00:08
このラジオでは、その人がなぜその人なのか、個性のカラクリについて研究している、生野翔太さんにお話を聞いている番組です。
翔太さん、今日もよろしくお願いします。
お願いします。
翔太さん、今日はですね、「悪い私はいない」という本ですかね、に感動したというお話を教えてください。
はい、ありがとうございます。
「悪い私はいない」という本を今読んでいて、まだ25%ぐらいしか読んでいないんですけど、
そこまでの中で、この考え方がめちゃめちゃいいなと思ったので、ちょっと紹介したいんですけど、
この本は、IFSという内的家族システムモデルという、心理学の一つのモデルがあってですね、
それについて解説した本なんですね。
それは、前に紹介した統一場心理学というものと関連性があるというか、考え方に親和性があるなみたいなので、もともと興味を持ったんですけど、
内的家族システムモデルというのは、まずメインの自分の人格があって、
メインの人格っていうのは、整った私というか、ある意味ハイヤーセルフに近い私というか、本当に気分のない自分だったら、
すごく知恵があって、勇気があって、愛があってみたいな、そういう主人格みたいなものがあって、
その主人格を守るためにたくさんの副人格があるって考え方をしてるんですね。
副人格のことをIFSではパーツっていうふうに呼んでるんですけど、
何が感動したかっていうと、すべての副人格は役割があるって考え方があるんですよ。
つまり、なんていうのかな、エゴみたいなふうに言うと、エゴっていうものは一般的に悪いものとして扱われるじゃないですか、
スピリチュアルとか、マインドブロッカー解消みたいな考え方の中でも、
エゴっていうのは基本的に否定されているものなわけで、
この副人格っていうものも、エゴっちゃエゴなんですよね。
なんですけど、副人格はただ存在している、闇雲に意味もなく存在しているのではなくて、
みんな役割を持って生まれてきた副人格だったりするわけですね。
だからトラウマとかだと、自分のこの性格を何とかしたいから、
03:05
こいつをやっつけようみたいな考え方が世の中多いわけですよね。
克服しようみたいな。
だから、言葉として自分が嫌いなのが、
その自分を手放しますとか、あんまり好きじゃないとね、
手放しますとか、こういう自分に勝つとか、こういう自分を消したいとか、
そういう発言をする人って、ネットとか見てると、
いろんな心を扱っている人が、自分の中の戦いを起こしているような表現をする人が
すごい多いなって思うんですけど、
IFS何がいいかっていうと、
そういうふうに自分の中を不調に落とし入れているような自分にすら、
全て役割があって、だから悪い私はいないと、
いうのがすごいいいなと思っているんですね。
どういうことかっていうと、
副人格が生まれたその役割をしている背景っていうのがあって、
主人格には対応できない。
例えば子供の頃、親がすごい批判的な目線を自分に向けてくるみたいなことがあったときに、
その自分を守るために、自分を傷つかないように、
例えば、意識の中に入らないようにきち流すみたいな、
例えばそういう自分を作り出したとすると、
それが7歳の時に作り出したとしたら、
その役割をしている副人格っていうのは、
7歳のその時のまんま、
その親がずっと自分に批判をするという状況が変わらないというふうに思い込んだまま、
ずっとその役割を果たし続けようとするっていう特徴があって、
時が止まっているんです。
副人格さんはその感覚が生まれた自分の年齢のまま止まっている。
その役割を自分を守るためにずっと果たし続けようと頑張ってるんですよ。
で、その自分と対話していくっていう手法なんですよ。
えー、なんかありがとうってなるね。ずっと守ってくれてたの。
ありがとう。
だから、面白いのが、その副人格と対話していくんですけど、
私が今何歳だか知ってますか?って聞くと、
だいたい一桁の答えがあるらしいんですよ。
7歳とか8歳とか5歳とか。
でも違うんだよ。僕は今35歳なんだよ。みたいなことを言うとびっくりする。
副人格さん。
びっくりするよね。
だから、すごく守ってくれてありがたいよ。みたいな。
06:01
だけど、自分はこういう年齢になってて、自立してて、こういうふうに今生きてるんだよね。みたいな。
だから、あなたは今そういうふうに守るためにこういう役割をやってくれてたんだけど、
もしそれをやらなくても、あなたは大丈夫だとしたら、どんな役割を果たしたい?みたいな質問をするんですよね。
そうすると、例えば話を聞かずに聞き流すみたいな役割をしてたとしたら、結構真逆のことをやりたがるらしいんですよ。
じゃあ、本当に私が言いたいことを喜んでしゃべるみたいなことをやりたい。
そうすると、その副人格さんはこれまで重荷を背負って頑張ってたやつをやめて、自分の才能に戻るみたいなことが起こるんです。
才能っていうのは主人格が持っているものなの?それとも副人格が両方持っている?
副人格がもともと持っている資質みたいなものがあって、そのエネルギーがこれまでは主にその時の責任を果たすために使われていたんだけど、
それをやらなくても良くなったから、そのエネルギーを副人格の本当の願いに使っていいよっていうふうになると、
それが実は才能の発揮につながるらしいんですよ。
守ってきたけれど、もう大丈夫だよってなったら、副人格自体も、人格だから人格、本来に戻っていいんだよってなっていく。
そうですね。最初は主人格が奏でるオーケストラの指揮者だとした時に、
副人格の人たちはそれを無視して、自分の責任をちゃんと果たさなきゃみたいな感じで、それぞれ勝手に頑張っているみたいな状況を、
対話していく中で、そのオーケストラの中に含めていくみたいなことをやっていくんですよ。
それがそれぞれ本当に楽しい、本来その人格たちが生まれた意味みたいなところに立ち替えると、調和した自分になっていくみたい。
すごい。
すごい面白くて、まだこれ自体を自分がワークをすごいちゃんとやったとかではないんですけど、
一般的な、何か自分のあっちゃいけない自分がいる的なものに対してすごく違和感があって、
そういう意味で、この世界観がすごい好きだなと思って。
うんうんうん。
でもこれで社会とか家族とかも結局一緒というか、
09:02
家族の中で、家族っていうかその、
背負っている業みたいなものが、家族的テーマとかあるって言われるじゃないですか。
そういう時に例えば、どの世代でも必ずお酒に溺れちゃう人がいるみたいな時に、
お酒が溺れちゃうっていうその人を責めたりするんだけど、そうではなくて、
集合意識的な何か役割を引き受けざるを得なくて、その人がたまたまその役割を背負ってるっていう感じだったりするから、
家計のバランスを取ることによって、それって終わったりするわけです。
だからそのバランスを取るためにその人が引き受けてくれてるのに、
その現象自体を否定しちゃうと、結局それを何かやめろって言っても、別のところに沈みになるだけなんですよ。
それがその、この現実世界の人と人との関係性の中でそういうことが起こってるんだけど、
結局それって一人の個人の人間の中に起こってるよねっていう話で。
だから自分自身が自分の中の世界を整えていくことによって、
それはそのままその人の周りの人間関係とか現象にそのまま派生していくから、
すごく生きやすくなっていくんだろうなっていう。
なるほど。不都合なもので終わっちゃうんじゃなくてね。
そうそう。だからそれ本当対処療法なんですよね。根本的に治ってないというか。
手放すとか?
攻撃して出さないようにするっていうのは、
なんで出さなきゃいけない状況なのかっていう大前提があって、
その原因がなんかあるから、その歪みで問題行動を起こさざるを得ないわけで。
でもその問題行動自体をやめましょうっていうのは一応一時的にはできるかもしれないんだけど、
終わらないわけじゃないですか。
だから基本的に西洋医学的に咳止めを出されましたっていったときに、
咳止めを、咳やと思われるんだけど、
じゃあなんで咳をしなきゃいけないのっていうところは解決できないわけで、
結局のところ自分の免疫が治療するしかないわけじゃないですか。多くの病。
だから対処療法じゃなくて、根本的に体自体が健康になるみたいなところを扱うのが東洋医学的なアプローチで、
炎症に対して直感アプローチするのは西洋医学みたいな感じだったんだけど、
だから心っていうところでも、精神科とか行くと、
例えばうつ病の薬とか言われると、一応うつ病に効く薬っていうのはあるって言われてるんだけど、
それは根本的に治ってないわけで、なんかさやつしたりしちゃうんですよね、みたいな。
12:04
そうだよね。症状の緩和っていうのと違うもんね。
なるほどね。
いやー、そっか。
副人格さんありがとうだね。
いやー、本当にね。
で、副人格とその対話するようなワークとかが載ってんだ。
が、結構いっぱい載ってます。この悪い私はいないっていう本に結構載ってるので、
ちょっとまあ、やったりしてみようかなと思ったりしてて、読み進めているところですね。
なるほど。
えー、面白い。ちょっとすごい、おーがいっぱい。
じゃあもう副人格さんありがとうございます。
ということで、今回はこんな感じで。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
この動画がね、面白かったな、ためになったな、また聞きたいなという方はぜひ高評価、チャンネル登録していただけるととっても嬉しいです。
感想、質問あれば送っていただけるとそれも励みになりますので、よろしくお願いします。
はい、じゃあ翔太さん今日もありがとうございました。
ありがとうございました。