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第5919回 後編 哲学以前の観察
2026-08-04 16:08

第5919回 後編 哲学以前の観察

この番組では、最初に日常の話から入ることもありますが、そこから話題が次々と移り変わっていきます日常のささいな出来事をきっかけに、人間の認識、意識、存在、そして意味づけの仕組みを観察する思考実況ポッドキャストです。

哲学や心理学を教える番組でも、人生の答えや救いを与える番組でもありません。

「何を知っているのか」

「それは本当にそうなのか」

「確信はどこから生まれるのか」

人はなぜ何かを信じるのか。

なぜ物語を作り、意味を見出し、自分や世界を理解しようとするのか。

私たちが見ている世界、自分という存在、記憶、感情、快感、思い込み、そして後から作られる物語を静かに掘り下げます。

信じることで成り立っていた世界から離れたとき、人は何を見るのか。

意味や物語が最初から存在するのではなく、人間がそれらを作り出していることに気づいた後の世界を観察します。

人生に意味はあるのか、どう生きるべきなのかという答えを探すのではありません。

意味や目的が揺らいだあと、それでも人間はどのように日常を維持し、考え、動き続けるのかを記録します。

結論よりも、考えている途中の揺れ。

完成された思想よりも、変化していく認識の記録。

自己啓発ではなく、答えを急がず問い続ける。

虚無を終点ではなく前提として、人間という存在の仕組みを見つめる哲学的独白番組です。

感想

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存在、時間、現実、記憶、記憶、世界、世界。 全ては作られている。
ストイックにやるのも結局は、後で楽したいから。
というだけでしかなくて、しかしそんなことわかっているから、 人生終わるまでストイックにやる覚悟はありまして、
楽を目的にはしていないんですね。しかし辛いこと、終わっては楽もせず、リラックスもせず、 次始まるから絶望しそうになるんですよ。
老後、病気になって体が痛くなるし、目と耳不自由になるし、体調悪く寝れない。 だから、若いうちは心地よくない方がいいと思っているんですね。
こうすると老後反動で辛くなると思っているんです。 だから姿勢を変えて、ちょうどいい具合になって快感が出ることさえ許してないんですね。
それは普段も反動があるし。
では次の話です。
人形とかアニメとかぬいぐるみとか、
幼稚な趣味の人って日本人多すぎないかと思うんですね。
あとキャラクター文化っていうのもあるし、
あとゲームもそうだし、
可愛い文化ってありますよね。フィギュアぬいぐるみとか、コレクション楽しむ文化もあるし、
もちろん大人も楽しむ趣味としてもなのもわかるけど、
最近だと大人でもシール集めてる人、
多分相当な数いると思いますね。
20代女性で。
別な意味を持って遊んでるって感じはしないんですよね。
でまた結構偏差値の高めの人でさえ、
そういうアニメなんかもそうだし、人形なんかもそうだし持つんですよね。
複雑な人間関係が嫌だっていう場合もあるだろうし。
で疑問に思うのは、大人の感傷に耐える複雑なストーリーを持つ作品も多くて、
だったらそもそも普通の実写っていうのかな、映画で良くないのかなって思うんですよ。
03:02
アニメでしか成り立たないものがあるのもわかるけれども、
でもそんな絵画に対する感性って持ってますかね。
あとは人間関係のストレスで避けてるのか。
人だとしたら、人みんな苦手だろうと思うし、ストレス溜まりすぎだろうと思います。
マニアックな人、収集してる人、鉄太太みたいに細部に熱中できる人。
憧れてきたけど誰もダメでしたね。特に鉄太太。
みたいな、今の話と矛盾しますけど。
そんな趣味持ってないからこそ、別世界なんですね、自分にとっては。
あった生涯みんな鉄太太っていうお医者さんいたんですよ。
大げさだと思うけど、それぐらい強調したかったんでしょうね。
それから何度か雑誌を買ってみたものもダメでしたね。
プログラミングの本買ったけど、それもダメでしたね。
後に自分は苦手だったら分かったんですよ。
数学とは違うようですね。
一番理系のではないと思うんですけど、理系の特徴。
理系の人の特徴、思考法と比べ、ものすごく理系だなと思うんですけど、真逆と思うこともあるんですね。
理系でも文系でもないし。
しかし数学は得意だったんですね。
ごまかせてた西洋は得意だったんですよ。偏差値も高かったし。
理算まで、理算になると、私はあれだけど理解は簡単だったんですよね。
分かんなくなることはなかったんですよ。
次、行動は学生時代はそんな浄土的でなかったと思ってたけど、
うちなのか、発達障害者からなのか、買い物行ったり友達誘ったりしないし、
外出、自分からした記憶はないんですね。
もちろんいろんなとこ行ってみたりして憧れるけど、実際やらず終わるんですね。
コンビニぐらい行ってもよかったと思うけど、あれもやりたい、これもやりたいっていう発想はあるんですけどね。
何をもって浄土こうだというかですよね。
知的障害で同じ道を歩く、同じパターンを繰り返すっていうのもあるけど、
それだけが浄土的だとは言えないと思いますね。
次、学校で一生懸命話してるけど、何が楽しんだと思ってたんですね。
特に得られるものないし、共感したいとか承認とか、理屈?
そんな理屈聞いても理解できないですね、不思議ですね。
06:06
相手との関係が深まる、休み時間いちいち深めたいかなと思うし、
あと、一緒に笑ったりするのが楽しい。
でも当時は理解できなかったんですし、話してること自体が心地いいのかなとは今では思うけど、
でも授業終わって疲れてるのに一生懸命話してるからね。
疲れてるのに何か伝えようとみんな必死なんですね。
次、自分は何かに興味持ち、知識を集めないんですよ。
例えば音楽、曲名わからないし、知識を集めるのが目的になってる人と逆なんですね。
記憶力ないからってのもあるけど、記憶して疲れるんじゃないのかなと思うし、
基本的に問いを考える対象として見てるんですよね。
考える材料として見てる場合が多くて、音楽はわからないけど、
でも何か考えてるのかなとは思います。
そもそも問い立てやすいもの以外はあまりだったのかもしれないです。
次、アニメだったりガジェット、グッズなどオタクでなくても大人でもすごい知識量、偏差値、
高い低い記憶力あるなし関係ないんですよね、この人たち。
みんなキャパがすごく見えるんですよ。
このアニメのキャラもこのアニメも詳しいのかという感じ。
それに比べて自分はそんなことできないし、この人たちとの差は何だと思いますね。
記憶力でないと思うし単に熱量なのか。
一つ考えるのは自分の問いに関係なければ、興味がないですから。
重要でないと判断して記憶に残りにくい。
あとはオタクの人って子供の時から図鑑を覚えて親に褒められたりそういう経験があるんでしょうね。
自分は知識が増えるごとにすごい恐怖心があったんですよ、何でかわからないんですけど。
そもそも自分はアニメなんか見ないんですけど。
あとは他の人が知識を覚えてる時間、自分は哲学的なことを考えてるんですね。
哲学的なことっていうか、とにかく考えてるんですよ。
子供の時から記憶に残る喜びはなかったですね。逆に恐怖だったし、不快だったし。
覚えようとしないし。
知識を一生懸命覚える。
09:00
例えば恐竜の図鑑みたいな場合覚えるみたいな。
そんな発想もないんだけど、そんなことを知ってはいけないような感じ。
次。
カレー大量に食べるのはやめて悔しいけど、悔しくて親を食べるのは本当は自分も食べてるはずと辛くなる。
大変太ってしまうから仕方ないんですね。
しかしそれで豆腐にしたのに太ったからカレーでよかったわけです。
だったらカレーでよかったわけです。
そういう意味では別に生きてた基準はいくつもあるし、衝突してさっきまでとは矛盾したりするわけですよね。
それはいいけど矛盾に慣れてしまうのってどうかと思うんですよ。
矛盾しててもいいやってなってしまうのってどうかと思いますね。
あとですね、快感を持たない、持ってはいけないという。
なんか比較宣言則みたいだけど、強い基準がある日常でこれと衝突する考えや習慣があるんですね。
それで困ってきたんですよ。
やはり動画わざわざつまらないもの見たくないし、食事は美味しく食べたいし。
食事がうまくいかなかった時、この基準をつかんで、今ではわけなかったけどいいと思えるんですね。
しかしこの後どうするか、気持ち切り替え、この後味わうってなかなか矛盾だし。
そこで今言った問いが出てくるんですね、矛盾になれるのって本当にいいのかと思って。
あとですね、推測してる時使う、かもしれないという言葉。
これ文長くなるし、無駄だと思ってきたんですね。
でもですね、しかし他の可能性を視野に入れることは必要になる時ってあると思うんですよ。
だから大事なのかと思いました。
高音は思ってるんだけど、他の可能性もあると頭に入れておくということ。
では次。何故か意味を感じすぎると、これやって何の意味があるんだとなったり虚無に飲み込まれるんですね。
何か大切にするとそれの不十分な点が見つかるからダメになる。
これは期待しすぎなんでしょうね。
12:00
だから意味を感じすぎると、それも期待みたいなことなんでしょうかね。
これが意味があると思ってしまう。そういうことか。
意味を感じすぎる時、期待するというか意味が相当あるという見込みができてしまうんですね。
だから実際は意味がなくて絶望するんですよ。
では次。意味とは人間が、人間同士がお互いを助けたためについている嘘に見えるんですね。
あとですね、自分にとって表面的だし、幻想だし、不平成テロだし、だからすぐ変わってしまうし、脳の中にあるだけだし、
とりあえず特幹工事で作られたそんなものだから、意味とはそんなものなのでないも同然なんですね。
絶対の意味もそうだし、みんな使っている意味もないと思ってますね。
自分の中ではないも同然ですね。
意味の話なんですけど、人間同士が協力して生きるために作り出したものといった方が良かったかもしれないですね。
嘘まで言ってしまうといいかもしれないし、ある意味嘘をお互いについているような気がするから言うのであれば、
人間同士がお互いを助け合えるために共有している便利なフィクションではあるでしょうね。
意味とは人間同士が協力して生きるために作り出したものでもあるんですよね。
協力して生きるためというか協力して作ったもの。
人を助ける、何が意味があるとか、この考えがないとお互いを助けるということも人類は知ってこなかっただろうし。
集中している時、心理思考だったり、余計なことを考えるとか、余計なことを考えると関係ないと。
振り払う暇がないんですね。
あとは、振り払う必要があるかないかの判断さえできないんですね。
では次。問題になるのは絶対であることが分かっていないのに絶対だと確信すること。
なのであれば、神は絶対であることを分かっていないのに絶対だと確信すること。
神がいるか分からないのに信じてはいけないと言っているようなものですよね。
絶対であることは分かっていないし。
15:05
神が絶対にいると証明された事実として扱うことと、神を信じることは別なんですね。
一つの考えを固定してこれが絶対だと思い込む時。
これの問題は絶対と思ってしまうこと。
つまり証明されたとしては扱っていないんですよね。
あくまでも絶対と思ってしまっている状態。
それなのであれば、それだけで論理的に間違いとは言えないし、神が絶対にいると証明された事実として扱うことと、神を信じることは別。
問題とされるのは、前者でないと分かりましたよね。
神がいるか分からないのに信じてはいけないと言っているようなものなんですよ。
16:08

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