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おはようございます。野菜がつなぐ人と人、ハーティッチファーム代表 もとです。本日も農業と学びで心も懐も豊かにするチャンネル、始めていきたいと思います。
この番組は国内最大手エンジニアリング企業で、17年間世界を飛び回っていた企業選手香川本文が、40歳を機に脱サラ収納した経験をもとに、農業、ビジネス、キャリア、
学びなどについて話しチャンネルです。
はい、おはようございます。連休、谷間の平日、いかがお過ごしでございましょうか。
結構ね、飛び死になっちゃってるんで、まあ全部つなげて、 つなげると11連休ぐらいになるんでしたっけ、今年のゴールデンウィークは。
まあでもね、そこまで谷間の平日をつなげて連休にされている方は、あんまり多くはないのだと思いますが、
まあそこもつなげてね、連休にされている方はどうでしょう。もうすでに海外とかに飛んじゃってるんですかね。
ああでも11連休って言ったらすごいですね。
私前職の頃はその海外駐在がね結構あったので、海外駐在に行くと、
場所によりますけれども、3,4ヶ月に1回ぐらいは2週間とかの休みになるんですよね。
もちろん飛行機を入れての2週間ぐらいの休みなので、日本に実質いられるのは1週間ちょいとかそれぐらいになってしまうんですが、
まあでもねそれだけ定期的にまとまった休みがあると、日本で仕事をしているよりも、
家族とねじっくり過ごせたなあっていうような気があるぐらい、やっぱ連休であるとね家族とねゆっくり過ごせますよね。
まあ今の農家の生活になってしまっては、もうゴールデンウィークなんと関係なくね、
普通に毎日土日も関係なく仕事をしておりますが、
まあでも会社員の頃よりもね、一緒に家族と一緒にご飯は食べられるし、お風呂は普通にねあの夕方6時頃入れるし、
という意味では、まあよっぽどあの頃よりは家族と過ごす時間というのはね増えていると思います。
まあ皆さんも今連休取られている方はゆっくりとね、ご家族と過ごせる時間を楽しんでいただければなと思います。
はい、ということで本日の本編の方に移っていこうと思いますが、本編もちょっとね家族関係の話をしようかなと思います。
家族のプライベートネタで初めてここまでしゃべるかなっていうところもありますが、
妻の誕生日の重要性
何かと言うと本日4月28日はとてもとてもね大事な日なんですね。
何の日かと申しますと、妻の誕生日でございます。
関係ないと、皆さんに全然関係ないですけどね、大事な大事な愛する妻の誕生日の日でございます。
恥ずかしい。愛するとか自分で言うと恥ずかしい。
普段ね、愛するなんて言わないですからね。あの妻はこの配信を普通聞いておりませんので、聞いてないところではちゃんとね言っておこうかと思います。
あの皆さんに、いやいや聞こえる本人にちゃんと言えよって突っ込まれそうですけどね、なかなか
もうね恥ずかしくて言う機会ないですね本人に対してそういうことは。いや思ってはいますけどね。思ってても言わなきゃわからないんだよ。ちゃんと
宣言しましょうとかって普段自分の配信で言ってるのに、自分はそんなことは妻に言っていないと。そういうことで。
まあでもね、そんな妻の誕生日ということもあり
普段感じている感謝とかを改めて声で残しておこうかなと思います。
妻はですね今年で、今年でというか
今日で47歳ですね。女性の年齢をね、こんな公共の場で公表していいのかっていう話もありますけど
47、78年生まれなんで47歳ですね。私の学年で言うと一つ下の学年になる感じですが、まあ1歳差で
遠距離恋愛の思い出
結婚しました。 出会いはね
大学時代のバイト先なんですよね。大学時代のバイト先で出会っておりまして
私は大学院を卒業しましたが
彼女の方は 国立の大学でしたけど同じ大学は別の大学でしたが
彼女は 学部を卒業して4年で卒業して
就職した感じです。でもまあ彼女はね1回浪人しているのでそれで国立に入っているので
大学4年を卒業する時と私が大学院を卒業する時が同じ年で
2人とも そのバイト先で
働いておりましたが同じバイト先で働いてて2人とも同じタイミングでバイトを卒業して就職したという感じですね
彼女は地元の企業にね飲食店だったんですが地元の飲食店に就職しましたので
そこから地元東北に残って仙台でしたけど仙台に残って 働き始め私は横浜の方のエンジニング会社に就職でしたので横浜に
移ってで横浜で就職を始めた という感じで最初はね遠距離恋愛だったんですよね
遠距離恋愛してあるどのぐらいですかねぇ 私が
最初の駐在 カザフスタンですけれども
そこに駐在を始めるまでの 2年
ぐらいから約2年ぐらいだと思いますが2年ちょっとぐらいを横浜と仙台の 遠距離で過ごした感じです
だから毎週は戻ってなかったですけど月に1回ぐらいはね 仙台の方に私が行ったり彼女が
横浜に来たりとかしながら 過ごしておりましたが週末をねお互いのところで過ごすみたいな遠距離恋愛を続けて
おりましたがまあ私がね横浜で住んでいたのが最初はね えっと会社の音量だったんですよ
量だったんでそこはねー あの外部の人をね連れ込めなかったんですよね
まあと言いながら隠れ隠れねあの彼女を部屋に止めたことは何回かありますけど まあでもその頃ね私も寮長をやってしまったので
幼鳥っていうのがねあれは 新入社員
2年目からいや1年目そのね新入社員の中から 寮長を決めてで管理していく
ようにするんですが寮長をやっていた身分なんでねあまり高規則に反すること できないんじゃないですか
だから結構ねあの横浜に来た時は外のホテルどこかをとって泊まっているっていう方 が多かったですけど
まあそんな感じで最初の 2年ぐらいは横浜と仙台で遠距離しながら過ごしていた感じ
ですがその私が最初にカザフスタンに駐在に決まった時に まあ連れて行くことはねさすがにちょっとできなかったので家族で帯同している方も
カザフスタンにいましたけど上の方ではね 上の方がいましたがまあ私はさすがにねあの新入社員
ぺいぺいっていうこともあり まだ結婚もしていなかったので連れて行くことはしませんでしたが
ただ
駐在っていうのはね 家族シングルで要は独身で行くよりも家族で
要は最大持ちで行った方が手当てが相当多くなるんですよ ということもあってまあ話した結果
遠距離は続くんだけれどももうそこで席を入れてしまう ということでもうねどうせ結婚するんだからっていう2人ともそのつもりでいたので
もうねそこで 席を入れて中滞在駐在前に席を入れてもうあの既婚者として
駐在したんですよねでそこから最終的に カザフスタンにいたのは2年ちょっと
出張を含めたら全部で2年ちょっとぐらいだったんで
最終的にはそこからさらに2年ちょっとぐらいは今度は日本とカザフスタンでの 遠距離恋愛
っていうのを経てその後カザフスタンから帰ってきた後 実際に一緒に横浜で住むようになったんですね
そこで結婚式その時に結婚式を始めてあげて初めてというかね 結婚式をそのタイミングで帰国の時にあげて横浜で住み始めたという感じです
まあまあ横浜でね住み始めてからは 彼女はパートタイムでちょっと仕事をしながらという感じでもうあの
遠距離恋愛中はね仙台で一人で約5年ぐらい その飲食店でフロアーマネージャーとかもやりながらやっておりましたがもうそこで
ヘッドヘッドに疲れて 本当中小企業だったんでもう場所馬のように働かされて
フロアーマネージャー 新入社員のペペの頃から責任ある仕事を
やらされて大変だったようですがまあそれでねもう 正社員として働くのはもういいっていうぐらいになってあとはもうずっと横浜に来てからは
パートタイムでね飲食店だったりとか 総在屋さんだったりとかで働くようなそんな生活をしておりましたがまあそんなことを言っている
家族との駐在生活
うちに一人目妊娠して という感じで
過ごしておりました でもね妊娠してからももう私は
最初長男の頃も1年ぐらいは一緒に過ごしておりましたが まあその頃からだんだんとね
また駐在他の国に駐在というのも始まり 帰ってくるのはやっぱり34ヶ月に1回2週間だけっていうことを繰り返すような
時になりまして 最初の長男の時はほんと1年ぐらい1年は一緒に過ごしてましたがあとは本当に妻
に任せっぱなし ただねあの横浜の頃は義理の母も一緒に住んでいたのでまぁ義理の母と妻で
長男のね赤ちゃん時代を 過ごしていた育てていたっていう感じですけれど
まあでもねほんと妻に任せっぱなしでしたね 長男の方も
まあ次男の方もねそうですねほんと小さい頃は妻に任せっぱなし私は 最初のほんと長男のね1年ぐらいその時を
こんなおむつ交換とかね やったぐらいで
その後はほんと駐在で休暇中に帰ってきて その時に何か面倒見てやるぐらいだったんで私もね赤ちゃんに対して子供に対して
どうやって接していいかっていうのがね 慣れないような本当父親初心者というか
晴れ物に触るような感覚で自分たちの息子時代の息子の音育てているっていうような そんな感じで慣れたなと思った頃にはまた海外の現場にね戻ってしまうような
感じなので 本当にあの頃は育てる子供を育てるってことはねずっと人妻が一人で
やっていたような感じで ここまで立派に息子たちが育ったのはほんと妻のおかげだと思ってるし
いやー大変な思いさせたこともいっぱいあるんだろうなというのもね 感じますまあそんなこんなで
実はね日本で頑張っておりますが2人目妊娠した時にですね やっぱり妻もこのまま離れて父親とね
子供たちを離れて2人目も育てるのはかわいそうだと思ってくれたらしいんですね まあその
駐在している間に2人目に妊娠したので まだそこから1年以上2年ぐらい駐在が続くようなタイミングだったんですよ
まあだから0歳の頃からね父親がいない状態で息子を 2人目に地難をね育ててしまうとやっぱり父親に対する猫
なんていうのかな慣れも もっと長男の時よりもなくなってしまうかもしれないしということを懸念してくれて
基本的に海外に行くのは嫌いな人だったんですけど 2人目生まれたそのタイミングで
駐在を一緒に行くことをね決意してくれてでその時はカタールに駐在している時だったんです が
あの一緒に行くことを 選択してくれてでカタールはね一緒に住むことができる場所だったので
でそこに 2年ぐらい
1年半か約1年半家族4人で私妻とあと小さい息子2人を連れてカタールでね1年半 ぐらい一緒に駐在していました
まあでもね逆に行きたくないって言った海外ですが 周りに日本人もいっぱいいて同じ会社のみんなで同じエリアの
ところに 家が並んでるねまあ向こうでコンパウンドって言うんですけどそういうところで
過ごして ldk ですかほんとカタールにの家なんでねでかいんですよ
ほんとねー なん
を ldk とかもう2階建ての 石でできているような家ですけど
そういうねもう使い部屋なんて使いきれないぐらいもキングベッドベッドルームが2つ あるような
あのでお客さんの 来る部屋も含めたらほんとベッド何個あるんだよみたいなそんな部屋にね
あの住んでたので いい経験はできましたよねで周り日本人同じような会社の同僚たちがね
妻への感謝
の家族が住んでいるのでそういうところで仲間づくりもできましたし 妻はねほんといい思い出できたなって言ってくれてたんでまぁ一緒に帯同してね
1年半でしたけど一緒に帯同して良かったなと思っておりますね まあそんなこんなしながら会社員生活の頃を過ごしておりましたが
まあでも40を機にですよ結局ね そこから
横浜での会社員生活を辞めて栃木に戻ってこようという話になったんですが まあほんとここはね妻に感謝するところですけれども
全く本当に会社を辞めて横浜のあの生活を捨てて会社を辞めて栃木に戻ってくること そのことにはね
全く反対しなかったしむしろいいんじゃないっていうそのね選択でいいんじゃないっていう ような私も決断をねサポートしてくれるような人だったので
何の家族としては何のわだかまりもなく 本当に栃木に戻ってこれたのは
ほんとその点はね妻に感謝ですし 今でも栃木に戻ってきた最初の時こそ
外の印象やっぱり飲食店でフロアのバイトをしながら1年ぐらい過ごしてましたが 1年ちょっと過ぎた頃から完全に農業をサポートしてくれるような生活になりましたし
そういう意味でもね ほんと嫌なことを一つ言わず
農業のことをサポートしてくれてそして子供たちも育ててくれてっていうところはね 本当に
感謝の言葉を 1億回言っても感謝しきれない
ありがたいですね 本当にね子供たちも
小さい頃には小学生低学年の頃もね ほとんど自分で育てていたのでなんて言うんですかあの
宿題をやらせることもね 子供が泣きながらでも宿題やらせてましたからね
そういうのもあってほんと今や子供たちはね何も言わなくても自分で勉強するような そういう癖がついているのかもしれませんが
まあねそういう意味で勉強に対する考え方 スタンスっていうのもね全部妻が仕込んでくれたなと思っています
私は家のことは本当に何もやっ こんなこと言われるとめちゃめちゃ怒られそうですけどあのね
本当にちゃんと家のことをサポートされている2人で育っている 旦那さんとか
そういうのも当然でしょっていう奥様方にめっちゃ怒られそうですけど あの基本的に私は
本当に仕事一筋な方なんですよ 家のことは全部妻がやってくれる
まあそこをねあのやりなさいとも 言わないタイプの妻ですねあの私が
やるっていう感じの方なんで ほんとそこはね
ありがたいめっちゃそのサポートしてくれるのがありがたい で
会計の面でもね家のお金をハンドリングは基本的に私がしているので生活費を妻に 渡しているっていう感じですので
なんていうのかなその辺のね本当に私の自由度を 完全に許してくれている許容してくれている妻なんですよね
なかなかねやっぱりあのお金の件とかも結構前の会社でもお小遣い性の人が多かった ので
そういう意味でもねもうそこのハンドリングを私を信頼して私に任せてくれている っていうのはね
あの珍しい方なんだろうなと思いますし そこもねほんとありがたいですね
という意味で 私は
家の中では全部あの妻にその中のね仕事は 全部妻に任せて本当感謝ですが家の中で私がいろいろやるとめっちゃ怒られ
ます いろいろやるぞっていうのは
いろいろ 怒られることがあります電気つけっぱなしドア開けっぱなしとかね
そういうことですよ 本当にでもねあの何も言えません私は
はいっ もうすぐねすぐしたらいい
本当に家の中ではね尻に敷かれちゃう
妻は強いんで口調体できません っていう強力な妻でございますが
私へのサポート体制協力もね大変 してくれる妻っていうところで本当にね
ありがたいなと思っております そういう妻が誕生日を迎えました
誕生日の過ごし方
でも別にプレゼントをあげないんですね プレゼントをあげているというわけではありません
もうねなんか何年前から金 プレゼントをあげるまあ基本的に私プレゼントあげるって時はあの自分でなんか
サプライズも含めて自分で選んであげてたんですけど もうだんだんねそういうのもなんかわからなくなってくるじゃないですか
あの相手が何を喜ぶっていうものね だんだんこうなんかずれてくるしてるかわからなくなってくるししかも妻も物欲が全くない
んですよ だから別に使わないものをもらっても無駄でしょっていう感じなんで
言っときはじゃあ聞いてそれをあげるっていうふうにしたんですけど聞いてもね 別に欲しいものがないって言うんですよね
あの欲しいものというとジャニーズの cd だったりとかそういうアイテムはすべて買ってるんですけど
ジャニーズファンなんで今はスノーマン推しですけど スノーマンの中でも作間くん推しですけどそういうジャニーズのねあのアルバム系の cd
はね全種類買うんですけど あれすごいですよね同じ cd でもちょっとずつあの中に入っているもコンテンツが違うとそれを
全部買うっていうね そういうタイプですがまあまあその辺で何かって私は何も言いませんけど
そういうものは欲しいらしいんですが別に物を他の物欲はないということなので もう今やねプレゼントをあげなくなりましたね
まあでも今日も まあちょっといい素材とかねそういうのを買いながら誕生日パーティーを家族でしましょうかと
まあそれぐらいなもんですけれども っていうようなね物欲もなく仕事サポートしてくれていいことはしっかりやってくれる
そんな妻でございますそんな妻が48歳 2人ともいい年になりましたけど48や47か
怒られちゃいますね一切年上いっちゃったらいい年になりましたがね 喧嘩もしながらでも
子供たちのためにもね2人とも元気 これからもを過ごしていければなと思っております
改めていつも妻には感謝しております愛してるよ って本気には言わないですけどね
ということで皆様のパートナーのね誕生日などどうやってお過ごしでしょうか パートナーというかね人それぞれいろんな過ごし方あると思いますが
まあの 普段なかなか口にはできないことをちゃんとこういう時に口にしなさいよって言われ
そうなので なんか
ちゃんと今日は口にしようかなと思いますありがとうってね ちゃんとねありがとうはねちゃんと普通普段から言ってなきゃダメですね
そういうことをちゃんと言うように薄い事件くせ付けしたいと思います はいそれでは今日も良い1日をお過ごしくださいまたねー