この番組では、最初に日常の話から入ることもありますが、そこから話題が次々と移り変わっていきます日常のささいな出来事をきっかけに、人間の認識、意識、存在、そして意味づけの仕組みを観察する思考実況ポッドキャストです。
哲学や心理学を教える番組でも、人生の答えや救いを与える番組でもありません。
「何を知っているのか」
「それは本当にそうなのか」
「確信はどこから生まれるのか」
人はなぜ何かを信じるのか。
なぜ物語を作り、意味を見出し、自分や世界を理解しようとするのか。
私たちが見ている世界、自分という存在、記憶、感情、快感、思い込み、そして後から作られる物語を静かに掘り下げます。
信じることで成り立っていた世界から離れたとき、人は何を見るのか。
意味や物語が最初から存在するのではなく、人間がそれらを作り出していることに気づいた後の世界を観察します。
人生に意味はあるのか、どう生きるべきなのかという答えを探すのではありません。
意味や目的が揺らいだあと、それでも人間はどのように日常を維持し、考え、動き続けるのかを記録します。
結論よりも、考えている途中の揺れ。
完成された思想よりも、変化していく認識の記録。
自己啓発ではなく、答えを急がず問い続ける。
虚無を終点ではなく前提として、人間という存在の仕組みを見つめる哲学的独白番組です。
感想
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00:02
これから、倉木さんのラジオ収録、始まります。
げんざいさん、あさです。
絶対っていう、絶対的なものを理解してからの正解を目指すのと、
絶対を土台にした仮の正解を目指すのとは、
同じことなのか考えてみました。
絶対的な土台っていうのは、普遍的な価値を信じているか、あるいはそれがないと知りつつ、
仮の土台を置いているか。
絶対を土台とする場合ですね、その仮の正解は仮ではなく、
真理として扱われるんですよね。
その価値を絶対だと信じている。
崩れ落ちた時、自分の存在価値も崩れ去るんですね。
で、逆に、絶対などないと理解したいので、
あえて仮の正解を選ぶ場合、
自分はこっちの方ですね、生活していて、
例えば、風邪をひかないためにはこうするみたいな、
あえての仮の正解ってあるわけですよ。
でも別に、風邪をひかなくたって風邪ひいたって、
自分にとっては同じことでもあるんですよ。
でも現実問題、風邪は生物としてひかないようにやっぱりしようとしますから。
で、これ価値が崩れても客観的に捉えられる。
でもこれは嘘だってこと、つまり仮だってことが分かっているから、
その正解に対して熱狂はできないわけです。
でもそれが、だからこそ自分はそうしているんですよね。
あと人から冷めていると見られるだろうね。
だから価値とか意味とか、普遍のもの、絶対のものと思っているけど、
人がやっているのは仮の価値なんですよね。
03:01
では次、無意識に、弱い立場に攻撃して、
その人もまた、された人もまた次の人に、
っていう連鎖に息取りを感じるんですよ。
悪いとは思いながらでも、
それがだから、人間の性質なら別に悪いとは思わないけど、
自分に対してそうしてきた奴らは許さないし、
だから絶対にこれからはそういう、舐められてはいけないなと思うんですよ。
これって自分も苦しんでいるから、お前も苦しめみたいな足の引っ張り合いですよね。
では次、改善して。
何が改善するとすれば、その時に起これるのは、
整合性が取れない、となるってことなんですね。
今までも整合性なかったけど、
じゃあ変化する意味ないんじゃないか、と思うんですよ。
整合性どうせないんだから。
でですね、整合性、つまり矛盾がないかっていうのは、
自分はとても気になるというか、気になるどころか立ち止まってしまうんですけど、
世間の人にとってはですね、
単なる改善だと変化するのは、もうそれだけでコーティングしてしまうんですね。
だから整合性に対して、整合性なくても目を瞑るんですよ。
で、この人は嘘がないなと思う人って人生で会ったことないんですかね。
そういう人たちってのはここで、そうやって自分に都合よく
潤滑油を使わないわけですよ。
ただ本人たちは非常に苦しんではいると思います。生きづらいなと思っていると思いますけど。
その疑問をいつも暴こうとしてるんですよね。
別にそれが何の改善にもつながるとは思わないですけど、
ただ単なるひとりよがりの主張ですけど。
改善して整合性なくなっても、曖昧に捉えて許容するのが人々なんですね。
矛盾だらけになっているのに、改善と決めつけるのは正気かなと思うんですよ。
06:00
では次。虚無にいるから正解を求めても意味ないのはわかっているけど、
虚無だけでは生活できないから無理やり悩もうとしているところはあるんですよ。
全く虚無の中ばかりにいたら、いや、虚無の中でずっと生活してるんですけど、
他が立ち上がらないと全く改善とかないし、
改善しなくてもいいんですよ。ただですね、
それは全く外部が変化しなかったらの話であって、
変化しますよね。だしそのワンシーズンでの同じパターンの変化もある。
何月には何があってとか、何月から暖かくなってとか。
だからその時には改善しなきゃいけない。その時に虚無なだけではいけないんですね。
悩もうとしてるって言ったら言い方変だけど。
では次行きますけど。
多くの人は正解がないと生きづらいから、仮の正解というのを立て前で絶対置くんですよね。
これは自分もそうです。
あと希望目標を持つと、そこにたどり着いてない今が生まれるんですね。
比較するから、今とは。光が見えてるわけで、見えてるんですよね。
早く生きたいし、その光に向かって進みたいし、だから今に集中できないんですよ。
光っていうのは目標とかより良い状態ですよね。
だから今の自分が欠損した状態として浮かび上がるんですね。
さっさともう未来に飛んでしまいたいわけですよ。
だから目の前の実相から意識が離れてしまう。
食事中に、もしですよ、自分なんかあれですよ。
目の前にケーキなんかあってデザートなんかあったらもう、意識そっちに行っちゃって。
味感じないんですよ、今食べてるものの。
多分そうなると思うんですよ。
でも自分の場合は目標なんてないけど、間違って光が見えたとしても光などない。
虚無を知ってるから二重の視点ではあるんですよね。
でも普通だったら、虚無なんてことを忘れるために光を信じ込むことでこの矛盾を解消するんですよね。
09:04
あと実はいつも希望っていう言葉を使ってるんですけど、これは可能性を含むんですね。
可能性あるかどうかは含まず、光の兆しがあったり、
良い未来が待ってる、これをやれば幸せ、みたいなその快感。
こうやれば幸せ、あと快感が単に出てる状態。
これがですね、ありそうなものでないんですよね、こういう言葉。
でもこういうことって二重はあると思うんですよ。
今日の僕からは幸せだみたいな感覚。
でも小学1年生でもわかる言葉ありますね。期待はそれですね。
前ある女優さんが人間に対しては期待はしないって言ってました。
悟ったんでしょうね、きっと。
宗教に行った頃、現実離れした不安による不安障害、恐れを消す作業だったんですね。
そしてその後、宗教辞めて生活の細かいことにこだわって現実のことで不安に感じるようになり、
同じように不安はあるんですけど安定したんですね、気持ちが。
血に足がついたような状態を取り戻したっていうと違うんだよな。
生まれた時から宗教入ってましたんで、新たな境地というか。
だから今この瞬間と向き合うとですね、将来に対するおかしな不安じゃなくて、
今までは正体がわからない巨大な不安だったんですよ。
それが具体的な不安としてコントロール可能なものになったんですね。
だから建設的な不安ですね。
次、アルバム見ててですね、全くその時意識していない人。
しかし学生の頃は会っていたから知ってはいるっていう人の顔が次の日意識化されたんですよ。
アルバムでは見てないんですよ。
これが本当にこんなことあるんだとしたら、
自分が全く思ってないような能力、人間にはあるって気づかされたわけですけど。
でもこういうことってありそうだなと思ってたんですよ。
でもちょっとおかれとじめてるなとも思ってたんですよ。
昔ある勉強法でですね、
1ページ1ページを瞬間的に記憶できるっていう人がいて、
それはそういう能力もともとあるからだろうと思ってたけど、
12:02
誰にでもそれに似たる能力はあるのかもしれないです。
プライミング効果ってあるらしくてですね、一度見た情報が無意識の中の領域にあるんだけど、
ふとした瞬間に表層に浮上してくる現象らしいですね。
あまり脳科学は信じてないんだけど、一応こういうことはあるみたいです。
次、大豆だけにしたせいか匂いがしてですね。
しかし手遅れだし他の豆は糖質多いし、
でも以前から大豆はいいかなと思ってたんですね。
でもこういういいタイミングでこうやって諦めているのに、
こういうタイミングでうまくいかないんですよ。
なぜかその諦められるタイミングで、
ちょうどいいんですけどね、そういうタイミングで何か問題があるというか、
諦められない要因が出てきてしまう。
諦めてはいるんですよね。
でも手放せない何かがあるんですよ。
出てくるんですよ、そのタイミングで。
せっかく諦められるタイミングで、
実は皮肉方面も大事、他の豆も糖質がやっぱり高いんだよなということに気づいたり、
これもせっかくの問題なのかもしれないですね。
では次、過去の大事な考えをメモしないと忘れる。
何ならざるを得ない、そんなことをしていたら。
日常の隅々までメモしていたらですね。
過去を捨てると考えたら楽だけど、過去の考えを参考にすることもありそうだし、
それを前提に考えを進めているわけだし、
痛まさみなんですね。
過去は今の自分の土台になるわけですよ。
全部は捨てれないわけですね。
でも今に集中したいし、メモなんかいちいち取りたくないし、
結論だけを書くとか、そうやって取捨選択して効率よくうまくメモを書けるような人間でもないんで。
ただ思っているのは、過去を辞書程度に保存しておくのはいいのかなと思いました。
それをまるで聖書のように扱うんじゃなくて、辞書程度に辞書とかデータとして置いておくのはどうかと思いました。
やっぱり人間って反省する生き物だし、過去から何か学んだり改善できる生き物だし、
15:04
過去を観点に捨てるってのは人間らしくないですよね。
自分が人間らしさを求めてどうするんだろうと思うけど。
次、幻想でなく事実は何なのか。
見つめる作業をしてきたし、しかしですね、正解を探しているようなことになっていないか。
だとしたら絶対を求めてさまよっている。
でも、事実を正解だと認識してしまっていないか。
でも、事実とは何なんだと。
分かりますかね。だから現実主義って言い方するけど、現実が思っているほどそこまで現実を人間は現実として捉えているのかということ。
現実主義ってあるがままに捉えてそうだが、
うちらが事実と思っていることって素直に見ているつもりでも、すべて脳を通して意識が捉えているだけという意味ではどうなんだろうと思うんですね。
で、別に事実が正解ではないんですよね。
現実主義の人に多かったそうだと思います。
事実を見れていれば正解を見れているような感覚にはなると思うんですよ。
次、小麦になってやりがい。
自分の場合ないと思うんですよね。もし小麦になっている。
だからこそ、やつで楽しいのかなと思いましたよ。
ある意味やりがいもあるし。
見て取れるやりがいはない。
でも、確かに表面的にはですよ。
普通は仕事に対して崇高なやりがいを求めるんですよね。
で、はかどるわけです。
でも自分は仕事に意味を過剰に投影したくないんですね。
今やっているとしたら。
でも今までの生活も実験的ではありました。
もう表面上は何もやりがいも達成感もないここの場所で、
淡々とシステムを動かしてきたら人間どうなるかという反応を見てきましたね。
まあそのこと自体にやりがいも別にないんですけど。
では次。
トラウマに対して扱い方として、
バラバラに切り離された過去を正しく位置づけるという方法があってですね。
過去の出来事として処理される。
これはいいけど、ただ、
それまで見えなかった全体像とか、
自分自身の新たな一面に気づくらしいんですね。
でもですね、
18:01
いやストーリーにしてキレイごとにしてしまうだけなの。
何の解決もならないし、意味付けしてもそれは幻想なんだから、
気づいてしまったときにこの人たちどうするんだと思うんですよね。
こうストーリーにしてしかも意味付けしてしまってるんですよ。
今の説明読む限り間違いなくそうですね。
これって人間の脳が安心するために作り出す一番都合の良い幻想ですよね。
ただ、記憶を並べ替えて自分を納得させるだけなんですよね。
結局現実は残酷で無意味なことの連続じゃないかと気づいてしまうだろうし、
空虚感で襲われますよね。
そうすると絶望に飲み込まれるんですよ。
別の何かをするけどもまた無力感に陥るっていう。
自分の学生時代はまさにそんな感じでした。
この仕事をしても無意味だなと思って他の仕事探すんだけど、また同じように陥る。
では次。
これもトラウマに対する対処法で、
過去の出来事に耐えられなくても解釈が見続き変化するという捉え方。
だから別の角度から見れるようになる。
確かに辛いと捉えるのも解釈だが、
これはこんな意味があったとか、ひどいものではなかったとかプラスに捉えるのも。
そうするとその解釈が強まってしまうんですね。
解釈になってしまうんですよ逆に。
解釈を消そうとすることによってより強い解釈になっているんですね。
辛いことの事実だけ捉えようとしても必ず救いに行ってしまうんですね。
辛さを辛さとして事実を見れないわけですよ普通は。
プラスに捉えようとしてしまうはずなんですよ。
だから評価の捉え方変えるんじゃなくて、
事実を事実として見るなら分かるけど、
ただ今言ったように辛い事実の事実だけ見ようとしたところで
プラスに捉えてしまうと思うんですね。
21:06
あと宗教的に教義が人に行わそうと似ていると思うんですよ。
今の苦しみをそう感じてはいけないというわけですから。
プラスにもマイナスにも捉えず、ただの事実として扱うって難しいんですけど。
まずは再評価しないってことと、
辛いというマイナスと学びがあったんだというプラスの両方を捨てるってことですよね。
つまりジャッジを止めるってこと。
あと感情と現象は別だと理解することですよね。
ただ人間の考えって感情から出てくるし、
記憶って感情が結びついてしまってるし、
過去のトラウマと認識してるのは感情がこびりついてるからなんですよね。
これは取るのは無理な気もしますよね。
できるのが理想的な形ではあるんですけど、
あとどの程度の感情を捨てるかですね、完全には剥ぎ取れないとしても。
例えば昨日のあの会話が自分を傷つけたという現象があって、
その時単に私は不快を感じた。
だけならこれ生理的な反応ですよね。
そこからいろんな物語を書いてしまうんですよ、トラウマが多い人は。
この後話しますけど、自分も朝から起きた瞬間から嫌な教師のことを思い出してました。
プラスもマイナスも不要しないって冷徹なんですよ。
でも誠実なんですよね。
誰に対して誠実なわけでもない。自分に対しての誠実さなんですよ、それって。
でも今の話、試みとしてはできると思うんですよね。
あと、今また脳が都合のいい解釈をして、この苦しみをいい話に変えようとしてるなっていう。
仕組みを理解することもできるし。
だから自分の生き方としてもそうだし、トラウマの解決に今のとこ待ちになってないけど、
これいい話にするというプラスの解釈とか物語も付け加えないっていう風にはしてますね。
次、ポッドキャストやろうと思った動機やここまでの変化をメモしておいた。
初志ってのは大事な気もする。けれども捨てていいような気もする。
24:03
あと、過去のものでしかない気もする。
後付けの理由をたくさん書きつらねて安心していただけかもしれない。
やっていることの正当なだけかもしれないと思ったんですよね。
自分を安心させるための防具にしかなってないと思ったんですよ
やっぱり人間って何のためにやってるのかわからない状態が一番不安なんですね
だから自分もたまにやっぱり整理したくなるんですよ
今何をやってるのか
なんか宙に行くような感覚があるんですよ
つまり何をやってるのかわからないっていうことは
何のためにやってるのかわからない状態が続くと何をやってるのかさえわからなくなってくるんですね
人間にとって理由ってのはやっぱりなきゃいけないものなんですよね残念ながら
ただ少なくすることはできると思ってるんですね
あとやっぱり初心ってのは着火剤にしか過ぎないんですよ
必ず動機、理屈は必要なんだけど
車のガソリンみたいなものなんですよ
だから車が走り出した瞬間
走り出した後はもうガソリンのことは考えなくていいわけですよね
あとはそうやって自分の行為を正当化してるなと
悩み始めた時点でもちゃんと俯瞰して見れてるんですよね
動機を廃棄するってこともできますよね
やりがいを目的に動機にすると
単なる切れ事にしかならないから理由はないけどデータとして記録するっていう
無機質なものに変えてしまう
もありだと思います自分の場合
あと当時不安を埋めるために動機として作ったものとも言えるし
初心を捨てたらポッドキャストを続ける意味がなくなるのではないかという不安があるけれども
それは意味がないと許されないという宗教時代の流れなんですよね
無意味なことでも淡々と続けること
それは宗教的な不安から完全に自由になった
自分ながらこそできることだろうし
動機を書き摘らないと安心するのはもう卒業した方がいいのかもしれないし
あとはポッドキャストが誰かの役に立つとか
自己実現につながるとかそういう切れ事物語を捨てた方がいいんだろうし
次はこの瞬間にちゃんと存在しようとするって難しいんですよね
27:01
普通は過去の後悔とか未来の不安とかという
頭のシミュレーションに住んでるわけですよ
自分はいつも言ってますよね
自分は過去未来を生き生きしてるんだと
ちょっと矛盾ですけど物語を書いてないのに
空想ばかりですからね
それに対してこの瞬間に存在するっていうのは
物理的な反応に焦点を当てるってことです
生理的な反応とか
なるべくですよ
これ難しいんだけど
この作業に意味があるのかとかじゃなくて
今に存在をするってことをしてますね自分は
でも人間に実態なんてものはないのに
存在を確かめるって
曖昧なことになってしまわないかと思ったんですね
存在を確かめようとするけどそもそも実態がないことに気づいてしまったら
それはパニックになりますよね
自分を確かめて安心しようとするのをやめるしかないんですよね
自分などいないという事実を受け入れるしかない
比較対象が減るので自分の癖が見やすくなるっていう話
逆でないかと思うんですね
比較するものが多いほど比較対象が見えると思うんですよ
自分の心が見えてくると思うんですよ
比較対象がある場合他人という鏡を見て自分の輪郭が見えてきますよね
他人と比較できなくなるとどうなるかというと
自分の過去のデータと比較することになりますね
つまり今の自分と過去の自分との比較が始まるんですよ
そうすると逃げ場がなくなりますよね
比較の矛先が内側に向いてしまうわけですから
では次
心なんてないから見てる時
見てるつもりになってるけど
では分析しても意味ないのかと思ったんですね
それについてはですね
心という実態はなくても脳の中であるわけですね
目には見えないけども
パターン化することもできるし
癖も突き止めることもできるし
あと意味がないことを受け入れるってことは
矛盾が明けぼろになるんですよ
例えば
ポッドキャストだとすれば
無意味なはずなのに何故これを続けてるのかという矛盾が
突きつけられますよね
宗教やってた頃はこれは神のため救いのためといった
意味があったわけです
30:00
意味は空っぽになって
それでも
生物として動かざるを得ないわけですよ
お腹が減るから食事もするし
物理的な制約があるんですね
意味はないと知ってるのに動かざるを得ないんですよ
じゃあポッドキャストは生物として必要かと思うんですよね
でも続けていられるのは
不思議なことですけどだからこそ
あとは集中するときって感覚が鋭くなる分
本当はこれ意味ないんだ
ごまかしてるんだけなんだと気づいてしまうんです
自分の場合職人中そうですね
だから物語が剥ぎ取られるっていうことなんですよね
解像度が上がることによって
普段は意味のラベルを張ってるけど
現実が退屈でないようにしてるけど
集中することによって
無機質なものになるし
ラベルなんか張ってる気もないし
その結果そういう物理現象だとしてしか見えなくなってしまう
今この瞬間にちゃんと存在しようとすると
かえって世界の輪郭が冷たく見える感じに近いんですね
今のこの瞬間に存在しようとするっていうのは
さっきお話した通り
自分の期待や願望が消える
消してしまうってこと
これもさっき言いましたね
人間はそうやって未来過去のシミュレーションの中に生きてると
世界がその結果
それは冷たく見えますよね
暖かい世界っていうのは
希望や絶望
絶望も含むように暖かい世界なんですよ
そうやって人間って
だから思うんですよ
これはもう生まれつきのものなのか
宗教に居たからなのかわからないけれども
自分は冷たい世界にいるんですよ
生まれつき
冷たい世界ってのは純粋な物理的世界ですか
意味も目的も戦略もない
光があり音があり
時間が流れてるだけですから
でも誰の所有物でもないっていう
とこを目指してるのかもしれないですね
これは無意識なことだからわからないんですけど
やっぱり
人と同じではあってはいけないっていう感覚
あるんですよね
次
悩みを重く見るのは
苦しみに意味があると思いたいからだと思うんですよ
この世界に意味の層があると思い込みたい心があるからだと思うんです
33:01
そしてその心が悩むことにも
理由があると感じさせてる
ということだと思うんですね
悩むことによって
かえってそこに
意味を感じてしまうって
あんな悩みがあったから今の自分があるという
癖がついてるから誰でも
誰でもではないか
そういう癖がある人は
条件反射的に
もう悩みの
悩みが
あるイコールも快感なんですよ
だから悩みの種を
確保し続けようとするんですよ
悩んでるけどこの後にはそうやって物語を書ける
意味を付与できるという
感覚が常に
ついて回ってるんですよ
では次
焦りが義務感で動いてることがあるとき
楽しんでるふりをすることで
自分を騙そうとする機能があるんですね
自分が焦って義務感で
中身空っぽですと正直に表現し続けるのは
摩擦があるわけで社会的に
だから楽しんでるふりをする
テレビ見てたら
楽しそうにみんな
わざとらしくやってるなって見えることありませんか
自分を納得させてるようにも見えるし
これで自分は楽しいと思えてると
演技をすることで自分は
今うまくやれてる
イコール安心という
錯覚を作り出してるんですね
つまり内側の焦りとかを直視し続けなくて済むんですよ
では次
あなたもっとこうしたらよくなるという人
なぜ他人の結論を出そうとするのか
こうしたらいいという決めつけ
安心なぜするのかって単なる疑問なんですけど
他人にそうやって言って
自分が安心しようとしてる
のはなぜなのかですよね
それはただ相手を理解するためというよりも
自分の予測可能な枠の中に押し込みようとしてるんでしょうね
もちろん自分を安心させるためなんですよ
例えばですけど相手が救われないと
自分自身の生き方も否定されてるように感じてしまうとか
36:04
ちなみに自分は否定されたくないという思いで生きてきたけど
世間の人はそんなことないんだろうなと思ったら
逆に世間の人の方がよっぽど否定されてるように感じてるんだなと思うことありますね
ちなみに自分はそういうふうにして
相手を悟そうと思ったりしないんで
気持ちがちょっと分かんないんですけど
どういう心理なのか分かんないんですけど
無理矢理正解を押し付けて自分の世界を守ろうとしてるんですよね
そういう場合ですね
では次 それ楽しんでるように見えるだけで
実は楽しんでないという感じだと思う
本当はここで楽しまないと自分がやってきた意味が崩れる気がする
これが自分の世間に対する見方ですね
自分の場合は誤魔化して思い込ませようとするのは切なすぎるからやらないですね
もちろん整合性を守りはするんだけど
そういうことはしないです
ここで楽しまないと自分がやってきたことは意味が崩れるからといって
楽しい演技はしないですね
自分を騙してることになりますから
安易な逃げ道は作りたくないし
無理に意味を満たそうとしなくてもいいし
次 言葉を使うと伝わるけどでもズレるんですね
自分の感覚ってもともと曖昧で流動的だから
説明のために切り分けた時点で
違うものになるんですよ
でも番組説明とか自己紹介
ここでの説明もそうだし
ズレてるけどその言葉を使わないと外には出せないわけですよね
まず言えるのは感覚っていうのは生のデータですよね
言葉は既製品なわけですよ
例えば不安という言葉を使っても
他の人の生のデータ
つまり他の人が抱く不安とは全く違うものだろうし
でも人間ってそうやって分けるってことによって理解しようとするわけですね
分けるってことによって人に分からせようとするわけですよね
だから例えば液体を人に渡せないけど
箱という言葉に詰め込めば
運べるわけですよね
でも梱包してしまってるわけです
あとですね物語を書く意味
39:01
物語を書くとか意味付けするのは
偶然をつなげて偶然でない筋書きを書くもの
あれがあったのはこの時のためだったのかみたいに
でも数学的には全てのものって偶然なんですよね
偶然の積み重ねなわけですよ
でも物語っていうのは
あれは苦戦だったこれは運命だったと
事後につなぐものですよね
だから無意味のないドットを勝手に結んで
いるというおかしな行為だと思うんですよ
では次に後悔してしまうのは
失ったものを大事にしていてからでも
大事にしていたからですよね
でも大事だと気づいても手遅れですよね
よくありますよね
失ってから大事だと気づくみたいな
勝ちを肯定してみる能力が低いからですが
そんなことはどうでもよくて
今言いたいのは
普通大事なもの
大事だと分かったら
大事にしようとすると思うんですよ
大事なものだから
でもその時点でもうすでに失っているって
じゃあどうすればいいんだと思いませんか
人間の構造長所はないんですよね
分かっているのに止められないってあるじゃないですか
それは理屈が弱いからではなく
感情は別の速度で動くから
と説明されることがあるんですけど
もう終わったことで次に行こうって切り替えれますよね
理屈上では
一瞬で断定できるわけです
でも感情ってのは
感性の法則ってのは
至る所に働くわけですよ
ホルモンの波っていうのは
理屈のようにスイッチ一つで切り替わらないんですね
頭で分かっているのに感情が追いつかないんですよ
感情を一つ取っても
42:01
物理法則に従っているわけですね
自分は本当にこの感性の法則が
誰よりも働いているような気がして
止まないんですけど
それで自分はですね
無理やり
感情を理屈で封じ込めようとする時があるんですよ
でも別の歪みが生じるんですよね
自分は単純に続かないですね
そんなことをしても
やっぱり無理があるんですよね
あとは手遅れな時はもう
もう何だろう
これも切りごとに聞くかもしれないけど
この反省を活かして次に活かす
こういう金ないですけど
自分はひしひしと感じてきました
それはもう変えれないことだけど
次もっとひどい手遅れになるようなこと
防げばいいと
まだこうやって命もあるわけだし
そんな闇社会とも関わっていなく
借金も抱えているわけでもなく
刑務所に入っているわけでもなかったら
まだ大丈夫なんだから
次手遅れになることがなければまだいい
そういう考え方なんですね
では次 感情と理屈は別なように
別な
感情と理屈は別な
ことだと分かっているときは空想したり後悔して
しまうんですね
お菓子の後悔と分かっていても
理屈ではやめようと思っていても
感情の感性が強すぎているんですね
自分の受け取り方を変えようとする
だからこれもさっきの認知の話ですよ
トラウマの
そうやってコントロールしようとすること自体が
自分を否定するわけですから別のストレスを生んでいますよ
でも後悔していても今の受け取り方を変えられる
っていう人はいますよね
それも一つの受け取り方でしかないんですよ
だからつまりですね窓の外が嵐なのに
カーテン閉めて今日は晴れてると言い張るようなものなんですよ
45:02
別の見方をして
解決にならないですよね
普通にフォーカスを当ててるだけなんですよ
別の受け取り方に
だから別の受け取り方もまた出てくるだろうし
だから窓の外が嵐なのにカーテン閉めようか
電気消そうか寝てしまおうかとか言ってるようなものなんですよ
嵐があることには変わらないんですね
逆に言うとそもそも
別に嵐外であっても
家の中がビションになるわけじゃないし
関係ないっていう捉え方もできますけどね
自分は嵐が吹いてるときは
嵐が吹いてるなと観測してるんですね
集中していて当時は辛くなかったのに
後からじわっと苦しさが出るってことありますよね
逆にそのときは大変だったのに今は重く感じないこともある
本当はどうだったのかは一つに決めにくいですよ
でも実際こうだったみたいなものは
ないと思うんですよ
感情はそういうものだと思うんですよ
記憶ってそもそも再生ではなく再編集なんですよね
だからこそまた未来に考えたらまた
別の視点で見えてくるだろうし
集中してるときって感情処理する回路が
もう諸断されてるんですよね
逆に後から辛く感じるのは
自分にとってあんまり関係ないことかもしれないし
今で判断しちゃってるんですね
あれは辛かったとか楽しかったとか
あとですね辛かった事実でなく
幻想に苦しめられるのは辛いが
事実に苦しめられるのも
記憶の再構成で
感情の方だけなんですよ
辛かった事実でなくて
幻想に苦しめられるのも辛いと思うんですよ
間違いなく辛いんですよ
ただ記憶の再構成が起きてるんで
幻想と似てるようなものってこと
過去の記憶なんて
幻想とは言わないまでも
感情を見てるだけですから
48:16
アイドルや歌手のファンが
グループが嫌いになるってことあるんですよね
なんとか考えてみました
この曲は感動するよねとかこのグループは最高だよね
ファンの熱狂って
無理矢理意味付けして
ラベルを張って
みんなで盛り上がってる
その感じが好きじゃないんですね
そう思い込めと理解、共生されてるような気もするし
宗教入ってて
愚かだし情けないし
気味が悪いし
宗教でみんなたかって
これはすごい本物だって言うんですよ
では次
今日の配信ですべて大事な話を
出し切る
その連続ができればいいと思って
前の
前の人の
今までの人の
中の
この辺りってのはなくなってしまいますね
1日にいっぱい詰めることになるし
情報は
効率悪いですよね
自分はそんな毎日変化もないですけど
なるべく記憶してることではあるんですけど
切り出してここでお話ししたいと思っているんですね
残しておきたいと思っているんですね
ただ、まあ人によってはですね
全部出し切って過去を完全に処理して
整理して、安心したいと思っている人もいるかもしれないですけど
そういう動機ではないですね
あと、自分としてはまとめるつもりもないし
断片的なままでいいと思っているし
では次
これからの予定をもし変化させるのであれば
迷いながら決めたこと
それも位置から考えることになるんですね
買うものを変えるならそっちの方
にまた切り替えたやり方でやらなきゃいけない
最近だとですね、黒大豆買ったんだけど
いや、ひやこ豆もやっぱり復活させるかと
一回無しにしたものを復活させると
51:01
あれ、じゃあなんで黒豆買ったんだとなり
その後の予定が来るんですね
予定を変えると
最近やっていること、これからやり始めようとしていること
全てがまた総崩れするんですよ
普通なら微調整するんだろうけど、自分は
微調整はできないですね
だから変化は嫌っているし
ただ変化は問題なんだけど
変化を問題としておきたいっていう部分もあるんですね
変化を
お、えー
許容してしまうと
自由な自分が出てきてしまうんで
自分にとっては自由が恐ろしいんで
恐ろしい、というか
恐ろしい事態が待っているので、避けたいんですね
まあ、それはいいんですけど、迷いながら
やっと決めたことは変えることはないですね
ただそれで、そこで
本当は変えるべきなのに
こだわるのも昔の話で
せっかく決めたことだからその方針変えたくないっていうこだわりで
変えないのは違うと思うんですね
あと、辞める勇気も必要というが
迷って決めたことを
どっちも勇気いるだろうと思うんですよね
辞めることが勇気必要で
美化されるなら、毎回
悩んだら辞める
べきという話になりますよね
勝手に辞めることは悪いと決めつける
だからそれをあえて美化して
勇気という視点を与えてるんですよね
とても辞めることは勇気が必要
で、まあ世の中の定型育になってますけど
またこれも暴力的な押し付けですよね
辞めることにも
続けることにも
同じだけのエネルギーが必要なんですよ
どちらも決定という点でも平等ですよね
なぜ辞めることだけが美化されるのか
さっきの話で言うと買うものを買える
さっきの話で言うと黒豆
まあさっきの話はいいか
で、毎回
そうですねまずですね
辞めるってことは
これまで攻め上げてきたことは辞めてもったいない
という物語を勝手に書き越えられるんですよ
だからそこに勇気という大げさな名前が必要になるんですよね
で、迷ったら
辞めるのは勇気がある素晴らしい
54:01
辞めるのが正解だとしてしまうと
成功性を与えようとしたら
迷うこと
イコール辞めるべきフラグになるわけですよ
辞めることを肯定するための言葉なんですね
辞めることには勇気があると
肯定しなきゃいけないんですよ
そこまでしないと辞めれないんですよ
でもそれを人に
押しつけるのってどうかと思いますね
では次
なるべく変化しないことで維持してきたが
何度も上手くいかないものは
変化させるんですね
もちろんこういう矛盾があるときは
自分の中で葛藤ありますよ
でも限界は割と
すぐ分かる
性格なので
まあ防衛反応みたいなものなんですよ
限界は自分の中で
しっかり分かるんですね
さすがに
何度も上手くいかないものは
改善しますね
それが
厳格義だし
恐怖心みたいなものでしかないんですけど
変化させないといけないという
恐悪観念が働くんですよ
何度目で辞めるのかっていうのは
あるときは2回目
あるときは特に決めてない
今は特に決めてないですね
あとですねメモに足らないことで
そのとき生まれるものを
期待してましたね
今はメモしてますけど
メモしないから
どうしても新しい反応を凝らすことになるんですよね
ポッドキャストで日常の話を
自分にしかできないこと
伝えられないこと
あると思うんですよ
哲学的な話は
一生使えるものですけど
でも違う基準で
ここで話してるんですね
それぞれ大切なもので
でもこういう違う基準があるときに
気持ち悪いんですよね
自分と人間は
一つであるべきで
一貫しているべきだという
思考の癖があるんですよね
一貫していたい部分もあるし
でもそんなことを
する問題も分かってるし
できないものも分かってる
なぜこれが気持ち悪いかというと
一貫した人間
固定された人間に
閉じ込めることを拒否してる
拒絶反応みたいなもんなんですね
ポッドキャスト毎日同じ
でもその日に
その時の感情で話すことによって
生まれるものってあると思うんですね
毎日同じような日常ですよ
でも
その時の感情で話せば
57:02
違うものが生まれる
と思ってるんですね
日常という無形質な素材ですよ
これ誰にとってもそうですね
でも感情を通すことによって
違った景色がある
もちろん自分でも
違った景色があります
全く自分としては
こうやって話してると毎日
違う毎日だなと思って話してるんですけど
よく言われるのが
同じ風景を見ていても
その時によって感じが違うみたいな
同じ音楽聴いてても
その時によって聞こえ方が違うみたいな
よく言われますよね
やっぱり
人間って毎日同じようで
やっぱり変化してるんですよね
ちなみに
日常の話っていうのは
揺らきがあるし生の記録だし
哲学的な話はある程度決まってる
ただなるべく自分は
解釈したり結論付けたりしないようにして
話してるつもりではありますね
では次
ネガティブな感情
例えば恋愛
自分なんかしても意味ないみたいな
のは向き合ったほうがいいと思うけど
ただ希望を持たないっていうのは
違うと思うんですね
希望を
持ちたいわけでも持たないわけでもない
持ったら崩れるんですね
だから別に
ネガティブな感情だけど
向き合う必要ないと思うんです
希望を持つっていうことは
達成しなければならないのに
つまり完璧の道具
という式が
出来上がってるんですね
これは意味を持つっていうのと
大体似てます
似た作用があります
本来なら希望は持ってもいい
持たなくてもいいが
中立的なんだろうけど
自分は持ってはいけないんですよね
でも希望を持たないっていうのは
失敗から逃げるための防衛戦にすぎないですけど
それだけ挑戦する
ことも減るからでしょうね
そういうふうに言われますよね
言われてもしょうがないですよね
人は考えを固定するときって
安心してるだけだと思うんですよね
でもですね
希望を持たないっていうのは違うんですよね
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では次です
失敗をゼロにしたいと思ってきたことに気づいて
なかったんですね
失敗をゼロにしたいというのも
完璧主義なんですよ
必ず成功したいというのが完璧主義だけだ
あとちょっとどれるんですけど
どんどん失敗してけって言う人いるじゃないですか
あれは挑戦する回数を増やせ
っていう意味なんですかね
あそこまで考えてない人もいるかもしれないですね
でも失敗って
しようと思ってするもんじゃないですよね
結果的に失敗するんじゃなくて
そこを目標にしてダメですよね
おそらくですね
でもそこまで考えてないで言ってる人多いと思います
こうした方がもっと幸せになれる
というアドバイスであるけど
幸せの教養でおかしいと思いませんか
まず
幸せでない人を
欠陥として扱っているところ
ですよね
気になるのは
別にほっとけばいいじゃんと思いますけど
まあその人はその状態で
幸せだと捉えれば幸せだし
もっと幸せになるべきだっていうのは
押しつけがましいし
でもよく言いますよね
あんたは結婚してもっと幸せになるべきだ
みたいに言いますよね
まあそれは
結婚イコール幸せだと
言う
結婚してる人の正当化ですよね
まあ人によっては
その逆もあるかもしれないし
別れた方がいいっていう人もいるかもしれないし
自分の立場を正当化させる
道具にしちゃってるんですね
では次
トラウマ
起きたのなんて
過去だし現在ただの
それを思い出しているのも
辛くなっているのも
現在だしだから
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こそどうとでも捉えられる
と思うんですね
過去なんて
だから記憶を
思い出しているだけ
だから過去なんてのは
現在の頭の状態という意味では
今だという風に捉えることも
できますよね
概念っていうのは自由に扱われるからこそ
ルールを
持って使うべきだと思うんですね
物語を
どうしても作る際に
自分にとって都合の良すぎる
嘘をつきたくないんですね
でまあ
概念って
そもそものルールがないから
自分にいくらでも都合よく
書き換えられるっていうのが
本当の問題だと思うんですね
では次
希望を持つことは
まあゼロですね
意味を持つのは
停止してないし
ただ
機能がないわけではないんですよ
ただ持ちすぎると
切り裂かれる
ものではあります
若干違うのは分かりましたかね
希望は本当にないんですよ
希望に
満たされるっていう状態とか
期待を持つっていう状態とか
はないんですけど
意味はなぜ
持つことあるのかっていうと
意味づけ
どうしても知ってしまうっていうのと
例えば食事とか睡眠とか
意味づけするのが必要なさそうなことでさえ
意味づけしないとどうなるかっていうと
動物みたいに
結ばれにくいことになるんですよ
例えば
規則正しく寝るっていうのも
ある意味意味づけかもしれないし
次あの失敗の
次
人生はたまたまの一瞬
一瞬が人生作ってきた
っていうのはまあいいですけどたまたま偶然が
あって
同じようにですね
たまたまその一瞬一瞬である
ように
生まれる前だって偶然が
たまたまの偶然で
生まれてきたわけですよね
ってことは生きるの
つらい人
偶然生まれてきたってたぶん
生きるのはつらい人にとっては生きれがたいんですよ
なんでかっていうと
ちょっとしたことで生まれてきて
なかった可能性があるわけだから
まあそのちょっとしたたまたまで
例えば
親が2人出会うっていうのもたまたまだし
まあたまたま違う学校に行っていれば
違う会社にいれば
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自分は生まれてこなかった
こんな苦労しなかったってなりますよね
それで何十年も苦しむ生きる意味は
苦しむ
わけですよね
生きる意味を欲している人にとってもですね
残酷なんですよ
もっとこうなるべくしてこうなったという
必然性ないとこうやって
生きていることは理解しづらいだろうと思うんですね
まあちょっとしたことで生まれて
こなかったかもしれないなら
何十年も苦しむ理由は
どこにもないと思いますよね
無慈悲なこの偶然性
自分の存在を否定されるようなもんですよね
だからこそ宗教とかに逃げるんですよ
なるべくしてこうなった
なるべくして生まれてきたと
思いたいわけですよね
だから神を求めるんだと思います
生きる意味を求めるんじゃないでしょうかね
じゃないとなんでこんな苦しんでるんだって
なりますよね
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