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雷鳴龍馬チャンネル ライブ
2025-09-28 06:47

雷鳴龍馬チャンネル ライブ


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皆さん、おはようございます。 雷鳴龍馬です。
今日もミャンマーからお伝えします。
今日のトピックは、教育ということについて少しお話したいと思います。
人は、教えることができるのだろうか。
いろんな意味で、長い間そこにチャレンジしてきたんですが、
教育という、そういうおこがましいことは、できないのではないかという結論に、今は至っています。
そもそも、自分で学ぼうと思っていない人に教育はできない、ということは間違いないのではないかと思うのです。
昔、こういう話を聞いたことがあります。
広い牧草地で、草を食べている牛がいて、
ここの牧草は、もうすぐ食べてしまって、亡くなってしまうよ、と。
周りの人たちは気づいているんだが、その牛だけは気づいていない。
その気づいていない牛を、別の牧草地に連れて行こうとしても、決して動こうとしない。
ところが、その牛がふと、顔を上げた時に、力を加えて動かしてあげれば、動き始める時があるということです。
この例え話は何を言っているかというと、本人が頭を上げるまで見ている人がいるということです。
教えることはできないのですが、その時にそっと手を差し出すことはできると。
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本人の意思が、学ぼう、動こう、そういった形の意欲がない限り、教えることはできない。
ただ、横にいて、側にいて、そのタイミングをずっと待っている人がいれば、教えることができるという例え話です。
と、その時は思ったのですが、なかなかずっと見てくれている人というのはいないものです。
そういったことをしてもらえるとすれば、親であったり、親友であったりするわけですね。
そういった関係性を持った自分以外の人、そういった人を持つのが、もしかしたら人生の宝になるのかなと思った次第です。
教える方も、俺が教えたとか、俺のおかげでとか、私のおかげでとか、たまにそうやって自分のことを育ての親と呼じする人がいますが、
私はそれを聞きながら、本人が学び取ったのではないかと思っている時があります。
皆さんはどうでしょうか。人を育てる、そのことについて可能か不可能か、もしくはどういう条件が整えばそれが可能かとか、一度考えてみてはいかがでしょうか。
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今日は教育についてお話ししました。ここまでといたします。
身体根堅相妙に至今死一体雷鳴生光。
智相目中加速水田。
生きとし生けるものに平安を。
愛は農業をつくる。
今日も一日、健やかにお過ごしください。
ありがとうございました。
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