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  2. #31 「問い」は導き
2024-03-08 08:36

#31 「問い」は導き

2 Comments

引っ越しと転校の多かった小学生時代。

子ども時代の体験がいろんな種を撒き
大人になってから予測もしない形で現れることもある。

人から問われてあらためて
いろいろ考えたり気づいたり。

#声日記 #らせん0308 #方言 #子ども時代

00:00
声の日記だよー!
2024年3月8日、金曜日、声日記撮っていきます。
今日はですね、コメントをいただいた、そのコメントによって、いろいろなんか考えることができたっていうことをね、残しそうと思います。
前回の声日記は、関西鉛が結構強くて、声日記を閉じていくときに、今日は関西鉛が強かったですっていうふうにお話ししてて、
それにコメントをいただいたのが、生にが出現するっていうのは、なぜなんでしょうねっていうコメントをね、森氏さんからいただきました。ありがとうございました。
そういうところにすごくコメントをいただけるって思いもしなかったので、でもね、本当になんであろうって思ったんです。
でも、おそらく私、コメントで返させてもらったように、子供の時の諸生術っていうのが関係してるなぁと思うんですね。
私のベースは、今半分半分なんですよね。
家族と関西鉛べったりで喋るっていうことが、子供の時ほどなくて。
なんですけど、自分が気持ちが本当にカチッと入った時とか、これは言うとかなっていう時とかには、どうしても関西鉛になります。
題材を作ろったり、当たり障りのない発言とか、おしゃべりっていう時は、標準語になるんですね。
一人の人に対して、両方が出るっていうのがあまりなくて、リアルでは。
こういう音声配信ぐらいなんですよね。
今日は標準語で、その次は関西鉛で、両方が人に認識されるっていうのは、多分こういうSえぬSぐらいだろうなって思ってて。
あと家族ですね。家族は私の両方を知ってますね。
でも、職場の人であるとか、近しい人であるとかっていうのは、どっちかの側面しか知らないんですよ。
なので、こういう質問をされること自体が初めてなんで、すごく面白かったです。
それでちょっとね、いろいろ、おーなるほどねって考えてて、思ったのは、子供の時の早く新しいクラスになれたい、新しい学校に馴染みたいっていう、
03:09
そういう本能的な欲求がものすごくあったんだなって、自分のことを振り返って。
大人になったらそういうのなくてもいいはずというか、土地にもよるかもしれないですけど、
私が住んでいる地方は、皆さん、職場とか公の場とか、仕事中っていうのはだいたい標準語に近いものを話されて、
でもちょっと感情が乗ってきたり、うちは同僚同士で雑談をする時なんかは、その土地の方言が出るんです。
だから彼らもやはりまた、私と似たようなことをしているのかなって思ってて、
要は仕事で県外の人ですね、県外の人と取引先と話す時は、やはり標準語に近い言葉を話す。
でも、うちは同士でね、ああ今日はしんどかった、今日はきつかったなっていう話をする時に、その方言になっているわけです。
ということは心を開き、リラックスした時には、お互いの共通言語になっているわけなんです。
そしたら私は、やはりそこでも疎外感を感じているんだろうなと思いますね、大人になっても。
もちろん私も仕事中は標準語に近い感じで喋り、
リラックスした時に、みんなと同じようにその地方の言葉は出てこないです。
もう子供じゃないので、頑張って習得してなじもうっていうことが、気持ちがもうないからなんですね。
だからといって、私は私のリラックスした言葉、関西なまりを出すこともないです。
だから私はどんなに、ああって言ってみんなと仕事終わりに、今日はよく頑張ったねっていう感じで、ああってリラックスしたとしても、
私が標準語から自分の関西なまりに戻ることはなく、ずっと同じ標準語で、要は鎧を着ているわけですよね。
そういう自分のことを考えた時に、少し自分のことがかわいそうやなって思いました。
住むところってすごく大事で、そこで生まれ育ったからといってその土地を好きになる人ばっかりじゃないと思うし、
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大好きでそこでずっとっていうのは幸せだろうなって思うけれど、
本当は自分の力で自分の好きな土地に生き、自由に生きて仲間を作りっていうのが一番ガッツがあるっていうか、楽しい生き方なんだろうなと思うんですけど、
自分はそうじゃないと。
なまりが出るトリガーポイントというかトリガーは、やはりリラックスだったり、本当の自分になっている時なんだなって思います。
で標準語がね時々メインになってくるっていうのは、このポッドキャストでも、それはね多分鎧を着てるとかではなくて、
まぁでもある意味そういう意味になるかもしれないけど、ちょっと自分を賢く見せようとか、
ちょっとキリッとみんなみたいにもうちょっと中身のある配信しようとか、ちょっと賢まったり賢く見せようって、
そういう下心があったらなんか標準語になるのかもしれません。そこはちょっとよくわかんないですけど。
とにかく今回なぜその関西なまりが出る時出ない時みたいな、551の何とかがある時ない時みたいになってしまうのか、
っていうのは、どっかで自分が鎧を心に着てって、それが長いこと続いてて、
そういう癖がついてる中で、それでもこう自分の心の鎧がほろっと解けた時とか、自分に戻れた時ですね。
その時に関西なまりが出るという、こういう自分で結論を出してみました。
声で残す。
今日はどうかな、私は多分これ1年後聞いて楽しい配信ですね、これは。
はい、じゃあ今日はこのへんで失礼します。
08:36

コメント

気づかんと放置、ほんまにゴメンナサイーーー! この配信以来、なんとなく“鎧”が軽くなったんです。 たとえるなら ガチの鎧から、コスプレのに変わった…みたいな。 もりっしぃさんの普段着感覚、いいなぁ!!

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