1. その、帰り道に振りかえり。
  2. 朝の散歩から。悲しみを感じて..
朝の散歩から。悲しみを感じて、思い出すって話 from Radiotalk
2026-08-16 12:01

朝の散歩から。悲しみを感じて、思い出すって話 from Radiotalk

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サマリー

sonoさんは朝の散歩中に、5月に病気で亡くなったお世話になった人の訃報を知り、その悲しみの質について深く考察します。親しいながらも日常的に会うことのなかった人への悲しみがうまく表現できないことに戸惑い、過去の肉親の死の経験と重ね合わせます。最終的に、それは体の一部を失ったような感覚であると理解し、少し心が落ち着いたと語ります。

導入と近況
はい、sonoです。おはようございます。朝の散歩から、反省会です。というわけで、朝と言いつつも、昼近くになってますけども、日曜日になりますね。
昨日は土曜日で、1日家にいたかな。割とずっと、AIを触って、家の環境を整えたりっていうところにいますかね。
今日も、割とゆっくりと過ごしているところかな。引き続き、環境を整えて、ちょっとね、文章を書くっていうのが良いかなっていう感じはありますね。
大切な人の訃報
昨日夜に、付き合いは途切れてはいたんだけども、お世話になった人が、5月くらいに病気で亡くなっていたっていうのを知って、割と昨日の夜は落ち着かない気持ちもあって、
夜の公園で歩きながら、感じたりとかしながら、すごく近しく、近しくは別に付き合ってるんだけど、ずっと一緒にいるとかでもなく、
ワークショップというかリトリートを一緒にして、それ以来そこでの絆でつながっているんだけども、
グループでも母とかお母さんとか呼ばれて、そういうすごく気持たま母さんっていうかね、そんな感じの人で、
たまにそういう意味だと思い出したりとか、自分に対してももちろんそうだったし、仲間に対しての支えるっていうのかな、
ちゃんと支えてくれる姿っていうか姿勢を思い出すときがあって、そういう意味で自分の中の一部であったりとか、自分の中の考えていることとかに影響を与えている人だなって。
普段そんなに、今北海道にも住んでて、普段はそんなに会う機会がない人で、SNSでつながっていたけども、本当に年に1,2回ぐらい投稿を見たりとかする、それぐらいの付き合いではあるんだけども、
悲しみの戸惑いと自己分析
でも自分にとっては大事な人、大事な仲間のうちの一人で、そんな人が亡くなったって聞いたときに、すごく絶望に襲われるとかはないけども、
ただ悲しみを全く感じないわけでもないし、ちょっと付き合いがあった人とか、自分が関心あった人が亡くなったときの悲しみともまた違う悲しさみたいなものがあるんだけど、
それがうまく感じられないというか、自分で自分にどう表現したらいいのか、それがまた周りを気にしているようでもあって、どうすればいいのかみたいなものが、すごく生意がつかなくてショックを受けているんだけども、
それがどういうものなのか、自分の中でも説明がつかないみたいな感じだったんだよね。
それをちょっと整理して、ただちゃんと感じたい、ちゃんと受け止めたいと思って、昨日は時間をかけて散歩をしながら自分の心を感じるみたいなことをしてたんだけども、
なんか不意に悲しみがこみ上がってきたりとか、涙が出てくるのもあれば何かの表紙にすぐ収まったりとか、
自分の感情が爆発もしないし、でも盛り上がってきたりとか、それが冷めたりするときに涙が出るみたいな物理的に出てくる悲しみの表現みたいなものが、
本当にあともうちょっとで出る、また引っ込むみたいな感じのところでもあるんだよね。
悲しみの深さが別に他と比べて中途半端っていうわけでもなく、
それはそれで悲しいんだけど、その悲しみの質というか種類って何なんだろうみたいなところ。
自分は正しくというか、ちゃんと受け止めて悲しんでいるのかみたいなものがすごく気になって、
悲しめていないときに、すごく不誠実でない気がして感じていたんだ。
過去の経験との比較
過去にもそういうことがあって、遠い肉親が死んだときっていうのがやっぱりあるよなと思って、
子供の頃におじいちゃんが死んだとき、あるいはもうちょっと大きくなっておばあちゃんが死んだときっていうのが離れて住んでいて、
年に一回会うか会わないかみたいな人なんだけども、
おじいちゃんおばあちゃんの場合は自分の親が関心を向けている人だからっていうのもあるけども、
自分にも温かくしてもらったりとか愛情を注いでもらった記憶もある人に対して、
その死を誠実に受け止められるのだろうかとか、
お葬式とかで周りの人が泣く中で、そこまで涙とかが出てこない自分がすごく誠実ではない気もして悩んだりとか、
逆にその後ろめたさみたいなものが印象深く残ってしまう。悲しいは悲しいんだけど、
でも日常が失われるっていう感覚とも違うから、何なんだろうみたいなのがあって、
悲しみの本質と受容
もちろん今回のお世話になった人とおじいちゃんおばあちゃんっていうのが一緒というわけじゃないんだけども、
日常にはいない親しい人を失った時の悲しみっていうのが、
何か少し体の一部を失ったような感覚っていうのが、
悲しみの元というか本質なのかなみたいなことを昨日は感じて、
それで少し落ち着いて、今日は寝て落ち着いたってそんな感じだったかなというのを思い出していますね。
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