1. ストーリーとしての思想哲学
  2. #146 芸術の内容形式論争 〈..
#146 芸術の内容形式論争 〈内容〉と〈形式〉はどちらが大事なのか
2026-07-12 09:08

#146 芸術の内容形式論争 〈内容〉と〈形式〉はどちらが大事なのか

サマリー

本エピソードでは、芸術における「内容」と「形式」のどちらがより重要かという長年の論争に焦点を当てています。語り手は、一般的には両者は切り離せないとされがちですが、文学においては「形式主義」の観点から作品を読むことの面白さを強調します。芸術の形式を階層構造で捉え、俳句や村上春樹の文体、小説の二重構造などを例に、新しい形式の発明が芸術においていかに重要であるかを解説しています。

芸術における内容形式論争の提起
ストーリーとしての思想哲学 思想染色がお送りします。今回は芸術の内容形式論争についてです。
芸術は描かれた内容そのものが大事なのか、あるいは描き方の形式が大事なのか、どちらが大事なんだっていう二項対立は、はるか昔から無限に擦られ続けてきたテーマです。
かつて芸術とは自然や現実の模倣であり、神話の物語や道徳的な教訓を正しく伝えるための手段でした。
ということは基本的に物語が持つ教育的思想的な内容こそが重要視されていたわけですね。
一方で美学ってあるじゃないですか。
美学的な観点から言えば、美しさとは何か、何があれば我々は美しいと感じるのだろうか、どのような構成要素があれば美しさが立ち現れてくるか、という形式を問うことが重視されることになります。
で、なんでこのテーマが無限に擦られ続けているかというと、まだ答えが出てないからです。
だから、どっちかに返答するのではなく、内容と形式は切り離せるものではないから、どっちも大事だよね、みたいな穏当な結論に一旦着陸するのが普通の感覚かと思います。
ただ、それじゃあまりに差し当たりなさすぎて何も言っていないのと一緒な感じがします。
だから思い切って、普段はこういう言い方はあんまりしないんだけど、僕の考えを明らかにしながら、僕個人の考えを述べるという形で、内容主義と形式主義の話を展開してみます。
形式主義(フォーマリズム)の定義と具体例
一般的に形式主義、形式は英語でフォーミュラーだからフォーマリズムって言うんだけど、フォーマリズムとは、例えば映像作品だったら何を伝えるかよりもカメラワークや編集などの映像技術をどう駆使するかを重視する演出や表現手法ということになります。
ですから映像なら、前衛的な実験映画なんかが形式主義、フォーマリズムの典型ということになると思います。
美術でも前衛的な何かアヴァンギャルドな作品ってあるでしょ?
キャンバスに絵の具をびちゃって巻き散らかしただけにしか見えない作品とか。
ただ、僕は映像や美術は専門じゃないので、ぶっちゃけ前衛的な作品はよくわかんねえなって思うし、キャンバスに絵の具をびちゃって巻き散らかす系の作品の面白さもあんまりよくわかってません。
詳しい人には面白いんだろうけどね。
文学における形式主義的解釈と形式の階層構造
一方で文学に関しては、形式主義的な解釈をしながら読む方が面白いと思っています。
だから僕は文学に関しては形式主義者です。
という話をする前に、まず芸術の形式というものを階層構造にして整理してみます。
そもそもなんですが、芸術の形式は大分類・中分類・小分類って、大・中・小って階層構造があったとして、さらにその下にも細かい形式あるいは様式がぶら下がっているっていう概念図で捉えて良いと考えています。
芸術っていう概念が一番上最上位で、でその下に横並びで枝分かれして美術・文学・音楽などの超でかい分類が来る。
でその下、文学なら文学の下には小説・詩・俳句・短歌・戯曲などの概念がこれまた横並びでぶら下がっている。
で小説だったら小説の下には純文学・歴史小説・ミステリー・SF・ノンフィクションなどの概念がやっぱり横並びでその下にぶら下がっているみたいな。
こういうツリー状の階層構造、系統樹みたいなイメージで捉えるとわかりやすいんじゃないかな。
はい、一口に文学といっても小説の形式、詩の形式、俳句の形式じゃ全く違うでしょう。
少し極端に言えば、最も有名な俳句って多分松尾芭蕉の古池や川津飛び込む水の音だと思うんだけど、これは57号の形式だから成り立っている芸術なわけですよね。
小説の形式で、つまり3文で書いてしまえばきっと余韻とかわびさびが失われてしまうでしょう。
ということは古池にカエルが飛び込むという内容は別にどうでもよくて、形式の方にわびさびを感じさせる力があるということになります。
形式の力:文体と物語構造の例
さすがにちょっと極端な例えな気もするので、もう少し身近なところでいきます。
村上春樹って読んだことありますかね。
よく文体がすかしているとか、主人公がやりやり系すぎるとか言われるけど、村上春樹の文体って独特ですよね。
で、あの文体そのものを形式の一つだとみなすことができます。
独特の文体が読者に印象を与えるというのも形式の力の一つです。
独特な文体といえばハードボイルド小説なんかもかなり独特な文体を用いがちだよね。
普通、内容と形式のどちらが強いパワーを持っているかと聞かれれば、物語の面白さ、ストーリーの意外性みたいな内容にパワーがあるように感じるじゃないですか。
でもそもそもその物語が描かれている文体からも、読者は印象を受け取っているんだよと美学的な観点からは言うことができるわけです。
もうちょい突っ込んで村上春樹の話をすれば、作中で夏目漱石のオマージュをしていたりとか、
あと、羊を巡る冒険って小説なんかは、一読すると主人公が自分でいろいろ考えて思考作業をしながら自発的に羊を探しているっていう風に見えるんだけど、
よく読み返すと、実は主人公はサブキャラクターに思考を誘導されてて、自分で考えていると思い込まされているというのがわかる。
つまり、表側の物語としては主人公が自発的に行動しているが、裏側の物語としては主人公の思考は他者から操作されているという二重構造になっているわけ。
よーく読むと二重構造になっていることに気付けるっていう、こういうプロット自体も一つの形式だよね。
漫画とかアニメでもたまにあるでしょう。裏設定があって考察をしながら読む系の作品って。
この手の二重構造になっている脚本も一つの形式であり、作るのが難しそうな珍しい形式っていうのはそれ自体が面白いしパワーを持ってるってのが僕の考える形式主義、フォーマリズムです。
新しい形式の発明とその価値
だから芸術の世界では新しい形式を発明した人はすごいってことになってます。
僕は今面白くてヒットした当たりの形式を挙げましたけど、その裏には全然評価されないハズレの形式も当然あります。
だから宝くじみたいなもんですよね。
当たりの形式を発明した作家は歴史に名前を残すけど、その裏にはハズレ続けてしまった名もなき作家たちが膨大な数いるという構造の話でした。
まとめと次回予告
というわけで今回はここまでです。
次回もよろしくお願いします。
09:08

コメント

スクロール