00:00
日々お伝えしているニュースや話題の中から一つのテーマに絞って、専門家や当事者に話を聞く週替わりの特集コーナー
Weekly Close Up。福岡市中央区天神にあります新天町商店街が今年80周年を迎えました。
その新天町商店街は2026年度から再開発計画に着手して2030年代の開業を目指すと報じられておりまして
長く親しまれた今の風景にも変化の時を迎えようとしているわけですね。
そこで今週は創業80年新天町商店街というテーマでお送りしております。今日は老舗の専門店を私と仲井アナウンサーとで取材しました。
釜めしビクトリア社長加藤康裕さんです。
釜めしビクトリアさんにやってまいりました。加藤さんよろしくお願いします。よろしくお願いします。よろしくお願いします。
新天町の中にあるお店の中でも老舗の方だと思うんですけど、創業はどのくらいですか?
昭和29年からですので、今年で72年目になります。
もう新天町にあるお店の中でもかなり古い方ですよね。
そうですね。最初からあるお店は今年で80年なんですけれども、
私はこの区画がちょうど新天町ができて18年目に拡充してできた部分なんですけれども、
そこで募集があったときに入れていただいたという。
できた頃の、記憶には加藤さんどの頃からあるんですか?
私は昭和32年までなんですけど、私が生まれる3年前にできたんですよね。
ですから、小学校入ったぐらいのときぐらいには、幼稚園のときから遊びには来ていましたけれども、
お店に来たら結構行列ができててですね、すごいなと、実体からなりにも感じたお店だったんですけれども、
釜飯というものがですね。
そうなんですよ。何で釜飯屋をやろうとされたんですかね、仙台は。
戦争が終わって、私たちは中国の満州で醤油屋さんか何かをやっていたらしいんですけど、
戦争に負けて日本に帰ってきて、何か食べるとか何かやらなきゃいけないということで、
東区の方に家があったらしいんです。もう財産というかそれだけだったらしいんですけど、
それを処分してお金を作って、川端町の方にですね、ステーキハウスを拡充して、
新中軍相手のステーキ屋さんだったんですけど、めっちゃ受けて、そこで結構資金ができたわけですね。
で、それいうところにちょうど新店長の方が募集をしているという話があって、
応募したところこちらに入れていただくことができたんですけど、
普通のお店じゃやっぱりダメだろうなということで、その当時東京の浅草でですね、
今でもある銀荘春さんというお店があるんですけども、
03:01
そういうお店がすごく流行っていて、すごく受けているという話を仕入れてきまして、
福岡で釜飯屋って当時なかったみたいなんですね。
なのでこちらで受けるんじゃないかということで、釜飯屋を始めたという経緯があるんですけどもね。
もう加藤さんがその物心をついたときには行列ができていたということでしたけども、
順調だったわけですね。
いえいえ、とんでもないです。最初にですね、釜飯の専門店というわけじゃなかったんですね。
木造の2階建てだったんですけども、1階は喫茶店で、2階を釜飯屋ということで、2本建てで始めまして、
でも釜飯が受けなかったら、もう2階も喫茶店みたいにしてしまうという構造でですね、
だから今までこそ釜飯ビクトリアという店名にしてますけども、始まった当時はただのビクトリアだったんですね。
うちが29年の4月17日オープンなんですけども、最初の試練がやってきたのがですね、夏になります。
釜飯というのはすごくその、はつはつのものをですね、提供して、それをもう食べていただくものなんですけども、
この夏に釜飯ってちょっと想像できないというか、やっぱり皆さん経営されてですね、夏はガラガラになってしまったわけなんですね、お客様早くなって。
その時に父が考え、思ったのは、やっぱり夏でも受けるような食べ物をもう1本の柱として出さなきゃいけないなということと、
暑いならお店の中を涼しくしてあげればいいという環境のことを2つ考えて、今では当たり前にその冷暖房ですね、あるんです。
その当時に飲食店でそういう風な、福岡で初めてことらしいんですけど、冷房を入れたんですね。
当時は空調式のおみやかみしかそういうものじゃなくて、水冷式、冷蔵庫の2台分ぐらいの冷房をつけて、
しかも水冷式ですから、水をじゃんじゃん流しっぱねすると水道代もったいないから、
井戸を掘ってですね、井戸水で回して冷暖房に入れたんですけれども、それで翌年の開業に間に合わせて、
冷房が入ってて涼しく暑い鴨串を食べれるという評判を読んで、また盛り返したということなんですけれども。
もう1本の柱がうちのもう1つのメニューとして、鶏のソップかけというものがあるんですが、
奄美大島で有名なケイハンというお料理があるんですが、これにヒントを得てですね、
いろいろ具材とか、これは白ご飯に具材をのせて鶏のスープをかけてお茶漬けみたいにして食べていただくものなんですけれども、
博多風に具材をアレンジして出したところ、これもやっぱり富山で名物になりました。
だから最初のうち2年は苦労したんですけれども、冷房を入れ、こういうお料理を入れということで、
そこからは高度成長期にも助けられて、伏せになったという経緯。
06:01
今私の目の前にはメニューがあって、おいしそうな鴨串が並んでいるんですけれども、
これ昔からあるメニューというのはどれくらいあるんですか?
今常時出しているものが11種類ぐらいなんですけれども、そのうちの8種類ぐらいは創業時からあって、
後から付け加えたものは山菜鴨串、竹鴨串、あっさりしたものが食べたいというリクエストがあって付けたものでしょうけど、
この明太鴨串というのは創業50周年の時にですね、前からもう20年ぐらい前ですけれども、
やっぱり50周年ということで、それまでもお客様から明太とか使ったものを出せないのっていうお声があったものですから、
私が一生懸命考えて明太鴨串をお出ししています。
だからこの3種類だけで、あとは全部…
皆さんどれを頼まれることが多いですか?
創業時から常にトップを走っているのはそぼろ鴨串がやっぱり、
具材がそぼろのミンチ、甘辛粉、醤油と砂糖で煮た鶏のミンチと入り卵ですね。
小さい頃の子供のお弁当とかに入っているような配食ですし、
そういう、うちのお客様も3代、4代に渡って来られるお客様が多いんですけれども、
小さい頃のうちでこれを大人になってもやっぱり小さい時の思い出の味っていうんですかね。
そういうことで、孫連れてきても、じいちゃんこれを食べよったぞって言って孫に食べさせて、
で、孫がまたおじいちゃんになってみたいなですね。
その繰り返しでやっぱり人気がずっと続いているのかなと思うんですけど。
そんな新店長も80年という歴史を迎えておりますけれども、再開発で変わっていくっていう話も出てますよね。
その再開発後、どんなふうな新店長であってほしいと加藤さんは思いますか。
でも、いつ亡くなるとってもレジにいるとみんなから聞かれるもんですが、いや亡くなりはしませんと。
より良い新店長に生まれ変わるために再開発もいろんな施設が老朽化しているものですから、
立て替えてもっと素晴らしい場所を皆さんに提供したいと思って再開発なんですよっていうことをお話しするんですけれども、
やっぱり皆さんが懸念されるのはこの雰囲気ですよね。
この商店街という店賃がどんどんビル化されて、全部同じようなビルのばっかりになってしまっているものですから、
これがそういうふうになってしまうともう新店長らしさっていうのは失われるという懸念が皆さんあるみたいで、
これをなくしちゃいかんということをすごく言われるんですけどね。
だから私の聞いている範囲では商店街のビルが建つけれども、路面のところはビルの中に入った瞬間に
昔の新店長の雰囲気が残るような構成の通りにされるというふうに聞いていますので、
09:02
それがやっぱり一番だろうねと思っています。
ビルなんだけども他と違うというか、どれだけ再現できるかわからないんですけどもね。
このアーケードの中の商店街という街並みをうまく再現できるような再開発をしてほしいというのは、
市民の皆さんもそう思っていらっしゃるでしょうし、
昔からやっているお店のスタッフから店主の方もそう思っていると思うんですけどね。
ということで、もう非常に歴史もある鎌嶺ヴィクトリアさんのお話を今日はお届けいたしました。
ぜひまた今の風景のうちにも新店長、ぜひ皆さんお出かけになってみてください。
鎌嶺ヴィクトリア社長の加藤康博さんでした。
YouTubeミュージックでバッテンラジオ隊と検索してフォローお願いします。