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こんにちは、AIで仕事をサボるラジオのしゅうへいです。
今日は哲学的な話をしたいと思います。
本当にAI活用にもつながるところなんですけど。
本つまみ食いラジオで、今週の回が、僕とあれ子さんと池早さんで、
AIをどう使ってるかみたいな、番外編でAIの話をしたんですよ。
クロードのフェイブルが来てから、本当に大きく変わったというところで、
それぞれがどうやって使ってるかということと、
あと、池早さんが話してましたけど、編集者の竹村さんと美濃和さんがね、
まあ、AI楽しくないというか、
美濃和さんは、ミドルクライシスの文脈でも語ってたりとかして、
それに対して、池早があの上、ブチギレてるという、
それのもうちょっと深掘り解みたいなものが、
本つまみ食いラジオであったんですよ。
無料で聞けますので、ぜひ本つまみ食いラジオ見てみてください。
今日、その放送のリンクというか、公式サイトに、
僕の公式サイトの下の方に、本つまみ食いラジオのリンクありますし、
Spotify、Apple Podcast、YouTubeでね、
本つまみ食いラジオって調べていただいたら出てくると思いますので、
ぜひ聞いてみてください。最新の放送ですね。
その中でね、なんかこう、共通してるのって何かなと思ったときに、
割とこう、AIがすごいのは分かったけど、
何をやらせていいか分からないっていう、
何かそういう悩みというか、新しい悩みですよね。
AIに何やらせていいか分からないと面白いよね。
でもね、これ実は多分なんか共通していて、
なんかこう、個人主義というか、
この時代みたいなものが言われ始めたのが、
SNSの台頭と同時期かいね、2010年代の序盤からですか、
多分アメリカとかも早かったよね。
そのFacebook出てきてからって感じだと思うんですけど、
じゃあこの時代って言われたときに、
じゃあ何発信しようかみたいなことって、
僕もそういえば思ってたし、
発信者になってからも、フリーランスの学校やる側になってからも、
やっぱこう、よく聞かれてたことだなというふうにね、
改めて思ったんですよ。
で、その頃から、
池早さんとかハーチュさん、トップインフルエンサーは、
なんかそもそも何発信していいか分からないみたいな状態が、
逆に分からないみたいな感じだったと思うんですよね。
僕はですね、どちらかというと、
何発信したらいいのかなって結構思ってたところもあるから、
なんかまだインフルエンサー1年目の教科書とかを出したときに、
非常にそれがヒットしたのは、
その悩みにももちろん当たってたのかなとも思うんですよね。
で、よく答えとしてあるのが、
過去の自分に伝えたいことがいいよねっていう、
それが発信したいことでいいんじゃないかみたいな、
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一つの回答としてはあったんですけど、
じゃあAIで過去の自分に渡したいツールを作ろうとしたって、
あんまピンとこない。
だからこれはもしかしたら似たような悩みでもあるけど、
少し構造が違うのかもしれない。
そこに対して、
哲学的な答えみたいなのって何かないのかなと思って、
結構今まで読んだ本とか、
いろいろ考えてたんですよね。
一つ読み直した本があって、
それが何かというと、
国文広一郎さんの目的への抵抗という本なんですよ。
これね、僕オーディオブックで聞いてて、
実際今回またオーディオブックで、
オーディブルで聞き直したんですけど、
すごいいい本だなと思って。
結構半分ぐらいはコロナ禍において、
不要不急ってあったじゃん。
不要不急の外出は控えてください。
あれって何だったんだろうねっていうので、
イタリアの哲学者アガンベンさんを出してきて、
アガンベンの論考がめちゃくちゃいいんですよ。
尖ってて、めっちゃ炎上したらしいね。
インフルエンザと同じぐらいの致死率なのにも関わらず、
僕らの移動制限があって、
それを僕らはすんなりと受け入れていて、
むき出しのせいさえあればいいみたいな、
そういう論考を出して、
非常にあのコロナ禍で、
ヨーロッパは非常に死者数が出てた時期ですから、
かなりそれも相まって炎上したらしいんですけど、
それをたぶん2023年ぐらいの本なんだ。
まだ若干コロナが残ってるぐらいの時期に出された本なんですけど、
非常に面白いんですよね。
そこにも出てくるんだけど、
結局、不要不急とかと、
また暇と退屈の倫理学の贅沢っていう概念ですよね。
消費と浪費の概念みたいなのが出てきて、
これまさに何作っていいかわからない、
やりたいことがわからないっていうところに、
めちゃめちゃヒットする本だなというふうに思うわけですよ。
そこで何が言われてるかというと、
目的への抵抗なので、
つまり目的が大事とか言うじゃん。
じゃあ何かやりたいことあんの?って言って、
じゃあわかった、AI使って何かやりたいんです。
じゃあ目的は?みたいな。
SNSをやりたいんです。目的は?みたいな。
僕ももちろん聞いてたよ。ゴール何ですか?みたいな。
それは大事じゃん。何に向かっていくのかって、
当面のゴールはもちろん大事なのね。
目先のものと目先の近いところのゴール。
でもある種、僕もそうだけど、
じゃあまず月5万まで頑張りましょうとか、
月20万まで頑張りましょう。
今もロードマップ作って話したりしてるんだけど、
じゃあその先どうするかって、
僕は決められるわけないし、
もちろん5万も僕は決めてるわけじゃないからね。
イメージできる金額はどうですか?って
5万ぐらいですかねって言ったら、はいって言って、
日割りしたら1600円ですねみたいな話をしていて、
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じゃあその先どうするの?って話ですよ。
僕も元々は借金500万をブログで返す、
会社辞めて返すっていうところがゴールで、
そこから始まったのにも関わらず、
それが目的だったわけですよね。
なのにも関わらず、今じゃあ借金500万どうなったかと。
奨学金がたぶんそろそろ終わるのかな?
学校分とかもちろん終わって、
ちょっと給料費少なかったんでカードローン増えちゃいましたけど、
増えたんかい?って感じですけどね。
でもその500万、600万時代から考えると、
もうたぶん奨学金入れても100万台じゃない?
もうすぐ切るかな?
アコムとかもちろん関西したり、
三井住友もカードローンも関西したり、
リボ払いも全部きれいになって、
もうリボはしてないですね、ほんとね。
ってことはさ、僕はある種ブログで返す、
ブログは書いてないけど今は、
ある種達成したようなもんなんですよ。
にもかかわらず僕はなぜか今借金5000万になってると。
なんだそれって。
これってさ、本来の目的から外れてるわけですよね。
ここに何かヒントがあると思っていて、
要するにその中で、目的への抵抗の中で言われてるのが、
ハンナ・アレント、哲学者ですけど、
ハンナ・アレントのいわゆる目的とは何かっていうところの定義というか、
ここの論考も非常に面白くてですね。
いわゆる目的ってただの手段の正当化なんだ、
というふうに定義してるんですよ。
むっちゃなんか痺れますよね。
要するに例えばそうだな、
何か分かりやすいのあるかな、
例えばですけど、
痩せたい、ダイエットしたい。
何のためにって。
それは何なんだろうね。
分かんなくなっちゃった。
例えばAIで5万円稼ぎましょうという目的ね。
じゃあそれは結局、
じゃあ何のためっていうと、5万円作りたいんです、
収入を上げたいんですっていうのが目的じゃん。
でもその目的って何かというと、
結局はAIを使うという手段、
AIを学ぶという手段を、
ただただ正当化してるだけなんですよね。
これは別にAIが悪いとかうんうんじゃなくて、
ゲームのためのゲームでいいって言ってるんですよ。
チェスのためのチェスでいいと。
だからAI使いたいからAI使うで、
全然いい。
AI使って何か作りたいからAIを使うで、
それでいいということなんですよ。
これが何かコロナ禍の不要不急を排除するような、
何ていうのかな、
そういう空気感にも何か根底に、
要するに目的があればいい。
目的のためだったら全ての手段は正当化されて、
ある種あがめられるみたいな瞬間もあるわけですよね。
だけど僕らが本来人間として持っているものは、
あがんべんの言うむき出しのせいではなくて、
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ただただ必要な食事が取れて、
必要な服があればいいわけじゃないよね。
そういったカロリーメイトだけ食っておけばいいんですが、
今だったら完全食とか完全飯とかありますから、
それを食べた方がいいんですか。
それが必要でしょ。
それ以外は不要不急でしょ。
そんな話になってくるんだ。
あがんべんの論考はまさにそれを端的に表していて、
そうじゃないじゃん。
僕らにとってはたまにはお酒も飲みたいし、
おいしいものも食べたいし、
それはある種消費ではなくて浪費なんだという話なんですよ。
これまさに暇と退屈の理学ともつながってくるところで、
非常に面白い本なんですよね。
そこからひもとくに、
AIで何かやりたいことがわからないとか、
何作っていいかわからないという人は、
何か遂行の目的みたいなものを求めすぎてるんじゃないか、
ということが見えてくるわけですよ。
だから目的とかなくていいんじゃないっていう。
それは別に適当にやろうじゃなくて、
実はそれは真剣な遊びなんだっていうことなんですよね。
だから暇と退屈の倫理学の中でも、
楽しむということにはトレーニングが必要だってね。
この暇と退屈の倫理学も本津麻美グラディオンの中で紹介してますので、
僕がっつり哲学会で紹介してますので、
ぜひ聞いてほしいんだけど。
だから人間と動物を行き来しないといけないって、
そういうのがいいよねって、
国文さんはその中で書かれていて、
僕はまさに猫のように生きる、
旅立ちましたけど瀬戸さんに教えてもらったのは本当に、
まさにリブライカキャット、
LLCハウスってまさにその場所を建てましたけど、
人間をやめないといけないわけですよ、ある種ね。
だからAIを使おうとした時に、
人間であろうとするっていうのは面白いよね。
それだと要するにやりたいことが分かんない、
何していいか分かんない、
AIが面白くないとかって言うんですよ。
そうじゃなくて、ある種子供みたいに真剣に遊ぶ。
動物的にその後のこととか考えずに、
AIを使うために使う。
フェイブルを使うためにフェイブルを使うでいいんじゃないか
というような話が言えるという、
そんな今日は哲学的な考察をさせてもらいました。
僕も全然まだまだスピノザ哲学すごい気になってて、
本をいっぱい買ってるんだけどなかなか難しい。
国文先生の初めてのスピノザ、エチカだったかな。
あれの解説は非常に分かりやすくて、
ただ他のジル・ドゥルーズとかの解説が本当に読み進めない。
その辺りも読みつつ勉強していきたいなと思います。
哲学もそうだよね。
何のために哲学を学ぶの?
何かいいことあるんですか?
哲学を学ぶために哲学を学ぶんだというかね。
それでいいということです。
すごく言えばシンプルなんだけど、
そこにたどり着くまでにはいろんなプロセスがあるから、
そのプロセスをこの本の中では一冊で、
本当に分かりやすくまとめてくれてますので、
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一つの大学の授業を書籍化されたということで、
非常に読みやすいですね。
ぜひ気になる方は目的への抵抗オーディブルもありますし、
Amazonでも売っておると思いますので、
ぜひ読んでもらうといいと思うし、
あとは本つまみ食いラジオね。
AIの回と僕の暇と退屈の倫理学を紹介している回を、
ぜひよかったら聞いていただけるとうれしいです。
ということで、
今日も聞いただきありがとうございます。
この後も心地いい時間をお過ごしください。
バイバイ。