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2026-03-10 33:33

自分の身を助けるものは大事にしていこう

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はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いいたします。このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事作りに関して話をしていく番組となっています。
よろしくお願いします。今回、自分の身を助けるタスクと、タスクとか助けるで何でもいいんですが、助けるのは、僕にとっては書くことかもしれない。話すは意外にそうではないかもしれない。
助けるといったらちょっと分かりませんが、感覚の問題ですね。自分が重視しているものにこういうものってひも付きやすいので、人にとっては別にという評価があろうが、自分にとって重要だというものを大事にされた方がいいんじゃないか。もしくは、僕にとってはそうかもなということを最近感じています。
これはちょっと長くなりますが、注意点というのは、例えば僕が書くことを重視しているわけですよ。明らかに。ってなると、書けない人の評価が低くなるという傾向があります。これってしょうがないですよね。って思いません?
ちょっと違いますけど、プログラミングできる人はプログラミングの力がありますから、プログラミングを書けない人に対して評価が低いと。もちろん評価ってなんぞやってことになるんですけど、もちろんそんなことはないよってリスナーのあなたももしかしたらおっしゃるかもしれないんだけど。
健在的に全然ダメですねっていうふうに言うんではなくて、潜在的に無意識でそう処理してしまいがち。もうちょっと違う言い方をすると、話すか書くかという2つに分けたときに、例えばコミュニケーションが取れるということを評価軸にしている人がいて、その人が評価者、マネージャーとか。
評価を下す側ですね。仮にそういう会社の、すごい小さい話になりますが、会社の務めで組織のマネージメントする側に立ったら、この部下は話してコミュニケーションしないからダメだねっていうふうに思いがちなんですよね。
これを聞いている方がマネージメントをやられている方がどれくらいいるかわかりませんが、そういう立場の方、評価する立場の人、会社だけじゃないと思いますけど、そういう評価をする人の立場の持ち味とか得意技をやれると、この人は優れてるなって思いがちなんですよ。
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でも、そこで本当に評価ができる人というのは、この人は話して何かやるんじゃない、持ち味を書く方だよね。だから話すのがあんまうまくないけども、書くってことでやってるからいいよねっていうのが、本来あるべき評価ですね。
マネージメントというかと思いますが、この話がどこまで通じるかによりますよね。それがなんかちゃんちゃらおかしいのみたいなので、ちゃんちゃらおかしい度が高ければちょっとねって思うし、そういうのが当たり前ですよね。
おかしさみたいな職場とかね、組織にいたらラッキーと言ったら怒られますが、良い場所、良い環境なんじゃないでしょうか。話を戻して、今回は自分の身を助けるみたいなものは、僕にとっての話なんでやや自分語りになりますが、リスナーにとって自分を助けるものって何でしょうね、という話を少し考えるきっかけにしていただいたらいいかもしれません。
調子が良い人も悪い人もぜひ聞いてみてください。今回もどうぞよろしくお願いいたします。はい、四国理ラジオ大橋です。よろしくお願いいたします。今回ですね、書くということが僕自身を助けてきたと。大げさですね、話が。
持ってるんじゃないかと思うかもしれませんが、持ってます。はっきり持ってると。ただ、持ってるとはいえ、僕のことを知ってたり話したことがある人からすると、わかんないです。このボードキャストに滲み出てる何かがあるとすれば、持ってないと思うんですよね。持ってるとはいえね。そんな話をしていきたいと思います。
まず書くっていうことでの可能性を僕なりに感じたのは実は割と小学生の頃でして、お世話になった担任の方がいらっしゃって。
学級日誌だったかな。学級日誌だったかな。学級ノートみたいな。確か小学校4年か5年か6年か。5年かな。5、6年でも書いていた気がします。小学生の話ですね。
これはですね、学級要は担任ですよね。担任の先生、要はクラスの担任の先生次第であるかないかがあって、そのうちのクラスというのはあったわけですね。これを嫌がる人もいましたよね。
だけど僕は、1ページいくつ?A4じゃないですよね。今B5ですよね。B5のノートに何マスでしょうあれは。15とか20マス?で、10、20。その400もないですよね。ちょっと多すぎですね。
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わかんないです。覚えてないです。だけど日産業は大きな文字で書けたみたいな感じですか。それが原点みたいなイメージがあります。もっと前から書いてたかもしれないですけど。
それでですね、感じた視点をもう結構書いてたんですよね。この辺りから僕は別に喋るんですけど、友達と話すんですけど、目立ちたい人ではないっていう。伝わります?
僕自身目立とうと思って何か言ってないですからね。間違っていただかないと。間違っていただいて理解していただくとちょっと違うんですけど、まあいいでしょう。人の評価は置いておいて。
それでですね、書くこととか結構好きだったんですよ。それで先生との対話みたいなのが始まって、赤ペンで伝作してくれて大変だと思いますけどね。今もそういうやり方されているのかもしれませんしね。今の学校の先生ですね。
それでですね、書いて伝えるってことが僕の中では割と早い段階で楽になってました。別に国語が得意ということもないんですけど、書いて伝えるっていいなみたいなのはそのままいきますね。中学校もそうですし。
だから別に小説とか文芸みたいなやつがあるとかそれはなかったですけどね。書くっていうのは良かったなっていうところがありました。それでですね、小学校の時の自己評価みたいなのが変わったような気がします。
つまりそこでですね、違和感の話っていうのがガードレールの話ってことであったんですけど、道路のミラーですね。交差点にあるミラーってありますよね。車が、特に車が歩行者を見やすいようにする。歩行者もそれを見れば車が来ることがわかる。
いわゆる学校の近くの通学路にミラーが置いてあって、そのミラーの話を書いたのを覚えてます。多分間違ってないはず。記憶の解除なんかできますから。ファッと聞いといていただけばいいんですけど。
内容としては、小学校5年生とか6年生で、鏡って当たり前なんですけど、見えるってことは、こちらからミラーを通して相手が見える。もしくは車が見えるってことは相手からも見えるんですよね。っていうようなことを書いてあげてます。
そうなんだみたいな。もちろん相手がそのミラーで見ているということに気づかなければわかんないですよ。っていう話。それぐらいです。
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そういうようなことをいろいろ気づいたことを書いてたんですよ。だから、ある種今ポッドキャットで喋っているというようなことは、気づいたことを話してるんですけど、それを小学校の時に日記日誌で学業の一環というんですか。よくわかんないですけど。やってたって感じですかね。変わらないです。
自己評価が変わったというのはどういうことかというと、シンプルに自分が評価されているんだなということを受けました。評価されているというのは、自分の見つける感覚や気づいたことを話してもいいと。
その先生は今でも覚えているんですが、このポッドキャットの話かもしれませんが、教室ですよね。要は学校の学級教室が小学生にとっては主な、学校に通っていたらですけど、主な活動の基盤になるわけじゃないですか。
勉強するとか、遊ぶとか、友達と話すとか。そこで失敗すると間違えるということは良いよと言ってくれた方でしたね。これは素晴らしいのと今でも思います。
だから間違ってしまうことを、もちろん間違えたから間違えないようにしようというのは大事なんだけど、間違えますし、間違えずに覚えることはできないですよね。
間違えて僕はなんぼとすら思うので、間違えないということはやっていないということになりますから、そこは今でも意識していたりします。
だからどんどん間違えましょうと言えるし、正解がない中であれば全部間違いですから、ということはすなわち正解がないというルールの条件の下、間違えているということがすなわち一つのKPIというか指標になり得るので、
それをどれだけ出せるかという考え方になっていくかなと思います。それがまさに至極理的だなと思ったりしています。
そのまま中学校ぐらいの時にプログラミングが面白いなと思ったりして、高校の時に高校1年生で親にPCを買ってもらって、それがPC98S、懐かしいですよね、キャンビーというのを買ってもらいましたね。
そこからインターネットです。その時はちょうど95年、96年とかそんな時代で、そのままWindows95に入っていってインターネットざんまになっていくという話になりますね。その以降の話はインターネット老人化になっていくので、それは置いておいて。
書くことというところでは、その話がメインなので、小学校の時がありました。自己評価が変わったというのは、書くとか視点を見ていくということが大事なんだなということになっていくかなと思います。書くという意味ではこれは最低限だと思います。
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プログラミングでコードを書くことに自己表現だなと思っている方がどれくらいいらっしゃるかわからないので、これは僕の勝手な解釈なんですけど、多分あんまりいらっしゃらないんじゃないかなと思います。もちろんそういう方もいらっしゃるかもしれないんだけど、なんか違うじゃないですか。プログラムを作る身での命令であるからちょっと違ってきますよね。
時代が進み、大学の試験ですね。前期試験みたいなのは確か落ちてて、後期で、僕は老人してるんで1年ぐらい、会塾って今もありますね。予備校に通ってたんですけど、半分ダメかなと思いながら諦めかけてて、小論文っていうテストがありますが、
それでなんとか通ったというのがありました。まさか受かるとは思わなかったですね。小論文というのはご存じない方いらっしゃるかもしれませんが、今もありますが大学での論文というよりも意見を述べるってやつですね。
僕の時何かが書かれてたかちょっと覚えてないんですけど、たぶん電車のマナーみたいな話で、シルバーシートですね。今言わないですよね、シルバーシートって。言います?ちょっと古いですよね。優先席って言いますよね。
で、それが空いてたら座るかどうかみたいな、そんな話だと思います。で、その小論文っていうのを書くには、これ当たり前なんですけどネタがないと書けないです。ネタっていうのはどこかから引っ張ってくるっていうのを暗記するんじゃなくて、自分で考え方や意見っていうのを解釈しておかないといけない。
つまりそれはニュースを見るでもいいし、その時予備校で勧められたのがその心象だと思います。岩波心象とか中高心象とかね。小さい。小さいって言っても値段が全然最近可愛くない。1000円ぐらいするようになっちゃったんで、ちょっと買いづらいですよね。学生さん買いづらいと思いますけど。
その知見ですね。研究者が書いたような、研究者が書いたようなというか、研究者が書いてますが、ものがわかりやすくまとめて一般の人にも読めるようなものにまとめているので、そういうのを勧めされた気がします。予備校の先生。で、そういうのを読みながら、考えながらっていうことを繰り返してトレーニングしていったっていうのが、こうそうしたと言っていいんじゃないでしょうか。
だから書いて、いわゆる書いて成功したよっていう感覚があったっていうところですね。で、ここでは端折りましたけど、高校生の時にプログラミングをやってて、これはVisual Basicという言語でしたが、今はないのかな。VBNETなのかな。
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で、その雑誌で収録ですね。今はもうないですけど、CD-ROMとかがあって、インターネット回線がすごく遅かったんで、そのCDに雑誌にいっぱいファイルをつけて配布する、もしくは買うというのが割と普通だったんですよね。今でいう何になるんだろうあれは。AIじゃないですけど、アプリストアみたいなもんですよね。いっぱいありましたね。
ちなみにその頃はベクターというのがありまして、ベクター今はありますけどどうなんでしょうね。ちょっとわかんないです。
というので、そういうプログラミングを書いてソフトを作ると評価されるみたいなのを体験したわけですよね。別にそれが特段すごいというわけでもないと思いますし、もっとすごい方もいれば、それもすごいねっていう方もいらっしゃると思います。
で、社会人になって、この話したかもしれませんが、新卒1年目でプログラマーですが開発するだけじゃなくて、いわゆる会議に出席してゲージ録を取るようなことももちろんやってたんですよね。
で、これ似てるなと思ったらまたその小学生の話と似てくるんですけど、チューターみたいな、要は1校目とか2校目の先輩がついて、指導役みたいな教育係みたいなのを任せられたわけですね。
任せられたらおかしいな。先輩がつく、僕についたと。で、日報みたいなのを書いてねってなってて、書いたんです。日報は結構書いてて、別に長さはどこまでもないのかなと思ったんですけど、なんか1週間ぐらい書いたらもう、
おわし君はいいですとかなって、え、いいんですかってなって、なんかわかんないです。その評価システムがわからなかったんですけど、いいっていうのはポジティブな意味で、この人は可愛い、考えられるし書けるからっていうね。
はいすいません。で、この人は書けるから、おばさんはおわし君か、書けるからまあいいよねっていうようなものだとポジティブに捉えています。なぜなら、別の同期がなんか結構書いてて、3ヶ月とか多分半年は書いてて、そんな書くんだ。だからこれは別に僕が優れてるかどうかというよりも、教育の仕方というかね、
上長とか、教育所属する上司とか、教育係の判断なんでしょうけど、そんな書くんだみたいなのは正直思いましたね、同期見てて。で、そういうので、あれ、なんかそんな感じなんだなみたいな。別に知らないですからね、他の人がどういうふうに書いてるかわかんない。見てないしね。
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で、象徴的なのが、それはジャブだとして、象徴的なのが結構長い会議があって、あれ何日あったの?3日間くらいプロジェクトとかいろんなこと話してて、正直半分くらい何言ってんか、先輩とか上司が何言ってんかわからなかったんですけど、自分なりにしょうがないですよね、書けないから推測として書いたり書いていったら、それがですね、長いわけですよ。
1日ずっと会議やってるとかもあって、それを書いてたんですけど、PCでもちろん書いてたんですけど、それが、AIもない時代ですよ、当然。それだけ一応言っておきますけど、AIないです。AIのA文字もないですよね。
で、3日とか結構長い時間やって、それを書き起こしたら、結構数十ページ、10ページとか束になって、もちろんそれはこれは違うとかって直されたんですけど、直続の上司に対策だと褒められて、そうなんだなっていうふうに思いました。
だから自分にとって書く感覚っていうのは割と普通にあったっていうことがわかると思います。別に自慢じゃないですよ。僕自身の感覚は別に書けるぞとか、文章で何かやっていくぞと言うのはほとんどないわけですよ。
ほとんどないというか、やろうとすると外すとかないですか?意識するとダメみたいなのないですか?わかります?意気込んでこれをやるぞって宣言したりなんかやると外すってないですか?力んじゃうんでしょうね。
例えば野球じゃないですけど、ボールを持って相手のキャッチャーミットみたいなところを狙おうとすると、そこを狙おうという意識が入るから緊張が走り、どこか筋肉だったり、いつもだったら入るのが動かない。
いつもだったらできるのに、お披露目してくださいっていうふうに言われると、なんかうまくいかないじゃないですか。それですよね。
別にお披露目はしなくてもいいんですけど、なんかずれるなっていうのがあって、その時は別に自分の書く力がないわけです。必死でこういうことかな、ああいうことかなってことを書いていったっていうところでしたね。
それ以降あんまり議事録書いてないような気がしますけど、1年目では書いたんで、新人というか入ってきたらその子が書いていったような流れですけど、そういうのはありましたよね。
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なんか評価が変わるみたいなのを、割とですね、僕自身の、これは別にキャリアというよりも、生きていく中で書いたら変わるみたいなのがあるんですよ。
すいませんね、ちょっと曖昧な話かつ主観で、僕のね、Nイコール1の話でも恐縮なんですけど、すいませんね、これ僕のラジオなんで。
すいません、つまらなかったら消してください。
もうすぐ終わります。
そうやってですね、何が言いたいかというと、自分にとって自分を助けてくれたなとか、これで一芸とは言いませんけど、英語書けって言われたら別に英語喋るわけじゃないから、
I have a penとか言ったくらいですけど、なんか自分で日本語を書いて伝えられるぞとか、もしくは人の文章のところでこういう部分がおかしいんじゃないかみたいな指摘とか、
それが少しはってやつですね、少しはできるかもしれないな、もしくはいいんじゃないっていう。
もちろんですよ、ライターの人とかね、プロの物書きの人とか小説家の人がもし聞いている可能性もありますし、研究者だったら論文ばんばん書いてますから、そういう人たちからするとプロですが、
仕事としての文章と自分が書きたいことを書くのは全く違いますからね、それはじゅうじゅう承知の助けでいきましょうと。
それはあります。プログラミングでもよくわかります。自分の作りたいプログラムを作るのではなく、顧客、クライアントが作るものを作ってくださいということに対してコミットですよね。
それにOKです、やりましょうというふうに思えて、その人に役立てるのがいいなと思う人は多分そういう仕事をやられた方がいいと思います。
これはもう原理原則かなと思いますけど、どうでしょうかと。
で、僕の感覚として自分の身を助けるのが文章を書くと、文章にするというのがあったんですね。
あったんですねって言っている謎の間は、
そうやって自分が書いたことで変わるというのがあったよなって思い出しながら気づいたというか、
そんなことが振り返るきっかけがあったというぐらいにしておきますが、そういう経験を思い起こしたり、書いたら変わるよねみたいなのがちょっとあったというのがありました。
それで思い出したわけですけど、これ大事だなと改めて思いました。
リスナーのあたりにとって、こういった別に書くだけじゃなくていいんですか。話すとか、絵にでもいいし写真でもいいし、示し方、コミュニケーションにおいて何か変わったっていう時ありません?
特に僕は、これは僕だけかもしれないし、似てる体験をしている人もいるかもしれないんですが、
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そんな話はしないんですけど、コミュニケーションをとって、この人の態度というか姿勢が変わったとかないですか。
急に慣れ慣れしい人もいますよね。なんか初対面でちょっと話したのに、ようみたいな。
そういう人もいるよなとか、でもその人はそういう感覚なんだなっていう人もいれば、だからそれだからダメってわけじゃないと。
結構固くて、あんまり溶け込んでくれない、距離とっているから、これは僕のことあんまり好きじゃないとか、そういうのはあるかもしれないですよね。
好き嫌いじゃないよねっていう、そういう感じの人もいますよね。その交互で表さない人もいますよね。
めちゃくちゃそういうパターンがあるんだけど、ポケモンのメタモンってご存知の方いらっしゃるかわかりませんが、
スライムみたいなグニャンあってした腰抜けるスケなんですけど、そのメタモンじゃないけど、ちょっと溶ける感じになってくるのがあるんですよ。
めちゃくちゃごめんなさい、これ主観です。つまり、金属のように固い、コップ巻きカップの、今金属を飲んでますけど、
そういう固いものじゃなく、粘土みたいなものではないんだけど、何がいいんだろうな。チョコレートとか、溶かすってないけど、溶けてく感じってあるじゃないですか。
氷が溶けるとか。そういう溶けたなっていうのって大事だなと思います。
伝わりますかね、この感じ。その溶けが見えたら、この人とは仲良くなれっていう感覚はあんまないんですけど、僕の中には。
一般的にはそれは仲良くなるっていう風に言うらしいみたいな。ちょっとめんどくさいですけど、言い方がね。
でも僕にとってはそういう感じですね。ちょっと溶けてったなっていう感じ。余裕があればちょっと冗談も可能ですが、ちょっと危ないですよね。
リスクが止まらない、冗談。どの距離でどの程度の打つかは、かなりやらないといけないんで、
ちょっとそこの、適切かわからないんですけど、子供の頃にジャンプしたいみたいなのあったんですか。走れ幅度みたいなやつで、
川とか、ここからここまで飛べるとか、砂場とかでもいいんですけど、ジャンプしてその線から越えたら勝ちとか、やりませんでした。
それを見誤るんですよね。見積もりで誤ると、全然飛べなかったりとか、飛びすぎちゃうとかあるじゃないですか。
社会人とか大人になっていくと、多分その距離感の話になってきて、多分飛びすぎてもダメだし、止まらなさすぎてもダメなんですよね。
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何の話かわかんなくなってきましたけど、だからその適切なところに飛ばすには、何回も会話したり何回も練習しておかないとできないですね。
だから別にその人との会話をイメトレして練習してみたいな話じゃないですよ。
だけどいきなりそんな、ぶっぱなしてできるようなものではないなっていうふうには思いました。話戻しましょう。
なんで今回お伝えしたかったのは、自分を僕自身を助けたのは書くことだったんじゃないかっていう仮説です。
だから書くこと自体が僕が嫌いになったことは実はないですね。
学生時代学時代の時も就活で就活ブログというのが流行ったところなんですが、別にだからなんだよっていうことになりますが。
そういうふうに何でもいいから書き続ける。何かブログも書いてもいいから書き続ける。
今は別にワードプレスで書いてますけど、何か書き続ける。
ノートも書いてますけど、何か書き続けてやり続けるっていうことが。
それやったらね、一応批判しておきますけど、すぐ何か稼げる儲かるみたいなことを言う人いますけど。
たぶんそんなことを考えている人はあんまりいないんじゃないかなと僕は思っています。
つまりそういう、稼げるぞ、儲けるぞみたいな人たちの声が大きすぎて、そういうふうになっているだけじゃないかなと思います。
っていうことを言っている人がどれくらいいるかわかりませんけど、知らんからってことで、僕は僕なりにやっていったらいいんじゃないかなと思います。
その武器というか道具というかわかりませんが、自分が大切にしていることってあれば、別にそれを開示しなくてもいいですからね。
私は文章で助けられてきましたので、別に開示しなくてもいいですよ。
僕はその例として言っているだけだから、これが適切かどうかもわからないです。
だけどご自身にとって大事なことはあるから、それを大事にしていったほうがいいですね。
それが前もちょっと話したと思うんですけど、守護くりということで、自分のそのままやらなくていいぞ。
だからそのままやると短絡的になっちゃう。つまりその刈り取りみたいになるわけです。
キャラクターっていいかどうかわかんないですけど、自分のその、書けるってものをすぐライターにしようとする。
それは一つの作戦としてありです。だけど、面白いですか?って話なんですよ。
ライターの人というかなんか書いてる人に、それ書いてて面白いんですか?って言った時に、たぶん詰まるようではあんまり良くないし、今言っている自分を助けているものでやってないような気がします。
わかります?この感じ。だから、文章を書くのが好きだからライターになる。ライターという仕事をやろう。
編集しよう。出版しよう。っていうのは、やっぱり短絡的だと思います。
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それだけじゃないですよね。っていう話なんです。
それをやるなとは言いませんが、マニュアルというかフォーマットというかテンプレートというかひな形というかなんかわかりませんけど、ロードマップというかわかりませんが、
自分が得意なこと好きなことがあります。書くことが好きです。だから書く仕事をやります。っていうのを否定しているわけじゃないですよ。
だけど、もう一回くどいですけど、書くことが好きだから文章を書くってことで仕事をしなきゃいけないっていう話じゃないですからね。
むしろそれを書くことが好きな人は書けることも仕事にできるんだけど、っていうところですよね。
選択肢の一つ程度なんですよ。むしろ書かない方がいいのかもしれないですね。
つまり、自分がその自分の中で大事にしているものはそのまま保持しつつ、そこから出るアウトプットとして書いていくと。
切り替えってやつですけどね。全然違うアウトプットを出していくっていうのもいいと思います。
だからですね、僕がそうやって話してて思うのは、結局やり方だしその人の考え方なんですよね。
だから教えるのでもいいですけど、教え方のところでその人が書いたまとめがいいから、教えるところに道具的にプラスになってくるってわかります?
書くってことをそのまま生かすとか、自分がやってきたことを、それこそ50代とか僕ぐらいの40代にもそうなんですけど、今までやってきたことを生かしたがるんですよ。
僕もそうです。だけど、生かしたいのはあなたの勝手じゃないですか。僕も書くってことを生かしたのは僕の勝手じゃないですか。
世の中とか社会とか他人というかということに対してアプローチする。
つまり、誰か特定の人に役立ちたいと思うのであれば、あなたが書けるとか喋れるとかどうでもいいわけですよ。
どうでもいいって言ったら怒られるんですけど、どうでもいいっていうふうに置いておいて、その上で書いてほしいとか書いてくれたら助かるみたいな時にやれるかどうかですね。
その時に書けるか、助けられるか、話せられるか。そこじゃないですか。
戦えるっていうのは勝ち負けじゃないし、誰かを蹴落とすっていうことじゃないんだけど、ある種の遊びですよね。
カイオワさんという方がその4つの遊びの原理で言っているようなアゴンですか。競争。さっきちょっと見てたんで早速使ってますけど。
そういう特定のシーンとかあるシーンが出てきた時に、そこであなたの持ち味を使ってみませんかっていうオプションというかメニューから選ぶみたいな。
だからどんなに、たまに言ってますよね、すごいお腹がいっぱいだったらすごい優れたシェフが作ったステーキ肉も食べられないんですよ。空腹じゃないとね。
そういうふうにですね、空腹じゃないと全然美味しくないというような話もありますから、適したものをクライアントや求める人に提供してくるのが重要じゃないかなっていう話になります。
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今回は以上となります。ぜひですね、自分が身を助けるようなものというのを毎日のように考えなくてももちろんいいんですけど、これ自分にとってはいい傾向ではないみたいなのがもしあったら、そういうのを大事にされるのはいいんじゃないかなっていう話になります。
今回は以上となります。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。四国居ラジオ大橋でした。
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