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2021-12-28 16:57

012:「正解」が定まらない仕事にどう向き合えばいいか?

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沢木さん、マネーボールという映画があるの知ってますか?
知ってます。
僕は野球はそんなに興味ないんですけれども、この映画を見たんですね。
見ていると、弱小チームがデータ分析をすることによって勝ち上がっていくと。
そういうストーリーなんですよね。
その中に出てくる、このデータ分析をする理論がですね、
セイバーメトリックスという、これは理論ですかね、データ分析手法がありまして、
なんで僕はこれに興味を持ったかというとですね、
そもそもこのセイバーメトリックスというものを考案した人というのがですね、
軍隊を退役した後に缶詰工場に警備員として勤務していたジェームスという人で、
夜勤の暇つぶしに趣味である野球データの分析をしていたことが始まりと。
エラーという概念が実情に合ってないという仮説をですね、小冊子を出したのかな。
この小冊子をですね、発表したと。
まあこれは今で言ったら、KDP出版をしたわけですよね。
そしたら最初の購入者が75人だったと。
これ野球賞、賞というのは、賞録、底辺に少ないと書いた賞ですね。
野球賞という小冊子がですね、年々この行動数が増えていって、
で、ある臨界点を超えたところで有名になったと。
なるほど。
この特冊数の増加とともに、野球データの分析を行うファンの数も増えていったと。
なるほど。
まあそれでマネーボールの話に繋がっていくんですけれども、
結局この本職はKBになった人が、暇つぶしに趣味でKDP出版したら、
この人多分成功したんでしょうね、このセイワーメトリックスで。
こういうだから成功伝というかね、こういうストーリーが非常に興味深いなと思うんですけれども。
で、ここで大事なことはですね、やっぱりあの記録だなと思うんですよ。
なるほど。
で、前回もですね、好きなものを追いかけましょうみたいな話をしたんですけれども、
やっぱりこれ、自分でね、趣味である野球データの分析っていうぐらいですから、
まあデータ分析してたんでしょうね、もともとね。
で、他にもいたと思うんですよ。
データ分析してる人。だって野球なんて誰も見れるわけですからね。
だけど、こうやってこう形にしたっていうところで、他の人から突出することができたというわけなので、
アウトプットするということが本当に大事なんだなっていうことをですね、この事例からは分かるんですけど。
大沢さん、この野球をよく見ている沢木さんとして、このセイバーメトリックスっていうのはどういう位置づけなんですか?
僕はセイバーメトリックスって言葉自体はよく知らないですけど、
多分今ではそう珍しい話ではなくて、
データはもうみんな山のように取ってるし、
それこそ一番普通にあるところで言うと、でもあまり野球詳しくない人にはあれなんだけど、
どこに投げるかってことですよね。
コースですか?
コースです、コースです。
要するに高いのがいいのか低いのがいいのかというのとか、
真ん中に投げるっていうのはダメなんで、基本的には。
体から離れたところなのか近いところなのか、
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近いのがいいか悪いかって話じゃなくて、近いというのは、
つまり体に近いところにボールが来るから怖いっていうのがあって、人間には反応的にね。
その球を、ただ近いところに投げるということは、
打たれる可能性も結構あるわけですから、
近いところに投げる必要はあるけど、
打たれるのは嫌だよねっていう、そういう攻めぎ合いでいつも野球っていうのは基本的には見てますよね、みんなね。
そういうところで近いところに投げるなら、
どの程度どういう球を投げておけば打たれにくいのかみたいなデータは、みんな取ってますよね。
そういう位置づけかなとは思いますね。
だからキャッチャーがよくそれをやっぱり意識して野球やってる。
ただしこれはプロのレベルの話ですけどね。
素人はそこに狙って投げられるわけじゃないから、
狙って投げると体にぶつけてしまうとかということもプロでもありますけどね。
そういう色々あって、そのデータを分析しますというのは、
データだけで野球を見るみたいな見方も今ではあったりしますよ。
素人ながらにここはよく野村監督がね、ID野球とかって言ってましたね。
あれがまさにこれの影響なんじゃないかなと思うんですけど。
多少はそうなんでしょうね。
あの人の時代ってもう本当大昔だから、
ああいう発想をあんなにしつこくやっていた、
執念深くやってたっていうのかな、人は珍しかったんで。
彼がID言ってた頃は、ある意味全球団やってたんですけどね。
ああなるほどね。
でもね、個人的にはIDってなんか別のイメージを喚起する言葉だから、
いまいちなネミングだなと聞いたんですよね。
だからやっぱり野球なんでね、
将棋やってるんだったら、もうそういう論法だけでどんどんいくでしょうけど、
野球人はやっぱりいくらデータって言われても、
その通りにじゃあできるのかって話もあるし、
その通りにやれば本当にうまくいくのかって話もあるから、
そういう意味ではデータというのはすっごくみんなもう使ってるんですけど、
そういうののこれは大元の、たぶん伝説みたいな話だとは思いますけどね。
そう、今将棋の話が出ましたけど、
今やたぶん、僕も将棋詳しくないですけど、
今若い人が活躍しているのは、たぶんにやっぱりこのデータの力ってのがあるんじゃないかなと。
もうAIですよ、完全に。だってAIの方が強くなりましたから、
そこから時代はもう、こう、なだれ式にですよ。
AIと一緒になってみたいな感じですよね、研究していくという。
だから、いま話題になってるのは藤井さんだけど、
藤井さんがいま一番近いのは、たぶん豊島さんって人なんですけど、
あの人はひたすらAIとやるみたいな人ですね。
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ずっとAIとやって研究しまくると。
たぶん藤井さんもやってるんですよね。
それでこう、あの二人が異常なまでに強いけれども、
それはもうAIが強いからですよ、ある意味ではね。
今までは人間でやってたわけじゃないですか。
AIの方が強ければ、AIとやってる方が強くなるに決まっていますよね。
で、あの将棋なんで、コンピューターで十分というのかな、
コンピューターにはうってつけないわけじゃないですか。
これが野球となってしまうと、その通りに人間は投げられなかったりするけど、
将棋はこの通りに打つことは絶対できるわけですからね。
訓練相手としてはもう理想なわけですね。
理想ですよね。完全に頭脳だけでできる世界ですからね。
これが野球となると頭脳だけでは、頭では内核に投げたくても、
球は外核に行っちゃうということが頻繁にあるんで、
いくら論理が正しくてもダメなわけですよ。
仕事でいうとね、このタスクシュートを使っていると、
もう記録を取りまくることになるんですけど、
結果としてそうなりますよね。
はい。で、その記録を取っている時間はどうなんだという議論もあるわけですけど、
一方で、その記録をせずに、とにかくこう、記録を取っている時間があったら仕事を進めるというやり方も一つの方法だと思っていて、
その時に、記憶を頼りにしているわゆるにできることと、
あと記録に頼るからこそできることっていうのはやっぱり違うと思うんですよね。
現実に起こることは多様すぎるんで、僕のデータっていうものもあるんですけれども、
大橋さんの方が多いですよね。
でもそのデータ、なんていうんですかね、それは。
よく僕も例えるんですけど、地図にね、カーナビとかに例えるじゃないですか。
でも、地図がないじゃないですか、実際には。
うん。
うん。そこがあるよなとはいつも思いますよね。
そのルートが一見あるようだけど、ルートはないじゃないですか。
だから僕らは、あれを使うんだけれども、
でも結局何かをやるときは必ず直感などみにしている。
その辺がすごく将棋的じゃないですよね。
将棋は、なんて言うんですかね、勝利条件がはっきりしていますよね。
要は王を取りゃいいわけですよ。
これがないんですよ、タスクシュートには。
確かに。時間とともに今日はここまでいいかなっていう区切りが変わりますもんね。
だって何をやったら勝利っていうのは分からないわけじゃないですか。
仕事が終われば勝利なのかというと別にそういうわけじゃないし、
上がった仕事が完璧だと思えれば勝利なのかと思っても、
僕の場合は本ですけど、そのまま出して突っ返されるなんてこともあり得るわけだから、
勝利条件がすっごい不明瞭ですよね。
そして多分永遠に不明瞭だとは思うんですよ。
そこのところでもう、なんて言うんですかね、最終的には、
ここがまた将棋と全然違うんだけど、
勝った負けたは自分で決めるしかないですよね。
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結局どんなふうに言ってみても、
これで絶対に満足っていうところまでは諦めないとかって、
言い方も一つあると思うんですけども、
でもその人がそこで止めたところが、
あらゆる意味で完璧かどうかを誰も保証はしてくれないと思うんですよ。
計画通りに辿り着いた場所ではなかったとしても、
とにかく辿り着いた場所が正しいというか、
そこに満足するしかないというか。
だからそこに満足する。でも、例えば、
ここまでやったということで、今日はここで寝ましょうっていうことにしたと、
それはもうそうするしかある意味ないですよね。
逆にそうは言ってもなお、一生懸命粘って徹夜しましたっていう、
そういう結果もあるんだけど、結局それは勝利条件なわけじゃないですよね。
ある意味ではそういう現実が最終的に、最終的にでもないですよね。
そういう現実が現段階ではここでした。
それ以上のことは言えないかなっていう。
それがいいところかなとも思うし、
私なんかにはいいところかなとは思いますけどね。
将棋のようなのは僕は結局、僕将棋結構凝ってた時代あったんですけど、
耐えられないなって思いますね、僕は。
耐える程度?
勝てなくなるんですよ。全然。ある程度のレベルから。
それに耐えられなくなるんです。
あんなに勝利条件が明確に出るものっていうものは、タスク管理でよく言うじゃないですか、
逆算とか、QOLとか、でもそれは自分で勝手に結局決めてるじゃないですか。
本当はそのやり方では、将棋で言えば頭打ちになってて、
50連敗とかしてる状態かもしれないけど、分からないところがいいわけですよ、ある意味。
でも将棋だと本当に50連敗しちゃうわけですよ。
で、現実が正しいって言ってみたところで、
多分将棋者氏がですね、50連敗していてそこに納得するのは無理があると思うんですよね。
だからああいう勝利条件が極めてはっきりしている世界っていうのは、
向き不向きがめちゃくちゃはっきりするとは思いますね。
僕はあれは無理ですね。
そうか、そういう意味では仕事は一見この勝ち負けが明確なようでいて、
実は評価は、なんだろう、動的に変わるというか。
動的に変わる。間違いなく動的に変わりますよね。
だからすごくある種曖昧体制、心理学ではいう曖昧体制みたいなものが大事だけども、
逆に曖昧さが好きっていう人に向くとは思うんですよね、ある種の仕事は。
僕は絶対そうなんですよね。曖昧体制みたいなものの方が強いなとは思いますね。
それこそあのコピーライターとかデザイナーとかね、正解ないじゃないですか。
だからあと何時間粘ってもそれで良いものになるとは限らないわけですよね。
だから物書きもそうだし、コピーライターとかデザイナーとかみんなそうだけど、
ここで二通りの意見が常にあるじゃないですか。
絶対妥協してはいかんみたいに言う、そういう徹底的な理想主義っていうのが良しとするっていう人と、
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そういう人がいる一方で、もう自分の感覚でいいと思うところがいいんですって、
必ずそういうなんかこう緩いことを言う人と、でお互いがお互いを罵るんだけど、
僕はここが曖昧なんだって思うんですよね。
どっちにも成功者も失敗者もいる気がして仕方がないんですよ。
では、さっきコピーライターって話をしたんですけど、
伊藤さんがね、『今日のダーリン』っていうコラボを書いてるじゃないですか。
あの中である日ね、『クーネル遊ぶ』っていうコピーの話をしたんですね。
『クーネル遊ぶ』って知ってます?
知ってます。
なんか、なんかの車のコピーですよね。
最初は『クーネル遊ぶ』じゃなくて『クーネル遊ぶクラブ』と、
後ろにあの漢字のクラブが付いてたらしいんですよ。
で、僕はその『クーネル遊ぶクラブ』いいと思って、
店舗員にも褒めてもらったし、いいなと思ってたんだよね、と書いてて、
だけど、しばらく経ってから『クーネル遊ぶ』だけになった時に、
いや全然こっちの方がいいじゃん、という風に思い直して、
だから結局その、どんなにこの出来上がった時には満足してても、
当然それは評価は変わるわけで、
最終的にはだから『クーネル遊ぶ』になったわけですけどね、
完成した時は『クーネル遊ぶクラブ』だったと。
そういうことが、もうだって、結局評価者は全部他人じゃないですか、
あの世界ってある意味。
だからそういうことは十分起こり得ると思うんですよね。
だからいいっていう人と、だから嫌だっていう人に絶対別れると思いますね。
結局これは仕事をどう終わらせるかっていう話になると思うんですけど。
だからね、最近思うんですよね、
終わらせ…お話も書いてたんですけど、
終わらせようとしなきゃいいんじゃないかなと。
なんかね、最近本もそうなんだけど、
脱稿というものはあるけれども、脱稿は最終じゃないし、
最近は出てからもなんかCMするまでは最終じゃないですとかって平気で言われるし、
だんだんだんだんね、永遠に終わんないじゃんこれっていう。
でもまあ、それでいいよね、ある意味では。
そうか、だからあれですね、サグラダファミリアですね。
でもどっかでフェードアウトするけれども、本なんかというか。
そういう感じが合ってる人には合ってるとは思いますよね。
冒頭でセイバーメトリックスの話をしたんですけど、
このウィキペディアにはですね、この理論が一般に知られるようになった現在でも、
野球はデータではなく人間がプレーするものであるという信念を持った人々からは歓迎されていない風潮があると。
信念というか、野球をロボットがやっちゃったら、
それはロボットが数に決まってますから、
結局これはデータ通りにできないという部分が大きいですよ。
だから結局これがいいと思ったとしても、
結局そこにはですね、必ずそんな良くないと思う人はゼロにはならないので。
そうですね、それはまあそうでしょうね。
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だからまあ、クーネラソブクラウデーもいいじゃないかと。
結局だから、出した後に、なんだろう、いい感じに変わるというかね、
その自分の手を離れたらあるべき形に変わるというかですね、収まるというか。
そうですね、あとは結論を出さないことかな。
ああ、そうか。だから変わらせようと思うと、
なかなか自分の手から離れられないから、辛くなってしまいますね。
50近くなって、僕がかつての自分の言動を裏切ることが多くなって思うのは、
信念をあまり持たないことだなとは思いますね。
なるほど、そうか。
自分の中のチェック期間を厳しくしないと。
できれば無しにしたいけれども、無しにはできないから、やむを得ず持っておくぐらいな感じですね。
時と場合によってそういうのって変わるし、変えてしまわざるを得ない気がするんですよね。
なんかある種の時は、なんか自分も本書く時は、そういう職人みたいなつもりになる時もあるし、
ある種の時はもうマーケットで売れるっていうことを、ある程度妥協、妥協というのも変ですが、
売れるっていうことを持ってきて書くみたいな、そういうなんか別人格でやっていくみたいな感じの方が、
むずい気がするんですよ。
なんか職人みたいにやるっていうことをやれば、こんな数にはなってないだろうし、
全部売れるっていう風にやってると、途中でやめてしまいそうですね、僕の場合は。
どうせ両方の言い分のいい人はいるに決まってますからね。
じゃあま、まとめとしては、あんまりこだわらないと。
僕はね、そう思います。
多分だから、あの、爪が甘いとかって批判される恐怖があるんでしょうね。
爪が甘いと批判される恐怖は全然ないです。
いや、普通の人は。
だから、だから爪というものがある世界にいるのかいないのかは大きいんですよね。
なるほど。
爪は将棋の言葉ですもん。
そう繋がってくるんですね。
はい。
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