1. 音声で聴く スポーツ、ここが知りたい
  2. アフリカで「甲子園」を/元JI..
2022-09-07 37:40

アフリカで「甲子園」を/元JICA職員の挑戦~野球指導者・友成晋也さん

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 アフリカで野球の普及と競技を通じた人づくりを目指している。
2021年から一般財団法人「アフリカ野球・ソフト振興機構(J-ABS)の代表理事の活動に専念する元独立行政法人・国際協力機構(JICA)職員の友成晋也さんだ。
JICA職員時代、赴任したアフリカの国々で普及の種をまき、活動の輪を広げてきた。
2019年に設立したJ-ABSが実現目標に掲げるのは、アフリカの55全ての口と地域で全国大会を開催し、野球を通じた青少年の育成を目指すという壮大なプロジェクトだ。
現役時代に背番号55をつけて米大リーグでも活躍した松井秀喜氏も趣旨に賛同する「アフリカ55甲子園プロジェクト」や、これまでの活動について話を聞いた。
(聞き手・田中充)

【友成晋也(ともなり・しんや)】
1988年慶大卒業後、一般企業を経て92年に国際協力機構(JICA)へ転職。
96~99年ガーナ事務所へ赴任し、97~99年はガーナの野球ナショナルチーム監督を務めた。
2003年にNPO法人アフリカ野球友の会代表理事に就任。
12~15年はタンザニア事務所に赴任し、14~15年は同国の野球ナショナルチーム監督として活動。
18~20年は南スーダン事務所所長。19年に一般財団法人「アフリカ野球・ソフト振興機構(J-ABS)の代表理事に就任し、20年にJICAを早期退職し、同法人の活動に専念する。


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【制作】産経新聞東京本社・運動部
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00:00
「音楽」
産経新聞のPodcastでお送りするスポーツ、ここが知りたい 担当する産経新聞運動部の田中光展です。
今回はアフリカで野球ソフトボールの振興に取り組む 一般財団法人アフリカ野球ソフト振興機構
ジェイ・エイブスの友成信也代表理事にお話を伺いたいと思います
友成さん本日はよろしくお願いします
はいよろしくお願いします
友成さんは慶応義塾大学を卒業後
リクルートコスモスを経て
1992年に国際協力機構JICAに転職をされ
96年にガーナ事務所へ赴任
97年にガーナのナショナルチームの監督に就任されています
これは野球の代表チームですね
その後アフリカでの野球振興に引き続き取り組まれてきました
そして2019年にアフリカ野球ソフト振興機構の代表理事に就任され
2020年にはJICAを早期退職し
21年から代表理事の職に専念されていらっしゃいます
友成さんは大学時代も野球部に所属されていたということなんですが
アフリカでの活動の原動力も
ご自身が野球を好きだというところにあると思うんですが
まずは友成さんにとっての野球の魅力というのは
どういうものなんでしょうか
まず野球が好きになったきっかけは
私バッティング苦手なんですけどね
ホームランだったんですね
ホームランを打ったところが始まって
みんなから褒め添えされて
友ちゃんすごいじゃんって言われて
そこからソフトボールの試合だったんですけど
そこから野球をやろうよって言われて
野球を始めたのがきっかけだったんですよね
いつぐらいの話なんですか
10歳の頃です
小学校3年か4年か
ちがうちがう5年生ですね
小学校5年生の時にそんなことがあって
それまであんまりやったことなかったんですよね
始めてみたら
肩が割と小学生にしたら強かったので
ピッチャーやってみなよって言われてピッチャーをやり
守備もショートとかサードとかやるようになって
まあ面白い
単純にみんなでやる野球の楽しさが好きになりましたし
中学に行くと今度は守備を極めていこうとするんですよね
ちょうど私その頃
オジー・スミスっていう昔
ダイヤルガーの有名な選手の映像を見たことがあって
ショートストップの選手なんですけど
そのあまりに華麗なプレーに少しでも近づきたいと思って
そこからもショートの取ってからのスピードとか
ものすごい自分で練習して
そうなんですか
それもとにかく守備が好きだったですね
中学生の頃
その頃はプロ野球選手になるのが夢だったんですけど
高校に行き大学に行き
進みにあたって
自分はそんなレベルじゃないんだなと
03:01
なんだと自覚してたということなんですけども
野球だけはずっと飽きずに続けてきましたね
そうなんですね
大学卒業されて一旦企業に入られた後に
在韓に転職されて
アフリカに行かれてすぐに
ナショナルチームの監督に就任されているんですけども
そのあたりは野球との関わりを見据えて
在韓に転職されたりとかアフリカに行ったりとか
私がそもそも在韓に転職したのも
途上国に関心があったわけではなくて
将来独立して企業したいという思いをずっと持ったままいたので
在韓に入ってアジアの事務所かなんかに勤務して
そこで作ったネットワークで独立企業してやろうという思いで入ったんですよね
ところが入った後に在韓の仕事は結構面白くてですね
いろんな途上国に出張して
一緒に国際協力のプロジェクトをやっていくっていうのが
たまらなく刺激的だったんですよね
そのうちにアフリカだけは行ったことがなかったもんですが
毎年人事の移動規模を書く紙にアフリカって書いてみたんですね
そしたらすぐに人事からアフリカガーナ行ってみないかみたいな話があって決まって
ですから本当にねアフリカ見据えるどころか
本当にたまたまアフリカと書いたらアフリカに行けましたみたいな感じなんですよね
海外勤務でしたけど
アフリカともなりさんもそんなに最初から詳しかったわけではないと思うんですけども
不認前の印象とそれから行ってみてのアフリカっていうのは
日本人が抱いている印象と違いっていうのはあったりするんでしょうかね
あの頃はあんまりなかったと思いますね
アフリカってやっぱり私が不認したのは1996年なんですよね
1990年代の後半というのはアフリカが経済成長し始めた時期ではあったんですけど
まだまだ物不足もありますし
決して生活環境が良くなかったんですよね
そんな中で行きましたからそんなに印象は変わらなかったですね
大草原があったりとか赤土の
ガーナはですね
元々イギリスが創始国であまり高いビルがない街づくりをしてましたので
緑が多くてっていうのはちょっと意外でしたけど
本当に道路もボコボコしてたりとかしてましたし
雨が降れば洪水になるしみたいな感じで
イメージ的にはそんなに初めて行ったんですけど
こんなもんかなっていう感じではありました
圧倒されたのはやっぱり黒人の方々が基本的に圧倒的に多いので
それだけ多い黒人の方々を見たのは初めてなわけでしたので
そこにやっぱり圧倒されたってところがありましたね
でも3ヶ月で全くなりましたけどね
その子もずっとアフリカに関わっていらっしゃると思うんですけど
06:00
アフリカの経済成長もつぶさんに見てこられたというか
そうなんですよ
96年に赴任して私もかれこれ25年アフリカと年間が経てるんですけど
特に21世紀になってからの成長はすごいですね
私が行ってきた国だけじゃなくて出張行った国もそうですけど
アフリカって経済成長がとにかく著しくて発展してますね
目に見えて発展してきてるんですよね
例えば高いビルもバンバン建ち始めて
道路はきれいに整備され交通網も整備され
今やケニアには高速鉄道が走ってますし
タンザリもボクボクだった道路がですね
幹線道路がビーッと整備されただけじゃなくて
そこに交通網がまたすごくしっかりと整備されていく
交通インフラがすごい発展してます
それに伴って人々の意識も変わってきてるなと思いますね
国が発展してきてる時に将来の夢だったり希望を見出してるんだと思うんですね
おそらく1960年代70年代初めの日本のように
経済成長してどんどんどんどんこれから良くなっていくんだっていう
そういう意識をアフリカの人たちが持っているような気がしますね
この20年は特にそんな感じだったと思います
そういうアフリカで赴任された当初は
まだまだ発展途上といいますか
経済的にもまだまだという状況だったと思うんですけど
そういう中で野球を普及されていかれるというか
ガーナのナショナルチームの監督に就任されていくわけですが
野球をガーナでやろうと思われた
このきっかけというのはどういうことでしょうか
私野球をやるために行ったわけでは全然なかったんですけど
全くそもそも野球ないと思ってたんですよね
ですから出発前に
どうせ誰もやってない野球だろうから
近所の子供たちを集めてキャッチボールを教えてあげようと思ったんです
その時に職場のジャイコンの野球部がありまして
職場のみんながだったらみんなともなりに
野球のグローブなんか渡して持って行ってもらったらどうかみたいな感じで
ダンボール箱200個くらいに集まって
それ持って行ったんですよ
まさかすぐに使うことになるとは思わなかったんですけど
その現地に野球チームがあって
たまたま野球チームは1チームしかなくて
相手もいないわけですよね
だから在留法人、ジャイコンの関係者の青年海外協力隊だったり
日本大使館に勤めている若い人たちが集まって
自称全日本野球チームを作っているわけですよ
全日本対全ガーナの試合を南球で西球でやってたんですよね
私は不仁相相に誘われて野球の試合あるので行きませんか?
野球があるんですか?みたいな感じで
行ったら結構まともな感じの野球チームがありまして
それがガーナナショナル野球チームだったんですよね
09:00
試合やったんですけどその試合が
日本人も上手い人とか高校までやってた人も何人かいたんですけど
私もギリギリまで西球でバリバリやってたので
体が動くわけですよ
胴体出力もまだまだ良かったので
結構打ったり守りもね
得意の方の守りはクロバティックにね
飛ばなくてもいいのにジャンピング
スローとかキャッチとか
なりきってやったら目立ったんですよ
一人やたら上手い奴がいるみたいな
試合が終わった後にガーナチームからですね
野球上手いですねって言っていただいて
ぜひねうちのチームに今コーチがいないから
コーチやってくれって言われて
じゃあいいですよって言って
始まったのが私のコーチ
初めてのコーチ業だったんです
それが96年の暮れにそれがあって
97年からナショナルチームの練習に
1月から行き始めて
その後に政府からちゃんと監督として任命状が出て
正式にナショナル野球チーム監督になったんです
結構遠征とかもあるんですか
遠征はですね
立場的にジャイカーの職員やりながらだったんで
遠征は行けなかったんですけど
ナイジラが強かったんです当時
国を2つ跨いで先なんですけど
間に東郷ベナンがあってナイジラなんですけど
2カ国跨いで来てくれるんですよ
われわれのために
遠征に来るわけですね
車で
車ってガタガタの車で来てくれて
練習試合をやってくれて
それでだんだんだんだん最初圧倒的に分かったのに
だんだん引っ越していくようになるんですよね
ナイジラのおかげで
それでガーナチームもだんだん強くなっていきました
そういうナショナルチームの強化にも携われている一方で
裾野の普及のほうにもやっていかれて
タンザニアで甲子園大会が開かれたというふうに聞いているんですけど
これどういうふうな大会でどういう思いが
そこちょっと今かなりジャンプしたんですけど
その間に大切な要素があって
ガーナでは3年間で私は就任期間が切れたので
ナショナルチームを強くすることを目的にやっていたんですけど
その時にガーナのナショナルチームは弱かったんです
もともとは西野球チームですからね
だけどやっぱり監督である以上
オリンピックを目指そうと言っているので
常に旗は立て続けなきゃいけないことなんですけど
でも嘘は言いたくないわけですよ
じゃあどうしたらいいかって考えた時に
いつかオリンピックに行くようにさせたいな
そのためには普及活動だということで
ガーナで普及活動をしたんですね
中長期的に
そうなんです
だから目指そうっていうのは
君たちは無理かもしれないけどっていうのをカッコつきにして
でもガーナはいつかオリンピックに出るために
ガーナを目指そうって言ってたんですよね
かなり本気になられているわけですね
だから私はもうフルに本気で目指そうと言ってたんですけど
そのためには何をしたかというと
私の教え子の選手たちに
日頃日中ですね
学校に送って野球チームを作って
12:02
野球を教えていくっていう活動を
選手たちにやってもらったんですよ
普通ね青年海外協力隊とかですと
野球隊員で毎日できるんですけど
私は月曜日から企業の仕事があるので
動けないんです日中の
選手たちに代わりに
自分がいつも教えているようなやり方でやってこいって言って
結構広がったってことですね
そんなこともあって
選手っていうのはあるんですか?
社会人の方
そうですね
17歳から25歳ぐらいでした当時
まだまだ若いですし
九州もできますしね
彼らが平日はコーチとして回るわけですよ
なるほど
その時の15歳から18歳ぐらいの子供たちを
中心に教えていくわけですね
なるほど
そんなことがありまして
日本側と野球を教えてたんですね
つまり
日本の野球ってやっぱりきちんと時間を守って
グラウンドを整備してね
ちゃんと試合をする時は
礼をして試合を始める
私はそれしか知らないので
そういう日本型の野球をガーナの人たちにも教えたわけですよ
これがね
実はタンダラにつながるんですけど
私が99年にガーナを去って
それから10年経って
2011年に再びガーナに行くんですよ
何をしようとしたかというと
ガーナ甲子園プロジェクトっていうのを始めたんですね
このガーナ甲子園プロジェクトって別に
日本の甲子園に出るわけじゃないんですけど
ガーナでも日本の甲子園大会のように
甲子園大会を作って
そこでそれを目指してみんなが頑張れるような環境を作ってあげようということで
ガーナ甲子園プロジェクトというふうに始めて
そのためには地方にも巡回指導していかないといけないから
その時いた若手をコーチとして
かつてのように学校を巡回指導してね
普及させていって
そういうプログラムだったんですよ
で始めました
私はその時アフリカ駅友の会というNGOを立ち上げてたんですけど
ジャイカーの兼業でですね
そのアフリカ駅友の会
アフトモって言うんですけど
アフトモがお金をある程度提供して
交通費とか巡回指導の経費を見てあげながらやったんです
1年経ってどんな感じかなと思ってね
モニタリングに行ったんですよ
学校を巡回指導してたので
学校を回ってたんですよね
校長先生と体育の先生と
選手たちとコーチとみんなにヒアリングしてどうですか
そういう単純なモニタリング調査をしたんですけど
最初の学校に行った時に
校長先生に会うなりに言われたんですね
あなたが見せたところなのかと
とてもありがたいありがとうって
やたら歓迎と感謝を言われて
うちの学校に野球チームを作ってくれたおかげで
子供たちはみんな成績が良くなるんだって
成績ですか
15:00
野球で体力がリーダーシップが
リーダーらしくなるとか言うのは分かるんですけど
成績ですか
そうなんだ野球やってる子はみんなのけたみ成績上がっていく
技術正しくなるし
レーダーらしくなるし
クラスでリーダーシップを取るようになるんだって
へーって思って
2つ目の学校に行った時に
先生といろいろ話をする中で
今度は私から聞いたんですよね
この学校の子供たちは野球一生懸命やってくれるって聞いて分かったんですけど
野球がやんばりすぎて成績が悪くなったりしませんかって
逆だよと
野球やってる子はみんな成績が良くなるんだって
言ってくれるんです
へーって思って
その後回る学校はみんなそうだったんです
なんでだろうって思って
その謎が解けるんですね
ある程度学校回った後に
あるコーチの指導現場に行って
現場を見てみたんです
どんな指導してるかなって
そのコーチっていうのが
私がかつて教えた選手たちではないんですよ
10年前ですから
10年前に私の教えた選手たちが
日本に学校に行って
教えてた子供たちが当時15歳から18歳
それから10年経ってますから
今彼らが25歳から28歳になってます
その人たちがコーチとして教えたんですよね
へー
だから私からすると孫が教えてる
孫が初対面なんですよ
その孫たちの現場に行ったら
ちゃんとグラウンドをきれいにして
時間を守って試合をやる時には
きちんと礼をして試合を始めるっていう
日本式の野球が
日本式の野球がね
私の孫が非孫たちに教えてたっていう
へー感動ですね
私ね本当に感動したんです
私があの時教えた
直接教えた人たちに
これはちゃんと代々伝えていくようになって
一言も言ってないんですよ
でも野球というスポーツは
スポーツだけに
その様式が伝わってくるんです
自然に
でそれを見てね
すごい感動したと同時に
野球というスポーツは
電波するんだなと教えが
そしてこの野球は
礼儀正しくね
リスペクトして
声を出し合って
コミュニケーションを取ってっていう
そのきびきびした選手たちを見てた時に
これが生活態度になっていって
クラスでリーダーシップを取ったり
野球にも一生懸命になるような
そういう習慣になっていったんだな
ということがね
わかったんですよ
これはすごいなと
いうことで
2012年に
私はタンゼネに
今度は赴任するんですね
これもJICAのタンゼネ事務所で
赴任するんですけど
野球全然なかったんです
ガーナと違って
タンゼネには全く野球がなくて
やりたくないんですけど
でも今度は私逆にね
野球はあるに違いないと思って
ガーナの時のように
ガーナはないと思ったけどあったから
タンゼネもきっとあるだろうと思って
今度はですね
日本で中古車を買って
18:01
タンゼネに乗るために
赴任するんでですね
タンゼネに車を送ったんですよ
船便で1ヶ月半かかるんですけどね
送る時に
車の中に木箱を詰めて
木箱を入れてですね
その中に野球道具をいっぱい詰めて
すぐ行ったらすぐにやろうと思って
送ったんですよね
そしたら逆にね
タンゼネは誰も野球を知らなかったんです
1人もいない
こんな野球ないのに
こんなに道具を持ってきちゃったよ
でももったいないからね
野球じゃせっかくだから
紹介しようと思ったんです
ある時
平日はジャイアントの仕事があるんですけど
時間がある時に
ある学校に行ったんです
スポーツ長にお願いして
学校を紹介してもらって
その学校の校長先生に
お会いしたんですよ
その時に
野球がないから
野球やりませんかって言っても
先生がわかんないと思ったんですよね
そういうアプローチじゃダメだなと思って
私が考えたのが
まず校長先生にお会いして
校長先生のこの学校の目標は何ですかって聞いたんです
そうしたら
校長先生は
もちろん子どもたちが一生懸命
勉強して成績を上げて
いい成績を上げて進学率を上げる
それが私の目標だし
この学校の目標だよと
言うわけですよ
そこで私が先生に言ったのは
校長先生ね
成績が上がるスポーツがあるんですよ
ガーナでの実績がありますから
これ見てくださいって映像を見せて
ガーナの子どもたちが
日々動いている映像を見せて
校長先生が言ってたんです
みんな成績が上がるって
そんなスポーツがあるなら
ぜひうちの学校に野球部を作ってくれ
って言ってくれて
わかりましたやりましょう
って言って始まったのが
ある学校の野球部で
そこからね
その野球部の学校っていうのは
市内でも最も大きい学校で
わりと老舗の学校なんですよね
リーダーシップを
持ってる校長先生で
うちの学校に野球部ができてるみたいなことが
口コミで広がってたらしくて
見に来るんですよ
子どもたちが礼したりきびきびしたり
校長は日本人ですから
それを見て
いいなって
しかも成績があるんだって
うちでもやってくださいって
リクエストが来るようになったんですね
おそらくやりませんかって言ったら
何ですかそれはいりませんって言われたと思うんですけど
リクエストだからじゃあやりましょうって
それがどんどん広がっていったんですよ
ダルエスサラムで広がっていた野球を見た
青年海外協力隊の人たちが
結構野球経験している人たちがいたんですよ
それを見た人たちが
僕の地方にある学校なんだけど
僕の学校でも野球伝えたいからどうありませんか
いっぱいありますよ
って言った私って
地方で
学校で理科とか数学を教えている
野球隊員じゃないんですけど
学校の先生やっている隊員たちが
野球をクラブ活動で始めてくれたんですね
地方にもポツポツポツポツ
21:01
でき始めて
じゃあねでも地方に行ってしまうと
なかなか試合がある機会がないから
じゃあみんなが試合できるように
全国大会を開こうってことで
ガーナでやるはずで
ちょっとやりきれなかった
タンザニア甲子園大会
始めようと
始めたんです
これがタンザニア甲子園大会
2014年2月に第1回大会
たった4校ですけど
1校でダレスサロンで2校で始めたんですね
これを見た
学校の先生たちがうちでもうちでも
だんだん広がっていって
今20校くらいになりましたね
継続して開催されている
毎年毎年やっているんです
継続されまして
タンザニア野球って
アフリカの中でもモデル的な
ゼロから始まった野球ってことで
注目されているんですよね
今聞いていると
ガーナとかタンザニアでは
長谷さんの活動で
野球というのが普及してきているのかな
と思うんですけども
アフリカ全体で見た場合というのは
野球というのは
まだまだやっぱり普及としては
そんなにない感じなんですか
超ドマイナースポーツですね
超マイナースポーツなんですよ
野球って
多分タンザニアに行った時に
誰も知らなかったということは
まず半分以上ですよね
野球があったとしても全然知らない
私よく例えて言うんですけど
カバディっていうスポーツが
あってこれは南アジアで
スポーツでアジア大会の競技も
日本の方で
カバディ知っている人はほとんどいないし
見たことある人はさらにいない
やっている人はほぼいないですよね
でも結構世界ではね
そういう存在なんですよ
アフリカ以外の国ではね
アジアとか特に東アジアとか
中南米
ヨーロッパでも結構野球はありますけど
全く知られていない
あったとしてもあることを知らない
という感じですよね
ですからまず認知を広めることから
始めていかないといけないのは
アフリカにおける野球の位置づけですね
なるほど
そこにうまく起立とか尊重とか
いわゆる日本の
教育のようなものを持ち込みながら
一生懸命普及されてきたわけですが
そうですね
そういう中で強力な援軍として
松井秀樹さんが
エクセクティブドリームパートナーに
就任されたということなんですけど
これ実際に
5月にはニューヨークにいらっしゃる
松井さんが
ナイジェリアとオンラインでつないで
バッティング指導なんかもされていて
私もちょっとYouTube見たんですけど
結構素振りの大切さなんかを説かれて
松井さんとアフリカがつながるというのは
小野井さんが間に入ってらっしゃるんですけど
どういうふうな経緯で
こうなったんでしょうか
私ねこのさっきのタンザネ屋
自立尊重正義というのが
タンザネ野球のスローガンなんですけど
タンザネでは野球を普及させるんじゃなくて
野球を通じて
若者たちを育てましょうということなんですよね
こういうやり方でやってたんですけど
要はそれを一言で言うと
24:01
スポーツマンシップなんですよね
スポーツマンシップでなかなか教室では
教えられない
スポーツだからこそ教えられるんですけど
特に野球はそれが顕著だと思うんですよね
私は
アフリカ野球ソフト
アフリカ野球ソフト振興機構を
立ち上げる時の目標は
アフリカ中に野球を広めたいと思ったんですけど
その野球を広めるのではなくて
野球を通じて
若者たちを育てていって
自立尊重正義
スポーツマンシップあふれる若者たちが
社会を変えていくというような
ビジョンを描いて始めたんですよね
でもその時に
ビジョンを描くのはいいんだけど
自立尊重正義を
身につけたスポーツマンシップ
どんな人ですかと言った時に
例えばこんな人ですよという
ロールモデルみたいな人がいないと
ぼやけてしまいますね
その時に私が思ったのは
アフリカ甲子園プロジェクト
という名前を
つけたんですけど
アフリカ甲子園といった時に
甲子園のシンボルになるような人って
誰だろうと思った時に
この人しかいないと思ったんですよね
それが松井秀樹さんだったんです
若い人はあまりご存じないかもしれないんですけど
松井さんって小田関連続経営で
120年に有名になって
甲子園のレジェンドですけど
あの時にやっぱり
松井さんが素晴らしかったのは
小田関経営を受けた後の
試合後のインタビューですよね
その時に
悔しくないんですが1回も勝負されなくてって言われた時に
松井さんは
いやこれは相手の作戦ですから
僕からは何も言うことはありません
僕たちが弱いから負けたんですって
いさがゆく負けを向け止めた
すごい悔しかったと思うんですよね
日本一を目指したのに1回も勝負されなかった
自分が当てたら3対2の試合が
ひっくり返ったかもしれない
だけどそこをキャプテンとしては
いやそれはもう負けたから我々は弱いんです
そういうねグッドルーザー
スポーツマンシップが日本中に感動を呼んだわけですよね
18歳の青年ですよ
そうですよね
我々がアフリカ甲子園プロジェクトをやる時の対象ってのは
15歳から18歳くらい
日本でおける高校生の人たちが対象で
じゃあその人たちが目指す人って
どんな人って言った時に
スポーツマンシップにあふれる人
例えば松井秀樹さんみたいな
こういう伝説のある人がいるんだよ
この人はその後日本のプロ野球で
大活躍して
ナンキスでも大活躍して
ワールドシリーズで優位を取った
そんな人は高校生の時にこんなスポーツマンシップを
発揮した人だったんだ
こんな素敵なロールモデル
わかりやすいロールモデルがないわけですよね
だから私は松井さんがね
本当は一緒にアフリカに行ってほしいけど
松井さんのスタンドバーナー
2メーターくらいのスタンドバーナーを作って
それを持ってアフリカに必ず行って
松井さんのスタンドバーナーを掲げて
皆さんに紹介するんです
ヤンキースの
ユニフォームを渡った松井さんは
高校こういう人で
こんなことがあってねっていう
豪達的連続経営の話をして
スポーツマンシップを発揮した人がね
こんな偉大な人になった
オリンピックで当地まで持って走ったんだよ
27:01
みんなもねこういう人になろうっていう
今アフリカ中の若者たちに紹介してるんです
なるほど
その松井さんに今回は
ナイジレアでバーティング教室を
やったんですけど
本当はオンラインで繋いでやりたかったんですけど
ネットの環境が
ナイジレアあんまり良くなかったので
それは無理だったということで
事前にね
ナイジレアの野球連盟の人にお願いをして
映像を頂いてですね
ナイジレアの選手たちの
その映像をニューヨークにいらっしゃる松井さんに送って
松井さんがそれを見て
あとは私とズームで繋いで
その映像を見ながら
バッティングで大切な基本的なこと
ということを松井さんが
語って頂いて
それを収録して
編集をして
それを5月に
ナイジレアに私が行って
その映像をみんなに見せながら
私が選手や
コーチたちに説明した
こういうやり方でやったバッティング
なるほど
松井さんはどうだったんですか
アフリカの野球振興に対して
友谷さんの思いを聞いた時
僕ね
松井さんにお願いしたもう一つの理由は
国際的な
世界中から集まる若者たちの間で
野球をやってた方ですから
アフリカ系のアメリカ人
黒人プレイヤーもいっぱいいらっしゃいましたし
だから視点がやっぱり
国際的だと思ったんですよね
松井さんにお会いしに
アメリカ旅行まで行って
こういうこと考えてるんですよ
アフリカ中に野球を通じて人作りしたいんですよ
って言った時に
松井さんは
野球がアフリカには
ないんですよね
でもサッカーはいっぱいありますよね
僕も野球で育ったから
こういう野球がアフリカ中に広まるといいですね
って言って
すごい共感していただいて
私にできることなら
何でもやりますから言ってください
それでは
パートナーという形でいかがでしょうか
ドリームパートナー
エグゼクティブドリームパートナー
になっていただいて
昨年11月にご了承いただいて
エグゼクティブドリームパートナーとして
今活動を一緒にさせていただいている
じゃあもう1回こっきりじゃなくて
継続的に
毎年更新させていただきたい
そうなんですね
今回松井秀樹さん
バッティング指導されましたけども
同じ元メジャーリーガーで
中西のエースだった川上謙信さんも
活動に参加されているところなんですが
はい
これはどういう経緯だったんですか
松井さんはね
バッティングのスペシャリストですけど
川上さんはですね
なんで川上さんに
辿り着いたかというと
きっかけは松井さんが
エグゼクティブドリームパートナーになっていただいた
ことをですね
記者会見で発表したわけですよね
たくさんメディアの方々に取り上げていただいて
その記事を
かテレビかを見た
川上謙信さんが
松井さんがこのことをやっていると
30:01
すごい関心を示していた
ということをですね
中西ドラゴンズの関係者
私の知り合いがいて
それを聞いていたので
私に連絡をくれたんですね
川上謙信さんがすごい関心を示しているよと
おっしゃっていただいたので
ぜひこのプロジェクトの詳細を
彼にお願いをして
zoomで
面会させていただいたんです
我々のアフリカ55甲子園プロジェクト
ということの意義を説明したら
そういう素晴らしいことなら
私にもできることはさせてください
っておっしゃっていただいて
本当ですかと
元大リーガーでピッチャーですから
これはバッターの
バッティングの松井さん
元大リーガーでピッチャーの
川上謙信さん
お願いをして
キッチンクリークを
やっていただいたことになったんですね
松井さんの素振りとか
川上謙信さんの
投げ方とか
トップの選手から教わることで
技術の向上というのは
違ってきますか
みんなめちゃくちゃ喜んでいるんですよ
そうなんですね
野球やっている人たちですから
マイナースポーツ
特に大リーガーには関心がある
今アフリカの野球選手で
大谷選手は知らない人はいませんし
スポーツの人たちは
年配の方々は
松井選手を知っているんですよね
少なくともニューヨークランキーズは知っている
あるいはアトランタブレイド
知っていますよ
そこでやっていた人たちになると
わーってなって
こんな人たちの映像でアフリカの人たちに
語りかけてくれる
こんなに光栄なことがない
本当に喜んでくれました
そうですね
みんな食えるように
例えば松井さんはビデオを
流したんですけど
食えるように見て
みんなスマホ持っていますから
スマホでそれを映像で撮ったり
河上健進さんはオンラインでやったんです
ダメ事でやってみますよって
河上健進さんが言ってくれたので
やってみたらできたんですよ
それもね
オンラインですから
直接名古屋にいる健進さんが
実際に映像を見ながら
ピッチングの指導をしてくれるんですよね
ピッチャーたちは本当に感動してくれて
そうですか
健進さんが直接
聞いてくださいって言ってくれたので
ピッチャー連れて行って直接会ったら
固まっちゃって
健進さんの前で
言葉が出ないんですよね
いいから何でもいいんだよって
それでようやく言葉が出て
コントロールを良くする練習はどうしたらいいんですか
そんな感じでしたね
日本の子供と同じですね
コントロールを良くしたい
大技医学から教えてもらったら
格別だと思います
河上さんさっきおっしゃられた
アフリカ55甲子園プロジェクト
これを今
開催の実現に向けて
取り組まれていると思うんですが
どういうプロジェクトで
そこに向けて河上さんとしては
33:01
どういう意気込みを持っていて
今聞いてられる方
日本の方 企業の方なんかが
どういうサポートができるのか
その辺りも含めてお話を伺いますでしょうか
ありがとうございます
アフリカ55甲子園プロジェクト
というのは
いわゆる
甲子園大会を
各国で開くというので
そういう名前にしているんですけど
一番メインになるのは
人作りなんですよね
野球を通じて
スポーツマンシップ 規律尊重
正義を育む
これがメインなんです
そのためには野球道具を提供したりとか
野球の
グラウンドを整備する方法を
伝えたりとかということもするんですけど
人作り野球をやるんですよね
そのためのメソッドも開発して
ワークショップで
どうやって野球を通じて子どもたちを
育てていくかという
これをメインでやっていくんですけど
これをアフリカ中に広めていきたい
ですからアフリカ55甲子園プロジェクト
というのは
松井さんが
エグゼクティブドリームパートナーですから
松井さんの55だと
言われていただけるんですけど
それも半分ありつつ
本当はアフリカというのは
55の国と地域
54の国と1つの地域なんですね
55なんですよ
松井さんの55とぴったり重なっているんです
アフリカ55というのは
アフリカ中にゴジラパワーで
野球を広めていきたい
こういう思いを込めているんです
ですから
野球ある国はもちろんのこと
ない国には野球を紹介していって
この日本型野球で
子どもたちを野球で育んでいく
これを広めていって
アフリカ中が規律尊重正義であふれる若者たちが
社会を変えていくような
そんな流れにしていきたいなと思っています
そのためには
当然ながらアフリカは遠いですし
行って
それをやって帰ってくるだけでも
ものすごくお金がかかるんですよね
資金を集めなきゃいけないということで
我々
J.Aves
アフリカ野球ソフト振興機構は
松井さんに続くドリームパートナーを
募集中なんですよね
法人ドリームパートナーと
個人ドリームパートナーと
2種類ありまして
個人ドリームパートナーというのは
企業様が我々に一口いくらみたいな感じで
ホームページに詳しく載っていますけれども
ご提供いただいて
個人ドリームパートナーは
1月1,000円から
入れていただくという形で
そういった集めた資金で
この事業を展開しているんですね
ですからホームページに行くと
ドリームパートナーのところがありますので
ぜひそこを検索していただいて
ご関心のある方はご協力いただければ
大変ありがたいと思います
このアフリカ五十五甲子園プロジェクト
各国で甲子園大会をやるんですけど
そっかそっか
後々には
その中で
韓国の代表チームが
日本の甲子園でやるというのを
将来的には目標にしたいんです
36:01
そのためにも広げていかないといけないし
それを我々は
25年計画
これから25年かけて
最初は
5年間で7か国に
しっかり甲子園大会ができるようにしていきながら
徐々に広げていって
25年でやれる形に
しようと思っているんですけど
私は確信があるんですよ
絶対できる
これはお金があればなんですけど
お金があっていけば
私は25年やってきているので
見えているんですよ
これまでの25年でここまで来たから
次の25年でこうやっていったら
こうなるなというのが見えているんです
ですからドリームパートナーの方々が
公人や企業や個人の方々が
たくさん集まれば集まるほど
これが実現に向けて進んでいくというのが
目に見えるんですよね
ですからぜひ実現したいなと
たくさんの方に応援とか
お協力いただきたいと思っております
なるほど
壮大なプロジェクトに取り込まれているということで
今回はジェイブスの
友成代表理事にお話を伺いました
どうぞ引き続き頑張ってください
ありがとうございました
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