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2022-05-30 23:15

喫茶店文化を変えた「CAFE英國屋」/30歳で挑戦したウェイター ~三和実業・社長インタビュー 荻原奨氏(1)

5/30 経営者インタビュー 荻原奨(1)
・経営者インタビュー第1弾は喫茶チェーン「英國屋」を経営する三和実業の荻原奨(おぎわら・すすむ)社長
・開業医の家に生まれた荻原社長が、喫茶店チェーンの経営者になった訳とは
・下積みのUCC上島珈琲勤務時代~三和実業入社までをふりかえる

 

 

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00:00
あらためまして、こんばんはと言わせていただきます。
今日のゲストはですね、産業実業株式会社代表取締役社長の、小木原進さんです。小木原さん、こんばんは。
こんばんは。
よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
今夜はですね、記念すべきトップバッターということで置いていただいたんですが、僕の中では2つほど理由がありまして、
1つはですね、やはり大阪は食い倒れの街ですので、飲食業界の方に来ていただきたかったということが1つと、それからもう1つ、小木原社長の個人的なことなんですが、
僕と同い年で。
そうなんですか。
昭和33年前の犬年同士ですので、これなら気も合うだろうということで、今日は来ていただきました。
ありがとうございます。
リスナーの方たち、英国屋と聞けば、それでどんな会社かということはわかると思うんですが、大阪以外の方も、あるいは全国の方も聞いておられますので、
簡単に自己紹介を含めて会社のことを教えていただけますか。
私は、英国屋はですね、創業者が60年前、今から60年前の昭和36年に大阪の神斎橋で1号店を作りました。
会社さんは実業として設立したのは昭和44年、1969年になるんですけども、60年前の喫茶店と言われると、いわゆるマスターが偉そうに自分でコーヒーを食べて、
俺のコーヒーを飲みに来いと。ましてや世の中は男性社会というようなこともありましたので、そこへ新山門として創業者は大学を出て、
ビクターというところに住んでおりまして、いわゆる脱サラをして、マーケティングということではないと思うんですけども、
いわゆるお客さんの目線で喫茶店を作ったらどうなるのかというようなことを考えて始めたようですね。
いつもそういう話を聞かされてましたので。経営者が自分のために店があるんじゃなくて、あくまでもお客さんのために店を作ったらどうするか。
そして、男性社会ではなくて間もなく女性進出ということで、世の中に女性の方が出てきて、女性が一人で入れるような、そんな店作りをしたらどうなるかと。
そしたらお客さんが来るんではないかということでスタートしたのが、私どものスタートということで、現在では大阪を中心に東京、名古屋、京都、神戸というところで全国に40店舗展開をさせていただいております。
作られた創業者の方は、実は小木原社長にとっては議員のお父さんということになるわけですが、この会社に入られるにあたっての経緯というのを、僕も少しだけ調べさせてもらったんですが、非常に面白いなと思ったので、その辺りを自らちょっと語っていただければと思いますが。
03:09
実は私は神戸で海医院の次男房でして、兄貴が病院を継ぐと。子供の時からなんとなく兄貴が医者になって病院を継いで、私はその事務長、病院の事務長になるべく家庭の中ではそんな話があったんですね。
大学は関西学院大学なんですけども、ジャックから通えたもんですから、何か運動、スポーツをしたいなということで、高校時代特にしておりませんでしたので、漢学といえばアメリカンフットボールの一番有名なんですけども、
親父がしてたゴルフをですね、ゴルフならということでゴルフの門を叩きに行きますと、ほとんどがみんな大学に入ってからゴルフをやってますよと。当時は今はもう全知なんですけども。それで大学に入りまして、ゴルフ部に入りまして、4年間それなりに一生懸命やってたんですけど、勉強もせずに。
4回戦の時に周りがですね、みんな就職が決まった就職が決まったということで、そしたら私もですね、親父に将来病院を継ぐというか事務長になるんで、どっか薬屋でも何かすぐに病院行くのは嫌だから、できれば薬屋に2,3年勤めて、それから病院行きたいんでどっか紹介してほしいと。
言いましたところ、親父がですね、大学まで親父が行かしたんだから、就職ぐらい自分で探してこいと。と言われたんですけども、もうすでにほとんどのところ内定が出てるような状況で、今さら。
ちょっと出遅れてるわけですね。
親父にですね、神戸のUCCでも頼んでもらえないかなと。もう迷惑はかけないし、2,3年でも会社を辞めるので。と言いながら、2,3年ぐらいは仕事をしたいので、頼んでほしいというお願いをしたところ、たまたまそこがうまくいって、UCCに就職ができたというようなところが最初のスタートになるんですね。
あのその時にコーヒーとか喫茶店とかそういうものには関心はおありだったんですか。
06:05
興味を持ってたということはないんですけど、正直なところ。
あくまでも2,3年という前提ですもんね。
最初に入られた時に、会社で広島ですか、行かれたのは。駆け出し自体はどういう社員だったんでしょうか。
当時のUCCは、新入社員は全員が寮に入るという原則論がありまして、地元神戸ではなく広島支店ということで、広島の寮に入りながら営業活動、喫茶店に配達をするということだったんですけども。
とにかく紹介で入れていただいたということもありまして、親父にも迷惑をかけられないし、会社にも迷惑をかけられないし、2,3年だから一生懸命頑張ろうと。
やっぱり新入社員としては頑張った方ではなかったかなというふうに思います。
特異先のお店でそこのお手伝いもするぐらい熱心に営業活動されたということなんですが。
ですから、市販して入ったわけじゃないもんですから、喫茶店というのも、客として利用は大学時代も使ったことはありますけども、裏方からお店を中から見るということが初めてだったんですし。
もちろんそれまで男ですから包丁を持ったことなければ、コーヒーを立てたこともないということで、特異先のマスターがやってみる。
忙しいから手伝ってくれなんですけど、私からしたらそれが勉強の一環かなということで、非常に面白くすんなり入れたところなんですね。
まったく違和感なく入れたというのは、例えばゴルフ部という運動部をやってるとか、そういったところの経験も生きてたという感じですか。
とはありますね。いわゆる体育会の、ゴルフそのものは遊びかもしれない。いわゆる体育会ですから、上下関係も厳しかったですし、会社に入ってからでも上司の命令とか、特異先お客さんの。
命令ではないんですけども、お客さんがどうしても上という感じがありましたので、言われたことは何でもしないといけないということもあったので、素直にそういうことが受け入れられたんではないかなというふうに思っておりますね、今となりに。
あと一つ、広島という土地柄は、行かれてみてどうだったんですか。
やはり、UCCから見たら、英国屋というのは大事なお客さんということもあったもんですから、割合、UCCの支援が高いんですね。
ですから、営業としては、仕事がしやすい環境にあったように思いますね。
一応、配慮してもらった。
配慮してもらったのは、後で気が付けばですね。
09:01
これはまた後々もたくさん聞きたいんですが、この喫茶文化というのは、地方によって特徴みたいなものがあるようですか。
例えば、広島の喫茶店はこうだといったものがあったようですか。
昔はやっぱりあったと思いますね。
やっぱりコーヒーの味が違うとか、大阪が濃い、広島はサラッとして、昔は肉体労働者は濃いコーヒーだとか、東京はサラッとしてるとかって言葉でよく言われてましたけども、
実際に多少なりともそういうのはあったようですけども、今は全然グローバルですから、やっぱり40年前の味と言ってもなかなか思い出せないものですから。
40年前ですもんね、今からね。
今でも広島のことを思い出されたりすることはありますか。
ありますね、今でも時々遊びに行って、当時の人たちと一緒にお酒飲んだり、昔話を、昔はこうだという話はよくさせてもらいますね。
街の雰囲気はもうガラッと変わってしまいましたけども。
僕も初認知が姫路というところだったんですけども、そこに行った時に、こんな街かと思いながら、最初は緊張してるんですけど、だんだん飛び込んでいくといい街だなと思ったりすることもあって、
僕は結構3年半いたんですよ、そこに。
転勤する時、変わりたくなかったというような気持ちがあるんですが、小平社長の場合はそのあたりはどうだったんですか。
私は広島には1年半だったんですね。
その後、兵庫県の加古川、また姫路と近いですね。
徐々に変えてくるという感じですね。
加古川に行きまして、もちろん離れたくなかったですけども、やはり会社の命令と転勤という命令だったもんですから、
それが当たり前というふうに思っています。
でも、加古川時代の人たちとはあまり仲が悪いわけではないですけど、何かの時には会いますけど、
広島は先ほど申し上げましたように、今でも年に必ず1回か2回かは行って、
それこそ寮のご飯を作ってくれたお母さん、お母さんって私は言うんですけども、とは今でも会ってるようなところですね。
なるほどね。
加古川は何年いらっしゃったんですか。
加古川は1年半です。
1年半。じゃあもうこれで3年ということですね。
3年で。
そろそろやっぱり神戸に帰ってくるような下準備という感じでしょうか。
そうですね。その頃になって、私ももう辞めようかと思っている矢先にですね、
今度は当時のUCCがどんどんどんどん東京に進出してた時代だったので、
東京に誰か行きたいもんいないかと、志願編をするような感じのところで、
せっかくだからどうせまた神戸に帰ってくるんで、私も東京行ってみたいということで、
それでちょっと手を挙げまして、それから東京へ1年半行ったんですね。
その間に実は結婚するというようなことになりまして、東京も1年半で、今度は神戸の本社、都合UCCでは6年半お世話になったんですね。
12:01
なるほど。当初の目的の3年間の押し掛けというところはだいぶずれてきましたね。
それはだんだん仕事が面白くなってきたんですね。行く時は3年ぐらいと思ったんですけども、
今UCCの仕事というのがだんだん面白くなってきまして、辞めたらまた病院というのが思いますので、
病院は後回しでもいいなというふうに思ってたところだったんですね。
これは結論的になりますが、結局は病院には帰られなかったということになるので、
もうこのコーヒー業界というか喫茶店業界とか、そこにどんどん飲み込んでいくという人生が始まるなという気がします。
後半はそのあたりに伺おうと思いますので、よろしくお願いします。
ありがとうございます。
ラジオ産経ビジネスジャーナル、今夜は人気喫茶店、カフェ、英国屋などを展開する3話実業株式会社の代表取締役社長、
小木原進さんに来ていただいています。
さて小木原社長、後半なんですが、UCCで東京まで行かれたというところあたりで、そろそろ結婚の話に移ろうと思います。
27歳ぐらいになってその意識をされたんでしょうか。
結婚はその前ですね。
実は加古川市の時に結婚しましたので、入社2年半後ぐらいですか。
今でいうと結構若い時ということになりますね。
そうですね、同期では一番最初トップバッテで結婚したんですけど。
なるほど。その後は東京も一緒に行かれて新婚生活ということなんですね。
徐々に徐々にだと思いますが、奥さんが御長女でいらっしゃるということもありますので、後を継いでほしいという話もちょこちょこ出るんじゃないですか。
結婚する前には向こうの親父からは、結婚するなら後を継いでほしいと言われましたし、
片方、向こうからそんなこと言われたって私の実の両親の方に言いますと、いやいやそれはあかんでと。
病院だったらゆっくりできるけど、その商売はそんな簡単にできるもんじゃないというようなことで、両親からはだいぶ反対はされたんですね。
板挟み状況ですね。
板挟み状況で。
ところが、なんとなく2人の方はしようかということで結婚したんですけども。
結婚した後もしばらく考える時間ということで、UCCその後東京だとか、先ほど申し上げたUCCの本社に帰ってくるというようなことでですね。
UCCの残り3年間、まだ続けさせていただいたんですね。
なるほどね。その中でですね、英国へというチェーン店はあるわけですが、あるいはお父さんの仕事ぶりなども見えてくるわけですね。
15:04
そうですね。
どういうふうに無効として見ていました?
無効としてというよりも、その時点ではまだ英国へに入るという決心はもちろんしてなかったんですけども。
業界の中で、喫茶業界の中ではやはり英国屋っていうのはトップクラスを走ってるなというのはだんだんわかってきましたし。
私自身も、その商売というのがだんだん面白く見えてきたんですね。
病院に帰ると兄貴がいていつまでもトップにはなれないと。
ところが英国に入ると、うまくできればというかきちんと会社経営ができるとなれば社長になれると。
もちろん向こうのお父さんからは英国へ後継いで。
私の家内のところ、というか松本家には男の子がおりませんでしたので、私が長女と結婚したもんですから、後継になってほしいということはあることに。
期待はされますよね。
そろそろUCC辞めて帰ってこないかとかですね。
もう30歳までに戻ってきてほしいと。
30歳を超えるともう本当にUCCの仕事が面白くなってきて離れなくなるぞというようなことも半分脅しみたいに言われましてですね。
私自身も本当にUCCの仕事というのはだんだんその中が分かってくるようになってくると、そっちの仕事も面白いなと幸福になってきましたもんですから。
だんだん悩みまして。
実家とも相談しながら、両親とも相談しながらですね。
そちらの壁もありますもんね。
兄弟、兄貴とも相談しながらですね。
最後は自分で決めたらどうやというようなことで、ちょうど30歳の時にUCCを辞めて実家に入社するというようなことになったんですけども。
3年の腰掛けるつもりで7年ぐらいはかかったということですが、新天地に30歳にして立つですよね、まさにね。
その時に僕もちょっと男と一緒に興味があるんですが、お父さん、議員のお父さんの仕事ぶりが非常に革新的ですよね。
そして非常にステータスも持っているということで、なかなかこれも実家以上に高い壁のように感じるんじゃないかなと思うんですが、そのあたりのプレッシャーみたいなものは感じました?
確かにありましたよ。実際に入社してからもですね、社内というよりも社内から、松本さんはとにかく喫茶文化を変えた人だと思うんですね。
だからお父さんを超えようと思ったら無理だから、違う道を考えないといけない喫茶業界の中で、と言われても初めて入った業界ですから。
言われてることはなんとなくは言葉はわかりますけども、実際に何をしていいかというのが最初の頃は自問自答というかですね。
18:08
それぐらい喫茶店作りということには、今までの喫茶業界の進め方をガラッと変えたぐらいの人だったんだなということを改めて入社してからわかったところですね。
その時にちょっと下手な質問かもしれませんけど、閉まったなとは思わなかったですか?
もう今更、要するに実家とも離れてこっちに来たわけで、もうバックはできないなというところですね。やっぱりその辺は体育会育ちなのか。
実はうちの会長も大学時代は陸上部だったので、その100mを得意としてたので、やはり100mはもう最後の1秒というか100分の1秒のために一生懸命練習すると。
ゴルフでも最後の1打を縮めるために一生懸命してるというようなこともありましたので、やっぱり頑張ればなんとかなるんじゃないかなと。
その頑張り方はなかなか見出せませんでしたけども、何か一生懸命やれば形になるんじゃないかなということは入社当時は思ってましたね。
なるほどね。やはりスポーツはやっとくべきもんですね。
ありがとうございますね。
それと伺ってると、やはりスポーツマン同士でお父さんとも通じ合うところがあったのかなという気がしますね。
でまた、父も感学なんですよ。
そうなんですか。
わいじも感学、私も感学で、私の家内はもちろんゴルフ部の人としてはですから、3人感学で。
なるほど。そういう意味では家庭内では非常に良い心地が良かったかもしれない。
そうなんですよ。一本仕事外れると良かったんですけども。で、男の子ですから可愛がって、いわゆる可愛がってもらいましたし。
はい、なるほどね。あとは社内的なところだけですね。
こういうポジションになると、やはりあの人は次の社長だからということで見られる辛さみたいなのも当然ありますよね。
その辺はかなり大きかったですか。
大きかったですね。今度はそれはもう社内が大きかったですね。
社内ですね。
社外はそのうちになるんだろうからっていうぐらいですけど、社内はもうすぐにこの人が社長になる。
でももうみんなその当時は叩き合いが幹部ですので、私みたいにいわゆる外から入ってきた人間がそんなことできるのかと。
いわゆる植えたお盆も持ったことない人間、コーヒーもたてたことない人間という目で見られてましたので。
だからそれを払拭するという自分でもそんな気持ちがありましたので、お盆は持ったことないんですけども入社当時はですね。
21:01
当時の親父社長は今すぐに本部スタッフで頑張れということだったんですけど、私はちょっと違いますよと。
現場からまずみんなと一緒に仕事をしないことには会社の中身もわからないし、みんなとも仲良くなれないんで、しばらくはお店に行きたいということで植えたをしましたし。
植えたからですか。
お盆も持ったことないお盆、初めて30歳になって初めて、当時のアルバイトの子からお盆の持ち方はこうですよ、コーヒーの持ち方はこう、コーヒーのカップの持ち方はこうですよということを教えてもらいながらやってましたね、スタートしましたね。
そう変わってくると、再出発がたくさんある人生だったという気がしますね。
でもどれもこれも楽しかったですよ、やっぱり知らないことを教えてもらうということは。
そこのところが小平社長の一番のパワーのもとかもしれないですね、知らないところでも何でもできるというところですね。それもゴルフで培った力なのかもしれません。
伺ってるうちに時間が来てしまいました。来週もおいでいただきますので、ぜひよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今晩は三和実業株式会社代表取締役社長の小平進さんに来ていただきました。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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