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2024-12-14 10:12

#20 聖妙な眠り / ヘルマン・ヘッセ『シッダルタ』 その4

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今回は、ヘルマン・ヘッセの代表作である「シッダルタ」

本作は、私が私自身になる、真の私を目指す物語。

主人公は、世俗にまみれることが、かえって彼を深い境地へ導く。
ビジネス、子育てをしながら、彼が成熟していく生涯を描かれる。

私、阿世賀も最も影響を受けた小説の1つです。

サマリー

エピソードでは、ヘルマン・ヘッセの『シッダルタ』を通じて、シッダルタの深い眠りとその聖なる性質が探求されます。眠りは彼に新たな生を与え、自己の再生の過程として描かれ、特にオウムの言葉の神聖さが強調されます。

シッダルタの自己発見
次はね、123ページの、前から3行目ぐらいのところなんですけどね。
はい、もうね、中盤超えてる感じですね。
そう。これ場面としてはさ、まあその、さっき言ったようにシッダルタがさ、どんどん欲に、世俗にまみれていって、みたいなところまで行って、
で、まあ、ある日、俺は何をやってんだってことに、まあ、気づくわけなんですよね。
うん。
その、なんて哀れなんだって、俺は、つって、まあ、その、本来の家を飛び出してきた目的も忘れない、みたいなね、
はい。
ここで、まあ、気づくっていう、まあ、そういう場面。
はい。
で、あ、ごめんなさい、これ122の冒頭からちょっと読んでみたいんですけどね、読むとね、眠るんですよ、これ彼、それに気づいてから、川のおとりで読みます。
眠りは深く、夢もなかった。久しい前から、彼はこのような眠りを忘れていた。
数時間たって目覚めた時には、その間に十年の歳月が過ぎ去ったような気がした。
麗妙な眠りの意義
言うんですよ。
で、これちょっと飛ばして、123ページのところ、それにしても、なんという麗妙な眠りであったろう。
今まで一度として、眠りがこれほどまでに彼を蘇らせ、新しくし、若返らせることはなかった、というところなんですよ。
えー、興味深くないんですかね。
眠りがさ、
10年も歳月が過ぎ去ったぐらいの感覚がしたっていう、そして、
そして、麗妙な眠りなんだ、聖なる眠りなんだ、というと言うんですよ。
麗妙な眠り。
彼を蘇らせ、新しくし、だから彼を新生させたんだ、彼をもう一度新しいものとして生まれ直させたんだ。
眠りはそれぐらい、聖なる力を宿している、ってことがこれ書かれてるんだと思うんですよ。
うーん。
これどういう感じなんだろうね。ぐっすり寝たのレベルじゃないよね。
レムスインミンのレベルじゃない。
ノンレムとかそういう話じゃないレベルの。
深い眠り。
僕もやっぱりそういう愛犬があったのかもしれないんだけど、自分の中では記憶がない。
だけども、でもね、やっぱりシュタイナーなんかは眠りっていうのが魂が働く時間なんだ、みたいなこと言うんですよ。
だから、眠りをもったいなくなって眠る時間を短くするみたいなことは、
ちゃんと魂が仕事させる時間を奪っていることが言えるんだと思うんですよ。
へー、なるほど。
で、エッグハルトなんかもね、マイスターエッグハルトなんかもね、眠りを聖なるものにせよ、とか言ったりするんですよ。
おー。
あんまり考えたことないな。
ないないない。なんか生活の習慣の一つになっちゃってるからね。
眠りってものをそういう神聖なものに見た感覚がね、ないよね。
せめて私たちはこの日常の中で何かこう、丁寧に生きれたら、みたいなことを思いますけど、
眠りを丁寧にとか、眠りを聖なるものにって、なんか考えもしなかったなと思って。
どっちかっていうとさ、次の日の仕事のための休息という一つの手段みたいな感じに落ちちゃってる感じがしますね、今さ、現代だとね。
いかに効率よく休息するかみたいな話はあるけど、
聖なるものにっていうとか、そういう捉え方で見たことはないですね。
ないよね。
ないです。
今のってだから、起きてる時間の方が大事で、眠ってる時間にそれを保管するみたいな感じじゃないですか。
そうそうそうそう。
良い時間にするために、起きてる時間を良い時間にするために眠るって話なんですよね。
でもそれってさ、肉体の次元なんだと思うんですよ。でもこれ霊の次元だと逆転するってことなんだよね。
聖なる眠りのために私たちのこの非談の日常が保管できないだろうかってことも考えられるんですよ。
あ、なるほどね。日々の我々の経験がその夜の魂の時間のためのものであると思う。逆転で見ることもできるってこと。
オウムの神聖な言葉
なるほど。それはなんかこう、何だろうな。ひっくり返った見方で面白いですね。
ね。
自分が自分になっていくってことを僕もとっても大事にしてるテーマなんですけど、それに関してやっぱり眠りは欠かせないっていうね、テーマを与えてもらえたなと思って、やっぱり引っ張ってみたかったです。
このワンシーンからね。
でも本当に考えるとか待つとか、断食するとか眠るとか、すごくこう、何て言うんですかこれ。
基礎的なと言いますか。
そうだね。
とっぴなこと言ってない感じなんですね、なんかね。
これがまたいいんですよね、この小説のね。
確かに。
そもそも帰り見たことがない営みに光を当ててくれるような。
そうですよね。
見慣れてると思ってたけど、
見慣れてると思ってた営みにまた違う見方を与えてくれるような感じです。
そうか、この今じゅんさんが飛ばしたところの間でこの物語の重要なこのオウムという言葉もここで出てくるんだ。
出てきますね。
オウムね、これ冒頭にも出てきたし。
冒頭1ページ目も出てきてましたよね。
ここでも出てきてるね、これ。
ちょっと読みましょうか、このオウムのところね。
せっかくなら。
せっかくならね。
どっから読んだらいいかな。
まあこれでも122ページの後ろから5行目ぐらいのところ。
けれど、
自分がある川のほとりの
ヤシの木陰で
聖語、聖なる言葉
オウムを口にして
オウムを口にして
オウムを口にして
オウムを口にして
オウムを口にして
オウムを口にして
オウムを口にして
オウムを口にして
オウムを口にして
オウムを口にして
オウムを口にして
オウムを口にして
オウムを口にして
オウムを口にして
オウムを口にして
オウムを口にして
オウムを口にして
オウムを口にして
オウムを口にして
オウムの瞑想であり、名付けることのできないもの、完成されたものであり、オウムへの没入であり、完全な器具であったように思われた。
なんなんでしょうね、これね。
うーん、僕はわからなかったな。なんなんでしょうね。
ねえ。
うん。
これオウムを口にしてって言ってるけど、まあ、いわゆるお経を唱えるみたいなね。
そのお経の文章自体でオウムって言ってるんじゃないんだと思うんですよ、これ。
そのお経を唱えていった先に、越えてくる網の言葉みたいな感じの。
うーん。
次元がするなあ。
うーん。
表層の言葉そのものをこれ言うんじゃなくて、レイヤーとしては高いところの。
そういうものなのか。
まあね、インド哲学の中にもオウムって意味深いものとして出てくるから、その辺も絡めて聖なる言葉として置いてるんだと思うんですけれども。
まあ、確かにこれを唱えて聖なる眠りに入っていったって言ってるから、なんかこういう睡眠の取り方もあるんですね、なんかね。
寝る前にこういう。
うーん。
キリスト教の中でもね、眠るときのお祈りとかあったりするぐらいですしね。
あー。
そうやって眠りに入っていってもいいっていうことがなんか、得られてる気がしますね。
確かにじゅんさんがさっき話したような逆転した世界観で言うと、すごく自然にも思えますよね。
ね。
そうやって眠りに入っていくことは。
ねー。
うーん。
ご飯を食べる前にいただきますをするよ。
そうそうそうそう。
眠る前にね、眠りの言葉を唱えていくと。
ね。
うーん。
なんかこう、やっぱり今の現代の生活感覚って見ちゃうとね、ちょっと不思議だけど。
うーん。
うーん。
ちょっと、次行っていいですか?
はい。
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