週の振り返りと息子との時間
はい、sonoです。おはようございます。朝の散歩から反省会です。
というわけで、今朝は
また、そうですね、よく晴れている日ですかね。
いつの間にか金曜日になりまして、まあね、今週は
そんなになんかもんやり過ごしたみたい感じはないんですけど、ただ
割とタスクをやっているうちに、何だろう、やろうと思ってたこととかには時間を使えてないなぁみたいな
週ではありましたかね。 逆になんていうのかな
とはいえ自分のバランスの時間は確保したみたいな 感じもちょっとありますかね。
昨日は息子が家にいて
オンラインで
仕事をしてはいたんですけども
昨日はちょっとね、一つ調べ物の
依頼を拾って、思ったよりというか
それに集中することにはなって進めてた感じですかね。
その後、息子が通院する時に少しついてたりとか
膝がすごく痛いっていうんで、慌てて閉まるギリギリに
整形外科に行って、なんかちょっと使いすぎて痛めてるというか、急に運動したので痛めてるみたいな話になったんで
少しそれに合わせて習い事をキャンセルしたりとか調整したりもバタバタしながら行って
でもなんだろうね、少し息子と過ごす、そういう意味だとそんな用事がないと息子と過ごせないというあたりで
ちょっとなんだか終わっているところもありますけども
そんな時間を過ごしつつ
ちょっとね、急に差し込みで入ったことに時間を割いてたんで、あんまり終わった感がなくて
もやもやしつつも、なんだろう、体が寝るのを求めていた、睡眠時間は最近結構ちゃんと気にして
気にするとやっぱり体がサイン出てるようなところもあって
そこそこ時間を付加せずにいて、今朝というところですかね
今朝はそういう意味だと逆に早目というか、6時台で目が覚めて
それはそれで健康で良かったかなという感じかな
今日はちょっとなんか、締め切りというか出したいものもありつつ
他のやることもあるという感じなので、ちょっとね、また頑張って進めようと思いますかね
でも、なんていうのかな
今朝でも改めて考えて、明日すげー仕事を取り戻すみたいな感じの計画にしてたけど
息子との時間大事だなとか、少し考えていかなきゃなとか
思ったりしてます。
風の谷本と新しい考え方
あと昨日はそういう意味だと、仕事とかが詰まりつつもちょっと気になっていて
読書も進めようと風の谷本を読んでいて
やっと第1部がそろそろ読み終わりそうなんだけども
考える上での考え方で、特に試作とか考えるときに
エコノミクスみたいなものを無視できないよね、無視できないというか
ちゃんと考えていかなきゃいけないよねとか、刺さるところもありつつ
読んでて、少しずつ風の谷構想というか
年型の生活とか社会とは別なものを作るっていう
分けて考えるっていうことの重たさというか大変さを感じ始めていて
もうどっぷりと今年型生活、年型社会の観念の中に生きているんだけども
即感って、人がまばらに住んでいて、年型で見れば何もないみたいなところで
年型へのアンチテーゼみたいに、自然共生みたいなものを考えるとかとは別で
もっと違う、今までの方向性とか文脈とは違うものを考えるっていう話なので
いわば年型というところで、無意識に考えていることさえ1回捨ててゼロベースで考えなきゃいけないみたいなところなんだよね。
それは難しさを感じるのとタフだし
プロジェクトとしてはそれをさらに形にしたりとか結果を出すっていうのは時間がかかる。
時間がかかるというかまとめづらいみたいなところがあって
それを逆にその状態で7年間引っ張るみたいなことができているのもすごい。
だけど大抵のものは1年、2年もやればだんだん停滞感みたいなのが出てきて
3年4年もすれば潰れるっていう感じだと思うんだけど
それをこうやってまだまだだけどもっていうのでアウトプットしているところもすごいなぁって感じだけども
個人的にはそっちに思いを馳せると
今の常識とか今思っていることとか今の自分が感じている課題も
年型社会の中で感じている課題だったり
年型社会の中で生きていく時の課題っていう感じになって
なんかすごく目の前を一回切り離していくと
短期と長期で長期について考えることっていうのは多いし
それこそこの前も3年先の幹を書くみたいな話とかしてたけども
あくまで年型の中でのモヤモヤした未来っていうのをちょっと点を打って
それこそバックキャストって、そこから逆順で目標から高のぼってやりましょうみたいなのが
セオリーというかやっていたけども
それがそもそも違うと。
他人について考えているときに、そもそも予想できないっていうものだから
ビジョンベースで作っていく。
別にバックキャストって逆にあえてする必要はないんだけども
目標みたいなものっていうのがぼんやりもするし
あとは考える時間軸が長いので
なんかこう間で変わる。特に多分今だとAIで変わる部分とかになると
本当に1年後には違うこと言ってるとか普通にあるだろうし
そうじゃなくても、本の中はもっと大きな、もっと大きなというか有給な話で
100年前とかだと、そもそも今の日本の電力事情とか
電力を使った社会っていうのが1840年代ぐらいからの約200年ぐらい前からできていることだけども
そもそもこれは100年単位で考えて、1000年単位で続く社会みたいなものを趣向するみたいな話なんで
それだけ聞くと多い多い無理だろうみたいな感じにもなるし
それをただ続けるみたいな営みなんで
壮大っていうか深遠な感じというか
より深いところから掘り起こしてゼロベースで考えるみたいな
哲学っぽいものなのかもなぁという気はするよね。
問題は何かそれに思いを馳せると、今の目の前のこととかそれまで悩みを継続
思考を継続していたものも途切れてまた復帰するみたいな切り替えに時間がかかるので
なんかその辺がすごく面白いは面白いけど大変だなぁと
そんなことを考えてましたかね。今日はそんな感じです。