アンディは引っ越したわけですね、1から。
それで今回はサニーサイド保育園に行ったり、そしてアンディのところにもっかいだから、
ウッディが戻るためにですね、ウッディの家の住所とかを探すというか見つけるシーンがあって。
ウッディがボニーの家でおもちゃたちに対して、アンディの家はどこどこだっていうことを言うんですけど、
その住所が、俺聞き間違いかと思ったんですけど、
エルムストリートって言ってるんですよ。
まさかのフレディがいるところですね。
嘘やろと思って、びっくりしちゃった。
エルムストリートって言ってると思って。
トイストーリー3でエルムストリートで調べてみたら出てくるんじゃないかな。
謎にエルム街の悪夢ですよってどう考えても。
確かにね。
本当だ、トリビアに書いてある。
どういう意図でこんなセリフを含んだのかが全くわからなくて、
ある種サニーサイド保育園で起きる出来事を暗示しているのか、悪夢。
その後起きる出来事として焼かれるっていうさ、それを暗示しているのかとかね。
諸々考えましたけれども、ちょっとびっくりしたセリフでしたね。
あとはいくつかありますが、
ちびっこの相手するのもおもちゃの仕事やろがいっていう。
お前らなんか押し付け合ってるけれども、
汚れたり壊れたりしてでも相手をするのが子供のおもちゃとの遊び方だし、
おもちゃとしての使命がどうこうっていうんだったら、
それもおもちゃの仕事やろがいとしかならないっていうのが、
どうしても3のプロットで負に落ちなかったところですね。
それは僕もすごく負に落ちなかったし、選択すんなよって思って。
だってそれでさ、赤ちゃんたちが使えるような、いわゆる木のおもちゃとかあるじゃないですか。
じゃあその木のおもちゃたちはそれは望んでないんでしょうかとか。
それをちょっと思ってしまうね、どうしてもね。
だからそこがちょっと負に落ちないなっていうのがありましたよっていうのと。
でもそこはちょっとでもね、さっきの僕のサニーサイド潰れる説にも絡んでて、
あの保育園って先生がおもちゃの管理しなさすぎて、
多分対象年齢とか何も考えてないじゃないですか。
だからおもちゃ側も対象年齢がたぶん擦り込まれているから、
この子たちの対象年齢じゃないですって思いながら遊ばれるのは嫌だと。
そういう設定で話したことを自分も納得させた。
適材適所じゃないですけれども、ちゃんと置くねっていうことかな。
それと、どうしても3あたりから僕の中ではケチがつき始めるんですよ。
で、エンディングはやっぱりアンディがボニーにそのおもちゃを手渡していくシーンなんですけれども。
ただね、一個、これはふざけたあれですけど、
ボニーがそのおもちゃたちを受け取るシーン、感動的じゃないですか。
でも絶対みんな受け取るときにボニーくっせって思ってるよなと思って。
ゴミ処理場であんなゴミに揉まれた後、ちょっと水かけたくらいで匂い取れるわけないのよ。
俺の知り合いで、大学の頃に職業体験をしなきゃいけないみたいなミッションがあって、
まさかのゴミ処理場になった方がいるんですよ。
で、ゴミ処理場で3日くらい働いて帰ってきたんだけれども、
すごかったと。本当に働いてる人たちを尊敬したって言って帰ってきて。
っていうのも、本当に家に帰ってきて、自分の洋服とか体に髪の毛とかについた匂いが本当に取れないんだって。
その3日間は頭をもう2回も3回も洗わなきゃいけなかったし。
結局向こうに行ってから着替えはするんだけれども、着ていった服も着替えてる間に匂いが付いちゃうみたいで。
最終的にはどうにもならなくて1枚捨てたシャツがあるみたいなことも言っていて。
処理場で働くっていうのは、それなりに作業する以上に匂いとの戦いみたいなんですよ。
そこら辺のことを知っているから余計にあのおもちゃたちをボニーが心よく受け取れるはずはないだろうなって思ってしまうと。
それが邪魔をしてしまったのが1つと、あとねやっぱりね4を見てしまっているから私は。
4を見てしまった上で3を見ると、どうしてもあの感動のシーンで苛立ちが勝ってしまうんですよね。
もうボニーを正常な目で見れない。
アンディマジでやめとけってなる。
頼むからこのこいつに渡すなと。
こいつに渡しても絶対にウッディを大事にしてくれるわけないぞっていう。
ただの気まぐれでしかないからやめとけとしか思えないというね。
どうしてもねこのすっかく素敵なエンディングではあったんですけど、ちょっと4が邪魔して3がよく見えなくなってしまったっていうのがあって。
何より3のラストで素敵だったのは本当に完璧だったのよ終わり方としては。
いろいろ気になるところがあったけど終わり方としては完璧だったなと。
しかもラスト空で終わるんですよ。空の雲で終わるんですよ。
1で一番初めにトイストーリーでバーンと出た時のアンディの部屋の壁紙の青空と全く同じので終わっていくっていう。
本当に綺麗に終わったなーって思ったんですけど、4を見てしまったがために正常な目で見れなくなったから、マジで返してほしいと思って。
俺のトイストーリーを返せ案件ですね。
あ、そうね。しかもラストのすごい俺、すごく感動してこれいいなと思ったのがさ、
サクッと終わったしサクッと終わるのかなと思ったらさ、割と長尺でブンドドを一緒にするじゃない。
あれが本当に染みて、美しいんだなーって思ったのよ。
わざわざ大学生でもうブンドドなんかしないさ、あの年代でやったらキーな存在じゃん。
誰に向けて言ってるのかちょっと置いといてですね。
けどそれをあえて子供と一緒にブンドドしてさ、一人一人を紹介するためにさ、
なんかこうなんちゃらかんちゃらなんちゃらかんちゃらだみたいなブーみたいなことをさ、
わざわざやるアンディーとさ、おもちゃたちの関係性のさ、あれがすっごいよかったなって。
よかったねー。しみじみよかったねー。
本当に。なんかやっぱりね、まさに綺麗だったんですよ。
だからブンドドに始まりブンドドに終わっていったわけですから。
本当にこの長い物語の締め方としては見事だったと思うし、何よりこの3っていうのは明確にターゲットが大人だったなって思います。
そうだね。本当に僕らにとっての映画だったんだよね。
僕らのための映画だったんですよ、あれはどう考えてもね。
なぜなら結局人間を豊かに描けるようにCGが発展したというのもあるんだけれども、
事実上アンディーのドラマが多かったじゃないですか。
アンディーが大人になっておもちゃとどう別れを告げるのかっていう視点もそこに含まれていて、
あくまでおもちゃの物語ではなく、おもちゃと別れる人の物語でもあった。
それはある種トイストーリーという物語から離れる我々の物語でもあったんですよ。
というふうに考えると3は本当にこのトイストーリーというものを子供の頃に親しんだ世代へのお別れとしての一品として、
散々と輝いていたんですよ、かつては。
そうだね。
本当に。だからね、すごくその点でいうと良かったなというふうには思ったんですけどね。
そんなところでですね、3なんか他にも言いたいことあったんだけどな。
何だっけな、まあいっか。4はどうでしたか?
ツッコミどころ多かったから、今更なんかね、ジャブっていう感じでもないんだけど、
金はある、でも居場所がない。
彼が資材を注ぎ込んで作ったアニメ会社はずっと赤字だった。
その会社が初めて世に出した長編作品。
内容は、一番人気だったリーダーの部屋に新しく高性能な新参者がやってくる。
リーダーはそいつを消そうとして、そして失敗し仲間に見放されて部屋を追われる。
その男の名はスティーブ・ジョブス。
映画のタイトルはトイ・ストーリーというお話を今日はちょっとしておこうと思います。
まず大前提を4つ説明していきたいんですけども。
1985年、ジョブスはアップルを追われる。
ペプシーのやつに追われる。
86年、ルーカスフィルムの支持文も書いておいて、これが後のピクサーになります。
ピクサーがずっと長いこと赤字で、彼はずっと資材を注ぎ込み続けて何とかピクサーを保とうとした。
95年にトイ・ストーリーを公開して、世界初のフルCG長編で大ヒットしました。
つまりトイ・ストーリーというのは、追放された男が追放されている真っ最中で作らせた映画。
これを頭に入れて、1作目から見ていこうと思うんです。
1作目でいうとウッディは自分の部屋のリーダーで、自分が一番の強者だと疑っていなかった。
そこにバズが来る。新しい高性能で、みんながすごいと言う。
ベッドの上のウッディの場所も全部取られてしまう。
その前に、ジョブズがどうやってペプシのスカリーという人物を連れてきたか。
スカリーはもともとペプシの社員さん、社長さんだったんだけども、
ジョブズはこのまま一生このサトウミズを売り続けたいのか。
それとも私と一緒に世界を変えるのか、みたいなことを言ってスカウトしたそうなんですね。
これなんかインタビューで産経のやつから参照したんですけど。
有名な具体ですね。
あ、そうなんだ。
有名な具体です。
今回初めて公開した。
スカリー本人が後のインタビューで、ジョブズはその続き。
私はマーケティングを知らない。だからあなたに来てほしいんだっていうことを言ったらしいのね。
自分にない能力っていうのが欲しくて、スカリーっていう人を引っ張ってくる。
また映画の話に戻ってくると、ウッディはバズを消そうとした。
正面から戦ってなくて、突き落としていなくなろうとした。
現実の話に戻ると、1985年ジョブズはスカリーが中国かどこかに出張でいなかった。
役員か何かに働きかけて、彼をクビにしようとする。
両方ともね、どちらもバズを突き落とそうとしたのも、スカリーを突き落とそうとしたのも、どちらも失敗します。
ここでバズはウッディに復讐はしてないんだよね。
ウッディを罰したのは、結局誰かというと彼の仲間だった。
ポテトヘッドがおもちゃ殺しだ、みそがなったぜ、みたいなことを言って、部屋の全員が背を向ける。
バズ自体は誰も何もしてないと。
1985年のスティーブ・ジョブズも同じような状況。
スカリー個人もやいのやいの言ってたらしいんだけれども、
ジョブズが追い出された一番の理由っていうのは取り締まり厄介で、
もともと彼の仲間だった人があなたはもうクビですっていう風にして追い出された。
ライバルに負けたんじゃなくて、ライバルを消そうとしたことがバレて仲間に裏切られた。
その辺の細かいくだりは、一回それぞれジョブズの映画を見てくださいっていうところですね。
この第1作で現実と違うところが1点だけあって、
現実ではそのまま喧嘩別れして、後々仲を修復したという記録はないんですけれども、
映画の中では多分これやり直しをさせてるんですよね。
一緒にシドというところにも行って、なんやかんややったときに仲良くなる。
その仲良くなり方がすごく象徴的だなと思ったんですけれども、
バズ・ライトイヤーがシドの家でテレビCMを見て、
自分と同じバズ・ライトイヤーが売られていたりとか、
自分の番組だっていうことがそこで初めて明かされると。
自分は量産されたおもちゃの1つに過ぎないと。
そこでバズは打ちのめされるわけなんだけれども、
そこでウッディがおもちゃであることで子供のそばにいられることが一番いいんだ、みたいなことを言い始める。
2人を手組んでアンディの元に一緒に帰るっていうところなんだけれども、
85年の現実の出来事には一緒になかった。
でも映画ではそのライバルが自分の正体を受け入れて、
そこで初めて一緒に働こうよとか一緒に動こうよっていうところが始まる。
だから現実のジョブズにはできなかったこと。だからやり直しがある。
現実と違うところで言うと、たぶんジョブズの都合の違法にちょっとずれているっていうところではある。
ここでジョブズが追い出されるまでのストーリーっていうところと、
追い出されているのイフのストーリーっていうのを1でやってたんじゃないかと。
2以降のことをトントントンと言っていくんですけれども、
2から先っていうのがその子のジョブズの話になっているんじゃないかなと。
2に関しては博物館に持っていかれるかどうかっていう話だったんですけれども、
2の公開は1999年でジョブズがアップルに復帰したまさにその時期に作られていると。
ウッディは外の世界に出て、自分が知らなかった価値を知って、
で、博物館の話が来ると。
博物館に行けば傷つかないし捨てられないし、永遠に持って廃屋されるけれども、
し、価値ある存在として保存される。
ただし誰にも遊ばれないよっていうところでウッディはそれだったと言うと。
ジョブズも同じ選択をしてるんですよね。
かつてアップルを作った伝説の男として安全な場所にいることもできたはずなんですけれども、
歴史に名を残して、そこで終わることもできた。
あと適当な投資家とかやってずっといるってこともできたんだけれども、
彼はまさにアップルにもう一回戻っていく。
批判があったりとか争いがあるっていう場所に可能性のある場所にまた戻ってくるっていうようなストーリーが重なっていると。
3、ここで出てくるのがサニーサイド保育園なんだけれども、
一見理想の引き取り先なんだけれども、
おもちゃを交換可能な消耗品として扱う場所だったと。
だけどボニーの家に関しては規模が小さいけれども、
一人一人に名前をつけて遊んでいるよっていうような状況。
だから、誰に今ジョブズの仕事だったりとか、あるいはジョブズのやってきたことを受け渡すのか、
引き継がせるのかっていうのが、このジョブズのストーリーとのせてたんじゃないかなと。
ちょっと調べてみると2004年、ピクサーはディズニーと交渉は一回決裂してるらしいですね。
そこの経営人とは馬が合わなくて、そこでダメだってなったらしいんですけど、
その2年後、経営人がいろいろ変わった後に、ディズニーとピクサーがくっつくっていうような形で。
だから誰に渡すか、誰に継承するかっていうところをしっかり考えて決めていくっていう話が、
ストーリーに乗っかっていたんじゃないかと。
4はすごくダサくっていう話はいろんなところで出ていて、
確かに僕も4に関しては、ダソク感が強いなっていうのがあったんですよ。
でもよくよく見てみると、それはダソクになるよなっていうのが、
この僕の説では当然のように思えてくるわけさ。
何かっていうと、年表で見ると2010年トイストリー3が公開された後に、
2011年にスティーブ・ジョブズが亡くなっていますと。
14年にトイストリー4の制作が発表されて、19年に4が公開されているらしいんですね。
つまりジョブズが亡くなった後に完成した作品っていうのが4なんですね。
ウッディに関してクローゼットに置き去りにされて、
バッジも女の子に取られてリーダーですらないよっていうような状況で、
クローゼットにずっといると。
会社も肩書きも失った創業者は何のために生きるのかっていう。
これがジョブズが生前答えを出せなかった問いなんだよね。
彼はこのPIXARを渡した5年後に亡くなっているんだけれども、
まだ全然バリキャリーで働いている状態の時に水蔵岩で亡くなっているんだけれども。
例えばそのままバリキャリーであった後のその後の人生、
セカンドライフのキャリアとしてどんなものをやっていくのかっていうところが
なかったんだよね、彼の人生。
4に関してはちょうどそこからストーリーが始まると。
自分の声をギャビギャビに譲っていく。
1作目のウッディはバズを選ばれるっていうことを恐れて
蹴落とそうとする人間だったけれども、
4作目のウッディは他人が選ばれるために自己犠牲をするっていうような男になったと。
だから1作目、つまりアップル創業時だったりとか
アップルがどんどん盛り上がってきた時には
他人を蹴落としても会社っていうものであったりとか
自分の業績っていうものを守ろうとした男っていうのが
セカンドキャリアになった時にどう生きていくんだろうなっていうようなことを描いたのが
実は4だったのではないかと。
だからその4を通して、もしかしたらジョブズの老後的なところを描いていたから
そりゃジョブズはいなくなっているわけだし
でもイフのストーリーでずっと描いているから
それは打則家になるよなっていうのが僕の説なんだね。
なるほどね。
プラスアルファ、このジョブズなんじゃないかっていうのを裏付けるのが
トイストーリー5なんですよ。
で、僕予告編しか見てないから正直
これを聞いた5を見た人が
いえいえそういう話は全然なかったからって言ったらそこまでではあるんだけども
今回おもちゃのたちに現れる敵役となっているのが
リリーパッドっていうタブレットなんだよね。
すごい嫌なやつムーブするじゃん、予告編を見る限りだと。
タブレットに夢中でおもちゃは遊ばれなくなっていく。
多分あれってiPadのモチーフになってるんじゃないかなと。
あのおもちゃたちに助けられることでバズが味わった感覚なんじゃないか
つまり自分は完璧である必要なんかないんだとね
父の役割を果たすっていうものは完璧な姿をずっと演じ続けることではなくて
そのまま自分自身が本質的に相手のために尽くせるかどうかなんだよっていうところをそこで捉え直しをしている
これがワンの中のストーリーの最も重要な山になっているのも
うなずけるかなということなんですね
そう考えるとこの第一作っていうのは不正っていうものがいかに目覚めていくのか
男って結局痛い思いをしないまま気づいたら父親っていう肩書きを手に入れるわけだから
結局その父としての目覚めっていうものは何がしかの経験を通じて
自ら目覚めさせていくしかないっていうふうな構図があると思うんですね
それでいうとこの第一作っていうものはこのウッディーとバズそれぞれに何がしかの欠陥を抱えた不正っていうものが
大きな転機を通じて完全な不正への目覚めを迎えていくっていうふうな物語になっているんじゃないのかということなんですね
95年当時のアメリカっていうのは共働き世帯がどんどん増加していった時代でもあるので
ある意味では古くからの過不調性の中での絶対的な父親絶対的な不正っていうものが揺らぎ始めた時期でもあるから
ある意味では父親とはどうあるべきかみたいな問いを
おもちゃと子供の関係性を通じて提示した作品っていうふうに第一作は語ることができるんじゃないのかという話です
ついで2ですねこれはある種決意の物語になってるなと
要は捨てられるいずれは終わりを迎えるというその現実といかに向き合っていくかというお話ですね
ウッディは自分もいつかアンディに必要とされなくなるという現実を直視せざるを得ない状況になるんですね
腕もちぎれたと
おもちゃはいずれ壊れるいずれは興味を失ってしまうかもしれないいずれは別れが来るんだ
そういった中で一体何を選択していくのかということを求められる作品だけれども結局最終的にウッディが選んだのは完全な自己犠牲ですよね
終わりは知った上で有限の関係の中でただ愛し続けることを選ぶという一つの決意の物語になっているかなと
一方でバズはどうなってるのかなっていうとバズは完全に機能する父親として確立されてますよね
今まで言うと違って完全にウッディがいなければ自分が先陣を切っておもちゃたちを捜索して動いていき
1でウッディに言われたことと同じようなことを返すわけじゃないですか
おもちゃは子供のためにあるんだみたいな
これは結局4がダサく見える理由として提示させてもらってますけれども
もちろんいい親の定義は時代が変われば変わっていくというのは分かりきっていることなんですよ
当たり前じゃないですか
その時代が変われば求められる力も変わる
求められる力が変われば教育も変わる
そういった中で家庭で培わなければならない力も恐らくは変わっていくだろうと
それは別に何も止めないし
やったらそのテーマをしっかり描いていただきたいんだけれども
じゃあ果たしてそれがこれまでに培ってきたキャラクターイメージだという
これまで培ってきたテーマ性だったりというものを
粉々に砕いてまでやらなきゃいけないことだったのかっていうね
だったらそれはトイストーリーじゃなくて良くないにしかならないわけですよ
だって考えてもみてくださいよ
4で結局メインで動いてた人たち誰ですか
今まで私たちが大事に大事に思い続けてきたオモチャたちは
ほとんどキャンピングカーでずっとお留守番してるだけですよ
そうだね
知らんからフォーキーなんて知らんからあのぬいぐるみなんて
あいつらがどんだけワーキャやっても別に何の思い入れもねえから
俺たちが見たかったのはそこじゃないんです
イエス・ウィー・キャナダじゃねえんだよ本当に
知らんからお前としかならないわけ
そいつらがエッセンスになって僕らのトイストーリーのキャラクターが
大活躍するんだったらそれはすごく嬉しいんだけれども
全然関係のないキャラクターたちがホイホイ出てきて
そいつらばかりがメインで映って
今まで大事にしてきたキャラクターたちはずっとお留守番で
何を見に来たんだ私はになるし
しかもその本当に必要最低限で動いてる
今まで僕らが知っていたキャラクターたちももはや別人に見えるわけですよ
あれだけかっこたるリーダーとして機能するようになったパーツが
なぜか主体性ゼロで自分のボイスメッセージに左右されるようなクソ男になってるし
何の主体性もないじゃんあいつみたいな感じにならないし
ウッディはウッディでずっとフォーキーの代理父みたいな感じでずっと動き続けてるし
ポーピープは誰だかわかんないなんかツケツケおばさんになってるし
何を見に来たんだろう俺はにしかやっぱりならないっていうのはどうしてもあって
だからこそ脱足になっちゃったんじゃないかなというね
やっぱり時代に応じた新しいメッセージを描きたいんだったら新しい作品を作りなさいと
わざわざ古い作品を引っ張ってきてその中身をいろいろ書き換える必要ないんじゃないのかなということですね
そんなわけでウッディを見て泣いてしまったよっていう人は子供のためと言いながら
自分のエゴが出ていた自分を思い出して泣いていたかもしれないし
バズを見て泣く大人は完璧じゃなきゃっていうふうに思いながらも