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あー、えー、この放送は、
孫たちの幸せな日々の記録、
自分自身の頭の中の正論や気が付いたことのメモ、
そして、愛車JB64ジムニーのよもやま話など、話して、
日記的ブログ的な内容を話しております。
さて、今は、僕的には、7時。
もう夜ですね。
あの夕暮れの残滓が残っておりました。
真っ暗ではないですけど、眩しい。
もう少しで夜の時間帯でございます。
えー、まあ帰る途中の道の駅、
そぞろを歩きということで、
ちょっと早めの歩数、やや早歩きぐらい歩きながら収録してます。
急に収録しようかという気になりました。
えーと、普段何を話そうかというわけではないんですが、
えーとですね、話をしている中で、
パッとした気づきがありまして、
それをメモでとどめとこうかなと思った次第です。
えー、やっている、まあ何でもいいんですけど、
仕事でも遊びでも、勉強でも、
やっている、やっていないを判断する、決めるのは自分。
自分です。考えたらそれはやっている。
まあ、何らかの結果が出たとしても、
うーん、やれてないな、やってないなって思えば、やってないんです。
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しんしろそれを決めるのは自分、他人様が決めることではございません。
いわゆる自己評価というやつです。はい。
で、これが例えば、えー、雇われの身で仕事だとすると、
仕事をすると、えー、その、まあ評価されるのはきっと結果だけなんですけど、
その州なり、月なり、えー、市販機なりの結果を評価するのは、
まあその組織の上位者であったり、えー、トップ経営者、経営層であったりするわけです。
それは他人の欲、第三者の欲。
今なりに一生懸命やったんだから、すごい評価してほしいわと思っても、
第三者が見れば、結果の数字はこうだから、評価もこんなもんだ、なんてこともあれば、
まあほどほど力抜けてやれて、それなりに悪くない結果でよかったねとかいう仕事が大変よくできましたって褒められることもあるわけで、
それはやはり評価するのが他人だからですね。
まあ、そういうことなんです。仕事、雇われの仕事なんてのはそういうことなので、
えー、誰も自分が思った通りの評価を下してくれるなんてことはない。
たまたま会えば、評価者の思考と自分の思考がこう、同じベクトルを向いてれば、
その評価も同じように出るんでしょうけど、そんなことは滅多にないと思って、
雇われの仕事なんてのはそういうもんだと思えば、
あー、自分でやったわなと思えれば、それで結果はどうあれいいのであってって、
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今の自分的、この60歳になっても働いている自分的な感覚としてはですよ、
自分がこの仕事はやったぜと思えたらそれでオッケーです。
まあ、自分に立ち返れば、えー、どんな結果を残してもですね、
年報契約でその年度書に、はい、これでオッケーですって反抗をした瞬間、
うーん、まあ、良くも悪くもどんな結果であれ、その年報を月数で割った分だけの定期収入が得られるわけです。
だから、あともうそこで契約してしまえばです。
自分の仕事が給料分かどうか、行っても行かなくてもその分のお金は出るわけです。
個人的には金銭換算、年齢もかみし、かつ自分の立場を考えた上での評価的にはもっと、えー、もうちょいいし、
5割増しの月給もらっても、うーん、悪くはないと個人的には思っておりますが、
まあ、中小企業ですし、かといって大企業でそんなにもらえるような仕事をしているかというと、
大企業でリソースがいっぱいあれば、今自分がやっているような仕事は、うーん、
5倍ぐらいのリソースを当てて、えー、まあ給料の一部ぐらいでできるよねっていうので仕上がるわけで、
そんなところを考えておりましたら、まあまあ、今の年貿でもいいかな。
一回ね、過去に年貿交渉、あの、まあ規定で年収が、その年齢規定で年収が下がると言われたときに、
いやでも、私がやっている仕事はこれぐらいの金額の価値はあるんですけど、根拠はないけど、過去。
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で、言ってみましたら、でも規定は規定と言われまして、以後年貿交渉はやめました。
まあそんなわけで、えー、物事をやっているやっていないを決めるのは自分ですし、
自分で、おおやり切ったわとか、それなりにできたわと思えば、それが成果です。
承認欲求丸出しに誰かに褒めてもらいたいと思うのはいいんですけど、
それを口に出して本当に第三者に褒めてくれって言っても褒めてはくれないので、
それは心の奥に秘めておいた方がいいなと思った。
さあ、そんな真夏が戻ってきた8月の午後でした。
それでは、賑やかな人が横通ってますよ。
この声が届くあなたに、今日も素敵な一日が訪れますように。
ではでは、バイバイ。