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#25_不慳貪_身体知的哲学
2026-10-18 10:38

#25_不慳貪_身体知的哲学

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00:11
田舎社労士さだきちの路傍観察日記
第5回 不謙貪
訳あって都会の会社を退職したさだきち
よくさだきちゃんって呼ばれるんですけど
日々をぼーっと観察して
考えたことをお話しするポッドキャストです。
10分くらいで終わります。
不謙貪
そもそもこれ読める人は
結構少ない気がします。
謙貪って平たく言えばケチ。
信仰密教の中で
例えばごまとか炊いたりとかご祈祷したりとかするときに
必ず導入を唱えるんですけど
その中に重前戒というものが出てきます。
ちょっとつらつらと読みますと
不切称、不中等、不在因、不毛語、不義語、不悪句、不良説、不謙鈍、不真理、不邪見
興味のある方はいろいろお寺のホームページとか解説とか出てきますので
お調べください。
重の良いことの解律、重前戒と言います。
その中の8つ目に不謙鈍という言葉があります。
謙鈍がケチなので
簡単に言うとケチにならない。
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というか、いっぱいいっぱい持っているお金や資産、もの
これをむさぼって人に分け与えない。
この状態を謙鈍って言います。
いろいろ定義にはあるんですけど、要はケチですね。
明治時代の小説とか読んでると林植とか謙鈍とかって出てくるんですけど、ケチの意味です。
不謙鈍の不は不実行とかの不ですので
謙鈍であるなという教えです。
私はこの言葉にすごく思い出があって
両親がね、わりと信心深い人で
神言宗の寺にちっちゃい頃は通っていて、今もご縁があります。
ちっちゃい頃からお寺でごま歌いたりとか
お経を唱えて、それからお坊さんのお説法を聞いてっていうのは
結構日常的というか、必ず節目節目でお寺に通うみたいなことは両親がしていたので
当然私もお寺に行くんですね。
それで小学生の時だったと思うんですけれども
お坊さんの説法で強烈に覚えてるやつがあって
それがこの不謙鈍に関する説法でした。
当時そのお坊さんは多分30代くらい?
若い青年層みたいな方で
今はもう立派な御住職になられてるんですけど
かっこいいんですね、ストイックで。
もちろんお寺なのでご結婚もされて子供さんもいらっしゃるんですけど
まあまあ青年層なので立派でかっこいいんですけど
そのお坊さんが説いてくださったのが
この不謙鈍の謙鈍というのはお金やものだけではない
知識や知恵を分け与えない。これも不謙鈍だってお坊さんがおっしゃったんです。
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持てるものが持てないものに分け与えない。これが不謙鈍であるなら
それは知識や知恵についても言える。
そのお坊さんがおっしゃったんですね。
これが強烈に私は痺れまして
当時私はもうこましちゃくれた女子小学生なわけですから
純粋にかっこよかったんです。
ちょっとミーハーというかバカバカしい話かもしれないんですけど
頭のいい人、賢い人、知識や知恵のある人
そういった人たちがその考えをそうでない人に分け与えない。
もっと言うと専門性がある人たちが
それを自分たちのためだけに使い、世の中のために使わないとか
それも慎むべき態度なんだ。
強烈に教わったんです。そのお坊さんに。
それも不謙鈍だ。気をつけなさい。
痺れますよね。これね。
で、そのこましちゃくれた女子小学生だった私が
今40代とか不悪を過ぎた
一応ですね、シャローシという仕事をしていて
残念ながらいっぱいいっぱい勉強してきたので
少なくとも知識や知恵は私の専門分野においては
人よりあるという状態だと思います。
もちろん黙っていればいいのかもしれない。
あ、あんたってそんなこともわからないのか。バカだなって
冷笑をしていればいいのかもしれない。
でもなんかそれも嫌だなって私は思っちゃうんです。
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もちろん私はできることが少なくて
無力さを痛感することもたくさんあるんですけど
少なくとも不謙鈍ではいけないというか
不謙鈍になることを自らに
演じるとまではいけない、いかないですけど
できるだけしないようにと思ってやってきたところがあります。
今本当に立派な住職になられてますけど。
はい、田舎シャローシ佐田基地のロゴ観察日記第25回
不謙鈍。話の続きはまた明日。
またね。
10:38

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