このポッドキャストでは、スモールビジネスやその周辺のカルチャーについての話題をお届けしていきます。
再生ありがとうございます。シララ株式会社のHiroyuki Itoです。
今回は初のゲスト会で、大阪府平方市にあるコワーキングスペースHOOP!に来ています。
今回のゲストは、このHOOP!のオーナーでいらっしゃる中岡豪さんです。よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
なんで僕が中岡さんと、あるいは取り組んでいらっしゃるコワーキングスペースHOOP!の話を聞きたいかと思ったかというと、
中岡さんの取り組みを見ていると、いわゆるビジネスとしてのコワーキングスペースとはちょっと違うなというふうに感じたというのが大きいんですね。
それから社会起業家だったり、地域コミュニティの発展みたいな感じの動きが読み取れて、
これを会社に勤めながら二足のわらじでやっていらっしゃるとか、その背景に持っていらっしゃるようなコンセプトだとか、
そういったものが僕はまだうまく言語化できていない、だけどもすごく興味があるという状態なので、インタビューを続けて紐解いていければと思っています。
中岡さん、普段は会社にお勤めですよね?
そうですね。パーソンキャリアさんで、そちらで制作に関わっていらっしゃって、
そこから移動しまして、今はダイレクト送信という企業さんが直接求職者の方にダイレクトメールを送るという形になっています。
個人としてこのHOOPを立ち上げたとき、初めてここを訪れる方に対してどうやって説明されますか?
そうですね。取られた方には勉強であったり、リモートワークであったり、一人でやる仕事ができるコワーキングとしての機能があるんですが、
コミュニティアンドコワーキング、HOOPという名の通り、コミュニティというのを大事にしていまして、
ただここで黙々と仕事するだけではなくて、そこで一緒に仕事したり勉強したりしている人たちとつながったりとか、
もちろん我々運営の方ともつながったりとか、何か人と人のつながりに至るものが生まれるような場所なんですということをお伝えしています。
やっていらっしゃるイベントが結構個性的だなと思っていて、それこそ保護猫の譲渡会だとか、この場を使ったり、
あとはオールナイトのコンビとか、オープンマイクだとか、アルモロックとかもやっていらっしゃいましたよね。
なのでこの辺は人と人とのつながりがペースにあってやっていらっしゃるということですよね。
そうですね。やはりそういった利用者さんが参加しやすいとか来やすいイベントであるということは前提としてはあるかなと思っています。
商売として考えると、あんまり集結はしない、でもそういった人とのつながりというところでやっておられるということですかね。
そうですね。もちろん継続していくにはそういった経済的な観点でも考えなきゃいけないんですけども、
そこは人と人がつながっていけば、いずれ維持をしていくために何らかの力が働いていくのか、それは経済的なものだけではなくてですね。
ですので、先行同士というとすごくドライな言い方になりますけども、将来どうなるかというよりも今できることをやっていく中で将来につながっていくのかなというふうには考えています。
実は中岡さんと僕は出会ってから10年とかそのくらい経っているので、わりともう気のよけない感じになっていると思うんですけど、
今めっちゃ違和感があって、二人ともちょっとよそ行きの感じで喋っているのが違和感があるので、ちょっとここから砕けてもいいですか。
全然いいです。
中岡さん、平方出身の有名なバンドのアンダーグラフさんのコンサートとかも主催者側に回ってやってたりするんですが、これとフォワーキング業務っていうのは結構また別だったりしますよね。
そうですね。
一応フープとして取り組んでらっしゃるという感じ。
フープとして取り組んでますね。
これはどういう狙いというか思いとかがあるんですか。
もともとフープがフープを立ち上げようと思ったきっかけではあるんですけど、パーソナルギャリアの仕事で、当時関わった仕事の中で山岳の仮想地の仕事があって、廃坑の台風ガムを活用した事業を考えるみたいなのがありまして、
それで活かしてもらった時に、人がいなければ何もできないんだなということをすごく感じまして、
自分の住んでる街がいつか人が減っていって同じようになってしまうのではないかというのが当時すごく強く感じたことで、
そうなる前に、今のうちに人がたくさんいるうちに自分の街を何とかしていく、より良くしていくみたいなことを漠然と考えた時に、
平方市をですね。
コワーキングスペース、人が集まって一緒に何かできる場所を作ろうというのがもともとの始まりです。
その中で、平方というのはちょっと大きな国にはなりますけども、
今このコワーキングスペースをやっている場所が平方祝という、昔祝場町があった場所でやってるんですけども、
この平方祝というものをもっといろんな人に知ってもらいたいとか、もっといろんな人に来てもらいたいなということを考えた時に、
まずアンダーグラフ自体が平方出身で平方を愛してくれていて、東京に行っても平方のことを発信してくれたりしている姿を見て、
彼らを応援することで、結果的に平方というものをいろんな人に知ってもらえるということもあり、
なのでフンクの加害活動みたいな感じでやってます。
この地元である大阪府平方市に対しての愛がものすごく強いっていうのがあると思うんですけど、
これなかなか説明しづらいところかもしれないんですが、なんでそんな好きなんですか?
これは否定するわけではないんですけど、平方が好きというわけではなく、自分が住んでいる町が好きという感覚ですね。
自分の身体の延長じゃないですか、自分が住んでいる町って。
うまく言えてないかもしれないんですが、自分を肯定してあげることと、町を好きになるということは何となくつながる気がするんですが、どうですか?
何か関係あるんですかね?
おっしゃる通りかもしれないですね。自分の身体の延長線上のような感覚ではあると思います。
ここにたくさん人が来れば、何か自分を認めているような感覚になったりとか、認めてもらえたんだという承認要求というか、そういったものは少なからず感じますね。
人によっては、もちろんそういったアプローチの仕方もあると思うんですけど、一番わかりやすいのだと選挙に出たりとかすると思うんですけど、そっちではないということなんですね。
そうですね。そこまで来ながら世界で生きているわけではなく、自分ができる影響範囲というか、社会を変えるとか世の中を変えるとか、そうなったらいいんですけど、
まずは自分の住んでいる街というところを何とかしたいな、良きことをしたいなというふうに思います。
そういった興味って若い時からありました?
そうですね。あったかもしれないですね。
例えば、中学校の時に…。
ちなみに中岡さん今40代でいらっしゃるんですね。
中学校の時にサッカー部に入ってたんですけど、休みの日にサッカーをしていると、小学校の裏ほどに行ってサッカーをしてたんですが、そこに児童会の子供たちがいてて、その子たちにサッカーを教えてたんですね。
そういったところから、誰かの役に立つとか、何かを教えたいということは、現代圏としてそういうところで培われたような感じがしました。
中岡さんのご自身がここに来られるまでに、どういうふうなキャリアを歩んで来られたかというところをお聞きしたいんですけれども。
ちょっと特殊例ですね。
高校3年生までサッカー部でサッカーをしていたのですが、大学に進学するつもりは全くなくて、高校卒業してからブラジルにサッカー留学をしたいと思っておりまして、
高校3年生の夏に大学を奪ってインタビューをされて、それからアルバイトをしてお金を貯めていたんですけれども、
当時弟が地元のサッカークラブに入っていて、たまたまサッカークラブの試合を弟が出ているので見に行ったところ、そこの先生に声をかけられて、
ちょっと暇だと手伝ってくれへんかと。
コーチ?
コーチです。
行くようになったんですけれども、そこがコーチにハマりましてですね。
さっきの話はちょっと繋がるわけですね。
中学校の時にそういった現体験があったというのもあるんですけれども、
当時の子供たちが本当にやんちゃだったんですけど、やればやるほど上手になる姿を見ていて、
自分がやれるよりも子供たちが上手になる方がすごい楽しいというかやりがいを感じる方が多くてですね。
そこからサッカーのコーチになろうということで、
ブラジルにサッカーリバースするのをやめて、サッカーのコーチになりました。
なってそこから12年間ですかね、やってたんですけれども、結局29歳の時にやめたんですけど。
夢としてはプロサッカー選手だったわけですね。
それが今度はサッカーのコーチにすげえ変わったということなんですね。
そのままずっとコーチをやられたってわけですね。
コーチをやってたんですけども、やっぱり20代の仲間に差し掛かり、
何かサッカーに関わる形でご飯を食べていくにはどうしたらいいかということを考えた時に、
ひとつの道はこのままサッカーのコーチを続けることと、
もう一つは学校の先生になることです。
学校の先生になろうと思うと、当然のことながら教員になることができないので、
仏教大学の通信教育部に入りました。
そこでサッカーのコーチをしながら、通信生ですので、あまり学校に行かなくてもよかったので、
その通信生で大学に進学をしたと。
文学は興味あったんですか?
本が好きで、当時から本はすごく読んでたので。
でも読書家のイメージありますよね。
最近読めてないですけど、本はすごく昔から好きでしたね。
教員免許は取られたんですか?
結局、大学を卒業する教員実習も行って、
大学の卒業資格はあったんですけど、資格を取りに行かず、
その当時は就職をしてたんですね。転職をしてまして。
年齢的には大人だから。
社会人として大学に通ってたわけですね。
そうなんですね。
その期限があるのかわからないんですけど、
大学に申請をすれば卒業という形なんでしょうけど、
最後に行ってないので、それを取れているのかわからない。
忙しすぎて何かうやまやになっちゃったの?
完全に忘れてました。
社会生活を営む上で、そこのプライオリティが下がってたってことなんですかね?
29歳の時にサッカーを辞めたきっかけが、
当時、高校の3年生からずっとサッカーの工事をしていて、
子どもたちにも保護者の方々にも。
神のような存在で。
先生って言われますよね。
いわゆる社会人としてのビジネスマナー。
例えば時間を守るとかいうこともそうですし、
当時お金の管理とかもしてたんですけど、
そういったことがすごく痛感で、
自己利用になっちゃいますよね。
いろんなことでご迷惑をおかけして、
結果的に辞めざるを得ない状況になってしまいまして。
大丈夫ですか?めちゃくちゃアーケード好きに話してます。
全然大丈夫です。
カットしてなきゃいけないところは後で教えてください。
そういったことで辞めざるを得なくなっちゃって、
そこで初めて気づくんですけど、
いかに自分がいい加減にやっていたかということを気づきまして、
そこから当時結婚もしてましたから、
とにかく早く仕事を見つけなきゃいけないこともあり、
転職活動をして就職をしたんですけども、
そういったこともあって完全に抜け惚れてたというか、
もう学校の先生になることは考えてなかったので。
で、就職されて、
最初の会社で出張という形なのか、
かなり長い間東京にもいたっていうことですね。
前の会社がですね、
2週間東京、1週間大阪、1週間中四国というような、
非常に広範囲のエリアを担当しておりまして、
なので半分東京にいるようになって、
いわゆるオフィスワーカーになられて、
で、転職して今のパーソナルキャリアに帰るということなんですね。
はい。
なるほど。
それはどういうきっかけで?
全職側は医療系の人材会社で、
そこで主に看護師さんの転職支援をしていたんですけども、
たまたま関東のある医療個人グループで、
いろんな人材商売会社を集めて、
うちの病院に看護師さんを紹介してほしいというような、
説明会のようなものを開催をしたんですね。
その時に当時、今のパーソナルキャリアにいらっしゃった方が参加をされていて、
その説明会が終わってから、
お声掛けをしてくださって、
関西で医療系の人材サービスを立ち上げたので、
よかったらご飯でも言って話しませんか?ということで行きまして、
その時に、よかったらうちに行きませんか?ということで、
引き抜きですね。
言っていただいて、
当時は今、パーソナルキャリアという社名ですけど、
インテリジェという社名だったんですが、
実は、先ほどお伝えした、
29歳の時に参加のコーチを辞めて、
就職をしなきゃいけないとなった時に、
自分の今いる会社の軽食ブランドのリューダーに登録をしました。
それで登録をした直後に、
インテリジェンスのキャリアアドバイザーの方とお話をさせていただき、
いろいろ教えていただいたんですね。
教えていただいたというか、
もう半ば呆れられてましたけど、
私自身が参加のコーチをずっとしてたわけですから、
全然ビジネスマダもわからず、
大阪のハーブスでキャリアカウンセリングを受けたんですが、
その当時スーツを着ていたんですけど、
スーツのシャツの下にトゥーマンのシャツを着ていまして、
着けていたわけですね。
席に着くなり、キャリアアドバイザーの方が、
おそらく当社では大阪さんをご支援することは難しいですと言われて、
なぜですかって聞いたところ、
まずビジネスマナーとして、
柄についたシャツは下には着ないんです。
古節だけの靴下も良くないです。
革靴を履いてきてくださいと。
革靴でもなかったんですか?
スニーカーでした。
ネクタイも変な長さで。
というようなことを言っていただいて、
履歴書の書き方、着向き履歴書の書き方、
そういったこともここは良くないということで、
いろいろ教えてくださったんです。
僕からしたらそういうのは初めてだったので、
なるほどと。
面接の時もいろいろと面接対策という形で指導してくださって。
その時に人材業界ってすごいビジネスだなと思ったんです。
そこで結構印象が進んだわけですね。
人材業界というものに対して。
何にも社会人経験がない29歳の人間に対して、
ここまでいろいろ教えてくれて、
そこに意味を感じたのがあったんです。
かなり的確なフィードバックをその時に受けたってわけなんですね。
そうですね。
向こうはぶっちゃけ一戦もお金にならないにも関わらず。
お金にならないように都度言っていただいて。
その当時は自分で転職サイトで見つけた会社に就職をし、
3年半くらい勤めたんですけど、
お声掛けをいただいた時に、
お金を返せる時が来たなと当時考えたんです。
なるほど。伏線があったわけですね。
中岡さん、そういう服装じゃダメですよって言われて、
それで最初の1社目に就職するときは、
ちゃんとそのアドバイスを活かせたから入れたっていうのがあるわけですね。
ちゃんと黒くした服をやめたし、
ネクタイも締めたし、
ガラモノのシャツは下には着なかったと。
それだけ守って、それで見事受かって、
その後でまたインテリジェンチさん、パーソナルキャラクターさんと縁があったと。
そうですね。
そこに至るまで中岡さんご自身が29歳とかからで、
おそらくものすごい成長されたから、
そうやって逆にパーソナルさん側から
フックアップされるようになったってことなんですね。
ですかね。
全職が本当にすごい会社で、
いわゆる今で言うとブラック企業と言われるんですけど、
僕からすると、あれだけ厳しくいろいろ教えていただけたからこそ、
全て覚えかけいただけたというふうに思いますし、
やっぱりそこに関してはとても恩を感じている部分ですね。
ちょっとだけ何か負荷をかけないと、
能力って伸びなかったりする問題あるじゃないですか。
そこがキャリア形成ですごく難しいなと思うんです。
例えば、今独立してしまうと、
誰も自分に負荷もかけてくれないし、
誰も怒ってくれなくなるみたいなのがあるじゃないですか。
その時ってどうやって負荷をかければいいんですかね。
中岡さん自動的に自分でかけますよね。
そうですね。むしろ自動的にかかるようなことを
意図的にやってますね。
どうやって?
一番簡単なのは、自分が言い出して自分でやるということなんですね。
それはすごく慣れてきています。
一人と小賢しくなって、言い出さなくなるでしょ。
でもそこに関しては、リミッター外してるってことですね。
そうですね。
これに関しては、今のパーソンキャリアで学んだことというか、
これが大事なことなんだなというのを
今の会社で学ばせてもらったんですけども、
33歳の時にパーソンキャリア、当時インテリジェンスに転職をしまして、
実際に立ち上がったばかりのサービスで関わっている中で、
その医療とか介護の領域においては圧倒的に自分が知識はあるんですけども、経験もあります。
ただ、当時のインテリジェンスからすると新しいサービスなので、
競合立ちがものすごく強いんですね。
僕が前にいた会社が、わりとトップ3社くらいに入るようなところで、
その差があって、やれどもやれども成果が出るというような状況で、
結果的にそのサービスがクローズしてしまったんですね。
クローズしてから、医療と関係のないキャリアアドバイザーの方に
異論をしたんですけども、
いざ、違う部署の人たちと一緒に仕事をしていくと、
圧倒的な力の差を感じたんですね。
オペレーションの一つと言うのは、やっぱり手順を持って仕事を進めていくとか、
ずっと自己流でやってきたり、
やっぱり手順がちゃんと決まっている中でやっている人たち、
周りの人たちの学歴を見て、感覚の労率なんか当たり前で。
会社的にいわゆる一流企業ですからね、そりゃそうでしょうね。
下手すればと言うと言い方があるんですけど、東大とかの人って、
グローバルに座るんですもんね、東大・京大、当たり前みたいな。
学力の高い大学出身で、かつその世の中を変えてやるんだと、
社会に価値ある何かを残すんだっていう人たちが、
当時のインデックスにたくさんいらっしゃったんですね。
知った瞬間、ごめんなさいってなりますよね。
移動してから、今までは医療介護も自分の持ち場でやってたんで、
まだいけたんですけども、移動したパターンが何もできないことに気づくわけですね。
それで気づいて、自分よりも7つ、8つ年下の方が自分を育ててくるわけですね。
指導を受けるようになって。
25歳、56歳の人に。
でもめちゃくちゃ仕事できるんですね。
だからこっちから文句のつけようがないわけですね。
もちろんいい方たちばっかりなんで、そこが立ちが悪いんですよ。
本当に人柄も素晴らしいから、ひがみのことすらできない。
ぶつける先がないんです。
自分にしかぶつけられない。
やれどもやれども成果も出ないし、本当に周りの人たちすごいなというふうに思ってて。
この差は一生終わらないんじゃないかっていうことも当時考えたりしてたんですけども、
あるとき社内で新規事業のコンテストがありまして、
どういうシステムかというと、自分がこういう事業をやりたいという議案書を出して応募をして、
それを通れば東京に集められて、50人集められて、
そこで当時のブロービスの先生が来ていただいて、
ビジネスの作り方とか事業の作り方を教えてくださって、
最終的にはその集められた50人の中でチームを作って、
新規事業を考えて、通れば会社が1億円まで収支しますというような仕組みだったんですね。
運よくそれに通りまして、東京に集められたんですね。
集められたんですけども、関西で周りの人たちってすごいな、
めちゃくちゃ仕事できるなって思ってたんですけど、
東京にいたから、そこに集められた人たちが、
新規事業を立ち上げる人たちばっかりだったり、
かつ仕事もめちゃくちゃできるし、家賃もめちゃくちゃあるんですよ。
人柄もいいでしょ?
人柄もいいです。
また出ましたよ。
すごいなと、こんな人たちが世の中にいるんだという衝撃を受けまして、
集められた当日に6人のチームを作ったんですけども、
僕自身は年齢は一番高いんですよ。
そうか、そうなりますよね。
確かに、確かに。
キャリアスタートが後ろ倒しになりましたから。
年齢高いくせに何も知らない。
前でグロービスの先生が、畑先生という先生でしたけど、
畑先生が顔のビジネスモデルを端的にまとめてくださいみたいなことを言って、
前に考える時間があり、それぞれが手を挙げて、
こういう特徴がありますとか、
私はこういうところが違いますとか。
調べたりはしていいんですか?
もうその場で考えて、
己が持っている知識だけを伝えなきゃいけないということですね。
というような授業だったんです。
その授業の意図としては、別に間違えていてもいいから、
自分の知識っぽさをどんどん発表しましょうみたいなことだったんですけど、
全く何にも分からないんです。
答えている人の言葉も分からないんです。
なるほど、割と横文字も出てきますからね。
そうなんです。忘れもしないんですけど、
最初に当てられた人が、
エスカリッシュという言葉が最初に出たんです。
創業年という意味で言ったんですけど、
エスカリッシュは?みたいなことを言ってたんですけど、
創業年でええやんって後で思ったんですけど。
正直、すみません、一気つかめえなって思っちゃいますよ。
それがまたリトール。
そうですね、世界で。
それが嫌味でもなんでもないわけです。
そうなんですよ。普通に使っている言葉なんですよね。
でもここからしたら、なんじゃこれ。
発表している人の全然何を言っているのかも分からないし、
これ偉いのが起きてしまったなと、
初日に思ったんですね。
帰りの新幹線で、
これはちょっと事態しようがない、
何もならない、分からないし、
どうしようかなと思ってたんですけども、
半泣きですよね、心としては。
どうしようかなと思ったんですけど、