1. ポッシビリティーチャンネル
  2. 古き良き、日本の文化を現代に..
古き良き、日本の文化を現代にアジャストする
2026-07-30 15:06

古き良き、日本の文化を現代にアジャストする


---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/65c158590a4a74f98f5f1977

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

00:06
はい、いかがお過ごしですか?ポッシビリティーです。
うわ、なんか蝉の声が、夏休み感だなぁ。これBGM乗ってんだろうか。
本題の前にお知らせです。この番組は、昨日より今日、今日より明日をちょっとだけ良くする、そんな情報シェアでございまーす。
はい、今日はですね、ちょっと久しぶりに、あの昔のことをね、ちょっと思い出してみました。で、昔のことって言うと、いつ頃のこと言ってんの?っていう話なんですけど、私50歳超えているので、
まあまあ、少年時代みたいな、その頃かな。で、その頃の何を思い出したかというと、あの回想したかというとですね、
物をなんか大事にしていた時代とかね、これ大事にしなさいよとか言われてましたよね。で、今のちょっと大義語としては、もう新しいの買えばいいじゃんみたいな、なんかそういう感じ?極端に言えばね。
で、20年前ぐらいからかな、顕著に現れた変化だなと思っていることの一つに、まあ2、30年かな。あの家電とかね、もう寿命ですんで、修理するより買った方が安いですよっていう、え、そうなの?って、もう今では抵抗なくなってるじゃないですか、この感じ。
でも30年前とかはですよ、え、いや修理しますみたいな選択肢と、直した方が安いみたいな時代の境界線?ものにもよるんですけど、まあそういう時代だったよねって思ってるんです。
で、まああの業界にいる人とかね、そういうものを扱っている人とか、もう肌感覚でそうだよねっておおよそわかっている人たちは、もう今は家電すらも消耗品というふうな位置づけで、
見ている方もいらっしゃるかもしれない。いやいや、消耗品じゃないよ、あんな高いものって。あのおっしゃる方ももちろんいらっしゃるかもしれない。
でも、あの昔のね、本当にあの部品を交換すれば治ったみたいな時代はですね、非常に今はあの、まあもの、そういう対象物って少なくなってきている。
特に僕らみたいな個人消費者みたいなところのですね、まあ家電に代表されるものっていうのは、やっぱり5年経つとねとかね、いやもう10年使ったら元取ってますよって言われちゃうものが非常に多くなっているよねと。
前振り長くなったんですけど、あのこれ何が言いたいかというとですね、この消費サイクル5年10年あるいは長いもので15年で買い替えていくのが当たり前っていうこのサイクルって、まあいわゆるエコシステムですよね。今の経済のまあこの根幹を成している形だと思うんですよ。
なんですけど、これから一気にね、外れることって実際難しいんですよ。まあ僕らはその家電に限らずいろんなこのエコシステムの中の恩恵に預かっているので、なかなかそこからね、距離を置いて急にポツンと一軒家みたいに電気もガスも水道もないところであのサバイブ生活しますみたいなことはこれ無理なんですね。
03:14
なんですけど、あの最近ちょっと、実は僕前から気づいていたことがあってですね、これは物の買い方なので、もちろん全ての人に当たらないし、その否定するわけでもないんですけど、例えばビジネスっていう観点で売る側の都合で設計されている物って結構あるんですよね。
で、それは一つ言うとさっき言った家電もそうなんですよ。どんどん買い替えていただいた方がメーカーさん儲かるし、販売店も儲かるし、まあそれが回っているからなんとか今経済も回っているみたいな側面もちろんあるんですね。
なんですけど、これをすべてこのサイクルの中にはめていくと多分ね、この先いろいろ問題が起きてくるんだろうなーって思ってるんです。
で、つまり今日前振りすごく長いんですけど、何が言いたいかというと、マインドの話に最後帰結します。
これ何のマインドかっていうと、物を大切にする心っていうことです。
これすごく広い領域のことを指しているので、それが個別何かっていうと、例えばね、これ貧乏臭い汚いやめときなって言われるかもしれないですけど、例え話ですからね。
わかりやすいかなと思って例えてみるんですけど、割り箸って使ったら捨てるじゃないですか。あれ洗って使いますっていう人なかなかいないと思うんですよね。
でも例えば、今回熊本ね、地震がありました。大きな地震ありました。当たり前に電気も来ないです。水も来ません。
暑い灼熱の中で作業もしなければいけない。こうなった時に、例えばもしかすると割り箸すらも洗って使うとかね、洗うものもないからどうするとかいろんなことを考えないといけないわけですよ。
で、これ捨ててたものを捨てていいのかみたいな基準を考えざるを得なくなるのが、いわゆる被災時、災害時なんですよね。
当たり前だったものが当たり前じゃない、貴重になる。例えば水ですよね。飲む水、手を洗う水、分けて貴重だから大事に使ってね、みたいなことになるわけです。
これっていうのは、いわゆる災害時であるからそうなるのであるけども、平常時それをどこまでできるかってすごく大事だと思ってるんですよ。
過剰にあればあるほど、要は無駄に使ってしまう側面っていうのは人間にはあるなって思っていて、これ例え話もう一個するとですね、
過去の僕のとんでもない話をしますよ。18歳ぐらいの頃か、10代の頃ですよ。
06:06
当時僕がいた会社ですよね。会社の短期、1ヶ月ぐらいの集合研修みたいなものでですね、会社の保有する寮に箱を缶詰にされてですね、研修を受けるみたいな、そういう中でのことだったんですけども、
当時、風呂とかお湯を張るとかを、お湯出しっぱなしで溢れてそのままになっているとかですよ。
あとエアコンつけっぱなしでいないのに帰ったらキンキンになっているとかっていう、いわゆる使ってもないのにつけっぱなし出しっぱなしにするみたいなとんでもない話でしょ。
でもこれって何がそれを起こさせていたかというと、無知無関心、そして俺の腹は痛まないというとんでもない根底にある思想から来てるんですよ。
とんでもない話なんですよね、これってね。なんだけど、無知無関心というものがそういうものを生み出したり、何が起こるかがわからない。
それはいわゆる無知ということなんですけど、そういうことが起こることによって、本当に誰のためにもならないようなエネルギー消費損失をしてしまったりするわけです。
電気屋さんとか水道屋さんはそれで儲かるかもしれませんけど、もうちょっと水も電気も大切な人に役に立つ使い方があるよねって当たり前の話なんですけど、
無知が生み出すそんな極端な話がありますよと。これって知らないということももちろんそういう悲劇を巻き起こすんですけども、再現なく無人像にあるものに対しては人ってそういうことになりがちなんですよ。
これちょっと汚れちゃった、いい、いくらでもあるからこっち使えなよってこの感覚。
でもいくらでもあるかというとこれからはいくらでもない可能性が出てくるんですよね。残念な話なんですけど。
でもこれを悲観しているわけではなくて、本来もっと大切に使えるものはまだまだ世の中にいっぱいあるし、そこに知恵を働かせることによってそのライフサイクルを伸ばすことができるものみたいなのもあるはずなんですよ。
これからこういう個別の知恵みたいなものを意味嫌う人もいると思うんです。
なんでそんなことをちまちま考えて貧乏くさいことをやらないといけないのって思う方もいらっしゃるかもしれないし、それを手元の経済力でもってお金で解消してしまう術っていうのももちろんあると思う。
それができる場合においてはもちろんそれも一つの選択肢かなと思うんですけど、
これからのちょっと日本のこの状況を見ていくと、もしかするとそういう方向ではちょっと厳しくなるかもしれないっていうのが冒頭あたりにちょっと話したことなんですよね。
なのでこれ急に変わるのって大変なんですよ。人間って本当大変なの。
なのでこれってまた脱線しますけど、今日長話しますねもうね。
09:01
かつて戦後の頃に幼少期を過ごした、僕の親世代とか割とそうなのかな、物が少ない貧しい世代、そんなに贅沢できなかった時代の人たちが、
日本の高度成長期という極端に言うと大極のものにあふれる時代を過ごしたことによって、幼少の頃感じていた不足感というものを充足、要は満足する時間というのをたっぷり過ごしたんですね。
物あふれすぎてるやろっていうぐらいものに満たされたわけです。
それによって心の安定みたいなものを維持・担保していた人たちがいたと。もちろん今もいらっしゃるんですけどね。
全ての方がそうではないんだけども、そういう世代の方々たちと、最近行かなくなったんですけど、バイキングってあるじゃないですか。
いわゆる食べたいものを食べたいだけ取りますみたいなね。これをやると多くのあの世代の方々たちが食べきれないほど取るのね。
あの風景を見ていて、僕は昔からなんでこの人たちは残す分まで取るんだろうってすごく疑問も抱いていたし、なんでこんなもったいないことをするんだろうって若干非難気味に思ってました。
言わないけどね。だけどその人たちに余っちゃうからって言ったら、余ったら捨てればいいからって軽く言ってたのをすごく今も覚えていて、いや、捨てたらあかんやろと思ってたんです、僕はね。
で、今や寄り戻しじゃないんですけど、そんなことやったらフードロスももちろんそうだし本当にもったいないから必要なものを必要なだけ食べた方がいいんじゃないですかって、今はさらに強く思うんですけど。
で、これちょっと話脱線しちゃったんですけど、当時その人たちがその不足感を心に抱えたことによって足りないっていう気持ちを味わうのが嫌だったんですよね、どうやら。
で、幼少の頃につらい思いをしているから、そういう思いをしたくない。だから足りないっていう体験をもう二度スタンドしたくない。
だから余って捨てるような、ちょっと僕らから見ると、なんで余ってるのに捨てるほど取るんですかをやっちゃうっていうね。
この心理状態っていうのに、僕は何人かそういう話を問うと別の人なのに同じことを言うっていうことにかつて気づいたことがあって。
あ、彼らには彼らが過ごした幼少の頃の心のトラウマとまではいかないかもしれないけど、辛い経験をしてきた。
それを保管しようとする。あるいはそれをもう味わいたくないという思いで逃避する。だからそういう取り過ぎちゃう問題みたいなことになるっていうのも理解はしてます。
結構幼少の頃に育ったそれであるとか、心の中にあるベーシックなものっていうのは意識的に書き換えようと思わないと書き変わらないことが多いし、書き換えたいとも思わないっていう人たちもいっぱいいるんですよ。
12:03
なぜなら痛みが伴うから。なんでそんなことをしないといけないのって。反発招く方が当然自然な形であって。
でも今ならまだ間に合うんですけど、この心のありようっていうものを、純卓にお金なんかいくらでもあるんです死ぬまでの財産ありますっていう方もいいと思います。
もうこれ聞かなくていいんですけど、どうなのかなこの先どうなるのかなって思っている方々たちは何も貧乏になれと言ってるわけでもなく、心まで貧しくなれと言っているわけではなく、むしろ樽を知るっていう言葉がここで出てくるんですけど、
十分これがあれば豊かだよね、足りてるよね。
要は無駄にしないっていう心っていうのは、僕はある種心の中に豊かさを生み出す厳選だと思ってるんです。
と思ってるんですよ。
ものが溢れたことによって豊かになったことは間違いないんだけども、一方で心に不足感を感じていることがあるっていうね。
これつまり何が起きているかというと、ものが溢れたからといって全ての心を充足させる効果はそこにはないっていうことを指しているんですよ。
ちょっと難しい言い方しましたけどね。
ということで、この心をどういうふうにこれからの時代にアジャストしていくのがいいのかみたいなことを考える時期にも来ているのかなって思ってるんです。
別に心の問題が全てのこれからの日本で生きていくことを前提にしたときに、世界で生きていくことを前提にしたときに心の問題が全てを解消するなんて僕はそんなことは思ってないんですが、
全方位いろんなことをやりながら、その中の一つにも心っていうものをどのように時代に合わせて調整していくかっていう観点。
あとはこれにはやっぱり時間がかかる。やっぱり簡単には殻は変わらないんですよ。
農業とかに似てるのかなって。農作物を育てるぐらい気の長い話。
1年目うまくいった。2年目うまくいかなかった。3年目その対策をしてまたうまくいった。でも4年目何かまた別のことが起きてうまくいかなかった。
ちょっとずつそのノウハウを積み上げていくような気の長い話だったりするんですよね。
ということで今日何の話だよって本当にここまで聞いた人いたら本当にびっくりだなって。
14分も喋ってるんでね。さすがに聞く人本当少ないなと思うんですけど、
それぐらい本当にあのちょっと散らばった話ですが、これからの時代に合わせて自分の心をアジャストしていくっていう観点。
これは僕はすごくこれから重要になっていくんじゃないかなと思っておりますという。
難しい話になりましたね。タイトルどうしようかな。
この後タイトル決めて送り出したいと思います。ということで暑い日続きますけれども、
今日も素敵な1日を送っていきましょうね。
ということでお相手はDJ Possibilityでした。またね。
15:06

コメント

スクロール