朝の散歩とモチベーション管理
はい、sonoです。おはようございます。朝の散歩から反省会です。というわけで、今日はもう金曜日。
あっという間に今週の終わりになってますかね。 まあだいぶ今週後半は、
うーんと、 何だろう、
やる気というか、
少し調子が下がって、あまり進まず、まあ目の前の作業は終わらしつつですけど、
かなあっていうところだなと思いますね。 まあ最近は割とその、やる気が出ない、
まあ自分はすごい波が激しい方なんだけども、
中で、どうやって作業を積んでいくかみたいな、作業結果を積んでいくかみたいなところっていうのは、
まあ課題で、環境もそうは言っても自分でかなりコントロールできるようにしてるのもしてきたし、
まあその効果は大きいし、ある程度コンスタントに結果を出すために、
計画を立てて、いつまでにどれぐらいやらなきゃいけないかを可視化したり、
あるいは振り返りで自分がやった量っていうのを見て、ちょっとこれ見た目悪いなあみたいなことをチェックできるような可視化を進めたり、
みたいなこともしている感じですね。
まあその上で、原始的だけども、やる気が出るまで机に座るみたいなこともするし、
まあただ、最近はやる気を待つっていう方法は、どんどん慣れもしてくると、
永遠にやる気にならないっていうことが起きるなというのもあって、
何か強制的に手がけるみたいなことが実際にはいいのかもしれないと、
強制的に手がけるっていうのが、ただ机向かって形だけ手を動かすみたいなことにならないようにするあたりが工夫のしどころだなみたいなことを考えたりはしてますね。
変われない自分と環境の力
まあ本当に思うようにならない自分っていうのを、
心は昔からね、なかなか自分っていうのは変われないとか、
そういうのはね、マンデラ首相とかもね、言っているんで、
まあそういうもんなんだろうって思ったけども、何ていうか、
なんか手を動かすとか行動もね、変えるの自分って難しいなぁみたいなことはしみじみとですかね、
まあ何とかそうやっても、何とかなる環境を築いたりとかして、しのいでますかね。
桜とコーチング:12月までの見通し
桜も咲いてきて、今週末はかなり花見時な気はするんですけどね、
来週末になると今度逆に咲き切っちゃって、
花の散る気はやっぱ好きなんで、いいとも思うんだけど、
まあ5分咲き7分咲きぐらいで多分今週が一番華やかなんじゃないかしらとは思ってますかね。
昨日は午前中というか朝、それこそこの収録をした後にコーチングを受けて、
何なら昨日の収録はちょっとコーチング前に頭の整理をするのも兼ねてみたいなことはありましたけど、
昨日コーチングで自分が振り返ったり見てたりしたのは、
割と今年1年、12月までで考えると、
なんとなく全体の環境とかフェーズっていうのが見えてきていて、
しごろは自分もいろいろ講座に通ったりみたいなところもあったりとか、
会社もやることが年度で言うと8月決算なんで、
8月とかもう半年ぐらいは大体今やってることを集中して形にして一番効果を上げるみたいなところなんで、
迷うことないなっていう感じだし、
家もいくつかのテーマをこなしつつ、息子の学校生活に合わせて調整していくっていうのが見えてもいるので、
そういう意味ではレールに乗って12月まで走っていくような感覚は強いですよね。
なんなら12月で自分が50になるのに向けてっていうところもある意味やることも決まって、
心の持ちをというかあっという間に年末も来るし50歳も来るみたいな感覚ではありますね。
AI時代の大きな変化と静かな心持ち
その中でやることを整理しようみたいなところもあるにはあるけども、
何かしらに取り組んでいれば、ある程度今は今後に生きるっていうふうに思ってますかね。
そういう意味ではすごくやることが決まっていて、
今後大きな変化があるみたいなことも確信をしている。
AIによる産業革命みたいな状態だなっていうのを確信をしていて、
自分はその波に、畑から見るときに飛び込んでいるようにも見えるし、
でも心持ちはすごく薙ぎで、
なんかもう粛々とやることをやっているし、
何か本流とかそれを練り動かすようなことをしている感覚も特にないし、
実際そうなんじゃないかなと思っているときに、
昨日話していて、浦沢直樹さんのマスターキートンかパイナップルアーミーか、
なんとなく校舎な気がするんだけど、
に出てきた核戦争に備えて、風の谷じゃないけども、スイスの方だったっけな、
ヨーロッパの中の一番核汚染が進まなさそうなところに疎開して住んでいる科学者たちみたいなモチーフの人たちが出てくるんだけども、
そういう人たちに近い心持ちだなあみたいなことをちょっと思っている感じだよね。
社会貢献への諦めと大きな流れからの距離
それは世の中が必ずしも技術だけじゃなくて混乱をしていく中で、
大きな流れが嵐のようであって、
自分がこれまで目指していた自分の熱量を上げて周りに熱を伝播していて、
それが社会を変えることにもつながるっていうパネルが、
別に自分の熱が周りに伝わらないかっていうとそういうことはないと思うんだけど、
そこから社会に広がっていくっていうイメージがだいぶ今は薄くなって、薄いというかなくなって、
僕がそういう意味だと、アクティブでいられる時間の中で、
自分が功用したこと、功果を及ぼしたことっていうのが結果が出るのは、
多分自分が生きている間に見れなさそうだっていうことをしみじみ感じているのかもしれないから、
努力の結果が収穫はできなさそうだっていうふうに、
収穫っていうのが自分で見ること、フィードバックが受けられなさそうだみたいなところが、
割と自分の中で燃え尽く、燃え尽いてるのかな、ある意味そこには諦めを持っているっていう、
なんかそんな心持ちなんだなみたいなことを思っている。
淡々と暮らしつつだけども、手放してるのか諦めているのかがちょっとよくわからないところだけども、
ここ最近の世界の情勢の変化もあるけども、
変化が大きすぎて、そこにみんなが縛り付けられすぎていることっていうのが、
今は心に引っかかるというのか、
逆にそれを一旦保留して距離を置いているがゆえに、
すんとしているみたいな、そんな感じだよね。