米田コーヒーストーリー
米田コーヒーでおかわりを頼んだんですね。ミルクが入っているすごいちっちゃい器あるじゃないですか、あれがなかったんで
あ、お願いしますって言って届けてもらったんですけど、普通のあの大きなお盆に1個だけあのちっちゃい器が乗ってきたんですね。
ミルクにめちゃめちゃぴったりくるすごい器が、全然ぴったりじゃないそのお盆に乗っかってくる光景がおかしくて、申し訳なさよりもおかしさがかかって、すごいホッとした一時でした。
そぼろげ二色丼ラジオ。改めましてこんにちは。この番組は毎週のちょうど真ん中、木曜日の正午にお届けしている一人語りのポッドキャストです。
ライターでものづくり工房の管理人であるアサナが、仕事のことや遊びのこと、真面目なことや変わったことなど、毎週2つのトピックについて取り上げ、二色丼のように味わっていく番組です。
米田コーヒーが創業何十周年とかいうので、おかわりOKみたいな、2杯目おかわり無料みたいなことをやってたので意気込んで使わせてもらったんですけど、
意外な場面に遭遇してすごい楽しかったです。やっぱりチェーン店のコーヒー屋さんは長居するのに最適ですね。
全く人の目を気にせずに黙々と本読んだりパソコンで作業したりするのには、こういう匿名性の高い場所っていうのがすごい落ち着くなというふうに思います。
それでは今週も行ってみたいと思います。第70回墨田区文化祭の合唱祭に出場してきました。
出場というか参加というか、このラジオでも何回か話しているんですけど、今年の6月ぐらいかな。
今住んでいる墨田区の郷島という地域でやっている合唱グループに加わることになりまして、3ヶ月間ぐらい練習して、一応本番、週に1回練習あるかないか参加するかしないかぐらいの感じだったんですけど、参加して発表をしてきました。
結果から言うとなんかそのうまいかどうかみたいなことってめっちゃわかんなくて、あの普通スポーツの試合とかって出るとなんか結果がバーンと目に見えてわかるじゃないですか、数字でどうとか。
でもなんかこれは別にその1位2位を決めるみたいなものでもないし、しかもその壇上で歌った後、それがどう聞こえてたかってすごい判断がしようがないんですよね。
よし、なんか多分練習通りに歌えたと思うよみたいな感じと、壇上で言ってる自分の低いパートと高いパートの混ざり具合とかどう聞こえるかって、多分席に座ってないと判断できないしっていうところで、
まあやった、やったはいいがこれどうだったんだろうみたいなその不思議な感覚とともに終えることができました。
全体としてすごい楽しかったなというか、いい経験にはなったなという感覚がしています。
でね、その歌うきっかけはほんとたまたまのみやでその合唱団の人に声かけられて、僕もその存在はなんとなく知ってたので、まあ暇だし、暇だしというか楽しそうだしやってみるかみたいなところだったんですけど、
あのね、マジで歌うことって中学校以来とか全然やったことなくて、楽譜に書いてあることとかよくわからんわみたいな、この曲も初めて聞くしなみないなものからのスタートだったんで、
でそれをやっていくとですね、だんだんまあ最初はそのお手本を聞いて音程通りに歌うみたいなフェーズがあるんですけど、それをガーッといっぱいやって人と合わせていくと、
じゃあそろそろこのモデルアートとかなんとかうんこもみたいなその音楽記号とかドレミファソラシドだけじゃない、なんか楽譜にかっこいい文字、英語の文字が書いてあるんですよいっぱい。
滑らかにとか、ちょっとずつ大きくするとか、刻んでみたいな、そういうところをちょっと読んでいきましょうっていうことだとか、ある程度みんなの準備ができた状態で指揮者の人に入ってもらって、
じゃあここをもうちょっと強調してやってみましょうとか、思いっきり頭文字を大きく出してとか、流れるようにみたいな、そういう何て言うんですかね、
上巻的な指示というかが入ると、多分基本的な歌い方のリズムとかは一緒なんですけど、全然味付けが変わる感じがしたんですよね。
今までもなんか同じように歌ったけど、すげー合唱っぽいみたいな感じる場面がすごいたくさんあって、これはなんか楽譜に書かれていることって人によって見え方違うんだなっていう感じがして、
それがどんどん深まっていく感じがめちゃめちゃ面白かったですね。 あの昔少年ジャンプで連載してたソウルキャッチャーズっていう、
あれは還元楽部が舞台の漫画だったんですけど、主人公の人は全然素人の人で、ただあの相手の心が可視化して見えるっていう超能力の持ち主なんですけど、
そんな少年がですね、音楽で心を開くとか心を動かすみたいな、そういう描写が本当にフィジカルでその心臓くんが揺れてるみたいなところとか、
嬉しくて泣いてるとか悲しくて閉ざしてるみたいなところが見えるっていう能力を駆使しながら、全国大会優勝に導くぞみたいな話なんですけど、
その主人公くんも最初は全然素人だから楽譜が全然読めないんですよ。で、復活に入って最初ぐらいの課題で、じゃあこれ100人分書き写してきてねみたいなことを言われて、
でも意味もわからないままひたすら模写、副写を繰り返して、一晩で何十曲と仕上げてきましたみたいな描写があるんですけど、
で、それを副写を終わった後に改めて指揮を振ると、「あ、なんか、なんかわかる!今までわかんなかったことがすごいわかってくるけど、これを伝える胸がないから、ここで頑張って指揮をしなきゃ!」みたいな描写があって、
おもしれーと思って読んでたんですけど、その意味がわかりました。
多様な人々との共演
あ、なんか書いてることってこんなにたくさんあるんだみたいな、僕は本当一パートだけを歌えばいいんですけど、指揮者にとってはその情報が3倍4倍になっていくわけなので、
あー、それを伝える技術ってめちゃめちゃすげーんだなーみたいなことを初めて知ったというか、
うーん、音楽って触れれば触れるほどすごいものなんだなーみたいなことの片鱗を感じられた楽しい3ヶ月でしたね。
毎週のちょうど真ん中に1時間練習の時間が入ってるみたいな、そういうあまりないスケジュールの組み方みたいなことも含めて楽しめたんじゃないかなというふうに思っています。
で、なんかその歌う時間自体はそんなにまあ長くないんですよね。
1曲に1曲歌うので5分とか7分ぐらいで、この合唱祭は3部構成で、1部の発表を見て2部の間にちょっと準備練習をして3部の最後の方に発表みたいなスケジュールだったんですけど、
全部で28組ぐらい出てたんですけど、僕らぐらいというか30代40代ぐらいのチームほとんどいなくて、小学生グループみたいなやつが1、2組いて、
あとは結構婦人会的な人とか、シニアグループみたいな人がめちゃめちゃ多かったですね。
で、その人たちも多分趣味の集まりとか、学校のお母さんたちでやってますみたいなこととか、歌が好きなみんなで集まりましたとか。
で、だいたいそのコロナで活動が休止になって団員が減ってますみたいな感じで、
あーなんかねこれ、スミダックにおいては少なくとも各団メンバーを募集中みたいな、結構この人数は下がり気味の傾向にあるみたいなので、
ちょっと一回覗いてみると面白いかもしれないんですけど、なんかプロの人たちのショーを見ると、この人たちは自分と違う暮らしをしてるんだなとか、
ひたすら練習重ねて発表を繰り返してここにいるんだなっていう気がして、気がしてというか、まあ実際そうだと思うんで、なんか別物として見えるんですけど、
なんかこの文化祭でステージ上で歌ってる人って、ある種一般人というか、まあ自分も含めてですけど、きっと普通に生活があって、
その中で毎週だか月に何回だか、自分と同じように練習をして今日のために立ち上がってきたんだなっていうことがうっすらわかるわけですね。
で、そのうっすらわかる人たちが壇上にこう20人とか30人とかぶわーって並ぶと、なんかこの人たちの日常がこんだけあるんだみたいな情報の可視化された具合っていうのがちょっとうわーってきちゃって、
で、20人かける何十グループとかもあるわけだから、もう何百人とかですよね。で、本当の街中のその辺歩いてるおばちゃんとかおじいちゃんとか、青年、お母さん、子供たちがこっちを見ている。
こっちを見ているというか、まあ僕がそれを見ていて、でもあらゆるタイプの人間、キャラとして顔を描くならこうだろうなみたいな、何十パターンみたいな人たちがこっちを見て歌ってるっていう光景がなんか、人生って感じがしてきて、
このいろんな人々が僕と同じようにこう毎週ちょっと練習して今に至るんだって思うと、そのそれぞれが送ってる人生のリアリティ感みたいなやつがわーっときて、なんかその千差万別感みたいなことが見れたのがすげー新鮮でしたね。
普通に街中を歩いててももちろん人はたくさんいるんだけど、その人のことをじんまり見る機会ってないじゃないですか。
で、それをなんかでも合唱という舞台になると、こっちを見ている人たちを歌ってる時間、じわじわと見るわけであって、顔の違いだとか体格の違いだとか、こんなに千差万別な人たちがいるんだなぁみたいな、なんかその人間を眺める時間としての特殊さというかがすごい新鮮で、
なんか人間観察っていう言葉があるけど、ほんとそれというかなんか、人、人だなぁみたいな感じがしたんですよね。すげーなんか変なことを言ってる気がするんですけど、あーなんかこの感じはすごい久々だったっすねー。久々というか初めてぐらいかもしれないですね。
なんかお祭りとか行って人がわちゃわちゃ踊ってるのは全然わかるんですけど、なんだろうなぁ、その合唱祭っていうある種決まりきった競技で、若い人からそうじゃない人までみんな自分の体一つと声だけで歌えるっていう、ある種すごいフラットな条件だからこそ、なんかその人としてのというか生き物としてのフラットさが浮かび上がって、そういう感覚を感じたのかもしれないです。
こんなにマジマジと普通の人を見続ける機会ってそうないと思うので、楽しかったです。楽しいって言っていいのかわかんないけど、まあなんかこれも歌ってみるかみたいな合唱団入ってみるかみたいなことを思わなければ、こうはなんなかったかなと思うので、そうしてすごい楽しい3ヶ月間だったかなというふうに思います。なんかゼロから始めてその変化がすげーわかりやすかったんで、なんかすごい今良かったなという気分でいっぱいです。歌って本当にいいもんですね。
この合唱祭が終わった後に、まあ打ち上げ行こうっていう予定が決まってて、イベントが5時に終わって打ち上げが6時からみたいな感じで、若干ラゾの時間ができちゃったんですね。で、まあ1回家帰ってもいいんですけど、まあちょっとその辺でうだうだするかみたいなこと言って、でもみんな何か荷物をそれ用に持ってきてるわけじゃないし、パソコンで作業するでもないしみたいな感じで、なんか久々にこういい大人が顔首揃えて暇みたいな状況が生まれたんですよ。
とりあえず小腹でも満たすかみたいな感じで伊藤洋華堂のフードコートとか行って、でもまあ別になんか高校生ってすごいですよね。なんか無限に放課後話してるけど、今思ったら何話してるんだろうみたいなこと思うんですけど、まあまあ早めに僕らはやることがなくなって、わかったちょっとゲーセン行きましょうゲーセンみたいな、その洋華堂の上の階の方にゲームコーナーがあったなと思い出して、あれだってまあ時間潰すにはきっといいじゃないですか。
なんか久々だったんですけど、まあこうでもないといかないよなと思って行ったらまあまあ行ってみようってなって、そこはいわゆるもちろんゲームもたくさんあるんですけど、あのインフォキャッチャーとか、メダルゲームのコーナーがすごい充実してて、僕普段全然メダルゲームとかやんないんですけど、これ楽しいですよってそのチームの人が言ってたんでやってみるかっていう風に言って参加というかプレイしてました。
メダルゲームってこうお金を入れてメダルに変換してそのメダルを使って、まあなんか釣りみたいなでっかい液晶のゲームをやったりとか競馬を模したゲームとかできるんですけど、そこはなんかねすごいちっちゃいあの駄菓子屋とかにあるジャンケンポンウフー買ったーみたいな、あれくらいのすごいちっちゃいマシンがわーと並んでて、で僕はなんかそういうのあんまり見たことなかったんでやってみるかと思ったんですけど、なんかこれがねすごいゲームとは何かみたいな、楽しいとは何かみたいな問いを突きつけるみたいな装置で、
えーまあ簡単に言うと2つ3つぐらい僕プレイしたんですけど、1つはなんかこう画面に忍者が5人ぐらいいて、で手元にはなんかその忍者に手裏剣を投げるプレイヤーとしての自分の手だけが写ってるんですね、でその忍者は真ん中に数字が書いてあって1から10ぐらいまで、メダルを入れてボタンを押して手裏剣を放つとその忍者に当たって倒すとその書かれた数字のメダルが返ってくると、だからまあ1枚入れて5枚とか返ってきたらお得、
メダルゲームの魅力と時間の溶かし方
で1枚も返ってこなかったら失敗みたいなそういうシステムですよね、まあじゃあこれ簡単じゃんと思ってやったんですけど、まあ普通に1回目だったら1入れて3倒して帰ってきてあとお得だとか思ったんですけど、なんかそれ以降全然入れてもなんかバーンとか当たってで倒れるかと思ったらなんか忍者が揺ら揺らしたけど大丈夫でしたセーフみたいなこと言って、でその手裏剣を持っていた自分の手がぐぬぬみたいな感じで震えて終わるっていうその繰り返しが10回ぐらいあったんですね、
で自分ができる行為がメダルを入れてボタンを押すだけなんですよ、タイミングを決めてレンダーとか上手いことを狙うみたいなアクションがほとんどなくて自分ができることはボタンを押してあと祈るのみっていう状況なんですよ、
なんかこれは俺は何をしているんだみたいな気持ちになって、だから普通のいわゆるテレビゲームとかアクションゲームみたいなやつってなんか自分のその上手さとか操作が失敗とか成功に直結するじゃないですか、でもその忍者倒しゲーはメダルを入れてボタンを入れたら最後、祈るしかないみたいな状況でこれは何をしているんだ俺はみたいな、
成功した時には嬉しいんですけど失敗した時にはただそのひたすらグヌヌってなる手のアニメーションを見るだけしかなくて、俺はこのグヌヌに対して何をしたからこのグヌヌを共有できるんだとかなんか何が悪かったのか何が良かったのかわかんないみたいな状況が続いたんですよ、
これ結局その究極言えば運、運でしかないというかメダルを入れて外れたら悲しいし当たったら嬉しいっていうことの繰り返しでその当たった時の嬉しさによってそのメダルを連続して入れたくなるっていう仕組みなんだろうなぁと思うんですけど
あーなんか不思議な気持ちになったっすねー、この何を刺激されてるんだみたいな、でしかもその忍者を倒すみたいなのと同じ仕組みで今度は海賊を倒しましょうみたいな、海賊のやつはちょっとそのまた同じように数字が書かれた海賊船が漂ってるんですよ画面内を
でそれはちょっとあのタイミング合わせてボタンを押すみたいなあの照準を合わせるみたいな概念があったんでまだまだ戦略的というか操作の概念はあったんですけど弾が当たった後その船が沈むかどうかはもう完全に運、相手がグヌグヌってなるかどうかはもう自分には見守ることしかできないと
ある自由はメダルを入れるかという判断といつタイミングを押すかっていうこの2択のみなんですね、であーこれも同じやんと思ってみましたら他の台もほとんどそれが忍者なのか海賊なのか武士なのか米ゴマなのかジャンケンなのかみたいな全部もうほとんど同じシステムです
何枚メダルを入れてあとは運に委ねるだけでなんかこうずらっと並んでるけどもう側変えただけやんっていう感じですげー世界だなぁと思ったんですよね
で結局300円ぐらいを監禁というかメダルに変えてざっくり15分ぐらいでじわじわとめべりしていって終了するっていう時間の過ごし方になったんですけど
なんかねー何だったんだろうなその単に300円払って時間を溶かしたという見え方もできるんですけどまぁ本来の目的からしたらそれで良かったわけですよそのぽっかり空いた時間をどう潰すかって話なので
でもなんか僕のイメージだとゲーセンってそのお金使ってちょっと楽しいとか悔しいとか疲れた楽しいみたいなそういう経験を得る場所だったんですけど
メダルゲームの楽しみ方と失われる時間
メダルゲーム今回プレイするものに関してはなんかただ時間が良い具合に溶けていったみたいな感覚だけが残って
これってなんかいいのかなみたいな時間溶かしたなーっていう感覚がすげー強かったんですよね 目的通りなんだけどこの目的で果たして良かったのかみたいな
うーん その後打ち上げも終わって次とかyoutubeでなんかショート動画を見てたらなんかパチンコやってる人の動画流れてきて
パチスロかな?でもう台の前に座ってボタンを押してコンコンコンって打ってあ外れた ボタンを押してコンコンコンあ外れたみたいな全然出てこないよあと3000円
使えば帰ってくると思うんだけどなみたいなことを言ってるという友人の姿を紹介するという程の動画が流れてきていて
あっこれじゃんみたいなことを感じたっすね 一応なんかそのボタンを押すみたいな概念は多分あるんだろうけど結果そこまで至るまでの演出で
どう誤魔化すかというか気持ちよくなってもらうかとかの違いしかないんだろうなーって思って あでもちょっとよくわかんないけど楽しかった感じというか
次やったらきっと当たるんだろうなみたいな感じは得たので まぁはー回っていくとパチンコとかにも行ってしまうのかなみたいなことを思ったという
時間でした なんかそのお金がかかってないっちゃかかってないんですよねそんなにたくさん
でまぁその youtube ショートとかを見てる時間もひたすらこう無限にうだうだしながら 指をスワイプして上になんかこう滑らかに動かしていけばなんならそのメダルゲームよりも少ない
お金で楽しいというかなんかそのちょっとした刺激を得続けることができると思うんです けど
本当に時間ない時だったらいいと思うんですけどなんかその暇だーっと言ってこうやってる 時間で失われているものもきっとあるんだろうなと思って
なんか僕朝起きて家ですぐ行動するのが苦手なんで大体 まあ喫茶店に行って1時間ぐらい座りながら作業するんですけどたまになんかその
毎日300円とか100円使うのもったいないんじゃねみたいなことを持ってそれが邪魔して 動けない時動けないというかまぁそういう思考がよぎることがあるんですけどでもなんかこれを
考えてみるとその喫茶店で400円払ったとて そこで1時間ぐらい自分が活動したらそこの価値って絶対
少なくとも時給400円以上あるだろうと思うんですよ でまぁ1000円2000円3000円とか考えた時にそこでなんか例えばそういう経済的な指標で
生み出せたとしたらなんか別に400円がそのその場限りではちょっともったいないと思え たとしても全然回収できるというか
むしろその400円とかを払うのを気にしてちょっと家で頑張ろうとか言ってウダウダ 30分とか過ごしている時間の方がもったいないんじゃないかみたいなことを思ったんですよね
何もしないことのデメリットというか迷っている時とかの方が実は失っているものがあるん じゃないかみたいなことを考える機会があって気持ちよく時間を溶かしている時間って
お金と時間の価値という視点からの考察
いやいいんだけどちょっと同時に失うものも結構あるよねみたいなことを そのメダルゲームのことをやりながら感じました
本当大きな喜びもないその代わり深い絶望もない時間だと思うのでなんか本当 なんか誰時間決定みたいな時にはすごいぴったり来るものなんだろうというふうに思って
まあまあまあそうそうまた行きたいって感じじゃないですけどそういうものもあるんだなぁ みたいなことが感じられたということですね
あのインボイスの対応とか今年の収支がそろそろ見えてくるみたいなところでちょっとずつ そういうお金回りのことも気になってきたというようなお話でした
人と飲みに行ったりする機会が増えてそのリカバリーの体力が年々衰えているなぁという 感じがしている今日この頃です
不意のトラブルとか疲れが発生するとまた流れていってしまうということが普通にあるなぁ 普通にあるなぁということを感じていたりします
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それではまた来週お会いしましょうさようなら