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#67 HOTEL SHE, KYOTO十周年記念企画『京都の10年と変革【前編】』(ゲスト:株式会社マガザン 代表取締役 岩崎達也)
2026-03-25 24:24

#67 HOTEL SHE, KYOTO十周年記念企画『京都の10年と変革【前編】』(ゲスト:株式会社マガザン 代表取締役 岩崎達也)

2026年3月25日でHOTEL SHE, KYOTOは10周年!

1月31日にロビーにて10周年記念&新年祝賀会のイベントを開催し、株式会社マガザン代表の岩崎達也さんをお迎えして水星代表の龍崎とMC金井塚にて公開収録型トークイベントを実施しました。


10年の2人の歩みや、乗り越えたコロナ禍、そしてメディアとしてのホテルの在り方。同じく10周年を迎えるマガザンキョウトとの過去の取り組みについても振り返ったり10年先をどう見据えているのか。前後編にてお届けいたします!


HOTEL SHE, KYOTOを今後ともよろしくお願い致します。そして同じく10周年を迎えるマガザンキョウトもおめでとうございます💐


『水星移住計画』では皆様からの質問や感想などを募集しています!すべての宛先はsuisei.podcast@gmail.com または⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠お便りフォーム⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠までお送りください。



【Guest】

岩崎達也(株式会社マガザン CEO)


【Personality】

龍崎翔子(株式会社水星 CEO)

金井塚悠生(広報・経営企画)



【Company】

株式会社水星 https://suisei-inc.com/

株式会社マガザン https://magasinn.xyz/

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サマリー

HOTEL SHE, KYOTOの10周年を記念し、株式会社マガザンの代表取締役である岩崎達也氏をゲストに迎え、龍崎翔子氏と金井塚悠生氏が対談を行った。本前編では、まず両者が京都でビジネスを始めた経緯が語られる。岩崎氏は震災を機に関西への移住を考え、京都のロフトワーク京都支社での副業がきっかけで京都に拠点を移した。一方、龍崎氏は京都で育ち、土地勘とカルチャーシーンへの関心から京都でのホテル開業を決意した。 次に、二人の出会いと、互いのビジネスに対する初期衝動や哲学について語られた。岩崎氏は、当時19歳だった龍崎氏の存在感に驚き、ホテルをメディアと捉える龍崎氏の考えに共感し、共に「京都夜遊び」といったアートプロジェクトやパジャマ開発など、儲けよりも理念を重視した活動を共にした。この時期は、採算度外視で「やりたいこと」を追求する、いわば「クソガキ」のようなエネルギーに満ちていたと振り返る。 後半では、コロナ禍を経ての組織の変化と、10年という節目での心境の変化が語られた。コロナ禍は、ホテル事業が打撃を受ける一方で、新しい事業への挑戦や組織のあり方を根本から見直す契機となった。岩崎氏は、自身の会社が「ぶっ壊された」と感じつつも、新しい事業にチャレンジできたことをポジティブに捉え、組織運営の課題に向き合ったことで「大人になった」と語る。龍崎氏も、コロナ禍で従業員の給与体系の見直しや、組織としての体制強化を迫られた経験から、初期衝動を維持しつつも、組織として持続的に成長していくことの重要性を実感していると語った。

10周年を迎えた両者の出会いと京都進出の経緯
まもなく、本日のイベントを
水星移住計画公開収録トークイベントを開催いたします。
じゃあ、それでは早速、岩崎さんをお迎えしまして
HOTEL SHE, KYOTO、3月で10周年ということで
マガザンさんも10周年
今年10周年ウィークで5月で10周年
5月で10周年がおめでとうございます
ありがとうございます
お互いに10年経ちました
同世代やな、みたいな人たちがみんなそれぞれ10年
ユトナミさんとかも10年やったりとか
そうですね
シーズマも10年とか
お世話になっている方と
みんなちょうどこの数年間
10周年を迎えている人がすごく多くて
嬉しいなと
本当に
今回もあれですね
お互い10周年ということで
京都で一応ちょっと
リアルビジネス×カルチャーみたいな領域で
ビジネスをやってきた
SHE, KYOTOとマガザン, KYOTOというところで
それぞれのお願い者の代表の
岩崎と岩崎さんの対談というところで
第一弾をやらせていただけたらと思います
ざっくりお互いの創業期の話
10年前くらい同意経緯で
ビジネスを始めたのか
なぜそれぞれ京都で
この土地を選んだのかみたいな
思い出話的なところから
こういった領域でビジネスをやっていく上での
代目とか引き続きみたいな話から
今後この先10年何していくみたいな
その辺をちょっとまるっと
1時間弱くらいで
濃く語っていけたらと思います
なんで京都なんみたいなところが
結構あるなと思っていて
岩崎さんとかって
別に京都で
学校を通ったとかじゃないじゃないですか
そうですね
ある日京都でやるぞってなって
京都でバーザン始めた
みたいなイメージあるんですけど
どういうご経緯で京都に始められたんですか
初期衝動と「ホテルはメディア」という共通認識
まずは東京で働いていて
会社にしてたんですけども
震災とかもあって関西
実家が兵庫なんですけど
関西に拠点をまず置きたいなと
兵庫は難しいかもしれないけど
っていう時に
転職先が見つかったのは
ロフトワークっていう会社の
京都支社が出来立てで
そこに入れてくださいって
そこだけ副業がオッケーだったんです
10年ちょっと前ですけど
珍しい
当時の副業
もう1個しかなかった
じゃあ京都に行こう
っていう順番でした
そうなんだ
マテリアル京都作ったのが岩崎さん
そうですね
今のファブカフェ京都
岩崎さんの宿をやりたかったので
2箇所の責任者が
無理だったんです
痛感しまして
辞めさせていただいて
岩崎さんが単独で創業した
経緯ですね
岩崎さんがオープンした時は
結構私もめっちゃウォッチしてました
クラウドファンディングしてる頃から
なんかできるらしいぞみたいな
僕もそうですよ
本当ですか
とにかく若い当時でいうと
女の子が
やった中やった中
始める中
しおたんさんも紹介してくれたんですよね
リアルライターを
それで出会ったのがもう10年前ですか
当時まだ19とかなんで
今思うと
岩崎さんうちの10個上なんで
ちょうど今の私ぐらいの年だと思うんですけど
僕なんか思うと
言葉が合いそうにバトボーンですよね
逆に10個下の子に
こんだけ優しく接して
いろんな仕事を
依頼してくださったり
いろんな遊びに連れ出してくれたり
できる30歳ってすげーなって
逆にすごい
最近めっちゃ思ってました
大人になられましたよね
フォローがいろいろと
いやいやいや
クソガキだったなっていうのを
昨日寝るときに
横になりながら
あの時の岩崎さんうちとも同い年で
すげー懐デカいなっていうのを
うちあの時なんであんなクソガキばっかになるの
めっちゃ思いました
初対面うちの宿にちっちゃい子が来てくれたんですけど
めっちゃ今でも脳内再生できますね
育ってる風景
存在感がよくて
これは普通の19歳じゃ絶対にないな
一瞬で分かる
あれは金井塚さんの導きで
あの日私マガザンの
溝の宿に
遊びに行った記憶があります
16年の夏、春夏ぐらい
ちょっと経って
17年の
塩坂が開業するちょっと前ぐらいに
行った記憶があります
開業してからちょっと経った後
そうですね
リノベーション前でしたよね
そうですそうです
本当にホテルはメディアだと思います
って全く同じ言葉を
言っていて
びっくりした
これ何か一緒にやりたいなって思いました
環境もすごい変わったなと思ってて
本当に
2026年にホテルはメディアなんだよとか言っても
いやまあそうでしょ
ホテルってまあそうだよねみたいな
いろんなカルチャーあるよね
当然だよねみたいな感じになっちゃうんですけど
なんか当時私
ホテルって
こうだと思うんですよみたいなことを
公演で言うと
本当になんかおじさんが公演後とかに
やってきて
私は君の意見には賛同できないみたいなことが
言われたり
ホテルはやっぱ違う
あってこそみたいなこと言われたり
すごいこの
宿業みたいなところでも変わってきてるなって
すごい思います
ホテルがメディアだっていうのは
トレンドにその後なり
今やもう当然みたいな感じ
そうですね
そんな出会い
それが
10年間ずっと
兄貴というか先輩みたいな感じで
ずっとお世話になっていた
岩崎さんとの出会いみたいな感じですね
京都のカルチャーシーンとビジネスモデル
京都のカルチャーシーンの兄貴みたいな
もうこの辺でいいですよ
でも後進もね後進と言いますかね
若い世代はまたすごいそこからいろいろ
面白いことしてる人たちが
そうですね
余った
いらっしゃる友人知人から
選んでいただいてありがとうございます
ありがとうございます
ありがとうございます
逆に私たちが
京都でやってる理由みたいなのは
またちょっと
カルチャーシーン
岩崎さんとかと
出会ってちょっと京都のカルチャーシーン
ってこんな感じなんやみたいなことを
なんとなくこういろいろ教えていただいた
みたいな感じがあって
それまでは
自分は馬山東京の西の
多摩
秋島市っていう
いろいろお騒がせしたりすることも
時にあるような
そういう場所なんですけれども
中学で京都に来て
中高京都の学校に通って
大学でまた
東京に行って
実家は京都にあるので
東京でホテルやるは
無理やなと思ってたんで
土地感もあるし
京都でホテルやろう
いい土地見つけたここでやる
って感じで始めたっていうのがあるんで
なんかこう
ホテルとしてこうしたいとか
あったんですけど
京都のカルチャーシーンがどうこうとかって
多分京都の中高通ってる人
逆に分かんない気がしてて
なんか
自分の周り見ても
京都のカルチャーシーンで活躍してる人って
結構
よそのエリアから来て
大学とかの
文化圏を通って
すごい土地に根付いて
そのネットワークの中で
お客さんとかもできて
地域に
貢献されてる
根を張ってるみたいな方が
すごい多い印象があるんで
ずっとそことは
ちょっと距離があるじゃないですけど
また
別の存在として
やっていたなというような感覚は
すごいありましたね
うん
一番最初はそれこそ
ホテルやったんで
インバーのお客さんがずっと
多かったですね
2019年にリニューアルしてるんですけど
その前とかは
3年ぐらいはやっぱ
強敵近いっていうところで
インバーの方はすごい多く
シェアキッチンがあって
もうちょっとだだっぴろいタイミング
みんななんかいろんなとこで
食材とか買って結構パーティー
やってるみたいな
みたいな感じだったな
10違うっていうのも
初めて年を取ったなって
思わされたのも多分竜崎さん
そうなの時間だったと思いますね
まるっきり感覚違うけど
でもこれがなんか
マジョリティになる香りがプンプンする
覚えてますね
へー
だから優しかったかもしれない
ライバルだと全く思えなかった
なるほど
別の世界線なら
うんうんうん
確かに確かに
当時お二人が出会われた時に
岩崎さんが竜崎を称して
大谷一将兵的な
言ってたな
例えがだから世界線が違うんすけどね
そうそうそうそう
当時から大谷一将兵ってそんな有名だったの?
まだここまで
スーパービッグになる
まだ前の
そこは自分の偉いなと言ってあげたいのが
大谷一将兵は高校生の時から
尊敬する人の大谷一将兵って言ってたんですよ
何もわからないけど
宣言の命がありすぎる
そこに同い年で比類してきた
竜崎将軍みたいなことを
その時の僕は思って言った
なんか取材なんか言ったりもしたよね
そういうの言ったけど
自分たちの世代は
だから見越しとして
こういう若い人たちを担いでいくのが
自分たちの役割
みたいな話を
見越しって言ってました?
担げるだけすごいですけどね
いやいやいや
そんなよく言ってくださるの
本当にありがたいんですけど
そういう視点がある
まだ沢さんの存在が立ち入って
ユニークだったなと思ってたのは
野動業は
本当に会社の売り上げの
10%ぐらいなんで
今もです
おっしゃったのは
そんなやり方があるんやみたいな感じで
あくまで野動の部分は
ショールームじゃないですけれども
多分会社としての
思想だったりを伝えるための
あくまでプラットフォームであって
その野動で
孫沢さんは雑誌をコンセプトにして
野動やったんで
特集企画みたいなのがあったり
連載企画みたいな感じで
今月は何々特集とか
連載でずっと
常設の展示があるみたいな
そういうのを編集しながら
そこにどんどんステークホルダーを
Bの方もCの方も呼んで
おられて
残りの9割ぐらいは
コンサルティング的なクリエイティブ
ヨームだったりとかで
真似されておられるみたいな
話とかを聞いて
そんなやり方があるんやみたいなことを
当時すごい思い
推薦もそこまでではないですけど
ホテルもやりつつ
クライアントワークみたいなのも
すごい大きな柱として
授業としてやってるみたいなのも
そこの
頂いた知見を通じて
頻繁にやって頂いてる
道筋を
それを
言ったとてできる人なんか
ほとんどいないと思うんですけど
唯一じゃないですかね
似たモデルで
野動業でそれやってるのは
珍しくはあるかもしれないですね
思い出せないですね
アートプロジェクト「京都夜遊び」とパジャマ開発
なるほど
一緒にハクハクという
ホテルを
懐かしい思い出が
いろんなものに巻き込んじゃって本当にすみません
アートプロジェクトでしたね
知ってる人って
どれくらいいるんだろう
聞いてみたい気もしたんですけど
78年の京都立芸大が
京都駅前にできましたけど
その前に
スウジン新町っていう
スウジン新町
ビレッジみたいなのがあったんですよね
そこのコケラワ都市企業に
頼まれて
竜崎さんに声をかけて
そこに泊まれる箱を作ろうみたいな
めっちゃかっこいいネオンみたいな
気づいたらめっちゃかっこいいネオンが出た
ネオン結構作ったんですよね
今日来て嬉しかったのは
そこにまだネオンが残ってる
皆さんご存知か分かんないんですけど
ホテルC京都の
この廊下の奥にあるネオンと
マガザンさんにある
京都夜遊びっていうネオンが
昔は一つだったんですよ
インとヨーみたいな感じで
一緒に
京都夜遊びっていう企画を
マガザンさんのホテル特集みたいな感じで
ホテルCコラボで
ホテル×ホテルでやった時に作ったネオンが
その後二つに分かれ
エムレムのホテルに飾られている
割り勘で山分けしましたよ
割り勘でしたね
そうだそうだ
実はそんなこともあったり
その妻がでかいネオンですね
そうだそうだ
本当に身内の話になるんですけど
与作さんもしかしたら
ご存知ないかもしれないんですけど
今私たちの会社の採用サイトを
マガザンさんに
作っていただいているんですけれども
その採用サイトの
開発責任者みたいなことを
うちの会社でしている人が
泊まれる演劇っていう
ホテルCでやっている
演劇企画の責任者の
花岡っていう人なんですけれども
花岡が
2018か19くらいに
うちの会社に入社してくれてるんですが
入社したきっかけは
京都夜遊びの
夜遊びパジャマっていうパジャマを
見て
かっこいいってなって
それで応募してうちの会社に来てくださったんですよ
なるほど
面接の時に
上下夜遊びパジャマ着て
気合そう
気合めっちゃ入った
応募者の人
函館から来られた
函館の会社から来てくださって
すごいぞみたいな
もうちょっと値段上げたらよかったですね
採用サイト
確かに
全然それでも行っちゃってたかもしれないですね
なんで結構
岩崎さんにお会いする前に
すごい緊張して
入社したきっかけの
恩人というか
恩人みたいな感じで
そんな感じで
一緒に京都夜遊び企画みたいなことを
してパジャマ開発したり
そんなことも金沢さんと
主に儲からないところ
結構ありましたよね
儲からなかった
本当ぐらいには行ったのかな
数字上はそうですね
今のPLだとこんなにもやらない
そうですね
今だと絶対できない
逆にすごいいびつ
いびつなというか尖ったことを
当時は石くんと一緒にやらせていただいて
確かに
もううちらの独自でやったり
そういうのが多かった
この10年を振り返った時に
10年を振り返る:初期衝動と組織化の課題
初めの3,4年ぐらいは儲からないこと
全力でできてたかみたいな感じ
本当にそう
良くないお隣り方をしてるなっていうのを
すごい思い始めてきました
マグナムさんも
その感覚あるんですか?
めちゃくちゃありますね
最近入ってきた社員は
やたら目的とか
これ収支どれぐらいになるんだ
って必ず聞かれるから
やっぱり会社だなって思って
最初はもう
全くそんなことなかったんで
最悪持ち出してもいいよねみたいな
うち10万ぐらいなら
最悪どころから出せます
みたいな感じで
やらなきゃ気が済まなかった
そんな感じ
うちの会社の
当時は本当に
私と岩崎さんと
金井塚さんとかたまに
一緒にやってくれや
って感じでやってたのが
会社組織として
ちゃんと縦割りじゃないですけど
この事業部の
このプロジェクトの
このマネジメントラインの中の
この人のこういう目標設定の
これとしてこの企業にやりましょう
みたいな
ちゃんともう
かけた人間に対してタグちゃんと付けてない
自分の人件費
計算してない
なってんなみたいな
こんなの嫌だなって会社員の時思ってやめた
全部今やってます
めっちゃやってるな
でもなんか当時の
自分たちのやり方を
多分今もっかいやったら
見てられないと思うんですよ
この進め方非効率すぎる
ちゃんと断頭秘訣みたいな感じに
なってる気がしてて
そこを何て言うんだろう
10年を振り返った時に
この初期衝動をどうやって
組織化された
組織の中でも
持続的に
燃やし続けていく感じがあって
これからの本当にそれに
かかってるなっていう感じがします
10年って結構大きな節目だと思うんですけど
コロナ禍の影響と組織の変化
燃え尽きとかそういうのはないですか?
あるいは次のステージに行かねば?
みたいな
ぜひ聞きたいです
僕で言うと次に出るから燃え尽きてない
って言われる
シンパクティアをやってるのも
マガジャンのヤドは
今はほとんどノータッチで
2回メンバーがやってくれていて
こんなのやってんだ
この企画意味わかんないなと思うけど
なんか売れてるな
って距離感になってきてる
そういう次に行った感覚
だから今は
やれてるというのがある
燃え尽きじゃないですけど
うちの会社はコロナがすごい
良くも悪くも
すごいいい
いろんな影響をもたらしたなっていう
もみくちゃにされた感じが
あって
完全に
ぶっ壊されたみたいな感じがしました
それは売り上げが落ちちゃったみたいな
そういう話ではなく
コロナのもたらした良かった側面っていうのは
やっぱり普通にホテルやっても
意味ないよねみたいになったんで
じゃあ面白いことやろう
みたいな感じで
みんなでいろいろチャレンジしていく
みたいなことができて
それがあって
プロデュース事業部っていう
クライアントワークやってるチームもそうですし
ガフでサンゴケアとか
新しい事業にいっぱいチャレンジできたっていうのは
コロナがもたらした
すごい良いインパクトで
マチルンとかもその時に
ちゃんとリリースしたりとか
ホテル業っていうところから
すごい脱皮じゃないですけど
業域が広がったのは
コロナの影響ではあるんですけど
それと同時に
組織って
どう運営してったらいいんだろう
みたいなところを
考えさせられたみたいなのが
コロナの影響としてあって
やっぱり
会社の在り方が
全部変わっちゃうね
それまでホテルだけやってればOKだった会社が
ちゃんと
大きいデベロッパーさんに対して
ちゃんと自分たちの価値を
スライドを通じて
提案できないできない
全然求められる職能が違ってくるので
その中で
活躍むちゃくちゃする人もいれば
すごい
活躍できないって感じちゃう人もいるし
私たち自身も
とにかく
みんなのお給料支払うために
お金かき集めるので必死で
みんなの
お世話をしてる余裕がないではないですけど
放置後になっちゃう子とかが
出てくるみたいな
感じになってる時に
結局そこの組織を
どう作っていったらいいんだろうな
みたいな課題が
本当に3年くらいあったので
その3年で私はめっちゃ
心が拭けました
心が老いたって思いました
大人になったってこと?
大人になりました
僕は参照する
会社員勤め時代があったわけですよ
イグルートとかラッピングとか
仕組みが仕上がってるから
ここはこれをやろうとか
就職経験がないと
そうなんですよ
私が作ったんじゃないです
私はただ
どうしようみたいになってるだけで
やっぱり作ってくれる仲間が
いたのが本当に自分の場合は
めちゃくちゃ幸運なことだったんですけど
でもその時に
コロナ前の自分が
クソガキだったって気づかされたというか
本当に自分が
やりたいことだけ
それこそさっきの話じゃないですけど
もう持ち出しでやろうよ
バイブスでいこうよ
みたいな感じで
生きているんじゃダメなんだ
って気づかされたっていうのが
すごいありましたね
10公演ですけど
登場後そんな感じで
なんか火がついたっていうか
本気になり直した感じ
そうなんですね
宿が1割
それ以外がデザインコンサートが9割だった
そこはその時は
暴中の幸いでコロナというと
確かに確かに
宿は割り切れた
それがDX関連だとか
そういった案件が
コンサートデザインできたので
そのまま一応維持はできたんですけど
これはこのままやってたらダメだな
っていうのはあって
従業員に対応しだして
当時いてくれたメンバーもいますけど
企画名を忘れてしまったけれど
ECを持ってたしで
この商品たちを
送ってくれたら
周りの世話になっているところで
お金を支援する
コロナでしんどいところに
みんなのプログラムが
みんなの中から出てきたり
チーム感が出たので
これは先に行こうと
そうしたらみんなも年を取ってくるわけですね
従業員に
初期年も残ってますけど
10歳を取るってことは
家族ができていたり増えていたり
ステージの変化
スタートアップあるある
24、5歳って
みんな無邪気になれる時代ですけど
30歳を超えてくると
周りの年収が大企業に就職したことに
上がってきたりする
物差しがあれってなってくる
のを感じた中で
給料を上げてほしいと
上げるような仕組みに変えるけどいいか
って
本気でアクセルチェンジをして
生き残った子たちが活躍してくれてる
明快にコロナが
トリガーでしたね
本当に
そういう意味で
体質変化をめちゃくちゃ
迫られたなって感じは
すごいするなって思いました
今の話を伺っても
お疲れ様でした
10年間のご褒美と今後の展望
お世話でした
今年は景気良かったな
って感じなので
ありがたいこと
万博
全部過去最高
とってえんやすに
万博に
うちらもみんなが
頑張りがあったので
去年は固まっていかない
ときを粘りがち
した
ご褒美を
大分時差のある
ご褒美をいただいたな
という気持ちではあります
24:24

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