00:03
はじめに、宗教とか嫌いな方とかね、浄土真宗に興味ない方とかね、そういう方は、このラジオ聞かないでください。
全くためになりませんので、お願いします。
みなさんこんにちは、さらばラバウルカンパニーです。
今日ね、母が仏壇をね、おばあちゃんの仏壇をどうやってしまえばいいんだっていうところで、
あれをただ回収してお祓いしてもらうからといって、それでいいのかなみたいな話をしていて、
母はね、畳られてしまうんじゃないかみたいな、そういうことを言ってて。
僕はね、嫌そうなことないとか言ってたんですけど、とりあえず母のリクエストに応じてお坊さんをね、電話してみました。
うちはね、浄土真宗なんですけど、浄土真宗の考え方っていうのは、
王女即成仏かな?
亡くなったらすぐ成仏するよっていうことですよね。
だから、四十九日はそばにいますとかね、そういう概念はないんですよね。
もう仏様になって、それなんでかっていうと、阿弥陀如来がすぐ迎えに来ますからね。
光の速さで迎えに来るんですよ。パーンって。
本当かどうかわかんないですけど、阿弥陀如来がすぐ迎えに来るんですけど、
おこないのよかった人にはね、たくさんいろんなものを連れて、浄土に連れてくわけですけど、
たくさんいろんな仏様と一緒に迎えに来るみたいですけど、
あまりに適当な生き方、すごい罪を犯したりするとですね、阿弥陀如来の座っている台座だけ迎えに来るみたいです。
そうは言ってもね、どんなに悪い人でも迎えに来るよというのが浄土神宗の素晴らしいところですけども、
とにかく迎えに行ってしまったわけです。
だからね、仏壇は何なんだと思ってね、お坊さんに尋ねたんですけど、
仏壇は象徴ですっていうふうにおっしゃいましたね。
そこに仏様はいないんだけど、祈る場所がそこがないと祈りづらいからあるだけということで、
正直本当は別に何もお祓いとかもいらないみたいですね。
ただその、あえてやるなら台座式というのをやりますよということでご提案いただきました。
なのでね、その仏壇を閉まって、そこに仏はいないんだけど、
03:02
その象徴として拝んでいた仏様か何かにも立ち去っていただくというかね、そういう感じみたいですね。
浄土神宗じゃない人も浄土神宗の人もいると思うんですけど、
浄土神宗ね、結構楽ちんなっていうか、よくできてるんですよね。
さすが日本で一番神徒の多い宗教で、何がっていうとね、とにかくシンプルなんですよね。
だから仏壇もいりませんよと。
正直、位拝もいらないみたいです。
本当はね。
なんでかっていうと、心の中でね、生身だ仏って口にするまでもなく、
心の中で生身だ仏をイメージするだけで、お祈りしたことになるということですよね。
究極のサボリ仏教みたいな感じですね。
おサボリ仏教。
位拝がね、仏壇にたくさんあるわけですけども、
それをどうしたらいいかもね、お坊さんに相談したら、
過去帳とか法名帳っていうのに、位拝に書いている情報を書き写して、
私からの俗柄とね、その情報を書いて残しておくといいと思いますということで、
位拝ももう役割をおいているなら、
その法名帳に書き写して、それをね、お参りするのでいいですよということでした。
ということでね、法名帳というのを近くで、近所で買ってみようかなと思っています。
僕がね、浄土新宿の、
自分から浄土新宿に入ったわけではなく、
ただただ家が浄土新宿だったというだけですけども、
僕は信蘭とかね、丹尼招とか好きなんですよね。
信蘭の言った言葉が丹尼招にまとめられてて、
丹尼招はね、あんまり過激すぎるから、
明治時代ぐらいからやっと普及するようになったみたいですけども、
浄土新宿のもっとベーシックな優しい、ふわっとした教えはあるんですけども、
丹尼招というのはかなり過激なことを書いていますね。
ただその丹尼招を読むとすごくね、
気持ちが楽になるっていうかね、
思いますね。
例えば実家しまったりするときも、
こんなに大切にしてたものを捨てていいんだろうかみたいなね、
06:03
こんまりみたいにね、スパークジョイするものを捨てましょうっていうのはね、
正直別にね、全く全部スパークジョイしないんですよ。
じゃあ全部捨てましょうでいいのかなみたいなね、悩んだりすると思うんですけども、
丹尼招に書いているのは、
自分がね、善人であるっていうような前提を置くのはしんどいよと、
自分が悪人である、悪い人であるっていう前提を持っていた方が、
いいんじゃないのみたいな、そんな雰囲気のことを書いています。
そう。
で、そういうのに立ち返ってみると、
実家のしまい方であったり、先祖の供養の仕方とか、
よりよく素晴らしく真面目にやろうっていう風に考えると思うんですけども、
そこのハードルをね、浄土真書はめちゃくちゃ下げてくれてるんじゃないかなと思いますね。
だから、私がまともな供養ができるわけがない、
そういう立場に浄土真書は立ちますね。
私が先祖のために何かできることなんて全くないと。
何もできないから、生身だぶつって唱えるぐらいしかできないよねと。
そんな悪人である私にだって、
まあ、阿弥陀如来は来るよと。
そういうロジックになっております。
素晴らしい。
ということで、だからまあ、
これはね、何にでも言えると思うんですけども、
この人のために何かいいことをしたいとかっていうね、
思いもあると思うんですけどね、
何にもいいことなんてできないやっていうね、
っていう立場を取れるってことですよね。
そう、で、新蘭はね、
地獄は一場住家族化して、
丹仁書に書いてます。
それは、私はね、
全く一つもいいことなんてできないから、
私は地獄行きがもう決まってる身なんですよっていうふうに言うんです。
これどういうことかっていうと、
新蘭にね、
ちょっと、私は天国に行きたいから、
どうやってそのいい行いを積むことができるかっていうふうにね、
新蘭の名前を聞いた皆さんが集まってくるんですけども、
そういう人たちにね、
いや、私はね、一つもいいことなんてできないから、
ごめんなさい、地獄行きなんです。
ただただね、私の師匠の法念さん、
浄土寺を開いた法念さんが、
念仏したらいいって言ってるから、念仏はしてんだけど、
それ以外何もいいことできないから、
私は地獄行きですということを言ってます。
あれ、阿弥陀如来迎えに来るんじゃないの?とか思うんですけど、
そこもね、またなんかいろいろあるみたいですけども、
09:00
とにかく地獄に落ちていく定めである私たち、
新蘭含め凡人、
それをとにかく救い上げてくれる阿弥陀如来っていうね、
かなり強烈な構図になってます。
ひゅーって落下するのを落ちないようにね、
瞬間的に光のスピードでサッサッサッスッスッとね、
阿弥陀如来が迎えに来て、
連れて行ってくれるということですね。
浄土真宗以外の東洋哲学もね、
結構極端な考え方とか、
ダイナミックな、すごい大きな発想とかがあって、
僕が好きなのはそのロジックが破綻しているところ。
なんかこう、え、地獄に行くんじゃないの新蘭は?みたいな。
いや、でも阿弥陀如来が迎えに来るんだ、みたいな。
でもまあ、それぐらい極端な、
なんかこう善とか悪とかも、
そういう概念をすべて乗り越えてしまって、
極端な発想があると、
自分の存在なんてちっぽけなんだ、みたいな。
そういう温かさとか大きさがあるなと思うわけですね。
だから浄土真宗を学べば学ぶほど、
自分がね、いい人じゃないなっていうふうに
後悔することはなくなってくるっていうか、
まあいいや、悪い人で。
はなから悪い人なんだから、みたいな。
いいことなんてできないんだわ、みたいな。
でも、だからといって、
じゃあ嫌なことをいっぱいしようっていうわけでもないんですよね。
不思議なんですよ、これは。
自分が地獄行きのみだとか、
悪人だっていう前提に立てば立つほど、
なんか楽にね、
なんかいいことできるような気はします。
なんでかよくわかんないけど、
僕はとにかく気持ちが楽になりました。
やっぱりこういう考えに触れるまでは、
その人のために何かいいことできるかなとか、
例えばね、すごい苦しんでる人いますよね、周りにもね。
仕事ができないような病気を抱えてしまったりして苦しんでる人とか、
それこそ私の祖母みたいに認知症になって老人ホームにお世話になって、
実家に、大好きな家に帰れない人とか、
そういう人のために心を痛めるってことがあったんですけども、
なんかね、浄土新宿の悪人症季節みたいなのも、
もう、あ、無理なんだ、みたいな。
自分には救えないものがあるっていうか、
12:02
全てのものは救えないんだっていう立場に立ってから、
できることがあるかもしれないってことですよね。
って考えてから本当に楽になったし、
なんか人にもね、期待しなくなりますよね、そうすると。
私が何かいいことをしたんだから、
この人にはいいことをしてもらおう、みたいなのが鼻からなくなるっていう。
そもそも私はいいことなんてしてないんだから。
相手に何か見返りを求めることなんてないし。
ということは、相手から何かされるっていうのは常に期待値を超えてるわけですよね。
だってそもそも期待してないんだ。
っていうような喜びの敷地がすごいグッと下がるんですよね。
これやっぱりね、面白い考え方ですね。
ということで、実家の仏壇も閉まって、
シンプルにね、法明町というのを作って、
私から見た先祖十何人ぐらいのご遺肺を一冊の本にまとめようと思います。
それをね、これから思い出して、
先祖に感謝していくというような形にできればと思いますが、
家族がちょっとシンプルすぎるって言われたらあれですけども。
そんな感じです。
はい、ありがとうございました。
すみません、浄土新宗に興味ない方、宗教が嫌いな方、本当に申し訳ないです。
はい、ありがとうございました。