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2025-03-04 24:11

発想が狭いと感じる時は心を動かしてみる

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サマリー

発想が狭いと感じるとき、心を動かすことが重要です。具体的には、体験や感性を通じてアイディアを広げ、柔軟な発想を引き出す方法について考察します。また、好奇心を持ち、自分の視点を広げることで新しいアイディアや楽しみを見つけることができ、これが社会的価値や自己成長に繋がります。

00:08
シゴクリラジオ
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。
狭い発想の認識
今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。今回ですね、テーマとしては、自分の発想が狭い、アイディアが出ないですかね。
もしくは出ても、なんかよくわかんないけど、なんかいけてないみたいな。
そういう時にですね、どうしたらいいかみたいな話をしていければいいかなと思います。
今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオの大橋です。
今回ですね、自分のアイディア、発想ですね、があまりいけてないな、もしくは狭いな、固いなとかですか。
あとは、そもそもアイディアが出ないって感じですかね。
時にどうすればいいか。
よくあるのかなと思いますが、割とアイディアが出せたりできてる人でも悩むというか、どうすればいいのみたいなね。
ことはあるのかなと、そういうふうに思っています。
でですね、この問題というか状況って、面白いというか、結構根深いというかですね、ものがありまして。
要はですね、何か考えて何かやりたいんだけど、自分の発想とかアイディアがチンプというと怒られますが、なんかいけてないよねとか、なんか違うんだけどなっていうことだけはわかる。
っていうことだけはわかるんですよ。
このアイディアが良くないことはわかる。
固い、狭い、であと、偏ってるとか、自分の視点とかばっかりだな。
あとは、なんか、まあ理屈とは言わないですけど、なんで理屈っぽいなというか。
要は固いんですよね。
固い。
なんだけど、そこまではわかる。
そういうふうに固いアイディアを出して。
じゃあ、どうしたらそれを広げられるか。
柔らかいアイディアができる。
なんかよく頭が柔らかい人とか言われますが、そういう人に慣れたり、もしくは自由な発想ですね。
非常に注意しなきゃいけない言葉ですが、自由な発想ですね。
何でしょう。
まあそういうものに憧れがあったり、もしくはそういうのを出したい。
いろいろいろんな方にそういうアイディア出しとかの話を聞いたときに、苦手な方とか得意じゃない人って、本当にこういう感じになっちゃうわけですよ。
今回のように、何人も勘だった。
今回のように、あそこ狭いとかね、アイディアが狭いっていうふうに思っていると。
自覚がまさにあるし、認知している。
それを思わない人は対処しようがないというか、それは別に特に重視してないわけですよね。
要はコンプレックスみたいなものかなと思ってまして、それは弱点というとそのままなんですけど、逆に言うと弱いなと。
心を動かす体験の重要性
自分の発想とかアイディアを出すのが弱いなと。得意じゃないなって思って、別にいいやって言うなら、
今回のように、どうしたらいいとか、何やればいいのってならないじゃないですか。伝わりますか。
例えば僕がサッカーがうまくないんで、サッカーしないですけど、そのときにサッカーがうまくなりたいと思ったこともないですし、
サッカーをそこまでやりたいと思ったことはない。フットサルぐらいはやったことありますけど、思ったことないんですよ。そこまで。
もちろん、選手、自分がプレーをして、フットサルがもっとうまくなりたいなとか、一瞬はありますけど、一瞬で冷めるというか、そういうことってないですか。
一瞬だけ上がるけど、一瞬で冷める。っていうものであれば、このアイディアを出すとか、企画を考える、何か新しいことをやる。
もしくは今の状況を改善していくみたいなことでもいいんですけど、それが一瞬ではダメだと思ってまして、
割と求められる、もしくは考えている状況じゃないと、まずこれは適応されない。
だから話を戻しますと、自分のアイディアが固いな、いけてないな、みたいな思ったときに、一瞬だけ良くしようと思って、何かやっても、多分ダメなんでしょうね。
もともこもないかもしれないですけど、多分ダメというか、そこまでの意欲がないわけですよ。モチベーションっていうやつで。
改善したいと。だからさっきの話で、僕がサッカーそこまで上手くなりたくないんだけど、上手くなる方法を教えますって言われても、ふーんってなりません。
ミスターのあなたであることでぜひ置き換えていただければと思うんですが、そんな感じで、自分のある程度やりたいことじゃないと、狭いのをどうにかしたいってないかなと思ったりします。
こういうふうに自分のアイディアが固いなって思っている人という認知、いわゆる認識ですよね。ということを自覚していて、分かっていても、分かっていてかつ、良くしたい、どうにかしたいという人向けなんですよね、この話ね。
ってなると、結構限定されてくるんじゃないかなと思いながらも、ぜひぜひヒントになればなというところで、ちょっと前置き長くなりましたが、前置きというかほとんど、後、答えというか、答えじゃないです。やり方というか考え方です。
よく言われているかもしれませんが、シンプルでして、心が動くこと、要は感じるですね。理性じゃなく感性みたいなやつですか。体験してみる、見るとか、互換です。目で見る、耳で聞く、口で味わう、匂い、あと触覚で触るもいいですよね。
何かものをですね、スケッチとかいいと思うんですけど、こういう場合、鉛筆とかあるじゃないですか。鉛筆あります?鉛筆ない?ボールペン?シャーペン?分かりません?文具ありますね。筆記具。筆記具なかったらスマホとか、何でもいいですけど。
例えばボールペンを描きたいときに、観察スケッチしたいときに、ボールペンを見ていっただけでダメで、ボールペンを触ったほうがいいんですよ、多分。それ分かります?
ボールペンを触ります。ボールペンってノック式とか、振るやつとかいろいろありますけど、振ってみたり、カチカチやってみたり、ペン回ししたり、手触りとか、音とか、カチカチとか。
それで叩いてみたりとか。伝わりますか?
見たまま描くっていうのって、もちろん視覚情報、目を…何でしたっけ?反撃感じゃないか。もう名前忘れましたけど、すみません。
視覚神経ですか?目で入ったものを焦点じゃないけど、逆?鏡像じゃないけど逆にしてて、それを反転させてるのがよく分からないですけど。
見てるものをそのまま描くって、手がそこまで発達してないので、あまり上手く描けないとかある。
もちろんそれは練習して目で見たものを手で描くっていうことにはもちろんなるんですけど、体験として心が動くみたいなものって、今言ったものだったら思ったことをやってみるってことですよね。
要はスケッチにボールペンを触らなきゃいけないっていうスケッチルールがあったらダメですけど、基本別にいいわけで。
手で触るって言ったじゃないですか。別に足で触ってもいいと思うんですよ。そのあたり伝わります。自分がやってみようみたいなことをやってみる。
アートってそんな感じですよね。じゃあなんでボールペンに何故かふりかけかけてみるとか。
食べ物でやると怒られるから消しゴムの上にボールペン乗せてみるとか、つむきみたいにしてみるとかね。伝わってますか?
要は心が感じたことをやってみましょうってことですね。
これをよく言われる方に言うと、自分がやりたいことをやるとかね。趣味でもいいし、感じてたけど全然できなかったことをやるとかみたいな話になるんですよ。
でもそれを言われてできる人って意外というかあんまりいないと思ってまして、発想が特に硬いと思っている人がいますね。
なぜならそこを封印していたり塞いでいたりするからですね。要は理屈だったり失敗したらどうしよう。失敗っていうのもずっとないんですけどね。
一つの指標とか物差しというのしかなかったりするわけです。
でも今の話で感じてもらったかもしれないですけど、ペンって別に回さなくてもいいわけじゃないですか。
例えば実用性という意味での物差ししかない人はペンは絶対に回せないんですよ。
だって書くときに意味ないじゃないですか。なんで回してるのって。学校の先生怒られるやつですよね。
別にペン回してないんですけど。ペン回していいじゃないですか。
別にすごい音が出るとか、ペン回した風圧で人が飛んでいくとか、怪盗用紙が飛んでいくとか、そういう被害がなければいいんじゃないですか。
そこら辺は状況次第ですが。
話として、具体的な事例のことを言ってるんじゃなくて、視点をずらそうという話ですね。
つまり、実用性という視点しかない人はボールペンは回せないわけですよ。
ここでハマるのが実用性しかないから発想も狭くて、そこから逃れられないってことですね。
ペン回しっていうのが出てきますかって話なんですよ。
ここで出てくるっていう方は多分あんまり困ってないしですね。
出てこないっていう人がいるからどうしようっていう話を今してるんですよね。
ここでもう解決策ってあまりなくてですね、答えもないってことなんですけど、僕は心が動くこと。
実際にその人の立場に立つと、ペン回しっていうのも昔はやってたし、考えてたし、やろうとしたし、やってたってこともあるんですよ。
視点を広げるための方法
だけど今はそれをやらない。やる意味がない。実用的じゃないと。
世の中で評価されるのが、ちょっと話は飛びますけど、市場価値みたいなのがあるわけですね。
要は転職するときに人材業界みたいなのがあって、人材会社があって、こういう業界でこれくらいのキャリア、特に業務経歴ってことですね、この場合ね。
業務経歴で何々、業界で何々したり、どれくらい住んで、どういうポジションで、何やってきて、どういうことやってきたんで、こういうことが言えますと。
データベースみたいなのがあるのかな、みたいな。そういう意味でのマーケット、いわゆる市場価値というのがありまして、そこで転職して、いわゆる年収が決まるみたいな話が出てくるわけですね。
それ何なんですかっていう話です。って思う人は、疑う人は出してるかもしれません。市場価値からね。市場価値というものを、その物差しだけっていう意味じゃなくて、ある物差しがいっぱいある中で一つなのか。
一つしか物差しがなくて市場価値を高めればいいみたいな考え方なのか。全然これ違ってくるわけですね。それが視野の広さとか視点の広さとか柔軟性につながるかなと思っています。視点が複数ある。
モデリングとか3Dとかでちょっと分かりづらいかもしれませんが、1点しかなければ頂点点しか作れませんが、もう1点点があればそれを結ぶと直線になりますよね。ここまでいいですよね。さらにもう1点結ぶと三角形、もしくは正三角形じゃなくてもいいですけど、ぐにゃっとした三角形ができます。
あとこれで結ぶと平面になってます。さらに別の点、もう1個点を結ぶと4点になりまして、これは実は立体的になる。伝わりますか。点の数、頂点の数がまさに物差しなんじゃないのかなって説で、多分これはそこそこいい線いってんじゃないかと思います。
企画っていうのも点線立体みたいな感じで、ある方が言ってて、これはいい説明だなと思ったんですけど、企画書が2Dで面だったら企画をするのは、企画書から実現していく形に企画をする、実際に実行するというのは立体である3Dであるという話をしたんですけど、まさにそうだなと思っているところです。
なので、点を増やす、頂点を増やす、まさに物差しを増やす、視点を増やす、さっきの話では、ペンは実用的で書ければいい、書くものであると思っている人はペンでペン回しをする、ペンで何がいいんだろうな、釘を叩くのはちょっと無理かもしれないですけど、
なんか、カチカチカチカチ音をさせてノック音で音楽を作るとか、できると思いませんよね。ペン回し、あ、ごめんなさい、ペンで書くっていう人しかいない。
じゃあ、なんで大橋さんとそういうアイディアとか発想とか見方ができるんですか?今言っているものも何か仕込んでいるんですか?と言われるかもしれないですが、仕込んでいないです。今出てきたことを言っただけなので、そのままです。
普段そういうことをやっているからっていう、手前味噌を感じるかもしれないですけど、即興でそういうことを出します。もちろんそれも限られた視点とか偏っていたり、もしくは自分の体調とか調子とか気分とか、そういうとき得たものに偏りがあるんですけども、そこも踏まえてどんどんアップデートしていけばいいかなというふうに、僕は生きているので、そんな感じになるかなと思います。
なんでいろんなことができるというか、いろんなことが見えるかというと、自分が面白いと思ったものは心から感じたことだと思います。自分が面白いと思ったこと。釣りが面白いと思ったら釣りをやっていただければいいし、本を読むのが面白いと思ったら本を読む。作者、作家、応用が面白いと思ったらやる。なんでこの言葉が気になるかと思ったら気になったら調べる。
それはすごい些細なことだと思うかもしれない。発想が狭い。あと、実用的じゃないと思う。特に。なんでこの言葉の意味を調べなきゃいけないのみたいな。わかりませんか。
心を動かすことの重要性
要はそういう人に対して言ったら余計なお世話になりますけど、いいじゃないですか。自分が気になっていることを調べた。というマインドセットにもなりますし、同時並行的にそのように自分が気になったことを考える、調べるということをやる。そうすると、型を身につけるというのもちょっと大変ですけど、なんかやってたら興味があればやるんですよ。
全く興味がないものとかやりたくないっていうのは、やや病的な状況もあるから、そういうのを引いた時にあまりありえない状況だと思います。よくあるのはその興味を蓋をしている状況なんで、蓋をしていると本当にないと思うんですけど、蓋って閉じてるだけなんで、蓋は開けられるし、開けちゃダメだみたいなね。
見ちゃダメだとかね。恐怖の箱ではなくて、好奇心の宝箱みたいな感じで開けるとキラキラして楽しいみたいなね。宝ですよ、好奇心ってね。
本当に。それが本当に、先回もぐだり気味で喋ってましたけど、AI時代とか、人が仕事をするってどういうことっていうことが、本当にですね、特にずっと会社員の人とかずっとやってきた人とかが、20年30年くらいやってる人とかが、不安でしょうがないんじゃないかなと思ったりします。本当に。
だから要は、決めてこれやって社会的にいいですよねっていうふうに決めてもらった方が楽っていう人が多いし、多分そっちの方が楽なんですよ。僕が言うのも変ですけど。なんでかというと、考えなくていいし、決められたとおりやればいいだけですよね。
でもですね、そこで問題はですね、決められたことをやるっていう仕事もあるし、それを否定してるわけじゃないんですけど、新しいものを生み出したり何かしないと、やはりですね、社会が良くなるっていうのもちょっと漠然としてるんですけど、そのままになっちゃうんですよね、全てがね。
前例主義っていうのは批判されますが、いいところもあるかもしれないですね。上手くいってることだったらね。でも社会って変わりませんか?全く社会が変わっていかないっていうのもまた怖いわけで、社会が変わらないってことは、そこに属してる人が変わってなかったりするから、これもどうかなと思いますよね。悪い変化もありますけどね。
でもそれも含めて社会っていうのは変化していくものだなーっていうふうに思うので、変わっていくっていうことが大事だし、もしくはそこで新しいアイディアとかチャレンジすることが大事になっていくんじゃないのかなと思っています。
簡単にまとめますと、やっぱり自分の発想とかアイディアが硬いっていうことだけは分かってて、どうしたらいいか分からないときは答えじゃないですよ。僕の意見なんですけども、心が動くことを感じること、いろいろ言いましたけど五感ですね。
見る聞くで、口っていうか食べるなんでもいいですけど、ボールペンのスケッチの話でも例えましたけど、自分の視点っていうのが硬いって分かってるから、もうその理屈ではできないんですよ。そこは諦めてくださいぐらいです。
僕も別に理屈でやってないですから、面白そうで思ったらやってるだけなんです。だから面白そうは、リスナーのあなたでそういう課題を持ってる人だったらあるんです。面白そうは絶対ある。それは全然相談しますよっていう。どうやるか分からないですけど。
で、その時に蓋をしてしまったり、そんなのをペンを回すなんて重要じゃないと思うわけですね。実用的なペンはかければいいんでしょう。でも、何かやってみたくないですか?やってみたらどうだろう?ペン回しは別にしても怒られないです。やってみてください。楽しいですよって。楽しかったら楽しいでいいじゃないですか。まずはそこで自分を褒めてあげてパチパチパチと。
で、次にもっと他のことをやりたくなったらやればいいし、ペン回しは違うかなと思ったら他の視点をまたやってみる。さっきのカチカチ音でもいいし、何がいいんだろうな。いろいろできると思います。
ボールペンを分解し始めて、それを動画で撮影して、ボールペンをいかに早く戻せるか。分解戻しゲームみたいなね。よくわかんないかもしれないですけど、楽しいかもしれないですよね。
たぶんそういうことをやると何があるかというと、心に好奇心の蓋みたいにしてましたけど、蓋をしていたものが開いて、これなんか面白いわって気づくと。そこはもう探索なんで、ボールペンを回したり分解したりカチカチしたら絶対に何か見つかるってことを言ってるわけじゃないです。
リスナーのあなたにとって、そういう行為って何ですかと、心が動くと何かいいなと面白いなと思えることって何ですか。それだけ問いかけてもらって、面白いですかって問いかけて、面白いですって思うことをやってくださいと。
発想の幅を広げる挑戦
誰とも比較する必要はなくて、ボールペンの回しの回数が私の方が多いとか、そこでやめてくださいと。比較するもんじゃないです。
市場価値みたいなものって、市場っていうのは謎の市場って概念がありまして、それでやってて、比較して年収って分かりやすいものがあると思うんで、年収が2倍、3倍の人が偉いかって言ったら偉いわけじゃないじゃないですか。
むしろ逆ですよね。年収が低いような社会的価値っていうエッセンシャルワーカーって言われるようになりましたよね、コロナ禍以降。
そういう人たちの方が社会的価値高いんですよね。でも高いのに低いみたいなことは起きてません。逆なんだろうなと思います。
でも世の中的にはお金がある方がいいみたいな思われるじゃないですか。お金がある方がいいって。
でもお金がある人が幸せになれるかって言うと、別にお金持ってる人に嫉妬とかそういうことじゃなくて、別にそれはお金で買えるから、実は心を失っていく可能性もあるじゃないですか。
だから貧乏であるとかお金が少ない方がいいなっていう話はしてないですよ。それも切り口なんですよね。
年収とかお金とか市場価値みたいなところを一つしか視点がない人が、だとそれだけしか見えないわけですよね。
あとはもう一個だけまとめてますけど、もう一個だけ言うと、その視点っていうのを誰かの視点じゃないことがいいです。
つまり自分がこう思うっていう視点で考えた方が良くて、そのペンがかければいいっていうのもペンがかけたらいいよねって誰かが言ってたからやってたらあんまりなんですよね。
自分がペンってさっきの話でカチカチ音を出してリズムを作れるよねっていうのが価値だったらそれでいいじゃないですか。
その物差しとか視点ってあなたのものだし、それでいいじゃないですか。
あとは社会生活を営むとか市場価値を全否定してるんじゃなくて、資本主義である以上外電を稼がないといけないみたいな縛りがあるんで苦痛だなって思う人もいらっしゃると思うんですけど、
何も縛りもないルールもない何もないっていうのもまた社会として生きづらいかもしれないぐらいのちょっと神目線、神になっちゃった気分で捉えてもらえるといいかもしれないかなと思いました。
今回ヒントになれば幸いです。
今回お伝えしたかったのは心が動くって何ぞやと。
心を動かしてみようというところですね。
心を動かしてみるとスピリチュアルで怪しいって感じがするかもしれませんけど、全くそういうことはなくてですね。
自分が面白いんですかと楽しいんですかと問いかけることぐらいかな。
始めてもらって、面白いなと思えることをいくつやってますかと。
それが多分最初はないかもしれないし1個かもしれないですよね。
でもそれが1個でもできてきたったら全然変わってくるってことだけは僕の経験からも言えるのでやってみてくださいと。
そんな感じになります。
今回は以上となります。
四国居ラジオ大橋でした。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上失礼いたします。
24:11

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