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アイデアは体験や考えのズレから生まれるのかも
2026-05-13 25:04

アイデアは体験や考えのズレから生まれるのかも

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サマリー

このエピソードでは、アイデアの定義や出し方について掘り下げています。アイデアとは、問題解決や新しい試み、工夫のことであり、必ずしも具体的なものではなく、体験や考え方のズレから生まれることが多いと解説されています。カレー作りを例に、レシピの再現性の難しさや、個人の経験や環境による解釈の違いが、どのようにアイデアにつながるのかを具体的に説明しています。最終的には、具体的な体験や行動を通じて得られた気づきこそが、アイデアの源泉であると結論づけています。

アイデアとは何か?定義と本質
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いいたします。このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。よろしくお願いします。
今回のテーマはですね、アイデアについて話していきたいと思います。アイデアといってもですね、なんかこういうアイデア、企業アイデアをやってくださいとか、やりましょうと。
そういう具体的なアイデアの話ではなく、アイデアの出し方とか、アイデアってひらめきとか言われますが、また始まったかと思われる方はシゴクリフリックだと思いますが、アイデアってどうやって出すの?そもそもアイデアって何ですか?
そんな話をしていきたいと思います。まるめく短く終えていきたいなと思っていますので、興味ある方は聞いてみてください。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いいたします。今回ですね、アイデアは、アイデアって何ですか?と。
あるですね、記事と言いますか、文章と言いますかね、読みまして、確かにあるなと。要はですね、アイデア出しとかアイデアについて書かれた本っていうのは、割と読んできたし、今も読んでるんですけど、
今は読んでいるっていうか、今は読んでいるってね、今読んでるわけじゃなくて、現在でも興味があって読むという姿勢ということですけど、そこでですね、確かに改めて説明してくださいと言われると、アイデアって結構難しいですよね、定義がね。
僕なりの定義は、割とシンプルで、問題解決とか新しい試みとか、挑戦と言ってもいいですけど、何かしらの工夫ですよね、取り組みみたいなことを全部アイデアと言ってます。
ただですね、それだけで大きすぎるんで、仕送りっていうところもあるときに、ビジネスや仕事作りですね、特にサービス、アプリでもいいですし、無形でもいいんですけど、その人が困ってます、問題です、課題です、もしくはエンタメのように価値があるなと。
要は人が価値があるような価値を感じるというものをいち早く見つけたり、もしくは見つけてるんだけど、既にあるんだけどあんまり広がってないとか、こういうふうにやったらいいんじゃないかと。
遊びでもいいですね。こういう遊び面白いよっていうのがまさにゲームとかエンタメだと思いますが、こういうふうに自分は解決してるよ、もしくは解決できるよっていうふうなものを提案していくのがアイデアかなと思いますし、それがビジネスなり仕事になるかなと思います。
だから順番はどっちでもいいですよね。だから出してみて、出さなきゃわからないですけど、他の人が役に立つと思えばいいと。さらに問題はそれでよかった、ありがとうね、ただでとかじゃなくて、それがありがとうねというふうに、
対価といういわゆるお金、日本だったら日本円、日本の銀行券、紙幣通貨、あ、すみません、交貨、どちらでもいいですけど、獲得するということができるのを目指すというのが至極理であるかなと思います。
そんなことを言うと、お金を得なければいけませんよねという話に聞こえるかもしれませんが、別にそういうことを目指しているわけではなくて、絶対お金を得なければいけないというわけではなくて、もちろんお金を得なかったら資本主義社会である日本では生きづらいというのはもちろんございますが、
一方で生み出すという意味でいくと、どういうことをしていくと人様に喜んでいただき、そこから対価が発生するかというのを考えていく、ある種アウトプットも出すのもいいんだけど、考えていく行為も至極理だなと思ったりしています。
カレー作りから学ぶ再現性の難しさ
こういうことをやったらいいんじゃないっていうことってありませんか?もしくは、あるんだけどやってないことってありませんか?という話です。
あんまりそんな話をしていくとどんどん広がっていっちゃうので、アイディアって何ですかね?という時に、ひらめきだとか発想だとかいろいろ言うわけですけど、世の中の発想法でもいいですし、世の中に知られている発想法というのが実はあるんですが、でもいいですし、そうじゃなくてもいいんですけど、
まずですね、視点でもいいんですけど、今回取り上げてみたいのは、観察というとまた難しいとは思います。
だけど、今回1個だけ言うならば、そのままの具体ですね。そのまま具体と抽象とはよく言ってますが、そのまま使えるものはない。AIの話みたいですよね。
AIでそのまま出してきたものをそのまま、まさにそれが求めていたものだよねみたいに、すぐに使えるようなものはございません。例えば、料理をやられる方ならわかるかもしれませんし、やられない方は想像していただきたいんですが、カレーというものを作ります。
カレーはですね、ジャガイモとか玉ねぎとか、豚肉じゃなくてもいいんですけど、牛でもね、肉を炒めます。炒めたら、水を加えます、ルーを入れます、みたいなカレーになります、みたいな手順ですね。
一般的なスーパーで売っているカレールーという固形のものを使う場合は。スパイスカレーとかそういうものがいいという方は、スパイスを入れるんだけど、それだけでは味が弱いというか、粘着性がないのかな。だからトマトとか入れたりするんですけど、トマトを入れてスパイスを入れる。
最終的には煮るというか、煮るで合っているのか。水を入れて塩とか入れたりして、味を調節する。大きな流れは変わらないです。スパイスを使おうが、多分ね、違う使い方があるかもしれませんが。
無水カレーとかもありますし、まあまあいいでしょう。そういう時にレシピを見ます。リスナーのあなたがまさにレシピを見ます。だけどそこの材料通り、もしくはやり方通りに再現することは意外に難しいんですよね。
これ伝わる人は多分やったことがある人ですね。やったことがない料理あまりやらないよという方でも全然いいんですけど、そっちの方の方がむしろ細かく見えるような気がしますけど。
例えばね、小さじ1って書いてあって、小さじ1ってなんだよみたいな。さじ2種類があるんだと。そこで知るわけですね。適量とかね。
意外にアバウトというのが、カレーをどれくらい煮込みますかっていう時間は割と決まってません。もちろん10分とか15分とか書いてあるんだけど、決まってないです。
しかも火が、なんだよって思う方がいらっしゃると思うんですが、弱火とか、とろ火とか、中火とか強火とか、その火の強さはガスコンロですね。
IHなど使っている方には結構難しいんじゃないかなと思うんですけど調整がね。でもIHでも調整できるはずで、その強さを何らか決めて、弱いのか強いのか中ぐらいなのかをコンロで設定して、それで煮込むという。
ものすごくアバウトじゃないですか。でも世の中にあるカレーのレシピって多分そんなもので、それが悪いというよりもそれで作れるんですけど、結構アバウトなんですよね。
結構アバウト。決まってない。なんでかっていうと、別にレシピが悪いとか思っているわけじゃなくて、冬場であれば寒いですよね。ってなると火の通りってやっぱり悪いんですよ。
寒いからね、気温がね。夏場みたいに暑かったらいいですけどね、室内が。室温ですね。そうです。水自体も冷たかったり、ぬるかったりしますね。夏場の水って冷たくないですよね。ぬるいですよね。
要はコンロの、コンロ自体の性能がありますよね。強い、もしくは弱いとかね。もしくはガスの状態、あんまりないかもしれないですけど、通しガスとLPとかプロパンガスですよね。
プロパンガスの方が火力強いけど、高いと。通しガスの方が弱いけど、確か倍なんですよね。どうしても強いものだと持て余してしまうみたいなね。
なんでプロパンガスの方が火力が高くなりがちみたいな。だと思ってますけど、まあまあ置いておきましょう。で、そういう風に環境が違うんですよ。
あと自分の技術、料理をする人の技術がみんな違うと。同じカレーのレシピを再現してくださいというか、そのレシピで作ってくださいといったときに、色々変わるんですよ。
工程を省いちゃったりする人もいるし、その工程に書かれていることを飛ばしてしまう人もいるし、書かれていることがわからなかったりする。
炒めるって何ですかとかね。煮るって何ですかとか。蒸すって何ですかとか。みじん切りって何ですかとか。
人参の大きさを、みじん切りはないんですけど、カレーの場合だとそのまま食べたいみたいなときあるから、要は大きさとして適切な大きさにしなきゃいけないんですよね。調理ね。材料をね。
それも決まってきますよねみたいな。ちなみに玉ねぎはみじん切りがいいかなと思います。それで甘くして、何だっけ。
甘い色ですよね。これはわからないですけど、炒めるということをすると甘みが出て美味しいカレーになっていくと。なんか、お腹減ってきましたね。
そういうふうに違ってくるんですよ。カレーの話が長くなりましたけど、そういうふうに要は再現ができないんですね。もしくは再現するものが違ってくるんですね。
視点の違いと気づきがアイデアを生む
アイディアも同様で、今言ったような話に全部踏まれてるんですけど、同じような社会や現実に生きてます。
僕も実はあなたも同じ現実に生きてます。日本じゃないところにいらっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが。
でも見ているものが違うんですね。同じような生活をしてても違ってくる。例えば双子という人でも違いますよね。
そんなもんですよ。見ているものが違います。もしくは今のレシピの話と一緒なんですけど、見ているものが同じでも気づく気づかないがあるんですね。
その話をしていけば延々と話せるんですけど、そういうふうな違いがあるときに何に気づくかというわけですよ。
カレーの話で言ったらあれなんかさじがいっぱいあるってことに気づいたんだけど、それはみんな気づくの?みたいなね。
当たり前ですけど初めて小さじ大さじなどを触れた人がいたら同じことを思うと思います。
で、そのときになんでこんな分かりにくいことになっているんだろうね。みたいなふうにもし思ったとして、本当に再現ができるカレーの作り方っていうのを
リスナーのあなたじゃなくてもいいんですけど考えたりしましょう。それは一つの問題解決だと思います。
要はさじの種類がいるとかコンロの強さがいるとか、アバウトに飴色だとかそういうのって、それは否定しないですよ。
なんでそんなアバウトなんですかねと。数学の数式みたいに、数学を最近やっているというところからも、
何かもっと抽象的に記号として、記号というのは抽象高めですね。展開できないんですかねっていうふうにある種考える方もいらっしゃるんじゃないですかね。
でもそれは極めてめんどくさいような気がしてて、使い回しかできないことがあるんですね。
例えば、塩が小さじ1なんだけど、塩の種類によっても違うし、さじはいいのか、塩の種類によって違うんで、
多分適量は小さじ半分くらいなんですよみたいな時に、小さじ半分くらいでは我慢できないから、塩を測って入れるっていう人がいてもいいと思うんですよ。
そういうふうに測るのが当たり前の人ってもしかしたらいらっしゃるかもしれませんが、それは適当になるかなと。
小さじ1単位で入れるのか、ぱらぱらっと入れるのか置いといて、厳密に決めないことで回せる小さじ1とか、もしくは小さじ2分の1とか、小さじ3分の1ではないと思うんですけど、
それくらいの精度でもカレーの1回あたりの処理分とかだったらダメだと思うんですけど、何人分も作るとそれくらいの精度で1人前に対しては塩がそんなにたくさん入れてるわけじゃないので大丈夫です。
そういうふうに使い回しができる可能性があるわけですよね。
分かります?
ちょっと説明が分かりたいと思うんですけど、そういうふうに自分が気づいたことをカレーを再現する良い手立てで思いついたなら、それは世に出していった方がいいんじゃないですかねって話なんですよ。
一方でカレーを作っている人で別にそんなの当たり前じゃんと。
雨色に玉えぎ煮るとか、強火で炒めるとか、弱火で煮込むなんて料理の基本じゃんっていう人は、それについては確かにベテランなんだけど気づけないですよね。
分かります?だからある種の素人だからいいっていうわけじゃなくて、知らない人が見ることによる気づきってあるわけですよ。
それは知識があるからいいとか思うかもしれないけど、あるが故に分からないという当たり前にしちゃっているある種の偏見と言ってもいいし、固定概念になっちゃいますよね。
それがまさに主観というか、まさに自分の学んだ考え方というか感覚であるかなと思ったりしています。
体験と行動から生まれるアイデア
例えば僕の固定概念というのは、例えば人は話せばある程度分かってくれるんじゃないかみたいなことを、ある種の希望も持ってね。
そんな風には持ってないですよ、100%絶対伝わるとは思ってないんだけど、そういうふうに思いがちなんですよね。ではそんなことないですよね。
あれ全然話が伝わらんとか、意図が理解してもらえないってことはありませんか。
ありますというところで、そういう固定概念なり考え方はボロくも崩れていくわけですよね。それくらい違っている。
毎日でもいいし、毎時間でもいいし、住んでいる地域でもね、仕事、職場でもいいし、プライベートの家庭でもいいし、家族でもいいし、何でもいいんですけど、全然違ってくるんですね。
見ている世界が一緒と。前話をしたかもしれませんが、客観的な唯一、唯一ですね、同じですよっていう世界はない。
一人一人が主観的に見ている、そういう世界がたくさん存在し、ちょっと難しい言い方になって申し訳ないですけど、世界や社会を構成しているのだと考えていただけると、割と分かっていただけるのかなと思います。
例えば、自分は書くのが苦手だった文章、喋るのも苦手だという人が、他の人は苦手じゃなかったりするわけですよ。
僕はわかんないですよ、喋っているのが得意とか、話すのが得意とか、書くのが得意とか、あんまり思ったことないですけど、
そういうふうに、いろんな人がいるよね、自分とは違う人がいるよね、というだけでも全然よくて、そこの違いですよね、差分と言いますか、差異で比較すると、それもアイデアになりますよね。
コンプレックスと言わなくてもいいんですけど、自分が話すのが苦手であれば、その話すのをうまくするというのも一つの問題解決じゃないですか。
もしくは、話さなくてもいいというのも問題解決だし、新しい工夫ですよね。
もしくは、他の自分が得意とするものを伸ばして解決しようとしてもいいですよね。
例えば、遊びで解決するのもよくて、一緒に書いていったら分かり合えたよみたいな。
ある種の友達とか友人とかを作るというのは、別にやり方があるというわけではないですけど、お互いやり取りして、共有できる部分を探っていくという、ある種のゲームのようなものだと僕は思っていますけど、
そういうことを繰り返していって、ある程度話さないと分からないよね、という時に、ある程度話ができていなかったら親しくもならないし、みたいな。
どんどん学びとして形成されていくような気がするんですよね。
ちょっとあまり着地が良くないですけど、カレーの話しすぎましたね。
まあいいや。
アイデアというのは、そのまま使えないという話は、今言ったようにカレーの話でもそうですけど、レシピでもそうですけど、
そのままレシピだったら再現してそのまま機械と言いますか、レシピのまますぐできるという人は多分いないというか、
必ず自分の主観ですよね。体験や経験や解釈がそこに入るので、それで変わってくるわけです。
まさに解釈するとか主観が入るというのがいいなと思っています。
記憶の構造とアイデアの継続性
だったら自分が思った通り思い込んだものでいいのかというわけではなくて、
自分が思った主観と、そうじゃない、もうちょっと客観的と言いますか、違う人から見た主観、
もしくはもうちょっと一般化みたいなものでもいいんですけど、なんか2つ欲しいですよね。
1つのものだと主観で思い込みになりますし、もうちょっと客観的な見方で1つだけだと、それも1つだけしかないじゃないですか。
なんか一般論しか言わない人嫌じゃないですか。なんかカレーって美味しいですよねしか言わない人って嫌じゃないですか。
なんで美味しいのとか言ってほしいし、いや別にカレー好きじゃないですよねとか、こういうカレーが好きだよね、こういうカレー嫌だよねとか、
なんか意見が欲しくないですかって僕は思うんですけど、そういうふうに何かと対比させて一旦揉むというか、
一旦最初に自分が入れたものを次またアクセスして変わると。
それがある種記憶の構造だと思っていて、記憶は冷凍保存じゃなくて、思い出とかエピソードとかもそうですけど、
前こういうのがあったなっていうのを再アクセスして再回答してますと。冷凍してないからダメ、回答じゃないですね。
もう一回呼び起こしますと。記憶をね。そうすると前とは違うものになってたりするわけですよね。
同じことをやってるんだけど毎回違うように感じるっていうのが少しでもあれば、実はそれが継続のかためかもしれないですよね。
僕自身はアイデア考えとかアイデア脱出っていうのは確かにパターンとして同じようなものはもちろんあるんですが、
毎回やっぱり違うし、このパターン、今回はまたこういうふうになるよねっていうふうに、
なんていうんだろう、マンネリ化というか全部想定されて同じようになって決まってくるということはないんですね。
アイデア脱出だけじゃなくて、守護国というのもそうですし、毎回アメとか、鉛筆とかシャーペンとかの話、時計とかね。
わからないですけど適当なものを挙げてアイデアがどうだとか言ってますけど、
その話も結局毎回微妙に違うはずなんですね。毎回全く同じことはなくて、毎回ちょっとずつ違っているものを抽象化したら、
大橋さんが言っていることはこういうことを言っているよねっていうふうにまとめられるんだけど、
便利に入り際に入りじゃないけど、その細かいところは違ってくると。
で、これが最後に重要なことというかまとめというか終わりなんですけど、
具体的な体験こそがアイデアの源泉
実際に経験するということは具体でしかないんですよね。これは重要なことです。
抽象的な何かバクッとした、ノウハウも抽象的だと思うんですけど、アイデアを出すために役立つ何かみたいなのは言ってもあまり役に立たないですよ。
へーそうなんだで終わるんですけど、そうじゃなくて、実際に自分が体験できる、経験できるというのは、
今話したことを実際にやってみるとかでもいいんですけど、考えてみて、手を動かしてみて、
新しい工夫だとか、カレーを作るときにレシピがどうだとか、やってみてこういうことを言えたっていうんですよね。
だから体験とか行動というのは具体なんですよね。
アイデアがなくてできませんという人は単純に抽象的だと言えるかもしれないです。
なぜなら具体的なものがない。具体的なものって何ですか?
自分で強烈な意志とかこれをやるんだというのではなく、ではなくて、
現実に生きていてシンプルですよ。絶対これはあると思いますけど、人間は寝ますよね。
眠いって感じませんか?もしくはお腹空きませんか?お腹減ったと思いませんか?
そういうときにご飯があったり、睡眠ができる環境があったら、それは心地が良くないですか?
それに対してお金を払うかどうかって、もちろんお金を払う人が多いと思いますけど、
そういう自分の欲でもいいし、自分がまさに経験した、体験したというところから
一個ずつ積んでいくしかないんですよね。積み上げていくしかない。
そういうのが一つの結論になるかなと思います。
まさに眠ったときに寝る、ご飯食べた時に食べる、別に食べた時に食べなくてもいいですけど、
お腹減ったら食べるっていうような、それこそ欲を満たすとかでもいいんですけど、
その自分の具体的にやった行動や体験というのが一つの見立てというか見方になるんですよね。
見方というのは仲間になるということじゃなくて視点ということですね。観点になるということです。
で、じゃあ、あれ?世の中にお腹が空いても食べない人がいるぞというふうに知ったときに、
そこに違いが生まれません。お腹が空いたら食べるのが当たり前なんじゃないですか。
お腹が減らなくては食べないってどういうことですか。
そこで議論ができるか、その人の考え方を得られるかはまた別問題だと思いますけど、
そういうふうに考えていくことが一つのアイデアの見方のずれですよね。
それを見ていくのは一ついいんじゃないかなと思います。
ですし、体験できる、経験できるというか、具体的なものしかできないので、
何か曖昧だなとかフワッとしているなというときは、いわゆる具体が足りない。
まさに行動が足りないとか、体験が足りないとか、思考をする量が足りないとか、
何でもいいんですけど、何かが足りないはずなんですよね。
偉そうに言っていますけど、別に偉そうに言える立場ではもちろんございませんが、
そこは確実に言えることかなと思います。
やっている人はそういう意味では体験があるので、そこから得られたことを
フィードバックしたり考えたりすることをやればいいんですよ。
やれていない人はそこをやらなければいけないですね。
何が世の中の人が困っているのでしょうか。もしくは自分が困っているのは何でしょうか。
でもいいし、自分が満たしたらいいなと思ったり、
自分がこういうふうにやってうまくいっているから他の人が広げたいものは何でしょうか。
そういう問いかけを持ってみてはいかがでしょうかというところで、
今回は終わりたいと思います。
少しでも参考になれば幸いです。
以上、四国にラジオ大橋でした。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上失礼いたします。
25:04

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