この番組では、最初に日常の話から入ることもありますが、そこから話題が次々と移り変わっていきます日常のささいな出来事をきっかけに、人間の認識、意識、存在、そして意味づけの仕組みを観察する思考実況ポッドキャストです。
哲学や心理学を教える番組でも、人生の答えや救いを与える番組でもありません。
「何を知っているのか」
「それは本当にそうなのか」
「確信はどこから生まれるのか」
人はなぜ何かを信じるのか。
なぜ物語を作り、意味を見出し、自分や世界を理解しようとするのか。
私たちが見ている世界、自分という存在、記憶、感情、快感、思い込み、そして後から作られる物語を静かに掘り下げます。
信じることで成り立っていた世界から離れたとき、人は何を見るのか。
意味や物語が最初から存在するのではなく、人間がそれらを作り出していることに気づいた後の世界を観察します。
人生に意味はあるのか、どう生きるべきなのかという答えを探すのではありません。
意味や目的が揺らいだあと、それでも人間はどのように日常を維持し、考え、動き続けるのかを記録します。
結論よりも、考えている途中の揺れ。
完成された思想よりも、変化していく認識の記録。
自己啓発ではなく、答えを急がず問い続ける。
虚無を終点ではなく前提として、人間という存在の仕組みを見つめる哲学的独白番組です。
感想
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00:00
これから、倉木さんのラジオ収録始まります。
現在は、すべての価値を相対化して絶対性を否定すれば、
そこに何も残らないと思うんですよ。何も残らないっていうのは、 判断の基準ですね。
言い悪いとか、必要と不要とか、意味があるかないかとか。
そうすると、行動の理由がなくなるんですね。
そうすると、何を選んでも確信が持つない状態になる。 だから、
人間って、絶対的なものを持ちたいんですよね。
でも、行動の理由を持ちすぎて苦しんでいる人が、
どの程度いるかわかんないけど、まあ自分もそうですけど。
では次。あれでよかった、みたいな意味付けとか、
いい物語、悪い物語を過去に対して書いて、
あれあれが失敗だったとか、そういう。
それが理由で、それを自分の行動の理由にしたいんですよね。
普通はですね、何が問題かっても、やっぱりただの、勝手な過去の意味付けでしかないから。
例えば、あの人にこの前に恨まれたからもう話さないようにしたとか。
あと、学生時代、部活やってる時に多少無理しても、
自分は体壊さないから、今も自分にはそれが合ってると思って、
根性で何でも物事をこなしているとか。
パワーストーンを買ったら受験に合格したから、
今は大事な時には必ずパワーストーンを買ってるとか。
全部過去の出来事を物語化して、自分の行動の理由にしてるんですね。
だからその説明に縛られてしまうんですよね。
次。あ、そういえばちなみに、
自分は宗教入ってた頃からこういう意味付けして、それに縛られるってことはなかったです。
03:03
次。変化は自然的に選択を伴うから、選択には理由という軸が、つまり物語という軸が必要になるんですよね。
変化がなければ物語を書かなくて済むんですよ。
だから自分はなるべく物語を書きたくないので変化はなるべくしないようにしてます。
何を残し何を捨てるかは選ばなきゃいけないんですよね、変化するのが。
そんなの仮の物語でしかないんですよ。
だから後から振り返ってみたら、なぜあの時そうしたんだとなるわけですよね。
仮の理由でその時選択してるのであれば、過去の理由なんて関係ないはずだけど、
しかし後からなぜこれやってるんだとなるとき、
あの時の理由、今は今、前は関係ないとはならないんですね。
一貫性のなさに疲弊するし、過去の自分は一体何やってるんだとなるんですね。
でも何か理由はあったはずだし、そういう理由なら今は変化したから行動を変えようとなるかもしれないし。
あとはあまり過去の自分は信頼してないですね。
普通なら価値判断があっての選択だけど、
自分の生活維持、日常のシステムを運用していくための、
維持に必要な決断をするための判断は、価値の判断というより運用の判断ですね。
何が正しいかじゃなくて、どうやったら回るかという視点なんですね。
価値判断はしないと先ほどお話しましたが、運用の判断はするんですね。
曖昧さに戸惑っているからこそ、防御本能で限界を感じたら気持ち切り替えてあげられるのかなと思いました。
曖昧さって自分にとっては不安すぎるんですよ。
どこら辺が限界かななんてことは曖昧なんですよね。
曖昧さに戸惑っていたら変化できない。
戸惑っていても限界でも変化できないですよね、そうなると。
だから防御本能で諦めなさいとなるんだろうと思います。
心の奥底の声ですよね、それは。
だから逃げというよりも壊れないための反応なんですね。
06:00
科学的にこの世界を見る、それが人ですよね。
科学がかなりうちらを作っていますよね。
だから科学的にみんな考えている。
その科学は不完全なものと証明されていますよね。
ということは神という絶対はない。
現代人にとってはほぼ同義だと思っています。
科学というのはどこまで言っても矛盾があるわけですよね。
科学の特徴としては不完全なもので、
今の説がどんどん覆され、更新されていくものなんですよね。
よく、お前にはまだ早すぎる、そんなことをする段階ではない。
まだこんなこともできてないみたいなことを。
まだこんなこともできてないのでこんなことをやるみたいなことを言う場合ですね。
ほとんどの人。
レベルとそれは関係ないんですよね。
つまり、いつやるかは問題にならないんですよ。
タイミングってかなり相対的なんですよね。
だからその人にとっての正しい順番ってあるわけですよね。
他の人から見て、もう単なる主観でしかないんですよ。
宗教にいた頃ですね、
ダンスの練習をしていて、先輩がですね、
すごいバカにしてきてたんですよ。
教えてくれる先輩がですよ。
厳しくやるのとバカにするのとはやっぱり違いますよね。
そんなトラウマを思い出して、朝から全身の力が抜けそうでしたし、
不動産屋でですね、行った時に帰り、
書きのことで聞こうと思って、
ちょっと書いてあったんですけど、何に書いてあったんですかって聞いてきたんですね。
あの時無視してればよかったなと思って、思い出してたのと。
ちなみにそれ憶測ですけど、多分どうせネットを見てると思って聞いてきたんだろうなと思って。
親戚、近所のいとこがですね、
で、向こうにいとこの旦那さんの老いっ子となんか比較されてる気がして、
でもこれはそうですね、自分が比較されてる気がするんじゃなくて、
09:01
向こうが勝手に自分とその老いっ子に比較してしまってるんですよ。
それが伝わるんですね。
勝手な劣等感とか勝手な比較とか、
嫌ですね、ああいうの。
親戚の子供ですよ、しかも。
嫌な思いしてましたね。
で、その…
なんか含みたっぷりな嫌がらせとまでは言わないけど、嫌なこと言ってくるんですよ。
でですね、朝から考えてました。
いやそうやってトラウマあるけど仕返しもできないし、
でも将来もトラウマなるべく作らないようにしたいけどそんな方法も見つからないとなれば、
武器を持たず戦に出るようなもんですよね。
人間関係についてだと日ごもりちょきでは人と会わない仕事、人に関わらない仕事、人と関わらないけど理解してくれる仕事、
集団に入らない仕事、入るけど問題ない仕事、探して見つからず仕事を諦めたけど人と関わることゼロにできないと分かり、
でも絶望し、トラウマ作らない方法を何年も考え、こうやって何とかならないか85年以上考えてきたのにもかかわらず、
武器も盾も持たずに戦に行くようなものと分かっていながらそうしなければいけないかもしれないんですね。
歌手って何年か出るけどほとんどの人、人気歌手のほとんどがある程度の年齢で消える?まだ若いのに。
これ何でかずっと考えてました。流行が変わるとか次々に新しい人デビルするのも分かるけど、ある程度の年齢まで出れるんじゃないかと思って。
まあでもヒット曲を出し続けるのって難しいでしょうね。
あと朝ですね、投稿してくれてなかったんですね、エピソードで。毎朝投稿してくれてるんだけど、次の日の朝の分、今投稿してっていうことがあって、
そのうちに言わなくても分かってくれるから、いちいち次の日の朝は投稿しなくていいよってことは言ってなかったんですね。
こういう流れがあるわけですよ。それなのにもかかわらず、全然分かんないって言ってくるんですね。
だから分かんないのはおかしいよって自分は言いました。
あと自分は言いました。
誰々の息子が結婚してその人がどうのこうのでって、一回は言うかもしれないけど毎回そういうこの人はどうのこうのでっていう説明っていちいちしないでしょう。
12:05
たまに一応することもしないでしょう。
だから今回もこれも同じように次の日の朝の分投稿しないだなんていちいち言わないわけだし、たまに言ったりもしないし、
それは分かってると思っているわけだからこっちは。
もし途中のそういう流れが分からないんだら、自分で整理しなきゃいけないし、メモするとか。
で自分は言いました。
いやでも一応確認させてほしいって言ったら、分かんなくなっちゃうんだって言うから、
だからそうやって確認するような事態になってる。
分からなくなってるっていうことがおかしいんだよって自分は言いました。
途中からよく分からなくなってるってこともその時点で気づくまでだし、その時点で聞かなきゃいけないし、
よく分からず投稿してくれてたっていうことですからね。
でこうやって問題が出てきてやっと気づくっておかしな話なんですよ。
最近はのぎざかなものでTikTokとか色々見なきゃいけないとなって、
どうしてもそういう収集液と完璧主義が出てきてしまうんですね。
あとですね、混乱しないように、
あ、間違えました。
近所の話し声するとですね、
気になって非常に困惑する。
でも入院した時どうするんだ、こんなことで気にしてたら。
となってしまうんですね。
あといとこの旦那さんがグローブ、
パッティンググローブを親戚の子にあげてて、
自分の監督はあんまり若い頃はそれをやらない方がいいってことで、
その時言ってしまったんだけど、ただ話の流れが分からないんで、
ミスだったのかもしれないし、自分もあれだったけど、
ただ監督にこの素人が立てつくって正気かと今でも思いますね。
昨日気づきました、これっておかしな話だよなと。
あとは親戚の家に正月行ってたけど、
どうだったんだろう迷惑じゃなかったのかなとか考えてましたね。
あと昨日はまた親が食事中におならしたり、
それでもう旧悪観念になって、
次はやっと集中して食べれるかなと思ったらあくびしだして、
15:00
ちょうどクロッケ食べてる時で気になり、親のあくびが気になるんですね。
自分は腹が痛い時にもしかしたらおならするかもしれないから、
いちいち注意できないわけですよ。
でも世間の人って自分も同じ失敗するかもしれないので、
よくそんなズキズキと言えるなと思います。
メモすることしないことの選別が苦しんできました。
必要な時に気づくものはしないけど、後から不安になりするんですね。
増えすぎて整理できないんです。
メモして安心してしまう懸念もあって、
メモをしょっちゅう見るわけでないから思い出せない時の役にしか立たないし、
しょっちゅう見るわけでいかないからタイミング難しいんですね。
音楽よりポッドキャスト聞きたいのになぜか音楽聴いてしまうんですよ。
旧悪だけでないんですね。
依存っていうことでもない。
手っ取り早いから音楽聴いてしまうのか。
ポッドキャストよりも音楽の方がより簡単に聴けて即時性があるんですよね。
寝る前にちょっと聴くのに手軽だし、すぐ満たされる方を選ぶんですね。
変化を無意識にする時、急にそれらを意識化に置きたくなるんですね。
それをリストにしてまとめたくなるんですよ。
無意識にやっていることって無意識に落ちてしまうことってあるんですよ、生活から。
最近何か少しずつ始めた?
動画を見始めたっていうものもそうだし、何かのきっかけで落ちてしまったら困るんですよ。
食事中集中してるけど思考の漂流がいつもあり、大きな問題があると別のレベルで集中できなくなって。
大きな問題と言っても家の中であることなんですけど、何か物音聞こえるとかすると緊張感が走って集中できなくなって。
集中しようとするんですよ。意識を戻そうとするんですよ。
行けない行けないと思って。でもすぐに意識持っていかれるんですね。
18:04
集中しようとしても戻ってしまうっていうのは意思が弱いっていうのとは関係ないと思いますね。
その気になっている情報がまだ未処理だからなんですよね。
ポッドキャストで話しているときに切り替えて次のに行くの苦手なんですね。
足りない気がしてしまう。何においても集中して切り替えるの難しい。
切り替えることの認識に行くと今度は集中できないし。
やっぱり集中力が高すぎるからなんでしょうね。
集中力が高い人ほど遅れは起きやすいことなんです。
かといって切り替えを儀式化するとですね、またその変なルールでおかしくなってしまうし。
多分にストレスが溜まる状態になりますね。
偽善ですね。だからルール決めて何かな具体的には覚えてないけど、
こうなったら変化するタイミングだってことを決めてやるんだけど、
そのルールも自分で最近決めたルールでしかないしあまり意味を感じなくなるんですね。
優柔不断な人がそんなルールで何とかなったらそんな楽な話はないですよね。
そんな上手い話あるわけがないですよ。
全く悩まなくなるのも問題だし、
変化するタイミングある程度は曖昧させないといけないと思うし。
人のリソースの使い方、意識の集中の仕方どうするべきかっていろんな説があるんですね。
ただですね、例えば集中すれば切り替えが難しくなるし、
切り替えることに意識を置けば集中できなくなるし、
それだけ変化させることで何かが生まれること、分かってない人多いと思うんですよ。
何かの偏りなくせば他の偏りに生まれるという能の仕組み、分かってない人多いと思いますね。
集中と切り替えて同時に最大化はできないんですね。
一歩上げるともう一歩が落ちるし。
でも偏りなくせば全部うまくいくわけでもないし。
21:06
昨日家の前に3年3時代の人いたんですね。来てたんですね。
親がいました。
父が昨日見たと言うんですね。
朝帰ったって言うんですよ。
出す家に入ったの分かったと聞いたらですね、朝出てくるの見たと言い出すんですよ。
父親が見たのか聞いたらですね、説明始めた途中で父が見たのかも。
もう一度聞いたらですね、母が自分で見たんだと言い出すんですよ。
あれさっき父親から聞いた話という感じだった。
そしたら車に何人もいたというんですね。
なんだ分かってるのか見たのかと聞いたらですね、うなずかないんですよ。
返事しないんですよ。見たわけでないとか言い出す。
父見たのかって聞いたら、父が見たって言うんですよ。
しかし自分で見たから分かると言い出すんですよ。
両方見たんだという感じではないんですね、両親。
で、父に車に人いての説明の、って言うんだけどその説明何回も変わるんですよ。
最初は中は分からないと言ってきたから、
それなら朝帰ったか分からないだろう、見たんじゃないのかって聞いたら、何人もいてと言うから、
しっかりは見てないけど、一応何人か見えたんだなって聞いたら、それは父が見たと言い出すんですよ。
じゃあ何人か乗ってたんだなと聞いたら、母も見たみたいで何人かいるようなんですよ。
じゃあ全然分からない?でも全然分からないと言うんですよ。
じゃあ昨日の何人か分からないんだろうと言ったら、何人かいたかどんな感じか分からないって言うんですね。
でも何人か乗っていることは見たのかと聞いたらよく分からないと言うんですよ。
細かいことは聞かれたくないからわざわざ何人かいたけど、中の人はどうのこうのと、よく分からない説明でぼんやかすんですよ。
大事なのは人だったかどうかだよって言っても納得しないんですよ。
ただでさえややこしいのにどうでもいいことでつかかってくるし、どうでもいい説明で混乱させてくるんですね。
それは分からないのかって言っても納得しないんですよ。
人いるけどいないみたいなその説明、おかしいですよね。
人か分からないわけでないというし、じゃあ何人かいるのはとりあえず分かったという説明でもないし。
24:11
混乱しないように言ったと言うんですよ。今までは自分はそう思っただけと言ってきたこともありましたね。
それをやった結果おかしいことを言っているということ。
反省することと、混乱させないように言ったんだ、だから正しいんだあなたはそう思うんですねと跳ねのけて反省しないのとの違いが分かってないんですよ。
とりあえず混乱しないように言ったと言うんですよ。
反省できてるのか全く分かんないんですよ。見たまま言っただけだと言ってきたんですよ。
それと全く反省する気ないのが分かりますよね。
いやその説明の仕方が問題なんだよと。
見たものをそのままどんな説明の仕方でも一心伝心すると思っている。そのまま伝わると思っているんだろうと一番言いました。
次。
希望というのは未来が確定している前提でない場合使いますよね。
希望というのは幻想かどうかよりもその機能を持っているかどうかが問題になるんですよ。
自分は希望を持てないんですけど。
希望がないというよりも機能しないと言った方が正しいですね。
人生に希望がないかどうかはその人の感覚ですよね。
いくらでも希望なんて見え出すことができるはずなんですよ。
26:35
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