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サマリー
今回の「うちあわせCast」では、気負わずに文章を書く方法について、Tak.さんと倉下さんが議論を深めました。2000字程度の記事が良いという固定観念に囚われず、短い記事や雑な記事も書くことの重要性が語られました。また、村上春樹の全集刊行や、タイプスクリプトで利用できる新しい組版エンジン「ミニタイプ」の公開といったニュースも紹介されました。さらに、ワークフローツール「WorkFlowy」のアップデートによる使い勝手の向上や、生成AIが生成する文章の「人間味のなさ」について考察しました。番組の後半では、文章を書くことへの「構え」をなくし、思いついたことを自由に書き留める「デイリーランダムノート」という概念が提案されました。これは、ブログのネタ帳のように特定の目的を持たず、日々の出来事や思考をそのまま書き留めることで、自然と思考が深まり、記事の種が見つかるというアプローチです。この「デイリーランダムノート」は、アウトライナーツールなどを活用し、自身の身体性や認知に合わせて柔軟に運用することが推奨されました。最終的には、他者のシステムを模倣するのではなく、自身のプロセスを重視し、試行錯誤しながら自分に合った方法を見つけることの重要性が強調されました。
文章執筆における「2000字」という規範からの解放
うちあわせCast第百九十六回ということで、今回もゲストにたくさんお返ししております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回2時間ぐらいの長時間回になったんですけども、結構いろいろ反応をいただけて、紙を書いたとかいうご意見もあったんですけども、
神ですね。ゴッドですね、ゴッド。結構自分でブログを書きたくなったというような話とかがいろいろ出てたんですけども、
コメントの中で、ブログは2000字ぐらいが良いというようなバイアスを持っているというような話が、実は結構前から聞いてまして、
僕も記事を2000字ぐらいで書くっていうのは、目標というか指針として持ってるんですけど、それを結構語ってきたわけですが、それが原因っていう。
さすがに僕がブログの規範を作ってるとは言いませんけども、ある種そうだよなっていう固定概念を生み出す一つのパーツになってたかもなという気がしておりまして。
僕自身も結局その呪縛に引っかかってるというか、よく考えたらあんまり短い記事を最近書いてないなという思いもあり、
改めてもっと雑な短い記事も自分自身で書いていこうかなとは、この前の会議とかいただいた反応を見ながらちょっと思った次第ですね。
なるほど。でも別に2000字でいけないわけでは全然ないよね。
もちろん2000字を目指すということ自体は、一つのトレーニングというか、あるいは自分の価値観というか美的感覚としてそういうものを目指すということなんですけど、
でなければならないとなってしまったときがちょっと怖いということですね。
そうなんですよね。だから自然に2000字書いている分には全く問題なくて、ただそれが呪縛になって書けないということがもしあるなら、別にそれを取っ払っても何の問題もないという話ですよね。
そうですね。だからなぜ2000字かって考えたときに、大体何かワンテーマでいうと、500字プラスマイナス100字ぐらいが大体ワントピックが言える分量だとしたときに、
大体3トピックぐらいを一つの記事にまとめると2000字ぐらいになるという僕の目算なんですけども、
ある種ようやくしにくい記事を書きたいわけですよ、僕は。
そうなんですか。
一つの記事を読んでたときにいろんな話題が入ってくるみたいな感じが好きなんですよね。
そうしたときに、一つのメモを膨らませてどうのこうのというよりも、一つのメモを処理している間に、そういえばあのメモのことも使えるなみたいな感じで書いていって、
2000字ぐらいで書かれていて、読みごたえというか、食事を終えたときの満腹感みたいな一定量ある記事を目指すというようなことを目指していたんですけども、
それは一つの形でしかなく、全然いろんな形があっていいなと思いますし、僕自身ももうちょっと多様なことを書いていこうかなと思っている次第です。
でもある種のひとまとりまりのことを伝える文章の形というか、フォーマットで、例えば希少転結とか上波級とかそういうことを考えると、
まあ希少転結500500500みたいな感じで、だいたい2000字ぐらいになるんですよね。
おそらく2000字前後が文章として読める形で、そこそこの読みごたえと十分な説明量を加えたときに、それぐらいの規模感になるかなという感じはしますね。
僕はほとんど2000字に達してない記事が8割ぐらいじゃないですかね。
だからブログの全体を見たときに2000字を書いてる人のほうが稀だと思うんで、それが一つの規範になってしまうのはやっぱりちょっと違うなと思うんで。
何事も規範になるのはよくないですよね。
もう少し正解を見ると、単一の規範になるのはまずいという感じがしますね。
いろんな形の文章があっていいですし、
ついつい長く書いてしまう僕だからこそということがあるんで、それが全員に使えるものでもないというのは間違いないと思うんで。
自分なりの規範という言葉を強けばルールみたいなのを、自分の身体性を確認しながら、こういう文章なら書いていけるなというのを確かめるのがいいんかなという気はしますね。
そうですね。この話をしすぎると逆に2000字の記事を書いてはいけないみたいな。
逆規範が。
なりたれないですから。
その辺がありますね。
村上春樹全集刊行と新しい組版エンジン「ミニタイプ」
簡単にニュースだけ追いかけると、1週間なのでそんなにもうあれないんですけど、
まず村上春樹ワークス全16巻が発刊されるということで、作家の全集というやつですよね、これは。
そうですね。
でもたぶん僕は基本全部出てるやつを持ってると思うんですけど。
細かいのが持ってますね。雑文集とか。
どうなんかなー。
すごい古いやつで、村上隆さんと対談した本があるんですけど。
ウォークドントランス。
そうですそうです。それは持ってないんですけど、それ以外のやつはだいたい持ってると思うんですが。
村上春樹スクラップブックとか持ってます?
持ってます持ってます。
それはどっかの古本屋で見つけましたね。
あれなかなか入手できないですからね。
そうですね。その時もどっかの古本屋でたまたま見つけて喜んで買った記憶はありますが。
仮に全部持ってないものがあるとして、僕の金銭的余裕がかなりあるとして、これを買うかって言われると、うーんっていう感じがちょっとするんですが。
どうなんですかね。その作家が好きな人が全集を買うというのはよくあるパターンだと思いますし、
この時代において全集が出るというのはすごいことだと思うんですけど。
そうですね。すごいことですね。
ただ、全集を持つということに対して何かちょっとネガティブな感じがあるというか。
そうなんですね。
苦手意識が近いかな。全集持ってますってあんまりそこまでのステータスを求めてないという感じもあるんですけど。
そうなんですね。
まあどうかな。安い高いで言うと普通に高いわけですし。買うかどうかはちょっとわからないですが。
もしもハルキさんがお亡くなりになった後で記念として買うみたいなことはあるとは思いますが。
ちょっとここは文学研究者でハルキさんを研究してるのでは間違いなくそういう必要はある。
その用途はありますよね。
もともと持ってるものをだからやっぱり趣味として読んできたという感じから出たくないというところなのかな。要するに。
そういう思いがあります。でもまあおそらくもうこの作家以外にこの全集みたいなのが出るのは日本人の作家では出てこないんじゃないかなと思うくらい。
難しい。もしくはもう出ているか。
そうですね。
例えば筒井康隆さんとか。ありますよね多分ね。
彼の全集は逆に量が多すぎる。
ものすごいことになりますよね。
なるでしょうねきつね。
もともと村上さんはかなり若いときに一回全集が出てますからね。
ああそうかそうかそうか。
今から見るとほとんど初期の全集ですけど。
そうですね。
10年目ぐらいの段階で行ったんでさすがにそれは早いんじゃないかと思ったんですけど。
意外に全集に載せる段階で改訂されてたりするんで。
まあだから今回もそういうことがおそらくあるんじゃないかと思うんで。
最終的に村上春樹の全体像ということをきちんと網羅的に理解したいということがあれば、
おそらく意味があると思いますけど。
読者としてほとんど持ってくれる人がわざわざ買う必要は別にないでしょうね。
ないでしょうねきっとね。
その辺で評価とか買う買わへんは分かれると。
値段設定もおそらくそういうことを見越した値段設定にはなってると思うんですけど。
ただもうそういうフェーズに入ってきたんだなという考えはありますね。
もうご自身も入院された分もあるんで、いつどうなるかわからんみたいな感じはあるんとは思いますけどねきっとね。
ただやっぱり作品を見たときに、例えば加藤っていうのを読んだときに、
作家として衰えてるみたいなことは全然ないと思うんで。
あとはその体力、ご自身の体力とのあれなんかなという感じはしますね。
あと、ミニタイプと呼んでいいんかな。
ミニタイプですね。
組み版エンジンが新しく公開されてまして、
タイプスクリプトで使える、つまりJavaScript系で使えるライブラリーということで。
ページを組むということになったときに、
基本的にはテフ系を導入して、テフの言語で書いてページを組むと非常にきれいになるということは、
よくこれまでずっと使われてきたんですけども、
生成AIにそれを使わせるのはあんまりうまくいかないパターンが多いらしく。
このタイプスクリプトライブラリーの場合は非常に導入もしやすいし、
生成AIのエージェントにも使わせやすいということがあるらしく、
今回提出されたということで、僕まだ使ってないんですけども、
現代的に言うと、このタイプスクリプトでNPMでインストールできて、
命令とか実行とかもタイプスクリプト上でコードが書けるとなると、
当然、生成AIはJavaScriptが得意なので、
特にタイプスクリプトもかなりサンプルが多いと思うので、
非常にうまく使ってくれるであろうということで、
どれぐらい流行るかは分かりませんが、期待している人は多いということを聞いております。
こういう理由でテフからちょっと主流が離れていくかもしれないことが起こるとは想像しませんでした。
そうですね。僕もテフでどうしたらいいのかってデザイン上の相談とかを
クロードとかでもしたんですけど、やっぱり一発で決まらないんですね、どうも。
相性悪いんですかね。
悪いかデータが少ないか。
データが少ないのか。
もっとスキルを設定すればもちろんできると思うんですけど、
素で投げてどうのこうのっていうのがなかなか難しい感じがあって、
それではちょっとずつ形が変わっていくことも今後あり得るんじゃないかなと思いますね。
テフ自体が相当古いものですからね。
そしてやっぱりあれパッと見てもまず全くわからないんで。
テキストを読まないと使えるようにはならないと思います、あれは。
ましてラテフじゃなくて生のテフなんて読める人どれだけいるのか。
結局それを中間的に生成AIに頼んで作ってもらうんであれば、
初めから得意な形でっていうのはわかるんで、今後広まっていくやもしれません。
ワークフォローのペイン機能を少し前に紹介したと思うんですけども、
WorkFlowyのアップデートと生成AIの文章生成
初期は結構不具合というか、エラーとまでは言いませんけど、
使いにくい部分が多少残ってたんですけども、
圧倒的なアップデートの速度によってかなり使い勝手が良くなりまして、
今見てもらっているのはワークフローリーですけども、
右上のボタンからパネルを開くというのが基本動作だったんですけども、
クイックサーチコマンドKから探して、
普通に押したらページがただ移動するだけなんですけども、
右手に表示されているこのボタンを押すと、それが右に開いてくれると。
しばやん そうなんですね。知らなかった。
おだしょー 今までは例えば開いてからここで移動をして、
目的のものを開くみたいなことだったんですけど、そういうのじゃなくて、
あれ開きたいと、スレッド見たいみたいなときには、
戻って、スレッド見たいというときにここを押せば、それが直接右に開いてくれるということで、
やっぱりこうなんですよ。あれを開きたいという感じで開くので、僕の場合は。
だからこのコマンドKで呼び出して右で開けるようになったのが非常に好ましいのと、
あと、前のバージョンだとこの開いた状態でコマンドKを開いて押すと、
今ここの右が変わりましたけど、左が変わってたんですよ。
いや、そうじゃないだろうと。
フォーカスがあるペインじゃなくて、常にセンターのもともとあったページが変わったんですけど、
今それはちゃんと。
しばやん 今フォーカスされてますね。
まさに望んでいる操作になったということで、
この前紹介したワークフローリーのコミュニティで、エラー報告とか上がってとか、
ここの動作はこうなってほしいみたいな声があって、それに応えるという感じでアップデートが進んでいるらしく、
結構使うプラクティックなニーズに基づいた改訂が行われているなというのが今の印象ですね。
さすがですね。
これは非常に素晴らしく、特に直接呼び寄せるようになったら、もう僕の中では神みたいな感じなんで。
これができひんと、やっぱりめんどくさいですね。
いっぱいペイン開いてからそこに移動するというのがめんどくさく感じて、
めんどくさいとやらないということになるんですけど、
細かいめんどくささが消えていっているのはいいなと思います。
ちなみに私はですね、僕これ最初からペインを3つ開いたでかいウィンドウがあって、
その時に応じてそのどのペインで何を表示するかっていう使い方に最近なったんですけど、
真ん中にその日のアウトラインで、左右にそれぞれ必要なものを表示するっていう形なんですけど、
それだと、要するにペインが分割されていない状態から何か必要に応じて分割するという操作をしないので、
なのでさっきのコマンドKからペインを開く機能の存在にたぶん気がつかなかったと思うんですけど、
僕はね、大きいウィンドウが分かれていないのが嫌なんですよ。
一つの、要するに内容を一つしか表示しないんだったら、
ウィンドウが小さくあってほしいという整理的なものがあって。
だから通常の状態だとデカすぎるわけですね。
でかいウィンドウの真ん中に寄った感じで、
一つのコンテンツが表示されているというのがなんとなく僕、整理的にダメで。
なので逆にMacの場合、フルスクリーンで表示させた状態でペインを3つに分けて、
最初から分けておいて、その中身をそれぞれ必要に応じて変えるというスタイルに最近なったんですけど、
それだとすごく使い心地いいですね。
アウトライナーは基本的に横幅が余るので、普通常どのアプリですでも、
分割して使えるとあれなんですけど、
例えば今見ている状態で2Aが真ん中にあって左右に何かあったときに、
なんか鬱陶しくはないですか?気にならない?
日によるんですよね。
でもやっぱり基本的には僕、ウィンドウがそれぞれ別に存在してた方が好きは好きですけど、
確かにこのペインは便利なんで、最近使ってるんですけど、
要するに自分が気持ちよく表示できるサイズのウィンドウの場合、
ペインを縦に分けると今度細くなりすぎちゃう。
なのでペインを使いたい場合は初めから大きいウィンドウにしておきたいんですけど、
そうすると今度分割されてないとウィンドウが大きすぎちゃうんで、
結果的に最初から3分割しておくという感じになっちゃいましたね。
例えばですけど真ん中がデイリーだったときに左右はプロジェクト、ルーのオールみたいなのが並んでるみたいな感じですか?
そうですね。どっちかというと真ん中はあれかな。
例えば何か記事書いてるときはその記事のエディター画面っぽくそこにズームした状態で表示されて、
右にその日の日付、その日のデイリーの日付があって、
左に多分オールか何かの全体を表示するみたいな感じになりますかね。
真ん中が今日の場合もありますけど。
そうなんですよ。結局そう思うんですよ。どこに何が来るかって作業のモードによって違うんですよね。
そうですね。だから固定できないんですよね。
だからいわゆるノート型ツールの左にツリーがあって真ん中にみたいな固定されると困ることがあるんですよね。
主役と脇役がコンテキストによって変わってくるんで、
だからこのワークフローリ型のように何を左に置くかを決めさせてほしいっていうところはあるので、
それが実装されてるんで非常にいいなと感じますね。
そうですね。だから逆にプログラミング、開発環境のID風のあれはどこに何が表示されるのかを結構固定してる気がするんですけど、
あの発想を文章に持ち込むとちょっと息苦しくなるなというのをやっぱり思うことがあって。
だからスクリームナーってちょっとそういう感じなんだと思うんですよね。
そうですね。確かに。それはありますね。
ただそれが好きな人も当然いるはずなんで、やっぱりそれは人によるんですよね。
これ今サンプルで画面出してますけど、今日のメモを処理したいみたいな時にはこうなるんですよ。
こうなりますか。
左に2Aがあって、右にスレッド、テーマ集みたいな項目が並ぶというのが僕の中ではしっくりいく形なんですけど、
違うパターンもあって、自分が今考えているものに関して何か探したいみたいな時に、
逆に左にスレッドが来て、例えばここでタスクみたいなのを検索して、検索結果を並べて、
右を見ながら左に何か書いていくみたいなことを。
これはわかりますね。
スレッドの位置が逆になるんですね。これを自由にデザインさせてほしいというのがあって、
今まで結構できなかったんですよね。左が固定されててというのがあったんで、
これも自由に、場合によっては検索結果を逆にすることもできるというのが、
いかにも自由度の高いワークフローリングの使い方というか使われ方かなという感じがします。
そうですね。この話をすると、eMAX使いの方々が30年前からやっているようで。
しかもeMAXは縦横にも両方に分割できますからね。
そうなんです。スレッドじゃないが、このペインを横に分割したいんですよね。
はい、わかります。
縦横両方やりたいなという願望は、そのうちもしかしたらできるようになるかもしれないですけど。
そうなったらほとんどeMAXの、名前忘れた。表示領域ですね。
カタカナが出てこないな。
eMAX、あれが、この通常でいうペインがeMAXの場合はWindowsなんでしたっけ?
そうですね。
そうですね。分割された領域のことをWindowsって言うんですよね、確か。eMAXでは。
まあいいや。というわけで、僕もこの3つ型を試してみようかな。
僕はデイリー、左右になんかあれかなと思うんですけど、よくよく見たらこれ、
僕が前使ってたセブンライナーに領域表示が似てるなと思い出して、
確かに。
案外使えるかもしれないので、ちょっと実験してみます。
これ人によってはもっと分割してもいいのかもしれないですね。
でもいいですね。画面サイズとかにもよりますけど。
あんまりすごい並べると、昔のツイートベックっていう、
懐かしい。
あれの表示もちょっと似てきますけど。
懐かしいですね。
面白いですね。
前回、生成AIっぽい文章を読むのが苦痛だというような話をちょっとどっかでしたと思うんですけども、
いかにしてあのような文章が生成されているのかがちょっと気になったので、
やってみようと思ったんですよ。
細かい話は全部抜きますが、
同じプロンプトを各生成AIのよく使われているツールに投げてみて、
結果を見るという感じをしたんですね。
ノートのAIアシスタント、
左に出てくるチャット欄が出てくるんですけど、
それを使うのと、あとエバーノートのAIアシスタント、
あとはチャットGPTとジェミニとクロードコード、ソネットファイブでやったんですけど、
どれも全然それっぽくならなかったんですね。
いかにも固いなとかいう感じ?
人間味がない説明の文章だなという感じはするんですけど、
あの嫌な感じは全然なくて、
あれどうやって作ってるのかなと思ったんですよ。
本当にこの場合だったら文章を書くのはなぜ難しいのかについて、
記事を作成します、本文の案を出してくださいみたいな、
非常にシンプルなプロンプトを投げただけなんですけど、
持って回ったような記事が一切出てこず。
基本的に使われてるのはエージェントでその3つぐらいだと思うんですけど、
しかも基本無料プランで使ってるんで、一番弱いやつを使ってるはずなんですけど、
これも出てこなかったんですよね。
だからどうやってああいう文章が生成されてるのかが、
ちょっとつかめなかったんですけど。
これ普段の倉下さんの使い方によってそれが抑制されてるみたいな。
抑制されている可能性はゼロではないと思いますけど、
唯一ChatGPTだけはメモリ機能をオフにしてるんで、
ChatGPTは若干過剰書きを対応してくる文を出したんで、
見る人が見たらこれは生成や絵画を書いたってわかりますけど、
空虚なホゲホゲバットホゲホゲとか、
静かなホニャラララみたいなことは全くなくて、
逆にどうやって出したのか教えてほしいなという感じがしたんですね。
だから僕の文章から生成AI臭さを消すという工程がもう必要なかったので、
もっと思ったっていうだけなんですけど。
これはやっぱり結構長期間にわたって、
調教されてしまってるからなんですかね。
そういう調教してないから出てきてしまうということなのかな。
でもそれだったら他の人もやってるような気はしますけどね。
もともとのプロンプトが違うのかということなんですよ。
基盤となる。
つまり僕がこれから記事を生成する土台を出せって言い方をしましたけど、
他の人と違う形でプロンプトを促しているからということもあって。
だからそもそもモデルよりもどういうプロンプトで
ああいう文章が出てきたのかっていう対応図が
ちょっと僕は知りたいなと思ったんですけども。
「構え」をなくし、自由に書くための「デイリーランダムノート」
その中でちょっと大学的に面白かったんですけど、
EvernoteのAIアシスタントにその同じプロンプトを投げた場合、
スクリーンショットを見てもらったらいいんですけども、
こういう提案をノート上に出してきまして、
これノートの画面なの、エディター上なんですけど、
段落と見出しごとにすべて、
リジェクトするか承認するかっていうボタンが右上に出て、
承認をしたものだけがノートとして挿入されるという形になってまして、
これはコーディングエジェントでよくあるパターンなんですけども、
それがちゃんとテキストエディターとかノートエディターにも実装されておりまして、
便利か便利じゃないかとして発想としては面白いなという感じがしました。
内容によってはありかもしれないですね。
そうですね。でもよくよく考えたら、
例えばこの3つ目の段落をリジェクトしたところで話が繋がらなくなる。
他が変わるわけじゃないですよね。
リライトとかやったらまだあれですけど、そうなってない。
承認をしたらエディター上に貼り付けられるんで、
そこで自分が手直しすることは編集できるようになってるんで、
推薦やなポンだし、コピペよりは自分の文章として操作しやすい形にはなってるなと思ったんで、
案外こういうのも言われてないですけど、Evernote地味に便利だなというのは感じました。
頑張ってるんですね。
頑張ってると思います。あんまり言われてないですけども、
使い勝手を上げようという気分は感じられます。
というところで本編なんですけど、
前回に引き続いて的な話だと思うんですが、
起用わずに文章を書く方法というふうに銘打ちましたが、
発端というか起点というのは構えないで文章を書くためのライフアウタラインという記事をたくさん書かれて、
結局ブログが書けないというのもある種の構えが強くなりすぎるとか、
あるいは起用意が生まれすぎて手が動かないみたいなシチュエーションがあるとしたら、
それをいかに打破できるかなんですが、
そもそも構えてないから僕は文章が欠けてると思うんで、
構えないでが難しいわけですけど、構えが生まれてないから。
構えてないわけで?
元々構えてないから欠けてるんであって、構えを解くということがそもそも難しい。
どう考えていいのかが難しいわけですが、
記事の中ではアウトライナーにメモ的なものを書き付けていくことでというような方法が示唆されていたと思いますが、
これはメモとかから始める上でも心がけてるというとあれですけど、
何か意識されてるポイントあるんですかね?
やっぱり心がけないことじゃないと思うんですけど。
思いついたことを書くというようなニュアンスですかね?
要はだから、ブログならブログを書こうと思って、
それこそエディターの画面を開いてみたりとかすると、
もうそれだけで構えちゃっている。
頭がそういうモードになっちゃうんですけども、
そうすると書けなくなるパターンが自分はあるんですね、割と。
だけど、書こうと思ったということは何か書くことを思いついたということじゃないですか。
だからちゃんと書くことを思いついているのに書けなくなるっていうのはやっぱりその構えてる。
なんかこう、構えているというか、気負っているというか、
そういうことがあるんで、思いついた瞬間にただそれを書けばいいんじゃないかと思うんですけど、
それをやる場所がどこにあるのか。
それを例えば、ブログのネタ帳みたいなものがあったとして、
よし、ブログのネタ書くぞって言って、それを取り出す段階ですでに気負ってる気がするんですよね。
だからもうブログのネタとかじゃなくて、
もう何か思いついたら、これはと思ったらもうその日の、
僕だったらその日付ごとのアウトラインがあるので、
もうそこにそれこそタスクとかと交えてその場に書いてしまった方がいいと。
何か思いついた時というのはもう頭のスイッチが本来入っているかもしれないんで、
書くことによってずるずる書いちゃうこともあるんですよね。
それはもうその日のアウトラインの中に書いてしまって、
ある程度記事に近い、記事に近いというか、
例えば3分の1とか3分の2ぐらいの塊にまでなれば、
例えばエディターの画面とかブログのアウトラインに貼り付けて、
これを仕上げるぞになっても、割に書ける感じがするんですよね。
そこまで行っちゃえば。
なるほど。
だから、文章を書こうと思わないで書く。
思いついたことを書く。
書かないで書くという姿勢ですけど、
逆に言うと、思いついたことを書くということができないといけないですよね。
そうですね。
それが簡単かどうかという二次的な問題がありますね。
ブログかどうかわかんないわけですよね。
ただの自分の思ったことの記録かもしれないし、
ツイートみたいなものかもしれないし、
まだわからないけど何か思ったんだから書くという。
うーん、そうか。
そうか。
確かにそうですね。
この手の話は当然先ほどもおっしゃったように、
ブログのネタ帳を持っておけばネタのストックがなくなることはなく、
そこの中から書けるものを書けばいいんじゃというような話になりますし、
僕もついついしがちですけども。
ブログのネタという段階で構えているのではないかと言われれば、
まさにそうだなという感じがしますし、
僕自身もそのデイリーの…
じゃあボタンでいけるな。
これか。
書いているのって基本的に全部アイディアっていうことがついているだけで、
どれがどれか、どれがネタなのか、
どれがどのメディアのネタなのかという区別は、
基本ないんですよね。
この中から何か湧き上がってくるものを選んで書くという感じになっているので、
最近しかも昔はアイディアはアイディアの項目の中にあって、
レファレンスはクリップという項目にあったんですけど、
その区別をやめてしまいまして、
バラッと並べているんですけど、
これぐらいで並べておいて、
思いついたことをパラパラと書いていくというやり方なので、
ブログのネタ帳方式ではないんですよね。
一応ブログのネタ帳も持っているんですけど、
それは別として大抵はこの辺のものから適当に選ぶことが多いですね。
でもタグついてますね、これ。
タグは自分でつけるんじゃなくて、
メモしたときに直接書かないことが多いんで、メモは。
だからショートカットAPPを経由でAPIと書いてメモしてるんで、
そのときにこれアットマークアイディアをつける。
保存したいものがhttpっていう文字列を含んでいるときは、
レファレンスをつけるという条件分岐でつけてるだけなんで、
僕は手動で一切これをタグはつけてないんです。
アイディアとレファレンスを分けたいというだけですね、要するに。
僕は分けたくないんですよね。
なんででしょう。なんででしょうって。
僕がなんで分けてるかのほうか。
そうですね。
いや、たぶん倉下さんはこれがアイディアなのかレファレンスなのか、
たぶん書いた段階でおそらく分かっているからそうされてると思うんですよね。
どうかな。
もっと機会できない気がするんですよ、これは。
そもそも、あくまで僕はですけど、アイディアかどうかも分からない。
ああ、そういうことか。それは確かにそうなん…違うな。
すいません、どうぞ。最後まで聞いてください。
いや、それだけなんですけど、アイディアかどうかも分からないんで、
分からない段階でアイディアっていうタグをもし自分でつけてしまった場合、
おそらくもうそれは、それ以上たぶん自分の中ではうまくつながらなくなる気がしてしまう。
実際につながらなくなるかどうかは分からないんですけど、
やっぱり縛られる感じが自分の中ではあるんで、
混ぜて書きたいっていうのもたぶんそういうことなんですよね。
たぶん何なのか分かってないので、
今日の日付のアウトラインの中で書くという意味合いが強いんじゃないかと思うんですよね。
アイディアはおっしゃるように、僕はつけてもつけなくてもいいんですけど、
つけないと絞り込めないからつけてるだけなんですね、要するに。
何もアットマークがついていないものだけを抽出するという検索値がないので、
例えばカレンダーの中でいろんな項目があったときに、
これが何か分からへんようなもの、未確定なものを見つけたいというときに、
さっきのレファレンスはHTTPが入ってるやつで、
ウェブクリップだから取り除くとして、何も書いてなかったら引き算ができないんで、
検索上の都合ってこと?
検索上の都合でつけているだけです。
つけておくとよく分からないものだけがピックアップできるんで、
それを読むときにメモでもいいんですけど、一応アイディアという名前にしているというだけですね。
そのへんの感覚の違いというのは本当に人によると思うんですけど。
別になくても困らんかなあ。困らんような気もしますね。
でもやっぱりあの記事どこやったっけっていう話し方はすることがあるので、
レファレンスみたいなものはつけておきたいかなという感じがあるぐらいかな。
レファレンス的なものとそれ以外を分けたいぐらいかな。
レファレンスは確かに分かりますね。
発生源が他の情報だけを絞り込んで探したいときに検索紙があったら便利で、
それ以外を区別するためにアイディアをつけているだけで、
アイディアを示そうとはしていないということかな。
でも分けずに並べるようになってきた。
少し前まではアイディアはアイディアのところに入れてましたけど、
ザクバラに並べるようになってきたのはフラット型に近い。
何に使うかわからんまま書いてるという感じは強まってますね。
クラシタさんと僕ではそもそも思いついて書いている量が違うので、
その量があったら僕も何かしらのマークがないと、
処理できなくなる可能性はありますよね。
例えば、愚痴とか文句とか書くわけですよ。
なんか腹が立ったみたいなことがあったときに、
こんな、例えば今日何かしらの窓口に行って事務的な手続きをしようとしたら、
こんな効率が悪い何かがあって1時間半待ったみたいなことがあったとしたときに、
例えば文句を書くわけですよ。
文句を書いて、文句ってそれだけで終わることが多いんですけど、
文句を書いてるうちに一般論になっていったとして、
最初はそこの窓口の担当の人に対する文句だったのが、
そもそも日本の行政は何かみたいな感じでだんだん一般論に移ってきたときに、
その一般論部分のあんまり並風立てなさそうな部分を切り出すと、
もしかしたら記事になるかもしれない。
みたいなことがあるんですよね。
結構そういうところから、あれ書いちゃってるなっていう発見みたいなものがあって、
そうやると割に文句を書いていたときの腹が立ってる気持ちは割に落ち着いちゃってて、
書いてしまった一般論のところを、これ記事になるなと思ったときに、
じゃあその文句の部分は消しちゃって、
その一般論のところに油断しつけて、仮タイトルつけて、
そうなったら今度ブログのアウトライン、
ワードピースっていうタイトルのアウトラインがあるんですけど、
そこに移しちゃうみたいな。
それはやっぱり、ブログ書くぞと思ったらおそらく書かれなかったであろう。
ブログを書くぞから始まって文章を書くんじゃなくて、
日常的な中に思考イコール執筆があって、
執筆というか文章を書くがあって、
その中でうごめいた結果のものが、これはブログになるだろうという、
初級的な認定を受けるという順番な感じですかね。
そうですね。
例えばそういうことも起こるっていうことが頻繁ではないですけど、
年に何回かはあって。
そういうのをキャッチしたいなというのがあるんですけど、
結局ブログのためのネタ帳とか何とかの場所が決まってると、
それを書く場所がなくなるんですよね。
はい、その前段階のやつが。
だからそれを書く場所が欲しくて、
そうすると結局日付単位じゃないと書きようがないところがあって、
だからそれに一番近い一般的なものは日記だろうと思う。
まあそうでしょうね。
だからやっぱり日記にどういうことを書くかというのも、
人によって全然違うと思いますけど、
事実だけを書く人もいれば、感情をぶつけるタイプの人もいると思うんですけど、
そういうのの中から切り取って記事にするっていうこともできると思うんですよね。
そうですね。
差し障りのない部分。
だからこう、すごい当たり前なんですけど、
日常的に考えを書くことが起動している人は、
ブログが書くこともブログに移行しやすいですけど、
そのブログを書く以外の時間で考えることを書くことをしてない人が、
急にエディターの画面を立ち上げて書こうとしても、
脳が温まってないわけで、
それは書きづらいですよね。
そう思います。
例えば、よくこの手の知的生産の開始として、
メモを書き始めましょうとか、
毎日日記を書きましょうっていうのは一つあると思うんですけど、
ここでもやっぱり日記をちゃんと書こうとしてしまうと、
たぶんさっきの愚痴のようなものは、
正しい日記ではないみたいな規範性が生まれてしまい、
日本特有の日記文学っていうのがありますけど、
そのような完成品としての日記を書こうとしてしまうと、
元に戻るというか、スタートラインがそこに引き延ばされてしまうわけで、
日記と呼ぶのがいいのか、
新しい呼び方をすることで日記を書くのがいいのかわかりませんけど、
もっと雑多なんですよね、ここで言われているものは。
日記よりも英語で言うところのジャーナルのほうが近いのかもしれない。
ダイヤリーではなくジャーナルのほうが近いのかもしれないし、
言ってみればデイリーライティングみたいな感じなんですよね。
そうですね、そうやと思います。
何を書いてもいいし、
何の役に立つ記録も書いていいし、
何の役にも立たないものを書いてもいいし、
とにかく誰かに監視されているわけではないので、
そこの中には何を書いてもいいということだと思うんですけど、
だから全然アウトライナーである必要はないと思うんですよ。
そうですね。
ただすごくたくさん書いちゃったときに、
アウトライナーのほうが折り固めちゃうから楽だよっていうのはありますけど。
そうですね。
ちなみにですけど、
例えば僕の8月31日のメモですけど、
こういうのを見れるのはいいですね。
階層はないんですよね。
ないですね。
これが本文ですけど、
たくさんの記述を使うとこれ短いですよね、きっと一個一個か。
この下はないわけですね。
全部これが第一階層だけなんですよ。
だから見出し部分しかないみたいな感じ?
だからもうちょっと書かれるってことですね、きっとおそらくは。
書くときは書きますね。
それも日によって書く人を書かない人ってありますよね。
それも見出しのようなメモにしなきゃいけないとか、
たくさん書かなきゃいけないとかじゃなくて、
結局その日に書いたことはそれでいいんだと思うんですよね。
だから日によって全然違いますよね。
僕もある程度もうちょっとボリュームあるの。
これはメモかな、ありますけど。
下がない日もあれば、ない日のほうが多いですけど。
ない日のほうが多そうですね。
多いですけど、ある日もあって。
だからある種のフォーマットに沿ってやってるわけではないというのはありますが、
傾向はありますけどね。
短いのが多い、長いのが多いっていうのは傾向はあるにせよ、
ルールというのはあんまりない。
そうですね。
でも僕これ今面白いなと思ったんですけど、
倉下さんが書かれているのは結構疑問文。
そうですね、疑問文が多いですね。
問いが多いですよね。
それに対する答えはその時点では書いてなくて、
着想としての問いタイプのメモが多いなと思いました、今一見して。
前回も言ったように、僕にとってのメモがある程度の圧縮であるというのは、
この問いを起点にして施策が展開していくからということですね。
この問いを起点にした施策が展開する場所というのはどこなんですか、逆に。
ブログなんですよ、今んとこ。
ブログがないしニュースレターもないし。
そういうことか。
書く媒体がそこしか今んとこないんですよ。
まさに今それが問題だと思ってるんですけど。
だからそこの媒体に乗らない思考が全て止まってしまっている。
で、媒体に乗せようと思ったら2000文字くらいの記事になるわけです。
だからもっと小規模な300字くらいのやつが取り組む機会がないから
ほっとかれてしまっている状況があって、
それを変えたいなという思いがあって。
最近ちょっと前から今日のエッセイを書いてるんですけど、
あれが消化する場の一つの場としてはなってますね。
あれって、予文側からすると次のが更新されたら消えちゃうわけじゃないですか。
その消えた以前のやつっていうのはどこかに蓄積されてるんですか?
僕の中では。
中ではあるんですか。
僕の中ではあります。
月ごとに全部が一つバーって並んだファイルがあります。
それは何かしらの形でまた何か日の目を見ることもあるかもしれない。
あり得るが現状体制は整ってないですけど、そのことを見据えてはいますね。
そうですね。
僕は結構ポイント、着想の点を残していくだけですね。
メモの分類と検索、そして「アイディア」の捉え方
だからこのエバーノートキャッシュの削除っていうのを使って、
この前ニュースレーザー1個書いたんですけど、
2センチくらいの、2センチだったかわかりませんけど。
ここからそれが、実際この2つのメモからそれが展開したというだけで、
自分がやったこと、エバーノートのキャッシュを削除したよというような
頭の中に思念があって、それのシーリングとポインターみたいなのがここにあり、
それを参照して何かを書くという形が多く。
だから書く、そこに書かれる体験とかもすでにあると。
あるいはその文章にしながら整えていくというだけなので、
ブログを書こうという構えから何かが起こってないというのは確かなんですけど。
そうするとこのエバーノートのキャッシュの削除っていう、
なんていうんですかね、アイディアなのかな。
だからそれ何なんでしょうね。
こういうメモがあったとして、これを展開して、
例えばニュースレターを書こうとしたときに、その段階ではエディターを開いてるわけですか。
そうです。僕のニュースレターの場合はサブスタックのページ、
エディターページを開いてますね。
そこに直接書いてる。
僕は結構メディアごとに直接そのエディターを開いてそのまま書くことが多いですね。
それができるんですね。
そこで立ち上がるモードが多分あるんだと思いますね。
おそらくは。だから僕メルマガンのときはVSコードを配置を緑色してますし、
みたいなその大体ごとで書く環境そのものを視覚的に変えてることが多いですね。
それでスイッチを入れてるということですよね。
僕からすると例えばこのワークフローイの中にエバーノートのキャッシュの削除というものがあったときに、
もうすでにある程度の内容が念頭にはあるわけじゃないですか。
それがこの下の階層に書かれないということがすごく僕にとっては不思議に感じる。
ここに何月にエバーノートを使ってみたいなことがつらつらと書かれてて、
そこから育まれて記事になるというような感じだと思うんですけど、
僕はそうじゃないんですよね。
だから僕のほうが記事をゼロから立ち上げてるようには見えると思います。
ように見えますね。
でも別にそういうわけではないんですよね。
じゃないんですよ。
だからそうですね、中間段階が僕から見るとない感じがするんですけど、
まあ頭の中でやってるんですけど。
そういう意味ではそれこそ、
頭の中のキャッシュじゃないな。
キャッシュじゃないな、メモリーですかね。
ヒロイドかな。
その時点で自分の記憶の中にある一番鮮度の高いものをメタとして選んでるから書けるということだけかもしれませんけど、
思い出せないものをだから選ばないわけで。
その時覚えてたから書くっていうことになっている可能性もあるんで。
単純に書くものをストックして残してて、それを記事に使ってるという意味で言うと、ネタ調じゃないかと言われればそうなんですけど、
どうもニュファンスは違うなという感じがしますね。
ちょっと違いますよね。
たぶんこうやって書いてあることの中には展開しないものも多いわけですよね。
あと明らかにタスクとか判断を迫るものとかがありますね、どうも。
例えば。
これもトゥードゥですよね。
打ち合わせキャストの内容を受けて記事を書く。
でもこれはメモでもあるんですけど。
メモでもありますね。
同じじゃない。
次の日同じことを書いてることもある。
これはスポットライトのインデックスをエージェントに使わせるのはどうかっていうのは、
自分が自分のパソコン環境でノートのインデックスを自前で作るんじゃなくて、
スポットライトもインデックス持ってるんじゃないかと思いついて、
それをエージェントに使わせたら、自分でインデックス作らなくてもいいんじゃないかって思いつきを書き留めたものなんですけど。
これ問題じゃないけど、今僕は自分の実行環境についてのアイディアをここに書き留めたわけですけど、
これで記事を書くことも別にできるわけですよね、一つのアイディアとして。
だから何のアイディアかわからないんですけど、アイディアではあるんですね。
まあそうですよね、広い意味でのアイディアというか。
どう使われるかは、どういうレイヤーでのアイディアなのかはまだふわっとしている。
一応明確にこれはToDoであるとなったものは、最初はアイディアとしてアットマークついてますけど、
後々にToDoに変えることはありますけど、
ToDoに変えたものがごくわずか、
ToDoに変えたものはあります。
もともとこれはアイディアとしてついてたんですけど、明らかにタスクなものはToDoに変えたりはします。
変えなくても別にいいんですけど、
妻からAmazonで注文してって言われたときに、とりあえずメモしてここに入ってきて、
これは明確な行動だなって自分ではっきりしたら、このアイディアっていうのをToDoに変えるみたいなことはしますけど、
したからってどうってことは別になくて、動作を自分の中で明確にソリッドにしたっていうだけのことではあるんですけど、
あんまり意味はなくて、ただ目印ついてるというだけのことですね。
昔はもっとメルマガとかしてたんですよ。
でもね、これは運用できひんなと思ってもうやめましたね。
だから性質的には僕の下向き三角マークに似てる、
というか、自分の中で一番近いのはそうかもしれないですね。
面白いですね、こういうのはね。
メモを書きましょうって言われても、まずこの二人で違うわけですから。
好きにやっていいですよとか、自分の形に合わせられますよみたいなことは一つ希望なんですけども、
今から始める人にとっては割とポカーンな感じになるか、
その人の先入観で言葉が歪められてしまって、
自分の身体に合ってない方法から始めてしまうということが起こり得る。
知的清掃のありとあらゆることで起こり得ることだと思いますけど。
そうですね。
だから、倉下さんの方式にしても、僕の方式にしても、
多分合う合わないが。
あるでしょうね。
でもじゃあ、例えばゼロから始めるとしたときに、
どうするのが一番いいのかというのは分かんないわけですよね、結局。
そうですね。
もしかしたらアナログから始めたほうが迷いを減るかもしれませんけど、
結局こんなの見たら、自分のメモにアイディアとか付けようかって思っちゃうわけじゃないですか。
可能性はありますよね。
それは良い反面、やっぱり余計な判断が生まれてることもあり、
もしかしたら手紙のメモ帳で格訓練をするところから始めたほうが良い可能性はあって、
つまりワークロリ使い始めたらまず構造をどうするねんみたいなことから考え始めちゃうわけじゃないですか。
最上位構造をどうするかみたいなことを考え始めるよりも、
むしろ思ったことを書いたほうがスタートとしてはいいのかもしれませんけど。
そうですね。だからその意味でも最初の段階で万人に当てはまる構造って日付だと思うんですよね。
そうですね、まさに。
日付の下に何をどう書くかは多分人によって最適な方法が違うんで、
あんまりシステマティックに考えようとせずに、日付だけあって日記のつもりで何か書いてもいいし、
システム構築のプロセスと「憧れ駆動」
タスクリストのつもりで書いてもいいし、何かしっくりくることを書いて、
例えばブログを書くみたいなことがあるんだったら、それもその中に混ぜて書くのがいいというよりも、
あえて別に分ける必要がなくて日付の下に全部書いていって、
そこから自分の構造とか、最適なまとまりというか、それを見つけ出していくというのが一番早道なんでしょうけれども、
ただひたすら日付の下に書いていくだけでも結構意味あると思うんですよね。
あると思います。それはあると思います。
やっぱり高度なシステムを最初から構築しようとするとうまくいかない可能性が高いかもしれない。
高度なシステムを構築したらダメなんじゃないかと思うんですけど、どうですかね。
構築したい気持ちになるというのはよくわかるんですけど。
高度なシステムはやっぱり書くパーツが緊密に組み合わさっているものだとそう思うんですけど、
人間は揺れちゃうんで、逆に自分がそこのシステムに当てはまらなくなっていくという事態が生じるんで、
やっぱりゆるいということの定義によりますけど、ゆるいほうがいいんじゃないかなと思いますが。
そう思います。だから日付、まずは日付を並べていって、
例えばブログならブログでブログのネタというか、
ブログの記事の元になるようなものを日付の下にいくつか書いていったとして、
それで日付の下で書けちゃえばそれでOKですし、書けないけどこのネタは何かになりそうっていうのが、
例えばいくつか溜まってきたとしたら、確かに日付を一個一個開いて探すのも面倒なんで、
じゃあブログの日付とは別にブログっていう見出しを別の場所に立てて、
それをその下に移していくというような形で、
そうすると日付とブログっていうのを含んだアウトラインができるわけですよね。
そういうことでブログの他に仕事っていうのができるかもしれないし、
そういうことを繰り返していくうちに自分のシステムというか構造が出来上がっていくというのが、
おそらく理想なんじゃないかなと。
理想かつ王道というか、それ以外に道がないというか。
そうなんですよね。
例えば出来上がったものがカレンダーの大項目があり、
僕の場合はスレッドというテーマごとの項目がありますけれども、
そのAさんとBさんが同じこのアウトラインを持っていたとしても、
何か違いがあるとしたら、その身体的な感覚、認知かな。
自分の中でその項目がどう位置づけられているのかという確率をしないままに項目があっても、
結局使えないんですよね。
これはここだっていう近くとともに構造が育っていくことがベストであって、
最初からはいどうぞって全部の項目、
例えば4項目ですらもう普通に使えないと思います。
最初からあっただけでは。
そう思いますね。
カレンダーから始まって、初めて足りないものを増やしていく。
そのニーズを感じるときに増やしていくということで、
自分の認知の速度と、認知の把握の速度と構造の成長っていうのがフィットしているのが多分良くて。
そうだと思います。
だからその完成した、これすごいんですよっていうプロダクティビティシステムは、
そのままいきなり入れると使えないという気がしますね。
そうですね。その通りだと思うんですけど、
一方では、やっぱりそういうことをするときに、
その燃料というか、
わかります。
になる、例えば憧れみたいな、
例えば倉下さんの読者だったらね、
倉下さんがどういうふうに日々の執筆なり何なりをしながら日々送っているのかということが、
やっぱり当然知りたくなるわけですよ、倉下さんのファンだったらね。
で、やっぱりそこには憧れという要素があって。
で、倉下さんはこういうふうにやってるよっていうのが発信されているとすると、
自分もそれを真似したくなるっていうのはやっぱりすごく自然な心理だと思う。
そうですね、もちろん。
で、それがきっかけで自分のシステムができていくっていうこともあり得るんですよね。
だからすごく難しいんですけど、
でも一方ではじゃあ倉下さんと同じことをやろうとしてパンクするということも当然あるんで、
どうしたらいいんだろう。
結果としてのプロダクトじゃなくて、
そこに至ったプロセスをモノマネすべきだと思いますけどね。
そう、だから倉下さんが今のシステムに至ったプロセスがあるんだということですよね。
それでそのプロセスはおそらく人によって異なるという。
まさにそういうことですよね。
だからプロセス、ノウハウはあらゆるノウハウ、やっぱりプロセス思考というか、
そこに歴史があるということを忘れてはいけないと思うんですけど、
パッケージングのノウハウはその歴史性を断絶して、
はい、成果ですっていうふうに言うからこそなんかこう歪んでしまうんであって。
だからやっぱり人がたどってきたプロセスを読めるのが、
かつての知的経済の技術書の面白いところだと思うんですよね。
だって梅澤は最初発見の手帳の話をしたのに、
今はもう使わなくなってるって次言いますからね、それを。
でもそれ大事ですよね。
それはとても大切なことだと思います。
そこにやっぱりプロセスがあるんだなという、
プロセスそのものが変容していくんだなという受け取り方ができるということがやっぱり素晴らしいことだと思うんで。
逆に言えばノウハウ書を例えば読むとしたときに、
そこに触れてあるかどうかっていうのは一つの、
それが良いものかどうかの判断ポイントになるという気がしますよね。
いわゆるコスパ的なマインドセットで言うと、成果だけ欲しいということになると思うんですけど、
手の形に合わない道具をすぐ渡されても、別の意味でコスパが悪いと思うんで。
結果的にコスパタイプが悪くなるんですよ、完成品から入ると。
だから多少時間がかかったとしても、
自分の脳の必要に合わせて、身体の必要に合わせて拡張していく、展開していくっていう、
そういうプロセスを採用した方が回り回っていいですよね。
そうですね。
だからそれは逆にノウハウを人に伝える側で考えると、
どう伝えるべきかというのもすごく考えさせられますよね。
これが完成品ですわ、まずいという。
売れるのかもしれませんけど。
いわゆる教育的効果を考えるとまずいという感じがしますね。
たとえば完成品を提示するにしても、
そこに至るプロセスがあるんだということを示すっていうことですよね。
それはそうだと思いますね。
そこのプロセスで働いて、原理性そのものはどの段階でも役立つから、
原理とか考え方そのものを普遍的に伝えるというのは必要ですけど、
あるツールの使い方とか、物の配置とか、
エトセトラっていうのは歴史を背負っているということなので、
そこをうまく区別する必要があるでしょうね。
ある手法を支えている原理は普遍的でも、
それが実践されている現場は個別的なんですね。
そうなんですよ。
「デイリーランダムノート」の実践と効果
やっぱり人間には生理的な感覚というものがあるので、
ノウハウを提示する側の生理的感覚もあれば、
それを受け取る側の生理的感覚もあって。
難しいといえば全て難しいんですけども、
ちょっとずつスタートラインを決めてやっていく。
手帳的なものに書く場合はデイリー方式になりますし、
一冊のメモ帳に全部書く的な昔の手法の場合は、
一枚のテキストファイルに全部書いていくという形で。
一枚のテキストに全部書いていく方式も僕は全然いけると思うんですよ。
ある程度膨れてきて、一つ固まりになったと思ったタイミングで
別ファイルを作って、そこにガサッと移すみたいなやり方でも
多分運用できると思うんですよ。
どっちもやっぱりボトムスタートというか、
ザッタのものをまとめるところから始めて、
初めて後で切り出すという順番になっている。
これが守られているのであれば、大体うまくいくと思うんですけど、
テーマ的なものを先に作って、そこに入れ込んでいくというのは、
適切なテーマを思いつけることが前提なわけで、
それは無理というか、そもそも続けていく中で
自分の中のカテゴリーとかテーマが変わっていくので、
それを最初に考えましょうというのは無理なので、
ザッタなボトムラインから始めるというところが基本と、
できるだけそこに考えながら書くことをしていくというところですかね。
慣れきってしまったら、それはすごく簡単なことを
やっているように思えるんですけど、
慣れていないとそこからして、やっぱり考えていることを文章で書きながら
展開するということすらも、ちょっと難しいんだろうなと思いますが。
そうですね。最初に戻りますけど、
例えばブログを書くという人だったら、
それは前提にしてもいいんじゃないですかね。
なるほどね、たしかに。
だって文章を書こうという人なんですから。
そうですね、たしかにそうだ。
別に書かなくてもいいわけ。
それを書こうというんだから、そこはもう前提としていいんじゃないかなと思いますけど。
そういうのを細かく、本を読んで思ったこととかをチラッと書くっていう。
基本的に、例えば批評家とか書評家になる場合、
本を読んだことをツイートして送っての一つ訓練なんですけど、
ちょっとハードルが高いので。
日記ぐらいに誰の目にも触れないところで、
その本ってどうやったんだろうっていうのを書いてみるとか、
さっきの愚痴でもいいんですけど、
自分が体験したことについてちょっと記しておくと、
その記す中で起動していく思考っていうのがあって、
そこから何か広がっていくっていうことを日常にしておくと、
言ったら思考の運動が常に駆動している状態であり、
その運動を記事っていう形でまた表せばいいというのが、
知識生産のスタート地点かなという感じがしますね。
そうですね。
結構この間、ブローガスト期間から前回の打ち合わせキャストの
反響が結構あった感じがしたんですけど、
やっぱりブログとか文章を書くことが苦手、
そういう言葉を使われている人もそうじゃない人もいますけど、
例えば苦手って言っている人、
みんな書けてるよなって思うんですよね。
思いますね。
だから文章力、出力は結構皆さん高いという印象を受ける。
でも書けないって感じるってことは何か文章力以外のところの
障害があるわけですよね。
そうでしょうね。
やっぱりその障害になっちゃってるのが、
例えば2000字問題だったりとか、
ブログというのは個別の記事形式に
アーティクルになってなきゃいけないみたいな感覚だったりとか、
そういう規範性の部分なんだとしたら、
それを取っ払う最適な方法は、
多分、記事だと思わずに文章だと思わずに書くという。
そういう書き方をする一番最適な場所はおそらく
日々の日付の下だというふうには思いますよね。
日付の下に書かれるものというのは、
一応さっき前提として日記みたいな言い方をしましたけど、
言ったら名前のないライティングですよね。
本来はね。
タイトルのないライティングですね。
ただ僕たちはそれを名指すときについつい
名前を呼んでしまうわけですよね。
でもその相手に通じる言葉、
例えば日記というのを使ったら、
その通じる相手が持っている先入観が
その言葉の解釈として働いてしまうので、
伝えたいこととずれてしまうことがあるわけですけど、
ネームレスライティング、名前のないライティングで、
という言い方をすればもうちょっと自由度が高まりますからね。
これ難しい問題ですけど。
どうですかね。
フリーライティングという言葉もありますけれども。
だからフリーライティングだと思ってもいいんですけど、
フリーライティングっていうと時間決めてたくさん書く感じがしますよね。
結局そこでも別の先入観が生まれてしまう。
結局やってる僕らが何を書いてると思ってないわけですね。
メモを書いてるとき、メモ的なものを書いてるときって。
だから本当にそこは空白の概念的な空白なんですよ。
でも概念的に空白なものを言語で伝えることが、
デリタ的な記号で抹消するようなものを使わない限り、
ちょっと難しいんですよね。
そうですね。
デイリー、何とかライティング、バッテンみたいな。
そういうのでないと、
本来ここで伝達しようとしてるものが成立しない
というところがあって。
それこそ英単語を使うのであれば、
デイリー相当みたいな感じに。
日付単位で考えたこと、思ったことを書く。
でも日記よりももう少し、
日記は例えばその日にあったことを書くイメージが強いかもしれないですけど、
相当。
相当っていうのがまた日本語にすると意外に難しいんですよね。
思考というとちょっと強い。
思考じゃないんですね。
こういう文脈でつい思考メモみたいな言葉になっちゃいますし、
それはそれで全然意味あると思うんですけど、
思考よりももうちょっと柔らかい言葉を使いたいということがありまして、
相当だと、
相当だと、
スペル間違えた。
相当だと、
考え。
思考よりも考えのほうがいいかもしれないですね。
思いとか考えとか。
思ったことなんですよ、基本的に日本語でフラッと言ったら。
でも思ったことって英語でニュアンスを出しにくい感じがするんですけどね。
でも思ったことを訳すとしたら相当ですよね。
例えば相当を日本語で引き受けると、
思考という変換が僕の中では強くなりますけどね。
そうですね。
シンクって言われたら思ったことがちょっと含まれるんですけど、
相当って言われると何か思考になるんですね、僕の中では。不思議な感じで。
まあでもこのMACに入ってる
なんとか大事輪で言う
相当を引くと1番で考えって言う。
なるほど。
考え、思いつき。
まあ思いつきか。
で、その2番目に気持ち、思い。
で、3番目に思考、思案。
熟考、熟慮。
で、4番目に意見、見解。
いいですね。これらの単語全ての総合的なものですね。
そうですね。
1個選ぶ必要なくて。
なぜなら結構感情的なことを書いてもいいと思うんですよね。
確かに確かに。
思考っていうとロジカルなものを思いついたら、
あともうちょっと哲学チックな感じになったりとか。
まあそれももちろん含んでいいと思いますけど、
もっとなんか生々しい。
まあそれ書きたくない人もいるかもしれないですけど。
まあそうですね。
うんの野郎みたいな、
そういうあんまり人様にはお見せできないものも書いていい場所だと思うんで。
だからそうだな。
仕事におけるメモと執筆活動におけるメモの違い
これはだからな。
そのノート術理論で言うと、
中身を限定するよりは箱の名前だけにしておくことで自由度を上げるというやり方があると思うんですけど。
だからまあデイリーノートって言っておけば、
まあ別に何書いてもいいことになる。
デイリーノートじゃなくてもいいけど、
デイリーホニャララとさえ言っておけば、
そこで何を書いてもいいかはその人の自由になるわけですけど。
だからそれが指針として方針としてその人を導くかって言うと、
それが弱いんですよね。
結局何を書いていいのかわからん問題に戻ってくるんで。
ちなみにランダムノートって日本語に翻訳するとしたらどうなります?
ランダムノート、翻訳できないですよね。
そうか。
いや、ランダムな記述なんですけど。
あの前のノートは記述というのが一番近いと思うんですけど。
ランダムノート。
ランダムもそもそも結構難しいんですよね。
そうですね。確かにランダムも難しいですね。
無作為。
無作為か手当たり次第の行き当たりばったりの無計画なというのが意味がありまして、
行き当たりばったりとか出たものをそのままみたいな感じがしますね、この場合は。
そうですね。難しい。
思いついたことを自由に書き留めましょうと言いたいだけなんですが、
まあ案外それが難しい。
でもデイリーランダムノートでも…。
そういうことなんですね。デイリーランダムノートということで、
本人が解釈して作っていく概念で良いと思います。
デイリーアイディアノートっていうと、アイディアを書かなければならないみたいなことになってしまうと思うんで、
あんま内実を問わないほうが広い気がしますね。
そうですね。その前のアイディアも、ちょっと前に記事で書いた気がするんですけど、
日本語でカタカナでアイディアって言うと、発想とか着想っていう感じがするんですけど、
僕もずっとそう捉えてきたんですけど、アイディアって考えっていうのもあるんで、
考えならいいんですよね。
考えならいいと思いますね。まさにでも考えですよね、要するに。
なんとなく発想着想っていうと、広告代理店でコピーライターの人が付箋をいっぱい作って、
広告コピーを考えているみたいなイメージがなんとなく80年代にできた気がするんですけど。
僕がその時代の人間だからそのイメージを持っているのかもしれないですけど。
発想って誰も思いついたことのない新しい何かを思いつくみたいな感覚があるんですけど、
そんなものじゃなくてもいいんですよね。それであっても全然いいんですけど。
そうですね。たぶんですけど、自分の人生において新しく思いついたことぐらいなんですよ、要するに。
そこで言われるアイディアみたいなものは。
そのアイディアが実はもう人類の中では度々繰り返されていたとしても、
当ににのっとって、かつてあったことを思い出すのではない意味でアイディアっていう言い方、区別ができると思います。
僕がアイディアって呼んでいるものは大抵それですね。
自分の中でも同じことを何度も思いつく。
思いついた瞬間は新しく感じているじゃないですか。それでアイディアって呼んでいるというだけですね。
そうなんですよ。これも同じことを何度も書くのはダメだみたいな感覚がある人がいるみたいなんですけど、
やっぱり同じことを何度も思いつくということはそれは大事なことかもしれないっていう。
それを示しているのかもしれないわけですよね。
だからむしろ同じことを何度も書くのは大事なことだと思うんですけど。
そこはしかも気にしているとだんだんメモが取れなくなってくる気もするんで。
評価は後からにするというやつですけど、思いついたら書く。
頭の中に何か浮かんできたときに放置するものがあってもいいですが、
何か考えたい対象があればそれについて書き留めておくという習慣ができれば、
ブログを書くことが簡単とは言いませんけども、記事は書きやすくなるような気はしますね。
そうですね。ブログに限定して話しましたけど、
それが仕事であっても本当は全部原理的には同じことだと思うんですよね。
そうですね。原理主義で言うと、あらゆる仕事をまずデイリーで始めて、
必要に応じてプロジェクトがあるならそっちに移動させるというやり方が可能だと思いますけど、
わりとプロジェクトはプロジェクトで切り分けてという運用パターンも多いですからね。
あれで仕事が進みやすい人と進みにくい人がたぶんいるんですね。
そうですね。だからプロジェクトがプロジェクトとして既に成立しているのであれば、
それはそれで全然いいと思うんですけど、
例えば、わかんないですけど、自分のプロジェクトチームの中で人間関係の問題が生じているとしたときに、
例えばなんとかさんにこういうふうに声をかけたらいいかもしれないという電車の中で思いついたことを
どこに書くかというと、たぶんデイリーの下にランダムデイリーノートの一環として書くのが一番楽だし自然だしいいと思うんですよね。
それをプロジェクトの中に書こうとするとなんかちょっとよくわかんないことになりそうなので。
そこが難しいというか、ルールに厳密になるとこれはあのプロジェクトのことだからっていうルールが発動して、
いやでもこれ書くべきじゃないなみたいなことになって気をかかれないようになりますけどね。
だからなんでも書いていい場所にとりあえず書くという。書いた後でダメだこれと思えば別に消すなりほっとくなりすればいいだけなので。
そうですね。
だからそうなんでもおそらく同じ考えでいけるとは思うんですけど。
でもどうでしょうね。倉下さんがそれやったらパックしますかね。量的にデイリーに。
デイリーには書かないと思いますね。たぶん。それぞれの検討は。
あんまり起きた出来事についてこの手のものに書くことは少ないので。
それなんでやろうな。これ以外に作業記録をテキストファイルに残してるんで。
だからデイリーが二重にあるんで。それ両方合わせたらすごい量になりますけど。
ここはいわゆる思いついたことだけが並んでいる場として切り分けられてるということかな。
倉下さんはコンビニ店長をやってたときに、店の在り方をこういうふうにしていったらいいんじゃないかとか、
問題を解決したらいいんじゃないかみたいなことをどういうところに書いてますか。
仕事用ノートというのを必ず持ってまして、大体大学ノートぐらいのサイズ、カンパスノートのサイズぐらいか、
ロルバーみたいなリングノートとか、その時期によって違いますけど。
基本的に1ページ1トピックで思いついたことを時系列でダーって書いていくという方式をしてたんで、
そういうことを考えた方はそういうページを作って書いてたでしょうね、きっと。
トピック単位なんですね。
2026年のお店の運営についてみたいな見出しを書き、ダーって書くっていう。
1日の仕事の再配は、リーガルパッドを使ってましたね、店長自体は。
それはまた別に。
作業を進める用のタスクリストみたいなものは、そこの別のリーガルパッドで1日単位に書いてて、
今進んでいる販売企画とか、クリスマスケーキの予約みたいなのは、トピックごとにページを作って書いてましたね。
その仕事についてのメモを書く感覚、書いてる内容の感覚と、
今の物を書きとしてというか、物を書く人としてメモを書く感覚って違います?
同じことをしてる感じします?それとも違います?やってることって。
すごい難しい質問してるな。
同じ部分は多いとは思いますね。
重なり合ってるベンズを思い浮かべたときに、ほぼ重なってると思いますけど、
全く同質化っていると、肯定はしにくい感じがありますね。
一番違うのって何ですか?
例えば、アイディアみたいなものを、先ほど言ったものには書いてなかったですね。
今思いついたとき。
例えば、仕事上で棚をこうしたらいいのかっていうのは、
そのノートに直接書くことは多分なかったですね。
結局、総合的なメモ帳に書くんですね、そういう場合は。
さっき言ってたトピックごとに書くノートとは別に書いてるんですか?
別に。僕はコミュニケーション自体から本を読む人間だったんで、
本を読む人間だった中、思いつくことが多く、
そういうことを書き留めるメモ帳を持ってたわけですけど、
仕事上のアイディアは結局そこに書いてましたね。
違うんですね。
行為としては違うんですね、そこは。
アイディアを扱うものと、単的に言うとプロジェクトを扱うものが、
僕の中では違う領域にあります。
仮に今コンビニをやるとしたら、やり方って変わります?
変わると思います。
まあとりあえずアナログノートではないでしょうね。
まあまあ、そうでしょうね。
でも、たとえばコセンスを使って、
1トピックごとにページを作っていくというやり方は、
たぶん同じ系統で進めると思いますね。
そのやり方の場合、カテゴリーとか分類がないんですね。
ノートで時系列で思いついたことを書いていくっていうのは。
必要なページに印付けるなり付箋付けて、
後で見つけやすいことはしますけど、
大分類作って売り場管理ほにゃららみたいなことはしないです。
たぶん俺今でもしないと思います。
なるほど。
ツールの選択と「俗人性」の重要性
想定として、たぶん執筆業においても、
執筆プロジェクトごとにフォルダ作ってっていうのはやってるんで。
職能は変わっても、情報管理の大方は変わってないと思うんですけどね、もちろん。
アレクラ社さん、でもその流れの中でエバーノートを使うようになったわけですよね。
そうですね。エバーノートはどっちかっていうと、
いわゆる知的生産で使おうとしてました。
だからコンビニの仕事ではない。
ない業域。
じゃあ仕事の道具としてっていうわけではなかったってことですね。
そうですね。
例えばさっき書いた大学ノートとかを、
仕事用大学ノートとかをフルページでスキャンしてエバーノートに入れるみたいな
アーカイブ的な使い方はしていましたが。
してたんですね。
それはもうその頃の執念みたいなもので、
手持ちの情報を全部エバーノートに入れようという運動があったから、
使うか使わないか別にして入れてましたけど、
それ以外の仕事の現場の何かの実行で
エバーノートが出てきたかっていうと出てきてなかったですね。
それは昔のエバーノートが重かったからっていうのもありますし、
ストアコンピューターっていうのがあって、
事務所に入るとコンピューターがあるんですけど、
それは本部がデータを入れてくるコンピューターで、
多分Windowsだと思うんですけど、上に業務用のOSが乗っかってて、
こっちで何かできるわけじゃないんですね。
だからエバーノートが開けないわけですよ。
なのでデスクの前におって自分の情報を書くときには、
机の上にノートを置くのがベストフィットなわけですよ。
だからエバーノートじゃなかったっていうのもあると思いますね。
環境によってそのメモをどういうふうに取れるのかという、
そもそもそういう制約もありますからね、当然。
あとコンビニは今の時代は分かりませんけど、
あの時代は情報の共有が大学ノートやったんで、スタッフに対して。
こっちだけパソコン使ってても仕方がないという側面はありましたね。
これは2004年、5年とか、もうちょっと後か。
6、7年ぐらいですかね。
20年ぐらいを引き算して何年か足すぐらいですね。
エバーノートが入ってきたのは2008年、2009年ぐらいですね、たぶんね。
もうちょっと前じゃなかったでしたっけ。そんなもんでしたっけね。
確か2008年。日本語版のあれがエバーノート。
やっぱ2008年ぐらいですかね。
やったような気がするんですけどね。
書いてない。
まああるんですけど。
まあだから、もし今コンビニでやった時点で情報共有がノートで行われたらノートを使うかもしれませんけどね。
どうなってるんでしょうね。
全然分かりませんけど。
最近もいろんなお店、小売店とか飲食店が店員が一人一人iPodタッチみたいなのを持っている場合もあり、
あれ経由で情報共有を行われたら当然デジタルでやるでしょうしね。そこはもう結構したい。
だからやっぱり組織で働くと自分思い通りにはならないわけですね、環境がね。
今はもう100%自分の思い通りにできるんで、工夫の入り方が場所が違うという感じがありますね。
そうですね。僕もやっぱり前職時代に一番つらかったのはアウトライナーを使えなかったことですね。
なるほど。
ワードのアウトラインモードを使うかですね。
個人のブログを書くみたいな個人の資的生産活動の場合は、そういう制約をほぼ考えなくてよくて、
せいぜい料金をどのくらい支払えるかという話だと思うんですけども。
だから自由度が高いですけども、自由度が高い分迷いやすいというのもあって。
この話を聞いてメモを取り始めようと思ったときに、結局選択肢が山のようにあるわけで。
ワークローリーでもデイリーありますし、エヴァノートでもデイリーありますし、オブシリアンでもデイリーありますし、ログシークでもデイリーありますし。
デイリーがやりたかったとしても、いろいろ選択肢があって。
そうですね。
だから、結局万人向けというものがないんで、そこから先はやっぱり発信する当事者が自分はこれですよっていうしかないじゃないですかね。
なんか僕最近思うんですけど、あんまり気を使いすぎて他の方法でもいいんですけどって言わないほうがいいのかなともちょっと最近。
いやもうアウトライナーが一番ですって自分は言うべきなのかもなともちょっと思ったりするんですけど。
それはね、僕も思いますね結局。
それぞれの発言者の役割みたいなのがあって、それを無理にするのは最近のデジタルツールが区別使えないようになっていると思うので、結局コントラストが出てこないので。
僕の場合はこのデイリーのメモはもう確実に100%アウトライナーだと思いますけど、特に書いてるメールがご覧になったように断片的なものばかりなので。
これ例えば1行ずつテキストファイルを作るのはもう馬鹿らしいオブ馬鹿らしいなわけですから。
これはもうワークローリーないしはそれに類するツールでいいと思いますけど。
唯一はオブシリアンのデイリーじゃなくてTinoかな。
デイリー型にメモできるプラグインがあって、あれは近いかなと思いますけど。
それでも操作性を考えたら普通にアウトライナー状に載ってるのがいいと思うんで、というところを言いつつ。
まあでもって言いたくない。
本心で別にどう使ってもいいと思いつつも、自分の方針としてはこうっていうことが両方本音としてあるのはありますね。
だから僕個人としてはアウトライナーでしかもログシークとかでもいいんですけど、
ログシークはデイリーよりも上位に階層を作れないということを考えるとやっぱりもっとプレーンなアウトライナーがいいですよと僕は言いますけれども、
でも例えば本当にログシークを手足のように使いこなしている人だったらログシークのほうがいいはずなんですよね。
オブシリアンを手足のように使いこなしている人だったらオブシリアンでやったほうがいいし、
やっぱり余計なことを考えずに自分の思ったことを考えたことをそのままそこに接続できるツールがあるならばそれでやるのが一番いいはずで。
当人の歴史性の中で既に使い慣れたツールがある場合は、そんなにキョロキョロ目を動かして浮気する必要なくそこから始めればいいというのはもう間違いなくて。
初心者オブ初心者の人が現代で非常に難しい判断を迫られるわけですよね。
選ぶための基準がないというか。
だからそこはモノマネというか憧れ駆動で一歩踏み出すしかないんでしょうね。
いやそうなんですよね。だから憧れ、まあ変な話ですけど、憧れられるように描くっていうのって結構大事なのかもという気持ちがありますね。
僕もやっぱりバンダラートの今泉さんとかへの憧れというのは未だに駆動力になってるんで。
全然今や今泉さんの教えを全然実践してないですけど。
でもやっぱりライフアウトラインの中に生きてますからね、その考え方が。
いやでもやっぱり思うんですけど、優れた師匠というのは弟子に乗り越えられる存在だと思うので。
最初に導くけども、やがては自分の手を離れていくものになってくれるのが多分師匠は一番嬉しいと思うので。
いや本当そうだと思いますし。乗り越える乗り越えないじゃなくても、
仮に違うことをやっていても、そこに至るプロセスの中に自分が伝えた何かがもし生きているとしたら、そういうことですよね。
だから手を引くという動作、導くというか手を引くという動作までは可で、自分の教えたここに閉じ込めるというのが多分良くなくて。
それはこう言うたんですけど、ノウハウがビジネスになってしまうとそうなりがち?
そうなんですよね。でもお金も欲しいんですよね。
でもやっぱり誰かの本を読んでノウハウを学んだとしても、やっぱりそれは閉じ込められないんですよ、その人の身体があるから。
そうじゃないシチュエーションがあるにしても、ある種の一冊の本が自分の方法を高々と主張するだけでは多分人をそこまで束縛できないんで、それはそれでも手を引くだけでちゃんと終わるんじゃないかなという気はするだけ?
絶対にそうとまだ言いませんけど、それぐらいが丁度いい塩梅なんじゃないかなと思いますね。
あとは自分が一番いいと思うノウハウとか方法とかがあるのであれば、それを全力で良さを伝えるということですよね。
仮にそれを100%じゃなくても何かの形で残ればとは思います。
そうですね。そういう発信が減ってきているのではないかという疑念があって、ブログ的なものが復興することでそれぞれの人が何を楽しんでいるのかというところが見えてくる動きが戻ってくるといいなと思いますけど。
チャットGPTに今存在しているデジタルノートツールについて検索して結果が返ってきますけど、どれを選んだらいいのかという駆動力はそこには発生しないので、
自分が困りごとを述べてこのツールがいいですよって言われても、何て言うんですかね。ああそうですか以上にはならないという気がするんですよね。
具体的な個人が具体的な問題に対して具体的な手法で答えているっていうその姿そのものが多分ね価値があるなあという気はします。
そうですよね。そこが何回か前に出た俗人性がより重要になるということじゃないかなと思うんですけどね。
そういう発信がたくさん目に入ってくれば、いろんな方法があるんだと別にこっちが言わなくてもいろんな方法があるんだと多分体感されると思うんで、それでいいんじゃないですかね。
そうですね。でもねやっぱり今のオブジディアン界にはすごくそういう熱量を持った人いるんですけどね。
そうですね。
オブジディアンもそれに応えられるツールだと思いますし。
かなりエポックメイキングというか、ひとつの波をつくったすごいツールやなと思いますね。
そうですね。
メモの整理と「嬉しさ」と「苦しさ」のバランス
そういうところですが、そういえば、メモの方式を変えましてワークフローリーで。
この前まではずっとこの一番上にメモっていうのがあって、ここに書き止めたメモがものすごいスクロールで並んでたんですけど、
さっきネクストアクションになってる。
ネクストアクションになって、メモはもう全部日ごとに分かれている。
前まではトータルメモ型やったんですけど、今はデイリー型に分かれてまして。
この分けする作業にワークフローリーのMCPがすごく役立ったという別の話があるんですけど、
分かれていると圧迫感がすごい少ないです。
これは過去のに遡って全部やったわけですね。
やってもらった。
そこでMCP。
エフィガを活躍しました。人間やったらまずできなかったと思います。
というのも、ここを見て、下にクリエイトの日付があるんで、それを見てその場所に動かすっていう作業をしたわけですけど、
人間では全項目やってられない。
900項目ぐらいあったんで、それ全部やってもらって、この形にやったわけですけど、
やっぱり一番上のメモを開くときにダーってなると、やっぱり嫌気がさすんですよね。
異弁性でいうと日付を超えたものが並んでるから嬉しいっていうところはあるんですけど、
それもせいぜい1週間ぐらいまでなんで結局のところ、ただ思いだけ長いだけになってたのを区分けにすることで分けられた。
これやっぱり僕が書くメモが多いので、多い人ほど日ごとに分けたほうがいいだろうと。
やっぱりバーって開くときにガーっていろんな自分の思いついたのが並んでるのは認知的に苦痛なんですけど、
でもやっぱりすごい感があるんですよ。
すごい感はありますね。
いろんなこと思いついてるなっていう嬉しさもあるんで、苦しさだけやったらもっと早くやめてたと思うんですけど、
嬉しさと苦しさがセットになって、なかなかそこから脱出できなかったのを今回脱出できたということで、
自分のこの生産ツール、情報ツールっていうのは自分の感覚的なものが関わってくるという話と関連するんですけど、
その良さと悪さが絡み合っているときになかなか抜け出せないというのがあって、そこでちょっと注意したほうがよくて、
逆に他の人がやってるからちょっとやってみようという憧れ駆動で自分のやり方を変えることができたというのがあったんで、
これもちょっと気に留めておいたほうがいいことかなという気はします。
なるほどですね。ちなみにどのぐらいの期間分のメモが溜まっていたんですかね、それをやる前に。
あ、2022年がありましたね。2020年から2026年。
これは中身ないんで、2026年の何月か分までが溜まってました。
5年分ぐらいあったってことですね。
それでもこっちに書いてるものはある程度思いついたものだけですけど、
だから2022年以前はありませんけど、それでも1000項目ぐらいはあったんで。
あんまりそれは精神的健康も良くないですね。
ちなみにこのメモにまたがって何かを検索するというケースはあるんですか。
このカレンダーの中で、アットマークアイディアで何か検索することはあります。
というか、出てきました。
アットマークアイディアでキーワードか。
そうすればできますし、でもカレンダーの中にはメモしかないんで、
こうやってもほぼ結果は変わらないと思います。
原稿類とかここには入ってないんで、僕の場合は。
だから基本的にはカレンダー全体で検索すると、
さっき言ったレファレンスとアイディアの両方がまたがって検索できますし、
絞り込みたかったらアイディアをつければいいという感じですね。
でもこれ見てると思いますけどね、
ワークフローインのカレンダー機能がついてからは、
これをメモにしちゃうというのは結構有効じゃないかなと思いますね。
そうと思います、これは。
なんかデイリーというとどうしてもタスクとか書きがちですけれども、
書きがちですって書いてますけど、
それより使わない人も、
純粋にメモを日付ごとに扱うために使ってもかなり便利ですよね。
と思いますね、これは思います。
1枚の項目に全部並べると日付を超えて、
閲覧できますが、日付で分けてもアウトライナーは通して閲覧できるわけですよね。
オブシリアの場合はプラグインを使わないとデイリーを並べて表示はできないので、
だからちょっと途切れがちで、
さっき言ったTinoみたいなのはそれができるからいいっていう話なんですけど。
これを主にアウトライナーでやろうとはちょっと思わないんで、
やっぱり、クロイがアウトライナーにとどまらないところはありますよね、確かに。
ちなみにりたくさんのカレンダーは年とか月の構造はどうなってます?
カレンダー機能と時系列の二重性
年あります?
そうですね、年あります。
並びって上下、正順、後順どっちですか?
そうですね、どっちだったかな、ちょっと待ってくださいね。
覚えてない。
普通に作ったら多分この並び、若い方から。
多分、後順、じゃない、正順になりますよね。
と思いますね。
何もいじってないから、そうですね、正順ですね。
これね、面白いなと思ったのは、さっきのメモ項目作ってたときは、操作上の理由から新しいのを上にしてたんですよね。
新規項目を上に追加してたんですけど、この項目でタスクで検索すると古いものから並ぶんですよね。
で、メモを見返すときって古い方から見たいときがあるんですよ。
メモを、例えば今日のメモを預かるときは直近でいいんですけど、タスクについて考えたことをもう一度見交わそうというときには、古い方から見たほうが新鮮というか、覚えてなかったものが出てくるというのがあって、この時系列が二通りあるのが面白いなという感じがしてますね。
なるほど、なるほど。
結構、検索するようになりましたね、だから。
そう、またね、ワークフローだから検索するっていうのは結構ありますね。
うん、確かに。
そうですね、だから僕はこれ、カレンダー。以前は週も入れてましたけど、なくして年があって月があってその下日付けになりましたね。
そうですね、なんか知らんけど、僕8月だけオーガスト日だったので、ちょっとよくわからないんですけど。
まあ別に使ってて何も困らないからいいんですけど。
なんで?
こっからもうあれになってるな。
あれなんでですかね?あれ変わったんですかね?
僕は設定を変えたのかな?わかりませんけど。
てかそんな設定ってありましたっけ?
あるから。
あるって?
あるからこうなってるとは思うんですけどね。カレンダー、え、ちゃうか、カレンダーでいいのか?ちゃうな、デイリー。
これか、これを押して、カレンダーレイヤー。
カレンダーレイヤー。
違うな、ないな。ないな。
え、でもないよね。いつからか、8月から変わってるんですよ。
え、でもね、僕09になってますよ。08、09になってます。
不思議やな。僕は一切入力はしてないですよ、こんなんは。
7と次作ったらオーガストになってて、変なの?と思いながら見てましたけど。
まあでも別に何も困らないんで。
なんか言語のセロ。
僕はいじったのかな?
まあわからないですけど、この辺がちょっと面白いですね。
「デイリーランダムノート」の推奨と今後の展望
まあそんなところで、キーワードに文章を書く方法だったのかどうかはちょっとわかりませんが、
メモと、今回はデイリーランダムノートという概念が発掘されたんで、
それをやっておくことで、ブログかどうかというと、
文章書き慣れはできるかなという、日常的にウォーミングアップしてるようなもんなんで。
知的生産的にも有効なトレーニングやと思いますんで。
日記を書くで、書ける人は別にいいですけど、
昔困ってまう人は、ざったなノートという感じで書いていけばいいんじゃないかなという感じですね。
まあ楽に書ける、少なくとも楽に書き始められることは確かなと思うんですけどね。
そうですね。
で、そのような書いたものから見つかってくるメモ、じゃあネタっていうのがあるという感じで、
ネタを先に見出すというよりは、書いたものからネタを見つけ出すという感じが運用的にはいいんじゃないかなという感じですね。
というところで、何かお知らせとございますでしょうか。
お知らせは、まだないです。
まだ。はい、楽しみですね。
楽しみですね、そのまだが取れるのが楽しみですね。
暮らした私がセールになっていたような気がしますんで、
全てはノートから始まるの、電書籍のセールで、
たぶん高段車じゃないや、正解写真書系のセールやったと思うんで、
日付はわからないですけど現在半額になっておりますんで、
よろしければチェックしてください。
これはぜひですね。
あとはそうかな、皆さんのメモ環境がどうなっているのか、
デイリー方式なのか、一括方式なのか、あるいはトピックごとのメモなのか、
そういう実情があれば、ハッシュタグ打ち合わせキャストひらがなで打ち合わせアルファベットキャストまでいただければと思います。
はい、では今回はこれまでにしたいと思います。お疲れ様でした。
はい、お疲れ様です。
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