リソースというか時間とかお金とか、なんでもいいんですけど、特にお金よりも時間ですよね。個人においては時間が集中できてないんで、分散してしまっていますよね。
植物で言えば、膨大な種類のキュウリとか、白菜とか大根とか野菜を育てるときに、たくさんの栽培面積が広ければ歩いて回れるようなものでなかったり、
それとも、たくさんの品種というか、たくさんのものをやっていると管理できないじゃないですか。であれば、本当に育てたい大根を育てられず、枯れてしまうということがあります。
そういうことで、管理ちゃんとできているか、見えているのかということですね。散らかってしまってまとまらないというよりも、管理できていないみたいなときに、一つに集中しなさいとか言ったりしますよね。
これもその人の状況によって変わると思います。もう一個ここで気になるというか、補足すると、10個あって1個これに決めてくださいと言ってやるというのって、できますかという話と、もっと分かりやすく言うと、2つあって3つあって、そのうちのどれかを選ぶというのは、何かできるのかどうかという話なんですよね。
ここでさっきというか思ったのが、例えば分かりやすく2つとしましょう。AかBかみたいなときに、AとBみたいなところで、もしくは第3のCみたいなので、ベンズと言いますか集合図、数学か、AとAの円とBの円がありまして、そのAとBの円が重なるみたいなイメージがもしかしたらリスナーのあなたもあるかもしれません。
もしくは、重なってないので重ねていったほうがいいとか、いわゆるキャリアの話とかだとウィルキャンマストみたいなのがあるし、ウィルキャンマストというのは何かしようとしたり、何かやらなきゃいけないとか、やれる、できることを重ねていくのがいいと言うんだけど、これは結構僕どうなんだろうなって結構思ったりするんで、あんまり好きではなかったりするんですね。好みの話だと思います。
で、この3つでもいいんですよ。何でもいいんですよ。生きがいの4つ、生きがい図ってのもあるんですけど、4つでもいいんですけど、そういうのは何でもよくて、ここで言いたいのは、2つあったときに、それってそんな並列にあります?って話なんですよ。
こういった2次元でまとめるフレームワーク的なものの罠っていうのは、整理された気がするんですけど、その時はね。そんな整理されてなかったりするような気がしてて、じゃあAとBってそもそもやりたさが違ってたり、そんな均等ではなかったりしません?
だから円の大きさがまず違ってるんだけど、同じ円にしちゃうと同じぐらいやりたいと思っちゃうけど、どうなの?みたいなね。こういう突っ込みができるわけですよ。だから人間というか、僕もそうですし、やりたいと言ってるが、そこまで本当にやりたいのかって言われたときに、なんかその貫いてできるってぐらいのやりたいってそんなにないと思うんですよ。ほとんどない。
あったらいいぐらいの話で、あったらいいというか、あったら珍しいんじゃないかぐらいだと思ってます。それぐらい人生の中において、そのなんかキラッと光るものってそんなないんじゃないかなって。だからそれは、それが見つけたいっていう人もしかしているかもしれないんですけど、なんかそれって簡単に出てくるものじゃなく、いろいろやってて、それこそここが本題なんですが、
その試行錯誤の中で出てきたエッセンスみたいなもの。例えば3年ぐらい仕事やっててこんなことかな?みたいなことをポツッと言える。3年も適当にやってたらダメなんでしょうけど、得るものがあった。それを得た。それ3年で1個ですかね。3年やって1個。じゃあ次の3年3年で10年ぐらいやって9年ですけど、3つぐらい得られてそうじゃないですか。
バラバラがもしくは重なりがあるとすると、下手したら10年でそのコアなエッセンスって1個ぐらいしかないんですよね。コアなエッセンス?まあいいや。コアなものって得られないと思うんです。
そうやって言うと成長って遅いよねって思われるかもしれないんですけど、もちろん早く成長する人もいるでしょうし、それは人によって違いますから何とも言えないです。だから他社と比較すると、スロースターターの人はなんでみんな早く上がってくるんだと思ったりするかもしれないし、逆もありますよね。早くやってる人はなんでそんなみんな遅いの?みたいな。
この辺りが面白くて、どこの時点で評価するか。だから他社比較している時点でもはや、自分のペースを保てていないというのがあるわけです。ここが難しいですよね。社会生活を営む以上、他社との出会いがある。社会との出会いがあるからそこを見ずにいることはできないけれども、とはいえそれと比較しすぎても周りと同じになるだけで自分というのが消えていく。
自分というのを保てないとストレスになったり、もしくは低度になるので、これはもう正解はないし、僕も持っているわけではないのでバランスですよねというところになっちゃう。バランスは5対50%50%というきっちりピッチリしたもんじゃないですね。
下手したら1%99%が取れているかもしれないし、そこはもう50に、それが動くわけです。
今回はポイントとして、いろいろやるというときの、いろいろやっていくもしくは一つに集中するというところの曖昧さがある中で、多分これなんじゃないかという仮説として、OSアプリケーションモデル。
要はコンピューターだったら、WindowsだったらWindows OSというのがあって、その上にWindowsアプリというのがある。
iPhoneのものであれば、iPhoneはiOSですね。MacのApple社のOSがあって、その上にアプリケーションということで、スマホ上の各アプリがある。
このアプリの概念も今後AIが出てきたりすると変わってくると思いますが、基本的にはOSがあってその上にアプリケーションというのがある。
OSというのはその土台ですよね。オペレーションシステムがありますが、その土台というものがまずあって、それは型といってもいいかもしれないし、基礎といってもいいかもしれないし、
何でもいいんですけど、コア、軸といってもいいし、何でもいいんですけど、より抽象度が高いものというイメージですね。
そうすると、そのOSに乗ってくるものはだいたい決まってくるんで、今度は土台というか型がさらに磨かれるという感じですね。
今度さらに土台が固まってくると、その上にできるアプリケーション、やれることっていうのも固まってくるんで、
おのずと、状況によるんですが、初期フェーズであれば土台があまり固まってないと、いろいろやって散らかるんですよね、多分ね。
でもそれがおのずと、3年に1個っていうのは、これは適当に言ってますけど、土台が固まっていって、徐々に固まっていって、家ができていく基礎みたいな感じでできていくと、
上に部屋ができて、内装ができて、みたいになっていくと思うんですけど、それが細かい具体的な話じゃないですか。
っていうのができていく流れで、今度はいろいろやるときに、いろいろやっていくと、その土台ができていったら、今度はその土台にふさわしいアプリケーションとかやることができていくって感じですね。
1つに集中みたいなときの1つっていうのが概念としては、多分OSとか軸とか土台ってことだと思ってまして、この土台って1個しか受け入れない、アプリケーション1個しか受け入れないわけじゃなくて、
10個でも極端に言えば100個でも受け入れられる、もしくは起動できると思うんです。管理できるかどうかっていうことでいくと、10個ぐらいかもしれないです。
具体的に例えばプロジェクトとか活動みたいなものってそれぐらいかもしれないです。
でもさっきお話ししましたけど、僕がいろいろやっているとか、なんかあるわけじゃないですか。いろいろやっている、活動やっているみたいな。
それは実は別に種も仕掛けもなく、単にOSとか土台っていうのが、このアイディを形にするとか、ご機嫌社会作るとか言ってたりするんですけど、
ここでも言ってるかわかりませんが、このラジオでもなんか伝わったらいいぐらいのテンションでやってて、聞いた人がなんかちょっと良かったねぐらいで思えれば大成功ってことなんですが、
そういうのをやるためにやってるんで、ポッドキャストをやりたいって感じでやってないんですよね。ここすごく重要で、つまりアプリケーションというか具体的なもので見えるのは、
この四国レイラジオってものが見えてるかもしれませんが、その水面下、水面下って言ってるのはリスナーのあなたには見えないはずなんですね。
見えないけど何か感じる何かがあるかもしれませんが、土台とか型とかコアとか軸とか、表現は何でもいいんですけどOSでもいいんですが、それがあってやってます。
じゃあ大橋さんと、あなたはそのOSがいつ作られて、それが最初からあったんですかって言われるわけですよ。
リスナーのあなたも思ったかもしれませんが、思ってない人もいるかもしれませんけど、それに答えると最初からあるわけないですよ。
あるわけないんで、それこそ社会人から言ったら、プログラマーで会社員やって3年、4年か、4年も経ってないですね。3.5、3.9かな、3年9ヶ月ぐらいでやったんですけど、
それで会社員ってこういうものなんだなーっていう型、でもその型は会社員って言っても偏ってると思います。偏ってるんですがもうしょうがないじゃないですか。
そこで得たものっていうのを、友人と起業してとかやって、みたいなことをやっていった。僕のキャリアというのは、
わたちというか、遍歴はそうなんですが、その通りで、その時に毎回学んだり得たことがあったはずだし、だからアイディアを形にするって言った時に、
これは僕の中ではプログラミングっていうのもアイディアを形にするし、文章を書くのもアイディアを形にするし、
チラシ作るイベント、企画するのもそうだし、授業のことを考えるとかお客さんにアイディアを出すとかも全部そのアイディアを形にするのを連続であり、そこは変わってないんです。
つまりカルピスの秋本康さんという人が言われてるんですが、カルピスの元、カルピスを作るのが企画の骨子で、
それでカルピスウォーターのカルピス操作とかっていうのが、具体的なものはアプリケーションに近いですよね。
元の方を作るのが企画術でありアイディア出しのところの、うどん屋にとっての出しとか、
蕎麦屋さんにとっての出しというかね、蕎麦うちの方もやらなきゃいけないですけど、その細かいことを置いておいて、
最もコアなもの何ですか?って時に、そこなんですよね。 よってたまにアイディアそんなに出していて、別に損というか出し惜しみしないというか、
何ですか?みたいな方が言われるかもしれませんが、出し惜しんでるということはなく、単にOSというか土台があるので、
そこから出てくるものに対してアプリケーションという形で出しているだけなんですよね。
逆に言えば、アプリとして出している行動は、自分の中でも直感的にやっている部分はもちろんあるんですが、
実験的なものも戻していったら、実はアイディアを形にすると言えるかもしれないし、そうじゃなかったら今度は土台が拡張されますよね。
土台が広げて広がると。土台がガッシリしていればガッシリするほど、いかようにもなるというか、アプリというか具体的なことをやっても、
ブレないというのはちょっとおかしいんですけど、ぐらつかない感じがしますよね、土台があると。
というわけで、ちょっと長くなりましたけど、いろいろやって散らかってしまうという方がいたら、
リザラのあなたがいたら、たぶん土台とかOSの部分があまりないか、細いとブレますよね、乗せれない。
ジェンガみたいなもので土台なかったら、ジェンガ積み木?わかりませんけど、不安定じゃないですか、土台が細かったら。
土台を太くしましょう、広くしましょうとですね。土台を広くするにはやっぱりいろんなことをやらなきゃいけなくて、いろんなことをやっていって固まっていったり、
広そうに見えて実はやわいとかもありますから、そこはもう本当によしなりと言いますか、いろんなことをやっていって固めていくしかないかなというのはもう本当に正直なところというか、
嘘を言ってないですけど、そんなもんなんですよ。だから最初から土台があったわけでもないし、やっていって見えてきたというだけなんですよ。
もう何も面白くないと思いますけど、そんなもんです。できていったから、じゃあそうかなって、本当にアイデアを形にしたいのかなって僕は疑うので、
そんなことを言ってるだけで綺麗なビジョンみたいに聞こえるじゃないですか、初めて聞く方。そうなのって思うんで、自分を疑いながらやっていくと細かいアプリ活動とかプロジェクトになるとなっていくわけですけど、
それをやっても土台とリンクしてないとあんまり面白くないし、もしそれが何か違うなと思ったら土台と照らし合わせて、このOS上ではアプリケーションが動かないってなるし、
さすがに土台がしっかりしていくと、そんなめちゃくちゃ全然違う面白くないことをやることはなくなってくると思うんですよ。
これは若干話がずれるんですが、何か続けられる人っていうのはその細かい具体的なことをあまり意識してなくて、もしくは
他から見ると特定のことを一生懸命やっているように見えるかもしれませんが、それもあると思います。ルーティンとして分かりやすいことをやる。
僕だったらアイデア出してやるとか、書いていくとかアウトプットするとかはあるんですけど、それだけで別に生きているというか、その行為だけやってたらいいわけじゃないじゃないですか。
土台とかそこから関連する学びとか、そこから仕事になるとか、仕事にならないとか、もしくは自分のストレス解消とか、自分の自己表現とか、人との繋がりをつくる関係性をつくるとか、いろいろ意味があるわけですね。
それを象徴的な、いわゆる記号というふうに言いますが、ものとして捉えることもできるわけです。
だから少なくとも、他の人から見ているときにその具体的な行動とか行為を見て、それを真似してもいいんでしょうけど、真似してもあまり意味なくて、その根っこにあるOSをコピーする、もしくは学ばないと、
それは本当にいわゆる模倣わざだけの真似になってしまうような気がします。
継続するということができるということは、そのOSが整っていたり、もしくはある程度固まっているから、そこからアウトプット、細かい具体的な活動やプロジェクトや、いわゆるここではアプリケーションというものができるのかなというふうに強く感じました。
なので、いろんなことといったときに、その一つ一つのことが対等にどのレベルであるのか、それがOSレベルであることは多分ないと思っていて、OSが複数あってもいいし、そのOSの中にいろいろ入れてもいいんですけど、少なくとも概念としてはOSは一つあります。ここではですね。
相対的にアプリは複数ある。OSの上に、一つのOSの上に一つのアプリしかないということは多分ないと思っていまして、複数アプリという感じで一体Nという関係があるかなと思います。