土台の重要性
シゴクリラジオ
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回は、OSアプリみたいな話で、何を言ってるかという話なんですが、
物事を色々やった方がいいという話があります。何かをやっていく時に。
もう一方で、漠然とした話になっていますが、一つに集中した方がいいと言われます。
これ矛盾しているというか、どうすればいいのということ。リスナーのあなたが思われたことがあるか分かりませんが、どうなのと。
ここで一つの考えとして、OSというか、土台があってその上にあるのか、
バラバラで分散しているのか、その違いじゃないのかなと思っていまして、それを統合するには、やっぱり下に土台があってその上にあるという考えの方が安定する感じがしました。
というわけで、今回は、OSアプリモデルというか、土台があってその上でやる、その話をしていきたいと思います。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、しごくりラジオの大橋です。今回のテーマは、土台があってその上でやる。
いわゆる軸と言った方がいいんでしょうか。ただ、これもちょっと分かりづらいので、一旦土台とかOSとかそういう話にして、土台があってその上でやるのと、
いろいろバラバラになってやるということですよね。 そのあたりの考え方というか、概念。
行動と統合
概念はちょっと抽象的になりますが、ただなるべく具体化していきたいなと思います。 そのあたりを少し考えていければいいかなと思いました。
まずですね、冒頭にお話した通りで、一般的にというか、よくある話だと思っているんですが、
自分がやりたいことがわからない、もしくは何かやっていきたいんだけど、フワッとしている。そういうお悩みというか、話があると。よくあると思います。
その時にですね、いろいろやった方がいいというアドバイスがあるとします。 正確にいくと、いろいろやった方がいいというアドバイスを仮に僕がするときは、
僕が思うときは、その人があまりいろいろやってないときなんですね。 例えば、業界とかジャンルとか、
流度もそうですよね。限られたことしかやっていないので、 もっと広げていきましょうよ、視野広げていきましょうよ、いろんな視点見ましょうよ。
人に興味を持ちましょうよといらんおせっかいになるんですが、そういうふうにですね、まず行動量が足りないみたいなケースは、多分いろいろやってくださいというふうになるし、いろいろ見ましょうと。
なります。またさらにもうちょっというと、いろいろやってるんだけど、広がっていかない人は、それは具体のレベルでいろいろやってるんだけど、
散らかってしまっているというか、統合されないっていうんですかね。 これはOSがないという感じがします。ここでOSというのは土台というか、
それは結局まとめるとどういうことになるの?といわれる振り返りとか考察が足りないって感じですね。 その場合は行動はできてるから、
行動自体は全然プラスで良くて、そうじゃなくて、まとめる何かがいるんじゃないか。 まとまらない、わからないっていう方が多分ここら辺で出てくると思うんですけど、まとまらないことはなくて、
無理にまとめなくていいし、例えば10個やってて1個に集中しなきゃいけないっていう道理はなくて、っていうのがあります。
この例で言えば僕の場合だと、何か企画するとかアイデアを形にするというのが多分近いので、こういうタイプの人、僕みたいなタイプの人は多分いろいろやらなきゃいけなくて、
ただいろいろやるんだけど、OSみたいなものはあんまり一緒というか、アイデアを形にするっていうことでもまとまっちゃってるんで、
もしかしたらリツアーのあなたから見たり、なんか散らかってるなって思われると思う人は、いろいろやってるなって思う人は、
思われるかもしれないんだけど、僕からすると全然いろんなことやってなくて、自分のフィルターでやってる感じがします。
このギャップはありますよね。もう一個が、一つに集中しなさいよっていうケースですね。これはたくさんやってるんだけど、どれか選んでやらないと、
OSアプリケーションモデル
リソースというか時間とかお金とか、なんでもいいんですけど、特にお金よりも時間ですよね。個人においては時間が集中できてないんで、分散してしまっていますよね。
植物で言えば、膨大な種類のキュウリとか、白菜とか大根とか野菜を育てるときに、たくさんの栽培面積が広ければ歩いて回れるようなものでなかったり、
それとも、たくさんの品種というか、たくさんのものをやっていると管理できないじゃないですか。であれば、本当に育てたい大根を育てられず、枯れてしまうということがあります。
そういうことで、管理ちゃんとできているか、見えているのかということですね。散らかってしまってまとまらないというよりも、管理できていないみたいなときに、一つに集中しなさいとか言ったりしますよね。
これもその人の状況によって変わると思います。もう一個ここで気になるというか、補足すると、10個あって1個これに決めてくださいと言ってやるというのって、できますかという話と、もっと分かりやすく言うと、2つあって3つあって、そのうちのどれかを選ぶというのは、何かできるのかどうかという話なんですよね。
ここでさっきというか思ったのが、例えば分かりやすく2つとしましょう。AかBかみたいなときに、AとBみたいなところで、もしくは第3のCみたいなので、ベンズと言いますか集合図、数学か、AとAの円とBの円がありまして、そのAとBの円が重なるみたいなイメージがもしかしたらリスナーのあなたもあるかもしれません。
もしくは、重なってないので重ねていったほうがいいとか、いわゆるキャリアの話とかだとウィルキャンマストみたいなのがあるし、ウィルキャンマストというのは何かしようとしたり、何かやらなきゃいけないとか、やれる、できることを重ねていくのがいいと言うんだけど、これは結構僕どうなんだろうなって結構思ったりするんで、あんまり好きではなかったりするんですね。好みの話だと思います。
で、この3つでもいいんですよ。何でもいいんですよ。生きがいの4つ、生きがい図ってのもあるんですけど、4つでもいいんですけど、そういうのは何でもよくて、ここで言いたいのは、2つあったときに、それってそんな並列にあります?って話なんですよ。
こういった2次元でまとめるフレームワーク的なものの罠っていうのは、整理された気がするんですけど、その時はね。そんな整理されてなかったりするような気がしてて、じゃあAとBってそもそもやりたさが違ってたり、そんな均等ではなかったりしません?
だから円の大きさがまず違ってるんだけど、同じ円にしちゃうと同じぐらいやりたいと思っちゃうけど、どうなの?みたいなね。こういう突っ込みができるわけですよ。だから人間というか、僕もそうですし、やりたいと言ってるが、そこまで本当にやりたいのかって言われたときに、なんかその貫いてできるってぐらいのやりたいってそんなにないと思うんですよ。ほとんどない。
あったらいいぐらいの話で、あったらいいというか、あったら珍しいんじゃないかぐらいだと思ってます。それぐらい人生の中において、そのなんかキラッと光るものってそんなないんじゃないかなって。だからそれは、それが見つけたいっていう人もしかしているかもしれないんですけど、なんかそれって簡単に出てくるものじゃなく、いろいろやってて、それこそここが本題なんですが、
その試行錯誤の中で出てきたエッセンスみたいなもの。例えば3年ぐらい仕事やっててこんなことかな?みたいなことをポツッと言える。3年も適当にやってたらダメなんでしょうけど、得るものがあった。それを得た。それ3年で1個ですかね。3年やって1個。じゃあ次の3年3年で10年ぐらいやって9年ですけど、3つぐらい得られてそうじゃないですか。
バラバラがもしくは重なりがあるとすると、下手したら10年でそのコアなエッセンスって1個ぐらいしかないんですよね。コアなエッセンス?まあいいや。コアなものって得られないと思うんです。
そうやって言うと成長って遅いよねって思われるかもしれないんですけど、もちろん早く成長する人もいるでしょうし、それは人によって違いますから何とも言えないです。だから他社と比較すると、スロースターターの人はなんでみんな早く上がってくるんだと思ったりするかもしれないし、逆もありますよね。早くやってる人はなんでそんなみんな遅いの?みたいな。
この辺りが面白くて、どこの時点で評価するか。だから他社比較している時点でもはや、自分のペースを保てていないというのがあるわけです。ここが難しいですよね。社会生活を営む以上、他社との出会いがある。社会との出会いがあるからそこを見ずにいることはできないけれども、とはいえそれと比較しすぎても周りと同じになるだけで自分というのが消えていく。
自分というのを保てないとストレスになったり、もしくは低度になるので、これはもう正解はないし、僕も持っているわけではないのでバランスですよねというところになっちゃう。バランスは5対50%50%というきっちりピッチリしたもんじゃないですね。
下手したら1%99%が取れているかもしれないし、そこはもう50に、それが動くわけです。
今回はポイントとして、いろいろやるというときの、いろいろやっていくもしくは一つに集中するというところの曖昧さがある中で、多分これなんじゃないかという仮説として、OSアプリケーションモデル。
要はコンピューターだったら、WindowsだったらWindows OSというのがあって、その上にWindowsアプリというのがある。
iPhoneのものであれば、iPhoneはiOSですね。MacのApple社のOSがあって、その上にアプリケーションということで、スマホ上の各アプリがある。
このアプリの概念も今後AIが出てきたりすると変わってくると思いますが、基本的にはOSがあってその上にアプリケーションというのがある。
OSというのはその土台ですよね。オペレーションシステムがありますが、その土台というものがまずあって、それは型といってもいいかもしれないし、基礎といってもいいかもしれないし、
何でもいいんですけど、コア、軸といってもいいし、何でもいいんですけど、より抽象度が高いものというイメージですね。
土台の概念
今回は概念として下にある、土台としてある。環境とか自然で言えば土地というか土壌みたいなイメージですね。
その上に木とか実とかがなるという感じで、それがアプリケーションというイメージですね。
なので、コアであれば些細な具体的なもの、抽象で言えば抽象的なものがあってその上に具体的なものがある。
OSアプリケーションというのはOSの上にアプリケーションがある。何か伝わってきますかね。
よってどういうことかというと、いろんなことをやるということは、どちらかというとOSを作るためにいろんなアプリケーションで試してみて、
プログラムと言ってもいいんですけど、同じなんですけど、試してみてそれがOSとしてどうなのか。
もしくは逆にOS上にそのアプリケーションが動くかどうかという感じがします。
言い換えれば、いろんなことをやるということは、いろんなことをアプリケーションとしてやってみるんだけど、うまくはまらないのもあるわけです。
このOS上では動きませんみたいな。とか、はまる、要は面白いよねってうまくいくっていうのもあると思うんです。
それを見極めて、どれが乗るかどうかっていうのをチェックしているような感じですかね。試行錯誤。それをいろいろやるという感じです。
そうすると、そのOSに乗ってくるものはだいたい決まってくるんで、今度は土台というか型がさらに磨かれるという感じですね。
今度さらに土台が固まってくると、その上にできるアプリケーション、やれることっていうのも固まってくるんで、
おのずと、状況によるんですが、初期フェーズであれば土台があまり固まってないと、いろいろやって散らかるんですよね、多分ね。
でもそれがおのずと、3年に1個っていうのは、これは適当に言ってますけど、土台が固まっていって、徐々に固まっていって、家ができていく基礎みたいな感じでできていくと、
上に部屋ができて、内装ができて、みたいになっていくと思うんですけど、それが細かい具体的な話じゃないですか。
っていうのができていく流れで、今度はいろいろやるときに、いろいろやっていくと、その土台ができていったら、今度はその土台にふさわしいアプリケーションとかやることができていくって感じですね。
1つに集中みたいなときの1つっていうのが概念としては、多分OSとか軸とか土台ってことだと思ってまして、この土台って1個しか受け入れない、アプリケーション1個しか受け入れないわけじゃなくて、
10個でも極端に言えば100個でも受け入れられる、もしくは起動できると思うんです。管理できるかどうかっていうことでいくと、10個ぐらいかもしれないです。
具体的に例えばプロジェクトとか活動みたいなものってそれぐらいかもしれないです。
でもさっきお話ししましたけど、僕がいろいろやっているとか、なんかあるわけじゃないですか。いろいろやっている、活動やっているみたいな。
それは実は別に種も仕掛けもなく、単にOSとか土台っていうのが、このアイディを形にするとか、ご機嫌社会作るとか言ってたりするんですけど、
ここでも言ってるかわかりませんが、このラジオでもなんか伝わったらいいぐらいのテンションでやってて、聞いた人がなんかちょっと良かったねぐらいで思えれば大成功ってことなんですが、
そういうのをやるためにやってるんで、ポッドキャストをやりたいって感じでやってないんですよね。ここすごく重要で、つまりアプリケーションというか具体的なもので見えるのは、
この四国レイラジオってものが見えてるかもしれませんが、その水面下、水面下って言ってるのはリスナーのあなたには見えないはずなんですね。
見えないけど何か感じる何かがあるかもしれませんが、土台とか型とかコアとか軸とか、表現は何でもいいんですけどOSでもいいんですが、それがあってやってます。
じゃあ大橋さんと、あなたはそのOSがいつ作られて、それが最初からあったんですかって言われるわけですよ。
リスナーのあなたも思ったかもしれませんが、思ってない人もいるかもしれませんけど、それに答えると最初からあるわけないですよ。
あるわけないんで、それこそ社会人から言ったら、プログラマーで会社員やって3年、4年か、4年も経ってないですね。3.5、3.9かな、3年9ヶ月ぐらいでやったんですけど、
それで会社員ってこういうものなんだなーっていう型、でもその型は会社員って言っても偏ってると思います。偏ってるんですがもうしょうがないじゃないですか。
そこで得たものっていうのを、友人と起業してとかやって、みたいなことをやっていった。僕のキャリアというのは、
わたちというか、遍歴はそうなんですが、その通りで、その時に毎回学んだり得たことがあったはずだし、だからアイディアを形にするって言った時に、
これは僕の中ではプログラミングっていうのもアイディアを形にするし、文章を書くのもアイディアを形にするし、
チラシ作るイベント、企画するのもそうだし、授業のことを考えるとかお客さんにアイディアを出すとかも全部そのアイディアを形にするのを連続であり、そこは変わってないんです。
つまりカルピスの秋本康さんという人が言われてるんですが、カルピスの元、カルピスを作るのが企画の骨子で、
継続の重要性
それでカルピスウォーターのカルピス操作とかっていうのが、具体的なものはアプリケーションに近いですよね。
元の方を作るのが企画術でありアイディア出しのところの、うどん屋にとっての出しとか、
蕎麦屋さんにとっての出しというかね、蕎麦うちの方もやらなきゃいけないですけど、その細かいことを置いておいて、
最もコアなもの何ですか?って時に、そこなんですよね。 よってたまにアイディアそんなに出していて、別に損というか出し惜しみしないというか、
何ですか?みたいな方が言われるかもしれませんが、出し惜しんでるということはなく、単にOSというか土台があるので、
そこから出てくるものに対してアプリケーションという形で出しているだけなんですよね。
逆に言えば、アプリとして出している行動は、自分の中でも直感的にやっている部分はもちろんあるんですが、
実験的なものも戻していったら、実はアイディアを形にすると言えるかもしれないし、そうじゃなかったら今度は土台が拡張されますよね。
土台が広げて広がると。土台がガッシリしていればガッシリするほど、いかようにもなるというか、アプリというか具体的なことをやっても、
ブレないというのはちょっとおかしいんですけど、ぐらつかない感じがしますよね、土台があると。
というわけで、ちょっと長くなりましたけど、いろいろやって散らかってしまうという方がいたら、
リザラのあなたがいたら、たぶん土台とかOSの部分があまりないか、細いとブレますよね、乗せれない。
ジェンガみたいなもので土台なかったら、ジェンガ積み木?わかりませんけど、不安定じゃないですか、土台が細かったら。
土台を太くしましょう、広くしましょうとですね。土台を広くするにはやっぱりいろんなことをやらなきゃいけなくて、いろんなことをやっていって固まっていったり、
広そうに見えて実はやわいとかもありますから、そこはもう本当によしなりと言いますか、いろんなことをやっていって固めていくしかないかなというのはもう本当に正直なところというか、
嘘を言ってないですけど、そんなもんなんですよ。だから最初から土台があったわけでもないし、やっていって見えてきたというだけなんですよ。
もう何も面白くないと思いますけど、そんなもんです。できていったから、じゃあそうかなって、本当にアイデアを形にしたいのかなって僕は疑うので、
そんなことを言ってるだけで綺麗なビジョンみたいに聞こえるじゃないですか、初めて聞く方。そうなのって思うんで、自分を疑いながらやっていくと細かいアプリ活動とかプロジェクトになるとなっていくわけですけど、
それをやっても土台とリンクしてないとあんまり面白くないし、もしそれが何か違うなと思ったら土台と照らし合わせて、このOS上ではアプリケーションが動かないってなるし、
さすがに土台がしっかりしていくと、そんなめちゃくちゃ全然違う面白くないことをやることはなくなってくると思うんですよ。
これは若干話がずれるんですが、何か続けられる人っていうのはその細かい具体的なことをあまり意識してなくて、もしくは
他から見ると特定のことを一生懸命やっているように見えるかもしれませんが、それもあると思います。ルーティンとして分かりやすいことをやる。
僕だったらアイデア出してやるとか、書いていくとかアウトプットするとかはあるんですけど、それだけで別に生きているというか、その行為だけやってたらいいわけじゃないじゃないですか。
土台とかそこから関連する学びとか、そこから仕事になるとか、仕事にならないとか、もしくは自分のストレス解消とか、自分の自己表現とか、人との繋がりをつくる関係性をつくるとか、いろいろ意味があるわけですね。
それを象徴的な、いわゆる記号というふうに言いますが、ものとして捉えることもできるわけです。
だから少なくとも、他の人から見ているときにその具体的な行動とか行為を見て、それを真似してもいいんでしょうけど、真似してもあまり意味なくて、その根っこにあるOSをコピーする、もしくは学ばないと、
それは本当にいわゆる模倣わざだけの真似になってしまうような気がします。
継続するということができるということは、そのOSが整っていたり、もしくはある程度固まっているから、そこからアウトプット、細かい具体的な活動やプロジェクトや、いわゆるここではアプリケーションというものができるのかなというふうに強く感じました。
なので、いろんなことといったときに、その一つ一つのことが対等にどのレベルであるのか、それがOSレベルであることは多分ないと思っていて、OSが複数あってもいいし、そのOSの中にいろいろ入れてもいいんですけど、少なくとも概念としてはOSは一つあります。ここではですね。
相対的にアプリは複数ある。OSの上に、一つのOSの上に一つのアプリしかないということは多分ないと思っていまして、複数アプリという感じで一体Nという関係があるかなと思います。
アプリケーションと土台の関係
さらに進化させたら、もしかしたらOSも複数あって、その上にアプリを複数載せるとかあるかもしれませんが、それは難しいというかよくわからなくなるので、少なくともOS一つに対してアプリケーションがN複数あるというのが今回のポイントかなと思ったりします。
いろいろやっていることがあるのは、多分いろんなやっていることはアプリレベルだと思っていて、具体的なレベルなんですよ。具体的なレベルでやっていることが悪いとは全く思わないんですが、それはそのまま並行して、もしくは均等に並べていくと、どれが重要かが多分わからなくなるはずなんですよね。
でもその具体的な一個一個でやりたいこととかまとめていくと、それは多分OSの方に近づくし、OSの作りのヒントになるし、それが多分OSになるかなと思います。
わかりやすく言えば共通点とか、もしくは自分がリスナーのあなたがやっていて飽きないとか、面白い部分とか、やっていてよかったなとか、もしくは逆もありますよね。これは嫌だなとか、これは違ったなとかというのは多分土台にならないか、もしくはそのOSのエラーハンドリングということで、アプリケーションが何かエラーが起きた時に、それは原則と違いますよねとか、ということでエラー処理が出てきて弾きかけるかもしれないし、
改善して、違うやり方に改善してアプリケーションが向き進むかもしれませんし、それがちょっと具体的にはわかんないんですけど、そういうふうになっていくんじゃないのかなという話となります。
だから話としてまとめてしまうと、いろいろやると何か共通点が見えてまとまっていくと、そのまとまったものが多分コアというか自分の軸に近いものになると。
軸の概念ってどうしても僕の中では土台よりも線というか1本の線みたいに見えて、垂直の線に見えるわけなんですが、そういう概念よりも僕はどちらかというと土台が土壌があってという土壌の開発とか土壌を作っていくというほうが感覚的にはいいのかなと思います。
その土壌の上にどんな植物を植えますか。別に植物じゃなくても池を作ってもいいし、森を作ってもいいし、紅葉を作ってもいいし、それも割と自由で、どういうものを作っていきたいかというのによるわけですよ。
でもそれをいきなり作ってない人が言ってもやってもわかんないじゃないですか。だから作ってみてくださいと。
砂場作ったら違いました。大根を作ったらやっぱり違うものがいいと。それはもうわがままでいいと思うのでやるじゃないですか。
やって、振り返って、どうかを見ていく。その繰り返しでしかなくて、その繰り返しをしていくと土壌も大根にとって適したものになるし、
例外じゃないや、連作障害みたいなのがありますよね。同じものを作っていると栄養素が偏っちゃうんで、じゃあまた他のものも入れたりしてバランスをとっていくということで、ある種の土壌は生態系になるし、
まさにOSって特定のことしかしないというよりも、中での生態系というかバランスがあるんじゃないかなと思ったりしました。
という意味では、一つの言葉とか一つの概念で説明できるのは限定的だと思っていまして、それを解釈する側は、今回話を聞いたりしたら、
土台とかそういうのは、塊がポンと一つあって、どこからかインスタントにできるというものでは全くなく、
自分で自ら土をこねて固めて焼いてどうかな、ぐらいのレベルでは、もしくはその土自体がいろいろ混じっている状態というのが自然じゃないかなというふうに僕は感じているというところで、そこだけお伝えできればいいかなと。
土壌の開発と適切な戦略
でもこのラジオを聞いている方は思うかもしれませんが、簡単にうまくいくことはないですし、その中の概念、ノウハウみたいなものもいいんですが、
聞いてすぐできないし、それをさらに分解して解釈するというところで、いろんな観点や見方で揉むというか、解釈して本当だろうか、この人なんかそうやって言っているけど、どんな土台とかあるのとかね、
単に運なんじゃないとかね、いろいろ言っていただいていいんですけど、僕としてはそういうふうに社会とか自分とかを見ているという話になります。
状況によりますよね。いろんな状況によるんですが、状況によって適切な土壌を開発とか、今はアプリケーションをいっぱい作るとか、もしくはアプリを1個2個に絞ってジャンルに絞るとか、
もしくはその使ってもらうために動くとか、もしくは土壌OSの部分を作っていくとか、いろんなやり方があるんじゃないかなというふうに思いました。
長くなりましたが、今回は以上となります。祝福利ラジオ大橋でした。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。以上失礼いたします。