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久しぶりの収録(人生のレールを外れる衝動の見つけ方 - を起点に)
2026-04-03 35:15

久しぶりの収録(人生のレールを外れる衝動の見つけ方 - を起点に)

さまざまなトピックを取り上げながら健康について考え直す番組

感想

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サマリー

今回の「Rethink Health」では、哲学者・谷川嘉浩氏の著書「人生のレールを外れる衝動の見つけ方」を起点に、人生における「衝動」や「レールを外れる」ことについて深く掘り下げています。パーソナリティの二人は、自身の経験を交えながら、大企業への就職という一般的なレールから外れたエピソードや、やりたいことを見つけるための衝動の源泉について語り合いました。特に、森野氏は自身の「天の邪鬼」な気質や、興味を持ったトピックにミーハーに飛びつく性格が、新しいアイデアを生み出す衝動に繋がっていると分析。一方、田代氏はボート競技に没頭した経験から、一度レールを外れる経験をすると恐れがなくなること、そして独立して働くことにも繋がっていると語りました。 さらに議論は、情報過多な現代社会における「渇望感」と「好奇心」の区別、そして「アブダクション」のような思考様式が衝動を生みやすいことへと展開しました。また、身体感覚の重要性についても触れられ、特に嗅覚や触覚といった、AIやデジタル化が進む現代において人間ならではの領域として、その価値が見直されるべきだと主張。身体からのアプローチがメンタルヘルスや教育、さらには社会全体のあり方にも繋がる可能性について、熱く語り合いました。最終的には、予測可能な成長のための情報収集と、純粋な好奇心から生まれる「面白い」という感覚の両方を大切にしながら、今後の探求を進めていく意欲を示しました。

「人生のレールを外れる衝動の見つけ方」を起点とした対談
久しぶりの収録ですが、Rethink Healthの収録ということで、森野君とお話ししていこうと思います。
近況を話しながら、いろいろテーマについて喋っていけたらなと思うのですが、
一つ今回、谷川よしひろさんの衝動に関するような話の本は、振り上げようかなという感じなので、
森野君、最近どんな感じで本を読んでいるとか考えているとか、見てみようかなと思います。
この本が谷川よしひろさんという哲学者の方ですかね。
そんなにまだ若い方で、多分30代ぐらいの方だと思うんですけど、
人生のレールを外れる衝動の見つけ方。
なんとなく気になってて、帯に漫画の一コマが書いてるんですけど、
それが、読んだことあります?
読んだことあるし、アニメも見た。
僕もちょうど、あの漫画すごい好きな友達に勧められて、読み始めてたところだったので、
気になってたのが繋がったので、読んでみようと思ったのがきっかけでしたね。
自分が何者なのかとか、やりたいことっていうのをそんなに迷っている現状ではないんですけど、
今年僕が30になるので、なんかちょっと考えてもいいかなっていうところで、そういうのもあって読み始めました。
うーん、なるほどね。
橋本さんももう読まれたんですよね。
ちょっと前だから、もうあんまり記憶ちょっと浅くなってきてるけど、
2年前ですね、ちょうど。
それこそ、自分はなんか結構衝動的に生きてきた感じもあるから、
そうだなっていう風な思い方をした気がする。
はい、確かに。
この谷川さんの本を初めて読んだんですけど、
結構この物語、特に漫画とかアニメとかからの引用が結構多い印象で、
この地位も最初から出てきますし、
あとは別の本だとエヴァの話とか出てきたりする、
その引用と一方で哲学者の理論を引用したりするところのバランスがすごい、
なんか小難しすぎず、でもなんかカジュアルすぎずで、
これがすごい読みやすい塩梅だなと思いましたね。
めちゃくちゃ漫画読まれるらしいよね、谷川さん。
なんか明らかに、そうですね、好きなんだろうなって感じですね。
なんか去年、理学療法哲学倫理研究会みたいなとこで、
ちょっとお話しさせてもらったときに、
ちょうどなんか谷川さんの学生時代の先輩っていう人が来てた。
哲学研究の人で。
すごい。
なんか微妙に距離感、京都関係で繋がってたっていうので、
なんか直接お会いしたことはないけど、
なんかどっかでいつか繋がるがあるのかなって思って。
そうですよね。
田代さんとも年、僕と田代さんの間ぐらいの年齢の方なんですかね。
なのかな。ちょっと年齢を立ち上げてないけれども。
総合人間かなんかですよね、確か。
90年生まれ。田代さんと近いぐらい。
ほぼほぼ同じぐらいかもしれないですね。
89年だから。
ほんとですよね。
90年の、だから1月から3月生まれだったら本当に同級生って感じだし、
4月以降だったら一個したって感じ。
はいはい。すごい。
人生のレールから外れた経験と衝動の源泉
どっかで繋がってそうですね。
森野君ってなんかこう、なんか人生のレール外れたなっていうタイミングってあんまりないのかな。
いや、僕自分の中で外れに行ったぞっていうの一個だけありましたね。
大学行って大学院行って就職っていうこの流れの時に、
やっぱ就活ってこう、大体みんななんかどうしようかの分岐点で一番大きなうちの一つだと思うんですけど、
なんか僕の大学とかラグビー部の周りがこう、こぞって大企業に行くっていうところから、
なんか自分はそこに変な反骨心で、いや俺は大企業にはいかないみたいな、
そういうのはちょっとなんか外れに行くぞっていう感じで動いた記憶はありますね。
そうかもね、確かになんかそういうふうな動いてるのがなんか自分としても面白く感じて、
就職した後もなんかちょこちょこ話して、
まあそこから一緒に今活動にも繋がってるって感じだし、
なんかね、こうやっぱレール外れる人は面白いなっていうのがあるね。
いやそうですね、なんかすごいこう順当に、
なんかまあ、こう聞いたことあるキャリアの積み方というよりは、
なんでこの人こんな多いを曲折してるんだろうっていう人の方が、
僕も惹かれることが多い気がしますね。
そうね、まさにこの本だとなんかその幽霊のように取り付くっていうか、
自分が思ってるからっていう、
なんか取り付かれてるように無意識的になんかそっちに行っちゃうみたいな、
こう衝動みたいな話があるけど、
森戸くんの中だとどういう衝動って感じなのかな、
その他の人とちょっと違うことをやったろうかみたいな。
そうですね、気質としての天の弱さっていうのは、
衝動と全く同じかどうかわかんないんですけど、
なんか自分がやりたい、
例えばヘルスケアっていうテーマがあったときに、
人が右なら私は左みたいな、
アプローチを自分なりに見つけていこうっていうのは、
ちょっと衝動に近いものだったのかなとは思いますね。
うん、なるほどね。
まあでも研究者っていうのは多分そういう気質も必要だろうし、
授業としても固いところっていうよりは、
新規事業を作っていったりとかする人は多分そういうのは必要かなと思うね。
そうですね。
近畿性がないと、なかなか4人でいづらいとかもやっぱりあるでしょうし、
あとはそうですね、
なんかこう、衝動っていう大きな流れというよりは、
日々のなんか自分が興味関心を持つところで言うと、
なんだろうこれっていう、
1個のNHKのニュースで朝見るようなトピックだったりとか、
そういうのはなんかミーハーに飛びつく自分の性格があるので、
それをこういろいろ収集しているうちに、
これとこれが繋がったらこんな面白いことができるんじゃないかっていう、
なんかビビビっていうひらめきが起こった時とかにすごい興奮を感じるので、
それをしかも自分の今流れに、中にあるものとして進めていけたりすると、
すごくこう面白みを感じるのは、
なんかこう衝動っていうものとして言語化していけそうな気がしますね。
そうね、自分もその感覚はあって、
なんか言われたことをきちっとやった時に面白いっていうよりは、
これ誰も思いついてないんじゃないとか、
なんか難しい課題があった時に、
これいけるかもみたいな時がやっぱり面白さを感じるタイプ。
そっちの方が強いタイプだから、
多分なんかそういう、なんだろうな、
だから思考様式、なんかアブダクションとかって聞いたことある?
水論?
水論の、まあ機能法、演劇法というような、
なんかこう事例を積み上げて考えていくような形とか、
目的に合わせて既存の理論を当てはめてやるみたいな、
演劇的とか機能的とかっていうのと、
ちょっと一歩飛び越えたのがアブダクションみたいな形だけど、
まあそういう思考が個人的にも結構好きな感じだから、
多分こういう衝動を持ちやすい人は、
そういうアブダクション的な考え方が、
好きとか面白みを感じるみたいなのはなんかつながってきそうな気がしてるけど。
確かに確かに。
ボート競技への没頭と衝動の変遷
今のその田代さんを作るまでのレールはどんな感じでしたか?
外れてましたか?
まあ自分の中で言えば多分その、
部活やりすぎて1年留年したところから、
全てのレールは外れ始めてる感じで。
大学の中ではちょくちょくあるリレーではありましたけどね。
まあ本当にその自分の中ではボート競技っていうのが、
もう本当に衝動で取り憑かれてた感じがあって、
脳みそ筋肉って言われながら、
周りの目も気にせずにこうやってた感じがあるから、
まあ一旦その経験があるともうレール外れるっていうのは恐れなくなるし、
まあ今独立して働いてるっていうのも、
まあ多分そういう機質があるからっていうのもあると思うし。
そうですね。
ボートの時の衝動ってまだこうなんか鮮やかに覚えてますか?
やっぱりなんだろう、
大学入って学部生の時とか大学院とかっていうともう、
記憶のほとんどはボート競技の記憶でした。
学校の授業とかっていうのも、
まあなんだろう、それなりにこう授業は受けてたけど、
後ろの方でまあ必要なことをやるだけって感じで。
まあ今でこそ結構理学療法について勉強するとか考えるのは、
また面白みを感じ始めてきてるけど、
大学時代は本当にスポーツっていう感じでしたね。
どうやってこの大学の部活やってる時でも波あったんですか?
最初からもうこれだっていう。
でもやっぱりまあ1年目はまだそこまでだけど、
やっぱり2年目、3年目、4年目あたりが一番熱中してたかなっていう感じで。
大学院時代も続けていたけど、
それはちょっとまた次の展開への意向期みたいな感じだったと思うし、
まあ学部生の時が一番って感じかな。
ラグビーで結構それこそ本当に記憶の9割ぐらいラグビーだなっていう感じですけど、
なんですかね、
それしかやってなかったなっていう時の記憶って、
国名に全部は覚えてないんですけど、
なんかすごい自分の中には残ってるものあるんだろうなって気はしますね。
でもなんかこの衝動の中でも、
スポーツはやっぱりもうすでに世の中でルールがあって、
そこにのめり込むっていう感じの衝動だけど、
最近で言うとアート関係とか研究とかでいくと、
ルールがスポーツのように明確すぎないとかっていうのもあるし、
ビジネスのルールとか、
そういう芸術系のルールとかあると思うんだけど、
むしろそのルールを作る方の面白さとかっていうのもあると思うし、
ちょっとなんか時期によって衝動を向ける方向性っていうのは違ってきてるような気がするけど。
確かに確かに。
本屋での衝動と情報収集の動機
森野くん、なんか最近で言うとなんかこれ余ってるとか、
なんかもう取り憑かれるように考えちゃうみたいなってなんかあったりするの?
そうですね。
もう本当に趣味のレベルとしては、
取り憑かれるように本を買っちゃうのはありますね。
もう本当週に3回は仕事終わりとか土日とかに本屋さんに行くんですけど、
なんか本屋さんで本を浴びるっていうのがすごい快感なんですよね。
本って一回調べたことあるんですけど、
1日にももう何か数十冊どころじゃなく数百冊日本で出版されて、
発売して棚に並んでるって中で、
同じ本屋さんに週3回行ったとしても、
もう全然違う本がどんどん目に入ってきて、
まずは世界にこんななんかまだ面白いものがたくさんあるんだっていう、
かっこよく言えば知的な興奮っていうのと、
なんか自分の全然知らない世界に出会って、
それを読んだ時に、
それこそ自分の興味と何か重なるところがあったりした時にも興奮しますし、
なんかこう新しい世界と出会うっていうのは何ですかね、
すごいこう浴びに行く、
なんかつい本当に帰り道、お腹空いてるのに本屋さん行っちゃうっていう小さい衝動はある気がしますね。
それは何なんだろうね、
本当に好奇心的な興味なのか、
なんかこう渇望感っていうか、
満たされてないからって感じなのか、
どんな印象があるのかな。
僕もあの本読んで考えたところがあって、
なんかその渇望感と好奇心と両方あると思うんですよね。
例えば、SNSでフィードをずっとスクロールし続けると、
いろんな同じように情報が入ってくるのと同じなのか、
なんかこう情報ジャンキーに追い続けたくなるっていうのが、
なんか違ってて欲しいなってなんとなく思ったりするんですけど、
なんか根っこではなんか常に新しい刺激を、
ドーパミン出したくなっているようなところは正直ある気がしますね。
そうだよね。
まだお互いそこまで若いっていうのもあると思うし、
仕事としても成長していかないといけないし、
もっと新しいことを知りたいし、みたいな。
どっちかというと新しい成長に向けて、
情報を入れとかないとみたいなのもあるかもしれないし、
一方で純粋に別に目的なく、
なんか面白いっていうものを探したいみたいな、
両方あるような気はするよね。
そうですね。
なんかそこは両方混在しているのをちゃんと受け入れながら、
この後者の楽しみの方は大事にしていきたいですね。
前者の方だとなんか今やってる取り組みとか、
ある程度1年後、2年後とか、
こういうのをやりたいから探そうみたいなのもあると思うし、
そこはある程度予測できるようなところかもしれないけど、
さっきの後者みたいなとこで、
純粋にこれは面白かったとか、
あんまり今まで予想してこなかったけど、
なんか出会ったっていうのってあったりするのかな。
そうですね。
本屋さんでの出会いっていう感じですかね。
そうね。一旦本屋にしてみようかな。
そうですね。
予感と過去の書籍との再会、そして「おいしさの科学」
この本っていうのはまだパッと出てこないんですけど、
後から聞いてくるような本、
後から自分の思ってた世界でつながる本に、
なんじゃないかっていう予感がする本との出会いっていうのは、
どこですかね、半年に1回とか、
それぐらいである気がしていて、
例えば、
自分の本棚で過去に買ったけど、
もう6年ぐらい読んでなかったなみたいな本とかを、
なんか気が向いて引っ張り出したときに、
あ!っていう、
今かもこの本っていうのが、
なんか頻度としてはよくある気がしますね。
なるほどね。いいね。
最近なんかあった?そういうのって。
最近だとそうですね、
これちょっとすごいドンピシャなんですけど、
今の自分の仕事との。
兄弟の農学部の教授で、
フシキトール先生って方がいるんですけど、
その人がなんかおいしさの科学っていう本を新書で書いてて、
ちょっとタイトルどおりか忘れたんですけど、
おいしさっていうのは4種類あると、
文化的に自分が馴染んできた文化っていうのと、
農が報酬として喜ぶ油とか、
本能的に喜ぶようなものと、
あとは情報っていうおいしさと、
あと生理的な塩分とか、
欲しがるようなことっていう、
そういうのはいつ買ったか全然覚えてないんですけど、
たまたま本棚にあって、
ちょっと今の仕事にすごい重なるとこあるなと思って、
読み返したりはしましたかね。
なるほど。
なるほどな。
「フィジカル進化」の概念と身体感覚の重要性
最近の自分で言うと、
ビジュアル進化っていう本があるんだけど、
聞いたことだけあります。
聞いたことある。
ちょうど最近、
新体のユートピアっていう新しい取り組み始めたりとか、
その中で今、
フィジカル進化っていう概念をちょっと今作って、
提唱していってるって感じなんだけど、
その元になった本で、
テンプル・グランディンっていう、
自閉症だけど、
動物の科学者みたいなことをしてる人で、
自閉症の人とかって、
言葉でのやり取りがちょっと苦手だったりとか、
言葉で思考するっていうのが苦手だったりする人もいるんだけど、
そのテンプル・グランディンっていう人は、
私はビジュアルで思考すると、
図とかイメージとかで、
そういうのを解明したっていうか解説しながら、
ビジュアル進化っていう人が世の中にいるんじゃないかっていうのをまとめた本っていう感じなんだけど、
その中で、
自分が思ったのは、
一般的に考えるっていうと、
言葉で考えるっていうのが多いし、
ビジュアルで考えるっていうのもあるんだけど、
弱い人間の感覚でいうと、
視覚だけじゃなくて、
もっと聴覚とか、
体の感覚とか、
いろいろそういうのもあったりして、
もっと体で考えるっていうのもあるんじゃなかろうかっていうので、
今、フィジカル進化っていうのを提唱し始めていて、
それもマーク・ジョンソンっていう哲学者の人が、
心とかっていうのも、
やっぱり身体の感覚とかに根差していて、
例えばバランスを取るとか、
リズム的なものとかっていうのは、
やっぱり体で感じ取って、
体を動かしながら思考するみたいなのもあるだろうみたいなのを
考えているところが、
結構ビジュアル進化とそういうのが繋がってきて、
今、フィジカル進化っていう概念を考えていて、
最近、まさにこれが衝動的に面白いなと思って考えているところっていう感じ。
だしろさんがこれまでやってきたことが、
交差点的に繋がっていきそうなポイントですね。
その考え方。
結構メンタルヘルスとかにも繋がってきそうな気がしているし、
結構全部子どもの教育関係とか、
もともと腰痛の研究をしていて、
慢性腰痛の物理的な身体の問題に対するアプローチは、
ある程度確立してきたんだけど、
やっぱり心の不調とかが絡むようなタイプの人には、
そこにも通じそうな気がしてきているし、
まだ先が見え切っていないけど、
これは結構反響もあったりして、
そうなんですね。
発信しながら。
これはなんかいけんじゃないかとちょっと思っている。
身体からのアプローチと心身の関係
いいですね。
なんか前にこのレッシングヘルスで話したんだったと思うんですけど、
僕が大学院の時に臨床で働いてて、
正規陛下とかで毎日来てる、
腰のマッサージをしてって頼むおばあちゃんがいたんですけど、
その人に、僕は前任の人から引き継いで、
この人にはこういうもう本当に四つのマッサージ、
なんかこうすすったりとかっていうのをしておいたらいいからって言われてて、
そのおばあちゃんからもそれだけしてくれたらいいからって言われてたんですけど、
もちろんこう自動的に受けるだけだとなかなか変わっていかないと困るので、
ちょっとこういうのやってみません?って言って、
自宅でもできるようなエクササイズをやってもらって、
渋々そのおばあちゃんは私はマッサージだけでいいのにって感じだったんですけど、
実際にこうやっていってもらうとちょっと張り合いがあるというか、
どうしても自分の能動、行為っていうのが伴うと、
なんか健康感っていうのが生まれてくるなっていうのはその時に感じたことがあって、
それでなんかフィジカルにもメンタルとかマインドから効いてくるとこあるなって思ったのをすごく覚えてるんですけど、
その体が動いて、その後に頭と心変わってくるっていうところも、
今の考え方にちょっと重なるところがある気がしますね。
心とか脳とかっていうのがやっぱりまだよくわかんないなって感じで、
心って簡単に使いやすい言葉だけど、
心っていうものがあるのかっていうか、
カウンセリングとか、遠畑海斗さんとか女子に結構いろいろ本とかも出てるけど、
言葉だけじゃ表現できないような気がするし、
独立して脳とか心っていうのが存在してるっていうよりはやっぱり体に目指してるだろうなっていう気がしてるから、
体を動かして心が変わるのか、心が変わったから体が変わるのかみたいなところはわかりきらないところではあるけど、
自分たちみたいな立場だとやっぱり体よりの体の重要性みたいなのは考えていきたいかなと思ったな。
確かに、
身体論の系譜:西洋と東洋の思想
なしろさんどちらかし考え方で何らかやってる人って世界を見渡すといそうですか?
でもやっぱり以前もちょっと話した減少学とか、
あの辺は多分まさにって感じかなっていう気がしてて、
どっちかっていうと、というか西洋寄りだと哲学とかもどっちかっていうと言葉で探求していくっていうか、
デカルトとかも心身二元論とかっていうので、もう心と体は別で、
言葉を扱う知性を持つものが高尚な人間で、それ以下の動物はちょっと過等でみたいな見られ方が伝統的にはしてきたかなと思うんだけど、
ちょっとそのフッサールっていう研究者が、哲学者が出てきたあたりとかで、もう1回主観に立ち戻るっていうか、
主観こそが本質みたいな話もあったりして、そこからメルロポンティっていう人が出てきてとか、
その辺は結構身体に根差したような考え方が中心にあるから、西洋寄りだとその辺の派生かなと思うし、
逆にむしろもう東洋の仏教とか、そういうとこで言うと、もともと身体ありき修行とかっていうのも、
心のとか脳のものでもやっぱり体からアプローチしようみたいなところはそもそもあるかなと思うから、
結構なんかこのフィジカル進化的な考えっていうのは、東洋の人にはもうそうだよねって感じで、
西洋寄りで発信する方が難易度高そうだなっていう感じで受けてる。
なるほど。
西洋寄りだと和志田清一さんとかもちょっとメルロポンティの研究とかされたし、
身体関連に関する本、何冊か見たことある気がしますね。
目の本とか。
和志田さんとかの流れでいくと多分接続しやすい考えかなっていう気がするし、
だから接続しづらいっていうか、AIとか本当にマインドアップローディングみたいな、
マトリックス的な世界観っていうか、そういう本当になんだろう、
もう自分は言葉で思考したりとか、脳で考える人間だから別に体はいらなくても電子上で生きていきたいみたいな人っていると思うんだけど、世の中には。
そういう人は、いやそんな別に身体なんてって思ってるようなカテゴリーもあるんじゃないかなと思ってる。
確かに確かにそうですね。
東洋寄りだと安田昇さんとかもちょっと近しい方面を目指してそうな気がしますね。
安田昇さんっていうのはどういう人?
あれ、農学誌の、あれ名前違ったかな?
結構その身体…
農学誌の方いるね。
そうですね、その方、なんか僕もそんなにたくさん読んだことあるわけじゃないんですけど、
身体技法とか身体能力っていうのを脳の観点からいろいろ考えてる身体感覚で読み直す個体みたいな、
そういうのをやっぱり読むので、ちょっとなんか気になるなと思うんです。
日本で言うと多分その農だったりとか武道とかは多分通じるところだろうと思うし、
なんかお互い京都大学だけど、京都もう京都学派みたいな哲学の西田喜太郎って人から始まって、
そこから何か市川博さんとか岩澤泰夫さんっていう人たちがいるんだけど、
結構その辺が身体論的なものを考えて本にも残してたっていうのを知って、
最近その辺も読んだりはしてるんだけど、結構面白いし、またいずれその辺はちょっと取り上げて喋っていきたいなと。
いいですね。
AI時代における身体感覚と嗅覚・触覚の価値
森野君ってその今のこのAIとか、例えばデジタルみたいなのが普及していった先に、
本当に自分の脳をどっかに保存できたら生きていきたいとか、なんかそういうふうに思うタイプ?
いやーどうですかね、なんか自分が今その香りとか嗅覚っていうところに目指して、
一応仕事をしている身としては、その身体感覚がなくなるっていうのはやっぱり考えにくいなと思っていて、
結局ここに、ここが失われる未来が見えた時に、やっぱりここだって帰ってくるんじゃないかなという気はしてますね。
身体性みたいなものが。
はい。
自分の使い方とそういうタイプね。
はいはいはい。
さっきの誰の議論だったか、身体感覚っていうのが過等なものだって言われてたのをもう一度取り戻そうっていうのの、
前田代さんもおっしゃってたと思うんですけど、嗅覚っていう感覚、これも過等な言葉の中だと、
嗅覚と嗅覚が触れなきゃいけない、接触しなきゃいけないというところで過等で、それ以外が上等なものだっていうのも、
どっかでまた見直されるタイミングがあるんじゃないかなっていう気がしてるので、
その時のために着々と引き込んでおきたいなと思います。
でも本当に今そういう流れが来てるような気がしてて、
本当にAI中心に視覚情報とか聴覚情報とか、そういうのってどんどん言語化できたりデータにできやすくなってきてるから、
それこそ人がやるべきなのは、今回みたいな、あんまりAIとかでは生まれづらい衝動みたいなものとか、嗅覚とか、
もっと脳幹に近い部分っていうか、本能みたいなものを見直す必要性があるよねっていうのには、
世の中的にもなるような気がしてて。
確かに確かに。
だからね、嗅覚とか、それこそ触覚とかも、まだ全然探索しがいがあるかなと思うし、
個人的にはね、その辺はやっていきたいな。
そうですね。
有名なヘレン・ケラーが言葉を覚えるときに、水とウォーターっていう、あれをいわば触覚っていうところで世界が広がっていったっていう。
あとやっぱり、伊藤阿佐さんの手の倫理っていうのが結構好きで、そこにも書いてたんですけど、
触ると触れるっていうので、使う語彙が変わると、一緒に使う言葉が。
気に触るとは言うけど気に触れるとは言わなかったりとか、その微妙な感覚で恐怖を感じる言葉にもなったり、
安心に感じる言葉にもなったりっていう、その触覚っていう、よく手当てって言いますけど、
本当に手当てるだけでちょっと安心したりとか、そこの情緒的なものっていうのがもう一度見直されるっていうのは、
作っていくべきだと思いますね。
たぶんそういうところほど、ロボットとかでは作れなかったりとか、最後人がやることとして残るような気がするし、
そういう中でエッセンシャルワーカー的な人が押されたり来てると思うんだけど、
そういう人の待遇とかも良くなりつつ、効率化できるところは効率化しつつ、良い社会になるといいなと思うんだけど。
そうですね。
うん、かな。
まとめと今後の展望
まあちょっと久しぶりに話して、でもなんかそのやっぱり衝動みたいな話から、
やっぱり人は何をする気なのかとか、客観的なものっていうよりも主観的なものに目を向けるみたいなのは、
結構最近の自分のホットトピックとかでもあるし。
そうですね。
たぶんまだ深掘りそうかなって感じがするんで、またぼちぼち喋っていきましょう。
はい、ぜひぜひ。
じゃあ今回はこんな感じで、ありがとうございます。
ありがとうございます。
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