あー、ごめんなさいね。ちょっと今、話しかけられたことまずはお聞きしてから続けますかね。
あ、いいです。どうぞどうぞ。
すいません、申し訳ない。そんな中でですね、せっかく撮るんであれば、僕の生き方みたいなのをちょっとざっくりでも知っていただいた上での方が話しやすいかなって思って、お忙しい中でお時間1時間、今回はいただいちゃってるんですけど、その1時間だけで僕の生き方説明してたらそれで終わっちゃうなと思っちゃったもんで。
事前にですね、僕がこう、この週の話すラジオの中で毎回概要欄の方にリンクを貼ってるちょっとキーになったというかですね、この僕の生き方のきっかけになったような配信を聞いていただきたいということで、青柳貴也さんゲストに呼んで話した2本、もう合計2時間あったと思うんですけど。
2時間ありましたよね。
すいません、それを聞いていただいちゃってっていう感じで。
いや、聞きましたよ。
望んでいただいちゃうという申し訳ない状況でもあるんですけど。
ぶっちゃけでも、あれのおかげですごい、なかなかああいう自分の考えてることとかって、自分自身でもわからなかったりもするし、自分自身でわかっててもそういうのを話す機会って普通ないじゃないですか。
なんか普通の現代人が社会人として生きてるだけだと、みたいな。
その時に音源聞かせていただいて、まさにまだ全てを表現できてる、集散的にも表現できてるかわからないけどとか、青柳さんも自分が理解できてるかわからないけどっていう話はあったけれども、
でも、それをちゃんとじっくり話す場があるってすごい。僕なりに、なんか別に理解できたかわかんないですけど、でもすごい理解できたなって思ったんです。
あの時のあの場の言いたいことはこういうことなんだろうなっていうふうに。
すごい、本当ですか。
それが一致してるかわかんないですよ。集散がその時に考えてたことと今僕がイメージしてることが一致してるかわかんないけど、その時のことが伝わってきて。
でもあれ結構もう、撮ったのはおそらく2021年。
2021年の11月なんで、もう5年ぐらい。
結構前っちゃ前なので、その後何があったかちょっとわかんないですけど。
でも、あの本質について僕がもちろん感じることもあるし、重なる部分もあるかもしれないし、違うところもあるかもしれないし、僕だったらこうだなみたいなところもあったりするので。
なので、そんな感じです。お聞きさせてありがとうございます。
さっきいただいてよかったですね、確かに。
本当にありがとうございます。お忙しい中をと思ってですね。
ちょっとDMのエリトリーとかさせていただく中でも、すごく忙しくスケジュールを設定されてるんじゃないかなって勝手に予想してたりして。
本当に送っちゃったもののマジでこれはいかんことをしたかなとか思ってたんですけど。
その性格の診断もちゃんと音源に入ってたんで大丈夫です。
そうですね。そこにビビっちゃってたんですけどね。
でも、あの後実際僕、あの配信では、ギチの完全人間ランドのサルマネみたいな形でスポンサーを募ろうみたいなことを思ってるって言ってたと思うんですけど。
実際もうその後本当にそんなに間開けずに、あれが11月3日とかの配信で11月20日ぐらいにそういう窓口を開設してですね。
月額100円以上みたいな感じで小口からみたいな感じで月額でのスポンサー。
僕はちょっとインプットが先、アウトプットが先みたいな考え方をしてるもんで。
僕に対してのインプットをくださる方々みたいな意味でインプッターって名付けてその窓口を作ってですね。
実際この4年半ぐらい貯蓄を切り崩しながらですけど、ポッドキャストだけをやるっていう生き方を未だに続けられてはいるんですよ。
実際人数としては今の時点で65人の方々が、一番小さい額の方は100円、一番大きい額の方は1500円っていうので入れてくださってる方がいる中で、
2万円弱、毎月65人の方々が僕にスポンサードしてくださってるっていう状況で。
青柳さんとの話の中で僕月額5万円ぐらいの出費で抑えて何とかやってるみたいに言ってたんで、半分とはいかないですけど5分の2は補填させてもらってるっていう中で、
なのでまだ貯蓄つきずに一応やれてるっていう感じなんですよ。
それは月額で入れてくださってる方々以外にもちょいちょい僕そういうポッドキャストのイベントとかに行きたくなっちゃって、車で下道だけで旅したりして、
それに対してはそれとは別で単発でインプットくださる方がいらっしゃって、それはそれで成り立ってたりするから、
その意味で5分の2ってさっき言いましたけど、実質で言うとそういう旅してる間はほぼ僕固定費がガーンと減るので、旅の収支はトントンでやらせてもらってたりしてたり、
去年は1年のうちの3分の1ぐらいは旅に出てたりっていうそんな計算になってたんですよ。
なるほど。 だったもんで、いまだに細々と続けられてるっていう状況があるんですよね。
なるほど。ありがとうございます。いいですね。前提としてその三つの原則を、少し僕の口から先に中身をお伝え、その意図とか思いを共有させていただくと、
ぜひお願いします。
本自体は資本主義とは何かとか、資本主義社会の中で僕たちがどういう追手に追われているのかっていうところを、歴史と思想からそれを解き明かすという形で、時間に追われているよねとか、成長に追われているよねとか、あとは数字とかお金とかに追われているよねみたいな話を、それは何でかっていうのを解き明かしていく本なんですけれども、
その旅路というか、結構長い旅をしていくんですけど、その前の原則として、こういう原則でこの本は旅を進めていきます、冒険を進めていきますよっていうのをお伝えしているのがその三つの原則としておいていて、中身でいうと一つがバランスの原則ですね。
今、ちょっとしゅうさんも言ってくれましたけど、バランスの原則って言って、極端っていうものは良くないんだと。これはアリストテレスという人が中庸っていう言葉で言ってますけれども、人間の良い生き方とは何かって、いろいろ論はあるんだけど、究極言うと極端を避けるっていうことだよねっていう、その中間に答えはあるんだよねっていう、そういう無謀っていう極端と臆病っていう極端の間に勇敢さがるよねみたいな、そういうイメージ。
それはすごい僕は大事だなと思っているね。それは一つ目のバランスをとっていく、バランスの原則が一つ。
二つ目が個人視点の原則ですね。これも今しゅうさんがちらっとだけ言ってくれましたけど、資本主義の話とかってすごく大きな話として、資本主義をもうじゃあ変えていこうとか、資本主義はめちゃめちゃ良いからもっともっと資本主義を加速させていこうとか、いろいろあると思うんですけど、
そういう大きな世界の話とか社会の話ももちろん大事だし、特に古典ラジオを聞いてくださっている方も、このしゅうさんのポッドキャストの皆さん、聞いてくださっている皆さんには多いかもしれませんが、古典ラジオは割と大きな話というか、世界とか社会の話をしていくと思うんですよね。
一方で、もちろんそれは大事なんだが、とはいえ僕たちは日々日々生きていかなきゃいけないし、自分の人生においてそれはどういうものかっていう、自分の視点、個人の視点から物事を考えていくっていうことが僕はものすごく大事だと思う。
自分の場合はもちろん歴史も好きなんですが、どちらかというと哲学とか思想をずっと勉強してきた人間でして、その哲学とか思想っていうのは個人の生き方っていうのも当然ですけどもちろんすごく影響を与えてくれるので、
資本主義を個人の視点、自分にとってどういう意味を持つのかとか、どう付き合っていけばいいかっていうことを考えようねっていうふうに個人主義の原則っていうのをやっています。
で、3つ目がちょっと長くなっちゃったんですが、3つ目が結構大事なんだ。希望の原則っていうのを挙げていて、これは何かっていうと、一言で言うと、よっしゃ頑張ろうって思ってもらいたいなっていうことなんですね。
で、どういうことかというと、こういう資本主義と生きていくっていう、タイトルからはちょっと違うんですけど、でも資本主義ってこんなに大変だよねとか、辛さの、しんどさの構造ってこうだよねっていう感じの本じゃないですか、内容的に。
で、なので、だから、まあじゃあダメなんだとか、資本主義ってもう恐ろしいなとか、もうどうしてもないじゃんっていうふうに終わるんじゃなくて、そうではなくて、そこから大変な世界の中で、じゃあどうやって希望を見出していくかっていう、ここに何か僕は哲学の価値とか思想の価値があると思っているので、
必ず、もうじゃあ一人一人そのままでいいよじゃなくて、希望を見出していくっていうところに僕はかけたいというか、それを伝えたいっていうのがありますというところで、この3つのバランスの原則、個人視点の原則、希望の原則を大事にしてこの本は語っていきたいし、
これはこの本だけの話ではなくて、僕が哲学を17歳くらいから学び始めて、獲得したものは何ですかっていうと、この3つくらいがすごく浮かび上がってくるなっていうふうに思って、で、この本においてもぜひ使いたいなっていうふうにそう思ったっていう。ここまで丁寧にあの本には書けてないんですけど、そんな。
そうなんですね。逆に嬉しいです。そういう丁寧に書けてない部分がここで出たっていうのがめちゃくちゃ光栄です。
そうですね。っていうのがすいません、前提で。そうですよ。ちなみにそのしゅんさんが自分の生き方が違うのかもっておっしゃってましたけど、でも印象に残っていただいたというか、残ったらどんな点だったりしますか、特にこの3つの原則においては。
そうですね。印象に残ったというか、さっきもちょっと表現させてもらったみたいな、一見僕の生き方はこの原則に反しているように見られるんじゃないかなっていうビビりがあったとしたっていうのが正直なとこですかね。そっちの方が印象が強かったというか。
いや僕この3つめちゃくちゃ大事にしてるつもりで、共感しながら読みながら同時にそう思っちゃったんですよ。だから現れとして僕本当に資本主義と生きていくっていう本のタイトルを見て、僕が読む本じゃないかって思っちゃったぐらい、ある意味資本主義から一人で外れちゃって。
実際そういうところはあるんですけど、そういう極端に振ったようにしか世間からは見えないかなとか、個人視点はもうなくしちゃって、社会のためだけに自分を犠牲にしているように映らないかなとか、それを思っちゃったっていう感じなんですよね。
なるほどなるほど。
青柳さんゲスト回だけを聞いた状態の品川さんには今どう映るかなっていうのを率直なところを聞きたかったっていう僕の願望があったっていう感じなんですよ。
じゃあ一旦その後のアップデートはお聞きせず、5年前の青柳さんゲスト回の情報はオッケーですね。
うんうん。一旦。
ありがとうございます。
いやこちらこそ。
基本なんかいろんなこの最近ポッドキャストが聞いて、いろんな場で喋るときにすごい自分で反省しているのが、前提が多いんですよ。喋るときに。
それめっちゃわかる。
1個の問いがあったときにパッと答えられなくて、まずこれがあってこれがあってこれがあってこれがあるからってことはこれですよねって感じで自分日々考えてるんですよ。
いや僕そっちの方が嬉しいんで、ぜひそっちで言っていただきたいんですけど。
いいですか。
はいはいぜひぜひ。
そうだからそうなんですよ。で、なんでそれをすいませんっていう感じと、もうちょっと一旦わかりやすさとか置いといて率直な考えてることをお伝えするとですね。
はいはい。
まずあの3つの原則っていうのは本当に僕あれは大事だと思ってるのは本当なんですね。これは正直な気持ちとして思っている。
はい。
僕はもしかすると、この本の特徴とも関係するんですけど、割と西洋思想にのっとって僕は考えてるつもりなんですよ。
はいはいはい。
で、あの本でも書きましたけど、それぞれの原則の着想を得たのはアリストテレスでありフッサルでありサルトルでありみたいな西洋哲学で僕が面白いなと思ってる人たちからちょっと着想を得て書いてるんですね。
はいはい。
で、もちろん東洋でもそんなの全然一回も取れるんですけど、そうあった時に。
はい。
で、これ東洋においてはどうなっていくかっていくと、ちょっとこれからわけわかんないこと言うんですけど、
そんでもないです。
はい。それぞれの原則をですね、突き詰めていくと、それをですね、突き抜けていく感じがしているんですよ。
で、どういうことかっていうと、僕はちょっと東洋チックなんですけど、
うんうん。
例えば、アリストテレスはAという極端はダメです。Bという極端はダメです。その中間に答えがあるように話をしてるんですね。
うんうん。
例えばね。
AもBもないもない。
そうそうそう。
はいはいはい。
だから、なんていうのかな。そもそもそれにとらわれていくこと自体がダメだよねって話に多分なってくるんですよね。
なるほどなるほど。
その極端を2つを設定しているという時点で、ものすごく、なんていうか、本当にその軸ってあるのっていう話。
すべてが相対だよねって話になってくるわけですね。
うんうんうん。
とか、あと分かりやすいのは、個人視点の原則とかも分かりやすいかなと思っていて。
はい。
そうやって、例えば、これも仏教でいうと、個人として自分が煩悩をなくしていくとか欲をなくしていくとか、
はい。
人生とか世界っていうものを明らかにしていくっていう、それを突き詰めていった先には、これは台上仏教的になりますけれども、
最後、慈悲みたいな話になっていったりするんですよね。
はいはいはい。
とか、希望の原則っていうものも、希望っていうものを見出していくとか、
生きてきていいんだっていうものを見出していくっていう先には、でも実は自分っていうのはものすごく罪深い存在だったりだとか、
どうしようもない存在だっていう感覚にもなっていく。
これは浄土真宗とか神蘭みたいな話とか、ほうねんさんとかって話になってきますけど、
そういうような、あくまであそこで書いたのは、
物事をはっきり考える、AとBの間、はっきり考えるみたいな思想においては、あれはすごい正しいと思っていて、
僕もあれからすごいエネルギーをもらうんですが、ちょっと今の話だけだと分かりづらいかもしれないんですけど、
あれを突き詰めていくと結局それが溶けて融和していくみたいな、そういう世界観になっていて、
それは結構、東洋の思想でそういうのがすごく多いんですよね。
っていうのをなったときに、例えばさっきのしゅうさんの、どれがいいかな、
例えば、個人とよりかは社会を見ちゃってるみたいな話とかっていうのも、
子っていうものを突き詰めて、自分の生き方を突き詰めていくと、最後それが無性して、
つまり霧のように消え去って、他に対する意識に向かっていくみたいなのとかっていうのは、
すごく仏教師の精神思想師みたいなものと重なったりする。ちょっと分かんないですけど。
本当にそれがしゅうさんがそうなのか分かんないけど、そういうのって流れってあり得る。
あとバランスか、極端。
極端ね。そうか。極端なのも、僕からすると、でも極端なのかな。
でも確かに、僕の考えでは資本主義っていうものを、ある意味では避けるとか、意味嫌うみたいな感じに、
感覚としては僕はならない方が健全に生きていけるんじゃないかと僕は思っているので、
その意味では確かに違うところがあるかなっていうふうに思いました。
だからそういう意味では極端と思われるかもしれないなと思いました。
ただ、例えば仏教の初期教団というか、はじめのブッダとその仲間たちみたいな人だって、極端な生活するんですけど、
でも結局どうやって生活の糧を得ているかって言ったら、卓発って言って、ものをもらっていくということですよね。
それがまさにいいんだっていうことを言ったりするから。
そうだな。僕はあの3つの原則は、心を健全に生きていくためにはっていうふうに考えているから、
それが健全なのであればそれは極端じゃないのかもしれないなとかって思ったりしたかな。
一旦これから止めといて、ちょっとあれかな。
ありがとうございます。
すごい、2時間で長かったと思うんですけど、あの配信時点ではそんなに僕、その時点での状況だったりとかしか話してないのに、
わりとすごく深くまで予想してくださっているのが、結構当たってるんじゃないかなと思ってたりして、すごいなと思ったんですけど、
そうなんですよね。こう突き詰めるというか全体を突き詰めるというか、どっちもやっていくと途中で運算無償していくみたいな感覚になることがすごく多くて、
だからさっき無償っていう単語を使われた時に、すごい感覚的にはしっくりくるみたいに思っちゃって、
だから僕ビビリって言ってるのに、お金を手放すのは何で?みたいに言われることがちょいちょいあって、
最近こそ配信だいぶ続けてきてるから、ようやく僕の周りにいる人たちはある程度理解してもらえたんですけど、
そう、個人の視点の方が大きいうちは手放せなかったと僕も思っていて、
それがでもある程度個人が手放さないと全体としてはうまく回らないっていうところまでイメージしてしまうと、
自分のために結局全体も意識しつつ、ある程度自分の一人分みたいな感じのところで手放していかないとうまくいかないよなっていうところまで見えた上で、
僕のビビリが反応するのはその全体のバランスが崩れることに対してビビリが発動しちゃうみたいになっているので、
なるほど。
たっと見極端に見えるかもしれないけど、めちゃくちゃバランストローっていうのを本当に常時発動してるんですよねみたいな感覚で生きてるんですよ。
なるほど。そうっすよね。だから極端な話で言うと、バランスの原則で言うと、
実はアリストテレスの中央ってものを考えたときに、何と何を極として置くのかっていうのによってバランスって全然意味が変わってくると思うんですよ。
なので、何を片方の端に置いて何を片方の端に置くかによってものすごいバランスでいくら何とでも言えるじゃないですか。
なので、例えば資本主義との関係で言ったら、片方を資本主義大賛成、片方を資本主義大反対、まあ共産主義みたいな感じで置いたときのバランス中央っていうものと、
例えば、普通に社会人として生きていく中でお金をたくさん使うのがまず一つの極端、全然使わないっていうのが極端って置いたときのバランス、中央、中間地点で。
同じ中央とかバランスって言葉だけど、全然違いますよね。
どう置くかによって何とでも別に言えるみたいな話が、まさにさっき言った東洋的な相対的な、結局それもどう置くか次第じゃんみたいなところな気がしているから、
そうなんだよな、だから結局それをなんか自分で、そこ何を極と極に置くのかっていうのによって、そのバランスがバランスをとっていると思われるか思われないかで結構全然違う気がしていて、
だからしゅうさんの場合に、何と何を極に置いているのかっていうのがあって、そこのバランスをとっているっていう感覚であれば、それはバランスなんじゃないかなと思いましたけどね。
ありがとうございます。その感覚がなかなか伝わりづらいのかなっていう印象を未だに持ちながら生きていて、なのでまずはちょっとあの配信聞いただけではどんな印象かわからないなと思ってそこをまずは確認したくなって聞いちゃったっていう感じだったんですけど、
さすがすごい洞察があって、すごい感覚的かもしれないけど、理解してくださっているような感じを勝手に受けてます。
そうですね。あと個人視点の原則も、あれは結構明確な意図があって、こういう人文地とか歴史とか思想の話をすると、結局社会がこうだよねとか世界がこうだよねみたいな話になっちゃうと、結局自分に引き戻さないとあんまり意味がないかなって思ってるんですよね。
だから脱成長って言っても、結局自分としてどうするかみたいなところにそこにグッと寄せないと、結局傍観者で終わってしまうというか、ダイヤで終わってしまう気がしていて、なので自分の視点に引き戻してそれがどんな意味を持つのかっていうところから見ようねっていうだけの話なので。
だから別に自分の行動によって社会はこうなっていくとか、社会はこうなっていくといいなと思っているから自分が行動するっていうのは別に全く原則と反するものではないんですよ。これは明確にそう。僕の場合はどっちも興味があるから、社会の方とかは結構個展でいろいろ仕事をしていく中で、ちょっとでもいい方向に進んでいったらいいなって思うし、個人の人生にも興味があるからああいう本も書いてるし。
そういう意味では、そっちはもう本当明確に別に社会のことを考えてるのは悪いですってことを言ってるわけじゃなくて、そこから個人に戻ってこないっていうのはすごいもったいないよねっていう感じなので。
しゅーたんの場合はそこから起点になってるから、そこは別に違うことを言ってるわけじゃないかなって。
うれしいです。そう映らない気がしちゃって。ついついそう映らないんじゃないかなっていう気がしちゃって。そこをまずはその3つの原則めちゃくちゃいいって感じると同時にビビっちゃったっていう感じだったんですよね。
だからそれをまずはめちゃくちゃ印象的に印象を受けたっていうところをまずはお伝えしたかったしお聞きしたかった。直接お聞きできるチャンスなんてなかなかないからお聞きしたかったっていうのがあったんですけど。
しゅーたん ありがとうございます。
そうですね。なんか自分から最初に一番お聞きしたかったのはそれなんですけど。うまく言えるかな。その3つの原則に絡んだ話になるかわからないんですけど。
この資本主義と生きていくっていう本がものすごく改造度高く今の社会の状態を気づかせてくれるめっちゃいい本だなって僕思ったんですけど。
これを読んで安心してまた元の生活に戻っていくみたいなのがちょっとビビリとして浮かんじゃうような気質があるもんで。
これを読んだ上で繰り返し読んで咀嚼していくっていうこれを意識し続けるっていう手段は一つあると思うんですけど。僕はここでこの本を読んでめちゃくちゃ大事だなって勝手に思ったのがですね。
しながらさんはご自身の生き方をずっと通じて得た知識も含めてこの本を書けるような改造度に至られたと思うんですけど、それに大事な意識の持ち方っていうのをそれぞれの人が自分の中に芽生えさせていくみたいなのがめっちゃ大事なんじゃないかなとか思っててですね。
その意味では僕は田野哲の方も聞かせていただいて、毎回聞いてるわけじゃなくてこの資本主義と生きていくが出る直前かな出た直後かなに5回ぐらい番外編っていうことで2回の予定が5回になったやつ聞かせていただいて。
今考えているのは東洋思想版を今度は本格化なんかしゃべるかしたいっていうふうにおっしゃってたと思うんですよね。僕はだからそういう意味で、日本人に会った形で今後みんながそれぞれ自分の中にじゃあどういう意識を持っていくかみたいなことがどっちかって言うと西洋思想よりは東洋思想っぽいのかなとか勝手に。
思っていて、そういう部分を今日また品川さんから、出せる部分出せない部分あると思うんですけど、どんなことを考えてらっしゃるかっていうのをめっちゃ聞きたいなって思ってたんですよね。
はい、ありがとうございます。そうですね。それはもうあって、今いろいろそこは考え始めていて、なのであそこの本で出せたのは、本っていう文字数も制約がありますし、いろんな情報がありすぎてもそれはそれでよくわかんなくなっちゃったりするので、一旦あれはあれでまとめて、あれは全く嘘じゃなくまとめて。
でも、ある意味ではその見方もできるし、そうじゃない見方もあって、それはちょっと今日チラッとさっき言ったような東洋的なものの見方っていうものもあると思っていて、僕の感覚だと、もしかしたらしゅうさんもそうかもしれないし他の方々も、今いろんな世の中でいろんなことが起きているときに、やっぱり仏教でもなんでもいいんですけど、
その東洋的な考え方とか感じ方って、なんか大事なんじゃないかなって思ってる方が、それなりに少なくとも3、40年前よりはいるんじゃないかなと思っている。でも、それはなんじゃないかなくらいで終わってる方も結構多い気がしている。
なんでかっていうと、すごく今ある情報って断片的な情報で、じゃあ、ブッダがこう言いましたとか、クートはこうですとか、ダルマ大使はこうですみたいな話とかだけだと、なんか良さそうだけどよくわかんないとか、
あと、今の僕の気持ちは、それを、だからそのためには、もうちょっとやっぱり東洋思想ってのはどんなものかっていうのを、まあ同じですね、資本主義がどんなものか解像度が荒くてわからないと単にビビっちゃうけど、それがどんなものかがわかれば付き合い方がわかるっていうのと同じようなロジックなんですけど、
東洋思想っていうものは実際にはこれこれこれこれこういうもので、学んでいくと、東洋思想の中でもそれこそいろいろあるわけですね。全然真逆のことを言っているのがたくさんあって、
だけどざっくり言うとこういう特徴があるよねとか、こういう共通点があるよねということがわかれば、なんかもっともっと活用度合いというかアクセスビリティというかその使えるようになると思うんですよね。
っていうのをやっていきたい。やっぱりあの本だけでおっしゃる通り限界があって、だからなんとなく東洋思想良さそうだなーっていうものを、でもじゃあざっくり言ったら、まあインドのそもそもの古代の思想があり、まあそこからこういろんな哲学が出ていく中で、
ブッダという人がゴーダマシッタラという人が出てきて、初期教団を作り、それがブハ仏教というものになって、そこが小城仏教と大城仏教っていうふうに、まあ一応大城仏教的にはそういうふうに分けられ、インドで起こった大城仏教、ナガルージュなどとかそういうものと、中国に渡ってきて翻訳されたクマラジュウとか、なんかね。
全然知らない単語になってきました。クマラジュウ。
クマラジュウ。
クマラジュウ、ごめんなさい。なんかポッドキャスト番組みたいなの出てきたなと思っちゃって。クマラジュウですね。
インドから中国の大城仏教で、中国にいろんな大城仏教が生まれ、朝鮮にも行き、朝鮮から日本に、飛鳥時代くらいに渡ってきて、飛鳥、そして奈良仏教、そして平安仏教、鎌倉仏教みたいな仏教の流れもありつつも、でもそれとはまた違う中国で、道教とか儒教とか、そこから朱子学とか陽明学とか、いろいろあるわけです。
うんうん。
というのがどんなものかっていうのをちゃんと解像度を高めると、なんか結構使えるんじゃないかなと思って、そうすると、もう少しあの本では資本主義の構造をなんとなく理解してもらった上で、実は僕たちがもともと持っているものに光を当てると、なんかそれを乗り越えるヒントになるんじゃないかなっていうふうには思っていて、なんかそれも、あの本ではそこまでは全然到達できなかったので、
はいはい。
提示したいなっていう感じですね。
うわ、めちゃくちゃ気になる。めちゃくちゃ提示していただきたい。
うーん。
まさにそうなんですよね。自分たちが持っているっていうところに今僕一番反応しちゃったんですけど。
そうなんですよ。そこが超大事です、そこが。
ですよね。僕の生き方は、自分自身もそこに帰っていっているつもりでいるし、これで途中で道半ばで、なんかこう資本主義の中で僕がうまく生きれませんでしたっていうオチになったとしても、ただ生きている間は本当に自分自身の根っこみたいなところに帰りながら生きた人がいたなっていう前例になれれば、もうそれだけで十分だなみたいな感覚があって。
ずっとそこの意識に訴えかけるような意味合いでポッドキャストを配信し続けている感覚なんですよ。
なるほど。
でもそこすごく大事で、さっき今それを持っているっていうのは二つ実は二重の意味がありまして、それはどういうことかっていうと、一つはわかりやすく、僕らね、僕もしゅうさんもとか聞いてくださっている多くの方、日本人の方が多いと思っていて、日本人じゃなくてもいいんですけど、日本で生まれてとか、なんとなく生まれた頃から日本の価値観を持っている人が多いと思うんですよね。
そういう人にとってもちろん、この資本主義社会で生き抜いていくための教育をたくさん受けてくるんだけど、幼少期の体験とか思い出とか、なんとなくみんなが言っていることから、少しずつ蓄積されてきた東洋的なとか日本的なものを、もともとあるから、別にものすごく新しいものを発明して、なんとかセオリーとかなんとか理論っていうものを発明して、それをみんな理解する必要はなくて、
そもそもそれ、ありますよね。なんとなく、演技っていう言葉も普段使うしとか、あるわけですよ、自分たちの日常生活の中で。っていう意味がまず一つあるのと、あともう一個面白いなと思うのは、実は東洋思想、もっと言うと仏教、仏教だけじゃないけど、でも仏教が多いかな、大乗仏教の中には、もともとありますよねっていう思想自体が仏教にもあるんですよね。
えーとつまり、たとえば仏陀とかのイメージだと、修行して悟りを開いて、よかったね、悟れたねってそういうイメージだと思うんですけど、それがどんどん時代を経ていって、さっき言った中国の大乗仏教とか日本の大乗仏教になっていくと、そうじゃなくて、もともと僕たちが悟りを開く、なんていうか、ポテンシャルとか可能性があるよね、とか、そもそもこの日常生活それ自体が悟りだよね、みたいな。
仏教の中それ自体にも、もともとあなた悟ってますよ、とか、持ってますよっていう教えがあるんですよね、その仏教の中にも。
うーん、そうなんだ。
そういう感覚とかっていうのはものすごく、これ如来像思想とか本格思想とかって言うんですけど、なんかそれもすごい、あ、そうなんだ、みたいな。難しいことをせんでも、もうあるからみたいな思想が仏教自体にもあるみたいなのもすごい興味深いなと思っていて。
うーん。
そんな感覚もあるし、もうちょっと具体で言うと、例えば、いろいろあるけど、なんとなくやっぱり自分と自然とっていうものは一体だよねって思ってる感覚とかが、なんとなく日本人にはあるよね、とか、なんか山に行ったら落ち着くしとか、なんか包まれてる感じとかってものすごく東洋的だなって思ったりもするし。
うーん。
なんかその感覚は感覚として正しいだけではなくて、そういう理論、理論というか思想の営意の営みの蓄積が僕たちにはあるっていうことを知るだけでも、まさに希望の原則じゃないですけど、可能性があるんじゃないかなって思ってるんですよね。
うーん。
それを出していきたいな。
実は僕その、今の生き方をもう少なくとも、いわゆる雇われを辞めてから、4年半以上一応続けてこられてるんですけど、去年の10月にですね、京都でビパッサナー瞑想合宿っていう、10日間ひたすら瞑想するっていうのがあって、それに初めて参加してですね、あまりにも自分の生き方と相性が良すぎると感じちゃって。
で、いまだに毎日ですね、午前午後1時間ずつ瞑想続けてたりするんですよね。
で、あれによって、本当のことは僕もわかんないけど、豪玉仏陀さんは、ビパッサナー瞑想っていう手法によって悟りに至ったっていう話で講和みたいなので聞いて、そうなんだと思って続けてるみたいなざっくりとそういう面があるんですけど、
でもそれってもうその時点で、自分の中に答えあるってことじゃんって思ってるところがあって、そうか今さっき仏教の中にもそういう思想がありますって言って、へーなんて僕反応してましたけど、よく考えたらそれはそうかって途中から思い始めて。
で、ないとなんか悟りに至るために知識が必要だとか、こういう体の動きが必要だとか、まあちょっと瞑想にもじっとしてない瞑想もあるみたいだからその辺ちょっとややこしくなっちゃうけど、少なくとも言われていることで言うと豪玉仏陀さんはただただ座ってるみたいなやり方で悟り開いたみたいなんで、
その意味でも自分の答えみたいなものは自分の中にあるんだっていうところに本当に体感レベルで確信できたら、もうなんか現れ出る行動みたいなのはそれをベースにしたものになるんじゃないかなって思って未だに続けてたもんで、それともすごい一致する話をさっき聞かせていただけたなみたいな印象がきました。
だからなんかそれをなんとなく思ってるとか、なんか僕が言うとかでもなく、なんかそれをちゃんと本当に真摯にそういうのに思想と人生に向き合ってきた過去の思想家たちがそういうことを言っていて、それを信じてる人が1000年2000年いたみたいな。
さっきの、もともと悟ってるよねとか、みんな仏性があるよねみたいな話は、特にやっぱこう中国から日本に渡ってくるときにものすごくそういうのが出てくるわけですよね。
だからもともと初期の仏教とかとはまた、もちろんなんていうのかな、彼の解釈はもともとブッダがそういうことで多分言ってたっていうふうに解釈するんですけど。
彼ら?中国?
彼らっていうのはつまり、中国とか日本において大乗仏教っていうのが花開いていったときに、そういうもともと僕たちには仏性があるよねみたいなものを強調していくっていうイメージですよね。
だから日本人としてはすごいそっちのほうがしっくりくるし、
僕が今彼らって言ったのは、例えば日本人的に言ったら、空海とか西朝とか有名ですけど、そういう人たちっていうふうに思ってもいいし、
もうちょっと遡ったらね、彼らが師匠にした中国の人たちがいるので、あるんですけど、人たちはやっぱ人間一人一人にそれが備ってるよねとか、
そもそももうこの時点で悟りだよね。促進成仏なんて言葉もね、もしかしたら聞いたことあるかもしれませんが、この子供そのままが成仏であるみたいな。
だから思想の変遷とか強調ポイントは、仏教の歴史の中でもどんどん変わっていっているんだけれども、
それはもう少なくとも、今の2026年に生きている日本人として、これは僕たちにエネルギーを与えてくれるっていうものを、人それぞれ違ってもいいので、ピックアップしていけばいいと思うんですけれども。
だから僕は、東洋の思想を単なる教養とか、単なるオリエンタルな感じで終わらせたくないっていうか、そういうのもあるんだ。
仏陀はいいことを言っているんじゃなくて、もっと人間の実存というか、自分がいかに生きるかとか、社会をどうしていくかっていうところにつなげていくみたいなことが少しでもできたらいいな。
単に仏陀こうしてたんだ、面白い変なこと言ってんなじゃなくて、もっともっと自分たちに喫緊の課題として、トイヨを与えてくれるし、エネルギーも与えてくれるものなんだよっていうことを証明していけるといいのかな、みたいなことはすごく最近思っていて。
めっちゃいいですね。僕は今の生き方みたいなのって、勉強したわけではなく直感でずっと動いてきちゃってるから、それをしながらさんの話とか聞くと、すごい勉強学習されてきた知識に裏打ちされたものなんだなって、
僕みたいな勉強してない人間でも感じるぐらいなものを感じちゃうから、めちゃくちゃありがたいなって思ってるんですけど。だから僕もこれから勉強しますっていうわけではないんですけど、そっちでもやっぱりそこにたどり着くし、感覚の方でも似たようなところにたどり着くみたいなところが勝手に嬉しかったんですけど。
ちょっと時間的にあと10分ぐらいしかないなっていうところにビビリが今発動し始めたんですけど、今の話で大体僕としては、大体というか、僕としてはすごく共通した認識みたいなところを勝手に得たつもりになって嬉しいし、聞く人にもそれが答えみたいなところで全然いけるとは思ってるんですけど、
とはいえ僕この資本主義と生きていくもそうだし、僕が一見資本主義から外れて生きていくみたいに見えることもそうなんですけど、資本主義っていうものに割と大きな問題があることも確かだよねみたいなことはどうしてもこのビビリである以上日々感じながら、
特にこの2、3年の温暖化というか夏の暑さにめちゃくちゃやばいなって思えば思うほど、そこに押しながら生きているもんで、僕の視点から言うとそれを100%か分からないけど、この温暖化の原因みたいなものを自分たち自身が作っちゃってるんじゃないかっていう発想で生きちゃってるんですよね、僕。
だとしたらそこに、社会課題というとめちゃくちゃ大きなことで一人の力では変えれないとか、それこそ僕も言ってるんですけど、無理やり外部から制度とかで力で抑え込もうとしても意味がないんじゃないかっていう風に僕自身も思うし、実際それと矛盾することではないんですけど、
ただその課題自体を僕らが作り出してるなっていう風に意識できたら、それを要はちょうどいいバランスの原則で言う中庸的なちょうどいい位置にある程度戻ってきさえすればそれは消えていくような気がするみたいなことを僕は思ってまして、
なんかそんな意識をずっと、なんていうか、一回本を読んで終わりとかじゃなく、一回ポッドキャストを聞いて終わりとかじゃなくて、それぞれの人たちが日々意識し続けるみたいな状況がいいんじゃないかなって勝手に思ってたりしまして、
だからこの僕毎日瞑想してるのはそこにも通じてたりして、瞑想って自分の体の感覚にもうどの瞬間も気づき続けるみたいなことをひたすらやる訓練みたいなものだと思ってるんで、そういう風に生きてまして、その辺の感覚もなんとなく僕は勝手に品川さんも一致してるような気がしてるんですけど、
だいぶ勝手に突破してるかもしれないなと思うんで、今のちょっとまとまりない話を聞いて品川さんに最後まとめていただこうかみたいなことを思ってるんですけど、どうでしょうか。無茶ぶりすぎてすいません。
いえいえ、ありがとうございます。そうですね、今日いろいろお話しさせていただいて、地球の環境、それが資本主義と関係しているんじゃないか、そういう部分も多分あると思うし、AIみたいな話でもっともっと電力使うみたいな話なのに、どうなってくんじゃいみたいなのとか、
国際情勢もいろいろあってどうするんだみたいな、いろいろ問題はありますよねっていうのはもうそうだと思っていて、ただ本を書いて今思うのは、もちろん僕たちのしんどさは資本主義というものと関係しているっていうのもそうだし、
それは一部あると思うし、地球環境の話も全部そうだと思うんですけど、何でもですね、やっぱり僕が一番良くないなと思っていることは何かを最後ちょっとお伝えをすると、一番良くないなって思っていることは、何かにとらわれてしまったりだとか、
ものすごくそれに執着してしまうとか、頭にそれがべったりとくっついてしまうことが、僕は一番良くないなって思っている。つまり、あまり健康的じゃないことに、自分の頭と心がくっついてしまうっていうのが、僕は良くないと思っている。
だから、それをそこから、それは認識しつつも、仏教的に言ったら仏像って半眼って言って目を半分開いてる。明日の時とかも半眼みたいな話も、もしかしたら座禅とかだとありますけど、そんなイメージで、ちゃんとそれは捉えつつ、別に無視しないんだけど、資本主義の悪いところも無視しないんだけど、半目で見つつ、自分は自分でいるみたいな感覚は僕はすごい大事だと思っていて。
なので、そういう社会的な問題に対してもちろんアクションしていくことは大事だし、それは自分もやりたいと思っているから、ポスト資本主義は何かとかって論じたりもする。けれども、それに捉われちゃうと良くないのかなって思うし、
自分が資本主義に対して疑問も思うけど、自分のちゃんとした生き方、自分が心地よい生き方っていうのは、お金を稼ぐところも含めてっていうのは、自分的にはそれによって、お金のことに捉われないために行って、安心感を得るためのお金を持っていく。
そこに脳のキャパシティーを使わないようにする。それは別にお金だけじゃなくて、社会の環境も見とくんだけど半目で見とく。自分のキャリアとか、YouTubeの再生回数も、もちろんチェックはするし、見るんだけど半目で見とくみたいな。
半目感大事だと半顔感大事だと思う。本当の意味で、自在に生きるというか、捉われないっていうこと。だから子供にも良い人生生きてほしいなと思うけど、それに捉われない。半目で子供見とくみたいな。
せっかくだったら勉強好きになってほしいなとか、自分が好きだったから思うけど、別にそれも半目でそう思っとくみたいなとか。逆にそっちの方が半目で生きてた方が、逆にそれによって自分が良い環境にいたら、それは多分子供とか家族にも良い影響を与えるし、
子供とか家族に良い影響を与えてた方が、結果的にそうやって社会に対しても良い影響を与えるだろうし、みたいなのを思ったりしたから、なんかその半顔でめっちゃエネルギッシュに頑張ってるみたいな感じなんですよ、自分的には。
ていうのかなーっていう気が、今しゅうさんの最後のいろいろ揺れながらだとは思うんですけど、思っていましたかね。それは結果的に極端に見えようが、違うこと言ってるように見えようが、それはあんま関係ない。またそれも半顔で捉えて、そういうことを思っている人もいるんだな、みたいな感覚。
ていうのが僕はいいんじゃないかなーって思ってますね。