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RKB75年!私たちも75年!:日本航空株式会社
2026-06-30 10:11

RKB75年!私たちも75年!:日本航空株式会社

日本航空株式会社 久我とも子さん

いま旬の話題にクローズアップ!当事者や専門家にインタビューし、ニュースの深層に迫ります。
※RKBラジオ『田畑竜介Grooooow Up』で放送したものです。

田畑竜介 Groooooow Up

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日々お伝えしているニュースや話題の中から、一つのテーマに絞って、専門家や当事者に話を聞く週替わりの特集コーナー、Weekly Close Up。
RKB毎日放送は、1951年の6月29日に設立されまして、昨日で満75歳の誕生日を迎えました。
皆様のおかげです。ありがとうございます。
そこで今週は、RKB75年、私たちも75年というテーマで、同級生の企業、あるいは商品にクローズアップしていこうと思います。
今日は日本を代表する、こちらの同級生企業です。
日本航空株式会社JALふるさとアンバサダーの客室常務員、久賀智子さんです。
久賀さん、おはようございます。
おはようございます。
この度は日本航空さん、75年おめでとうございます。
ありがとうございます。RKBラジオ様もおめでとうございます。
ありがとうございます。お互い同級生だったということで、今回は日本航空さんの歴史にもいろいろ触れさせていただきたいなと思うんですが、
まず日本航空の創立のきっかけというのは何だったんでしょうか。
設立されたのは昭和26年、1951年のことでした。
戦後、日本の航空業界が一度ゼロになった状態から、日本の空にもう一度日本の翼を取り戻そうといった強い願いの下に誕生いたしました。
最初の路線は、東京、大阪、福岡を結ぶ路線だったんです。
こうして福岡のRKBラジオさんでお話をできることに、とても強いご縁を本日感じております。
こちらもありがとうございます。
最初はいきなり日本航空のスタッフの方々でスタートしたんですか。
実は当時は自社の飛行機もパイロットもいなかったため、アメリカの航空会社からチャーターをしてのスタートとなりました。
その後、創立から3年後には国際線も就航したということだったんですけど、当時の路線はどういうところだったんですか。
路線は東京からウェークとオノルルを経由してサンフランシスコへと向かう便でございました。
プロペラ機だったので途中2階級のために立ち寄る必要があったんです。
今と比べて一番の違いは何になりますか。
やはり時間ですね。現在はサンフランシスコまでの直行便が約9時間半で行けるんですけれども、当時は31時間もかかっていたそうです。
1日以上かかってたってことですよね。
はい。まさに大冒険のような空の旅だったと聞いております。
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また当時は飛行機で旅行する、移動するっていうのは高値の花だったと思うんですけど、利用客の数っていうのもだんだん増えていったり、推移っていうのはどうなっていったんですかね。
当時の東京福岡間の片道運賃が約1万1000円ほどで、当時の大卒の国家公務員の承認給が約6500円だったためですね。
約2ヶ月分近くかかっていたそうです。
それは本当高値の花ですよね。
そこからですね、1964年の海外旅行の自由化ですとか、1970年代には大型のジャンボジェット機が導入されたことで、大量にですね、輸送することが可能になって、
国内線、主体線ともに飛行機の旅っていうのはですね、より身近で一般的なものになっていたといった歴史がございます。
だんだん航続距離といいますか、飛行距離も長くなったり、そして運べる人の数も増えていくことによって料金の方もだんだん身近なものになってきたということですね。
飛行機の中ではやっぱり食事っていうものも楽しみなんですけど、機内食っていうのは最初はどんなメニューだったんですか。
機内食の歴史もですね、大変興味深くて、日本初の国内線の機内食は、実はサンドイッチが入ったお弁当スタイルでした。
国際線になりますと、就航処分の羽田ウェイクトーカンではオードブル、サンドイッチとデザート、それに飲み物でした。
それがですね、すぐに豪華なフルコースが主流になって、機内でローストビーフを切り分けてサービスをしていたこともあったみたいです。
豪華になっていったんですね。
今現在では、有名シェフとコラボした空の上のレストランと進化しております。
そして、そういったサービスを提供してくださるキャビンアテンダントの方々の制服っていうところも注目ですけど、これもだいぶ変わってきてるんですよね。
客室乗務員の歴史や制服も時代を反映したものになっておりまして、私の大先輩でございます七王子列1期生は、昭和26年の創立時になんとおおよそ100倍もの倍率をくぐり抜けて15名の入社をいたしまして、
その初代客室乗務員の制服はスッキリとしたですね、ミリタリー風のデザインだったそうです。
ご覧になったことはありますか?
いや、ミリタリー風っての見たことなかったですね。それはホームページで見られるんですか?
見れますので、ぜひご覧ください。そこから当時の有名デザイナーが手掛けたミニスカートのワンピースが登場するといったような、日本のファッションをリードする存在でもあったそうです。
国際線のファーストクラスの機内では、日本を感じていただけるような着物を着てのサービスをしていた時代もあって、海外のお客様から大好評だったと聞いております。
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なるほど、そしてやはり空の上で大事なものが安全っていうところだと思うんですけども、この75年の中で安全面で大事にしていることってどんなことでしょうか?
安全面といったところはJALグループにとって全ての基盤でございまして、お客様が安心して空の旅を楽しんでいただけるように社員一人一人が責任を持って行動しております。
私たちはマニュアルを守るだけではなくて、もし自分や大切な家族がこの飛行機に乗っていたらという2.5人称という視点を大切にしております。
また全国にたくさんの社員がJALグループにおりますため、全国の空港や様々な職種のスタッフが定期的に集まって、安全に限らず仕事への向き合い方や考え方を語り合う場も用意しております。
では最後に、75年というのはあくまで通過点だと思いますので、これからも歴史をつないでいくために大切にしていきたいことってどんなことですか?
私たちはJALグループの基盤である揺るぎない安全をしっかりと未来へ継承しながら、移動の力で日本各地、世界をつないで、誰もがワクワクするような心弾む社会や未来をつくっていくことを何よりも大切にしてまいります。
桑原さんはJALのふるさとアンバサダーを務めているということなんですが、これはどういう役割なんですかね?
はい、JALふるさとアンバサダーとはですね、地域の活性化のために仕事をしたいという思いを持つ客室乗務員が社内候補によって選ばれて、全国各地で活動しております。
実際にはですね、地域のイベントに活動したりですとか、地域産品を使った商品開発やPRなどをしたり、まだ知られていない地域の魅力を発掘しております。
ぜひぜひ、これからまたさらに福岡の魅力というものを発見して、そしてそれを発信していってください。
はい、ありがとうございます。私たちはこのデジタルが広がる世の中だからこそ、リアルな旅の素晴らしさや感動をお届けするために、これからも皆さまに愛される日本の翼として、一品一品を大切に運行してまいります。
桑原さん、今日はどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
この時間は日本航空株式会社JALふるさとアンバサダーの客室乗務員でもあります桑原智子さんにお話を伺いました。
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