東京にいるときに、7年間プログラマーとして過ごしたっていう、
その31歳で初めて正社員になったのが、そのプログラマーの仕事だったわけですけど、
そこに入ってすぐぐらいにも結婚もしていたし、
その1年後には子供も生まれてっていうところで、
状況的に逃げることが許されないような状態になっていて、
っていうのもあって、何とかかんとか踏ん張って、頑張ってやってきていたけど、
そこは結果的にね、会社がつぶれるっていう方向になってっていうところで抜けた感じはあるんですけど、
でもまあ僕の中では、いろんな人の動きを見ている中では、
その僕の心が持たなくなる、自分の意見を通すことができないっていう、
そういう要因で一箇所の職場に長いこといることができないみたいな、
そんな図式もタブにあるなっていうふうに感じてるんですよね。
で、その後も結果的に宮崎に帰ってきて、
実家の医療品店、洋服屋に役員兼従業員として勤めつつ、
半分はウェブアプリを作成したりっていうところをやるみたいなところを、
父親と約束してやっていたりはしたんですけど、
これがまた僕の父親が、結果的にそこにも折れるしかないみたいなところになるわけですよね。
だから基本的に僕の気質では、
折れて折れてみたいなところで、居場所がなくなったら次の居場所に移って、
っていうところで繰り返してきてるっていう感じなんですけど、
だからなるべくお金を使わない生活みたいなところで、
ざっくりで言うと、
世間一般の人からしたら割とすごく手放した生活をしてるっていうところが、
すごいですね、みたいに言ってもらえることも多いんですけど、
僕の中ではもう本当に居場所がなくなって、ここに追い込まれたみたいなところもあるんですよね。
それも結構でかいなと本当に思っていて、
そういう風になってしまう世の中の図式みたいなところを、
今度は僕考えるんですね。
自分自身については、ビビリっていうところで自分の気質、
こればっかりは本当に先天的でどうしようもないんで、
そことは向き合ってというか、
ちゃんと認識して向き合うところは向き合って、
体力があるときにはそれをうまくコントロールして、
そういう元気もないときにはもう素直に逃げて、
みたいにしてなんとかかんとかやってる感じなんですけど、
それでも一箇所にとどまっているとですね、
何かしらの圧力がやっぱりかかってくるっていうところがすごくあるんですよ。
これはね、だから本当にね、具体例をなかなか出しづらいから伝わりづらいとは思うんですけど、
社会の中で、僕が今言ってるみたいな先天的にHSPでビビリだから、
それはもう自分ではいかんともしがたくて、
逃げるときには逃げるしかない、みたいなことを、
全然織り込み済みではない社会なんですよね、今の社会の形全体が。
ただ、仕事にしても何にしても、仕事じゃなくてもね、
いろいろ人間関係の中で、そういう、なんていうかな、今までの流れに沿わないといけない的な圧力、
本当に、これ具体例が出せないことでイメージしづらくって本当に申し訳ないですね。
なんていうのかな、これもまたいい例えじゃないかもしれないですけど、
僕すごい自己紹介が苦手なんですよね。
自己紹介って、やっぱ基本的にこの触手だったり、
そういう分かりやすい何か、誰が聞いても一発でイメージできる何かがポンと提示できるっていう前提で
自己紹介してくださいっていう、そういう流れがあると思ってるんですね。
なんですけど、自分の特徴とか今やってることって本当に上っ面のことでしかなくて、
それすら時間とともに本当は移り変わっていくもんだと思うんですよね。
で、なんで今自己紹介の例を出してるかっていうと、
そういうあなたは自分はこういう人間だっていうふうに表明したよねとか、
それはちょっと言い過ぎかもしれないんですけど、イメージの中で、
人間関係の中であなたはこういう役割でっていうふうなところのレッテルバリがされていくと、
それをやらないみたいなところが許されないみたいな動きが作られがちだなと思ってるんですよね。
で、それにそのイメージに沿った動きが得られないときに、
怒りを向けられるっていうことを僕は結構経験しているんですよ。
で、そう、なんかね、すごく分かりやすいことで言うと、
それが常識でしょうとか、さっき言った自己紹介の話とはずれてると思うんですけど、
普通こうでしょうとか、あなた前にこういうふうに言いましたよねとか、
それは具体的な約束をしてそれを破るとか、
そういう本当に最低限のこととはまた別の空気的な、今僕話をしてまして、
そういう本当にね、ちゃんとお互いの間で約束をして、
でもそれを無断で破って、しかもそのことに全然触れないとか、
そういう話じゃ全然ない話。
もうなんか、当たり前の空気感として受け取る側が、
まあ僕からしたら勝手に想像して、こういうふうに動くはずだよね、
っていう動きを勝手に作られるみたいなところが結構あるなと思ってるんですよね。
これは今、なんていうか、オンライン上で僕が今仲良くさせていただいている
古典ラジオとか樋口塾界隈の中では、そういうのがあんまないんですよ。
なんか相手を決めつけないっていうか、今までの世間の常識だったりとか、
そういうもので相手を縛るみたいなところがすごく少ないなって感じているんですけど、
リアルに会って接する人の流れの中では、
そういうのが毎回というわけではないですけど、
そういうことが往々にして起こって、
それが積み重なっていくと僕が切れられてしまうみたいな、
そういう図式が結構あって、
そういう中でバランス取るのがすごい難しいなーって思っているところなんですけど、
これもすごくいろんなことにつなげて考えられるなと思って、
客観的に本当にメタ認知というか、そういうふうに自分自身を含めた、
そういう全体の流れを冷静に判断したいなというふうにも思ってて、
そういう僕に怒りを向けてくる相手っていうのは、
でもそれも今までの世の中のパターンにただ沿ってるだけなんですよね、多分ね。
だから僕個人に何か恨みがあるとかそういう話じゃなくて、
少なくとも今のその人の生きてきた世界観の中で、
常識的にというか、そういう動きが普通だよねみたいな流れがあって、
それに沿わない動き、そういうのに僕が多分当てはまりがちなんだと思うんですよね。
でも本当は世の中のほとんど全てのことは僕は程度問題だと思ってて、
何か本当に明確にガチガチに決められたルールとかがあるわけじゃないと思ってるんですよね。
そのルールは人間が勝手に作ったものはもちろんあるんですけど、
そういうルールですら本当は何ていうか明確に言語化できるもんではない。
何かの定義みたいなものも本当に突き詰めて考えていくと、
どこが境目なのかよくわかんないっていうふうに僕思ってるんですよ。
で、そうなった時に本当はその人が何に対して怒ってるかっていうと、
何か空気みたいなものというか、空気を読んでみたいに言う時の空気。
その人にとってのここではこうするのが空気を読めるんだったらこうするよねみたいな、
本当にふわーっとしたルール的なものをその人の中で作られていて、
でもそれが一致する人が多いと、何ていうか多税に不税というか、
多いからそれがもう絶対的な正義みたいに感じられる。
で、それを疑いもしないみたいなところになっていってる感じがするんですね。
でもよく考えたら本当はその程度のものでしかない、
絶対的なものがもともとあるわけじゃなくて、
人の意識の中で偶然そういうふうに偏りが生まれただけっていうか、
全てのものが程度問題っていうのは僕はそういう意味で言ってるんですけど、
で、そんなふうに何かが偏ったっていうことはそういう流れがあるんだから、
それでいいじゃん、それが自然っていうことじゃんっていうふうに感じられるかもしれないんですけど、
もし今の世の中、もう全体を見たときに、僕が不安を感じられないような世の中であれば、
僕も今考えているようなことはそんなにこういう深掘り方はしなかったかもしれないんですね。
っていう、その空気になるべく合わせるにはどうしたらいいのかなっていう、
そういう方向に発想が行ったかもしれないんですけど、
実はそういうただの空気みたいなもの、全部本当は程度問題でしかないのに、
そういう空気みたいに合わせるのが一番いいよねっていうときに、
それを上空から客観的に見るメタ認知的な視点がないと、
世の中全体が滝相に向かう船みたいになっているところも、
やっぱりメタ認知的に考えられないっていうことになってると思うんですね。
なので僕の感覚としては、そういうやっぱりまだまだメタ認知的な感覚を持てない人が多い、
で、その場の空気に合わせて動いているっていうところが、
結果的にそれぞれの人が自分自身の欲望みたいなものを持っているわけで、
それを相対的にバランスを取るってことがメタ認知をしないとしづらいので、
全体が滝相に向かう船みたいになっていることを、
普段はあんまり意識する余裕がなく動いていってしまうっていうふうに僕は考えてるんですね。
そんなふうに考えると、そういう今までの流れっていう空気みたいなもの、
それがメタ認知の視点が含まれたものなのかどうかっていうのが一つ重要だと思うし、
そういうふうな視点で見ようとしたときに、その空気から外れた人がいたときに、
じゃあその人は何でそこから外れないといけないのかなっていう想像もしやすくなるんじゃないかなって思うんですよ。
僕なんかは毎回毎回これ、ポッドキャストでは言ってますけど、
実世界の中で毎回毎回僕はビビリだからこういうふうなっていう説明をね、
全部に対してやっていくわけにもいかないんですよ。
で実際それを話したとこでその場でわかるかどうかちょっとなかなか難しいなと思っていて、
もうそうなってくると相手のメタ認知力というか想像力、
それなしにはもうどうにもこうにも成り立たないなっていうふうに思ってるところなんですね。
なんで、まあ今そういう意識を普段持ってない人に対して僕が訴えかける方法っていうのはもう全然ないなっていうふうに思ってるんで、
唯一話せる場所としてこのポッドキャストとして今一人喋りで喋ってるっていうところに行き着いてくるっていうことになるんですね。
だからもうなんていうか、ただのHSPっていうビビリで生まれてしまった僕の言い訳的なというか、
僕は僕の視点でしか物事を語れないんで、ただの僕視点での一人よがりな話ではあるとは思うんですけど、
まあ実際にそうだからそういうふうな話し方しかできないっていうところもそうだし、
普段から僕がその人がその人らしくっていう意味で言っても、僕にとってはこのビビリと向き合うことがそれに当たるわけですよね。
そんなみんなそれぞれもうどうにもこうにもこういうふうにしかできないっていうようなところが絶対あると思ってるんですよ。
それがまあすごく幅が広くていろんなことができるっていう人もいるかもしれないし、
人によっては僕以上にめちゃくちゃ生きづらいっていう人もいるかもしれなくて、
それが本当に鍛えさえすれば誰でもできるみたいなそんな乱暴なことはなかなか難しいんじゃないかなって僕は今まで生きてきた中では感じていて、
でもそんな中で人と人との間に本当は差なんてないんだっていうか、
これはね差なんてない、差がないわけじゃないんですよ、差はあるんですけど、
その差によって優劣をつけるみたいな見方はものすごく一面的だし、
社会課題とかいろんな問題を解決するもんではないっていうか、むしろ問題の原因になる考え方っていう感じもするし、
リベラルアーツ的な観点、相手の立場に立ってものを考えるっていう観点を持ったらその差はあるんだけど、
それによって優劣をつける感覚にはまずならないと思っていて、
僕の中では滝坪に向かう船みたいな状況を改善するためには、
そのリベラルアーツ的な考えを持つ人が多くなっていくのがいいような気がしてるんですよね。
だからそういう意味で、僕自身も長年生きてきてやっと最近こんな自分がHSPっていうそこまでビビりだったんだっていうことにもようやく気づけたぐらいのレベルの中で、
相手がなんかその普通こうでしょみたいな空気に沿わないみたいな状態になった時に、
絶対その人なりの理由があるんだなっていうふうに今は僕は考えるようになっていて、
なんとなくそういうふうな考え方を持つ人が増えたら、それぞれにとって生きやすいというか、
そんな状態になっていったらいいなぁみたいな感じがあって、
だからやっぱり僕は自分の観点ではこの週のHana Studioでアウトプットが先に全振りするみたいな話になっていくし、
本当にその人がその人らしく自分のアウトプットが先みたいなことをするそういう人の方が多いぐらいな状態になったら、
それである程度回るというか、今よりも傷つく人が少ない世の中になっていくんじゃないかなっていうふうな、
今のところやっぱり僕はそういう感覚に行き着くので、やっぱりこういうふうに毎日配信し続けていく、
ビビリの僕に唯一残された道がやっぱりこれなんだなーっていうふうに思ってます。
はい、今回は本当はね具体的にある出来事があってっていうことだったんですけど、
それをちょっと話せないもんで、ちょっとね具体的な事例がない中でイメージしづらい話だったとは思うんですけども、
まあでも根っこにある思いとしては話せたような気がしてるんで、今回はこんなところで終わっていこうかなと思います。
僕が話していることはあくまで感覚的なもんだし、社会的な活動を僕がしているわけではないですけど、
僕としてはこんな意識、僕の意識みたいなのを発信することしかそれこそ僕はできないので、
それによっていろんな人の意識に届いていって、アウトプットが先的な動きが集まって、
ちょっとでも世の中が良い方向に向かっていく、焚き壺に向かう船のスピードが緩まっていく方向にちょっとでもなっていったらいいなというふうに思っております。
ということで、シューの話すラジオ、略してシュー法は、
HSPっていう先天的なビビリとして生まれた僕、シューがビビリだからこそ問題の根本原因に意識が向いて、
最終的には個人単位じゃなく世の中全体の問題点にビビリが反応しちゃうこと、それを発信することに僕の生きる役割があるんじゃないかと思って、
そんな僕の意識を日々発信する番組です。
僕からは今の世の中が焚き壺に向かう船みたいな環境問題をはじめとした社会課題が加速度的に大きくなっているっていうふうに感じられてるんですね。
だから、僕がビビリすぎるせいでできたメタ認知というか、そこから来る意識と問いを投げるみたいな感じがこのポッドキャストの一致だと思ってます。
僕はそんな焚き壺に向かう船みたいな状況は間違いなく人間が作り出していることだと思ってて、
人口自体加速度的に増えていることもあるし、人間の欲望も大きくなりすぎてるっていうふうに感じてます。
で、その原因として人間の欲望を増幅させてしまうような特徴をだんだん強めてきてしまっているお金っていうものが一つあると思っていて、
そんなお金みたいな何かが入ってこないと、インプットされないと、自分からもアウトプットを出さないよーみたいな交換条件的なインプットが先な構図も感じてます。
だとしたら、アウトプットが先な構図に逆転させることで、焚き壺に向かうスピードが緩和されるんじゃないかなーって思ってます。
で、そんなアウトプットが先っていうイメージなんですけど、生きていくために最低限のことで満足するみたいなのも大事だと思っていて、
だから僕はこの手放すをテーマにしてるんですけど、僕は幸せっていうものは相対的なものでしかないっていうふうにも考えてて、
人との比較って意味じゃなくて、自分個人の単位で見たときに沈んだ状態からちょっとマシになって浮かび上がってくる、
そんなふうに幸せってのは心の状態が相対的に変わったときに感じられるって意味なんですね。
それだったら、どこのどの位置にいても変わらないんじゃないかなーって僕は思ってるんですけど、
だから原始人であっても、超貧困国の人であっても全く変わらなくて、お金がないと幸せにならないとかそんなことは全くないし、
最低限生き延びられるっていうところで満足する人が増えれば、余剰も出やすい。
で、その余剰分はお裾分けみたいな形で回していける、みたいなのが僕のアウトプットが先のイメージです。
そのために自分自身の才能みたいなものを無条件にアウトプットとして先に出す、みたいな動きが大事だと僕は思ってるので、
こんなビビリの僕に一番向いたこととして、この意識をポッドキャストで発信してるんですね。
だから、いわゆる雇われをやめて、現金収入がないっていうような状況で、勝手に一人で空気椅子的にアウトプットが先な動きを始めてるつもりなんですけど、
まあ世の中っていうのはそんな簡単に変わるもんじゃないので、僕の貯蓄が尽きるのが早いか、そんなアウトプットが先な循環の社会が来るのが早いか、みたいな状況になってますけど、
そんな僕が最低限の支出で暮らしながら、アウトプットが先なこの動きを続けるために、
週報インプッターっていう名前で、スポンサーの権利の販売を始めました。
1ヶ月に100円以上の定期購入の形式ですけど、週報インプッターになってくれた方は、初回は週報内で僕が宣伝させていただいた上で、公式サイト内に掲載します。
加えて1ヶ月に数回程度ですが、番組の最後にラジオネームの読み上げをさせていただきます。
僕は数年前から、なるべくお金を使わない生活を徐々に徐々に進めてきたんですけど、今の僕の1ヶ月の支出額は約5万円です。