塩屋ヒーハーFM
皆さんこんにちは、ご機嫌いかがでしょうか。
神戸のトレランチーム、塩屋マウンテンクラブのダサポーズ担当、はるかです。
新学期とかですね、そういうね、出会いと別れのシーズンになりましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
はい、今日はここ塩屋の真ん中にありますね、へその部室にて収録をしておりますが、
23時です、今。
23時、こんな遅くから始めたことあります?
23時、いや、23時からでも始めないといけない方が来られたんで、22時待ち合わせで。
へそ前で。
へそ前で。
部室に泊まられるんですよね。
そうですね。
もう泊まらざるを得ないと思います。
超ね、ビッグゲストが、明日塩屋を走ってくれるということでね。
そうです。
はい、紹介します。マルチランニングクリエイターの、丹中雄介さんです。
はい、丹中です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
すごいですね。
嬉しいですね。
なんで塩屋にいるのか。
来ちゃいました。
なんで塩屋にいるのか。
来ちゃいました。すごいわ。そのね、なぜっていうところも色々ね、紐解いていければなと思うので。
はい。
はるかちゃん寝ないようにね。
そうですね。
目パキパキっすね。
一応パキッと。
今日は危ない日だと思って。
だから今日お酒なしです。
麦茶で。
危ない。
どっちもさっきね、さっき帰ってきたところなんでね。
そうですね。
今喋っている方のね、名前言ってなかったキッシーさんね。
はい。よろしくお願いします。
順番がめちゃくちゃですね。
大丈夫です。
ということで3人でお届けしたいと思います。
それでは今週も神戸のウエストサイド。
塩屋から塩屋マウンテンクラブのメンバーがゴースパイシーセイヒーハーな話題をお届けいたします。
はい。主催のキッシーさんとマルチランニングクリエイターの田中雄介さんとともにお届けしております。
塩屋ヒーハーFMです。
まずその田中さんはね、もともとプロトレーランナーだったりしているというところもありますけれども。
なぜマルチランニングクリエイターとなったのかみたいなところもお聞きしたいし、
あとキッシーさんとのつながりみたいなところもお聞きしたいなと思っています。
田中さんがむちゃくちゃ多才なのを知っている人は知っているし、
知らない人は知らないと思うんですけどね。
ただ走るのが速いトレーランナーじゃないんで、相当ぶっ飛んでますんで、
その辺ちょっと聞きたいですね。
僕はちょっと知ってはいますけど、遥香さんに突っ込んでいただければと思います。
経歴というか、やっていることがすごいですよね。
先ほどちょっとお聞きしたところでも。
何されているんでしたっけ?
マルチランニングクリエイターです。
もともとさっき言ったようにプロトレーランナーというふうに名乗っていたんですけど、
プロトレーランナーというふうに聞くと、選手というイメージが強いのかなと思うんですよね。
選手活動というところからはみ出した取り組みがどんどん増えてきていて、
プロトレーランナーだと逆に伝わらないんじゃないかなというところで、
考えた結果、マルチランニングクリエイターということになりました。
プロトレーランナーだけだったら、そういう方って結構いてイメージも強いしですけど、
日本でそれで成形立てられる方ってどれくらいいるんだって言ったら、本当に数える程度だと思うので。
確かに。
でもそれ以外の、走ること以外の才能がむちゃくちゃあるので、
それで生活されているので、数少ないと思いますよ。
すごいですね。
もともとはみ出すのって何からはみ出したんですか?
例えばランニングとか全く関係ないイベントで、結構相談されることが多いんですよ。
あいつならむちゃ振り答えてくれるんじゃないかみたいな感じで思われているんだと思うんですけど、
分かりやすいのだと、ハッピーウーマンズデーっていう国際女性デーっていうのがあって、
女性の記念日みたいなのがあるんですよね。
北海道でも会場というかイベントがあって、
北海道だと芸人のバービーさんがアドバイザーみたいな感じでいて、
そこのイベントでランニングやりたいんですけど、そういうのできます?みたいな。
屋内で、しかもパイプ椅子がいっぱいある場所で、ランニング的なことなんかできないですか?みたいな。
厳しいですよね、普通に考えたら。
普通は厳しいじゃないですか。
僕はなんとかなるんじゃないですか精神なので、できるんじゃないですかみたいなので、
ランニングに使えるような簡単なフィットネスみたいなのをレクチャーというか指導させてもらったりとか、
ぶち込んだりとか、そういう無茶振りの応酬みたいなのがあって、
それに応えてたら全部仕事になっちゃったみたいな感じですね。
そもそも多分住んでるところとか、その辺も結構むちゃくちゃな感じなので、
働いてる場所とかも様々なので、今住んでるところは北海道ですよね。
北海道。北海道の中でもほぼ日本最北端の方の、輪っか内とかあっちの方にある中川町っていう、
めちゃくちゃ田舎、陸の高等みたいな平気地みたいな場所ですね。
北海道でもね、札幌とかそういうところではなくて、むちゃくちゃ北の方ですよね。
そうですね。
どう流れついたのか、もともと岐阜県出身だっていうのは先ほどお聞きしましたけど、
なぜ岐阜から北海道に?
高校までは岐阜にいたんですよ。岐阜県の飛田高山っていう、
岐阜県の一番北の方の町出身で、高校はゲロ温泉の方の高校に行って、
大学から関東の方に出て、大学2年生の時に外資系の企業に依頼されて、
ラーニングチームを立ち上げてほしいっていうのに依頼されて、そこで立ち上げてコーチをしていて。
すごいですね。
20歳の時ですね。
学生なのにコーチもやってて。
もともと競技は高校で結構されてたんですよね。
その経験もとに指導をしてってことですね。
そうですね。高校までって結構自分のために走るみたいな感じだったんですけど、
初めてそういう話をされて、
それは割と無茶振りってことですか?
無茶振りっすね。
それ答えた?
初めて市民ランナーっていう人たちと関わるようになって、
走るためにお金を払うっていう感覚が最初は分からなかったんですよね。
そういうことがあまりなかったので、
なんでみんなお金払ってまで走ってるんだろう?みたいなのを単純に疑問があったんですけど、
みんなすごい熱量が高くて、
僕はそういう熱量でちゃんと取り組めてなかったなっていうのを気づかされたというか、
市民ランナーの人ってすごいなっていうリスペクトがそこで生まれて、
そういう人たちにちゃんと関わっていきたいなっていうふうに僕もなって、
1年間で130人くらい会員ができたんです。
すごいね。
当時は僕が20歳で、
僕の周りって元マラソンのオリンピック代表とか、
あとは世界陸上日本代表とか、
で、選手を引退してコーチをしてるっていう人がばかりで、
本当に圧倒的な下っ端というか最年少でやってたんですけど、
いい意味で年が下だったので何でも聞けたりしたし、
ある意味は無理しないでできたというか、気楽にできたところもあって、
ただランニングチームなんでみんな高いモチベーションで来てたんですよね。
結果を出してほしいっていうところで、
ただ口だけで言うのって説得力としては薄いなっていうふうに思ってて、
ちゃんと形で示すじゃないけど、言葉だけじゃなくて、
ちゃんと姿でも示していこうと思って大会に出たりして、
自分自身が?
自分自身も。そしたらみんな自己ベストの更新がすごく出たんですよね。
なんで結構そういう説得力って言うんですかね。
言葉だけじゃなくて行動も大事だし、伝え方も大事だし、
いろんなことが必要なんだなってそこで学んで、
そこの経験が結構未だに生きてるというか、
っていうのが僕のランニングの仕事というか、
割とルーツというかきっかけみたいなところですね。
今のスタイルにつながってるわけですね。
その若さでコーチってね、今でこそインフルエンサー的な方とか、
だいぶ時代変わってるから、だけどそれってまだまだ
起こりかなっていう感じの時ですよね。
14、15年前とかですね。
東京っていうのも良かったのかもしれないし。
あと今みたいにすごい盛り上がってたりとか、
ファッションとかで盛り上がってたりするじゃないですか。
今ランニングとかトレランとか。
そういうのがまだなかった時代に、
そういう専門性のところにちゃんと向き合えたというか、
関われたっていうのが割と大きいのかなと。
今みたいに前の時代を経験できたから、
今の時代もすごい楽しめてるというか。
そういうのがすごいありますね。
本当に早くなりたい、モチベーション高い人を伸ばしていきながら
そういう意味では真の実力じゃないけど。
真剣に向き合って、自分自身を高めて。
上の人に気に入るタイプなのだと思うんですよ。
結構聞いたら、誰でしたっけ?結構すごい方とかでしたよね。
コミュニティの上の人たちが、
モリグジョーの元有名選手的な人ばかりのところの
下のコーチとしてという感じでした。
いろんな方がいらっしゃったってことですか?
元トップアスリート。
平塚隼っていう。
平塚さんって超有名ですよ。
女子大学の男子エキデムの元監督なんですけど、
世界陸上の日本代表家。
マラソンも2時間。
レジェンドですよ。
そういうバブルを通ってきた人たちが多かったです。
昔のでもそれぐらいの人って結構面白い人が多いですね。
そうでしょうね、個性的に。
その時代をしのいで生きている方ですからね。
だいぶ刺激になりますね。
そうですね。だから僕はあんまり大学の記憶がないんですよ。
大学生で通いつつ。
僕は上西大学だったので、埼玉なんですよね。
ランニングチームは東京でやってたので、
週5とかで東京に行って、
毎回練習会とかをやる中で、
練習会では僕はランニングをみんなに教えて、
逆に必ず懇親会をセットにしてたんですよ。
意外とそういうスイッチがオンの時じゃなくて、
オフの時に意外といいコミュニケーションを取れたりとか、
本当に大事なことが意外と見つかることって多かったので、
懇親会を必ずセットにしてたんですよね。
その時にはみんなに僕が社会について教わるみたいな生活で、
主催だから最後まで飲み会とかもちゃんと付き合ってたし、
だから20歳の時からわりとめちゃくちゃな生活をしてて、
大学の体育危なそうな感じですよね。
結構ギリギリだったですね。
どっちが拠点かわからへんっていうやつですね。
僕の青春と引き換えにランニングがあって、
ランニングとかかわらせてもらったみたいな。
ギブアンドテイクみたいな。
かっこいい。
トレランも確かその延長線上でしたよね。
トレランも僕が教えてた人の中に、
トレランをしてるっていう人がいて、
トレランを教えてほしいっていう人がいたんですけど、
僕もやってないことを説明するのって難しいし、
さっき言った説得力としても欠けるじゃないですか。
なのでその人に教えるためにトレランを始めたっていうのがきっかけで。
逆が感じだったんですね。
だからそれでトレランをしたっていうのがきっかけですね。
結構口だけの人多いですもんね。
そうですね。
しっかりちゃんと。
後で見守ってっていうのは。
今みたいに調べてすぐ出てくるとかって、
それほどの情報がなかったので、
自分の体を実験体みたいな感じにして、
いろいろ試したりして、
こうしたらこうなるんだみたいなのを、
自分の中で蓄積して、
人にちゃんと言語化できるように咀嚼して、
伝えるみたいなことをずっとやってたので、
そのアナログの取り組みみたいなのが、
すごい生きてるのかなっていう、
すごい身についてる感じがするので。
山は最初どこの山引っかかったんですか?
OSJの奥久寺?
ちょっとあれやね。
もう今なくなっちゃったけど。
あれに出られたしね。
OSJか。
結構舐めてたので、
簡単でしょみたいな。
その位置がついてて、
ゴール見えたらピュッて勝てるじゃんみたいな感じに思ったので。
ちょっとロードの延長戦場的なね。
だから会場で全部バッグ買って、
靴買って、
そこで、
靴いきなり。
ペットボトルを挿して、
走っていって、
作戦通り先頭について、
当時OSJで圧倒的に強かった平沢さん?
いらっしゃいましたね。
白ブリーフみたいな、
可愛らしい人なんですけど、
その人が今ついてて、
30キロくらいとかで、
結構無理してたんで、
離されちゃったんですよ。
30までつくのもすごいですけどね。
50キロでしたっけ?
50キロという名の60キロみたいな。
OSJのクオリティだ。
離されちゃったんですよね。
でも完全に2位で孤立しちゃって、
ルートとかもよく分からないし、
マーキングもそんなにある感じじゃないですか?
あるんですけど、
結構分かりづらいところもあったりして、
初戦でロストもしたし、
滑落みたいなこともあったし、
熱中症にもなったし、
全部経験してる?
全部経験して、
めちゃくちゃしんどかったんですよ。
それはしんどい。
しんどいなっていうのをそこで知って、
ちゃんとしないと分からないんだなっていうので、
そこから割とトレーナーのことを
ちゃんと意識して生活するというか、
ちゃんと練習も必要だなとか、
道具も大事だなとかってそこで気づいて、
トレーナー用の練習もある?
そうです。
そういったのでトレーナーを意識するようになりましたね。
逆にそれがあって、
それがモチベーションになるのもありますもんね。
上手くいかないから。
上手くいかないみたいな。
逆に思ったようにできなかったから、
ハマった感じはありますね。
昔からゲームが好きだったので、
簡単なゲームって続かないじゃないですか。
難しいゲームをコーデックしたくなるので、
それでハマったのかもしれないです。
トレーナーの方が圧倒的に労働より難しいですか?
難しいし、複雑だと思いますね。
マラソンだとわかりやすく、
シンプルにというか、
いかに速く走るかだけを突き詰めればいいんですけど、
トレーナーって総力も必要だけど、
それ以外にもルート見る能力とか、
道具をパッキングのスキルとか、
ギア選びとか、
いろんな山のサーフェスに合わせた走り方をする
という技術も必要になってくるし、
いろんなものが必要になってくるので、
そこが面白いなというふうに思いましたね。
未だに全くわからないもんね。
そうですか?
いや、わからないというか、未だにね。
確かに。
正解が一通りじゃないというか。
どっかが駄目でも、違うところで補える。
これがトレーナーの面白さなのかなというふうに思いますね。
リカバリーがあるというか、復活もできるし。
確かに。
それが面白いところですよね。
そっか。
なかなかでもあれですよね。
独特な入り方ですよね。
そうですね。
まさかのそっち側から、むちゃ振りからのみたいなところが。
でもまだ北海道まで近づいていないですよ。
まだ東京ですね。
まだ東京で18分くらい過ぎていますからね。
学生時代みたいな感じですからね。
卒業してから社会人になったんですか?
そうですね。サロモンとか、当時はスントとかアクテリクスとか使っている
アメアスポーツジャパンという会社で、
サロモンとかのお店に入ったんですよね。
元々スントがすごく好きで、ベクターというABCウォッチという
気圧とかコードとかコンパスが付いている時計で
すごい人気のモデルがあったんですけど、それがすごい好きで
それのショップがスタッフを募集しているみたいなのをたまたま見つけて
面接しに行ったら、そこで初めてサロモンとか
スントとかアクテリクスとかが同じ会社というのを初めてそこで知って
サロモンのお店でスントも売っているので
それだったらそこのお店で働きたいですよと言って
お店に入った感じですね。
そこまで今まで自分でいろいろやってきてみたいなところがあって
いきなりお店、一つのお店でって
自分のやりたい領域がもっといっぱいあったんじゃないかなと思うんですけど
とどまらないというかお店の枠に
大学を卒業する前にランニングチームは任せて
一回僕は喫茶店でバイトしたんですよ
世田谷のカフェアンジェリーナという新生のカフェがあって
マスター桜井翔という名前のお店があったんですけど
僕と声が似ていてガラガラしているから
よく親子に間違いなく来ていたんですけど
そこで働いている時に
カフェは転職だなと思ったんですよね
俺これを成り上げにしたいなぐらいと思っていて
これまでランニングとしか関わっていなかったので
ランニングのない生活も経験してみたいなと思ったら
コーヒーも好きだしカフェいいなと思ってそこで入ったんですけど
すごく楽しくて接客も好きだし人と話すのも好きだし
おすすめしたものを喜んでもらえたりしたら結構嬉しいですし
いいなと思って
桜井翔に俺はこの道で生きてきますわみたいな
色々話していたら
でも田中君はランニングが好きなんでしょ
でもカフェは2番目でしょみたいな
一番好きなのがランニングなんだったら
もっとランニングのことを向き合ってもいいんじゃないのみたいなことを言われて
それでたまたまそのタイミングで
スントのそれを見つけてそっちに入ったんですよね
なので僕の中でランニングを一回見ないというか
ランニングを意識しない選択肢ってのもありかなって思っていて
それをなくすことでまた新しいものを身につけられるんじゃないかなと思ったので
シェアも広がるかもしれないし
アメアスポーツジャパンに入った時は
サロモンのお店に入った時はあんまり自分がランナーってことは言ってなかったんですよね
結構サロモンの冠レースみたいなのがいくつかあって
そういうイベントとかにブース出展とかして
販売したりとか大会のプロモーションしたりとか
それってのをよくやってたんですけど
野沢温泉のサロモンの大会でブース出展して
そこで急遽走ることになったんですよね
ショートのブースで
そこで練習を特にしてたわけじゃないんですけど
スタートラインに立ったら爪痕を残したいなってなるじゃないですか
分かります
アドレナリンが湧いてきたみたいな
アドレナリンがすごい出て
ブチかましたとか
特にそういう根拠があったわけではないですけど
気持ちがすごい上がってきて
爪痕を残したいなってなって
走ったらサロモンの選手とかに勝って優勝しちゃったんですよ
アスリートの方々
めっちゃびっくりされたんちゃいます
上司とかにはめちゃくちゃ怒られるかめちゃくちゃ称賛されるか
何してくれてんだっていうのと
サロモンアスリートに勝ったみたいな
お前すげえじゃんっていうのと
いろんな賛否両論を浴びまくり
その時は本当にナチュラルにいけちゃった感じですか
でもそんなに手張ったわけじゃないんですよ
そうですねあんまり出てなかったけど
それは天性やな
尻拭いをしたわけじゃないですけど
それをきっかけにサロモンアスリートになったんですよね
それは勝っちゃったからね
お前はアスリートでええやろと
もともと僕はコーチをしてたんですけど
サロモン入る前に
コーチをしててそこから選手になったんです
他の人と真逆の流れで
コーチから選手になったというパターンです
でもサロモンのこともわかってるからね
サロモンアスリートだけど
ハンバーしてたんだから
説明できるしすごいな
強すぎる
そこから点と点が繋がってみたいな感じですね
シンデレラストーリーじゃないけどね
面白いですね
勝っちゃったっていうのが
でもまだ北海道には行かない
まだ北海道には行かない
でもサロモンでお店に行って
あとはイベントやったりとか
あとはプロモーションのことしたりとか
そういう選手活動をしてたんですけど
サロモンが北海道で新規事業をやるっていうところで
お声掛けいただいて
その立ち上げで北海道に転勤
するってしたのが北海道に行くきっかけなんですよね
北海道は特に行く前に色々とリサーチして
ランニングのこととかトレーナーのことを結構調べたんですよ
そしたらやっぱり
すごいアウトドアの聖地みたいなイメージがあるんだけど
意外と夏のアクティビティって盛り上がってないなっていうのを何となく感じて
すごく縁も床も全くなかったんですけど
すごい可能性を感じたんですよね
逆にそうですね
売れてるものも北海道と本州って全然違ってて
これはやりがいがありそうだなっていうのと
やれるだろうっていう何となく賞賛があって
それで転勤を決めて
北海道でサロモンの選手活動をしつつ
お店で販売をするっていうのをやってた感じですね
それはまだ中川町ではない
それは札幌ですね
札幌はい
いくつぐらいの時ですか?
9年前とかになるのかな
僕今35の年なので
20代の時ですね
でも結構やっぱり立ち上げるのとか人生経験がね
結構いい経験されてますよね
そうですね岸井さんも立ち上げでしたもんね
立ち上げててもあんま考えないで
とりあえずやってみよう精神とかがうまくいきますよね
僕もそう思います
0-1も僕はやっぱり好きで
かっかえすぎちゃうと悪いことばっかり考えるし
8ぐらいで7とか3ぐらいでも5をしないと進まないから
後から冷静に考えたらね
勝てないというかこれよくやったなみたいなのがあるんですけど
でもそれすごいというかね
北海道のしかも見知らぬとこ行って立ち上げてますもんね
面白いですよね
1からまたコミュニティというか周りの絆を深めないといけないし
当時は北海道でもちゃんとした仲間内で集まるという文化はあったんですけど
ちゃんとしたソーシャルなイベントとか
参加費があるようなランイベントとかってあんまなくて
そういうのをちゃんといろんな形でいろんなランニングをやっていかなきゃダメだなって思ってて
事例はあんまなかったんですけど
それも北海道で始めたんですよね
でもコーチの時にはそれは生きてますよね
コーチの時に教えてやっぱり
結構ね経験があるわけじゃないですか
しかも教えてお金もいただいてとかも含めてね
そうですねマネタイズするみたいなところも
マネタイズ難しいですけどね
その文化がないところで
結構サロンの新規事業のお店が物を売るだけというよりは
どっちかというと地域を盛り上げていくっていう
地域を盛り上げていこうという中で
遊びの提案とかをしっかりしていきましょうと
その中でブランドとして寄り添うみたいな
割とアジア初だったかな当時
結構新しい取り組みで
僕はグリーンシーズン担当というか
トレーランとかランとか山とかのアクティビティで
僕以外にもサロンのスノーボードのアスリートとか
あとアトミックってスキーブランドの選手とかも在籍してて
それぞれの得意分野で
遊びの発信とか提案をしてくるっていうのをやってたんですよ
やってたんですけど
結構いろんな相談事がすごい増えて
自治体だったりとかいろんな企業とか
これとかこういうの困ってるんだけどできないのとか
お願い事とか相談がすごい増えて
割とサロンで関われることは結構サロンを絡ませて
いろいろとそういうのを回してたんですけど
回り切れなくなったんですよね
変化がありますよね
プールスランキャラが結構増えてきて
これをやらないと地域のためにももったいないなと思ったし
ブランドとしてもなんかもったいないなとか
あとランニング業界的にも
これできたらいいのになって思ってて
選手と社員の軸があった時に
縛られてることが多分できない要因なんだろうなと思って
それもあってコロナ2年目の時に独立
僕30歳の年なんですけど
独立してプロでやってきますっていうので
そこからそういった相談事とかを
ちょっと動かしていくっていうのを始めたっていう感じですね
そうですねでもねなかなかできないですよ
そうですね
なかなかできないし
それを回して実現していく力もあると思うんですよね
いろいろお困りごとを
力があるというか
とりあえず0-1が多かったんですけど
そういうのはわりと好きだし
できるんじゃないかなっていうのは
できたら面白いなぐらいで考えてたので
それが意外と良かったのかなって感じですね
中川庄にはまだ行ってない
まだサッコロっす
そうですね
サッコロ拠点でやってたんですかね
そうですね2年くらいかな
2年くらいサッコロにいて
いろいろなことやってたんですけど