの双方向性って感じなんだよな。ケアを提供しているものと提供されるものみたいなパキッと役割が分かれているわけではないみたいなイメージ。
固定化されてない。義務じゃないみたいな感じ。
難しいね、この辺ね。双方向ってね、確かに。何をもって双方向とするか。
何か搾取的にならない。ケアはケアなんだけど、搾取的で問題ないケアにならないための条件みたいな感じで。
そうです。究極的にはそこが一番重要ですよね。どちらかがかなり行為としてサポートをしている量が多くなったことがあったとしても、
その人が結果搾取されている感じではなければ、それはそれで全然成立している感じがしますよね。
なるほどって感じですね。あんまり違和感ないというか。
そういうことをノーラジオの会を聞いて考えてました。なので、それを踏まえてケアの概念みたいなものがあるかって言うと、ありますって感じですね。
ありますって感じ。
ただおっしゃる通り、おっしゃる通りというか、ノーラジオの会で言われてた通り、男性でケア的な関係性を築くのはやっぱり相当人が限られてるっていう感じはする。
難しいなって。序列にすぐ見てくるみたいな人が圧倒的に多いので、難しいなって思うことが多いですね。体感としても。
なるほど。
マサさんはどうですか?
いや、考えたことなかったですね。ケアの概念みたいな。コミュニケーションになってる時にケアし合ってるなとかも思ったこともないし、ケアされてるなっていうのもあんまり感じてないのかなって思いましたね、今。
ケアを概念で説明されるといまいちピンとこねーなみたいなことが多いと思うんだけど、なんか具体的に考えていくと、例えば掃除とか洗濯とかご飯を出してくれるとか、そういうのって大体間違いなくケアに入るかなと思うんです。
すごくわかりやすい例を言うと、例えば赤ちゃんってケアなしでは生きていけないんですよね。親なり保護者、その周りの大人たちからミルクを与えてあげないと生きていけないし、おむつも変えてあげないといけないし、みたいな感じ。
極端にわかりやすすぎると、かえって日常の我々がどのようなケアを受けているかわかりにくくなるかもしれないですけど、なんというか、個人的な理解でどこにも何も書いてないんですけど、生きていく上で何もしないと一定の望ましい水準から落ちていく時がある。
男性同士のケアの関係性
例えば部屋が汚くなるとか、お腹が減るとか、体が汚くなるとか、そういうある程度望ましい水準みたいなものから落ちていく時があって、そこをまた元に戻してあげるみたいなのがケアだと思う。
それを自分でケアすることもあるし、他人からケアしてもらうこともある。望ましい条件としてさっき上水さんが挙げていただいたみたいな、いくつかあると思うんですけど、そういう感じで理解は個人的にはしてるんですけど、
何だろう、こういうフェミニズムから出てきてる概念だと思うんですけど、この界隈で言われているケアっていう概念。日常用語で言われているものから少しちょっと意味合いが違った、なんか学術的な文脈の概念みたいになってきてる気がするんですけど、そのあたりは何かいまいちよくわかんないで喋ってるので、何か違ってたら申し訳ないです。
個人的には何かそんな感じのイメージを持ってます。それを男性同士でなぜやることが少ないかっていうのがありですね。ノラジオ、面白かった。ノラジオの話戻るんですけど、映画で男性同士のケアをしている、友情関係を持っている、何かないかなと思って考えてみたんですけど、
フランスの最強の二人っていう映画がパッと出てきたんですけど、この黒人男性がお金持ちの車椅子のおじいちゃんを突き沿ってケアしてあげるみたいな感じで、その二人の間に友情が生まれているみたいな感じの話。
で、男性同士だなと思ったんですけど、障害を負ってるみたいな感じで、いわゆる健常な、ここであえて妄想しちゃうと言いますけど、そこの秩序の中にいないみたいな感じで、ちょっと言葉が適切じゃないかもしれませんけど、社会的弱者みたいな、ある意味で、お金持ちだったとしても身体が障害があるということで弱者みたいな感じで、その弱者に対してのケアみたいな。
感じになってて、なんか正常っていう言葉はあんまり使いたくないんですけど、なんか健常な、妄想しちゃらないで、一定程度こうバリバリやっている人同士のケアし合うみたいな関係性ってあんまないよねっていう感じで、結局あんまり浮かばなかったですね。
なるほどな。
難しいよね。で、周りのほぼソーシャル感薄めの方を想像すると、だいたいこの社会から一定の距離を取っている、または取ろうというスタンスでいるっていう人が多い。
結局、それは言わばね、アウトカースト的振る舞いというか、外れようとして初めてそれが可能になっているみたいなところもあるというか、その中にいると、その中で違う振る舞いっていうのがやっぱ許されないみたいなのがあって、なかなか難しい。
僕もね、サムウェイなんか来て、かなり社会から距離を取っているみたいなのは、やっぱほぼソーシャル全開なノリみたいなのがあんまり合わないんですよね。
でもそれは、その中にどっぷりいながら、そうじゃないノリですって、そうじゃないんですよねっていうポジション取るより、もう外れてしまったが楽だなと思って外れてるみたいなところがあるんで、難しいよね。構造的に埋め込まれちゃうというかね。
ケアの概念とコミュニケーション
おだしょー なんか思いついたって思っても、結局、あんまり正しいかわからないですけど、アウトカーストに位置してるであろう人みたいなのが当てはまるんですよね。
あのラジオで例に出てた、昨日何食べたでしたっけ。 ゲイのカップルのやつでしたっけ。
おだしょー とか、あとは何だろうな、最高の人生の見つけ方っていう映画だったと思うんですけど、なんか、もう4名半年の2人が人生でやりたいことをやるみたいな映画があるんですけど、それもまあ、5名半年か、ある意味ではアウトカーストかなって感じで、事例を見つけようと思っても出てこないんですよね。それがすごいなと。
これすいません、めちゃくちゃ馬鹿的な馬鹿な質問かもしれないんですけど、スポーツとか違うんですか?青春スポーツのとかって、そのカテゴリーに入らないんですか?
おだしょー カテゴリー?もうガチガチのホモソーシャルな感じが多いんじゃないの?スポーツ、ネクツースポーツ系のマガとか。がもうほぼほぼほぼそうな可能性がある。まあそんな作品知らないんで、あんまり言えないですけど。
おだしょー まあ必ずしもホモソーシャルっていう形で括るのは乱暴かもしれませんけど、なんか典型例で挙げられがちですね。 そうなんですね、挙げられがちなんですね。
おだしょー 悪いのかって言われたら別になって。 結局その一、一なんていうかな、多様性の一つとしてぐらいだったらいいけど、そこがもう圧倒的に正解みたいになっちゃって、その他の人が排除されてるみたいなパワーバランスみたいなのがやっぱり良くないですよね。
おだしょー なるほど、難しいですね。 難しい。
そう、ただ考えてみてもいいかなって思ったのは、逆にこうケアの概念から、男同士の思いやりというか気遣いみたいなものが定義からして排除されているみたいな可能性ないかなっていうのは若干気になったところ。
スポーツとかで上を目指していく中でお互い気遣いをする場面とかも多々あると思うので、怪我の心配とか手当とか栄養素とか食事面も多分相当気を使ってやってると思うんで、そういうところの気遣いとか多分相当してると思うんですけど、
それはケアじゃないって言い切れるのかって言われるとどうだろうなって思います。入ってもいいような気もするけどなって。なのでちょっと概念はよくわからないって話に戻ってしまうんですけど。
難しいですね。難しかったですね。ま、じゃあまとめるとコミュニケーションにおけるケアの概念みたいなものがありますかって言われると難しいですね。
パトカーが弱って言ってる。
ありがとうございました。
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